特殊清掃「戦う男たち」

自殺・孤独死・事故死・殺人・焼死・溺死・ 飛び込み・・・遺体処置から特殊清掃・撤去・遺品処理・整理まで施行する男たち

一線(前編)

2007-10-29 18:25:09 | Weblog
たとえ、相手が若い女性であっても、私には越えられない一線がある・・・


特殊清掃撤去事業では、仕事の依頼が入ると事前に調査・見積をすることがほとんど。
それは、余程の遠隔地や凝った調査が必要な場合でないかぎり無料で出向く。
だからと言って、コストがかかっていない訳ではない。
移動交通費や人件費・時間コストは確実にかかるっている。
そのため、空振りのリスクを少しでも低減させるため、最初の電話の段階で、ある程度は話を詰めておくようにしている。
特に、お金に関係することは。


「掃除をお願いしたいのですが・・・」
ある日の夕方、そんな電話があった。
電話の主は若い女性、何かに怯えているような弱々しい声だった。

「ある程度の現場状況を教えていただければ、概算の費用と大まかな作業内容をお伝えしますが・・・」
「よろしくお願いします」
「金額も作業内容も全くのケースバイケースので、まずは現場の状況を細かく教えて下さい」
「はい」

私は、自分の脳に現場画像を映す必要があった。
そのために必要な情報収集を開始。
女性に対し、細かい質問を投げ掛けた。
しかし、その質疑応答は序盤で早々と座礁。
女性は肝心の現場を直接見ていないことが判明したのだった。

それでは、私に室内の状況を伝えられるわけもなく、私は質問の中身を変えざるを得なかった。
その上で、私の脳は、豊腐な経験にもとづいて現場の状況をシュミレーションをするしかなくなった。

「では、部屋の中はご覧になってないんですね?」
「ハイ・・・警察から、〝中には入らない方がいい〟って言われまして・・・すいません」
「そうですか・・・亡くなられてた場所は聞かれてます?」
「ええ、お風呂だと」
「風呂・・・浴槽の中ですか?それとも外?」
「そこまでは・・・わかりません」
「ん゛ー・・・現場を見ないとハッキリしたことは言えませんが、浴室の特殊清掃だけでも○万円~○万円くらいはかかるんじゃないかと思います」
「・・・それぐらいかかっちゃいますかぁ・・・」
「はい・・・」
「ですよね・・・普通の掃除じゃないんですからね・・・」
「まぁ・・・」

現場は賃貸アパート。
亡くなったのは女性の父親で、死後約二週間。
女性が醸し出す雰囲気から、故人とは疎遠な関係であったことと女性が事後処理に困惑していることが伺えた。

「ところで、賃貸契約の保証人はどなたですか?」
「それが・・・私なんです・・・」
「そうですか・・・それはちょっと大変かもしれませんね」
「そうなんです・・・大家さんからは、早急な原状回復を要求されてまして・・・」

私には、女性が背負っている重荷がすぐに想像できた。
その社会的責任と経済的負担を考えると、ホントに気の毒な思いがした。

「あまりお金をかけたくない・・・と言うよりお金がないんです」
「・・・」
「どうにか方法はないでしょうか」
「どちらにしろ・・・部屋を原状回復するには、それなりの費用がかかりますよ」
「それはわかってるんですけど・・・もともと、貯金を持っていたわけでもありませんし、火葬代を出すのが精一杯で・・・」
「・・・」
「持っていたわずかな貯金も火葬代でアッと言う間に失くなってしまって・・・」
「突っ込んだ質問になりますが、遺産とか生命保険はないのですか?」
「全くありません・・・最初から、ないこともわかってましたし・・・」
「他に御身内は?」
「いません・・・」

女性は、お金の問題に窮々としていた。
ただ、普通に考えれば、若い女性が大金を持っていなくてもおかしいことではないと思う。
余程の高給を得ているか親の脛でも噛っていなければ、まとまったお金を貯めるのは難しいだろう。
この時世では、自分の生活を維持することさえままならないことかもしれない。
そんな生活の中に、いきなり降って沸いた父親の死。
しかも、腐乱死体となって。

火葬・特殊清掃・家財生活用品撤去・消臭消毒・内装工事etc・・・その始末を終えるには、まとまったお金が必要となるのは当然ながら、それを簡単に負担できるはずもなく・・・
また、迷惑をかけた人達への慰謝料・補償金の類まで含めると、とても若い娘一人で賄えるものではないことは明白なこと。
それでも、その責任を免れることはできず、父親の死を悲しむことすら許されない。
そんな現実に、私自身も気持ちのやり場を失った。

「自分でやることはできませんか?」
「できなくはないと思いますけど、おすすめできませんよ
「そうですか・・・」
「必要なら、大まかなやり方と注意点くらいはお教えすることはできますけど・・・」
「でも、お金がなければ体を使うしかありませんよね?」
「ええ、まぁ・・・それはそうですけど・・・」

〝汚腐呂〟でもライト級はある。
しかし、それはレアケース。
実際は、ミドル級以上がほとんど・・・と言うか、この二週間の汚腐呂はヘビー級に決まっていた。

この私でさえも、汚腐呂の特掃には相当の労苦を要する。
それを、ズブの素人である女性がやるなんてことは私の想像の域を越えていた。
しかも、情縁のないアカの他人ならまだしも、実の父親の痕を掃除するなんて本人にとっては凄惨の極みに違いなく・・・
私は、気の毒に思う気持ちを通り越してゾッとするような嫌悪感を覚えた。

私と女性の耳・口から出入りするのは暗い現実ばかりで、会話を進めれば進めるほど、女性は気の毒な身の上が露になっていった。
その重さに息苦しくなってきた私は、女性にとって明るい材料を探そうと試行。
しかし、女性は故人の実の娘であり賃貸契約の保証人。
他に、身内らしい身内もおらず。
更には、自分にお金はなく、故人に遺産もない。
返さなくてはいけない部屋が凄惨な状態であることは間違いのない現実。
どこをどう考えても、明るい材料を見つけることはできなかった。

そんな気重な電話は、しばらく続いた。
いつまでたってもラチのあかない長話に疲れを感じてきた私だったが、女性の方は、いつまで経っても電話を切る様子は見せず。
見ず知らずの私でも、話しているだけで不安感を紛らわすことができていたのかもしれなかった。

「乗るべき舟、出すべき舟がわからないなぁ・・・」
いくら話していても、私は、出せる助け舟・出さなきゃいけない助け舟がどれなのか分からず、また、この舟に乗るべきか・乗らざるべきかの判断がつかなかった。
その不快感から解放されたくて、そのうちに、早く電話を終えたいような衝動に駈られてきた私だった。

つづく






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親の愛、子の哀

2007-10-26 11:48:43 | Weblog
親が子を虐待する、親が子を捨てる、親が子を殺す・・・
世間の情報に疎い私の耳にも、そんな殺伐としたニュースは入ってくる。
そんな人間(親)には、強い嫌悪感や憤りの感情を覚えると同時に、人間が抱える陰の本性をみるような気がして、どうにも暗い気分になる。

その反面、私の仕事には、親の愛に気づかされる場面も多い。
「子供のためだったら死ねる」と言う親の姿を見るときだ。

人のために命を捧げるなんてことは、普通はできないこと。
それができるのは、余程のできた人間くらいだろう。
しかし、「自分の子供のためだったら・・・」と思う親は多いのではないだろうか。
それは、特段の人格者や偉人というわけではなく、ごく普通の人。
そんな人(親)には、強い敬意と憧れの感情を覚えると同時に、人間が抱える陽の本性をみるような気がして、気持ちが熱いくなる。

〝人のために自分の命をも惜しまない〟
そんな利他愛は、人間が持ち得る究極の愛かもしれない。
そして、自分以上に子供を愛する親の心に、究極の愛が宿るのかもしれないと思う。

人は、とてつもなく愛情深い生き物にもなれれば、とてつもなく冷酷な生き物にもなれる。
人は誰しも、心の中に愛と悪の種を両方持っている。
人それぞれに芽の出し方が違うだけで、それは誰の心にもあるものだと思う。

それは、この私にも言えること。
人の善行を敬うことはいいにしても、人の悪行を一方的に非難できる資格が自分にあるのかどうかを自問する。
そうすると、自分が、人を軽々と非難できるような善人ではないことに気がつく。
そして、自愛と自己嫌悪の間を行き来しながら、目指すゴールに向かって前進しようと試みる。


「代われるものなら代わってやりたかった・・・」
故人の母親は、そう言いながら遺体に泣きすがった。
そして、その傍らでは、故人の父親・女性の夫らしき男性が、泣きすがる女性を支えながら固い表情を浮かべていた。

「ホント、〝身代わりになってやりたい〟と何度思ったことか・・・」
誰に言うわけでもなく、男性もそう呟いていた。

亡くなったのは若い男性。
異様に痩せた身体と似合わないニット帽が、長い闘病生活を物語っていた。

故人は、その昔に小児癌を患ったことがあった。
一旦は治ったものの、その後遺症は残った。
後遺症に悩まされながらも、普通の生活を取り戻せた幸運に感謝しながら成長。
本人も家族も、そのまま何も起こらないことを願い、何も起こらない人生をイメージしていた。
しかし、成人になって間もなく癌は再発。
長い苦闘を経てその日を迎えたのだった。

「元気な身体に生んでやれなくてゴメンね」
「苦しむために生まれてきたようなものだったね」
冷たくなった息子を前にして、その生涯と死を消化できずに苦悩する両親の姿は、重い何かを痛切に訴えかけてきた。

両親は、故人を苦しみから解放してやることはできなかった。
しかし、故人と苦悩と痛みを共有した親の愛は、故人に伝わっていただろう。
そして、平均寿命より短かった人生、平均的な幸せさえ手に入れることができなかったかもしれない人生だけど、故人が二人の子として生きてきたことは決して無意味なことではないと思った。

故人の柩の中には、色々なものが入れられた。
洋服・本・写真・手紙・お菓子・・・可愛がっていた動物のぬいぐるみも。
成人男子がぬいぐるみを可愛がっていた様は少々の違和感を覚えさせたが、「死に対する孤独感を紛らわすためのに必要だったのかも・・・」と思うと奇異に思う気持ちはなくなった。

柩の蓋を閉めるとき、両親は号泣。
もらい泣きをするほどの純真さはとっくに失くしている私だったが、その負の迫力は、私の目さえも潤ませるほどだった。
また、その場の悲哀は例えようもなく辛いものではあったけど、子を想う親の姿にはホッとするような何かがあった。


また、別の現場。
周囲を田畑に囲まれて、その家は建っていた。
家には大勢の人が集まっており、それは親類縁者だけではなく、近所の人達も混ざっているようだった。

故人は老年の男性。
遺体の死後処置を終えて納棺を始める段階になると、部屋には入りきれないくらいの人が集合。
ガヤガヤと騒々しい人達には故人の死を悼む悲哀感も見受けられず、逆に、祭のような活気すら感じるくらいだった。

なにも、葬式だからと言って暗く辛気臭くしていないといけないわけではない。
明るい雰囲気で活気があったっても悪くないと思う。
私は、場の雰囲気に気持ちの波長を合わせながら作業を進めた。

「変な話なんですけど・・・」
中年の女性が話し掛けてきた。
その人は、故人の娘らしく、私に何かを尋ねたそうだった。

「(柩に)何か入れた方がいいんじゃないですか?」
「え?」
「人形とか、ぬいぐるみとか・・・」
「はぁ・・・」
「(アノ世に)一緒に連れていかれないための身代わりで・・・」
「身代わり・・・」
「普通は入れませんか?」
「私もこの仕事を随分やっていますけど、あまり経験ないですね」
「そうですか・・・」
「あと・・・個人的な考えなので責任は持てませんが・・・」
「はい・・・」
「亡くなった人が生きている人を道連れにしたり死に追いやったりるようなことはないと思いますよ」
「そうですか・・・」
「この類のことは、私は全く気にしませんが・・・ただ、皆さんが気になるようだったら安心できるようになさっていいと思いますよ」
「んー・・・」」

実際に、〝身代わり人形〟を柩に入れる習慣のある地域もあるらしい。
この女性にもその知識があり、顔は真剣そのもの。
自分達の誰かがアノ世に連れて行かれないように、策を打っておきたいみたいだった。

結局、家に置いてあった適当な人形が柩に納められた。
そうされる故人がどういう心境か興味深いところだったが、それは知る由のないこと。
ま、それで遺族の不安が少しでも解消されれば、それでヨシといったところだろう。


死を恐れる気持ちが強ければ強いほど、それにまつわる迷信は人の心に刻まれやすい。
友引に葬式をやらないことや葬式に行ったあとに身体に塩をふることは、その代表的なものだろう。
〝死〟は、そこまで人を恐れさせる絶対的なパワーがある。
しかし、どんなにあがいたって人には死から逃れる術もないし死に対する力もない。
イヤでも受け入れるしかない。

しかし、人は死んでもその愛は代々に伝えられて絶えないものかもしれない。
さしづめ、〝人は死んでも愛は残る〟と言ったところか。

↑「我ながら、いいことを言うなぁ」
〝人が生きる意味〟〝人が死ぬ意味〟を想いながら、携帯片手に樮笑んでいる私である。






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のんだくれ(後編)

2007-10-23 08:17:11 | Weblog
「ん゛ー、このニオイ、たまんないなぁ」
私は、慣れるに慣れない刺激的な香りに、進めかけた足を一時停止。
家の中はシーンの静まりかえり、人気のない薄暗さが私の緊張感を刺激してきた。

雑然とした室内は、この家が男性の一人所帯だったことを伝え、台所やリビングに転がる空缶・酒ボトルは故人の荒れた生活ぶりを示唆。
私は、散乱するゴミを横目に目当ての部屋へ向かった。

向かったのは二階の寝室、故人が倒れていたとされる部屋。
私の登場に驚いたのだろう、それまで静かに潜んでいたハエが一勢に飛行乱舞。
ハエの唸るような羽音は、私を脅すかのごとく耳に響鳴。
その不気味な重低音は、慣れた私でも鳥肌が立ちそうになるくらいだった。

それでも、私はハエが直接的に襲ってくるのもではないことを知っていたので、彼等には目もくれず窓に向かって直進。
そして、暗闇に明かりを入れるため、カーテンを一気にスライド。
と同時に、ザラザラザラザラ・・・と、無数の黒粒が床に落下。
窓辺には、外への脱出を望みながら息絶えたハエが無数に重なり合っており、その黒山がカーテンに連られて崩れたのだった。
それはまた、外の光に反射する緑色の黒体は、この部屋で起こった出来事を証言しているようでもあった。

「最期は苦しかったのかな・・・」
汚染は、ベッドと下の畳に半々に浸透。
その不自然な形状と畳に貼り着いた大量の頭髪が、故人の最期の苦しみを連想させた。

中の見分を終えて出ると、依頼者は近所の人と外で立ち話。
もうこの家に戻り住むつもりはないからだろうか、世間体を気にする様子もなく、近所の人達とも和気あいあいと会話。
近所の人達に溶け込んだその姿は、とてもこの家の当事者のようには映らなかった。

依頼者は故人の妻、中年の女性。
数ヶ月前まで、現場の家で故人と暮らしていた。
不自然な明るさの中に隠れた憔悴感があり、それは女性と故人との間に並々ならぬ事情があったことを表していた。
しかし、過去のことを掘り返して家が片付くわけではない。
私は余計な質問はせず、中の状況と必要作業の説明に徹した。

腐乱死体現場の凄惨さは警察官もよくわかっている。
だから、特掃の依頼者には、警察から「現場には立ち入らない方がいい」と言われている人も多い。
もちろん、これは〝強制〟ではなく〝任意〟なのだが。
この女性も同様のことを警察から言われており、それに従っていた。

現場の部屋を見てきた私も、女性が部屋を見ることには賛成できなかった。
私にとってはミドル級であっても、女性にとっては無差別級。
後々の人生を考えるとリスクが高すぎて、安易に見せられるものではなかった。

それでも女性は、中から持ち出したいモノがあるようで少し困った様子をみせた。

「代わりに見てきましょうか?」
「え?いいんですか?」
「どうせ、(身体に)ニオイも着いちゃってますし、そのくらい大丈夫ですよ」
「たいしたモノじゃないんですけど・・・すみません」

数ヶ月前まで暮らしていただけあって、女性は、部屋の模様や家財・生活用品の置場所をほぼ正確に記憶。
私は、紙に見取図を書いてもらい、それにもとづいて女性から頼まれたものを探して搬出。
女性が持ちだしたがっていたものは、手紙・写真・置物etc・・・この家の、この家族の思い出の品々。
てっきり金目のモノだとばかり思っていた私は、運び出したモノを見て、内心でバツの悪い思いをした。

それから、私達は外でこれからのことを打ち合わせ。
始めの話題は作業のことに集中していたものの、話しているうちに打ち解けてきて、話の内容は生前の故人についてのことに変わってきた。

「病気で死ぬか自殺で死ぬか・・・そう長くは生きないだろう・・・はじめからそう思ってました」
女性は、肩の荷が降りたような穏やかな表情を浮かべ、静かに話し始めた。

故人は、若い頃からの酒好き。
飲む量は少なくなかったけど、酒癖が悪いわけでもなく人に迷惑をかけることもなし。
また、他に趣味らしい趣味もなく娯楽らしい娯楽も持たず、仕事も真面目。
生活費を圧迫するほどでもなかったため女性も容認。
しかし、ある時の健康診断で血糖値の異常を発見。
その時はまだ、糖尿病の一歩手前の状態だった。

はじめのうちは食事療法と運動の励行で療養。
しかし、飲む酒の量はなかなか減らすことができず。
そのせいもあって、病気は日に日に進行。
そのうちに完全な糖尿病になり、薬が処方されるようになった。

そうなると、禁酒はもちろん食事制限も厳しくなる一方。
しかし、いくら節制しても病状は回復するどころか悪化の一途をたどるばかり。
我慢してばかりの生活がバカバカしくなった故人は、自分で勝手に酒を解禁。
健康だった頃に比べて量は抑えてはいたものの、晩酌は再び日常的なものに。
当然のことながら病状は急速に悪化。
入退院を繰り返す中で、とうとう仕事にも支障をきたすような身体になってしまった。

仕事を失ったのを契機に、故人の精神と生活ぶり一段と荒廃。
朝昼かまわす飲むようになり、量も増加。
そして、もともとは悪くなかったはずの酒癖も悪くなり、酔うとキレるように。
それでも、家族は耐えた。
しかし、故人が暴力をふるうようになってから、アッケなく家族は崩壊。
女性は、子供を連れてこの家を出て行ったのだった。

「〝酒も飲めないくらいなら野垂れ死んだ方がマシだ!〟って本人は言ってましたから・・・ホントにそうなって本望かもしれませんね・・・」
女性は、何かを達観したかのような笑みを浮かべながら話を続けた。

「ところで、貴方はお酒を飲みますか?」
「・・・はい」
「それは付き合いで?それとも好きで?」
「・・・好きで・・・」
「そお・・・悪いことは言わないから、やめた方がいいですよ」
「はぁ・・・」
「今のうちからやめておかないと、後からなんて絶対にやめられませんから」
「はい・・・」
「お酒って、楽しいものだと思ったら大間違い!本当は恐いものなんですよ」
「おぼえておきます」
「私には娘が二人いるんですけど、お酒を飲む男とは絶対に結婚させないつもりなんです」
「・・・」
「絶対にね!」
「・・・」
「私と同じ苦労はさせたくないですから」
「・・・」
「夫は、悪い人じゃなかったんです・・・お酒に負けちゃっただけなんですよね・・・」
「・・・」

女性は、家から持ち出したモノを大事そうに眺めながら、私を諭すように、そしてまた亡き夫に訴えるように呟いた。
色んな想いが混ざりあってたであろう女性の言葉に、私は、言葉を失くしたまま立ち尽くすだけだった。


耳の痛い話は身のためになる。
自らは発することができない重い意味があるから。

故人が抱えた痛みと女性が抱える痛みを想いながら、当夜の晩酌をどうするか真剣に悩む私だった。





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のんだくれ(前編)

2007-10-20 08:45:05 | Weblog
「んー、このニオイ、たまんないなぁ」
私は、鼻先にくる魅惑の香りに唾を飲んだ。
それは、ヨダレがでるくらいに芳醇な香・・・。

何のニオイかと言うと・・・酒。大好物のにごり酒。
この秋になって初めて飲むにごり酒の香に、私は魅了されたのだった。

晩酌だけが生き甲斐みたいになっている私は、自宅に酒の在庫がなくなると、妙な不安感・心細さに駈られる。
逆に、在庫が豊富にあると妙な安心感がある。
だから、在庫が底をつかないように気をつけている。

普段はビールやチューハイがほとんどだけど、寒くなってくると日本酒も飲みたくなる。
以前にも書いたように、その中でも、にごり酒は大の好物。
そして、この時季になると店頭でも多く目につくようになり、見ると無性に飲みたくなる。

私が若かった頃は、にごり酒というものは冬の酒だった。
しかし、流通も発達し、温度管理の技術も向上しているこの頃では、店頭に年柄年中でている。
それはそれでありがたいことだけど、季節に合った旬にこそ、その味わいも趣も本領を発揮するような気がして、何だかもったいない感がある。

「そろそろ買い足しとかないとマズイな」
つい先日、残りの酒が少なくなってきたので、買い出しに出掛けた。
出向いた先は、行きつけのディスカウント量販酒店。
そこには多種多様の酒が豊富に置いてあり、それは自然と私の気分を高揚させてくれた。

いつも決まったものしか買わないのに、とりあえず店内を一通り見物するのが習慣。
買いもしないくせに、色んな酒を見て回るのだ。
そして、気になる瓶を手に取っては、味見をしたような気分を楽しむ。

先日も、見るだけのために日本酒のコーナーへ。
そして、たくさんの銘柄が並ぶ中に何種類かのにごり酒を発見した。

「お!にごり酒!・・・もうそんな季節なんだな」
いつの間にか種類が増えていたにごり酒に、季節の移り変わりを感じた。

「どれどれ・・・どれもこれもうまそうだな」
私は、目につく瓶を一本一本持ち上げて、中身を確認。
そのうちに、だんだんと欲しくなってきた。

「買っちゃおうかな」
頭の中で膨らむ酒の美味に、もともとは買うつもりのなかった私の気持ちは揺り動かされた。

「よし!買おう!」
買うと決めると、商品の品定めは楽しいもの。
無邪気なのか邪気があり過ぎるのかビミョーなところだけど、私は、子供が好物のお菓子を選ぶかのように一升瓶を眺め回した。

ありがたいことに、にごり酒は清酒に比べて安価。
しかも、値段と味がリンクしているとは限らない。
つまり、下手な清酒よりも、安くて美味しいものを手に入れやすいということ。
あとは、好みの条件を一つ一つクリアしていけば、口に合った酒を容易に探し当てることができる。

ちなみに、私の好みはと言うと・・・
原材料に醸造用アルコール・糖類が添加されていない、米・米麹だけでつくられたもの。
そして、白い沈殿物が一升瓶の半分以上溜まっているもの。
そうは言っても、舌触りが悪くなるので米粒が残っていてはいけない。
味は、ツンとした高度アルコールの中にコッテリとした甘味みがあるものがいい。
酸味の強いものや、麹が活発に働いていて発泡しているようなものはダメ。
その果物のような香りと重い喉越、食道にからみつきながらズシリと胃に落ちていく重量感が何ともいえずいいのだ。

ただ、この類のにごり酒は、飲み手を限定してしまう。
一般には、あまり人気がないのだろう、残念ながら外の居酒屋でお目にかかれることはまずない。
したがって、飲みたければ自分で買ってくるしかない。

しかし、それにも難点がある。

ツマミ・肴が難しい。
味の濃い料理や脂の多い食材には合わない。
私は、飲むことだけではなく食べることも好きなので、その課題は大きい。
酒歴は短くはないのに、今だって試行錯誤中。

一升瓶にも問題がある。
缶だったら飲む量に区切りをつけやすい。
しかし、一升瓶だと、なかなかそうはいかない。

始めは〝器○杯〟と決めておくのだが、飲んでいるうちに歯止めがきかなくなる。
「あと一杯だけでやめとこう」
これを何度も繰り返し、結果的に〝飲み過ぎ〟となる。

問題は他にも。
糖質だ。
日本酒は、焼酎やウイスキー等の蒸留酒に比べて糖分が高い。
中でも、にごり酒はそれの最たるもの。
糖は、脳のエネルギー源として必要らしいけど、残念ながら、あまり脳を使わない生活をしている私にはそんなには必要ない。

〝アルコール+炭水化物(糖質)=脂肪〟
という方程式に則って、余った糖分は脂肪となってメタ坊を喜ばせるだけとなる。
これは要注意!


私が酒を好んで飲むようになったのは、この仕事を始めてからのことではない。
学生の頃には、既にかなりの酒を飲むようになっていた。
更に記憶を辿っていくと、小学生の頃にまで遡る。
その当時、冬の甘酒と夏の梅酒を好んで飲んでいたことを思い出す。
私の酒好きは、既にその頃から始まっていたのかもしれない。

そんな私は、30を過ぎた頃、肝臓を著しく悪くした経験がある。
その時の肝機能は、医師も慌てるほどに危険な数値を示していた。
医師の見立ては、肝癌・肝炎・肝硬変のいずれか。
それを聞いた私は、弱った肝を凍りつかせた。
しかし、幸いなことに、精密検査によってそれのどれでもないことが判明。
診断は、度重なる暴飲暴食による脂肪肝。
肝臓がフォアグラになっていたのだった。

この出来事が、私にはいい薬になった。
それから、医師の指示に従って節制することを決意。
「これを機に、心も身体も脱酒だ!」
と意気込んで、しばらくは健康的な生活を送ったのだった。

しかし、私の意志の弱さは純米大吟醸級。
〝喉元過ぎれば熱さ忘れる〟の如く、肝臓が復調の兆しをみせた途端に飲酒も再開。
罪悪感を緩和させるために、始めのうちは量を控えていたのだが、いつの間にか元の量に戻ってしまった。

タバコもギャンブルもスポーツやらず特段の趣味もない私は、仕事を終えての晩酌が一日の楽しみ。
そこで適量を守れればれはいいのだろうが、それがなかなかできない。
一種のアルコール依存症なのだろう。

「なんでやめられないんだろう」
と、自己分析を試みるけど、ハッキリした答は見つからない。

「今夜は飲まないぞ」
と、チャレンジを試みるけど、易々と負けてしまう。

「ああなっちゃイカンな」
酒で身を滅ぼした何人もの人の痕を思い出しながら自戒する。

他人を非難することは簡単。
しかし、他人のフリを見て我がフリを直すことがいかに難しいことか、痛感させられる。
浴びたい酒、されど溺れたくない酒。
身体を壊すのが先か、精神を壊すのが先か・・・焦っても仕方ないけど、何とかしなきゃいけないと思っている。


「ん゛ー、このニオイ、たまんないなぁ」
私は、鼻先にくる未悪の香りに息を飲んだ。

つづく






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別人

2007-10-17 15:23:12 | Weblog
「別人に生まれ変わりたい」
「○歳の頃に戻りたい」
叶わぬ夢と知りつつも、そんな願望を持ったことがある人は多いのではないだろうか。
同時に、そんな妄想を楽しむ人も。

かく言うこの根暗もその一人。
健康・年齢・容姿・性別・地位・名誉・経済力etc
そんなことで他人を羨んだり他人に嫉妬したりしながら、自分の理想像をつくり上げていく。
そして、生まれ変わって別人になることを空想する。

格差社会云々が叫ばれるようになって久しい。
どの角度から眺めてみても下の方に位置している私は、どうあがいても負け組のエースで四番。
今更、別人には生まれ変われない現実に溜め息を漏らしながら、
「勝ち組にはなれないけど、負け組から抜け出す迂回路がどこかにあるんじゃないか」
と、光を求めて暗闇をさまよっている。
足りない能力・根性・努力を棚に上げて。


ある日の午後、郊外の住宅街にある一軒家に出向いた。
依頼の内容は遺体処置・納棺業務。
家の外には葬式用の提灯や看板等が設営されており、番地を探さなくても目的の家は簡単に見つけることができた。

私を出迎えてくれたのは初老の女性。
普段着に化粧気もなく、どことなく落ち着かない様子。
身だしなみを整える余裕もないまま、葬儀の準備に奔走していることが見て取れた。

その日の夜はこの家で通夜が営まれることになっており、家人はその準備に忙しいようだった。
その雰囲気を読み取った私は、女性に余計な手間をとらせないように言葉数を抑えて家の中を進んだ。

通されたのは裏庭に面した奥の和室。
部屋を隔てる襖は外され、二間続きの広間になっていた。
部屋の奥には大きな葬儀祭壇が設置。
真ん中には中年男性の遺影が掲げられていた。
回りには、たくさんの供花や供物。
傍らには、空の柩が置いてあった。
肝心の故人は、その祭壇の真正面に安置。
最終的には、故人を柩に納めるのが私の仕事だった。

「スイマセンね・・・バタバタしちゃってて」
「いえいえ・・・」
「慣れないことばかりで・・・」
「仕方ないですよ」
「すぐにお棺に入れちゃうわけじゃないですよね?」
「ええ・・・準備に時間がかかりますから」
「じゃ、その間に用事を済ませてきてもいいですか?」
「あ、はい・・・」
「まだ自分の身支度も整えてないものですから」
「どうぞ・・・準備を進めながら皆さんの支度が整うまでお待ちしてますから」
女性はそそくさと部屋をでていき、私はそれを見送った。

「さて、仕事に取り掛かるか」
私は、祭壇の前で横になっている故人の枕元に近づき、顔を覆う白い面布をとった。
そこには、眠るような顔の故人、初老の男性がいた。
顔色の悪さは否めなかったけど、特段の変色や死臭もなく、見た目には安らかに休んでいるように見えた。

「・・・あれ?なんか違うような気が・・・」
私は、葬儀祭壇に掲げられている遺影の顔と目の前に横たわっている故人の顔が似ていないことに気がついた。

「おかしいなぁ・・・オレの目がおかしいのかなぁ」
私は、目を見開いて遺影を凝視。
それから、急いで故人の顔を見て脳裏の残像と重ね合わせた。

「ん゛ー、似てないなぁ・・・」
首と目を素早く動かして何度見ても、二つの顔は重ならなかった。

「でも、こんなに堂々と掲げられてたら、誰かが気づくはずだよな・・・遺族だって見てるはずだし・・・」
私は、自分の中で無難に決着をつけた。


遺影写真と故人の顔が別人のように見えることは決して珍しいことではない。

遺影写真は見た目重視なので、そのほとんどは故人が元気だった頃の写真が使われる。
顔色もよく凛々しい表情の写真が好んで用いられるのだ。
随分と若い頃の写真を使う遺族も少なくない。
片や、故人は顔色も悪くやつれていることが多い。
表情らしい表情もなく、力を失った筋肉は重力のなすがまま。
亡くなっているわけだから、元気ハツラツ・凛々しい顔を求めても無理がある。

そうすると、遺影写真と故人の顔が別人のように異なることも頷けるだろう。
それでも、遺影になった人は同一人物なわけで、どこかしらに共通した面影があるもの。
しかし、どこをどう見ても、この現場の故人と遺影写真の面影には共通するものはなかった。

「お待たせしました」
しばらくすると、正装した女性が部屋に入ってきた。

「あれ?なんか違うような気が・・・」
私は、目をやった女性の顔にプチ仰天。
声や話し方は同じも、最初のときとは顔が別人のようになっていたのだ。
人の顔をジロジロ見るのは失礼とは思いつつ、ついつい女性の顔に視線が止まってしまう私だった。

「女性ってスゴイな・・・化粧ひとつで別人になれるんだから」
私は、女性の変容ぶりに感心しながら作業を進行。

それから、数人の遺族が部屋に集合。
全員がキチンと礼服を着ていたせいもあってか、部屋は一気に厳粛な雰囲気に包まれた。

私は、決まった段取りを踏みながら遺族の手を借りて故人を柩に納め、ドライアイスや副葬品等を一緒に納棺。
それから、柩用の細長い掛布団を故人に掛け、蓋を閉めて納棺式を終了させた。

退室の際も遺影を見たけど、やはり私の目には別人にしか見えず。
また、遺族の気配を気にしてはみたけど、誰にも遺影を不審に思っているような様子はなく。
私は、疑念を残したままこの仕事を終えたのだった。


後日・・・
結論から言うと、やはり故人と遺影の人物は別人だった。
そして、その事実が発覚したときは大騒ぎになったらしかった。

私が現場を離れたのは通夜開始の直前。
つまり、それが発覚したのは通夜式が始まって以降にであった可能性が高い。
仮に、通夜式中に発覚したとすると、その後は想像するのも恐い。

おそらく、遺影の原板は何人もの人が写った集合写真が使われたのだろう。
それで、遺族と葬儀社の間で写真にする人物指定に錯誤が生じ、結果的に別人が抜き出された可能性が高かった。
しかし、それが祭壇に掲げられてもなお気づかない遺族に「?」だった。

仮に・・・
遺影にされた本人が弔問に来たら、どんなに驚いたことか。
その様を想像すると、不謹慎ながらもちょっと可笑しく思えた。


もう若くはない私。
別人のように変われることは、もうわずかしか残っていないだろう。
あとは、このまま年老いていくのみ。

そんな諦めと虚しさの境地に立たされながらも希望がないわけではない。
人は誰でも、そして何時でも、自分の人生を生まれ変わらせるチャンスだけはあると思っているから。
目に見えないところには、別人のように変えることができることが、まだたくさんあると思っているから。

さてさて、死ぬまでにどれだけこのダメ人格を変えることができるか。
結果に勝ちはなくても、やるだけの価値はありそうだ。





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あったかぞく(後編)

2007-10-14 10:25:24 | Weblog
仕事のせいか、もともとの性質か、私は毎日のように自分の死を考える。
日よっては恐怖し、また日によっては安堵しながら。
それと同時に、生きることの不思議さと夢幻性を強く感じる。
考えれば考えるほど、目に見えていること・耳に聞こえること・肌で感じること全てが夢や幻のように思えてくる。
・・・生きていることって、本当に不思議なことだ。

人が死ぬ確率は100%
それを証すかのように、毎日毎日、何人もの人が亡くなっている。
日本だけでも毎日何千人もの人が。
そして、それを待つ死人予備軍には、自分自身や身近な人達が含まれていることも紛れもない事実。
それをどう受け入れて消化するか、人生の課題である。


「まず、暖房を止めて、部屋の空気を換気してからにしましょうか」
私は、故人の着衣の着替作業に入る前に、部屋にこもった空気を入れ換えることを提案。
遺族に暖房を止めてもらい部屋の窓を全開にすると、暗い外から冷たい風が一気に通り、部屋中に充満していた生暖かい悪臭はたちどころに一掃された。

「これからは暖房はつけないで下さいね」
部屋の窓を閉めながら、私は念を押した。
それに対する遺族の反応は鈍く、故人の死を受け入れたくない心情を伺わせた。

「私はここで待っていますから、必要であれば声を掛けて下さい・・・お手伝いしますから」
亡くなっているとはいえ、女性の着替えを見物している訳にもいかないので、私は、故人の姿が見えない位置、隣の部屋の襖の陰に正座して待つことにした。

決まった規則があるわけではないのだろうが、病院で亡くなったほとんどの遺体は、白地に紺模様の浴衣を着せられている。
脱着がしやすくて入院療養には便利なのかもしれないけど、見た目はかなりさえない。
しかも、この故人の浴衣は自らの腐敗体液で汚れていたので、きれいなものに着せ替えたがる遺族の気持ちは充分に理解できるものだった。

「10~15分程度で終わるだろう」
そう思いながら畳の上に座り、私は、襖の向こうから聞こえる女性達の話し声に耳を傾けながら作業が終わるのを待った。

〝着衣の着せ替え〟と言っても、それが遺体となると簡単にはいかない。
遺体は、亡くなった直後から腐敗を進めていくことは前記したが、同時に外気温に合わせて体温が下がり、死後硬直が始まる。
しかも、寝たきりの姿勢で。
そんな遺体は、身を起こしてくれるわけでもなく、腕を曲げてくれるわけでもない。
手の指一本動かしてくれない。
そんな遺体の着衣を着せ替えることが簡単にはいかないことは、容易に想像してもらえることだろう。

この遺族にとっても、やはり難しい作業のようで、襖の向こうから聞こえてくる話し声からは、女性達の作業が難航していることが想像された。
しかし、私は〝声を掛けられてもいないのにしゃしゃり出るのは、余計なお節介〟と判断して、黙って座ったままでいた。

結果的にその判断は正しかった。
当初、私が予想していた時間ははるかにオーバーしたけど、パジャマへの着せ替えを自分達の手だけでやれたことに遺族は満足そうだった。
そしてまた、きれいなパジャマ姿になった故人も、嬉しそうに微笑んでいるようにもみえた。

「きれいに着せ替えができてよかったですね」
「はい・・・」
「では、ドライアイスをあてさせていただきますね」
「・・・」
やはり、二人の女性は、故人の身体にドライアイスをあてることに強い抵抗感があるようで、私の言葉に返事もせず黙り込んでしまった。

愛する者の死は、どの段階で受容されるものなのだろう・・・。
それは、人それぞれに異なるものなのだろうが、少なくとも、その時点での遺族は故人の死を受け入れることを拒んでいた。

そのうち、女性は
「髪をとかしてあげたい」
「お化粧をしてあげたい」
「冷やすのは(ドライアイスをあてるのは)それからにして欲しい」
と言い始めた。

それを聞いた私は少々困惑。
いつまでも先延ばしにしても、遺体の腐敗が進むばかりで、故人が生き返るわけではない。
そして、遺体の腐敗は遺族が望むことでもないはず。
が、乗り掛かった舟・・・
「この娘さん達にとっては母親の死を受容するために必要なプロセスかもな・・・」
と考えて、女性の申し出を了承した。

すると、二人の女性は嬉しそうに化粧道具を持ってきて、故人の顔にメイクを始めた。
髪の毛に至っては、ブラシでとかすだけではなくドライヤーでブローまで・・・できなかった親孝行を果たすかのように丁寧に・丁寧に。
その姿は、無邪気に母親と遊ぶ子供のように、また母親に甘えている子供のようにも映った。
そしてまた、
「母親の死を受け入れたくない」
「別れが名残惜しくて仕方がない」
という心痛がストレートに伝わってきた。

「生まれ変わっても、またお父さんと結婚してね」
「そして、私達を産んでね」
「また同じ家族で、仲良くしようね」
私は、〝生まれ変わり〟等というものは信じてはいない。
だけど、楽しそうに話しす二人の女性と照れ臭そうに微笑んでいる男性を見ていると、〝ホントにそうなれたらいいね〟と、自然に思わされるのだった。

暖房を止めた部屋は、少しずつ肌寒くなっていたけど、そこには家族の温もりがあった。
その温もりは、冷酷な死をもあたたかいものに変えていく力がありそうに思えて、何となくホッとするものがあった。

「お待たせしてすいません」
部屋の隅で地蔵になっていた私に、男性は気を使ってくれた。
それでも、〝娘達には思い通りにさせてやりたい〟〝妻もそれを望んでいる〟といった男性の思いが伝わってきて、〝大丈夫!全然平気です〟という表情で頷く私だった。

それから、しばらくの時間が経過。
もともと正座は不得意ではないはずなのに、私の足はだいぶ痺れていた。
そんな中、次第に冷えて硬くなってくる故人を前にしては、否応なくその死を受け入れざるを得なかったのだろう、それまでは涙を流すような気配はまるでなかった三人は、急にシンミリと泣き始めた。

「ドライアイスをあてる前に、家族だけの時間をつくってあげた方がよさそうだな」
足の痺れを解すためもあり、私は一旦外に出て小休止することにした。

「あ~ぁ・・・また一人死んじゃったんだなぁ・・・」
玄関を出た私は、いつものように空を仰いで深呼吸。
外の空気は冷たかったけど、星空に向かってどこまでも澄んでいた。

そして、家の中から聞こえる家族の泣き声に、必然の死に向かいながらも奇跡的に生きている今を噛み締める私だった。





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あったかぞく(前編)

2007-10-11 08:21:19 | Weblog
このところ、夜が明ける時間が目に見えて遅くなっている。
それにも増して、夕方の暗くなる時間はもっと早くなっているような気がする。
秋の夕焼けは心に優しいけど、この先には暗くて寒い冬が待っていると思うと気が重い。


しばらく前の寒い季節のことだった。
あまりに前のことで、秋だったのか春だったのかよく憶えてないけど、凍えるほどの寒さではなかったので、真冬ではなかったと思う。
晩秋か初春の頃だっただろうか、そんな季節の出来事。

「遺体からの鼻から血がでて止まらない!何とかして!」
ある日の夕暮れ時、そんな呼び出しがあった。

訪問したのは郊外の一軒家。
急いで現場に向かったものの、私が到着する頃には辺りはとっくに暗くなっていた。

「こんな時間に呼び立ててすいません」
インターフォンを鳴らして玄関前に立つと、中年の男性がそう言って出迎えてくれた。
そして、スリッパをだして私を家の中に招き入れてくれた。

故人は奥の和室に寝かされ、その傍には二人の若い女性が寄り添っていた。
部屋には暑いくらいの暖房がつけられ、腐敗体液のニオイがモァ~ッと充満。
暖められた死臭は独特のニオイに変化し不快さを増していたが、遺族はそんなことは気にも留めていないようだった。

亡くなったのは中年女性。
男性は故人の夫、二人の女性は娘だった。

「鼻血が止まらなくて・・・」
女性は困ったように訴えてきた。
見ると、遺体の鼻からは茶色の腐敗体液が少しずつ出ていた。
二人の女性は、生きている人を介抱するかのように、それを拭き取っていた。

「ちょっと拝見させて下さい」
私は、座り位置を女性と代わって、遺体の傍に正座。
そして、顔を少しだけ故人の顔に近づけて、鼻からの体液漏れを観察。
それは、お腹から上がってきている腐敗体液と思われ、浴衣の襟元と敷布団のシーツまで汚していた。

「失礼します」
私は、故人のお腹(体型)を見るため、上半身の掛布団をめくった。
案の定、故人の腹部は膨脹。
それが生前からの体型ではないことは、他人の私にも分かった。
私は、念のために故人の身体に触れる必要を感じたが、遺族の気持ちを考えて浴衣の上から見るだけにとどめた。

他人にとってはただの死体でも、故人は女性であり、遺族にとっては大事な妻であり母である。
その身体を、どこの馬の骨ともわからない男が無神経に触ることは気持ちのいいことではないはず。
だから、私は、遺族の心象を察して故人の身体を触るのはやめておいたのだった。

「あれ?・・・」
遺体の状態を見ながら処置法を考えていると、普通ならあるものがないことに気がついた。
遺体の腹部にのせられているはずのドライアイスがなかったのだ。

「ドライアイスはなかったですか?」
「あ、ありましたけど・・・」
「それは、どこに?・・・」
「・・・」
遺族は気マズそうに口を閉ざした。

故人を自宅まで運んできた葬儀業者は、確かにドライアイスを置いていったらしかった。
しかし、遺族はそれを故人の身体にあてるのを拒否。
葬儀社の担当者はドライアイスの必要性を説明したが、〝あとで自分達でやるから〟と、強引に断ったらしかった。

ただでさえ、朝晩はだいぶ冷え込む時季。
そんな時に故人の身体をドライアイスで冷やすなんてことは可哀相でできなかったらしい。
それどころか、故人が寒くないようにと暖房をフルにきかせていたみたいだった。

通常遺体の場合、最初に腐り始めるのはお腹(内蔵)と言われる。
だから、遺体の腐敗を遅らせるには、亡くなってからは直ちにお腹を中心とした身体を冷やすことが必要とされる。
暑い夏場はもちろん、この時のような寒い季節でも油断はできない。
身体に残った体温や暖房の温度でも腐敗は進むから。

この故人も、暖房のきいた部屋でドライアイスもあてられずに安置されていたものだから、腐敗が急進行したのだった。

「これから処置をしますが、2~3点、御了承いただきたいことがあります・・・」
私は、それから行おうとする作業が、遺族にとって目触りのいいものではないことを説明した。

鼻からの体液漏れを止めるには、鼻の奥から喉の奥にかけて大量の詰め物を入れる必要がある。
綿の他に何を詰めるかは遺体の状態によって異なるのだが、とにかく、ギュウギュウの詰め物が必要なのだ。
その作業は、見ていてもかなり痛々しいもの。
当然、生きている人だったら耐えられるものではない。
だから、私にとっても遺族にとっても、その辺のところを了解し合っておくことは重要だった。

「よく考えて下さいね・・・後で悔やまないように」
三人の遺族は困った表情を浮かべ、しばらく沈黙。

「きれいにして送ってあげようよ・・・お母さんもそれを望むんじゃないかな」
しばらくして、故人の夫である男性が結論をだした。
ただ、見ているのはツラいので、作業の間は席を外していたいとのことだった。

「そんなに時間はかかりませんから、少しの間だけ待ってて下さい」
私は、遺族の退室を確認してから作業にとりかかった。
処置作業自体の難易度は低く、慣れた作業でもあったため速やかに完了。
すぐに遺族を呼び戻した。

「もう終わったんですか?」
「ええ・・・多分、これで大丈夫だと思います」「よかった・・・」
「ただ、ドライアイスをあてることと部屋の暖房を止めることは必要です」
「そうですか・・・」
「でないと、また同じようなことが起こる可能性が高まります」
「はい・・・」

遺族にドライアイスの使用を了承してもらった私は、早速、その準備にとりかかった。
用意されていたドライアイスは、運搬用の梱包がされたままで浴室に置いてあった。

「では、これからドライアイスをあてますので・・・」
「あ、ちょっと、その前にいいですか?」
「はい?」
「汚れた浴衣をきれいなパジャマに着せ替えたいのですが・・・」
「あ、そうですね」
「時間は大丈夫ですか?」
「はい、大丈夫です」

その日の仕事はその現場で終わりだった私。
少し腹が減っていたこと以外は急がなければならない用がある訳でもなかったので、遺族の申し出を快諾した。

つづく








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ヒモ(後編)

2007-10-08 07:34:49 | Weblog
某社の辞書で「紐付き(俗)」を調べると、「情夫のある女」とでている。

〝ヒモつき〟と聞いて、どんな印象を持つだろうか。
私的には、〝男にとって都合のいい女性〟という印象が第一にくる。
次に〝男に対する精神的依存度が高い女性〟。
もっと言うと、〝男をダメにする女性〟という印象もある。

そんなことは私が言うまでもなく、実際の当人には分かっていることかもしれない。
ただ、
「感情が理性に従わない」
「別れた方がいいと思っていても別れられない」
そんなところか。

表現方法に問題があるかもしれないけど、ヒモを養うことはペットを飼うことに似たような感覚があるのかもしれない。
ペットは、経済的にも実務的にも生活を支えてくれることはない。
どちらかと言うとその逆で、お金も手間もかかる。
しかし、何故か心が必要とする。
満たし・癒し・支え・愛・情・支配・従順・・・心が欲しがるそんなモノがペットを飼うことによって得られるのかもしれない。
ヒモを養う理由にも同じようなことがあるのではないだろうか。
ま、飼われるペットも多いのだか、飼い主のエゴで捨てられるペットも少なくないのが皮肉なところだが。

そんなことを考えると、ヒモばかりをダメ人間扱いして、女性の肩ばかり持つのもどんなもんかと、疑念が湧いてくる。
見方を変えれば、ヒモをヒモであり続けさせるかどうかは女性次第だとも思えてくる。
ヒモは、ヒモつきがいるからヒモになる訳だし、ヒモつきがいなければヒモになれない訳だから。

女性にその自覚も意図もないにしても、女性の包容力と優しさはヒモへの精神的依存心がかたちを変えて表れているにしかすぎず、それが結果的に男性を骨抜きにしている可能性はある。
極論すれば、〝ヒモつきは男をダメにする〟ということ。


現場の話を続けよう。
この現場の処理を最初に依頼してきたの不動産管理会社。
しかし、そのための費用は契約者の女性が負担するということで、依頼者の身分は不動産会社から女性個人にバトンタッチされた。

私は、色んな思いを巡らせながら女性の到着を待った。
薄曇りの空が、私の心境をそのまま表していた。

女性は、約束の時間に合わせてやってきた。
スーツを着こなした身なりに丁寧な物腰、清楚に落ち着いた雰囲気はバリバリのキャリアウーマン風。
それは、私が抱いていた印象を覆すものだった。

「この度はご迷惑をおかけして申し訳ありません」
「いえ・・・」
「片付けられますか?」
「ええ、まぁ・・・大丈夫です」
「これから、どうすればいいですか?」
「まず、汚染箇所の特殊清掃が必要です」
「汚染箇所?・・・」
「はい」
「でも・・・遺体はもうないはずですが・・・」
「遺体は警察が運び出しましたけど、その痕が・・・」
女性は、〝人間が腐敗すると液状化し、周辺を凄惨に汚染する〟なんてことは夢にも思ってないようだった。

「現状回復は可能ですか?」
「最低でも、床フローリングと壁紙の貼り換えは免れないでしょうね」
「貼り換え?・・・」
「床には汚染痕が残りますし、部屋全体にはニオイが・・・」
「ニオイ?・・・」
「はい」
「でも・・・遺体はもうないんですよね?」
「遺体はなくなっても、その後は・・・」
女性は、〝人間が腐敗するとモノ凄い悪臭を放ち、周辺を強烈に汚染する〟なんてことは夢にも思ってないようだった。

「それで何とかなりますか?」
「あとは、水回りが気になりますね」
「水回り?」
「風呂・トイレ・キッチンがかなり汚れてまして・・・」
「そんなに?」
「ええ・・・言葉は悪いですけど〝ゴミ屋敷〟に近い状態でして」
「え゛ーっ?、○月に私が出て行ったときには、普通にきれいだったんですよ」
「あと、虫も・・・」
「虫?」
「はい」
「でも・・・遺体はもうないんでしょ?」
「ええ、遺体はありませんけど、ウジとかハエが・・・」
女性は、〝人間が腐敗すると無数のウジが湧き、周辺を不気味に汚染する〟なんてことは夢にも思ってないようだった。
が、そんなことは一般の人が知っておく必要もないこと・・・イヤ、知らないでおいた方がいいことかもしれない。
私は、余計な説明は省略して話を進めた。

そんな会話でも女性はサバサバと快活だった。
テキパキと私の質問に答え、理路整然と自分の考えを伝えてきた。

女性が最も気にしていたのは、近隣・関係者に迷惑をかけていることと、部屋の原状復帰にかかる費用のことで、故人の死は大して気にも留めていないように見えた。
そして、その対象が故人なのか・その死因なのか・その後の腐乱なのか分からないけど、女性はこの現場を著しく嫌悪していた。

「部屋には興味もないし入りたくもない」
「自分が必要なものは出ていく時に全部持ち出したから、部屋にある家財・生活用品は全部捨てていい」
「写真?滅相もない!」
「貴重品らしき物があってもいらない」
そんなクールさだった。

しかし多分、女性の過去・故人との生活は、クールには割り切れたものではなかっただろう。
女性は、そんな生活を長い間苦悩し続けていたかもしれないし、その別れは、苦渋と断腸の思いを経てのことだったかもしれない。
そして、男を捨てて出ていくと決心したこと、そしてそれを実行したことで自分の何かを生まれ変わらせ、女性は別人のような強さを身につけたのかもしれなかった。
そんな女性に対して、私は、気持ちの冷たさよりもたくましさを感じるのだった。

「別れるんだったら、自分が出て行くんじゃなくて男の方を出て行かせりゃよかったのに」
「その辺は、自分でも整理し難い女心があったのかな」
「女性って、強いのか弱いのか、冷たいのか温かいのか、よくわからないものだな」
女性が故人と別れたのは故人への愛があったからか、それとも愛がなくなったからか、私には知る由もなく、女性の印象からもそれを推り取ることもできなかった。


故人の決意を表すかのように、玄関ドアの上部金具に括りつけられた紐の結び目は固かった。
とても手で解けるものではなかく、私はカッターナイフを使って切り外した。

「解けないヒモは切るしかないか・・・」
自分の心に絡みつき・心を縛りつける紐を解くのは簡単なことではない。
人はそれを相手に、日々、格闘する。
一時的な痛みを恐れて、時間をかけて無難に解こうと格闘する。
しかし、切ってしまった方がいいこともあるはず。
人生は有限だから。

切り外した紐をゴミ袋に放りながら、女性の生き様と男性の逝き様に 例えようのないわびしさを覚える私だった。






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ヒモ(前編)

2007-10-05 06:47:53 | Weblog
某社の辞書で「紐(俗)」を調べると、次のようにでている。
「世間に知らせられない関係にある男性の愛人・情夫」

働けるのに働かない。
働く気もないのにその気があるフリをする。
いい歳をして、女性の脛をかじって生活している男を俗に〝ヒモ〟と言う。
その言葉の由来は知らないけど、その響きには何とも情けないものがある。

私の、今までの人間関係では、ヒモの知り合いはいなかった。
仮にいたとてもウマが合わなくて、友人はおろか知人関係にもならなかっただろう。
ただ、ヒモを養っている女性の知り合いは何人かいた。
狭い世界で生きている私でさえそんな女性の知り合いが何人かいたわけで、それに換算すると、世間にはヒモが膨大な数いるということになる。

男の私には、そんな女性の心理を深く知ることはできないけど、とにかく不思議で仕方がない。
どうも、一緒にいるメリットを明確に感じているわけではなさそうなのだ。
結婚しているわけもなく、子供がいるわけでもなく、すごく好きなわけでもなく、男の将来が有望なわけでもない。
〝別れた方がいい〟とわかっているのに、なかなか別れない。
そして、歳ばかりをとっていく・・・。

ヒモは、まともに働かない割には口だけは達者。
飲み食いは一人前、遊興も人並み以上。
女心を擽るセリフだけは流暢にでてくる。
デカい話とキレイ事は得意中の得意。
その口車に、女性はコロッとやられる。

社会的には最低とされる仕事に従事する私でも、ヒモに比べればまだマシだと自認している。
自分の食いブチは自分でなんとかしているし、税金や社会保険料だってちゃんと納めているし。
一見すると、ヒモ生活は楽そうに思えるけど、幸いなことに羨ましいと思ったことは一度もない。

女性が仕事を持って活躍するのはおおいに結構。
生活力・経済力をつけることもいいことだと思う。
また、役割分担における専業主夫を否定している訳でもない。
それも大事な仕事だと思うし。
また、労働意欲を持って行動しているにも関わらず仕事に就けない場合や、心身を患って仕事ができない場合も仕方がないだろう。
私はただ、働けるのに働かず、自分ばかり楽をして平気で女性に生活の負担を強いる根性に違和感と嫌悪感を覚えるのだ。

「そんな男は、さっさと捨てちまえばいいのに!」
楽な暮らしでもない中でヒモを抱え続ける女性に、私はいつもそう思う。
しかし、ヒモの始末はそう簡単にできないのが女心というものらしい。
ま、それが女性のいいところなのかもしれない。


とあるアパートの一室。
私は、まだ見ぬ現場に胸を騒がせ、玄関のドアノブに手をかけた。
まず始めに私を出迎えてくれたのは、いつもの腐乱臭と玄関ドアの金具からブラ下がる紐。

「そういうことか・・・」
死因は聞かされていなかったけど、だいたいのことは想像できた。
通常は、ドア金具に紐を掛ける用はないはず。
輪っか状にかけられた紐は、故人が何をしようとしていたのかをハッキリ示していた。
しかし、強度が足りなかったのか、サイズや高さが合わなかったのか、その紐は故人の用に足りなかったようだった。

腐乱汚染痕は部屋の中、ベッドマットと床に半々にあった。
そして、その周辺には腐敗液にまみれた大量の錠剤が散乱していた。

「薬で死ぬにはコツがいるらしいけどな・・・」
自殺と決めつける必要はないのに、私は、それ以外の死因を考えていなかった。

「これで、ホントに楽になれたのかな・・・」
軽い溜め息をつきながら、床の汚染痕をジックリと観察した。

「故人は男・・・多分、俺と同じくらいの年代だな・・・」
部屋に置いてあるものから、故人は働き盛りの男性であったことが伺えた。

「コイツら・・・」
腐敗液をタップリ吸った汚妖服の陰には無数のウジが潜伏。
連中は、私の視界から逃れようと必死で這い回った。

「今は相手にしているヒマはないんだよ」
とりあえずの現地調査だけだった私は、逃げるウジは追わずに放っておいた。

「これじゃ、人が死んでなくても住めないな」
風呂・トイレ・キッチンの汚れ方はハンパじゃなく、あちこちに弁当・インスタント食品・ペットボトル等の生活ゴミが散乱。
故人の荒んだ生活が目に浮かぶようだった。


この現場の処理を最初に依頼してきたのは不動産管理会社。
現場調査を終えた私は、担当者と風通しのいい外で今後の打ち合わせを始めた。

「亡くなったのは○歳ぐらいの男性ですよね?」
「ええ、○歳だと聞いてます」
「死因も聞いてます?」
「いや・・・特に・・・」
「あ、そうですか・・・」
「何か?」
「いや・・・別に・・・ちなみに、当方の費用を負担される方はどなたになりますか?」
「それは、この部屋の契約者です」
「はぁ・・・契約者・・・でも、亡くなった人が契約者じゃないんですか?」
「そーなんです!違うんですよぉ・・・混み入った事情があったみたいで」
「そうなんですか・・・で?」
「あ、契約者は亡くなった人と同居していた人です」
「〝元同居人〟ということですか・・・」
「数ヶ月前、彼氏(故人)を置いて出てっちゃったみたいなんですよ」
「ということは、女性ですか?」
「そうです・・・恋人だったんだと思いますよ」
「・・・」
「家賃と水道光熱費だけは契約者が払い続けていたみたいですけどね」
「へぇ・・・そうなんですか・・・」

そんな話を聞いて、私の中に一つのストーリーができあがった。

ここにいたのは、生活力のない男性と生活力のある女性のカップル。
社会的な信用も金もない男性は自分名義ではアパートも借りれず。
女性名義で借りたのか、後から女性のアパートに転がり込んだのか、二人はここで同棲生活をスタート。
始めのうちは、それなりに楽しく生活。
しかし、少しすると人生の限界が見えてきた。
女性は、男性の口車に乗せられたフリをしながら自分の理性見つめ、将来の不安と格闘。
ただ、どんなに前向き考えようと努力しても明るい将来は描けず。
結局、女性は、いつまでもウダツの上がらない男性の道連れになって沈んでいく人生を拒否。
男性を置いてアパートを出て行った。
片や、養い主を失った男性はいきなり生活苦の壁に衝突。
自分なりの哲学があったのか、思い通りにならない人生に失望したのか、生活苦に耐えきれなかったのか、はたまた自分を捨てた女性への腹イセか、自分を認めない世間への復讐か・・・自らの手で人生の幕引きを図ったのだった。


依頼者の女性とは、後日あらためて会うことになった。
いつものごとく約束の時間より早く到着した私は、女性の到着を待った。
女性とは、作業内容や費用を打ち合わせる必要があったのだが、複雑な事情を知ってしまっていた私は、どんな顔をして話をすればいいものか考えあぐねていた。

「死因については触れない方がいいだろうな・・・」
「プライベートな事情は聞いてないフリをしようかな・・・」
「泣かれたらどうしよう・・・」

しかし、そんな心配をよそに、実際に現れた女性は・・・

つづく






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闇の中の人

2007-10-02 17:37:30 | Weblog
夜の暗闇って、不気味でもあるけど、考え方によっては妙に落ち着くものでもある。
顕著な例は、就寝時。
一日を終えて眠りに就くときの暗闇は、格別に落ち着く。
静かな暗闇の中に身を委ねると、一時的にでも生の苦労から解放されるから。

かつての私は、暗闇が大の苦手だった。
何か恐ろしいものが潜んでいるような気がして仕方なかったのだ。
その〝恐ろしいもの〟の終局にあるのは〝死〟。
暗闇は、死を象徴するものだから恐怖感を覚えていたのかもしれない。

でも、いつの頃からか私は暗闇をそんなに苦手にしなくなった。
精神が強くなっているのか神経が麻痺しているのか、または、〝死〟は無闇やたらに忌み嫌うべきものでもないことがわかってきたからか・・・そのハッキリした理由は自分でも分からない。


「急いで来てよ!」
電話をしてきたのは、不動産管理会社の担当者。
事の前後・脈略を無視して話を続ける様に、かなりの動揺と苛立ちが伺えた。

「警察の立ち入り許可はでてますか?」
「立ち入り許可?そんなのがいるの?」
「それがないと部屋に入れませんから・・・」
「そんなこと知らないよ!何とかしてよ!」
「とりあえず、警察に問い合わせてみて、それからまた連絡下さい」

そんな状況で、その時の電話は終えた。
同じ依頼者から電話が入ったのは、その日の夕方になってからであった。
「警察から立ち入り許可がでたよ!事件性はないらしいんで急いで来て!よ」
「わかりました・・・とりあえず現場に向かいますね」
私は、依頼者に対して、最初の電話では気づかなかった自己中心的な横柄さを感じながら電話を切った。

現場に到着した頃、外は既に暗闇に覆われていた。
現場は賃貸の1Rマンションで、依頼者である不動産管理会社の担当者は私より先に来ていた。

「お待たせしました」
「遅いよ!」
「あ、スイマセン・・・」
「はい、鍵!○階の○号室!」
「はぁ・・・」

電話で感じた依頼者のキャラクターは間違っていなかった。
発する言葉は全て命令形。
常用の下請業者と混同しているのか、私を完全に下に見ているようだった。

人間関係に必要なマナーを持たない人は、どの世界にもこんな人がいることは承知している。
ひょっとしたら、ある場面では知らず知らずのうちに自分がそんな人間になっていることだってあるかもしれない。
ただ、私は、この現場で一方的に指示・命令される立場でもなくその筋合もなかった。

「○号室ですか・・・じゃ、一緒にお願いします」
「一緒に!?なんでよ!」
「Before.Afterをどちらも確認してもらっとかないと困るんです」
「・・・」
「あとで間違いがあるといけないんで」
「そりゃそうかもしれないけど・・・」
「さ、行きましょう」
「・・・」
「行きたくないなら仕方ありませんが・・・」
「・・・」
私が放った軽いジャブが効いたみたいで、依頼者は横柄な態度をおとなしくさせた。
そして、黙り込んだ。

「ジッと考えてても仕方がないんで、とりあえず見るだけ見てきますよ」
怖じ気づいた顔の依頼者につまらない優越感を持ち、私は一人で現場に向かった。

「こりゃ、かなりイッてそうだな」
玄関からは腐乱臭がプンプンと漂っており、中の熟成が進行していることが伺えた。

玄関を開けてまず目に飛び込んできたのは暗闇。
私は、薄っすらと入る外からの明かりを頼りに、壁に電気スイッチを探した。

「あれ?」
電気はつかなかった。

「ブレーカーかな?」
玄関を入ってすぐ頭上にブレーカーはあった。

「ヨイショっと・・・あれ?」
レバーを上げても電気は通らなかった。

「料金滞納だな・・・完全に止められちゃってるよ」
部屋の電気は完全に止められているみたいだった。

「これじゃ、仕事にならないな」
私は、玄関から先に進むのはやめて、一旦退出した。

「あれ?もう終わったの?」
「いや、電気が点かなくて中が見えないんですよぉ」
「え?点かない?ブレーカーが下がってるんだよ」
「ダメです・・・上げてみましたけど・・・」
「ダメ?そんなはずないよ!ちゃんと見たの?」
「電気料金滞納で、止められちゃってるんだと思いますよ」
「何とかならないの!?オタク、専門の業者だろ?」
「・・・」
「チッ!しょうがねーなー!」

依頼者は、不機嫌そうに舌打ちをした。
態度にださなかっただけで、私の方もとっくに気分を害していた。

「とりあえず、懐中電灯で見てみますよ」
私は、車に常備している懐中電灯を手に、再び部屋に向かった。

同じ暗闇でも、必要であれはいつでも明かりが点される状況と、いくら必要でも明かりが点されない状況とでは、その心細さが違う。
私は、それを客観的に自覚しながら、玄関を開けた。

「俺も神経がズ太くなってきたなぁ・・・それとも、神経がイカれてきたのか?」
中に入っても平常心はキープされたまま。
現場への恐怖感が少ない自分こそが不気味に思えるくらいだった。

「どれどれ」
まず始めに、懐中電灯を部屋全体に巡らせて、全様を確認。
家財や生活用品の量は多く、床には足の踏場もないくらいにゴミが散乱していた。
それから、汚染箇所と思われる場所を探した。

「あ゛ー、あそこだな」
警察がやっていったのだろう、部屋の中央に毛布が広げられているところがあり、その下が汚染箇所だと思われた。
私は、ゴミを踏み越えて毛布に近づき、その端をつまみ上げた。

「やっぱりな!」
予想通り、そこからは茶黒い粘液が出現。
懐中電灯の光に反射する様が、不気味さを増長させていた。

現場を確認し終えた私は、悪臭を携えて依頼者の元へ戻った。

「オタク、臭くない?」
「このニオイで、部屋の中がどんなになってるか想像できますでしょ?」
「・・・」
「だいぶ深刻ですよ」
「掃除するよね?」
「電気がないから厳しいです」
「それじゃ困るよ!何とかしてよ!」

依頼者の態度と口調は相変わらずで、寛容さを持ち合わせていない私の忍耐力は決壊寸前まできていた。

依頼者が特掃作業を急ぐ理由は近隣住民の苦情にあった。
噂が噂を呼び、マンション全体が大騒ぎ。
それを抑えるために依頼者は、〝今日中に何とかする〟と大見栄を切ったらしかった。

「やれる方法としては・・・」
「方法があんの?
「・・・懐中電灯ですかね」
「それいこ!それ!」
「ただ、大変なんですよ」
「大丈夫!仕事だろ?」
「あと・・・」
「あと?」
「一緒に入って私の手元を照らしてくれる人が必要です」
「え゛?・・・」
「でないと無理です」
「・・・」
「どうします?」
「・・・」
「ま、無理する必要はないですが」
「・・・と、とりあえず、玄関まで行ってから考える・・・」

消沈した声に、依頼者の深刻な心境が表れていた。
そして、その表情は、玄関に近づくにつれ強張っていった。

二人で玄関前に立つと、私はおもむろにドアを開けた。
同時に、中からは強烈な悪臭パンチが炸裂し、依頼者の鼻をブン殴った。

「グエーッ!」
依頼者は、言葉にならない悲鳴を上げたかと思ったら、逃げるように外へ走っていった。

「グホッ!ゲホッ!」
パンチは腹にまで効いたらしく、依頼者は苦しそうに咳込みながら〝降参〟をジェスチャー。
結局、その夜はそれ以上のことはできないまま退散となった。


翌日、特掃作業の日。
約束の時間に現れたのは前夜の依頼者ではなく別の担当者だった。

「昨夜の○○さんは?」
「急に体調を崩したらしく、今日は休ませてもらってます」
「え?そうなんですか」
「昨日はピンピンしてたんですけどね」
「昨日の夜も元気でしたよ・・・帰り際までは」
「はぁ・・・そうでしたかぁ・・・」
「ま、とにかく〝お大事に〟とお伝え下さい」

人の不幸を笑ってはいけないけど、どうしても頬が緩んでしまう闇の中の私だった。






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