特殊清掃「戦う男たち」

自殺・孤独死・事故死・殺人・焼死・溺死・ 飛び込み・・・遺体処置から特殊清掃・撤去・遺品処理・整理まで施行する男たち

女心Ⅱ(後編) ~独居女の悲哀~

2024-11-23 05:55:49 | 遺品整理
私は、仏壇の中身を丁寧に取り出しては、遺族に手渡していった。

布の隙間から見えてきたものは、仏像ではなく何やら妙なモノだった。
布の上から見える形は、完全に仏像。
なのに、実際に見える一部は、木でも金属でもなさそう。


妙な勘が働いた私は、モノが遺族から見えない死角に移動し、布を開けてみた。
でてきたモノを見て、驚+笑。
モノの正体はバイブ、いわゆる大人のオモチャの一種(経験不足のため、私は正式名称を知らない)。


若い頃、エロ本の裏表紙とかに載っていたのは何度か(何度も?)見たことはあったが、実物を見たのは初めてだった。
しかも、手に取って。
私にとってはかなり珍しいモノで、ちょっと新鮮な気分だった。


「結構、デカいな」
「このかたちはイケてる」
「意外に重いモノなんだなぁ」
「この質感はヤバイそう!」
「スイッチはどこだ?」
「どういう風に動くんだろう」etc


私は、興味があるような気持ち悪いような感覚で、その形や構造をマジマジと見てしまった(念のために言っておくが、私はずっと手袋は着用しており、素手で触った訳ではない)。


少しの間眺めてから、正気に戻った。
「それにしても、何でこんなモノが仏壇に入ってるんだよ!」


遺族から「何でした?」ときかれた私は、とっさに「隠さなきゃ!」という心理が働いて、動揺した。
私が動揺する必要なんかどこにもないのに、男の本能か?


私には、エログッズを隠す習性が染み付いているのだろうか。
ちなみに、今はエロ本・AV等は一切持っていない。
これホント!


遺族に見つからないように、私は慌ててバイブを布に包んで、仏壇の引き出しにしまった。


「どうかしましたか?」
「い・いえ、別に・・・」
「仏像でした?」
「いえ、仏像じゃありませんでした」


私は、何か代わりになりそうな物を言おうとしたのだが、頭の中がバイブだらけで代わりのモノを思いつかなかった。


「じゃ、何だったのですか?」
「わ・私には何をするモノなのか分からなくて・・・何かの機械みたいですが・・・」
「何だろう、ちょっと見てみようか」
「あ゛ーっ!」
「え?」
「やめといた方がいいですよ」
「なんで?」
「なんでって・・・ウ・ウジがゴロゴロしてますから」
「ウジ?、うぇー、それじゃダメだ」
「でしょ!」
「早いとこ、仏壇も処分して下さい」


私は、バイブを入れた仏壇を部屋から運びだした。


後になって考えてみても、バイブの存在を遺族には隠しておいてよかったと思っている。
故人のイメージに合わないだろうし、故人も知られたくなかっただろうし。


それにしても、きれいに布に包んで仏壇の引き出しにしまっておくなんて、その動機への興味が尽きない。
余程に大切なモノだったのか、別れた夫との思い出の品だったのか・・・はたまた、単純に寂しかったのか。
想像したくないのに、想像してしまう私だった。
女は強し、されど女は弱し。


何はともあれ、バイブを仏壇にしまっておくとは、なかなか味のある行動だと思った。
そして、知ったかぶりして「高価な仏像に違いない」とほざいた自分がバカバカしく思えた。


誰しも、人には知られたくない恥ずかしいモノや過去があるはず。
本人にとっては顔から火が出るようなことでも、他人には愉快で楽しいことだったりするもの。

恥をオープンにして笑い合うことも、生きる実の一つかもね。
? 


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2006-10-03 11:47:15
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遺志

2024-11-19 05:15:08 | 遺品整理
遺体処置と遺品処理の作業で、ある家に訪問した。

亡くなったのは高齢の女性。
行年は、平均寿命を越えていた。
安らかな表情、身体は小さくとても痩せていた。


遺族は、故人の着衣を着替えさせてほしいと要望してきた。


ちょっとしたコツはいるが、作業的には簡単なもの。
だだ・・・私は、死んでいようが高齢だろうが女性は女性として尊重する主義。
故人の羞恥心に配慮したい旨を伝えた上で、遺族の指示を仰いだ。


遺族は私の気持ちを理解してくれたものの、困った表情を見せた。
そして、「これが着せ替えてほしい着物なんですけど」と言って、古ぼけた箱を私に手渡した。


それを受け取った私は、神妙な気持ちになった。


箱の蓋に「死んだら着せて下さい」と書いたメモが貼ってあったのだ。
何かのチラシの裏に書かれた文字は、生前の故人が書いたものだった。


女性の気丈さに感心と切なさを覚えた私。
「これは・・・着せ替えない訳にはいきませんね・・・」
「私が来たのも何かの縁でしょうから、できるかぎり配慮して着せ替えをさせていただきます」


私は、箱を開けて中の着物を取り出した。
中身は木綿の死装束だった。
故人の手作りらしく、お世辞にも立派とは言えない品物。
しかも、だいぶ以前に作っておいたのだろう、全体的に古く黄ばんでいた。


幸い、故人の身体は小さく痩せていたし死後硬直も軽かったので、肌を露にすることなくスムーズに着せ替えることができた。


故人の希望を叶えることができて、遺族も安心したようだった。
その後、厳粛ながらも和やかな雰囲気で納棺を滞りなく済ませた。


次に、私は遺品回収作業にとりかかった。
荷物はきれいに整理整頓されており、タンスも押入もキチンと整えられていた。
その様相からは、故人の几帳面な人柄がうかがえた。


私は、遺品の一つ一つを手に取りながら見分を始めた。
すると、ちょっと困ったことが発生。
タンスの一段一段、収納箱の一つ一つに例の遺言メモが貼ってあったのだ。


「○○に使う」「○○で使う」「○○にあげる」etc。
「不要品」「捨てる」といった類のメモは一切なく、全て再利用するのが当然といった感じだった。


遺品処理・遺品回収を平たく言うと、「廃品回収・不用品処理」だ。
しかし、故人にとって残した遺品は、廃品・不用品ではないのだろう。


これには遺族も困っていた。
「○○にあげる」とされる品物は、実際の○○さん達は欲しくない不要なモノ。
故人の想いに反して、荷物のほとんどが、そんな様なモノだった。


「んー、困った」
処分するしかない荷物。
しかし、故人の遺志を無視するのも偲びない。


例によって、私は勝手な思いを巡らせた。


「故人は、残される人達になるべく迷惑をかけないように逝きたかったのではないだろうか」
「遺族に負担をかけるくらいなら、遺品を処分しても許してくれるのではないだろうか」
「故人の思いを真摯に受け止め、できるだけ使えるモノを探して、それでも残ったモノは処分しよう」


その考えを遺族に伝えたら、そうすることになった。
そして、遺族に遺品を選別してもらった。
その間、私は部屋を出て待っていた。


部屋から聞こえる話し声から、故人の思い出話に花が咲いていることが分かった。
部屋には、故人を納めた柩もあったので、故人に話し掛けるような声も聞こえてきた。
笑い声もあり、和やかなものだった。


結局、少しの遺品を残して、大部分が不用品になってしまった。
遺族も故人に申し訳なさそうにしていたが、仕方がなかった。


人に寿命があるように、モノにも寿命があると思う。
モノが溢れる昨今は、寿命をまっとうする前に用無しにされるモノが多い。
しかし、故人が残した遺品はどれも平均寿命を越えているように思えた。


遺族達は、柩の窓から見える安らかな寝顔の故人に、「おはあちゃん、ありがとう」「おはあちゃん、ごめんね」と声を掛けていた。


上の方から、「気にしなくていいよ」と言う声が聞こえてきそうな温かい雰囲気だった。


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2006-09-28 17:34:08
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遺族の嘘

2024-05-12 04:45:18 | 遺品整理
遺品回収の依頼で見積りに出向いた。依頼者は中年女性。現場は公営団地。
「独り暮らしをしていた父親が亡くなったので、遺品を処分したい」とのことだった。


とりあえず、現場へ。亡くなった場所は病院とのこと。
しかし、部屋に入ったら、かすかに死体の腐敗臭がする。

「男の独り暮らしで不衛生な生活をしていたので、臭くてスイマセン・・・」

と依頼者は言うが、ゴミの臭いと死体の臭いくらいは嗅ぎ分けられる。
念のため言っておくが自慢してるわけじゃないんで。

「亡くなってから、そう時間が経っていないうちに発見されたせいで臭いが薄いだけ、間違いなく故人はここで死んでいる。依頼者が言うように病院で亡くなった訳ではない。」と確信。

見積金額を少しでも安くするためか、世間体が悪いからか、「病院で死去」とウソをついているようだった。


私は自信たっぷりに

「失礼ですが、故人はここで亡くなってますよね!?」

と依頼者に言ってみた。


私の強気でストレートな物腰に、「抵抗するとマズイ」と判断したのだろうか、依頼者は気まずそうにそれを認めた。そして、こういう仕事は依頼者との信頼関係が大事であることを説明して、大きなウソはつかないようにお願いした。

故人がどこで亡くなっていようが、気にすることはない。そんなことが気になるくらいなら、そもそも私はこんな仕事はしていない。そんな類のことを依頼者に話して、心の荷を軽くしてもらった。
雨降って地固まり、その後はお互い気持ちのいい関係で仕事をすることができた。


故人が生きていた物理的な形跡はなくなったが、故人は遺族の心の中に残り、私の仕事を通じて遺族が心の荷を降ろしてくれれば幸いである(きれいにまとめ過ぎ?)。


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格差社会

2024-05-11 04:31:25 | 遺品整理
きれいに晴れ渡った青空が広がる気持ちのいいある日の午前。
現場は都内某所の高級住宅地。そこに建つ高級マンション。
そのマンションに住人達は、どの人も裕福そうで、私の単なる先入観かもしれないが、どことなく品の良さを感じる人達ばかりだった。駐車場の車も高級車ばかり。
それを当たり前のように乗っている。


依頼された仕事とは言え、私ごときが出入りするのも申し訳ないような気分がする程であった。

そのマンションの高層階の一室で独り暮らしの年配女性が腐乱状態で発見された。キッチンで倒れて、そのまま亡くなったらしい。
依頼者は、故人の息子。

「始めから、施行できる装備できてくれ」

とのことだったので、電話で聞いた現場状況から判断して、それに合わせた作業仕様で出向いた。

見積りのため部屋入ったら、いつもの悪臭はするものの、間取りは広々していて窓から見える景色もよく、置いてある物も高そうな物ばかりだった。

とりあえず、見積書を書いて、内容の説明に入ろうとしたら、依頼者は

「全てお任せしますから、そのまま作業に入って下さい」

と金額や作業内容を詳しく聞こうともしない。

「せめて料金だけでも了承もらわないと」

と金額を伝えたら、

「いくらかかってもいい」

「こんな仕事をお願いするのだから、高めにしても構いませんよ」

と寛容かつ丁寧な対応。好意に甘えて、少し高めに見積書を書き直して、作業を開始した。

「一体、どんな仕事をして、どのくらいの収入があればこんな高級マンションに住めるのだろうか・・・。」

と羨ましいやら感心するやら。自分の暮らしとの格差に複雑な思いを抱えながら作業を進めて無事完了。

帰り際も、依頼者男性は

「ありがとうございました」

と丁寧に礼を言ってくれた。礼儀正しく、感じのいい依頼者だった。



・・・同じ日の午後、千葉県某所の市営団地で見積依頼があった。
大規模な老朽団地で、間取りも2DKと狭い。こちらは特殊清掃の依頼ではなく、遺品回収(ゴミ処分)の依頼(家主は病院で死去)。

部屋の中は汚れて散らかり、生活用品とゴミの区別がつかないくらいだった。
遺族は部屋にある物の買い取りを強く希望していたが、どれもこれも、とても買い取れるような価値がある物ではなく、買い取りは全て断った。

しかし、執拗に

「これはまだ使える。これはまだ新しい。これは欲しがる人がいるはず。」

等と言ってしつこかった。しかも、私を業者扱いして横柄な物言いで。

更に、実際の遺品回収費用を見積もったら、細かい値引き交渉に入ってきて、どうにも話が進まなかった。少々の値引きは仕方がないが、遺族の希望する価格と私の提示した料金にあまりに格差があったし、その態度も気に入らなかったので、その場は私の方から断って引き上げた。


問題発言に発展する前に締めるが、その日は一日のうちに午前と午後に分けて二軒の集合住宅に訪問し、二つの遺族と接した訳だが、この大きな格差に思うこと感じることが多い私であった。


トラックバック 2006/06/10 08:49:22投稿分より


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リサイクルの陰に

2024-05-06 05:18:28 | 遺品整理
当社は、遺体関係で色々なサービスや物品販売を手掛けている会社である。

私が担当する仕事のほとんどは特殊清掃だが、ただの遺品処理・遺品回収の仕事もたまにはある。

そこでよく遭遇するのが、リサイクル可能な電気製品・家具類の買い取りである。

当社も厳正に品定めをして、買い取れる物は買い取るが、私の買い取り基準はかなり辛い!一般のリサイクル業者なら安易に安値で買い取っていきそうなものでも、私は買わない。

その理由は色々あるが、まずは遺族が考えている程の価値がないものが圧倒的に多いこと、そして次はそれが「遺品である」ということである。妙ないわくがついた品である可能性が否定できないのである。

しかも、特殊清掃の現場で、遺族がリサイクル業者と電話で打ち合わせしている現場にも何度か遭遇したことがある。

そんな時は「これを売るつもりか?」と思う。

確かに、死体の腐敗液が直接付着している訳でもなく、ウジやハエは拭けばとれるもだが、これをリサイクル業者へ売ろうとするとは、良心の呵責はないのだろうか。

もちろん、品物は私きれいにしたうえで、遺族が別のところへ運んでからリサイクル業者へ引き渡すか、特殊清掃の完了後にリサイクル業者を呼んで見積りをさせるか、である。

百歩譲って、ただの遺品をリサイクルの回すのはよしとしても、腐乱現場にあった品物をリサイクル店に売るのは、好ましいとは思わない。



世の中には「知らぬが仏」ということがたくさんあり、それで世の中がうまく回っていることも承知しているが、リサイクル品を買うときは、くれぐれもご注意を。
その傍で、死体が腐っていたかもしれないからね。


トラックバック 2006/06/05 投稿分より

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最期に向かって

2023-05-31 08:07:28 | 遺品整理
“生”と“死”は常に隣り合わせ、表裏一体。
病気、事件、事故、戦争、天災などで、日本や世界のあちらこちらで、毎日毎日、多くの命が失われている。
そして、それを伝えるニュースも日常に溢れている。
しかし、生きている我々は、“死”を縁遠いもののように錯覚している。
それが生存本能というヤツなのかもしれないし、そうしないと前向きに生きられないのかもしれない。

そうは言っても、“死”は、病人や高齢者だけにかぎったことではなく誰にでも訪れる。
ある日突然か、自分が想像しているより早いか、自分が覚悟しているより遅いか、たったそれだけの違いがあるだけで否が応でも。
一般的には、健康長寿をまっとうし、終活をキチンと済ませた上で“コロリ”と逝くのが理想と言えようか。
ただ、多くの人が思い知らされているように、人生なんてものは、そんな生易しいものではない。
人生はもちろん、死期も死に方も、なかなか思い通りにはいかない。
そんな荒道を、どれだけ頑張って、どれだけ辛抱して歩いていくか、そして、どれだけ真剣に最期に向かっていくか、それが“生”の課題なのかもしれない。



遺品整理の相談が入った。
声から判断するに、電話の主は老年の女性。
「身内が亡くなったので、部屋の家財を処分したい」とのこと。
そうなると、まずは、現地調査が必要。
その上で、見積金額と作業内容を提案することになる。
私は、そのことを説明し、私と女性 双方の都合を突き合わせて、現地調査の日時を定めた。

約束の日、私は、教わった住所に車を走らせた。
到着した現場は、街中に建つ小規模の賃貸マンション。
広めの通りに面した一階は店舗、二階から上が居住用
必要に応じてメンテナンスは入れていたようだったが、外壁の仕様は時代遅れ。
地味な色合いの塗装も「シック」というより「安っぽい」といった感じ。
そろそろ寿命がくることを考えた方がよさそうな老朽建築だった。

建物の前で待っていると、約束に時間に合わせて依頼者もやってきた。
想像通りの老年の女性で、似たような年恰好の女性二人も同行。
聞くところによると、三人は姉妹で、亡くなったのは四人姉弟の末弟とのこと。
老齢ながらも、皆で故人(弟)の後始末のために奔走しているよう。
三人とも丁寧な物腰で、疲れた様子や不満げな表情は一切なく、三姉妹の関係が良好であることはもちろん、四姉弟の関係も良好であったことが伺えた。

現場は、二階の一室。
我々は建物の裏手に回り、薄暗い内階段を上へ。
建物は五階建だったが、エレベーターはなし。
二階だったからよかったものの、もっと上だったら女性達にはキツかったかも。
それでも、私は、女性達の足腰を気遣って、ゆっくりと階段を上がった。

目的の部屋につくと、女性の一人がバッグから鍵を取り出し開錠しドアを引いた。
玄関前の通路も薄暗かったが、明けたドアの先も薄暗。
主がいなくなった部屋のため どことなくヒンヤリとした空気が感じられたものの、電気は止められておらず。
私は、女性達に先に入ってもらい、蛍光灯をつけてもらった。
そして、「失礼しま~す」と、玄関で靴を脱いだ。

間取りは1DK。
玄関を入ってすぐのところが広めのDK。
DKの奥が六畳の和室でベランダはなし。
天井・壁はクロス貼ではなく塗装。
柱も剥き出しで、押入の戸は襖。
障子こそなかったが、窓はサッシではなく旧式の鉄枠窓だった。

玄関からむかって突き当りの窓辺にキッチンシンク。
玄関から右に折れる向きに進んだところが浴室・洗面所・トイレ。
バス・トイレ・洗面所は別々で、それぞれスペースにゆとりあり。
ただ、その設備はかなり古く、浴室はタイル貼で浴槽は昔ながらのバランス窯。
洗面台も旧式。
トイレもタイル貼で、便器は骨董級の和式だった。

言葉は悪いが、その古クサイ仕様が物語る通り、この建物は「築五十年余」とのこと。
そして、故人は、それに近いくらいの年月をここで生活。
他の部屋は住人が入れ替わるたびに、ちょっとした修繕は施されてきたようだったが、現場の部屋は、長年に渡って、故人が“住みっ放し”の状態。
時折は必要最低限の修繕をしてきたものの、他の部屋と同レベルのことはできず。
結果として、この部屋は、時間が止まってしまったかのようなレトロな佇まいとなっていた。

それだけの年数を暮らしていたわけだから、家財の量は多め。
日常生活で使うモノが各所に残されていた。
ただ、一般の部屋と比べて、この部屋の様子は違っていた。
部屋の隅々には、いくつものゴミ袋や段ボール箱が積み重ねられ、また、書籍や雑誌の類も、一定量がヒモで括られ山積みに。
それなりの生活用品は手近なところに置いてあったものの、まるで、どこかから引っ越してきたばかり、もしくは、どこかへ引っ越す直前のように整然としていた。


その訳は、“終活”。
生前、故人は終活に着手していた。
そして、そのキッカケになったのは・・・

数年前、故人の身体に掬っていた病気が発覚。
ちょっとした体調不良が発端だったが、当初、故人は「一時的なものだろう」「そのうちよくなるだろう」と甘くみていた。
しかし、その期待に反して状態は改善せず。
数か月後、重い腰を上げて病院を受診。
精密検査の結果、重い病気にかかっていることが判明した。

その後、入院となり手術も受けた。
術後は、軽等級ながら障害者手帳を受ける身体に。
それでも、退院後は元の生活に復帰。
当初は慣れない身体に悪戦苦闘したようだったが、「人に迷惑をかけたくない」「我が家で気楽に暮らしたい」との一心で、一人暮らしを継続。
そんな生活は、相当に難儀なものだったのだろうけど、本望を貫くべく、少々の無理をしてでもそれに自分を慣れさせていったことが想像された。

しかし、時は無情なもので、病に対する敗色は濃厚に。
少しずつではありながら身体は衰弱の一途をたどっていき、ただちに入院しなければならない程ではなかったものの、「元気」というには程遠い状態に。
そういう状況を心配した女性達(姉達)は、「私達もできるだけのサポートをするから」と、介護施設に入ることを提案。
しかし、故人は、「住み慣れた部屋で暮らしたい」といった願望が強く、女性達の提案に感謝はしつつも受け入れることはせず。
身体的には施設に入った方が楽に決まっていたが、“幸せ”とか“楽しさ”といったものは他人が測れるものではない。
結局、日常生活に大きな支障がでるようなら訪問看護・訪問介護を利用するということで姉弟の話し合いは決着した。

しかし、女性達には、「本人が望むのだから、それでいい」とは言い切れない不安もあった。
それは、孤独死。
若くない上、病弱である身体での一人暮らしでは、充分に起こり得る。
そして、場合によっては、別次元の問題を引き起こしかねない。
故人(弟)の意思を尊重してやりたいのは山々だったが、それは、目を背けることができない現実でもあった。

本音のところでは、そんな縁起でもないこと話したくはなかったけど、女性達姉弟は、そのことについても話し合った。
それは、女性達の情愛から出たもの。
だから、故人にとって耳障りで不快な話題ではなかったはずだったが、ただ、淋しく切ないものではあったかもしれなかった。
しかし、結局のところ、故人にかぎらず、“死”に抗える人間はいないわけで、それについて故人も反論はできず。
結論が出ない中でも、最期と真剣に向き合う覚悟を決めざるを得ないことは、皆にとって暗黙の認識となった。

意外にも、故人が訪問介護を利用するようになったのは、それからすぐのこと。
かかりつけの病院に相談し、故人は、テキパキとその手筈を整えた。
女性達は「人の世話にはなりたがらないから、しばらく先のことになるのではないか」と考えていたようだったが、やはり、故人の頭からは「孤独死」という不安が離れなかったよう。
話の経緯からすると、「死を恐れて」というより「人に迷惑を掛けることを恐れて」といったことが理由だと思われた。
そして、これも、最期にできる、女性達に対する故人の思いやりの一つだったのかもしれなかった。

「墓に衣は着せられぬ」
訪問介護を受け始めたのと同時に、故人は、“終活”を開始。
遺言書を書き、保有する財産や貴重品類もわかりやすく整理。
また、少しずつでも、日常生活で不要な家財を処分することに。
生活に必要なモノとそうでないモノを分別。
要るモノは最小限に、要らないモノは最大限に、ゴミ袋や段ボール箱に詰めていった。
これもまた、最期にできる、女性達に対する思いやりの一つだったのかもしれなかった。


それから、しばらくの月日が経ち・・・
ある日の夜、故人から女性に電話が入った。
「このところ、一段と具合が悪い」
「食事も満足に摂れなくなってきた」
「今すぐどうこうはないにせよ、“そろそろ”かもしれない・・・」
それは、いつになく弱気な言葉で、ある種の覚悟を胸に抱かせるものだった。

覚悟していたものの、“別れ”が現実味を帯びてくると、女性は大きく動揺。
そして、他の姉妹にも連絡をとって、翌日早々に故人宅を訪問。
ただ、訪問介護のヘルパーが世話してくれているお陰か、心配していた程には衰弱しておらず。
また、部屋も荒れておらず。
しかし、どちらにしろ、一人暮らしの限界が間際まで近づいていることは明らか。
案の定、かかりつけの病院に診てもらうと、近日中に入院しなければならなくなった。
そして、入院後、幾日かして、誰もが、いずれまた自宅に戻れることを信じて疑っていなかった中で、故人は静かに息を引き取ったのだった。


晩年の故人は、諦念の想いを自分に言い聞かせるように「仕方がない・・・」と溜息をつくことが多かったそう。
「どうして自分がこんな目に遭わなければならないのか」
「何の因果? 何かの罰?」
降りかかった災難に対する理由を求めたのか・・・
が、そんなことわかるはずはない・・・
ただ、現実を受け入れるしかない・・・
そうやってたどり着いた想いを「仕方がない・・・」という言葉に集約させていたのだろう。

行年は六十代半ば。
平均寿命と比べると、まだまだ若い。
良縁に恵まれなかったのか悪縁しかなかったのか、生涯独身で妻子はなし。
独り身の身軽さからか、家庭持ちの人に比べて、自由に使える金は多かったよう。
両親はとっくに他界し、最も近い血縁者は女性達三人の姉。
女性達はそれぞれに家庭を持っていたが、故人は、盆暮の贈物や土産物をはじめ、幼少期から大人になるまで甥や姪にも小遣いを渡し、何かにつけ当人達が喜びそうなモノを買い与えてくれたそう。
自分に家庭がない分、女性達家族のことを大切にしてくれ、当の故人も嬉しそうにしていたそう。
また、常々、「姉さん達には迷惑かけないようにしないとね・・・」と言っており、健康にも気をつかっていた。
酒は飲まず、タバコも吸わず。
食生活が偏らないよう外食を控え、適度な運動を心掛け、適正体重を維持することも怠らなかった。

それでも、大病を患ってしまった。
皮肉なことに、節制していたからといって病気に罹らないわけではない。
不摂生な人がいつまでも元気でいることもよくある。
「運命」「宿命」「摂理」・・・人知を超えたところにその理由があるのかもしれないわけで、最新の医療や科学をもってしても人間ができることは小さい。
よく「現実を受け入れるしかない」と言うが、「自分を任せるしかないない」といった方が合っているかもしれない。
そのときの故人の心境を想い測ると、溜め息がでるような同情心と、他人事にできないゆえの切なさと淋しさが湧いてきた。


そこは、病気を患った故人が一人で暮らしていた部屋。
衰えた身体で不便なことも多かったことだろう。
身体に痛みを、心に傷みを覚えたことも少なくなかっただろう。
そんな中、一人きりの部屋で、不安や恐怖心に苛まれたか、悪事や不出来を悔いたか、想い出や懐かしさに笑みを浮かべたか・・・
遠くない将来に訪れるであろう最期に思いを巡らせたことは一度や二度ではなかったはず。

消したくない生活感と消さなければならない生活感を対峙させながら整理を進めた部屋・・・
雑多なモノが詰められたゴミ袋、荷物が入れられたダンボール箱、括られた書籍・・・
それは、思うように身体が動かせない中で、故人が自分の最期を見越してやった終活の跡・・・
故人に対する女性達の情愛が、ヒンヤリと感じられていた部屋の空気をあたためたのか、それは、急に故人が現れ、何事もなかったかのように終活作業を続けてもおかしくないくらいリアルに“生”が感じられる光景だった。

私は、故人の生前の姿を知る由もなかったし、見えるわけもなかった。
が、自分なりに最期まで生きた故人の姿がそこにあるような気がした。
そして、「俺も、その時が来たら、狼狽えることなく真剣に最後に向かいたいもんだな」と、口を一文字に結び、小さくうなずいたのだった。


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想定害

2021-02-22 08:27:45 | 遺品整理
「早起きは三文の徳」
できるかぎり、私は、早起きを励行している。
夜明けが遅い冬場でも、起床はほとんど5時台。
夜明けが早い夏場だと、4時台。
不眠症のメリット?で、夜中には何度も目が醒めるし、自分が予定していた時間を過ぎて目を醒ますことは、ごくたまにあるけど、仕事に遅刻するくらいに寝坊してしまうことは皆無。
当然、目覚まし時計なんて、まったく必要がない。
それで何をするかというと、早朝のウォーキング。
それから、朝ご飯をしっかりと食べるのだ。
もちろん、仕事の予定によって変動はするけど、おおかた朝はこのパターン。

もちろん、早朝の起床はツラい。
特に、冬は暗いし寒いし。
しかも、ほとんど朝は「このまま夜が明けなければいいのに・・・」と思うような鬱状態。
だからこそ、そこで思い切って起きないと余計に苦しむことになる。
怠惰な欲望を振り切って自分を叩き起こさないと、その後が大変なことになるのだ。

楽ではないけど、早起きしていいこともある。
ウォーキングの時間帯は、ちょうど朝陽が上がるタイミングで、晴れた日には絶景がおがめるのだ。
澄みきった空気、オレンジに染まる空、日によっては輝く月星もみえる。
「人生は短い・・・絶景が見られるなら、見られるうちに見ておかないともったいない」と言っている人がいたけど、まったく同感!
感動や感激、そして感謝の念は、いくつになっても持ち続けることができる!
それこそ、“生きてる楽しみ”というもの!

ただ、そうなると、逆に夜は弱い。
何も用がないときの就寝時刻は、高齢者or小学校低学年レベル。
起きたまま0:00を越すなんてことは、年に一度の大晦日くらい(前の大晦日は0:00前に寝てしまったけど)。
でも、それもまたヨシ。
晩酌しても深酒にはならないし、遅い時間に食べて脂肪を蓄えることもない。
質はともかく、充分な睡眠時間が確保できるため、ゆったりとした気持ちで寝床につくことができる。
そして、そんな安息のひとときは、次へのエネルギーを養ってくれる。

そんな深夜、2月13日、枕元に置いているスマホがいきなり唸った。
昼間でもそこそこ驚くのに、夜中だとビックリ仰天!
そう、それは、緊急地震速報。
誰が考えたのか、あの警報音は、本当に不気味で恐怖心があおられる。
十年前の出来事が思い起こされ、今でもある種のトラウマみたいになっている。
また、心臓麻痺で亡くなる人もでてくるのではないかと心配にもなる。
その警報が、けたたましく鳴ったのだ。
そして、間髪入れずにグラグラ!っときた。
福島県を中心に最大震度6強の地震に見舞われたのだった。

いつものように浅い眠りについていた私は、すぐに目を醒ました。
首都直下、東南海、南海トラフ・・・今の日本は、いつ どこで、大きな地震がきてもおかしくない状態にあるのは承知のとおり。
いつもとは違う強い揺れ方に、私は「大地震がいよいよ来たか!?」と身構えながら身体を起こし、そのまま立ち上がった。
が、外で出るべきか室内にとどまるべきか、すぐに判断がつかず。
また、持って出るべきものも、すぐに思いつかず。
とっさに掴んだキーホルダーを手に、ギシギシと軋む音がする室内を右往左往するばかり。
心配性の私は、一般の人よりも強くコロナや地震に対する心構えをもっている自負していたけど、結局、戸惑うばかりで素早い判断と行動ができなかった。

揺れが治まってきた頃、NHKをつけると、早速、地震のニュースをやっていた。
「福島県で震度6強」「震源が海底の場合、津波が起こる可能性があるので注意」
と、アナウンサーがやや早口で情報を流していた。
私は、津波の心配がない土地に暮らしているので、その不安はなかったけど、脳裏には十年前の映像が蘇ってきていた。
そして、「大事にならなければいいけどな・・・」と、スウェット(パジャマ)の上に袢纏を羽織り、冷え冷えとした部屋の中で、しばらく繰り返されるニュースを注視した。

考える時間、迷っている時間が、結果的に命取りになる危険性もある。
頭ではわかっていても、実際に地震が起こったとき、すみやかに適切な行動ができないと意味がない。
今回、私は、コロナ同様に地震にも慣れてしまっていることに気づかされた。
あと、実際に大揺れすると、一時的に頭が真っ白になることも。
不意に地震が起こることは想定内のはずなのに、実際の感覚は想定外。
「想定外」を「想定内」にしておくこと・・・物理的な備えはもちろん、自分がとるべき行動もよくよく考え置いて、直感的に動けるようにしておくことが大切だと、つくづく思った。



訪れた現場は、郊外の閑静な住宅地に建つメゾネット式アパート。
オシャレな外観、凝った造りで、軽量鉄骨構造ながらも一般的な重量鉄骨マンションよりも高級感がある建物。
亡くなったのは50代男性、自室で孤独死。
仕事は個人事業で、亡くなったことをすぐに察知されるような人付き合いもなく、発見されたのは亡くなってから数日後。
ただ、寒冷な季節でもあり、その肉体は、腐敗らしい腐敗はしておらず。
寝室のベッドに、薄いシミが発生している程度。
わずかにアンモニア系の異臭があったものの、一般的な生活臭の方が強く、“そこで人が亡くなっていた”ということは言われなければわからないくらいだった。
また、長年の一人暮らしで家事には慣れていたのだろう、中年男性の一人暮らしの割に部屋はきれいで、汚くなりやすい水廻りもきれいに保たれていた。

故人は独身独居、親兄弟はなく、もっとも近い血縁者は叔父・叔母。
ただ、叔父・叔母は遠方の田舎に暮らし、また、かなりの高齢。
一族の文化か、田舎の風習か、親族は“血のつながり”というものを重く考えているよう。
遠戚とはいえ、借り物の家で身内が孤独死したことに少なからずに責任?負い目?みたいなものを感じているようで、深刻な表情。
その様子から、故人の後始末を引き受けるつもりがあることは充分に伺い知ることができた。

大家は、代々、この地域の地主。
先祖は、この地域に田畑をもって汗を流していた農家だったのだろうが、時代の移り変わりとともに農地は商業地や宅地となり、資産価値は上昇。
汗水流していたのは先祖、その末裔である大家は、ハッキリ言ってしまえば“棚ぼた”で資産を手に入れた身。
もちろん、相応の労苦はあるのだろうけど、一般庶民に比べれば、経済には余裕があり、生活は優雅。
何の資産も持たない貧乏人(私)からみると、羨ましく思える身分。
ただ、同じ資産家でも色んな人がいて、寛容な人もいれば強欲な人もいる。
自分のことを棚に上げて言わせてもらえば、残念ながら、本件の大家は後者だった。

大家、親族、業者(私)、三者協議のテーブルでのこと。
親族に対して大家は、家財生活用品の処分と、そこで亡くなっていたことを理由に、ある程度の消臭消毒を要求。
もともとそのつもりはあったようで、これは、親族も承諾。
しかし、ことはそれだけにはとどまらず。
“世間知らずの田舎者”“お人よしのお年寄り”といった体の親族が黙って頷いていることに気を大きくしたのか、大家は、全面的な内装改修工事や設備の入れ替えまで打診。
「新築にする気か?」「そこまでする必要ないだろ?」と思うようなことまで、当然のように要求しはじめた。
そして、用意周到なことに、親族の前に、「原状回復に関する全責任を負う」といった旨の覚書を差し出し、署名押印するよう促した。

対する親族は、戸惑いの表情。
家財処分や消毒、一部の内装改修や清掃を強いられるのは仕方がないと思っていたようだったが、大家の要求はそれをはるかに超越した想定外のもの。
故人の部屋は、何も言わなければフツーの部屋、特段の汚損も異臭もない。
いくら、親族が孤独死現場の後始末に関して素人といっても、そのくらいの分別はつく。
三者の中では若輩だった私の目からみても大家の下心はみえみえで、親族も大家の言うことを黙って聞いてはいたものの、それは“=納得”でないことは明らかだった。


不動産にかぎったことではなく、物の貸借契約において借主は「善良な管理者としての注意義務」、つまり、「借りたものは良識をもって大切に使用しなければならない」という責任・義務を負う。
通常の生活を送るなかで傷んでしまうものや、経年による劣化は免責されるのが通例だけど、「内装建材・建具設備を通常使用外で損傷させてはならない」という責任を負うわけ。
具体的には、「禁煙の部屋でタバコを吸ったり、ペット不可の部屋で動物を飼ったり、大量のゴミを溜めたり、常識的な清掃を怠ってヒドく汚したりしてはいけない」ということ。
不可抗力ながら、孤独死して腐乱した場合も、汚損が顕著に表れるので、なかなか抗弁しにくい。
自殺となれば尚更で、「不可抗力」ではなく「故意」とみなされるので、借主側の責任は大きなものとなる。

話を一般の案件に戻すと、通常損耗・経年劣化の判断基準にはグレーなところがあり、借主・貸主の間で争いになることも少なくない。
私自身も、三年暮らした部屋で原状回復代が全額免除されて嬉しかったこともあれば、一年しか暮らさなかった部屋で少なくない額の修繕費をとられて不満に思ったこともある。
が、本物件は、上記の借主義務を逸脱しておらず。
家賃の滞納をはじめ、迷惑行為もトラブルもなし。
所々に通常の生活汚れがあるのは当然ながら、全体的に部屋はきれいで経年劣化も軽症。
居住年数を考えると、原状回復費用のほとんどは貸主(大家)が負担するべきものと考えるのが自然だった。

しかし、“孤独死”というところが借主(故人)側の急所となっていた。
で、大家は、被害者色を前面に押し出して、その一点を突いてきた。
ただ、それは、法的拘束力をもっているものではなく、あくまで情に訴えるもの。
親族は、故人と生前の付き合いも浅く、賃貸借契約の連帯保証人や身元保証人にもなっておらず。
しかも、「血縁者」とはいえ、親子・兄弟でもない遠戚。
ただただ、一族の倫理観・・・つまり、血はつながった者としての善意で後始末をしようとしていたわけで、放り投げよう思えば、容易に放り投げられる立場にあった。


大家は、話が進むにつれ、それまで従順だった親族の空気が不穏なものに変わってきたのを察知したよう。
それを警戒してだろう、そしてまた、専門業者の意見だったら説得力があると思ったのだろう、大家は、私にも意見を求めてきた。
大家の主張は業者の私にも利があるため、当然、大家は、自分側に立った“援護射撃”を期待していたはず。
しかし、一つ間違えば悪質な押し売り、もっと言えば詐欺にもなりかねない。
私だって、仕事=商売をするためにやってきたわけで、一儲けも二儲けもしたかったけど、大家とグルだと思われるのは不本意だし、犯罪者みたいな後ろめたさを味わうのはもっとイヤ。
そうは言っても、大家を敵に回したら、仕事を獲たとしてもやりにくくなるに決まっている。
業者の立場としては、大家側につくのが得策・・・
個人の立場としては、親族側につきたい・・・
私は、大家側につくべきか、親族側につくべきか、ない頭をめいっぱい捻って打算を働かせた。
で、いつでも都合よく自分の立ち位置を変えられるようにしておくため、
「業者である私も利害関係者の一人ですから、ここでの意見は差し控えます」
と言って、結局、どちら側にもつかず。
その結果、大家の思惑は外れ、決着には至らず。
親族の、「この案件は持ち帰って検討する」という回答をもって、その場はお開きとなった。

数日後、親族は、
「弁護士に相談したところ、“負うべき責任はない”と言われた」
「ある程度は負担するつもりだったけど、もう一切の後始末から手を引く」
と大家に通達してきた。
肉親の情に厚い田舎者だと思っていたら、いきなり手のひらを反してきたわけで、これは大家も想定外。
慌てて腰を低くしても、もう手遅れ、後の祭り。
結局、親族の善意につけ込んで欲をかいたばかりに、大家は、本来なら得られるはずだったものまですべて逸してしまった。
一方の私は、親族に悪者扱いされることもなく、仕事の規模は縮小したものの大家との請負契約で一仕事を獲ることができ、このときは、どちら側にもつかない優柔不断なスタンスが「吉」とでたのだった。


とにもかくにも、人の善意に乗っかって一儲けしようとするのはよろしくない。
詐欺や窃盗を筆頭に、このコロナ禍に、そういった輩が横行しているのは、承知の通り。
そんな卑怯者は、あえて善良な高齢者や弱っている店を狙う。
「コロナなんか関係ない」と我が物顔で店をハシゴしイキがっている連中より、更に性質が悪い。
関連するニュースを見聞きすると、「くたばってしまえ」と、過剰な思いが湧きあがってくる。

そうは言っても、我を顧みれば、
「オマエだって、他人の不幸で飯を喰ってるんじゃないの?」
「似たようなもんじゃない?」
と、どこからかそんな声が聞こえてきそう。
これまでも、たまに、内から外から、そんな声が聞こえてきた。
ただ、私は、人生の半分以上をこうやって生きてきた。
もう、他の生き方は忘れてしまったし、今更、他の生き方なんてできっこない。

人生は、想定外のことが起こるから楽じゃない。
それで、どれだけ泣かされてきたことか・・・
しかし、想定外のことが起こるから面白くもある。
それで、いくらか笑いもした・・・
想定内の死に向かう中で、想定外の死期と死に方を覚悟しつつ、これからも、私は、こうやって生きていくしかない。

狭苦しく冷暗な地ベタを、ひたすら這いずり回っているような人生。
若かりし頃の自分にとっては、まったく想定外の人生。
そんな想いに、気分を沈ませてばかりの日々・・・
くたびれた男になってしまった自分に、ここから這い出るチャンスは、まだあるのか・・・もうないのか・・・
ただ、泣いても笑っても、残りの人生が刻一刻と短くなっていることだけは間違いない。

「だったら、全力で地ベタを這い回ってやろうじゃないか!」
そんな覚悟も根性もないくせに、生きてる楽しみを少しでも味わおうと、時々、私は自分にそう言って朝陽に向かっているのである。



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残された時間 ~後編~

2021-02-03 08:17:05 | 遺品整理
女性の両親は共に聾唖者で、父親は幼少期に、母親もだいぶ前に亡くなり、兄弟姉妹もおらず、女性自身、結婚歴もなし。
父が亡くなって以降、将来を悲観した母親から心中を持ちかけられたりと、悲しく悔しい思いをしたことも少なくなかった。
生前の母親との関係も良好ではなく、手話をおぼえる気も起きず、血縁的には孤独な身の上だった。
苦難の多い少女期を過ごして後、大人になると誰を頼ることもなく懸命に働き、駅近の好立地にマンションを購入、四匹の愛猫との幸せな暮らしを手に入れた。
また、その人柄から、親しく付き合える友達が何人も与えられた。

女性が癌を患ったのは十年以上も前、それから長い闘病生活がはじまり、再発・転移を繰り返し、徐々に悪化。
しかし、悪いことは重なるもの、癌を患っただけでも充分なのに、勤務先の倒産・失業・・・災難が女性に襲いかかった。
多くの苦難に遭遇、ツラいことばかりが起こり、辛酸という辛酸を舐めつくし、自殺を考えた時期もあった。
癌の悪化で働くこともままならなくなり、貯えは底を尽き、生活のために借金。
ようやくありつけた正社員の仕事も5日でクビになり、闘病しながらの生活はどうにも回らなくなってしまった。

最後のトドメは、借金苦のまま仕事も見つからず、身動きがとれなくなった二年前。
癌が悪化する中、とうとう破産、やむなく生活保護を申請・・・
家族だった愛猫とも引き離され、一生住み続けたいと思っていたマンションも取り上げられ・・・
女性に幸せをくれていたもの、すべてを失ってしまった。
ただ、唯一、もともと猫をくれた友人が愛猫を再び引き取ってくれたことのみが救いだった。

新しく暮らす家が必要になっても、女性のような境遇の人を入居させてくれるところはなかなか見つからず。
病身を押しての家探しは、惨めなものだったかもしれない・・・やっとの思いで見つけたのは、小さな賃貸マンション。
どうしても手放したくない最低限の物と一緒に そこへ越し、部屋の大きさに合う小さな家電を揃えて、新しい生活をスタート。
そのとき、女性は、「自分の人生で本当にツラいことは、やっと、やっと全部終わった・・・」「これ以上、苦しまなくてすむ・・・」と悟った。
そこには、諦念を超えた安堵感があった・・・もっと言うと、その時、女性は、絶望感を超えた希望のようなものを抱いたのではないかと私は思った。


女性が余命宣告を受けたのは、昨年12月3日のこと。
その日、女性が訊ねたわけでもないのに、主治医は、「これ以上、やれる治療はなくなりました」「余命二カ月、ですね」と、淡々と告げたそう。
医師と女性の間には信頼関係ができており、医師は、女性の性質をわかったうえで告げたのだった。
それは、女性にとって最悪のシナリオだったが、その可能性があることも充分に覚悟しており、“仕方ないな・・・”と素直に受け入れた。
そして、淡々とした心持ちで、「あ~・・・そ~ですか・・・」とだけ返した。

「医者も用心して、余命は“最短”を言うでしょうから、“桜が見れるかどうか・・・”ってところでしょうかね・・・」
「部屋で倒れてもすぐ発見してもらえるように、看護ヘルパーに来てもらっています」
女性は、さすがに、私のブログをよく読んでくれている。
孤独死して放置されるとどうなるか、よく理解。
まるで他人のことを話すかのように、軽々とそう言った。

「多くの人は、“明日がある”“次の季節がある”“来年がある”と思っている・・・そのことが何だか不思議に思える」
「自分には“次”がないという感覚が、何とも新鮮」
一般の人に比べると、はるかに“死”というものを意識して生きてきたつもりの私だけど、その「不思議」「新鮮」といった言葉は、到底、私の口からは発し得ないもの。
私の中では、“そういうものなのか・・・”といった思いと、“なるほど・・・”といった思いが複雑に交錯。
そこは、まったく未知の境地・・・それこそ、私にとっては“不思議”で“新鮮”な感覚だった。

確かに、平均寿命を、漠然と自分の寿命のように思っている人は多いだろう。
何の保証もなく、何の確証もないまま、勝手に。
また、そう思わないと自分の人生をプランニングできないし、まともに生きられない。
しかし、残された時間は自分が思っているほど長くはなく、現実的には、いつ どこで この人生が終わるかわからない。
平均寿命まで生きるつもりでいながらも、残された時間が少ないことを知って生きることが賢い生き方なのだろうと、あらためて気づかされた私だった。

相手に精神的な重荷を負わせることになりかねないから、女性は、一時、「余命二カ月」と告げられたことを親しい人に伝えることを躊躇った。
それに対する応えとして、私は、「麦は、生きているうちは一粒のままだが、死ねば多くの実をむすぶ」という聖書の言葉を引用し、同時に、2011年4月1日のブログ「一粒の麦」を紹介しながら、冷たい人間に似合わない熱量をもって持論を展開。
女性の最期の生き様と、その死は、私を含めた周囲の人の心に、“大切な気づき”を必ず与えること・・・
生活に追われる毎日から、一旦 目を離し、立ち止まって、静かに命や人生を見つめ直すチャンスをもたらすこと・・・
それが、人の心に“よい実”を実らせること、決して“無”ではないことを伝えると、「心に刺さりました・・・」と、それまでの様子とはうってかわって、女性は、ポロポロと涙をこぼした。


話が尽きない中 ダラダラと居座るわけにもいかず、夕方には帰社する必要もあったので、女性との面談は二時間余で終えた。
ただ、その後も、女性に訊きたいことが次々にでてきて、女性も私に話したいことがでてきて(?)、その関係性に釣り合わないくらい頻繁にメールでやりとりしている。
別れた直後には、本気なのか冗談なのか、ジョークを飛ばすように「冥土の土産になりました」とメールが入った。
また、その後にも、私と会えたことについて「やってまいりました、千載一遇のチャンスが!」「“余命二カ月も悪くないな”と本気で思いました」との言葉(文字)が出てきた。
「何が何でも長生きすることが、命の価値を高めたり、人生に意味を持たせたりするものだとは思っていませんけど、せっかく知り合いになれたのですから、粘り強く生きて下さい」と送ると、「“余命?なんだっけソレ?”という感じで元気でやってます」と返ってきた。

女性は、私と会ったのを機に、650編を超えるこのブログを、はじめから再び読み直し始めたそう。
また、 “みき さえ”さんという漫画家が、何年も前から、このブログを原案に描いておられる「命の足あと」という作品があるのだが、それを紹介したら、早速、電子コミックで読み始めてくれた。
もともと漫画は好きなようで、「読者に伝わるように構成がよく考えられている」「絵もコマ割りもとても上手」とプロっぽいコメントで作品の出来ばえを褒めてくれた。
とは言え、私は、作者から質問があったときに応答しているだけで、制作に細かく携わっているわけではない。
とにかく、女性は、私に関わることは何でもかんでも褒めてくれ、楽しげに喜んでくれた。

そんな具合に、女性は、病んだ肉体とは裏腹に、内面は、とにかく明るくて元気!
深く落ち込んだり、気分が沈んだりすることも、ほとんどないよう。
ウィットに富んだ表現もとても上手で、いい意味で、「どういう神経してるんだ?」と笑ってしまうくらい。
しかし、そんな女性だって、これまで何度となく鬱状態に陥ったことがあり、自殺を考えた時期もあったわけで、“強い人間”というわけでもなかった。
「人それぞれ」と言えばそれまでだけど、とにかく女性は、弱くて脆く、ネクラな私とは まったく異なるタイプで、私は、そこのところに、憧れに近い疑問(興味)を覚え、同時に、その理由を探って、そこから、楽に生きるためのコツ・ヒントを学び取りたいと思った。

女性が人生を楽に生きられるようになったのは、ここ数年のこと。
何もかも失って以降は尚更。
もう、死ぬことも恐くなく、生きることへ執着もなく、ただ、残された一日一日を大切に、楽しんで生きたいのだそう。
そんな女性の明るさは、絶望や諦念の反動からくるものではないことはハッキリしている。
それは、打ちのめされた弱い自分から錬りだされた強さと、守るべき人も 守るべきものもない身軽さと、すべてを失うことの達観からきているもの・・・
しかし、それだけではなく、私には、女性自身も気づいていない深層心理の部分に、一つの信念、ある種の信仰心のようなものがあるように思えた。

そんな元気な様子が伺えても、身体は、容赦なく癌が蝕み続けている・・・特に、1月28日からは深刻な状態に陥っている・・・
まだ何とか一人での生活を営めているものの、腹部を中心に身体には鈍い痛みがあり、少し前までは、鎮痛剤“ロキソニン”が飲むと痛みが引いていたのだけど、今では、もうそれも効かなくなっている。
で、この頃は、イザというときの“御守”として処方してもらっていた、麻薬系の鎮痛剤“オキノーム”を服用。
それも、はじめは一日一回で抑えられていたのが、今では一日三回にまで増量せざるを得ない状況で、それでも、痛みは治まりきらず、更に、記憶がとんだり、意識が朦朧としたりするときもあるよう。
その苦痛を想うと、こんな私の心でもシクシクと痛んでくる・・・女性の心身が癒されるよう、祈らずにはいられない。


私が、このブログ「特殊清掃 戦う男たち」を始めたのは、2006年5月17日・・・もう15年近く前のこと。
650編を超える中で、色んなことを書いてきた。
経験したこと、想ったこと、考えていること、愚痴や弱音や泣き言も。
できるかぎり自分と正直に向き合い、できるかぎり自分の心の声に耳を傾けながら。
そしてまた、自分から出る言葉だけではなく、僭越ながらも、故人の声を代弁するようなエピソードもしたためてきた。

当初は、自分なりに精一杯 女性を癒し、励ますことが自分の役目だと考えていた私。
しかし、前述のとおり、私には、女性を癒し励ますことができるほどの見識はない。
勇気や希望を与えることができるほどの力量もない。
それでも、できることはある・・・私は、とにかく、自分ができることをしようと思った。
独善でも、独断でも、偏見でもいい、私は、女性の心の声をきいて、それを特掃隊長というフィルター通して核心を洗い出し、ダメ人間なりに研磨して代弁することが、“特掃隊長ができること”ということに行きついた。

で、この経験をブログに書こうと思い立った。
この経験を自分に刻み、また読者に伝えて、そこから何か大切なものを得よう、得てもらおうと考えた。
しかし、困った・・・悩んだ・・・
起こった出来事だけを新聞記事のように書くのは簡単なのだけど、それだけでは何かが足りない・・・
“何かが足りない”のはわかっていながらも“何が足りないのか”、考えても考えても、それがわからなかった。

一般の世では、現実的な“死”を語ることはタブー視されやすい。
とりわけ、リアルに該当する当人の前では。
しかし、女性に そのタブーはなかった。
“女性の心の声をきく力”が不足していることに気づいた私は、“無神経”を承知で女性へ質問を投げかけた。
一方の女性は、「今は何でもオープンですので、何でも訊いて下さい!」と、大らかな姿勢で応じてくれた。

「仮に、愛猫と一緒に、マンションで平和に暮らしていたとしても、その精神状態は変わらなかったでしょうか?」
「それに答えるのは、ちょっと難しいです・・・それを現実に想像するのが難しいです・・・“何もかも失った今の私には想像かつかない”というのが正直なところです」
「切ない質問をしてゴメンナサイ・・・」
「大好きだった猫達と 大事にしていたマンションを失った悲しみが通り過ぎたら、もう何にも恐いものがなくなりました」
この他にも、私は、ビジネスライクなお願いや酷な質問を連発した。

そして、女性からも、たくさんの言葉を送って(贈って)もらった。
「フツーに生きてるだけでめっけもん!」
「自分が好きなように過ごしたのだから、何もしなくても、充分、幸せな一日」
「自分がツラいだけで誰の得にもならないから、自分を責めることを一切やめた」
「親身になってくれる友人はもちろん、この世の ありとあらゆるものに対して感謝が止まらない」等々・・・


当初、私は、この経験をここに書くにあたって、おさまりのよい一つの着地点をつくろうとしていた。
女性とのやりとりを通して、その“大切な想い”を探り出し、多くの人に共感してもらえるようなゴールを目指そうとした
打算癖のある頭に頼った、変な計算が働いていた。
しかし、悲しいかな、女性の心の声をきく力だけではなく、その深層心理を探りきる力、それをキチンと文章にまとめる力までも不足。
結局、悩んでいるうちに 時間は足早に過ぎていき、ゴールにたどり着くことはおろか、メッセージらしいメッセージをかたち造ることさえできなかった。

ただ、もっと もっと時間をかければ、自分を錬ることができ、思慮を深めることができ、納得のいくゴールが見えてきたかもしれない。
しかし、女性が「余命二カ月」と告げられて、今日が その二カ月・・・もう時間がない。
もたもた悩んでいるうちに、時間は“酷”一刻と過ぎていく。
私は、女性が自分の目で読めるうちにこれを書くことが、自分に課された“務め”のような、“使命”のような、“責任”のような・・・私を必要としてくれ、私を呼んでくれた、女性に対する“こたえ”のような気がしている。
だから、私は、ひとしきり悩んだ末、想いが伝わらなくても、想いが届かなくても、女性のために・・・結局は自分のためにも、“二カ月以内”に書きあげることに渾身の力を注ぐことにした。


もともと、私は、薄情な人間、いちいち感傷に浸るクセは強いけど、だいたい一過性のもの。
いよいよになって、悲しむかどうかわからない。
目に涙が滲むかどうかも、心が痛むかどうかも、喪失感に襲われるかどうかもわからない。
仮に、涙を流したとしても、多分、それは自分の偽善性をごまかすための感傷、自分の悪性と折り合いをつけるためのパフォーマンス。
ただ、しかし、そのことで、何か 自分のためになるものがこの胸に刻まれること・・・この胸に蒔かれた“一粒の麦”が芽吹くことは間違いない。

女性との出逢いによって蒔かれた種が、その別れによって芽をだし、その先、何日、何ヶ月、何年かかるかわからないけど、自分の生き方によって実をつける・・・
いずれ、私にも死が訪れる。
それまでには実をつけ、そのときは、私も誰かの・・・欲を言えば、一人でも多くの誰かの“一粒の麦”となりたい。
そのためにも、私は、自分に残された時間を大切に、精一杯生きたいと思う。
ボロボロの身体でも、クタクタの心でも、ヘトヘトの人生でも・・・それでも、女性のように、明るく、元気よく。


『 K子さん
私は、この経験を、これから生きていく日々の・・・私に残された時間の糧にします。
やりとりしたメッセージも、消さないで残しておきます。
そして、何よりも、貴女のことを生涯忘れません。        
2021年2月3日  特掃隊長 』


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残された時間 ~中編~

2021-01-30 08:52:25 | 遺品整理
依頼者は、「余命二カ月を宣告された」とのこと。
そして、また、「できたら、ブログを書いている人に来てほしい」とのこと。
“ブログを書いている人”って・・・つまり、私のこと・・・
ただの仕事ではないことは依頼者と話すまでもなく明らかで、しかも“ご指名”ときた。
私は、慣れない依頼に、狼狽に似た戸惑いを覚えた。

が、まったく、自分らしい・・・
少しすると、今度は、いつもの悪い性質が頭をもたげてきた。
妙に気分が高揚、酒に酔ったときのように気持ちが大きくなってきた。
そこには、“誰かに頼りにされている”といった男気や、“誰かの役に立てるかも”といった喜びはなく、あったのは、“思い上がり”と“下衆の高ぶり”だけ。
「人の不幸は蜜の味」とまでは言わないけど、情けないことに、依頼者を思いやる優しい気持ちは小さく、珍事が起こったごとく、好奇心旺盛な野次馬が駆け回るばかりだった。

訊くまでもなく、女性はブログの読者。
しかも、“通りすがり”ではなく、多分、愛読者。
ということは、女性なりの“特掃隊長像”を持っているはず。
自分でいうのもなんだけど、「特掃隊長」って、欠点や短所を脇に置いてカッコつけるクセがある。
女性がイメージしているキャラクターと実際が大きく異なっていたら申し訳ないような気がして、野次馬は野次馬なりに、妙なプレッシャーがかかってきた。

想像するに、女性は、おそらく末期の癌患者・・・
しかも、「余命二カ月」ということは、かなり進行しているのだろう・・・
身も心もボロボロになっているかもしれない・・・
特掃隊長を指名してきた理由は何だろう・・・
“癒し”とか“励まし”とか、何かを求めてのことだろうか・・・

どちらにしろ、“余命二カ月”ということを知ってしまった以上は、「プレッシャーゼロ」というわけにはいかない。
“特掃隊長=私”、別に化けているわけじゃないから、化けの皮は剥がされようがないけど、女性の期待を蔑にする“裏切者”にはなりたくない。
私が冷酷非情な一面を持っているのは事実だけど、そこばかりに囚われて卑屈になっていては、女性が失望する側に人間が偏る。
結局のところ、明るく話せばいいのか、厳粛に落ち着いた感じで話せばいいのか、自分がブレまくり、どういったスタンスをもって電話をすればいいのか、固めることができず。
結局、私は、手が空いても、すぐに電話をかけることができなかった。

独りよがりでいつまで考えても、所詮は、私が特掃隊長で、特掃隊長は私。
ブログだって、他人が打った文字はこれまで一つもなく、今更、立派な男に化けようもない。
もともと、“特掃隊長=私”なんてダメ人間の代表格。
今更、気どる必要など どこにもないし、どんなに気どったってポンコツはポンコツ。
開き直った私は、小心者らしい不安を抱えたまま、素に近い自分で電話をかけた。


スマホを手元に置いて連絡を待っていたのか、女性はすぐに電話をとった。
神妙な心持ちでかけた私とは対照的に、思いのほか明るく、礼儀正しく丁寧な物腰。
重い病を患っていることは、言われなければわからないくらい、明るい声でハキハキとした口調。
そして、一通りの話がすんだ後、女性は、少し言いにくそうに、私が“特掃隊長”なのかどうかを訊いてきた。
私にウソをつく理由はなく、「そうです・・・そのようにご要望いただいたものですから・・・」と正直に答えた。

私が特掃隊長だとわかると、女性は、テンションを一段上げて喜んでくれた。
そして、自分がブログの昔からの愛読者であること、まさか自分が特掃隊長に仕事を依頼する立場になるなんて思っていなかったこと等々、興奮気味に話してくれた。
まるで、自分に 幸運が訪れたかのように・・・
私は、そんな女性に対して、声のトーンを落として応対。
短い会話だけでは、女性の真(心)の温度を想い計ることができなかったからである。

女性宅を訪問する日時を決めるにあたっては、「午前中は体調が整わないから、できたら午後にしてほしい」とのこと要望があった。
で、私は、次の日曜の午後を予定。
すると、女性は、「本来、日曜は休みなのでは?」「自分との面談より休暇を優先してほしい」と、心遣いをみせてくれた。
残された時間が二カ月とすると、たった一週間でも、その一割くらいを占める・・・そんな厳しい状況にも関わらず。
もう時間がない・・・日にちを空けることが躊躇われた私は、女性の心遣いに感謝しつつ「原則、年中無休だから大丈夫です」と返答した。

訪問予定の日まで四日の間があった。
その間、あまり経験したことのない出来事を前に、私の心持ちは、神妙なものに変わっていった。
そして、昼となく夜となく、私は、女性のことを考え、その心情を想った。
女性に関して知っていることは、氏名・住所、余命二カ月ということくらいで、顔も、年齢も、経歴も、何も知らないのに。
「残された時間が二カ月しかない」という現実は、ドライな私にも、それだけのインパクトを与えていたのだった。

「どんな心持ちだろう・・・」
「街や人は、どんな風に見えているだろうか・・・」
「空は、きれいだろうか・・・」
それが、ただの好奇心なのか、勝手な同情心なのか、独りよがりの感傷なのか、自分でもわからなかった・・・今でもわからない。
ただ、わずかでも、女性を思いやる気持ちが湧いており、そこには、自分らしくない、ある種の正義感があった。


12月13日 快晴、約束の日。
その日の午前中、私は、自分が片づけた腐乱死体現場跡を確認する仕事があった。
コロナウイルスは空気中を漂うだけでなく、服等にもついて移動するらしい。
自分が感染しないことはもちろん、女性宅にウイルスを持ち込んだら大変なことになる。
この身に腐乱死体臭はついてはいなかったが、私は、その現場を離れるとき、手指をキチンと消毒し、車の中で洗いたての作業服に着替えた。

約束の13:00の15分前、私は、女性が暮らすマンション近くのコインPに車を入れた。
そして、マスクを新品に交換し、手指を再度 念入りに消毒しながら、約束の時刻が近づくのを待った。
私は、ピッタリの時刻にインターフォンを押すつもりで、数分前に車を降り、ゆっくりと女性宅に向かった。
約束の時刻が迫ってくると、にわかに心臓がドキドキしはじめ、3Fへの階段を昇ると それは動悸にように不快なものに変わってきた。
自分が気弱な小心者であることは充分に承知しているけど、その類の緊張感を味わうのは滅多にないことだった。

私は、3分前の12:57に女性宅前に到着。
玄関を開ける前から心臓がドキドキするなんて・・・
どんな凄惨な現場に入るときも、そこまで緊張することはないのに・・・
「どんな男がやってくるのだろう・・・」と、女性は期待しているはず。
「俺に何ができるだろう・・・」と、私は不安に思っていた。

私には、余命短い女性を癒し励ますことができるほどの見識はない。
勇気や希望を与えることができるほどの力もない。
そんなこと充分にわかっていた。
しかし、どうしようもないプレッシャーを感じていた。
それは、偽善者でもダメ人間でも、少しはマトモな正義感が持てている証かもしれなかったが、そのときは、そんなことで自分を慰める余裕もなかった。

高ぶる気分を少しでも落ち着かせるため、私は、晴れ渡る青空に向かって深呼吸。
昔から、何かにつけ仰ぐ空に、そのときもまた助けを求めた。
それでも、なかなか心臓の鼓動はおさまらず。
自分に自信が持てない私にかかるプレッシャーも なかなかのもの。
結局、その間に耐えきれなくなり、私は13:00になるのを待たず、12:58、意を決して力が入りきらない指に勢いをつけてインターフォンを押した。                       


約束の時刻が迫る中で待ち構えていたのか、女性は、すぐに玄関を開けてくれた。
「はじめまして・・・」と言いながらも、親しい友人を出迎えたときのようなフレンドリーな雰囲気。
そして、「お待ちしてました・・・」と、イソイソとスリッパをすすめてくれた。
一方の私も、多少はドギマギしていたものの、半分は古い友人に会うような感覚。
「こんにちは・・・」と、マスクの下で社交辞令的な笑顔をつくり、部屋へあがらせてもらった。

訪問の目的は、“遺品整理の見積調査”。
とはいえ、事実上、それは「付録」みたいなもの。
“面談”が、女性の真の依頼であり、目的であった。
そうは言っても、見積調査を放っておくわけにはいかず、そそくさと家財を確認。
部屋は1Kの賃貸マンション、お世辞にも「広い」とは言えず・・・ハッキリ言えば「狭く」、更に、余命を意識してかどうか、家財の量も少なく、見分作業は ものの数分で終わった。

見分作業が終わると、女性は私に椅子をすすめ、自分は「いつもここに座ってるんです」と、使い古されたソファーに腰をおろした。
いつもそうなのか、寒い外からやってくる私に気をつかってか、暖房がきいた部屋は とても暖かく、やや暑いくらい。
しかも、その日は快晴で、私の左側の窓からは明るい陽光が射しこんでいた。
少し暑かったし、“密”になるのを避けたかった私は、窓を少し開けて換気してもらおうかとも思ったけど、風邪でも引かれたら困るのでやめておいた。
何はともあれ、天気のいい穏やかな日曜の昼下がりだった。


はじめ、女性は、熱いお茶を入れてくれた。
私は、それに口をつけるかどうか迷った。
重々気をつけてはいるし、自覚症状はないけど、PCR検査は受けておらず、私がコロナウイルスをもっていない保証はどこにもない。
茶碗にウイルスが付着して、それに女性が感染でもしたらマズイと考えたのだ。
しかし、缶やペットボトルならいざ知らず、せっかく入れてもらったお茶に口をつけないのは失礼だし、しばらく手をつけないでいると「どうぞ」と二度すすめられたので、結局、ウイルスのことは考えないで普通にいただくことにした。

初対面なのだから「当然」といえば当然か。
揉め事の解決や難しい商談をしに来たわけでもないのに、はじめは、何とも落ち着かず。
どんな態度で、どんな温度で、何をどう話せばいいのか・・・
ナーバスになっているかもしれない女性にとっては、私が吐く何気ない言葉が、デリカシーのない暴言になる可能性だってある
だから、当初は、女性の様子をうかがいながら頭に浮かぶ単語を慎重に選び、ややビクビクしながら言葉を発した。

そしてまた、目も口ほどにものを言う。
顔の半分はマスクで隠れているから、表情はつかみにくいけど、その分、“目の色”の変化は鮮明に表れる。
曇らせたり、驚いたり、引きつらせたり、険しくしたり・・・女性の余生を暗くするために来たのではないのだから、女性の心持ちにそぐわない目の色を浮かべてしまってはよろしくない。
私は、口から出す言葉だけではなく、自分の目の色にまで神経を尖らせた。
そして、お茶を飲むためマスクを外すときは、似合いもしない柔和な顔をあえてつくった。


女性は、このブログ初期からの愛読者で、実によく読み込んでくれていた。
気が向いたときに気が向いた記事だけ“つまみ読み”してもらっても充分なのに、すべてに目を通してくれているよう。
書いた本人でも忘れているようなこともシッカリ憶えてくれており、例年、冬の時季、私が調子を崩すこともわかってくれていた。
それで、自分の病気をそっちのけで、「大丈夫ですか?」と心配してくれた。
そして、普通なら「大丈夫です!」と言うべきところ、私は、「実は、あまり大丈夫じゃないんです・・・」と、バカ正直に答えてしまった。

そういうときは、ウソでも何でも「大丈夫です!」と明るく応えるべきだろう。
「大丈夫じゃない・・・」なんて言われたら、招いた女性も気を遣うし、気マズい思いをする。
ましてや、大きな病を抱えているのは女性の方で、「大丈夫じゃない」というのは、本来、女性のセリフ。
吐く言葉には細心の注意を払うつもりでいたのに、しょっぱなからしくじった。
私は、どんなときも自己中心的な自分に対し、マスクの下で小さな溜息をついた。

女性は、ブログを愛読してくれているだけではなく、“特掃隊長”のことをやけに気に入ってくれていた。
私の何かを勘違いしているのだろう、「前からの大ファン!」とのこと。
やたらと特掃隊長を褒めてくれ、賞賛してくれ、「カッコいい!」と持ちあげてくれた。
また、野次馬根性で訪問したにも関わらず、私と顔を会わせたことも大いに喜んでくれた。
その、はしゃぎようといったら、“残された時間が少ない・・・”といった切迫感を忘れさせるくらいのものだった。


この私、性格は暗く 内向的、人付き合いも下手なうえ苦手。
しかし、女性はその真逆。
明るく社交的な人柄。
誰とでも、親しく上手に付き合えるような感じ。
私は、人に褒められる喜びと、自分は持ちえない明るさに惹かれつつ、女性が醸し出すWelcomeな雰囲気に、温泉にでも浸かっているような心地よさを覚えた。

そんな女性の人柄と、自分の苦境を他人事のように話す明るい語り口によって、張りつめていた緊張の糸はみるみるうちに緩んでいった。
結局、色々と神経を尖らせ、気を遣っていた私が“素”で会話できるようになるまで、そんなに時間はかからなかった。
場の雰囲気に酔ってしまったのか、気をよくした私は、まるで酒に酔ったときのように饒舌に。
自分が話すことより女性の話を聴くことを心掛けつつも、聴き上手の女性を相手にすると、どうしても多弁に。
そう簡単には、自己中心的な性格は直らないのだった。

私を必要としてくれ、私の存在を喜んでくれ、こんなブログが女性の生き方に良い影響を与えているなんて・・・
おだてられる一方の私は、表向きは恐縮至極、内面は鼻高々。
照れくさいやら、恥ずかしいやら・・・
同時に、それは、とても嬉しく、とてもありがたく、少し誇らしくも思えることだった。
ただ、その後、話題は、向かうべきところに向かっていき、女性を泣かせてしまう場面もあったのだった。
つづく


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残された時間 ~前編~

2021-01-26 08:37:10 | 遺品整理
もう時間がない・・・
今夏に予定されている東京オリンピック、コロナ禍のせいで盛り上がりに欠けている・・・国民の関心が著しく薄れているのは明らか。
街には、開催を諦める空気が充満、再延期や中止を求める声も多くなっている。
いや・・・もっと言うと、もう、どうでもいい・・・今では、人々の関心はコロナと経済に集中し、オリンピックなんて何処吹く風。
それは、日本だけにとどまらず、世界中に広がりつつある。

もう半年しかないという段階でも、コロナ禍は一向に治まる気配はなく、悪化の一途をたどっている。
世界に目を向ければ、欧米の状況は、我が国よりも更に悪い。
国によっては、突貫工事のごとくワクチンが乱打されているけど、仮に、これがうまくいったとしても、全体的な効果がでるには一年も二年もかかるらしい。
こんな状況で、どうやってオリンピックが開催できるというのか・・・
出場予定の選手や関係者には気の毒なことではあるけど、どこからどう見ても無理。

“お偉いさん”達に、庶民にはわからない大人の事情があるのはわかる。
それぞれに立場(利権?)があり、表立って、開催に否定的な発言ができないのもわかる。
しかし、決断力や指導力、頼もしさや潔さがなさすぎる。
“国の祭”より、“国民の命”“国民の生活”の方が大切なのは、わかりきったこと。
はたして、こんな状況で無理矢理に開催したオリンピックが、楽しいものになるだろうか、喜ばしいものになるだろうか、弱っている人達が勇気づけられたり、困っている人達が癒されたりするだろうか・・・はなはだ疑問である。

いつみても虚ろな目をしている総理の言葉は、他人が書いた学芸会のセリフのようで、力強さや熱もなく、魂や志も感じず、信念やビジョンもみえない。
国が右往左往、迷走する中で強引に開催しようものなら、思いもよらないしっぺ返しがくるはず。
そして、そんな愚策によって、真っ先に犠牲になるのは、下々にいる身体的・社会的・経済的弱者であり、また、医療従事者やエッセンシャルワーカーの人達。
金や利権、権力や名声をもった、社会の上の方にいる人達ではない。
国民は、国のリーダー達の、政治家としてのスポーツマンシップと最高のパフォーマンスを求めているのである。



もう何年も前の話・・・
初老の男性から遺品整理の相談を受けたことがあった。
ただ、「遺品整理」と言っても、男性は、遺族ではなかった。
相談の内容は、“自分が死んだ後の始末について”ということ。
今風にいえば「終活」ということになるのだろうが、その中身は、一般的な終活とは異なっていた。

男性は、緩和ケア病棟、いわゆる“ホスピス”に入院中。
末期癌で、余命が短いことを宣告されていた。
しかも、医師から宣告された余命期間は過ぎた状態で、いよいよ残された時間が少なくなっていた。
何らかの事情があってそうなったのか、意図的にそうしたのか、結構、ギリギリのタイミング。
“モタモタしていられない”と判断した私は、早速、面会の日時を調整した。

男性の事情だけでなく、病院の都合もあり、面会予定の日時はすぐには決まらず。
また、「日時を約束しても、体調によっては急に変更をお願いすることがあるかも」とのこと。
あと、男性が現場(男性宅)に同行することはできないので、私が鍵を預かって一人で見に行くことになることも、面談の条件となった。
ただ、どれも私にとっては問題ないことなので、二つ返事で引き受けた。
その上で、私は、何かに急かされるように、一日でもはやく動ける日を探していった。

原則として、当社は遺品処理について生前契約は行わない。
当人の死後に相続が円滑に行われるとはかぎらないし、本人が想定していなかった相続人が現れるかもしれないし、誰も気づかなかった負債があるかもしれない。
つまり、遺産相続手続きに抵触し、トラブルに発展するリスクが高いのである。
あと、本人の死後に渡って、確実に当方の信用度を担保するものも提供できない。
したがって、死後の始末については見積書や契約書の作成にとどめ、事前に契約締結や金銭を授受することはないのである。

本来、こういった類の相談には、故人の代理人として相続人、もしくは相続人と同等の権限を有する人(後見人)を立ててもらう必要がある。
そして、その上で、本人には遺言書を書いてもらっておく。
正式な契約は、その代理人と取り交わし、作業はその契約・権限において実施するわけ。
たから、本件でも、代理人を立ててもらうつもりでいた。
ただ、会う前からそんな難しいことを言っても話がややこしくなるだけなので、まずは、面会日時を決めることを最優先にした。

この仕事を長年に渡ってやってきて、多くの経験も積んできた私。
世間様に自慢できる仕事ではないことは重々承知しているものの、“熟練”の自負はある。
ただ、経験してきた現場のほとんどは、本人が亡くなった後の始末。
生前の相談を受けたことがあっても、皆、健常な高齢者で、死期が明確に迫った人達ではなく、ほとんど一般論や世間話に近い内容。
“死”を取り扱った話でも、そこに、切迫感や緊張感はなかった。

稀有な仕事が舞い込んできたことに、私は興奮。
自分が頼られていることを誇らしく思い、喜びもあった。
心優しき善人でいたかったけど、私の中には、野次馬が闊歩。
若干の同情心はあったけど、深い悲しみや、男性を憐れむ気持ちはなかった。
自分の薄情さにはとっくに慣れており、そういう自分が“人としてどんなもんか”という疑問や嫌悪感は微塵も湧いてこなかった。

ただ、思いあぐねるところはたくさんあった。
余命いくばくもない人を相手に、どう接することが適切なのか・・・
男性の心を癒すことに努めるべきか、事務的な姿勢に徹するべきか・・・
どちらにしろ、下衆な野次馬根性や好奇心はもちろん、薄っぺらな同情心や、心にもない傷心は、簡単に見透かされるはず。
私は、心にもない沈んだ表情を浮かべたり、白々しいセリフを吐いたりするのはやめにして、とにかく、男性の雰囲気や温度を観察し、それに合わせることを心がけようと思った。

面会を約束した日の朝。
私は、どことなく高揚、どことなく緊張・・・落ち着きを失っていた。
不謹慎ながら、私の中には、どこか楽しいところに遊びにでも行くかのような妙な感覚が湧いていた。
同時に、そういう自分の悪い性質に対する敗北感も。
そんなソワソワした気分を携え、私は、男性が待つ病院へイソイソと車を走らせた。

そうして車を走らせることしばし、もう少しで到着するというとき携帯電話が鳴った。
相手は、男性を担当する看護師。
「少し前に、○○さん(男性)が亡くなりまして・・・」
「面会のお約束をされていると思うんですけど、そういうわけですから・・・」
それは、その日の未明に男性が死去したことを知らせる電話だった。

「え!? 亡くなったんですか!?」「そうでしたか・・・」
看護師に「ご愁傷様です」なんて言うのもおかしい。
驚きとともに、それ以上 返す言葉失った私は、
「それは・・・どうも・・・お疲れ様でした・・・」「じゃ・・・引き返します・・・」
とだけ応えて、そのまま電話を切った。

いきなり“肩すかし”を喰ったかたちとなり、とりわけ、それが人の死によるものだったから、私は、強い脱力感に襲われた。
面会の約束がキャンセルになったのは理解できたものの、その先にすべきことがすぐに思いつかず、しばし呆然。
未経験の寂寥感、妙な喪失感を覚えて、身体の力が抜けてしまった。
そうは言っても、いつまでもボーッとはしていられないので、気を取り直し、後ろ髪を引かれるような思いを胸に、イソイソと来た道をトボトボと引き返したのだった。



約一ヶ月半前のこと・・・2020年12月9日、曇天の昼下がり、一本の電話が会社に入った。
電話の相手は女性、相談の内容は遺品整理。
しかし、ただの遺品整理ではなかった。
電話を受けたスタッフは、その旨を部署の人間にメールで連絡。
その一人である私のスマホにも、その連絡は入った。

通常、日中は現場に出ていることが多い私。
緊急でないかぎり、会社からの連絡はメールで入る。
着信音が鳴るから気づくことはできるけど、作業中で手がふさがっているときは、わざわざ手を空けて見ることはしない。
とりわけ、汚物と格闘しているときなんかは。
私は、その時も作業中で、着信に気づいたものの、スマホを手に取るのは後回しにした。

「さてさて・・・どんな仕事かな・・・」
作業が一段落ついて、私は、いつものようにポケットからスマホを取り出した。
そして、会社からの連絡事項を確認すべく、メールの受信画面を開け、思わず目を見開いた。
そこには、依頼者曰くとして、「余命二カ月を宣告された」との文字。
そして、依頼者からの要望として「できたら、ブログを書いている人に来てほしい」
と記してあったのだった。
つづく



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厚顔無恥 ~後篇~

2020-07-07 08:40:40 | 遺品整理
偉そうな人、図々しい人、乱暴な人、ケチな人・・・
これまで、不愉快な人間とは何人も遭遇してきた。
人間は十人十色。
いい人もいれば悪い人もいる。
礼儀正しい人もいれば無礼な人もいる。
自分と肌が合う人もいれば合わない人もいる。
“好き嫌い”を通していては、仕事にならない。
とにかく、一仕事の中で我慢すればいいのだ。
しかし、私だって ただの人間。
しかも、懐は浅く 器は小さい。
許容量には限界がある。
善悪は抜きにして、世の中には、自分とは関わらない方がいい人間がいるのも事実だろうから、できることなら、そういった類の人とは別の世界で生きていきたい。
そうすれば、余計なストレスを抱えなくて済むし、嫌な思いをしなくても済む。
しかし、誰しも身に覚えがあるだろう、学校でも、会社でも、仕事でも、そうできないから苦労する。
“人間関係”は、楽しいときはいいけど、難しいときは、ヒドく人を苦しめる。
そして、ときに、憎悪・嫌悪・敵意・怒り・・・恐ろしいくらいの悪感情を人に抱かせるのである。


前篇の続き・・・

部屋にある家財は少な目。
ただ、大家は、故人が付けたエアコンの撤去も要求。
たいした金額ではないが、一つ一つを処分するには費用がかかる。
男性は、それが嫌なようで、
「これはまだ使えるよ!次の人が使うでしょ!?」
と、押し売りが得意のセールスマンのようにエアコンの再利用をPR。
しかし、それは、とっくに耐用年数が過ぎている代物。
充分に古く、充分に汚れている。
欲しがる人は、まずいないはず。
だから、
「それは○○さん(故人)がつけたモノだから、外して下さい! 次の人には自分で新しくつけてもらいますから!」
と、大家は、男性による“ガラクタの押し売り”をキッパリ断った。

主張が通らなかった男性は、おもしろくなさそうに、
「使えるモノをざわざわ捨てなくてもいいのに・・・」
「処分を業者に頼んだら金がかかるわけだよな・・・」
と、ブツブツ言いながら、エアコンの室内機・ホース・室外機を舐めるように眺めた。
どうも、自分で取り外せないか考えているよう。
その様子を見ていた担当者が、
「そういうのは、専門業者に任せたほうがいいですよ」
「壁とか壊れると修繕費もかかりますから」
と親切心で言うと、
「業者に頼んだら金がかかるだろ?!」
「そんなの無駄金!無駄金!自分でやればタダなんだから!」
と一蹴。
私だって“金がかかる業者”なわけで・・・わざわざ人を呼びつけておいてその言い草・・・失礼極まりなし・・・
ただでさえ冷たくなっていた場の空気を更に冷え冷えとさせた。

退去時の原状回復費用を、貸主・借主でどう負担するか。
これは、賃貸不動産で起こりがちなトラブルである。
私個人の経験でも、過去に、一年しか住まなかったマンションで、敷金+修繕費を徴収されたこともあった。
また、三年住んだマンションで、敷金全額を返してもらえたこともあった。
国土交通省がガイドラインを定めてはいるけど、明確な基準ではないし強制力もない。
結局、不動産屋や大家の裁量によるところが大きい。
だから、“賃貸人 vs 賃借人”でトラブルが起こりやすい。

しかし、この案件の場合、入居者が“善良なる管理者の注意義務(良識をもって部屋を使用する義務)”に違反していたことは明らか。
特殊清掃が必要なくらいトイレは糞尿まみれ。
風呂や洗面台はカビ・水垢だらけ。
キッチンシンクはカビ・水垢に覆われ、レンジ周りは油汚れで真っ黒ベトベト。
で酷く汚れ、部屋もホコリだらけで壁紙も変色は結構な汚れ具合に。
長年に渡って掃除されていなかったであろうことは、誰の目からも一目瞭然だった。

担当者は、
「修繕費とクリーニング代を合わせると、預からせていただいている敷金だけでは足りないはずなので、不足分は保証人さん(男性)に負担していただくことになります」
と説明。
すると、
「なんで!?フツーに住んだって、これくらいは汚れるでしょ!?」
男性は、予想通り抵抗。
「いやいや・・・これは、経年劣化とか通常損耗じゃないですよ!」
担当者も黙っておらず。
「そんなことないでしょ!妙な言いがかりつけると黙っちゃいないよ!」
最初から“黙っちゃいない”男性だったが、自分の理屈を無理矢理にでも通そうと、声のトーンを上げた。

「あと、先月分の家賃が払われていないので、お願いします」
「退去申告は一ヶ月以上前にしていただく規約ですけど、ご本人が亡くなっておられますので、今月分の家賃は退去までの日割分で結構です」
男性の態度にいちいち反応していては仕事にならない。
担当者も、早々に男性の性質を理解したよう、冷静に努めることにした様子。
また、退去時の揉め事にも慣れているのだろう、揚げ足をとられないよう言葉を選びながら、退去の手続きを事務的に説明していった。

「先月分って・・・入院してここに住んでなかったのに家賃とるの!?」
「そんなの、おかしいだろ!」
おかしいのは男性の方。
しかし、男性は、担当者の話が進むにしたがってハイテンションに。
担当者の口からは、金のかかる話が次から次へと出てきて、みるみるうちに怒りに満ちた表情に。
そして、何か考える素振りで少しの間をあけて後、意地悪そうな微笑を浮かべたかと思うと、
「じゃぁさ、“払わない”って言ったらどうなるの?」
と、イヤ~な予感がする一言を吐いた。
「え!? 保証人になっておられるわけですから、払っていただかないと困ります・・・」
不気味な返答に、冷静沈着だった担当者は少し動揺。
「困るかどうかなんて、訊いてないよ!」
不利な立場なのに、男性は何故か強気。
返答に困った担当者が言葉を詰まらせていると、
「だから!“払わない”っていったらどうなるのかって訊いてんの!」
と、語気を強めた。
「・・・そ、その場合は・・・大家さんに負担していただくしか・・・」
傍らには大家が立っているわけで、担当者は、言いにくそうにそう言った。
同時に、言われた方の大家は、“なんでそういうことになるの?”と不満とともに不安気な表情を浮かべた。

「あ~そぉ~・・・・・じゃ、払わない!」
「今まで払った家賃だけで充分に儲かってるはずだから!」
「そもそも、こんなボロアパートで高い家賃とって、悪いと思わないの?」
「文句があるなら、警察でもどこでも行ってやるよ!」
“最後は大家が負担するしかない”ということを知った男性は、悪知恵を働かせ完全に開き直った。
そして、誰も予想しない一言・・・常軌を逸した暴言を吐き、その場の空気を凍りつかせた。

何という言い草・・・理性というものを持ち合わせていないのか・・・大家の面前で、よくもまぁ、そんな乱暴なことが言えたもの。
これには、大家も担当者も唖然・絶句。
思いもよらない返答に頭が真っ白になったのか、はたまた、言い返したいことがあり過ぎて言葉に詰まったのか、二人は無言のまま。
不気味な余裕顔を浮かべる男性とは対照的に、ただただ顔を引きつらせるだけだった。

この程度の揉め事は、裁判沙汰にするほどのことでもなく、かといって、黙って泣き寝入るのも悔しすぎる。
しかし、残念ながら、この手の人間は、かなり厄介。
一般的な常識・良識・社会通念は通用しない。
もっというと、公の法律も。
“自分がどう思われるか”なんてまったく気にせず、警察が関与するような犯罪行為でなければ、堂々とやってのける。
結局、話は男性のペースで進み、その場は、善悪の感覚が麻痺してくるような雰囲気に包まれていった。

私は、社交辞令的な会話は苦手なクセに口が減らないタイプの人間。
そのやりとりを見ていて、男性に言ってやりたいことが、闘志とともに次から次へと頭に湧いてきた。
が、私は、まったくの第三者。
“男性 vs 大家・担当者”に口を挟める立場にない。
男性に対する怒りと参戦できないもどかしさに苛立ちを覚えた。

しかし、こんな男を相手にストレスを抱えるのはバカバカしい。
“参戦できないなら離脱した方がいい”と考えた私は、一応の用事を済ませるため、攻防を繰り広げる三人を横目に、目視で家財を簡単にチェック。
そして、右手にペン、左手にファイルを持ち、見積書を制作。
どちらにしろ、男性が、故人のために身銭を切るつもりがないことは ほぼ明白。
また、病院や葬儀社への代金をキチンと支払ったかどうかも怪しく・・・
どう考えても、この案件が仕事(契約)になる可能性はかぎりなくゼロに近く、私は、無駄足を喰わされた不満の中で見積書を書いていった。

同時に、私は、仕事とはいえ“もう、この男性とは関わり合いになりたくない”と思った。
万が一、契約が成立して作業を実施したとしても、契約外の雑用を命じられたり、事後に値引きを迫られたり、また、横柄な態度や、礼儀をわきまえない言動も変わらないはずで、作業中や作業後に不快な思いをさせられることが容易に想像できたし。
それだけなら まだマシで、代金をまるごと踏み倒される可能性も考えられた。
結局のところ、この仕事は、気持ちよく、また安心してできないと判断。
で、やる気なく、かたちだけの見積書をつくって、男性に差し出した。

「え!?そんなにかかるの!?」
「オイオイ、そんなにかかるわけないだろぉ!」
男性は、まったく予想通りの反応。
ただ、これ以上、不愉快な思いをするのはまっぴら御免。
交渉に応じて商談を進めるつもりなんか更々なく、
「これでご検討下さい」
「必要があったらご連絡ください」
と、一方的に話を締め、そそくさと現場を引き揚げた。

「当然」というか・・・結局、契約には至らなかった。
だから、その後、あの案件がどうなったか、男性がどうしたかは知らない。
ただ、一悶着も二悶着もあったはず。
ともなって、関わった人は、皆、気分の悪い思いをさせられたことだろう。
大家をはじめ、実害を被った人もいたと思う。
一つの仕事を逃したものの、いち早くそこから離脱した私は、何度思い返しても、その判断が間違っていたとは思わなかった。


今回のブログ、わざわざ前後篇に渡って長々と書いた割に、その内容は、ただの男性への悪口。
その厚顔無恥ぶりは反面教師の上をいっており、表面上、得るものは何もなし。
しかし、この無意味なブログからも、何かが読み取れるかも。
自分にも似たようなところがないか・・・
これまでの人間関係や生き方に省みる余地がないか・・・
無意味な記事に意味を探すこともまた、「特殊清掃 戦う男たち」の一趣一嗜(?)。

“自分は厚顔無恥な人間じゃない”と思いたい私は、無理矢理そんな風に考えて善人でいようとする・・・
・・・実のところ、厚顔無恥な人間なのかもしれない。



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笑顔の向こうに

2020-05-06 08:59:41 | 遺品整理
ぬけるような青空、心地よい春風、まぶしいくらいの新緑・・・
5月に入って、時折汗ばむくらいの、この時季らしい暖かさがやってきた。
このまま10日まで休暇の人もいるのかもしれないけど、とりあえず、今日はGWの最終日。
例年通りのGWなら、観光地・レジャー施設・繁華街は大賑わい。
連休とは薄縁の私でも、世の中の休暇気分のお裾分けをもらうことができて、少しはのんびりした気分が味わえる。

しかし、今年は一味も二味も違う。
今年は、GWならぬ“SHW”(ステイホームウィーク)。
緊急事態宣言も延長され、遊ぶ場所は軒並み休業で、外出自粛はもちろん他都道府県への移動も事実上制限されている。
こういう局面になっても自制できない連中のことはさておき、良識ある?私にはモラルをもった行動が求められる。
そうはいっても、自制心のある大多数の人の中にも、GWの過ごし方に悩み、“ステイホーム”しきれず、屋外の散策等に出かけた人も少なくないのではないだろうか。

“三密回避”の啓蒙がすすんだ反面、“密が三つ揃わなければ大丈夫”“屋外なら大丈夫”といった誤った認識も広がったのではないかと思う。
だから、人々は公園や海に出かけて平気で遊べるわけ。
人が密集していようが、人と密接していようが、「屋外」というだけで安心して。
実際、身近なところでも、マスクもせずハァハァ走っている中年や、数名で集まってワイワイやっている若者をよく見かける。
そして、利己主義者特有の自己中心的な苦々しさを覚えている。

かくいう私も、4月下旬に旅行を計画していた(正確にいうと、実兄が計画したものに乗っかっただけ)。
生まれて初めての四国旅行だったのだが、緊急事態宣言が出された段階で即中止に。
ちなみに、私は半世紀余も生きてきて、一度も四国四県に行ったことがない。
あとは、沖縄も・・・そういえば、福井・和歌山・長崎・佐賀にも行ったことがなく、岐阜は ただ何度も通過したのみ。
そう考えると、どこも行ってみたいところばかりだ。

でも今は無理だから、かわりに、「気分転換に海にでも行こうか・・・」と考えた。
そうはいっても、さすがに伊豆や熱海ってわけにはいかないから、もっと近場で。
鎌倉や江の島、湘南方面もいいところなんだけど、そのときは“不自粛サーファー”の悪い印象があった。
個人的には、館山や銚子、九十九里の方が気楽で行きやすいので、房総方面を検討。
しかし、結局のところ、それでは、“自制できない輩”と同じで、思慮のない無責任行動は世の中のためにならない・・・ひいては、自分のためにならないから いつもの狭い生活圏内にとどまっている。

ただ、絶え間ない自粛・緊縮は人々にストレスを与え、長引けば長引くほどそれは大きくなる。
私に笑顔がないのはコロナ前からの日常的なことだけど、人々から笑顔が消えてしまわないか心配。
そして、今はまだ理性で支配できている秩序が乱れていくことも。
ささいなことで揉める、ちょっとしたことでキレる、暴力や暴言が横行する・・・
医療崩壊だけでなく、このままでは社会秩序まで崩壊してしまうのではないかと懸念される。



遺品処理の依頼が入った。
依頼者は50代の男性。
亡くなったのは男性の父親、80代。
葬儀も終わり、身辺も落ち着いてきたので、故人宅の家財を片づけたいとのこと。
男性は、その死因までは言及しなかったが、話のニュアンスから急逝であったことが伺えた。

現地調査の日、男性は、約束に時刻より早く現地に来ていた。
外見上の年齢は、私より少し上。
ちなみに、私は、自分の外見について“実年齢より若く見える”といった勘違いはしていない。
男女問わず、“自分は若く見える”というのは、多くの人がやらかすイタい過ちである。
それはさておき、男性は仕事の合間をみて現場に来たらしく、私と似たような作業着姿で、同じ肉体労働者として親しみを持ってもらえたのか、私に対してとても礼儀正しく接してくれた。

現場は、閑静な住宅地に建つ老朽アパートの一室。
間取りは、古いタイプの2DK。
和室が二間と狭い台所、トイレ、浴室。
部屋は純和風、トイレも和式、浴室はタイル貼で、給湯設備も 今はもう少なくなってきたバランス窯。
新築当時はモダンだったのだろう、昭和の香りがプンプン漂う建物だった。

故人は、もともと、几帳面な性格で、きれい好きだったよう。
室内の家財は多めだったが、整理整頓清掃は行き届いていた。
老人の一人暮らしのわりには、水廻りもきれいにされていた。
「庭」と呼べるほどのスペースではなかったけど、物干が置かれた裏手には、数個の鉢植があり、季節の花が蕾をふくらませていた。
そして、これから花開こうとするその生気は、そこから故人がいなくなったことを・・・儚いからこそ命は輝くことを説いているようにも見えた。

部屋の隅には、スペースと釣り合わない立派な仏壇が鎮座。
私の背丈よりは低いものの、重量は私よりも重そう。
また、私は安い人間だけど、仏壇の方は結構な値段がしそうなものだった。
中に置かれた仏具は整然と並んでおり、ホコリを被っているようなこともなし。
線香やロウソクも新しいもので、厚い信仰心を持っていたのだろう、故人が“日々のお勤め”を欠かしていなかったことが伺えた。

その仏壇の前の畳には、水をこぼしたような不自然なシミ。
特掃隊長の本能か、私の野次馬根性と鼻は、かすかにそれに引っかかった。
水なら数時間で乾いて消えるはず・・・しかし、油脂なら乾いて消えることはない・・・
つまり・・・それは植物性の油、もしくは動物性の脂ということになる。
肌寒の季節に似合わず窓が全開になっていることを鑑みて、私は“後者”だと推察した。

私は、それとなくそれを男性に訊いてみた。
すると、男性は、少し気マズそう表情を浮かべ、事実を返答。
やはり故人は、そこで亡くなり、そのまま数日が経過していた。
隠しておくつもりもなかったのだが、伝えるタイミングを探していたところ、私が先に尋ねてしまったよう。
ただ、時季が春先で、そんなに気温が高くなかったため、目に見えるほど腐敗はせず、その肉体から少量の体液が漏れ出ただけで事はおさまっていた。


晩年はアパート暮しだった故人には持家があった。
それは、故人が若い頃、男性(息子)が生まれたのを機に新築購入を考え、妻(男性の母親)と相談して建てたもの。
そして、長い間、そこで生活。
その間、男性も成長し、社会人になり、結婚して、子供(孫)も生まれた。
そうして、親子三代、平凡だけど賑やかに暮らした。

転機が訪れたのは、サラリーマンを定年退職した60歳のとき。
それを機に、故人は一人、このアパートへ転居。
その後は、前職のコネでアルバイトをしながら生活。
そして、70歳を過ぎるとアルバイトも辞め、のんびりした年金生活に。
贅沢な暮らしではなかったけど、時々は頼まれ仕事をし、時々は遊びに出かけ、時々は男性宅(実家)に顔をだし、自由気ままにやっていた。

男性をはじめ、嫁や孫との関係も悪くなかったにもかかわらずアパートに転居した故人には、ある想いがあった。
そこは、若かりし頃の故人夫妻が、一緒に暮らし始めたアパート。
当時の建物もボロで、その分、家賃も廉価。
もう50年も前のことだから、大家も代が変わり、建物は建てかえられていたけど、場所は同じところ建っていた。
そして、生前の故人は、「人生最後はあそこへ戻る!」と誰かに誓うように言っていたのだった。


故人が大事にしていた仏壇の中央には、若い女性のモノクロ写真。
穏やかに微笑む女性が写っていた。
背景はどこかの砂浜・・・多分、海辺。
胸元より上しか写っていなかったので想像を越えることはできないけど、服装はノースリーブの、多分、ワンピース。
背景・服装からすると、どうも、一時代前の夏のひとときのようだった。

何よりも、その表情・・・その“笑顔”が印象的だった。
穏やかな微笑であることに間違いはないのだが、ただ、 “目が笑ってない”というか“泣きそうな目をしている”というか・・・
“抑えきれない複雑な想いや葛藤が、笑顔の向こうからにじみ出ている”というか・・・
得体の知れない何かが感じられ、惹きつけられた私の視線は釘づけに。
そして、何かを推しはかろうとする心に従うように、頭は写真の中へタイムスリップしていった。

「それは私の母です・・・若い頃の写真なんですけど・・・」
アカの他人の私が仏壇の写真を注視する様を怪訝に思ったのだろう、訊かずして男性が口を開いた。
「私が小さいときに亡くなったんです・・・もう50年近く前になりますね・・・」
行年は30代前半、男性が小学校に上がる直前のこと。
死因は胃癌で、気づいたときはあちこちに転移し、手術することもできないほど進行していた。

「“もう長く生きられないから想い出をつくろう”ってことで、三人で海に出かけたんです」
とてつもなく切ない場面なのに、男性は、楽しかった想い出を懐かしむようにゆっくりと話を続けた。
「まだ小さかったですから、母親の記憶はあまりないんですけど、このときのことはよく憶えてるんです・・・」
“これが最後の家族旅行になる”ということが幼心にも感じられ、記憶に強く刻まれたよう。
そのときの家族三人の心情を察すると余りあるものがあり、返す言葉を失った私は、ただただ口を真一文字にして聞いているほかなかった。

そのときの女性は、どういう気持ちだったか・・・
末期の癌に侵され、「もう長くない」と宣告され、身体はどんどん衰弱し、病の苦しみが増す中で、どんなに、「息子の成長を見守りたい」と思ったことか、どんなに、「夫をささえていきたい」と思ったことか。
そして、どんなに、「家族と別れたくない!」「死にたくない!」と思ったことか。
もっともっと・・・ヨボヨボに老いるまで家族と一緒に人生を歩いていきたかったはず。
若い夫と幼い息子を残して先に逝かなければならないことの悲しみ・苦しみ、悔しさ、そして、その恐怖の大きさははかり知れないものがあった。

女性が、写真に笑顔を残した由縁は・・・
冷めた見方をすれば“つくり笑顔”。
しかし、父子家庭の主となる故人(夫)を末永く支えるため、幼い男性(息子)に待つ長い人生の糧になるため、必死につくった笑顔。
“笑顔の想い出は人生の宝物”・・・きっと、夫と息子、二人の その後の人生の糧になる“宝物”を残そうと思ったのだろう。
いわば、“決死のつくり笑顔”だったのではないかと思う。


「母は、“子供のためにも、いい人をみつけて再婚するように”って言ってたらしいんですけどね・・・結局、ひとり身のままでしたね・・・」
男性は、母親がいないことで、悔しい思いをしたり不自由な思いをしたりしたこともあっただろう。
両親揃っている友達を羨んだり、寂しくて一人で涙したりしたことも。
しかし、故人は、父子家庭であることをバネにさせるくらい愛情を注ぎ、丁寧に育てたよう。
男性の頭には、楽しかった想い出ばかり過っていたようで、ずっと笑顔を浮かべていた。

「夏になると、父は一人であの海に出かけてたみたいです」
故人と男性は、あれ以降、あの海に一緒に出かけることはなかった。
想い出の海辺に佇み、故人は一人で何を想ったのか・・・
それまでの人生を振り返り、想い出を懐かしみ、深い感慨にふけったのか・・・
知る由もないけど、多分、亡妻と一緒にいるような気持ちで、微笑みながら、あの時と同じ風に心地よく身をゆだねていたのだろうと思う。


やがてくる死別の悲哀を写した海辺の一枚。
カメラを向けた故人は、どんな気持ちでシャッターをきったのだろうか・・・
カメラを向けられた女性は、どんな気持ちでレンズに顔を向けたのだろうか・・・
・・・決して、幸せで楽しい気持ちではなかっただろう・・・
しかし、そんな中でも、二人は必死に幸せを見つけようとしたのではないか・・・
そして、その想いを微笑みに映そうとしたのではないか・・・
・・・そう想うと、死というものの非情さが恨めしく、また、死別というものの条理が一層切なく感じられた。

元来、薄情者の私。
これも一過性の同情、一時的な感傷・・・自分の感性に浸っただけ。
ただ、畳に残ったシミは、笑顔の向こうにあった涙と汗・・・・・先に逝った女性の涙と その後を生きた故人の汗のようにみえて、私は、なおも深いところで生きつづける“いのち”を受けとめさせられ、同時に“この命の使い方”を考えさせられたのだった。


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見えない敵

2020-04-30 08:51:55 | 遺品整理
今日で4月も終わり。
本来なら穏やかなはずの春暖はどこへやら、今月も激動のひと月となった。
流れるのは厳しいニュースばかりで、世の中の空気は重い。
目に見えるほどの明るい兆しもなく、暗雲はどこまでも垂れこめている。
そこへもってきて、私は、安酒で誤魔化せるほど能天気な性格ではなく、なかなか明るい気持ちになれないでいる。

そんな今月中旬のこと。
私は、仲間4人と、とある民家に向かった。
現場は一般的な木造二階一戸建、築年数は50年くらいか。
空き家になってから、そう時間が経っていなかったにも関わらず、家屋は著しく劣化。
室内もまた、結構な傷みが出ていた。

頼まれた仕事は家財撤去、依頼者は亡くなった住人の遺族。
「遺族」といっても、子や孫ではなく、ちょっと複雑で薄い関係。
家財や家屋はもちろん、故人にも特段の思い入れはないようで、非情にも見えるくらい冷淡。
他人に見せないようにしていても、“欲”というものは、なかなか抑えることができず、どことなく滲み出てしまうもの。
多分、それに突き動かされたのだろう、さっさと家を空にして土地を金に替えたいようだった。

単独でやる特掃にかぎらず、複数名で取りかかる一般現場でも、だいたい、作業難易度の高い部分や危険度の高いところ、特別な汚染や汚物があるようなところは私が担うことになる。
遺体系・腐敗食品系・液物系・害虫害獣系・糞尿系etc・・・
社内ルールでもなく、作業マニュアルでもなく、私が志願するわけでもなく、暗黙の慣習として。
ず~っとそうだから、私も、抗うことなくそれに従っている。

この現場でいうと、当該部分は物置にあたる。
庭に建つ、今にも倒壊しそうな古ぼけた木造物置。
もう、何十年も放置されている感じで、いかにも不衛生。
皆が各々の作業場所に散るのに合わせて、私は、その物置へ。
建てつけのわるい戸をこじ開けると、ヒンヤリとした湿気と肺に悪そうなカビ臭がお出迎え。
薄暗い中、目を凝らしてみると、何もかもにホコリが厚く堆積し、モノクロに変色。
まるで、時代に取り残されたような景観。
加えて、見えないところに何が潜んでいてもおかしくなさそうな、不気味な雰囲気が漂っていた。

私は、ウジやハエはもちろん、ゴキブリやネズミも平気。
蜘蛛やトカゲもかわいいもの。
蜂やムカデも何とかなる。
ただ、蛇はイカン、蛇だけはダメ。
実物はもちろん、玩具のゴミ蛇も無理。
TVとかで、蛇の写真や映像がでてきても目をそむけるくらい。
子供の頃は平気だったのに、いつの頃からか超苦手に。
そんな具合だから、人の死痕でも悲鳴なんか上げないのに、紛らわしいところに紛らわしいかたちで置いてあるロープやホースに悲鳴を上げてしまうこともある。
ハブやマムシじゃなければ、そんなに怖がることもないのだろうけど、あの形状は生理的に受けつけないのだ。

何年か前、一人でアパート孤独死現場の特掃をやっていたとき、天井から蛇が降りてきたことがあった。
わずかな物音で気づいたのだが、天井からのびてくる長いヤツをみたときの私の狼狽ぶりには、上から見ていた(?)故人も、思わず笑っちゃったかもしれない。
あとは、とある御宅のタンスを動かしたら、その裏からデッカイ蛇がでてきてビックリ仰天!、悲鳴とともに飛び跳ねて逃げたこともあった。

また別の民家で、 “ネズミ避け”のつもりのようで、家のあちこち 庭のあちこちに何十匹ものゴム蛇が置いてあったこともあった。
玩具とはいえ、どこを向いても、どこに行っても蛇だらけ。
しかも、何かの陰に隠すように、見えないところに置いてあるものだから、いつも突然現れる。
その驚いたこと、その恐ろしかったこと、その不気味だったことといったら・・・もう泣きそうになった。

本件の物置にトカゲはいたけど、幸い、蛇はおらず。
近くに蜂も飛んでいたが、こちらがちょっかいを出さなければ問題ないので、特に気にならず。
しかし、そこには、目に見えない厄介なヤツが他にいた。
そう・・・そこにいたのは“ダニ”。
私は、そこに多くのダニが潜んでいるのを、身をもって知ることとなった。

作業を始めると、目が痒くなるくらい大量のホコリが舞った。
それは防ぎようがないので、我慢して作業を進行。
すると、ほどなくして、首元が痒くなってきた。
そして、その痒みは、どんどん強くなり、首元から脇、背中へと拡大。
しかし、別に“痛い!”わけじゃないから耐えられないものではなく、そんなことで作業を止めるわけにはいかない。
私は、ヒドくなるばかりの痒みと戦いながら、作業を続行した。

もっとも重症だったのはクビ周り。
ぐるりと360°赤いブツブツができ、これが痒いこと!痒いこと!
しかし、掻くと余計にヒドくなるので、痒くても我慢!
仕事をしている昼間は気が紛れてそんなに気にならなかったけど、夜になると、感じる痒みは倍増!
特に、就寝中が強烈!
もう、痒くて!痒くて!まったく我慢することができず。
ボリボリ ボリボリ、手が届くところは軒並み掻きまくってしまった。
手が届かない背中は、愛用の孫の手をつかってまで。
それが二~三日続き、その間はロクに眠ることができなかった。

私は、頭だけじゃなく身体もかなり固い。
自分の手で背中を掻くことができない。
で、“孫の手”を持っている。
昔ながらの木製のヤツではなく、金属製でアンテナのように伸縮する最新式(?)のヤツ。
よくある木製のモノは先端(指先部分)が丸みをおびていて肌への当たりがソフト。
掻き心地は弱くて、痒みがとれるどころか、逆に歯痒い思いをしてしまう。
一方、私が持っている金属製のモノは先端(指先部分)が鋭利で肌への当たりがハード。
それを痒いところに押し当てて、ガリガリ!と痛いくらいに擦りつける。
すると、その強い掻き具合により、バツグン!の爽快感が得られ、これが相当に気持ちいいのである。

ちなみに、私は、耳カキもハード派・・・「スーパーハード派」といってもいいくらい。
中学の頃からそう。
しかし、耳鼻科医は、「耳掃除は綿棒でソフトにするべき」「耳垢は全部とってはいけない」と警告。
しかし、これは、「雑巾だけで特掃をやれ」って言っているようなもの(じゃない?)。
綿棒で撫でるだけなんて、そんな赤ん坊みたいなことやってられない。
固く鋭利な耳カキ棒で、ガリガリ!やらないと満足できない。
私は、それを、一日に一度とかではなく、二~三度、多いときは五~六度もやる。

となると、それなりの備えが必要(大袈裟な言い方だけど)。
で、いつでもどこでも耳カキができるよう、耳カキ棒は身の回りの至るところ置いてある。
自宅にも何本か持ってるし、会社のデスクにも、車にも積んである。
たまにしか使わない、カバンやリュックにも。
掻きたくなったらすぐに掻けないとストレスになるから、いつでもどこでも掻けるようにしてある。
26とか27くらいのときだったか、運転中の耳カキで右耳の鼓膜を破ったことがあって、今でも難聴と耳鳴りが残っているのに、まったく懲りていないのだ。

ダニの話に戻る。
あれから二週間余が経ち、今、症状はほとんど治まっている。
ブツブツはかなり小さくなり、残っている痒みもわずか。
本来なら、蕁麻疹がでてときみたいに、すぐ病院に行けばよかったのかもしれないけど、もともと私は病院嫌い。
その上、コロナにも注意しなければならず、皮膚科とはいえ不要不急で病院に行くと色んなところに迷惑がかかってしまう恐れもあった。
で、結局、病院には行かず、自然治癒に任せて今日に至っている。


特効薬もワクチンもない今、この新型コロナウイルスも自然治癒を待つのが治療法の主流だそう。
根本的には、人がもつ免疫力や治癒力が頼り。
必死に行われている治療を批判するつもりもなければ、懸命に動かされている医療を軽視しているわけでもないけど、その根幹は原始的。
ということは、日常生活において免疫力を下げないよう気をつけ、免疫力を高めるよう努めることが大切だろう。
感染しないよう充分な対策を実行し、また、“自分が保菌者かもしれない”という危機感を持ち、その上で、人に感染させないよう細心の注意をはらうことと同じくらいに。

問題は、身体のこと以外にもある。
そう・・・、生活の問題・・・お金の問題・・・経済の問題。
リーマンショックのときは、我々のような零細末端の珍業種には、ほとんど影響がなかった。
東日本大震災のときは仕事が激減したが、二カ月を過ぎた頃から徐々に復調してきた。
で、今回のコロナ災難は・・・
これは、それよりも、はるかに大きな影響がでる可能性をはらんでいる。
そして、終わりの見えないこの未知数が、不安感・悲愴感を増大させている。

そんな中、コロナ対策支援金として、政府が一人10万円くれるという。
はじめの30万円のときは、自分が対象外になることは容易に想像できたので何の興味も覚えなかったけど、今回の10万円は私ももらえるようなので関心がある。
ただ、その政策・・・いわゆる“金のバラマキ”には賛成できない。
「安直」というか「安易」というか、そういった浅慮感が否めない。

確かに、今の今、現金がなくて困っている人は多いのかもしれない。
「今をしのぐことで精一杯、その先のことなか考えられない」という人もいるかも。
そういう私だって、お金は必要、お金はほしい。
しかし、世帯差・個人差はあれど、これで延びる“生活寿命”は約一ヶ月。
たった一ヶ月延びるだけ、たったの一ヶ月・・・一ヶ月なんてすぐ過ぎる。
一ヶ月経って、支給金を使い果たして、スッカラカンになって、その後、どう生きればいいのか・・・一ヶ月先に待っているのは、今と同じ苦境なのである。

国も、“焼け石に水”であることは分かってながら、“目先の急務”としてやらざるを得ないということか。
他に妙案があるわけでもないから「愚策」とまでは言えないけど、布マスク二枚も同様、政治家の人達は、本来、頭がいいはずなのだから、もうちょっとマシな政策が打てないものかと、首を傾げてしまう。

もちろん(?)、政策に同調できないからといって、私は、受給を辞退するつもりはない。
「受給を辞退しても10万円は国庫に溶けるだけで何の役にも立たない(byどこかの市長)」といった啓けた見識もなければ、金銭欲を押しのけてまで貫けるほどの信念も持っていない。
ただ、「お金がほしい」「お金が必要」というだけのこと。
結局のところ、誰も最後まで助けてくれないし、自己責任・自助努力・・・個々で何とかするしかないのだから。

・・・と、評論家気取りで私見を述べてはいるものの、ことの是非を判断するのは一個人(私)ではなく社会、成否を見極めるのは一個人(私)ではなく未来、そして、評価を下すのは一個人(私)ではなく歴史。
ただ、この大きな難局において、今は、批判は口(文字)だけにして、国や自治体の方針に従うべきところは従い、協力すべきところは協力すべき。
同時に、痒いところに手が届く孫の手のような策を練りながら、蛇のようにしなやかに 苦難と苦悩の隙間をすり抜けながら、粘り強く生きるしかない。


敵は、新型コロナウイルスだけではない。
そこから派生したツラい出来事・・・怒り、悲しみ、苦しみ、恐怖、不安、絶望感が渦巻く現実も然り。
しかし、この苦境は、これまで我々が目もくれなかったことに目を向けさせ、多くのことを学ばせ、たくさんの知恵を得させてくれるのかもしれない。
人格を練り、品性を磨き、自分を鍛えるチャンスを与えてくれるのかもしれない。

そして今、“ぜいたくウイルス”“わがままウイルス”“傲慢ウイルス”“怠惰ウイルス”“冷淡ウイルス”etc・・・
それぞれ自分が感染している“見えない敵”を私達に気づかせ、その病を治す免疫を与えてくれるのかもしれないのである。


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図々しいヤツ

2019-05-06 08:53:32 | 遺品整理
今日で大型連休もおしまい。
十連休となると、ただの大型連休じゃなく“超大型連休”だ。
とはいえ、やはり私には関係なかった。
特に多忙だったわけではないけど、何だかんだと仕事があり休んでいるヒマはなかった。
結局、この十日間、一日も休みをとらないまま終わってしまった。
やるべき仕事があるのに休暇をとるなんて図々しいマネはできない小心者なのである。

でも、なかなか楽しい十日間だった。
世の中の のんびりした雰囲気は格別だった。
繁華街や行楽地付近では人々が休暇を楽しむ姿が多く見受けられ、心が和んだ。
また、郊外に行けば、車通りや人通りが少なく、慌ただしい日常にはない静けさがあって、これにも心が癒された。
連日、高速道路のレジャー渋滞もスゴいことになっていたけど、これもまた社会が平和であることの証でもあり、ほのぼのするものがあった。

ともあれ、やはり十連休は長い。
ひと月の三分の一なわけで、週休二日の場合、通常勤務日数の半分近い日数。
暑くなりはじめた気温も手伝って、休み明けで出勤する際の倦怠感はハンパなさそうだ。
気の合う者同士で笑顔の想い出がたくさんつくれた反面、楽しみにしていた休暇が終わった寂しさと、懐の寂しさが重なって、ちょっと元気をなくしている人も少なくないではないか。
想像すると、十連休できた人のことが羨ましくもあり、少し気の毒にも思える。


もう一つのニュースといえば、言わずと知れた“改元”。
4月30日に“平成”が終わり、5月1日に“令和”が始まった。
で、世の中は“令和フィーバー”。
ただ、もともと、私は、和暦より西暦を用いることが多い。
以前から、自分でつくる書類等はほとんど西暦をつかう。
「西暦主義」と言っても過言ではない。
そのせいか、改元に対する興味や高揚感も世間ほど高くない。
幸福感に飢えた民衆(?)が気の合う者同士でお祭り騒ぎしている映像が多々流れたが、
「そこまでテンションを上げることか?」
と冷ややかな目で見ていたくらい。
元号が変わることが そんなにめでたいことなのかどうか・・・私にはわからない。
まったく幸せな気分も湧いてこないし、楽しい気持ちにもなれない。
そのクセ、“昭和生まれの俺にとっては三つ目の元号・・・四つ目の元号まで生きていたいな・・・”なんて図々しい考えを持ったりして、お粗末な頭である。
ま、そういう輩は、大人しく日常生活を送っていればいいのだろう。


何はともあれ、超大型連休も改元フィーバーもじきに終わる。
いやがおうでも日常に戻らなければならない。
気の合う仲間や家族だけで過ごせた日々も終わり、会社や学校、そうでない人と関わらなければならない日々に戻らなければならない。
人間は十人十色、ウマが合う人もいれば合わない人もいる。
肌が合う人もいれば合わない人もいる。
世の中に趣味嗜好や価値観が異なる人がいるのは当然のこと。
で、合わない人と関わらなければ安全、付き合わなければ平和である。
しかし、残念なことに、現実にはそうもいかないことが多い。
関わりたくない人と関わらなければならず、付き合いたくない人とも付き合わなければならない。

私も、仕事上で色んなタイプの人と出会う。
大半の人は、良識をもった常識人なのだが、中には苦手なタイプの人もいる。
礼儀やマナーをわきまえない人はもちろん、物事に細かい人、神経質な人・・・そういったタイプの人が苦手である(“細かい”と“神経質”の部分は、自分のことを棚に上げるけど)。
あとは、図々しい人も苦手。
たまに、契約外のことを無料で求めてくる人に遭遇することがある。
で、相手は“お客”につき 波風立つのが嫌なため、少々のことなら泣き寝入る。
そして、仕事が終わった後で陰口を叩く。
「契約に含まれていませんから」と毅然と断れない代わりに、後で、悪口を言うわけ。
そうして、自分で自分の人格を下げているのである。



遺品処理の依頼が入った。
現場は公営団地の一室。
間取りは2DK。
一人で暮らすには充分なスペース。
亡くなったのは、そこで一人暮らしをしていた高齢の女性。
晩年は、施設と病院を往復するような生活だったらしく、家財生活用品の量もさほど多くはなかった。
依頼者は、隣接する街に暮らす故人の娘(以後「依頼者女性」)。
「娘」といっても初老。
数年前に大病を患って以降 体調が優れず、更に、晩年の故人の世話が結構な負担になっていたよう。
また、亡くなった後も他に死後処理を頼める身内はいないらしく、ヒドく疲れている様子だった。

依頼者女性から色々な話を聞きながら、室内の見分を進めていると、ほどなくして、初老の女性が四人(以後「近隣女性」)、部屋に入ってきた。
インターフォンも鳴らさず、ノックもせず、遠慮したような素振りもなく、挨拶らしい挨拶もせず、自分の家のような顔をして。
その物腰を見た私は、“依頼者女性の姉妹?従姉妹?”“それとも故人の妹達?”“近しい身内はいないって言ってたはずだけどな・・・”と、少し妙に思った。
すると、依頼者女性は、
「欲しいものがあったら、遠慮なく持って行って下さい」
「使えるモノを捨てるのはもったいないですし、母もそれを望むと思いますから」
と、近隣女性達に声をかけた。

四人の近隣女性は、同じ団地に暮らす住人。
残された家財のうち、欲しいモノがあれば近所の人達に進呈するために呼び寄せたよう。
確かに、処分する家財の量が減ればそれだけ料金も安く済むし、何より、再利用できるものを捨てるのはもったいない。
再利用できる家財の譲渡や持ち帰りは どこの現場でも よくあることなので、私は、特に不自然さを感じることなく、黙って自分の仕事を進めた。

しかし、近隣女性達の行動は、私や依頼者女性の想像を超えていた。
タンスの引き出しや押入れを次々に開け、中のモノを引っ張り出し、気に入ったモノや欲しいモノが目に入ると、「早い者勝ち」と言わんばかりに、それらを抜き取っていった。
少しは罪悪感を覚えたのか、四人は、言い訳をするように「生前の故人とは親しい間柄だった」としきりにアピール。
それでも、誰に遠慮することもなく、洋服・靴・アクセサリー・バッグ・生活消耗品・調理器具・食器・調度品etc・・・次から次へと部屋にあるありとあらゆるモノに手をつけていった。
挙句の果てに、バーゲンセールで商品を奪い合うかのごとく、一つの品をめぐって小競り合いを起こすような始末。
値段が高い品だからだろう、家具・家電に至っては ほとんどケンカ状態。
故人の死を悼む気持ちや、体調が悪い中 死後処理に奔走する依頼者女性をねぎらう気持ちは微塵もないようで・・・言葉は悪いが、まるで、四人の女泥棒が大暴れしているような光景だった。

その後の部屋がどんな状態になるかは、容易に想像できるだろう。
ガチャガチャのグチャグチャ・・・まるでゴミ部屋。
本物の泥棒だって、そんなには散らかさないはず。
草葉の陰から故人の怒号がきこえてきそうなくらいの状態になってしまっていた。

公営団地は、比較的 所得が低い人達が生活しているところであることは承知していたけど、餓鬼のごとく家財を漁る近隣女性達の姿は、唖然とするのを通り越して、こちらは恥ずかしくなるくらいの、また、背筋に寒気が走りそうになるくらいの浅ましい光景だった。
その感覚は、依頼者女性も同じこと。
始めは、疲れた表情にも穏やかさを滲ませ 黙ってみていた依頼者女性だったが、近隣女性達の振る舞いを見ているうちに、どんどんと表情を曇らせていった。
そして、そのうち その表情は怒りに満ちたものに変わっていった。

あまりにヒドい振る舞いを前に、私は、“こんなことされていいんですか?”との思いを込めて、依頼者女性の目をジッと見つめた。
すぐに、その意を汲んだ依頼者女性は、
「今だけのことですから・・・この人達とは、もう関わることはありませんから、好きにさせておきましょう」
「文句を言っても疲れるだけですから・・・」
と、怒りで爆発しそうな自分自身をなだめるように、私にそっと耳打ちしてきた。

近隣女性達のあまりの無礼さを不愉快に思いつつも、依頼者女性の意思を尊重するしかない私は、依頼者女性と台所の小さなテーブルを挟んで座り、遺品処理の見積書を作成。
依頼者女性の前に置き、作業内容と費用の内訳を説明した。
すると、一通りの遺品チェックが終わったのだろう、一人の近隣女性が我々のところに寄ってきて、依頼者女性の前に置かれた見積書を覗き込んできた。
そして、
「これ、高いんじゃない? 私の息子がゴミ処分の仕事をしているから、そこに頼んだ方がいいわよ!」
と、私と依頼者女性の話に割り込んできた。

遺品処理作業を誰に頼むのかは依頼者女性の自由だし、費用が安く済むに越したことはない依頼者女性にとって選択肢は多い方がいい。
しかし、それをするにも、適正な順序やマナーは必要。
それを無視して割り込んできた近隣女性に、私は、強い不快感を覚えた。

その意を察してかどうか、依頼者女性は、
「いえ、その必要なないです・・・こちらにお願いしますから・・・」
と、近隣女性の提案を断った。
しかし、近隣女性の図々しさは、そんなヤワなものじゃない。
「息子だったら、もっと安くやってあげられると思うよ!」
と、引き下がらない。
それが、あまりにしつこいものだから、とうとう依頼者女性はキレた。
怒り心頭の恐ろしい形相で、
「貴女には関係ないでしょ!! 必要ないったら必要ないのよ!!」
と一喝。
そして、一度切れた堪忍袋の尾が再び結ばれることはなく、堰を切ったように
「“欲しいモノがあったら差し上げます”って、こっちは好意で言ったのに、人の家のズカズカ上がり込んで、まさか、こんな泥棒みたいなマネされるとは思ってなかったわよ!」
「貴女達にあげるくらいなら捨てたほうがマシ!あげるモノは何もないから、今 手に持ってるもの置いて、さっさと出てってちょうだい!!」
「早く!早く!!出てって!!!」
と、まくし立てた。

もともと、近隣女性達は相当な図々しさを持っているわけで、普段なら言い返してきただろう。
しかし、依頼者女性の怒りと威勢は、それを凌駕しており、近隣女性達は顔を引きつらせ、無言で立ち尽くすのみ。
突然の出来事を受け止めきれなかったのだろう、四人は慰め合うようにキョロキョロとお互いに引きつった顔を見合わせながら、スゴスゴと玄関へ引き下がり、これまた何の挨拶もなく消えていった。


作業の日。
依頼者女性は現地に呼ばず、鍵だけ預かって作業に臨んだ。
“嫌がらせをされるかも”といった警戒感をもって。
ただ、こちら側には、後ろめたいことや落ち度はない。
何かされたら堂々と対抗する意思をもって、粛々と作業を進めた。
が、結局、何も起こらず 作業はスムーズに終わった。
さすがに、そこまでの図々しさは持ち合わせていなかったよう。
近隣女性達は物陰からこちらを伺っていたのかもしれなかったけど、良心の呵責というものを少しは味わったのか、誰一人出てくることはなかった。

ただ、近隣女性達は、依頼者女性の悪口に花を咲かせたに違いない。
「親しい間柄」と言っていた故人のことまで悪く言ったかもしれない。
自分で自分の人格を下げていることにも気づかずに。
ただ、それは、もはや 依頼者女性にも故人にも関係のないこと。
取るに足らない「勝手に言わせとけ!」の類の話だ。

しかし、近隣女性達に嫌悪感を抱くだけに終始してしまっては、私も同類。
彼女達を反面教師にして学ぶべきことはあると思う。
本音と建前を駆使し、上手に人と接しているつもりの私でも、自分の気づかないところで悪評をかい、意外な人に嫌われているかもしれないのだから。


好感をもたれる人間になるためには、自分に自信を持たなければならない。
しかし、過信してはならない。
良好な人間関係をつくるには、自分なりの正義を持たなければならない。
しかし、それを過信してはならない。
“自分が正しいとはかぎらない”という謙虚さと“自分は正しい”という図々しさ、その両方を組み立てて自分に厳しく人に優しい自分をつくり上げることが大切。

幸せになることに図々しくあろう。
しかし、自分だけの幸せのために図々しくあってはいけない。
生きることに図々しくあろう。
しかし、自分だけが生きることに図々しくあってはいけない。
「自分さえよければいい」という価値観に、人と人との間に生まれるはずの愛・情・絆は生まれない。
そして、それらがなければ、生まれてきたことの目的、生きることの意味、死んでいくことの理由・・・・・つまり、人がつかめるはずの栄光が現れてこないのだから。



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桜と亀

2019-04-08 06:59:51 | 遺品整理
寒い冬が終わり、暖かな春がやってきた。
卒業・入学・転勤・就職等々、何かが終わり、何かが始まる・・・春は色んなことが新たになる。
そしてまた、今年も、桜が咲き、また、散ろうとしている。
晴れ晴れとした気持ちであれば何よりだけど、後悔と不安を胸に、曇り気味の気分で桜を見上げている人も少なくないのではないだろうか。
私の場合、永年、新年も新年度も関係ない仕事をしているので、その辺のところはかなりのっぺりしていて、フレッシュな気分も湧いてこない。
ただただ、極寒の冬を越えた安堵感と暖かな春に迎えられた安心感に、小さな幸せを覚えている。

人の気分を落とす大きな要因は「過去に対する後悔」と「未来に対する不安」だという。
かくいう私自身、充分に思い当たる。
後悔と不安は、想えば想うほど気分を落としていく。
「考えても仕方がない」とわかっていても、壁に突き当たったとき 何かにつまずいたとき 思い通りにならないとき等、その想いは、自分の弱さにつけこんで頭をもたげてくる。

ただ、幸いなことに、例年 見舞われる冬鬱は軽症で済んだ。
相変わらず、休暇らしい休暇はとれていないけど、何だかんだとやるべき仕事があり、知らず知らずのうちに気が紛れていたのかもしれない。
もちろん、そんな生活は疲れるけど、鬱々とふさぎ込んでいるよりはよっぽどマシ。
身体は楽じゃないけど、その方が精神は楽。
そうは言っても、歳のせいだろう、時間がなくなってきたこともあり、“モタモタしているヒマはない”と焦って空回りしてしまうことも少なくない。

どちらにしろ、過去は変えられない。
で、後悔も消せない。
しかし、未来は変えられる。
不安を小さくすることはできる。
簡単なことにではないけど、少なくとも変えようと努力し、挑戦することはできる。
未来に期待や希望を持ちにくい現実があったとしても、自分には、努力する自由、挑戦する自由、自己決定の自由がある。
それは、与えられた(限られた)時間を大切に使う術でもあるだろうし、それによって、後悔や不安による気落ちを抑えることができるとも思う。

目の前には、自分の期待や希望を砕く厳しい現実がある。
しかし、何もかも“現実”のせいにしてばかりいても仕方がない。
ある意味、この現実をつくっているのも自分なのだから。
不遇を嘆くよりも、不遇から脱出する努力をすべきだろう。
不遇を変える挑戦をすべきだろう。
嘆くほどの努力をした者、嘆くほどの挑戦をした者・・・それができる者にこそ、現実を嘆く資格があるような気がする。
・・・なんて、力んだところで、実際は、たいした努力も挑戦もできないでいる私だけどね。

それでも、日々、少しでも楽しく過ごすことを意識はしている。
「クサるな! スネるな! イジけるな!」と、呪文のように唱えながら。
「楽しく過ごす≠遊ぶこと」だけど、たまには、非日常を楽しむことも大切。
で、先日、仕事の後、花見に出かけた。
桜祭をやっている某所へ夜桜を見に。
平日で、かつ気温も低く、思っていたよりは混雑しておらず。
それでも、樹々の下には大きなブルーシートが何枚も敷かれて、多くのグループが陣を敷いていた。
ただ、幸い、そこでは、TVニュースで観るような、大酒飲んでのドンチャン騒ぎもなく、泥酔酩酊で醜態をさらしている人も見受けられず、ゴミが放置されているようなこともなかった。

集団のほとんどは、会社員とみられる人達。
会社主催なのか社員有志の集まりなのかわからないけど、醸し出されている雰囲気は、明らかに社交辞令的な集まり。
大半の人が「会社の花見も仕事のうち=社員の義務」として参加しているのだろう、それぞれ笑顔は浮かべてはいるものの、そのどれもが「つくり笑顔」「愛想笑い」のようで、本心で楽しんでいる人はいないように見えた。
私には、顔を引きつらせながらも笑顔を絶やさないようにしている面々が、ある種の人間苦に苛まれているようにも見え、気の毒にさえ思えた。

一方の私は、完全にプライベート。
誰に気兼ねする必要もなく、大きなグループの間に小さなシートを敷き、とりあえず陣取り。
それから、軒を連ねる露店の前をブラブラ。
最近は、露店の種類も増え、美味しそうな食べ物もたくさんあり、買わずとも 見て回るだけでウキウキとした童心が甦ってきた。
ただ、心は子供に戻っても、やはり身体はオッサン。
酒を飲もうかどうか考えた。
しかし、寒いし、周囲にも酔って盛り上がっている人もいなかったし、値段も高いし、結局、飲むのはやめにした。
それでも、そこにいて桜祭の空気に包まれているだけで、充分に楽しい気分を味わうことができた。

ささやかなことでも、こういった非日常の出来事は、気分を浮かせてくれる。
と同時に、日常あっての非日常、非日常をくれる日常を もっと大切にするべきことに気づかされる。
で、平凡で、飽き飽きするような、ありきたりの日常が愛おしく思え 感謝の念を抱くのである。



出向いた現場は、都心に建つ古いマンション。
亡くなったのは80代の男性。
現場マンションのオーナーで、その一室に暮らしていた。
依頼者は50代の男性。
故人の息子で、男性もまた、現場マンション別階に居を構えていた。
頼まれた仕事は、故人の部屋の家財生活用品処分、いわゆる遺品処理。
長年に渡る生活で、部屋には、かなりの量の家財が詰め込まれていた。

建具や内装は経年による劣化が激しく、家電以外、部屋にあるモノの大半は、過ぎた年月の長さと時代を感じさせる古いものばかり。
ただ、そこは、都内でも利便性の高い人気エリア。
建物は古くても賃貸にだせば人は入る。
男性は、部屋が片付いたら きれいにリフォームして、賃貸にだす算段をしていた。

このマンションは、故人が生涯をかけてつくり上げた財産。
何もないところから信用を積み、大借金をして建てたもの。
並みの住宅ローンとは桁が違うため、大きなリスクとプレッシャーがあった。
しかし、その借金もコツコツと労苦を重ねながら返済。
一室には、所帯をもった息子(男性)を住まわせてやることもできた。
誰に自慢するわけでもなかったが、故人は、このマンションを所有していることを誇りに思っていたようだった。

処分する家財の種類や量によって作業内容と費用が変わってくる。
私は、男性の説明を受けながら部屋を移動し、引出しや押入れを開けながら家財の確認を進めた。
そんな中で、ベランダも確認。
広いベランダには、物干竿や収納庫、バケツや鉢植え等、色々なもの置いてあった。
更には、一匹の亀。
日光浴でもしているのか、亀は、陽のあたる場所にジッとしていた。
そして、よく見ると、隅には、浅い池と日陰がつくってあり、亀の家のようなものもあった。
どうも、ベランダを住処に飼われているようだった。

「あれは・・・亀ですか?・・・ジッとしてますけど、生きてるんですよね?」
「えぇ・・・生きてますよ・・・親父(故人)が飼ってたんです・・・」
「そうなんですかぁ・・・あ!でも、生き物は引き取れませんので・・・」
「大丈夫!大丈夫! あれも“家族”ですから、うちで引き取ります!」
亀の行く末に一抹の不安が過った私は、男性の言葉に安堵した。

「うちへ来て、もう五十年近くになるんですよ」
「えッ!?五十年!?そんなに!?」
「そうなんですよぉ・・・私が子供の頃に、親父が縁日で買ってくれたものなんです」
「へぇ~!そうなんですかぁ・・・それからずっと一緒にいるわけですかぁ・・・」
私は、亀の長寿に驚きつつ、延々と続いている時間に 家族愛のような 何ともいえない温かさを感じた。

「昔は、露店で、亀とかヒヨコとか売ってたでしょ?」
「ええ・・・私も、昔、カラーひよこ買ったことがあります・・・親は いい顔しませんでしたけどね」
「親父も反対したんですけど、“絶対面倒みるから!”って言い張って、拝み倒して買ってもらったんです」
「子供に ありがちな口上ですよね・・・」
当時の親子の様子を思い浮かべると、私自身の想い出とも重なって、何とも微笑ましく思えた。

「そういうわけで、最初は私が飼ってたんですけど、まさかこんなに長生きするとは思ってなくて・・・結局、御袋が死んだ後、一人暮らしになった親父が面倒みることになりましてね」
「そうことですかぁ・・・なんか、感慨深いものがありますねぇ・・・」
「えぇ・・・しかも、親父の方が先に逝くなんてね・・・」
「・・・・・」
男性の心には、亀の長生きの喜びと 父親の死の悲しみが混在しているようで、複雑な表情を浮かべた。

「もちろん、コイツは死ぬまで面倒みるつもりですけど、私も もういい歳ですから、どっちが先に逝くかわかりませんよね・・・」
「まぁ・・・そうですよね・・・先のことは誰にもわかりませんから・・・」
「ずっと昔の・・・あのときの縁日にでてた小さな亀がね・・・今ここにいるコイツとはね・・・」
「・・・・・」
懐かしい日々が想い起されたのだろう、男性は、何かを愛おしむように笑った。


一度きりの人生、終わりに向かって生きているのは私だけではない。
歳の順ではないが、人生は順々に終わっていく。
寂しくもあり、切なくもありながらも終わっていく。
その中に、たくさんの幸せがあり、楽しさがあり、喜びがある。
そして、多くの苦しみがあり、痛みがあり、悲しみがある。
善行もあり悪行もあり、賢考もあり愚考もあり、強さもあり弱さもある。
“今”が想い出に変えられていることにも気づかず、時間の川を流されている。
無意識のうちに、慌ただしく。

そんな人間達を見下ろして桜は何を想っているだろう・・・
「もっと きれいに生きられるはずだよ」とでも言いたいかもしれない。
そんな人間達を見上げて亀は何を想っているだろう・・・
「もっと のんびり生きられるはずだよ」とでも言いたいかもしれない。

・・・詩人気どりでそんなことを空想しながら、桜吹雪に歩を進める私である。



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