特殊清掃「戦う男たち」

自殺・孤独死・事故死・殺人・焼死・溺死・ 飛び込み・・・遺体処置から特殊清掃・撤去・遺品処理・整理まで施行する男たち

昨日は夢、明日は希望、

2024-11-17 04:37:58 | その他
我々は多くの糧を得て命を保っている。
そして、糧を失った時に、または失いそうになった時に不安に襲われ、落ち込む。


糧には色んなものがある。
何も、お金や食べ物だけではない。
人と人との繋がりや関わり、人間関係も大事な糧の一つ。
あと・・・夢や希望もね。


「人間は社会的動物」と言われるように、人は一人では生きていけないのだろう。
生まれた時から回りに人がいる私は、厳密に一人きりになったことがない。
ま、この社会にいる限りは一人きりになるなんて不可能だろう。
しかし、妙な孤独感に苛まれている人や、「自分は孤独だ」と思っている人は多いのではないだろうか。


以前にも書いたように、私は死体業に就く前の半年間を実家の一室に引きこもって過ごした。
半年という時間は、引きこもりとしては短い方だったのだろうが、当時の私は完全に世間と人を嫌悪していた。
「怯えていた」と言ってもいいかもしれない。


誰とも会いたくなく、誰とも関わりたくなく、一人きりでいたかった。
学生時代の友人・知人はそれぞれの世界にあり、音沙汰のない私のことなんか気にも留めていなかったと思う。


私にとっては、夢も希望も笑顔もない半年だった。
「人生は疲れることばかり」
そう思っていた。


そんな私は、今でも「物理的に

ある程度満たされていれば、人間は一人でも生きていけるのではないだろうか」と思うことがある。
人間関係に疲れた時は特にそう。


ある人の仲介で、家財整理・廃棄の相談を受けた。
私は、とりあえず現場に出向いた。
老朽アパートの一室、部屋の主は初老の男性だった。
一人暮しの部屋は、かなり異様だった。
天気のいい昼間なのに、光がなかった。


男性が教えてくれた生活ぶりはこうだった。


昼間でも雨戸を閉めきり、外の天気や明るさとは無縁の生活。
外が明るいうちは外出することはなく、夜でも滅多に外に出ない。
風呂には入らず、時々、身体を清拭。
洗髪は、ポットの湯と洗面器を使って行う。
生活のパートナーは、もっぱらTV。
季節や時刻を知らせてくれるのもTVだけ。
人と関わることはほとんどない。


私は、ゴミ処分の見積りをするため、男性の要望を細かく尋ねた。
そんな会話の中で私が吐いた、「大変ですねぇ」というセリフに、男性は反応した。
そして、いきなり激怒し、私を怒鳴り散らし始めた。


「なんだ?この人は」
私は、驚いた。
そして、ムカついた。


私の吐いた同情めいた言葉が、気位の高い男性の勘に触ったらしかった。
「同情」ならまだよく、「見下された」「バカにされた」と思ったのかもしれない。


散々私に文句を言ったかと思うと、今度は私を罵倒しはじめた。
特に、その的は仕事。
一流ビジネスマンだったことを自負している男性には、仕事ネタが最も勝負しやすかったのだろう。


その昔、男性はそれなりの企業のそれなりのポジションでバリバリ活躍していたらしい。
男性は、輝いていた過去に縋って生きていた。
口から出るのは、昔の自慢話ばかり。
今現在の状況には目を閉じる。
自分を肯定し、他人を否定し続けていないと自分の存在そのものを維持できないようだった。


男性の一方的な話をしばらく聞いて(聞かされて)いた私だったが、段々と我慢ができなくなってきた。
私は、男性が依頼する仕事を断って帰ろうかと思った。


しかし、思い止まった。複雑な心境で。


この男性とは、表面的には違っているが、かつての私自身にも似たような心当たりがある。
今に輝きがなく、未来にも輝きが期待できない時には、過去の輝きにもたれかかって生きるしかなくなるのだ。


人は弱いもの。
きれい事を言うようだが、やはり、人が生きるためには人が必要。
どんなに小さなことでも、明日への夢と希望が必要。


夢とか希望って、自分の中で光るもの、人生を輝かせるものかもね。


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2006-09-26 18:24:39
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タイムリミット

2024-07-23 07:34:35 | その他
  • 日本人の死亡原因の一位は悪性新生物(癌)。
癌を煩ったことがある人、煩っている人、そして癌で亡くなった人を知人に持つ人はかなり多いと思う。
「自分自身がそう」という人もいるだろう。
数えてみると、私の身の回りにも、そんな人がたくさんいる。

世の中は今、空気も水も食べ物も、発癌性物質を避けては生活できないような残念な状況にある。

癌は人類の自業自得か?それとも宿命か?
人の力では癌細胞の発生を防ぐことはできないのだろうか。

私が扱ってきた遺体にも癌で死んだ人がかなりの人数いる。
科学的なデータとは異なるかもしれないが、それらの遺体は痩せ細っている上、腐敗速度が速いように思える。

余命宣告を受けた上での闘病生活は、どんなものなのだろうか。
一件一件の遺族と一人一人の遺体からは、それぞれの闘病生活が垣間見える。

故人は30代前半の男性。
痩せ細ったり髪か薄くなったりはしていなかった。
外見だけでは健康そうに見える故人で、遺族も泣いている人はいなかった。
遺族の話から読み取るに、本人と家族は色々な葛藤はありながらも余命宣告を受け入れ、病気と闘うのではなく協調する道を選んだらしい。
家族もかなり辛かったよう。
故人の死には涙することがなくても、辛かった余生(闘病生活)を振り返ると、おのずと涙がでてしまうようだった。
それだけで、その苦しかった日々とその心情が想像できた。

遺族の口からは、ただただ、病気の苦しみと死の恐怖と闘った故人を褒め労う言葉ばかりがでていた。

望まずして、死は本人と家族に平安をもたらす側面もある。
遺族は、心なしか、肩の重荷を降ろしたような穏やかな面持ちだった。

私は、何度か余命宣告を受ける悪夢にうなされたことがある。
死への恐怖から、突然跳び起きることがある。
そんな時は、決まってイヤな寝汗をかいている。
覚醒して夢だと分かり「助かった~」と喜びの感情が湧き上がってくる。

誰にとっても、余命宣告を受けるということはかなりの重圧がかかることだろう。
私の悪夢とは違い、今日もその現実と向かい合い、今日もその重荷を背負って生きている人が幾人もいる。

将来、私が癌になる可能性も低くはない。
そして、余命が測れるほどの末期症状に陥る可能性も充分ある。
私は、告知をしてほしいタイプの人間。
そうなったら多分、うろたえ、嘆き、泣き、極度の欝状態に陥るだろう。
それでも知らせてほしい。
この世を去るための後片付けをシッカリやりたいから。
苦楽を共にしたこの身体を労り、この感覚を充分に味わいたいから。

普段は「もっと背が欲しい」「もっと痩せたい」「男前の顔がよかった」等と自分の身体に不平不満・文句ばかりつけているけど、いざこの身体と別れなければならないとなると、とてつもなく愛おしい思いと懐かしい思いが湧き上がってきそうである。

軽率かもしれないけど、たまにはそんな境遇を空想してみて、自分の身体に感謝して、自分の身体を労ってみるといいかもしれない。

我々は皆、ある種の余命宣告を受けている身だ。
最期の時を具体的に知らされていないだけで。

最期の時は自分でも決められないもの。

自分の余命を意識して、残された時間をいかに燃焼させるか。
忘れてはならないのは、自分と愛する者のタイムリミット。
分かっちゃいるけど、ここが難しい。


トラックバック 2006/08/16 15:38:34投稿分より
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ちょっと待った!

2024-07-20 05:14:54 | その他
この記事を載せるか否か、迷いは残る。
無責任な思いであることも承知している。
薄っぺらい自論しか吐けない私には、他人の人生相談に乗れるほどの人格もなければ度量もない。
自分の人生に対する答も見つけられない私だし。
しかし、スルーできない性格の私は深く考えるのはやめて載せることにした。

世の中には、何故にここまで鬱の人や自殺を志願する人が多いのだろうか。
鬱病を明かす書き込み、自殺願望を示す書き込みが絶えない現実を見て、そう思う。
それでも、書き込んでくれるだけマシなのかもしれない。
私ごときでも、わずかながら反応できるから。

生命(寿命)に対しては誰だって無力。
自分の力で生命(寿命)を伸ばすことはできない。
人が自分の力でできることと言えば、せいぜい日常の健康管理をシッカリやっておくことくらい。
悲しいかな、人の力って所詮はそんなもの。
だったら、無闇やたらに力む必要もない。
社会性・経済力・年齢・名誉・世間体・人間関係・他人との比較etc、社会の基準に自分を合わせることに無理があるなら、社会の基準を捨てればいい(社会法規・道徳・モラルを捨てていいと言っている訳ではない)。

「天涯孤独・孤立無縁」「誰も心を打ち明けられる人はいない」と考えている人に限って、自分にとって意味のない社会基準に囚われているような感はないだろうか。
昔、「他人と比べるのではなく、過去の自分と比べろ」と叱責されたことがある。
これは私自身にも大きく言えることだけど、「自分は自分」なのだ。
社会の標準から外れていたって、他人に劣ることがたくさんあったって「自分は自分」。

「人は何のために生きるのか」と自分に問い、他人に訊いたことがある。
一部の宗教者や霊能者にはその答を持っている人がいるが、一般の人のほとんどは答を持たないまま生きているのではないだろうか。
かく言う私もその一人。

答が見つからないことをクヨクヨ考えて、何かいいことがある?
誰も答を知ることができないことを悶々と考えて、何か収穫がある?
それは生きるエネルギーを無駄に浪費することになりはしないだろうか。

こんなことを書きながら、かつての自分を思い起こす。
私も、かつて「死にたい」と思ったことがある。
そして今も、生きていることに疑問を持つことがある。

鬱状態・自殺願望を持った状態の人は、救いの手を握り返す力もない。
鬱状態に陥ると、人がどんなに優しく励ましてくれても、どんなにプラス思考を促されても、気持ちに響いてくることはない。
それは逆に、劣等感を感じたり、虚無感を助長させたり、余計なプレッシャーを与えることになる。
自殺願望を持つと、生存欲を持つ人とは明らかな温度差を感じる。
当時の私も、マイナス思考を捨ててプラス思考を身につけたかったのに、それができなかった。精神科の薬も効かなかった。
マイナス思考の人間をプラス思考の人間が救うことは至難の業。
その間を隔てる壁は高く、溝は深い。
その温度差は埋めることは容易ではない。
分かり合えると思っているのはプラス思考人間の一方的な感情だったりする。
それを承知の上での今日の記事。

自殺は悲惨なものだ。
自殺をする本人にとって悲惨なのではない。残された人にとって悲惨なのだ。
どんな事情があれ、本人は死にたくて(生きているのがイヤで)死ぬのだから、「悲惨」という言葉は似合わない。自分で選択した道だ。
生きているから悲惨な目にも合うわけで、生きていることの方がよっぽど悲惨だ。
でも、その悲惨さを残される人に全て背負わせていいのか。
しかも、何倍もの重荷にして。
残された人が以降どんな目に合うか、どんな人生を歩まされることになるか想像してみてほしい。

残された人のことを考える余裕がないことも少しは分かる。
自分が死んだ後のことなんか知ったことではないと思う気持ちも少しは分かる。
それでも私は、とにかく、残される人のことを考えてくれることを懇願する!

心当たりのある貴方!
一方的かもしれないけど、私は貴方のことを言っているのだ。

「死ぬのはやめた!」
そんな書き込みを待っている。


トラックバック 2006/08/13 14:51:42投稿分より
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2024-07-02 04:55:27 | その他
今日で7月も終わり、今年の夏も後半に入る。
今年の梅雨は、前半が空梅雨で後半は長雨。
東京では、昨日やっと梅雨明けしたらしい。
毎月末には過ぎたカレンダーを破り捨てるのが私の習慣。

このひと月を思い返してみると、特掃業務に追われる毎日だった。
しかも、インパクトのある内容のものが多かった(だいたい、いつもインパクトはあるけど)。
早速にでもブログに書きたい案件もあったが、現場が特定されないような配慮が必要なため、ネタとしてはしばらく寝かせておかざるを得ない。
と言う訳で、私の書く現場ネタは、しばらく寝かせておいたものがほとんど。
鮮度は落ちているかもしれないけど、腐敗ネタには鮮度も何も関係ないか(笑)。

きっちりと自分の中で線を引いている訳ではないけど、死人は人間の形をとどめているモノとそうでないモノでは気持ちが全く違う。
分かり易く説明すると、人間の形をしている死人に対しては極めて人間的に接し、そうでない死人に対してはただの物体として接するのである。
みんな同じ人間なのに、「腐っているのと腐っていないのとでは、こんなに気持ちが異なるものか」と我ながら不思議に思う。
それが正しいことなのか、正しくないことなのかは分からないけど、死体業をやっているうちに自然とそういうスタンスになってしまった。
私は、そういう冷酷?不躾?な一面も持っているのである。
ただ、この世で負った責任を果たすのみ。それだけで精一杯。

「遺体の尊厳」について展開される議論を見聞きしたことがある。
「グリーフケア」に興味を覚えた時期もある。
しかし、現実に起こっていることは机上論とは遠くかけ離れたもの。
きれい事では済まされない。
人が持つ卑しい部分が分かり易いかたちで曝け出されることもある。
まさに「地獄の沙汰も金次第」と思えるようなこともある。
腐敗現場は議論によって片付くものでもなく、遺族も理屈によって癒されるものでもない。
ましてや、死んだ人間が机上論でうかばれることも考え難い。
所詮は、コノ世の人間がどんなきれい事を吐いても、アノ世の人間のことをどうすることもできないということ。

腐乱現場に行くと、遺族に対しても「これは、ヒドイですね」「自殺ですか?」等といった、無神経にも聞こえる言葉がでてくる。
気持ち悪いときは驚嘆の声を上げるし、作業はキツイときは苦渋の言葉を吐く。
腐敗液などは私にとってはただの汚物、人ではない。
亡くなった人と目の前の汚物は物理的には同一でも、私の心情的には全くの別物。
そうは言いながらも、「汚物=故人」という概念も時々は顔を覗かせる。
腐敗液を拭きながら「もうちょっと早く見つけて欲しかったね」とか、腐敗粘土をすくいながら「今、俺がきれいにしてやるからね」とか、自殺痕を始末しながら「何で自殺なんかしちゃったの?」とか思ってしまう。霊感もないのに。
んー・・・この心情を文字にするのは難しい。

私に夏休みなんかない。
社会人になってから、夏休みなど言うものも取ったことがない。
仕事がない時が休み。
過ぎ去る7月のカレンダーを眺めながら、「明日から8月か・・・海にでも行きたいなぁ」と呑気なことを考えている。自分にも刻一刻と死に近づいていることを忘れて。


トラックバック 2006/07/31 09:52:08投稿分より
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暑中お見舞い申し上げます

2024-06-15 05:56:21 | その他
私のブログも何のお陰か二ヶ月続けることができた。
訳あって現在は非公開にしている読者からの書き込みは、それがどんなに短い文章でも、学ぶこと、感じることがある。
精神的にも支えられている部分がある。感謝である。

過ぎていく時間のスピード感は、その時々によって違う。辛く苦しい時は長く感じ、楽しく幸せな時は短く感じる・・・そう感じる人も少なくないのではないだろうか。
かく言う私もその一人。
特に、最近は時間の経過を早く感じる。・・・と言う事は、今の私は幸せなのだろうか(?)。
時に、「長生きしたい」と思ったり「長生きしたくない」と思ったり、また、「死にたくない」と思ったり「死にたい」と思ったり。
少しでも命を永らえようと重い病気と必死に闘っている人もいれば、自ら死を選ぶ人もいる。
こんな仕事をやっていると、いやでも自分なりの死生観というものができ上がってくる。

読者からの書き込みに、私の文章力を誉めてくれるものが少なくない。
その裏腹に、私は読書がかなり苦手だし自分でも文才があるとは思えないのだが、誉められると素直に嬉しい。
ちなみに、書いている内容・文章は一語一句、間違いなく私自身が書いているものであって、俗にいうゴーストライターがいる訳ではない。
たまに誤字や脱字、文法的におかしい点もあると思うが、まぁ、それもご愛嬌。
時間があるときに、思いつくままを書いているもので御容赦を。

ただ、ホームページにアップロードしているのは私ではない。
「アナログ人間」と自称している私がそんなテクニックを持っているはずがない。
では、誰がやっているかというと、当初、私にブログを書くように提案した同僚である。
今は、本ブログ運営には欠かせない相棒みたいな存在なので、ここでは「管理人」と呼ぶことにしよう。
私は、Word打ちした文章を、その同僚宛にメールし、その同僚が毎朝アップしてくれているのである。
だから、アップする時間もその同僚次第(その時刻で管理人の出勤時間が分かる)。

「ブログは毎日更新した方がいい!」と提案したのも管理人。
当然、アップロードは会社でしかできない。
私を甘く見ていたのか、勝手に休刊日を作るとでも思っていたのか、私が休まず記事を送るものだから、それを毎朝アップせざるを得ない彼は会社を休めなくなっている(笑)。
休むとしても、朝は一旦出社してからの早退。
世に中で、私のブログが停止するのを一番望んでいるのは管理人かもしれない。
もっとも、私に妙な仕事を押し付けた訳で、自業自得?
本人は、この記事を読みながらアップロード作業をやる訳で・・・今、複雑な心境だろうな(笑)。

私はPC操作も低レベル。
恥ずかしながら、Excelもマトモに使いこなせない。
世の中のIT化にはかなり乗り遅れてしまっているけど、それで仕事に支障がある訳でもない。
だって、Excelを使えば腐敗液がよく落ちる?
何かをダウンロードして持って行くと、悪臭が緩和される?
そう言ったもんじゃないでしょ(笑)。

また、「本にしたらいい」「書籍化したら売れる」等という話も少なくない。
何事も他人様に評価してもらえることは嬉しいのだが・・・。
当然のことながら、書籍化を提案してくる出版社・編集者はビジネスとして持ってくる。
そして、そういう商行為が悪い訳でも嫌いな訳でもない。
ただ、こんなブログを書籍化することで、世間にいいことがあるのかどうかが見極めきれていない。

このブログを開設した当初は、やたらとテレビや雑誌の取材依頼や書籍化の提案が多く来た。二ヶ月経過した現在は、少し落ち着いている模様。
会社側の判断で取材依頼の多くは断っているようだが、どちらにしろ私自身が取材に応じることはない。そして、これからもそのつもり。
世の中の流れは速い。
そのうち時間が経てば、世間から飽きられるかもしれないしね(笑)。

唯一、「書籍化してもいいかな・・・」と考えられる条件があるとしたら、それは、本の売上金を、親を失った子供達を損得抜きに支援している団体等に寄付するというもの。
ということは、当然、出版社・編集者側は赤字出版ということになるが、それでも志を同じくしてくれる会社があるなら書籍化の話に乗りたいと思う。
当然、私も、手間は惜しまないし、一円たりとも懐に入れるつもりはない。
ま、今の時勢で、そんな度量のある出版会社はない?

私だってお金は欲しい!
しかし、私の正業は物書きではないので、お金が欲しければ自分の正業を頑張るしかない。
下手に副収入でも入ろうものなら、欲深い私なんか銭の力で簡単に骨抜きにされてしまう。
でも、そんなお金を使って、幼くして事故・病気・自殺などで親を失った子供達の役に立つことができれば、何と幸いなことか。

・・・「獲らぬ狸の皮算用」は、これくらいにしておこう。


私は、自分のブログだからといって、何でもかんでも好き勝手に書けばいいと言うものではないと思っている。
くだらないジョークを盛り込んだり、つまらないオチをつけたりして、結構好き勝手に書いていると思われているかもしれないが、私が扱うネタの真実はかなりデリケートなもの。
文章から個人が特定できないような工夫も欠かせない(実は、ここに結構な神経を使っている)。
もちろん、フィクションにならない程度に。
本当はもっと深い部分まで書きたいのだが、現場や個人が特定できないまでに抑えざるを得ないため、読者に思いを伝えきれないもどかしさを覚えることも少なくない。
ま、これは仕方がないことなのだが。

どうしても、掘り下げて書きたいネタがあるときや、当該人物が明らかに「自分のことを書いているな」と分かるような文章を書く時には、事前にブログ掲載の許可と文章のチェックをしてもらっている(実際の数は少ないけど)。

また、過去の作業依頼者が私のブログを読んだとしても不快な思いをさせない配慮も大事。
自分のことを書いてないとしても、「こんな奴に仕事を頼んで失敗した」とは思われたくないのでね。

お分かりのことと思うが、この仕事は毎日決まった場所で決まった数が発生する訳ではない。極めて不規則かつ不安定な特徴を持つ。
特殊清掃がないときは、遺体搬送やエンゼルケア(遺体処置)もやっている。
自慢にもならないが、私は遺体がらみの仕事は何でもやる(できる)便利な人間なのである。


暑い夏の現場作業はキツイ!!特に、私が主に担当する特掃業務は!!
更に、皮肉なことに暑い夏に特掃の依頼は多く舞い込む。
特殊清掃・戦う男達は、今年の夏も暑さに負けず熱い戦いを繰り広げる。
(・・・夏の甲子園じゃないんだから、ちょっとカッコつけ過ぎ?)



トラックバック 2006/07/16 08:48:42投稿分より

-1989年設立―
特殊清掃専門会社
ヒューマンケア株式会社

お急ぎの方は
0120-74-4949
(365日24時間受付)


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嫌な見積予約

2024-05-03 16:10:31 | その他
当社は、24時間365日、電話受付をしている。仕事の問い合わせ・依頼がほとんどで、あとはどうでもいい営業電話だったりする。そんな中で、たまに自殺志願者が電話をしてくることがある。
ある日の夜遅い時間に、年齢不詳・女性からの電話が鳴った。「飛び降り自殺の現場の清掃はいくらくらいかかりますか?」
話の内容から、てっきり特殊清掃の「見積依頼だな」と思った・・・が、違っていた。
「現場によって作業内容や費用は異なるので、実際に現場を見させていただかないと金額はだせないんですよ。」と、いつもの応え。
現場の場所や状況を質問したところから話が変わってきた。
「実は、これから飛ぶところなんです。」とその女性。「えッ?」」と絶句する私。
本音を言うと「嫌な電話にでてしまったなぁ」と後悔した。
無責任に「自殺はやめた方がいい」と言うのは簡単だが、本人にしても、死体業を長くやっている私にとっても自殺を考えることはそんな単純なものではない。決してきれい事や上っ面の同情心、ましてや自殺志願者を救済したなどという美談なんかじゃ片付かない複雑で深刻な問題なのである。特に、本人にとっては。
でも、関わってしまった以上は、自殺はしてほしくないと思った。
同時に、「彼女の人生に無責任に立ち入ることが正しいことか?」という疑問も持った。
でも、ことは急がなければならない。
きれい事は抜きにして、「とりあえず、飛び降り自殺や電車への飛込みはやめた方がいい」「その死に方は現場も悲惨だし、残された遺族や他人様に多大な迷惑をかけることになる」とアドバイスになっているようななっていないような話をした。
もちろん、机上論ではなく、そんな現場の後片付けをしてきた自分の経験を踏まえて話したから、少しは説得力はあったと思う。
その後も色々な話をしたが、社会には私の仕事を蔑んでいる人も多いけど、それに耐えながらも開き直って生きている自分の話をしたりして、何とかその場は思い留まらせた。
その後、彼女がどうなったかは知らない。知りたいような知りたくないような心持ちである。
少なくとも、生きていてほしい。それは彼女のためじゃなく、そんな相談を受けざるを得なかった私のために。


トラックバック 2006/06/02 投稿分より

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厚顔無恥 ~前篇~

2020-06-30 08:30:37 | その他
外出時のマスク着用が当然のエチケットになっている今日この頃。
一時のマスク不足は解消され、街でもフツーに購入できる。
結局のところ、やっと届いたアベノマスクも用をなさず。
“かかった大金が、もっと有効に使われていたら”・・・と思うと、何とも歯痒い。
自分の努力や忍耐力ではどうにもできないところで困窮している人がたくさんいるのだから。

そんなアベノマスクが可哀想になるくらい、既に、市中には多種多様なマスクが出回っている。
で、昨今は、冷感マスクとか、暑さに強い素材のもの、また、呼吸がしやすいものが注目されている。
人気商品になると、ネットでも店頭でもなかなか手に入れることができない。
私は、ずっと不織布の使い捨てマスクを使っているけど、汗で濡れると、鼻口に貼りついて まともに呼吸ができなくなってしまう。
で、たまにポリエステル製のモノを使っている。
もちろん、ネット弱者のうえ、店に並ぶヒマもないから、その辺の量販店で売っている安物を。
それでも、不織布に比べると、随分と快適である。

しかし、疑問もある。
それは、マスク本来の機能。
「呼吸が楽」ということは、フィルター機能が弱いのではないだろうか。
いくら呼吸が楽でも、涼しくても、ウイルスが筒抜けではマスクを着ける意味がない。
顔が暑くなるのは困るけど、ウイルスが通り抜けてくるはもっと困る。
頻繁に流れるマスク紹介のニュースは、快適性やデザインばかり注目し、肝心のウイルス対策の機能についてはほとんど触れない。
取り扱っている会社は一流企業も多く、「金になればそれでいい」「売れればいい」等とは思っていないはずだけど、品質や機能についてもキチンとした説明がほしい。
ま、そこのところは、価格とのバランスもとらなければならないのだろうから、各メーカーの良識に任せるとして、この辺で、“顔が暑い”話から “ツラが厚い”話に移ろう。


見積調査を依頼された現場は、老朽アパートの一室。
用向きは家財生活用品の片付け。
間取りは1K。
暮らしていたのは70代の男性。
長患いの末、病院で死去。
その住まいには、古びた家財だけが残されたのだった。

依頼者は故人の弟。
アパートの賃貸借契約の連帯保証人。
「いくらかかる?」
「見積は無料なのか?」
と、当初の電話は金銭的な質問ばかり。
早い段階から“金銭にシビアな人物”ということが見て取れ、
“ただの冷やかしじゃなきゃいいけどな・・・”
そう思いながら、私は、依頼者の質問に応えた。
ただ、“できるだけ費用は抑えたい”と、何事においてもそう思う庶民感覚は充分に理解できる。
私の気に障ったのは金銭的なことではなく、男性の態度と その口からでる言葉。
フレンドリーなタメ口ならまだしも、偉そうなタメ口。
声からして明らかに私の方が年下で、暫定とはいえ、男性は“客”で私は業者。
それでも、私は、初対面の人間にタメ口をきくような礼儀を知らない人間は好きではない。
相手の心象なんかお構いなしに、デカい態度でタメ口をきく男性に、強い不快感を覚えた。

どの世界にも、まだ客になってもいないうちから客面する人間はいる。
私の業界でも珍しくなく、そこら辺は割り切らないと仕事にならない
で、男性は、現地調査の日時も一方的に指定。
多くの依頼者は、希望の日時を持ちながらも、こちらの都合も聞いてくれるのだが、男性に私の都合なんか関係なし。
この類の人間には社会通念は通用しないことが多い。
余計なことをいうと話がこじれて無駄に長くなるだけなので、私は、男性の指定した日時に素直に応じ、現場に出向く約束をした。

日時が決まったら、次は場所の確認。
現場の住所を訊ねると、男性は「○○区○○町○丁目○号○番地」と返答。
建物名を訊ねると、「何だったっけなぁ~・・・思い出せない・・・古いアパートの2Fだから来ればわかるよ」とテキトーな返事。
ただ、今はカーナビも高性能だし、スマホの地図アプリも使える。
その昔、私がこの仕事を始めた頃は、カーナビやスマホはおろか、一般人は携帯電話さえ持っていなかった時代。
当時は、ポケットベルと縮尺100万分の1地図でフツーに仕事をしていた。
それが当り前だったわけだから苦も無くやっていたけど、それに比べれば全然マシ。
番地までわかれば目的のアパートは難なく探せるはず。
現地で待ち合わせることができればいいだけのことなので、アパート名は不明のまま電話を終えた。

約束の日、私は目的の住所に出向いた。
幹線道路に面した場所で、近くに駐車場はなく、私は離れたコインPに車を停めて、そこから歩いていった。
しかし、教えられていた場所に、それらしき老朽アパートは見当たらず。
ただ、その周辺には何棟かのアパートが建っていたので、“このうちのどれかだろう”と思って、約束の時刻が近づくまで待機。
そして、前触れもなく遅刻するのは失礼なので、約束の時刻の10分前になって男性に電話をかけた。

「今、近くにいるはずなんですけど、どのアパートですか?」
すると、
「俺も、今、来たところ」
とのこと。
しかし、その周辺にそれらしき人影は目につかなかった。
それで、私は、建物の色や特徴、更には周囲の景観を訊ねた。
相変わらずの言葉づかいが気に障らなくはなかったけど、それよりも、男性が説明するアパートの特徴も、周辺の景色も、私がいる場所と噛み合わないことが気がかりに。
どうも、まったく別の場所にいるようだった。

そこで、教えられていた住所を再確認。
すると、「○丁目○号○番地」の「○号○番地」の部分が違っていた。
紛らわしい数字ではあったが、明らかに男性のミス。
しかし、男性の誠実性を疑っていた私は、男性が私に濡れ衣を着せようとすることを予感。
当然、そんなことされたらたまらないので、
「確か、“○丁目○号○番地”っておっしゃってましたよね!? メモを復唱して確認もしましたし!」
と、間髪入れずに先手を打った。
そう言われた男性は、自分が間違っていたことを認めざるを得ず。
だが、しかし、
「とにかく、○丁目△号△番地だから、そこに来て!」
と、悪びれた様子もなく、これまた一方的に指図してきた。

当然、私はムカッ!ときた。
ただ、仕事は仕事で進めなければならず、抑えきれるくらいの苛立ちを覚えながら、私はスマホを再検索。
画面に映された地図を凝視し、そこまでのルートを目で追った。
もともと、“○丁目”まで同じなわけで、新しく示された場所はそこから数百メートルのところ。
わざわざ車を使うほどでもなく、私は、そのまま歩いて訂正された住所へ向かった。

目的の番地には、ものの数分で到着。
しかし、そのエリアには、アパートらしき建物がまったく見当たらず。
先程とは違い、隣接する番地にもアパートはなく、町工場やオフィスビルが建ち並んでいるだけ。
更に、その周囲は道路や空地。
それ以上 探しようがなかった私は、再び男性に電話をかけた。

「今、教えられた番地にいるんですけど、この番地は、会社の事務所になってますけど・・・」
すると、
「そんなはずないよ! ちゃんと探してんの?」
とのこと。
ただ、私がいる場所周辺に住宅はなく、どこからどう見ても違っていた。
で、その地域は、町名の前に「西」がつく町もあるところもあることに気づいた私は、
「もしかして、○○町じゃなく、西○○町の間違いじゃないですか?」
と問いただした。
しかし、男性は
「間違ってないよ! 周りをよく見てみなよ!」
と、私の話もろくに聞かず、そう言い張った。

そうして問答することしばし、男性のもとにアパートの大家が現れた。
男性と話していてもラチがあかないと思った私は、大家に電話を代わってもらった。
そして、アパートの周囲に目印になるようなモノがないか尋ねた。
が、やはり大家とも話が噛み合わず。
ただ、大家はすぐにピンきたようで、
「もしかして、あなた、○○町にいるんじゃないの!?」
「うちは西○○町ですよ!?・・・西!○○町○丁目△号△番地です!」
と、少し呆れたように、真正の場所を教えてくれた。

やはり、町名が違っていた。
“やっぱりそうだろ!?”
“だから、何度も確認したんじゃないか!!
“それを、ロクに確認もせず、偉そうに言い張って!”
私が湧いてくる不満を収めきれず、内心でブツブツ。
大家から男性に電話を戻してもらい
「やはり、町名が違っていたみたいですよ!」
と、嫌味を込めつつ、男性に非があることを理解させようとした。
それでも、男性は平然。
「とにかく、さっきから待ってるんだから、はやく来てくれる?」
と、詫びの言葉一つも入れないで、まるでケンカを売っているかのような言葉を返してきた。

当然、私はムカムカッ!ときた。
それでも、一仕事が待っている身。
約束に時間に遅刻してしまうことは避けられなかったけど、こんな時こそ、焦らず、慌てず、イラつかず、冷静に行くことが大切。
私は、二~三度 深呼吸して後、“もしかしたら、このまま歩いて行けるかも”と期待を込めてスマホを検索した。
しかし、残念、画面はやたらと長い道程を表示。
真の場所は、そこから3kmばかり離れていた。
ウォーキング好きの私でも30分はかかる。
私は、徒歩で行くことを諦め、離れたところに停めていた車のもとへ。
無駄になった駐車料金を精算して、再び車に乗り込んだ。

やっとのことで現場アパートに到着した私。
自分に対しても人に対しても時間にうるさい私は、結構なストレスを抱えていた。
結局、最初の約束時刻から30分の遅刻。
現場には、大家をはじめ、管理会社の担当者も来ていた。
待たされたことに不満を覚えていたのか、男性は外にでてタバコを小刻みに吹かしていた。
私に非がないことは明らかだったが、立場上、私の方から頭を下げた。
一方の男性は、頭を下げるどころか、例によって詫びの言葉ひとつもなし。
当り前のような顔で、「ちょっと見てくれる?」と二階の部屋を指差し、私を急かした。
その厚かましい態度に、当然、私はムカムカムカッ!ときた。
が、そこは仕事場。
“我慢!我慢!”と自分に言いきかせ、内心を表に出さないように気をつけた。

しかし、そんなストレスをよそに、男性の厚顔無恥ぶりは、とどまるところを知らず。
この後、さらにエスカレートするのだった。
つづく




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梅雨の晴れ間に

2020-06-12 08:32:10 | その他
本格的な夏を前に、蒸し暑い日が続いている。
関東圏も梅雨に入り、いよいよ、昨日からは空も曇雨気味。
毎年のこととはいえ、その不快感はなかなかのもの。
更に、今年は、コロナ雲まで垂れ込めていて、もともと鬱持ちの私の精神は、ちょっとしたことでどんよりしてしまう。
このところも、決して調子はよくなく、できることなら、涼しい部屋で、一日中 静かに横になっていたいような気分。
しかし、こんな状況でジッとしていても、状況が良くなるはずはない。
適度な運動と日光浴は鬱の改善に役立つらしいし、いつものコースには、例年通りの紫陽花がきれいに咲いている。
だから、こんな時は特に、奮起して外に出て、四季折々の草花を愛で、朝昼夕の風を感じ、生まれてくる前から変わらない空気を吸い、空の光を浴びながら身体を動かすように心がけているのである。

私が、運動を意識してのウォーキングを始めて6~7年は経つだろうか。
冬場は陽の高い日中に、この季節は早朝に。
たまに違うコースを歩くことはあるけど、ほぼ決まったコースを歩いている。
時間があるときは約一時間で約6km。
限られた時間しかないときは30~40分程度で3~4km。
やや早歩き、わずかに息があがる程度で。
原則として雨天でははやらないけど、精神が弱っているときは雨天でも決行。
スニーカーがグジュグジュに濡れるのを承知のうえで。
雨が強いときは、ゴム長を履いて傘をさしてでも歩く(かなり歩きにくいけど)。

いつものコースは歩行者と自転車専用で、緑多い景色もきれいで、とても歩きやすい。
その上、コロナの影響もあり、この春からはウォーキングやジョギングをする人が明らかに増えた。
健康志向は歓迎できるものだけど、「屋外は感染リスクがない」「屋外なら“密”を気にしなくても大丈夫」と、大きな勘違いをしている人も多いように思う。
感染リスクを変えるのは、“屋外or室内”ではなく、あくまで人との“距離・接触度”。
また、「自分が保菌者かもしれない」という危機意識も欠落しているように思う。
いくら外出規制が緩和されているからといっても、ノーマスクでの外出は禁物。
特に、ランニング・ジョギングなど、ハードな運動をしている人には着用を強くお願いしたい。
息苦しいのはわかるけど、ノーマスクで“ハァ!ハァ!”と息を吐きながら傍を走られると不快な気持ち悪さを感じるし、事実、ウイルスは、咳をするよりも広く拡散するらしいから。
また、“かつての日常を取り戻しつつある”といった世の中の雰囲気に圧されているのだろう、街中でもマスクを着けていない人が多く目につくようになっている。
“東京アラート”が解除され、それはそれで歓迎できることだけど、常識を共有できない人達がはじけ過ぎないか不安に思う。
とにもかくにも、ジョガーだけではなく、市中の一般人にも、マスク着用と、人との距離を保つなどの努力が必要。
それが、この時世に求められているマナー・エチケットだから。


いつものウォーキングコースには、何人かの顔見知りがいる。
私は、見た目は実年齢相応のはずなのだが、精神年齢を反映してか、全員 高齢者。
はじめは「おはようございます」「こんにちは」と挨拶を交わすだけなのだが、何度も顔を会わせているうちに立ち止まってちょっとした雑談をするように。
お互い、名前を名乗るほどでもないのだが、それが、一人・二人と増えて、結局、人数が増えている。

私は、自己分析の結果、“自分は結構な人見知り”だと思っている。
臆病、引っ込み思案な性格で、子供の頃は特にひどかった。
今だって、仕事上のこととか特定のネタがあればそれなりに会話できるけど、そうでないとうまく話せない。
社交辞令的なフリートークが苦手なのである。
だから、酒席では、酒の力を借りることが多い。
しかし、冷静に考えてみると、テキトーに接しても大丈夫な人とは、ざっくばらんに喋れることが多い。
もちろん相手がどういうタイプの人かにもよるけど、自分から話しかけることも少なくない。

利害関係になく、新密度の浅い人との会話は、それはそれで、なかなか楽しいもの。
好き嫌い以前の適度な距離感が保たれ、差し障りのない話に終始できる。
見栄を張る必要もなく、カッコつける必要もなく、気張らずに話せる。
お互い、“いい人”のまま、無難なスタンスでいられるから、独特の心地よさがある。

その中の一人に、八十代後半の女性がいる。
歩くスピードはとてもスロー。
小柄で、丸っこいフォルムの可愛いおばあちゃん。
私が話しかけると
「若い男に話しかけられると嬉しくなっちゃうよ」
と喜んでくれるものだから、“若い”と言ってもらいたいついでに、ついつい話しかけてしまう。

まだコロナが流行る前、しばらくぶりに出会ったときに話しかけてみると、
「ちょっと温泉に行ってたのよ」
「青森に気に入った湯治場があって、毎年、そこへ行くのが楽しみでね」
とのこと。
「へぇ~・・・それは羨ましいなァ・・・」
「でも、そんなに長く行ってたら、結構なお金がかかるでしょ?」
と、思いついたまま遠慮のない質問。
「そりゃね・・・30万くらいはかかるねぇ」
「でもね、銭金がつかえるのは身体が動くうち・・・アタシなんて、いつ逝ってもおかしくないんだから・・・銭金には代えられない!代えられない!」
と、手を振りながら豪儀に笑った。
「私も、歳とったらそんな生活したいなァ・・・」
「現実は甘くないですけどね・・・」
と、安泰な老後を早々と諦めている私は、笑ってる場合じゃない現実に苦笑いした。

女性は、三姉妹の末妹。
父親は、幼少期に戦死し、母親が女手一つで三人の娘を育てた。
ごく一部に裕福な家庭はあったけど、今と違って、貧乏が当り前の時代。
ただ、片親で三人も子供がいた女性一家は、まわりと比べても一段と貧乏。
で、よその家を羨ましく思ったり、生活に不便を感じたりすることはあった。
それでも、惨めに思ったり恥ずかしいと思ったりしたことはなかった。
母親が一生懸命に働いている姿が、子供心に“誇り”を抱かせたのだった。

母親は、苦労に苦労を重ね、子供を育て上げた。
貧しくても、子供の成長を喜び、子育てに幸せを感じたことだろう。
しかし、のんびりした老後を迎えることなく、子供達が成人すると、それを見届けるように死去。
そして、それから数十年、それぞれの人生を生き抜き、高齢となった二人の姉も先逝。
一人残った女性は、
「まさか、こんな長生きするとは思わなかったよ・・・長く生きてると色んなことがあるよね・・・いいこともあれば 悪いこともね・・・」
と、何もかもが過ぎ去ったことを寂しく思っているかのように、少しだけ表情を曇らせた。

「とにかく、気をつけなきゃね・・・このコロナってヤツは、どこにコロナってる(転がってる)かわからないんだから」
と、女性は、お気に入りのギャグで話を締めて笑った。
それは、過去は“いい想い出”に変えて胸に置き、“今”を楽しく生きようとしている姿にも見えた。
そして、そのシワくちゃのドヤ笑顔は、可笑しくもあり可愛らしくもあり、ホッコリ癒されるものがあった。


予定通りにいかないのが人生。
計画通りにいかないのが人生。
生涯をとおして順風満帆って人生は、少ないかも。
理屈ではそれがわかっていても、素直には受け入れられない。
世の中が、世界がこんなことになるなんて、つい三カ月前までは、夢にも思っていなかった。
そう嘆いている人は、この日本に、この世界にたくさんいるだろう。
私も、その一人。
嘆いてばかりじゃ何も変わらないのはわかっているけど、身の回りにも、この社会にも明るい材料がない。
将来も読み切れず、私などは不満と不安だらけで、失うものばかりが頭を過る。

私は、これから、何を失うおそれがあるのか・・・
当然、若さ(既に若くないけど)と体力は失っていくだろう。
しかし、仕事、金、日常の生活は失いたくない。
その危機感があまりに強いものだから、その理由を自分なりに突き詰めてみた。
すると、私は、貧困を恐れていることが判明。
もともと金持ちではないし、高収入を得ているわけでもない。
収入が減ったって、失業したって、ワガママ言わず働きさえすれば、飢え死にするほど貧乏になる可能性は低い。
しかし、命にかかわらない貧困を恐れてしまっている、もっといえば、貧困にともなうカッコ悪さを恐れているのである。

私は、物理的豊かさを否定するものではないし、私も そのメリットを享受している一人だけど、物理的豊かさは人間の虚栄心を刺激し、物事の核心を見極める力を麻痺させる。
そして、結果的に、人間を貧しくさせる。
心身の健康、理性・正義・道徳心、信頼、友情、家族愛etc・・・金より失ってはいけないものがあるのに、私は、カッコばかりつけたがる。
既に、充分、カッコ悪い生き方をしていることは承知のうえで尚も。

“貧しいこと=カッコ悪いこと、恥ずかしいこと”といった価値観は、いつ どこで醸成されたものだろうか。
誰かに植え付けられたものだろうか、よく憶えていない・・ていうか、ひょっとしたら本能の一部だろうか。
真に恥ずべきことは、貧困ではなく、怠惰による不労、怠けて働かないことのはずなのに。
ただ、この価値観はかなり強固、簡単に変えることはできない。
一生変わらないものかもしれない、死ぬ間際にならないと変わらないものかもしれない。
しかし、自分にとってその価値観が好ましいものかどうか・・・
そこに気づき、立ち止まってみるだけでも、自分の中に新しい風が入ってくる。
そして、
「カッコ悪くたっていいじゃないか!」
と、肩の力を抜いてみると、それだけで気持ちが楽になる。

人間って、他人が思ってるほど強くなく、自分が思っているほど弱くない。
そしてまた、他人が思ってるほど賢くなく、自分が思ってるほどバカじゃない。
泣き言のひとつも言わないで、黙って忍耐することだけが美しいのではない。
愚痴のひとつも言わないで、果敢に挑戦することだけが素晴らしいのではない。
溜息のひとつもつかないで、直向きに努力することだけが尊いのではない。
泣いて 愚痴って 溜息をついて、それでも、性根に一生懸命さを持ち続けてやる姿に、人間の美しさ・素晴らしさ・尊さが映し出されるのではないか。
そして、そのカッコ悪さが、曇りがちな自分や人の人生に光を照らすこともあるのではないだろうかと思う。

梅雨の晴れ間にさす陽のように。




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自制の時世

2020-05-24 07:25:39 | その他
4月7日に緊急事態宣言がだされてから、はや一か月半余が経つ。
そして、5月14日には、多くの地域で宣言が解除された。
同じく、5月21日には関西圏でも。
苦境に喘いできた人々にとっては、「長いトンネルの出口が見えてきた」といった感じだろうか。
私がいる首都圏一都三県でも、解除が期待されていたが、結局、それもなし。
それを象徴するかのように、昨日午前中までの数日間、空も記録的な雨曇が続いていた。
しかし、判明している感染者数の明らかな減少が「遅くとも月内には解除されるだろう」といった憶測を呼び、14日を機に、何かよくないものに誘惑されているかのように、人々の気が緩みはじめたような気がする。
しかも、明日には宣言が解除される見込みだそうで、それ以降の人々のハジケぶりが心配になる。
そんな中でも私は、幸か不幸か、元来の悲観的神経質・ネガティブ思考派であり、この先の生活不安が常につきまとっているため、一向に気は緩んでいかない。

私の勤務先は「ヒューマンケア株式会社」という零細企業で、所属しているのは「ライフケア事業部」という部署なのだが、事故現場・自殺現場・腐乱死体現場など“不要不急”じゃない仕事もある中、遺品処理・ゴミ部屋・リフォームなど“不要不急”の仕事も多い。
で、その“不要不急”の仕事は減っている。
三月下旬から、コロナの影響で新規の仕事は減りはじめ、4月は激減。
ただ、それ以前に契約していた現場が何件かあったので、5月以降が正念場になることや、新規受注がゼロになることを覚悟しながら、4月はそれらをポツポツとさばきながら何とか乗り越えた。
しかし、GWを過ぎると再び仕事が入り始め、今現在は、恐れていたほどは減っていない。
何のお陰か・・・そういうわけで、あくまで「今のところ」という条件は付くけど、「失業」という最悪の事態は免れている。
一方で、世の中に目を向ければ、倒産・失業の数値は上がりっぱなし、自殺者が増加することも見込まれ、更年期脂肪に覆われた胃が締めつけられるような憂いは続いている。


TVをつければコロナのニュースばかり。
毎日のように各地域の感染者数が発表され、一喜一憂している。
しかし、私は、「感染者」という呼び方に異論がある。
「感染者」ではなく、「感染判明者」とか「発症者」という風にした方がいいと思う。
「感染者」だと、「保菌者」「無症状感染者」をイメージしにくい。
そして、その「感染者数」が減少していると、ウイルスが死滅していっているような印象が強く、どうしても警戒心を薄まってしまい、気が緩んでしまう。
しかし、現実は、決して油断できる状況ではないはず。
これまでも「感染経路不明者」は多くいたわけで・・・ということは市中に保菌者がたくさんいるわけで・・・
細心の注意をはらって生活してはいるものの、私自身が保菌者である可能性だって充分にある。
ということは、緊急事態宣言が解除されても、外出自粛・休業要請が解除されても、それは、あくまで机上の事情による処理。
また、発表される感染者数がどんなに減っても、保菌者数までは把握できない。
重症化しやすい要因をもっている人はもちろん、一般の人も油断は禁物!
万人が感染しない努力をするべきで、万人が感染させない責任を負うべきだろう。

これから夏にかけて感染者数が落ち着いてくることが予想されているが、それは季節的要因や我々の努力(休業・自粛)があってのこと。
コロナウイルスに勝利したからではないわけで、根本的な問題は何も片付いていない。
秋冬にかけて、また大きな波・長いトンネルがくることが懸念されている。
だから、専門家の「この夏は、秋冬にかけてやってくるであろう大きな第二波に備えるべき」という言葉は重く受け止めなければならない。


明日以降、段階的に緩められていくのだろうけど、今現在、首都圏では、市民への外出自粛要請、店舗への営業自粛要請も継続中。
しかし、一部の市民、一部の店舗には、「我関せず」と無視し続けている者も少なくない。
社会的動物である一人一人には、法律上の責任の前に社会的責任を負う。
社会から守られている反面で、社会を守る責任も負っている。
「普段、自分は社会に守ってもらっている」という意識が希薄・・・皆無なのだろう。
「ヒマだから」「営業する方がわるい」「居酒屋の方がよっぽど三密」等と言ってパチンコ屋に行列している連中。
ただ欲望の赴くまま、自制できないことを“自分の自由”“当然の権利”とでも思っているのだろう。
“忍耐力がない”“自制できない”“欲望を抑えられない”ということ以外にまっとうな理由があるのなら聞いてみたい。
おそらく、「なるほど」「それなら仕方がない」と思えるような理由なんかないはず。
結局のところ、義務を負わないヤツほど権利を主張する、責任をとらないヤツほど人に責任をとらせたがる。
そして、何かのときに、そういう輩の尻を拭く羽目になるのが、愚直に社会的責任を負う善良な市民なのである。

また一方、多くの店舗(企業)が苦渋の休業をしている中、「自分さえよければ」と営業するパチンコ店にも不快感はある。
しかし、多分それは、死活問題を抱えているが故の営業。
経営者からすると「倒産or存続」、従業員からすると「失業or雇用継続」という事情がある。
大袈裟な言い方かもしれないけど、倒産・失業は社会的な死を意味する
そして、それがキッカケとなり、生命の死にまで至ることも少なくない。
事実、自殺原因の多くは経済的な問題が占めている。
したがって、役所から指示されようと、世間から非難されようと、「これで死ぬわけにはいかない!」と営業するのである。
そして、それは、「自分が生き残るためには、他人が死ぬこともいとわない」という解釈にもつながる。
もはや、「弱肉強食」というより、「弱肉弱食」・・・露骨な言い方をすれば「共喰い」。
どうしたって殺伐感は否めない。
ただ、実際は平時より繁盛している店もあるようだけど、せめて、休業しても そこそこ耐えられる体力のある店が「他店が休んでいる今が儲けどき!」とばかりに営業しているわけではないことは信じたい。


この状況は、かつての世界恐慌にも例えられる。
それが第二次世界大戦にまで発展した経緯を知ると、「なるほどな・・・」と思ったりするけど、「歴史の勉強になる」なんて呑気なことは言っていられない。
やがてくる“第二波”のことを考えると、「新しい生活様式」とやらを定着させることも急務だろう。
検査・医療体制を立て直すこと、ワクチン・治療薬を開発することはその道のプロにしかできないけど、「新しい生活様式」を確立して定着させることは我々一般市民にもできる・・・我々一般市民がしなければならないこと。
安易にコロナ前の生活様式に戻るのではなく、“新しい生活様式”を習慣化させる必要がある。

「自分一人が変わっても社会は変わらない」と思うかもしれない。
しかし、社会を変えるのは一人一人。
一人一人がつながれば大きな力になる。
中国武漢の街角でうまれた小さなウイルスが、今や、世界中に多大な影響を及ぼしているように、我々も連帯して、従来の生活様式を大きく変革するしかない。

人前で口と鼻を露出するのを恥ずかしく思うようになるのかな・・・
人と向かい合わず、無言で食べるのがテーブルマナーになるのかな・・・
人の間近で話すのが無礼な社会になるのかな・・・
ヒソヒソ話が上品に思われるようになるのかな・・・
“新しい生活様式”って、なんだか窮屈そうな感じもするけど、皆が明るい気持ちで工夫すれば、ちょっと面白い世の中になるかもしれない。


前述のとおり、我が“ライフケア事業部”において、今月は“仕事ゼロ”も覚悟していた私だけど、そこそこの仕事にはありつくことができている。
で、一戸建・マンション・団地etc・・・あちこちの現場で、多くの人と会っている(一人をのぞき、あとは全員初対面)。
正直いうと、この時世では、あまり人と会いたくないのだけど、食べていくためにはそうもいかない。

そこで感じたのは、人々の“感染に対する警戒心の薄さ”。
“どこの馬の骨かわからないヤツ(私)”と会うというのに、中には、マスクもつけず接近会話する人もいた。
“俺だってウイルスを持ってるかもしれないのに・・・初めて会う人間(私)に対して警戒心を持たないのだろうか・・・”と不思議に思ったくらい。
一方の私は、警戒しまくり。
マスク着用はもちろん、エレベーターボタン・インターフォン・ドアノブ等、なるべく素手で触らないように心がけ、依頼者と顔を合わせた時も、
「マスク着用のままで失礼します」
「こういう時世なので、お互い距離をとりましょう」
「換気にもご協力ください」
というセリフが、定番の挨拶になった。

しかし、対する人々はほとんど「?」みたいな、怪訝な表情を浮かべた。
私の言いたいことを理解しつつも、まるで「別世界の出来事」「他人事」のように捉えている様子。
話しはじめるとそれに夢中になり、私との距離なんか一向に気にせず。
更に、窓も玄関も閉めっぱなし。
狭い密室に複数名の親族がひしめき合うように集まっていた現場もあった。
さすがにその状況には耐えきれず。
他人の家に上がり込んでおいての失礼は承知のうえだったが、一言いって窓を開けさせてもらった。
ドアストッパーがないところでは玄関ドアに自分の靴を挟んで通気したこともあった。
なんだか・・・“私一人が異常に神経質”みたいな雰囲気で、罪悪感みたいな変な気マズさを抱きながら。

確かに、もともと、私は、不安神経症気味で神経質。
“潔癖症”とはちょっと違いのだが、病的なまでに敏感になるときもある。
思い返すと、子供の頃からそう。
それは自分でもわかっている・・・自分でもイヤになるくらい。
そのせいでもあるのだろうけど、ここ二カ月で、それなりの数の人達と接してきた中で、私以上に感染対策に神経をすり減らしていそうな人には一度も会わなかった。
悪意に至るような疑心暗鬼は自制しなければならないけど、ただ、人と会うときは、相手も自分も「保菌者かもしれない」という前提が必要ではないだろうか。
私は、うつされるのも嫌だし、うつすのも嫌。誰だってそうだろう。
どこまでが必要で、どこが適正で、どこからが過剰なのか判断できない感染対策が変なストレスになって、無頓着な人に対して嫌悪感を抱くようにまでなってしまっている。


今、多くの人が苛立ち、多くの人が悩み、多くの人が苦しんでいる。
“自粛疲れ”“自粛飽き”“自粛ストレス”が膨らんでいるのも事実。
この先 困窮しないともかぎらないので、余計なお金を使いたくない時期ではあるけど、私も、観光・レジャーに出かけたい衝動に駆られるときがある。
海、山、スーパー銭湯、居酒屋・・・
しかし、出かけない・・・今は、出かけないことが課された責任、社会貢献。
今、私が出かけるのは、4~5日に一回のスーパーと、たまの銀行・郵便局くらい。
それも、前述のような始末だから、人の影にビクビクしながら、人の存在にモヤモヤしながら、人の無頓着にイライラしながら。
ウイルスには厳しくとも、人には優しくするべきなのに。

ただ、従来の自分の生活スタイルを冷静に思い返してみると、今の外出自粛生活と大差ないことがわかる。
仕事!仕事!でロクに休みもなく、外食も少なく、旅行なんて滅多にしていなかった。
外で飲むなんて年に二~三度、近年は、たった一~二度。
スーパー銭湯だって、多い時季は週一くらいのペースで行っていたけど、何ヶ月も行かないときもあった。
コロナ渦の前後で、何が変わったというのか・・・
にも関わらず、これまでとは違ったストレスがかかっている。
一体、これはどういうことなのか・・・ひょっとしたら、気づかないうちに心の自由を失っているのかもしれない。
行動の自由が奪われたからといって、心の自由まで失う必要はないのに。

自己分析の結果、おもしろいことがわかった。
それは、「やっていることは変わらなくても、禁じられるとストレスがかかる」ということ。
“飲みにいかない”ことと“飲みにいけない”ことは、双方、飲みに行かないことに変わりはないのに、後者は妙にストレスがかかる。
“飲みに行かない”という事実(行為)に変わりはないのに・・・
それは“選択の自由”“自由意思による選択権”が奪われているから。
つまり、行為そのものではなく、この“自由意思による選択”の有無が明暗を分けているのである。

“自由意思による選択”、ネガティブな方に言い換えると「欲望の赴くまま」。
往々して、“志望”“願望”と違い、“欲望”というものには邪悪な性質が入りやすい。
“欲”というものは、もともと、人間の本性の中にある悪性に近いところにあるから、膨らみ具合によっては、どうしても穢れてくる。
だから、欲望は、あるレベルで抑えなければならない。
そうしないと、自分を、家族を、他人を、世の中を破壊する。
多くの人に心当たりがあるだろう、欲望に負けて虚無感や罪悪感を覚えたことが。
一時的に満たされはしたものの、結果的に後悔したことが。
また、欲望に支配されている人をみて、嫌悪感や悍ましさを覚えたことが。

欲望を抑えるには、先を見とおす目が必要。
欲望の赴くままに生きたら、または、自律・自制とともに生きたら、この先、自分がどうなるか、家族がどうなるか、世の中がどうなるかをリアルに考える。
また、未来に目的をみつけること、目標を定めることもひとつ。
合格を目指して勉学に励む学生のように、一流を目指してトレーニングに励むアスリートのように、そして、金持ちを目指して汚仕事に励む特掃隊長のように(?)。
あとは、“心は自由である”ということを認識し、“心の自由”を楽しむこと。
それは、妄想・幻想・夢想・空想の類と似ているものであるけど、もっとハッキリしたもので、理想の自分・理想の人生をもって過ぎた欲望を中和してくれる。
それでも、「そんなの知ったことか」「今がよければ それでいい」「自分さえよければ それでいい」といった短絡的な思考しかせず、欲望を抑える努力をする気がない者には、もはや ここで言うことは何もない。
とりあえず、「自分のケツは自分で拭け!」・・・いや、「自分で拭けないケツは汚すな!」とだけ言っておこう。


「あの時はよかったなぁ・・・」
今、ほんの少し前のことを思い出してそう想う。
「まだ、あの時の方がよかったなぁ・・・」
先々、今のことを思い出して、そう想わないようにしたい。
そのための今・・・自制の時世なのである。




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人生の一ページ

2019-08-23 04:48:49 | その他
秋涼の前味、8月も後半になってくると、朝、25℃を下回る日がでてきた。
昨日・一昨日の早朝は23℃、そんな朝は、ホッと癒される。
そしてまた、「暑い!暑い!」と愚痴ってる間に、辺りは、気づかないところで少しずつ秋の装いに変わってきている。
いつものウォーキングコースにある桜樹を見上げてみると、わずかではあるけど、先が黄色くなってきている葉もあり、「もう、そんな季節か・・・」としみじみ思う。

過ぎてみれば、一日一日が過ぎていくのははやい。
目先の生活に追われるばかりの毎日で、気づいてみたら、一つ歳をとっている。
人間なんて、動物の中では賢い方なのだろけど、実のところはそうでもないから、人生なんて、そうやって終わっていくものなのだろう。
それでも、時々は、この人生(時間)の希少性や有限性を強く意識して、心をリフレッシュしたいもの。

「リフレッシュ」といえば、旅行やレジャー、趣味を楽しんだり、酒を飲んだり、風呂に浸かったり、人それぞれ色んな方法があるだろう。
実際、この夏休み、帰省や旅行・レジャーで命の洗濯をした人も多いだろう。
私の場合、飲酒とスーパー銭湯、たまのレジャー、あとは、日々やっているウォーキングもそのひとつ。

私は、天候と時間と身体の調子がゆるすかぎり、ウォーキングをしている。
一時間、約6km。
好きでやっていることとはいえ、酷暑の夏と厳寒の冬は、なかなか楽ではない。
だから、今の時季は、少しでも気温が低い早朝5時台・6時台に歩く。
それでも、大汗をかき、Tシャツはビショビショになるし、持ってるタオルもシットリ重くなる。
私は、肉体労働者なので、それ以上に身体を動かす必要もないかもしれないけど、歩いた後にはそれなりの爽快感や達成感がある。
あと、一人で黙々と歩くと、ある種、自分を見つめなおす黙想のようなことができる。
この人生(時間)の希少性や有限性を強く意識することができ、常日頃、私の心に沸々とわいて私を支配してくる後悔・不満・不安の念を、感謝・喜び・希望の念に変えてくれる。
もちろん、それは愚弱な私のこと、一時的なこととして通り過ぎてしまう。
が、それでも、それは、少なからず、自分にとってプラスに働くわけで、一度きりの今日、二度とない今日をがんばるエネルギーになるのだ。

何日か前、いつものウォーキングコース沿に建つ住宅の塀の上から、一輪、薄紫の“あさがお”が小さな顔をのぞかせていた。
無機質なブロック塀から一輪だけ出ている様はなかなか愛らしく、また一腹の清涼剤となり、私は、一日の労苦に向かってポンと背中を押してもらったような気になり、その脇を軽快に通り過ぎたのだった。

「あさがお」といえば、あれは小学校低学年の頃だっただろう、夏休みの宿題で観察日記をつけた憶えがある。
あさがおの成長を記録した絵日記だ。
その昔、私は絵を描くのが好きだった。
美術部とかに入っていたわけじゃないけど、高校生の頃は、企業から与えられたテーマ(例えば“労働災害防止”とか)のポスターを何度か描いてお金をもらったこともある。
私が送った手描きの年賀状を部屋に貼ってくれていた友人もいた。
だから、「将来は、イラストレーターみたいな仕事もいいな・・・」と考えた時期もあった。
(実際は“イライラストレスライター”になっちゃってるけど・・・)

そんな私だから、小学生の頃の絵日記も楽しくやっていた。
一日一ページ、絵を描き、文を書くわけ。
その時々のイベント、何かをやっている人の姿、出かけた先の風景、食事のメニュー等々、日常の何気ない一コマを描いた。
もちろん、絵日記なんて、小学生のときが最後で書いてはいないけど、今、小学生のノリで絵日記をつけるとしたらどんなものになるだろう・・・
このブログのごとく、長くてクドい文章になるかもしれない。
そして、絵は・・・・・なんか、ヤバいことになりそうで自分でも笑恐ろしい。



昼間は猛暑でも、朝晩は涼が感じられるようになった ある年の晩夏。
都内某所で、腐乱死体現場が発生。
現地調査の依頼を受けた私は、カーナビが示す場所へ車を向かわせた。
目的の建物は、細い路地の奥にあった。
それは、昭和の香り漂う、木造の古い二階建アパート。
一階に三世帯、二階に三世帯、間取りはそれぞれ1DK。
その二階、中央の一室で、住人が孤独死。
無職無縁の生活を送っていた故人の死は、誰にも知れることなく・・・
何日も経って、大量に発生したハエと外にまで漏れ出した腐敗臭が、その異変を世間に知らせたのだった。

私は、腐乱死体現場に躊躇するほどの純粋さはとっくに失っているけど、“特掃隊長”に“変心”するための時間をもうけるため、アパートの下で足を止めた。
そして、しばし、現場の部屋の方に向かって建物を見上げた。
すると、二階の一室、現場の部屋の手前隣の一室から一人の老人が出てきた。
歳は八十くらいか、男性(老人)は、錆びた鉄階段を下りる途中で私に気づき、こちらに向かって泥棒を見るような視線を送りながら、ゆっくり階段を下り、通路の立つ私に近づいてきた。

怪しまれていることを察知した私は、男性に道を譲りながら、
「こんにちは・・・」
と会釈。
「そこの部屋に来たの?」
私が醸し出す独特の?雰囲気で用件がわかったのだろうか、男性は、無愛想にアゴを現場の部屋に突き出した。
「そうです・・・」
悪いことをしに来たわけでもないのに、私は、少々後ろめたいような気分で小さく返答。
「何があったか知ってるの?」
男性は、野次馬根性にも似た好奇心をのぞかせながら、ちょっと意地悪な表情を浮かべた。

怪しい仕事をする私が、それほど怪しい人間でないことがわかると、男性は急に口を軽くし、旧来の友人とでも話すかのように多弁になった。
「どこでもこんなニオイなの?」
「俺の部屋までクサくなっちゃってさ・・・」
「奥の人は我慢できず出てっちゃったよ・・・」
「俺は引っ越す先も引っ越す金もないからさ、我慢するしかないよ・・・」
「でも、ま、仕方ないよ・・・人間は、いつか死ぬんだからさ・・・」
男性は、“寛容”というより“諦め”、“慈愛”というより“悟り”の心境をもって、「仕方ないよ・・・」と言っているように見えた。
私としても、ありがちな「クサいから、早く何とかしろ!」というような苦情を言われるよりは楽だけど、聞き分けの良さの陰に男性の社会的な力のなさが見えて、少し切ないものを感じた。

その後、特殊清掃・家財処分・消臭消毒等々の作業で、そのアパートに何度も通った。
そして、男性とも、頻繁に顔を会わせた。
ずっと一人でいて人恋しいのだろうか、作業の物音をききつけると、その度に玄関からでてきて、こちらの様子をうかがってきた。
仕事の邪魔になるほどのことでもないし、私の方も、小休止ついでに誰かとおしゃべりすると気が紛れる。
また、男性の行為(好意?)を軽視するのも可哀想に思えたので、その都度、話につきあった。


男性は、若い頃、大きな企業にサラリーマンとして勤めていた。
ただそこは、今だったら「ブラック企業」と言われるような会社。
実績をあげた分は賃金で還元されたものの、労働時間は長く、仕事のノルマもハード。
当時の社会には「ハラスメント」なんていう言葉はなく、上司のパワハラも日常茶飯事。
鬱病もマイナーは病気で、定年を前に中途退職すれば、ただの負け犬扱い。
そんな社会、そんな会社で、男性も、ギリギリまで奮闘。
しかし、多くの同僚と同様、ストレスによって体調を崩し、結局、働き盛りの年齢で退職に追い込まれた。
それは、劣等感と敗北感に苛まれる絶望の日々だった。

その後、「サラリーマン」という肩書に懲りた男性は、自営で何かやることを決意。
色々と思案し、それまでのサラリーマン時代とはまったく畑違いの弁当屋をやることに。
夫婦二人三脚で商売を学び、最初は家族経営で開業。
売上が軌道に乗るまでは従業員を雇うこともせず、不休で働いた
その功もあり、小さな商いだったけど売り上げは順調に推移し、店は数名の従業員の抱えるくらいにまで成長。
それは、やりがいのある充実した日々だった。

事業がうまくいったら、更に大きくしたくなるもの。
男性は、事業欲旺盛に二店舗目を計画。
必要な資金は金融機関から借り入れ、知り合いの縁で、店を任せられる店長も雇用。
家賃も高かったが立地も良いところへ物件を確保。
多くの労苦と重いリスクを背負いながらも準備をすすめ、次の店を開店させた。
それは、夢膨らむ楽しい日々だった。

転機が訪れたのは、それからしばらく後。
人間関係ってそんなもの・・・所詮、使う人間(経営者)と使われる人間(従業員)は水と油。
店を任せていた店長とウマが合わなくなり、ことあるごとに対立するように。
そして、やる気を損ねた店長は、次第に仕事を蔑にするように。
そのうち、店の売上利益も気にしなくなり、とても店を任せられる状態ではなくなった。で、結局、店長は、些細なことが原因のどうでもいいケンカを機に、仕事を放りだして辞めていった。
それは、やり場のない憤りを抑えられない怒りの日々だった。

そこから、弁当屋は火の車となった。
しばらく、二つの店を掛け持ちして頑張ってはみたけど、限界はすぐにきた。
従業員は思うように働いてくれず、また、店を任せられる人材もいなかった。
結局、サラリーマンのときよりも重く心身の調子を崩し、借金と疲弊した心身だけを残すかたちで、あえなく、二店舗目は閉店となった。
それは、夢を砕かれた心と老いた身が疲弊する日々だった。

それでも、しばらくは最初の店でがんばった。
しかし、借金返済が重くのしかかり、生活はキツくなる一方。
そのうち、何かの歯車が狂いだし、売上は低迷し、運転資金は底をつき、税金や年金が払えなくなり、愚痴と酒が増えていき・・・弁当屋は廃業となった。
それは、不安と絶望に苛まれる苦悩の日々だった。

男性は、その後の詳しいことは口にしなかった。
が、仕事も家も家族も失い、流れ流れてきたのだろう・・・
このボロアパートで独り暮らしをするに至った経緯は、想像に難くなかった。

「色々あったけど、この歳まで生きさせてもらったんだから・・・」
「全部、想い出・・・ここまでくると、後悔も不安もないね・・・」
「とりあえず、一日一日 気楽に生きて、あとは死ぬだけだよ・・・」
亡くなった隣人と自分を重ねたのか、老人は、そう言いながら故人の部屋へ目をやり、そして、ジョークでもとばしたかのように笑った。
何故だか、その顔に悲壮感はなく・・・
その屈託のない笑顔がどこからくるものか・・・
その所以は、経験も思慮も足りない私が知り得るものではなかったけど、どことなく嬉しさを感じさせてくれるものではあった。


目の前の現実には、バラ色の将来を想像するには困難な光景ばかりが広がっている・・・
人は、何のために生まれてくるのか・・・
何のために生きるのか・・・
そして、何のために死ななければならないのか・・・
そんな疑問に頭を悩ませ、心を苦しめたことがある人は少なくないだろう。
しかも、そういう想いは苦痛の中、苦悩の中から湧いてくる・・・多くの場合、幸せで楽しいときには湧いてこない。
この私もその一人。
幸せに生きるため? 人生を楽しむため? 世のため? 人のため?
どれも正解だと思うし、答はまだ他にたくさんあるとも思う。
また、宗教・哲学、個人的な思想・価値観によっても、色んな答が導き出せると思う。
しかし、半世紀生かされてきて想うのは、そういうことを真剣に考えること自体が“答”なのではないかということ。
命や人生に対して真剣な想いをもっている証、大切な何かを真剣に求めている証だから。

ただ、そんな問答の末に行きつくところがある。
難しいことはわからないけど、生きていることを喜びたい。
こうして生きていることには、何かしらの意味があると思いたい。
つまらないことでクヨクヨしてるヒマがあったら、楽しみを探してハツラツとしていたい。
不安の種を拾うより、希望の種を探したい。
永遠に続くと錯覚しているその悩みや苦しみは人生の終わりがすべて片づけてくれることを知り、今を大切にしたい。

一日一日、今こうして積み重なっている大切な一日は人生の一ページ。
人生最期の一ページ、私は、どんな文を書き、どんな絵を描くころになるだろう・・・
今の私は、まだまだ、その域に達してはいないけど、できることなら、「ありがとう 楽しかった」と、穏やかに微笑みながら手でもふっている自分の姿を描きたい。

そのために、今日の一ページをどうデザインしていくか・・・
この晩夏、例え 心の絵日記が、凄惨な絵となっても、寒々しい絵となっても、暗い絵となっても、一度きりの今日、二度とない今日の終わりには、小さくても淡くてもいいから、一輪の“あさがお”を咲かせたいものである



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情けは人の為ならず

2018-04-30 08:21:42 | その他
相変わらず仕事に追われる日々を送っていたため、久しぶりのブログ更新。
かなりの期間が空いてしまった前回更新よりマシながら、それでも およそ一か月半ぶり。
ただ、ブログの更新がないのは元気に働いている証拠。
読んでくれる人が離れていくのは寂しいけど、“元気に働ける”って、私には、とても幸せなことなのである。

はやいもので、そうこうしている間に、今日で四月も終わり。
そして、世の中はGWの真っ只中。
長い人では九連休の人もいるらしい。
ま、私にはまったく縁のない話・・・・・どころか、私はここ一カ月休みをとっていない。
三月下旬、どうしても外せない私用があって、一日だけ休みをとった。
二カ月と二十一日ぶりの休暇だった。
更にそれから、無休で一カ月余が経過している。

私は、神経質であるがゆえに健康管理にはそれなりに気を遣っているけど、それでも、明らかに身体は疲労を溜めこんでいる。
ポンコツ親父の肉体はギシギシと凝り固まって、就寝時、寝返りをうつ度にうめき声をあげてしまうような始末。
がんばることは大切だけど、時には、自分を労わることも大切。
ただ、自分が堕落しやすい人間だということをよく知っている私は、
「俺は、楽しようとしているんじゃないか・・・」
「俺は、怠けようとしているんじゃないか・・・」
と常に危機感をもっている。
だから、なかなか“純粋に休む”ということができない。
で、その代わりの気休め、また、私のために休まず働いてくれている身体に対する せめてもの償いで、眼肩腰に効くと宣伝されている「ア○ナ○ンEXプラス」を朝食後に、肉体疲労を和らげると宣伝されている「養○酒」を就寝前に毎日飲んでいる。
ただ、しばらく飲み続けているのに、効果を自覚するまでには至っていない。
多分、特効薬は、何か別次元のところにあるのだろう。

それでも、精神は比較的元気。
「人生は短い」「腐ってるヒマはない」「スネてる場合じゃない」「クヨクヨしてる時じゃない」等と、ことあるごとに自分鼓舞激励するようにしている。
不平・不満・不安etc・・・私の心(頭)にはそんなことばかりが湧いてくるけど、そんなものに占められている間は幸せでもないし楽しくもない。
自分で自分を不幸にすることは人生に対する愚行で、モノ凄くもったいないことをしているということを、何かにつけて腐ってしまう自分に分からせようとしているのである。

あと、それほど深刻な不調に陥らないでいられるのは、季節的な要因もあると思う。
今は、優しい春だから、希望の春だから。
暑からず 寒からず、過ごしていて楽。
花や新緑も美しいし、命の新生も感じられる。
これから暑くなっていくことを思うと、ゲンナリする気持ちがないではないが、短くなってきた余生に“やる気”のような上向きの気持ちが湧いてきて、自然と元気がでてくるのである。



相談を受けた男性は60代後半。
賃貸マンションに独り暮らし。
両親はとっくに亡くなり、兄弟姉妹もなし。
叔父や叔母もいたが、長く付き合いをしていなかったうえ、皆、既に他界。
生存する血縁者としては何人かの従兄弟がいたものの、叔父叔母よりも更に付き合いはなく、近所の他人より もっと他人状態。
事実上、身寄りなしの孤独な身の上だった。

マンションの賃貸借契約更新時期になって、大家は「契約は更新しない」と通告。
表向きの理由は、「近い将来、アパートの建て替えを予定しているから」というものだったが、男性は すぐにピンときた。
真の理由は「身寄りのない独居老人を入居させておくのはリスクが高い」と考えての“追い出し”のよう。
大家や他の住人に迷惑をかけたこともなく、家賃を滞納したこともなく、その恐れもないのに追い出されるわけで、男性は、そのことをヒドく気に病んでいた。
しかし、表向きの理由を突き付けられては抵抗できない。
男性は、泣く泣く承諾し、転居先を探し始めた。

男性は、無職で年金生活。
ただ、経済的な余裕はあった。
親からの遺産が多くあり、年金に足して 少しずつそれを切り崩して生活しているのだった。
しかし、その経済力も世間は評価してくれず。
身寄りのない単身老人と契約してくれる物件は簡単には見つからず。
シニア向けの賃貸住宅はいくつもあったけど、その多くは、不便なところ建つ老朽物件等、一般に人気のない物件。
「住みたい」と思えるような物件ではなく、惨めな思いをしそうな物件ばかりだった。

「自分は社会のお荷物?社会の邪魔者?」
「自分は世の中に必要ない人間なのか?」
「まっとうに生きてきたつもりなのに、老い先短くなってこんな仕打ちを受けるなんて・・・」
理不尽な世の中や人の冷たさが悲しく、男性はヒドく失望。
そして、
「もう、この世にいないほうがいいんじゃないだろうか・・・」
と生きていくことが憂鬱になってきた。

今の時勢、住む家を失う高齢者が増えていると聞く。
貸主(大家)からすると、孤独死のリスクや死後処理の手間や費用を考えると、高齢者は厄介な客。
確かに、可能性で考えると、高齢者はハイリスク。
“死”は老若男女に平等とはいえ、確率統計で考えると、若者に比べて部屋で孤独死する可能性は高いと判断される。
そして、誰にも気づかれず、しばらく放置される可能性も。
酷い場合、被害はその部屋だけにとどまらず 他住人も出て行ってしまい、アパートが全滅することだってある。
したがって、そういったリスクの高い入居者は、何だかんだと理由をつけて賃貸借契約を更新しなかったり、何かと口実をつけて追い出しにかかったりするのである。

頼れる人がいない男性は、転居先を探すとともに“緊急連絡先”及び“身元保証人”になってくれる人を探していた。
新しい住まいを契約するためにも、それが必要だった。
また、死後の財産や家財の処理も大きな課題だった。
そんな中で、遺品整理をやっている会社に片っ端から調べて電話。
生前契約ができるかどうか、その場合、確実な契約履行をどうやって担保・保証するのか等、色々と問い合わせた。
しかし、まともに取り合ってくれるところは極少数。
ほとんどが、どうにも信用できなそうな会社や、金の話ばかりしてくる怪しげな会社ばかりだった。

そんな中で、たどり着いた当社。
「“良心的な会社”と聞いたもので・・・」
誰からどう聞いたのかわからなかったが、“良心的”と言われて悪い気はしない。
それが男性の作戦だったら脱帽だが、その言葉は私の耳に何とも心地よく、本当に良心的かどうか怪しいものながら、軽率にも気分は上々に。
売上利益的には仕事にならなそうな案件とわかりつつも、一応は相談に乗ってみる方向に気持ちは傾いていった。

男性から悩みの一通りを聞いた私は、後見制度を利用することを勧めた。
後見制度には、意思能力や判断能力が充分でない人のための法定後見制度だけではなく、脳力が衰える将来に備える任意後見制度がある。
男性は、後見制度についての認識は持っていたが、把握していたのは法定後見制度のみ。
だから、“健康な自分は利用できない”と諦めていた。
しかし、男性のような境遇の人のための任意後見制度がある。
過去に資格試験の勉強でかじったことがある私は、そういう制度があることを男性に伝えた。
そして、日をあらため、男性の住所を管轄する任意後見制度が利用できる法律家の団体を調べ、そこから色々教わったうえで、必要な手続き等の詳細を男性に伝えた。

併せて、住居は、建物に多少の難があっても、県営とか市営などの公営住宅を申し込むことを進言。
メリットは、家賃が安いことと、民間のアパートやマンションに比べて退室後(死後)の原状回復責任の基準が甘いこと。
デメリットは、老朽建物が多いことと、自治会の活動が多く他住民との関わり(人間関係)が煩わしいこと。
男性の高い資力が引っかかる心配はあったものの、男性の境遇と将来の不安を総合的に考慮すると、男性には公営住宅が適していると判断。
そこで、私は、同県や近隣市の公営住宅の申し込みについてネットで調べ、詳細については男性自身が積極的に動くよう促し、ひとまず、その一件は終わった。

それから何ヶ月か後、この一件が頭から消えた頃、久しぶりに男性から電話が入った。
S県C市に暮らしていた男性は、そこから少しばかり東京に寄った同県T市の公営住宅に移ることが決まった。
また、先が見通せるようになって気持ちが落ち着いたのだろう、任意後見についても余裕をもって進めていた。
男性は、肩の荷が降りた分、以前に比べて声も明るく口調も軽やかで、私も嬉しくなった。

男性は、「何かお礼がしたい」と言ってくれたが、やったことと言えば、男性やその他との電話が十数回とインターネット検索等の情報収集が数回だけ。
男性のもとへ出向いたわけでもなく、男性の用で実作業をしたこともなかった。
それに費やした時間や費用はわずかなもの。
結局ところ、金銭をもらうほどの仕事はしていなかった。
また、“先々、遺品処理業務等を請け負う可能性もゼロではない”という打算もなくはなかった。
だから、謝礼については辞退した。


“タダ働き”なんか、まっぴら御免!
これまで何度となく書いてきた通り、私は、この仕事を、お金のため・生きるための糧を得るためやっている。
故人や遺族のためでは決してなく、あくまで自分のため。
しかし、私も 体力・精神力に限界がある ただの人間だから、それだけで精力を持続させるのは困難。
金銭以外のやり甲斐が必要になってくる。
それは、「人に必要とされる」「人に頼りにされる」というところ。

不平・不満・不安等、自分の悪性や弱性により精神を腐らせることが多い私は、自分の存在価値や生きる価値を見失うことも多い。
そして、それが、生きることに疲れを覚えさせる。
しかし、人に必要とされる・人に頼りにされると、「生きていていいんだ」「生きるべきなんだ」と、自分の存在価値を感じることができる。
そして、それが生きがいになったりする。
例によって“きれいごと”を吐かせてもらうけど、人に必要とされ、人に頼りにされ、人の役に立てるって、何だか気持ちがいい。
何か善いことができるような、善いことをしたような気分が味わえて、心が晴れ晴れとする。
結果、体力や精神力がパワーアップし、過酷な作業も元気に頑張れるのである。

“人に優しく、自分に厳しく”は、カッコはいいけど、そればかりじゃ能がない。
時には“人に優しく、自分にも優しく”ありたいもの。
その優しさは巡り巡って己の為になり、やがてくる酷な夏を、難しい秋を、厳しい冬を乗り越える元気と、その時々に生きる幸せをもたらしてくれるのだから



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毎日元旦

2018-03-11 13:31:34 | その他
季節錯誤も甚だしくて恐縮だが、「2018謹賀新年」。
早春、三月も中旬になろうかというのに、昨年大晦日以来、今年初のブログ更新。
作業が より過酷になる夏場にブログが止まるのは珍しくないけど、この時季に止まるのは珍しいかも。
正直、こんなに長く書かないつもりはなかった。
その理由は単純、単に仕事が忙しかっただけのこと。
体調を崩したわけでもないし、精神状態が悪かったわけでもない(恒常的な不具合はあるけど)。

話を正月まで遡らせる。
私は、大晦日も元旦も仕事だったのだが、体調はすこぶる優れなかった。
12月30日の午後から頭痛がしはじめ、腹には不快感も発症。
翌31日になると寒気がきて鼻が詰まってきた。
どこからもらってきたのか、どうも風邪を引いたらしい。
それでも、せっかくの年越しなので、おとなしく寝る気にはなれず。
一通りの肴を食べ、一通り酒を飲み、カップ蕎麦を年越蕎麦とし、0:00をまたいで新鮮な気分を味わった。
しかし、翌日の元旦、体調は更に悪化。
発熱と倦怠感に襲われ、食欲もでず。
夕方までの仕事を何とかこなし、寄り道もせず帰宅。
当然、その日の夜は酒も飲まず。
「よりによって、元旦早々 風邪にやられるなんて・・・」
と、一年を始まりに不吉さを覚えつつ、
「始まりが悪い分、今年はいいことがある!」
と、無理矢理、自分にそう言い聞かせながら、おとなしく布団に入った。

幸い、それ以来、風邪も引かず、大きく体調を崩してもいない。
周辺で大流行しているインフルエンザにもかかっていない。
難といえば、慢性的な腰痛と左股関節の不具合くらい。
身体を壊すと自分が苦しいし、周りにも迷惑をかけるから、一応、健康管理には留意している。
好物の酒や甘味は控えめにし、適度な運動を心がけ、毎晩 体重計に乗っている。
もちろん、それで、すべての病気が防げるわけではない。
病気やケガは、自分ではどうにもできない領域が広い。
ましてや、モノが経年劣化するのと同様 身体も歳を負う毎に衰え弱るわけで、そのリスクは高まるばかり。
だけど、ある程度の摂生(≒ケチ生活)は、精神衛生上もいいような気がするし、身体を楽にしてくれるような気がする。
だから、少々の我慢や忍耐が伴おうが、心身の健康のために摂生をやめるつもりはない。

摂生だけではなく、仕事を頑張ることも健康の一要因。
ある高齢労働者が言っていた。
「元気だから働くのではなく、働くから元気なのである」
“働かずに生きていけたら どんなにいいだろう・・・”なんて邪念がつきまとっている私だからこそ、この言葉は心に刻まれ、時には励まされている。

カレンダーを遡ってみると、私が最後に休みをとったのは1月8日。
つまり、それ以来、今日に至るまで二か月余り休みをとっていないことになる。
仕事に追われていたのか、それとも夢中で仕事をしていたのか、そんなに長い間 休みをとっていなかったなんて、まったく自覚していなかった。
ま、確実に言えるのは、「それだけ働けた」「それだけ頑張った」ということ。
決して悪いことではない。

ただ、これだけみると、うちの会社は、今 流行りの(?)“ブラック企業”みたいに思われるだろう。
しかし、実のところ、“受動的に働かされている”が故に、白いものが黒く見えることってあると思う。
逆に、“能動的に働いている”が故に、黒いものが白く見えることもあると思う。
隣の芝生が青く見えるのは世の常・人の常、不平不満が消えないも世の常・人の常。
楽しんで幸せは手に入るけど、楽して幸せは手に入らない。
結局のところ自分次第。
実際にブラックかどうかはさておき、勤労者として幸せなのは 先の前者or後者 どちらかは言うまでもない。
自分で言うのもおこがましいが、私は、能動的に働いているつもり。
同僚を差し置いて、好きで現場に走っているわけで、そのせいで休みがとれないわけだから、少なくとも、私にとって うちの会社はブラック企業ではない。

私は、ヒマで楽するより、忙しくて疲れるくらいの方がいい。
心身が壊れるほどの疲労困憊はご免だけど、結局のところ、人間 ヒマだとロクなことがない。
ロクなことを考えないし、ロクなことをしない。
頭は余計なことを思い煩うばかりだし、身体は怠けてダラけてしまうし、伴って心は萎えてしまう。
そして、金より大事な時間を無駄に垂れ流してしまう。
私みたいなネガティブ人間は、少々忙しいくらいの方が、生きてて丁度いいような気がしている。

とにもかくにも、“働ける”ってありがたい!
不本意なブラック作業だけど、それでも、ありがたい!
ホント、素直にそう思う。



今、身内の一人に末期癌の患者がいる。
タバコも吸わず、飲酒も少量、スポーツジムに通って筋骨隆々、病気とは無縁の元気な人だった。
それが、数年前に食道癌を罹患。
そして、食道を切除。
以降は、継続して抗癌剤治療。
進行性の癌だったため、薬は強いものが使われた。
その副作用は重く食欲は減退し、ガッシリした体格も細くなり、濃かった頭髪も薄くなった。
あまりにツラいものだから、本人は、癌への効きは弱くなってもいいから、薬の強度を下げることも希望。
医師も、本人の意思を尊重した。

病状は、徐々に悪化。
身体が弱ってきているのは、たまにしか会わない私の目にも明らかだった。
結局、癌は各所に転移し、もう手の施しようがなくなってきた。
そして、昨年の晩秋、医師から家族に「年を越せないかも・・・」と告げられた。
ただ、闘病の意志と生きる希望が削がれてはいけないので、本人には、そのことは伏せられた。
ホスピスに入れることを薦める親族もいたが、表向きには余命を宣告されていないため、その話は立ち消えになった。

私が直近で会ったのは、昨年12月の下旬。
本人の自宅を訪問した際。
悟られないように気をつけながらも、“最期のお別れ”のつもりも少しはあった。
元気な頃に比べて身体は痩せ、髪も薄くなってしまっていたが、顔色はいいし言葉も弱々しくなく、比較的元気そう。
家に引きこもっていると身体が鈍るので、買い物や散歩等、できるだけ外に出るようにしているとのこと。
日常生活はフツーにできているようで、医師の「年を越せないかも・・・」といった言葉が信じられないほどだった。

その時は、一緒に昼食を食べ、お茶を飲みながら しばらく雑談。
抗癌剤を打っている間とその後しばらくは食欲が減退するらしかったが、そうでない時 食欲はあった。
しかし、モノを食べる際は注意が必要。
食道部分がとても細くなっているため、食べ物は少量ずつ口に入れて、更によく噛んでゆっくり飲み込む必要があった。
ちょっと油断して 手術前みたいな食べ方をすると、すぐに嘔吐してしまうのだ。
“食べたいのに食べられない”、頭が欲する食事と身体が受け入れられる量に大きなギャップがあるため、それがストレスになっているようで、飲食大好きの私は とても気の毒に思った。

「朝 目が覚めたら、“あぁ・・・今日も生きてるな・・・”って思うんだ・・・」
「一日 一日だよ・・・一日 一日を生きてるんだよ・・・」
「私にとっては、毎日が正月の元旦みたいなもんだね・・・」
しんみりと、そうつぶやいた。
でも、私とは逆で、もともと明るくポジティブな性格。
「でもね、はやくよくなって蕎麦を思いっきりすすりたいんだよね!」
心のどこかで 先が長くないことを覚悟しつつも、それでも、病気と闘いながら明るく生きることは諦めていないようで、元気だった頃と変わらない笑顔をみせた。

しかし、生老病死は万民の定め。
先週から、ほとんど食事ができなくなり、横になっていることが多くなったよう。
それでも、本人は明るく過ごしているという。
その状況は、桜を待たずに逝ってしまうことを示唆しているような気がして、私は、独特の怖さとの寂しさと切なさを覚えている。
とにかく、近いうちに休みをとって見舞に行きたい。
仕事柄、危篤の知らせで受けてもすぐに駆けつけられない可能性が高いし、ちゃんと話ができるうちの方がいいから。
ただ、それこそ、“最期のお別れ”になりそう。
「学べ!学べ!」「感じろ!感じろ!」「受け取れ!受け取れ!」
今、私は、身近にあるその生と死を想いながら、また、自分の最期を重ねながら、強く自分に訴えている。


死は、戦いの相手であり、恐怖の怪物であり、嫌悪の対象であり、諦めの原因であり、悟りの機会であり、ときには憧れの行先になるもの。
死は、生きるための戦いを強い、未知の恐怖を与え、恐怖がゆえに嫌悪し、生きることを諦めさせ、人生を悟らせ、生きる苦しみから逃れる先となるわけ。
ただ、こちら側(生きている側)がどんな捉え方をしようが、どんな哲学・思想・宗教を振りかざそうが、到底 太刀打ちできるものではなく、勝てる相手ではない。
老い・病・ケガ・事件・事故・自死、人の死を伝える世のニュースや、身近な人の死を見ればわかるように、死は、多くの人が考えているほど遠いものではなく身近なものであり、絶対的な存在で常に私達の背後につきまとっている。
ただ、そんな“死”があるから生があるわけで、死があるから人生が生きるのではないかと思う。

“死”は、人生を生かすために必要な礎。
「どうせ いつか死ぬんだから・・・」といった空虚感・虚無感が、生きる意味を見失わせることが少なくないけど、実は、“死”は、人を活かし、人生を充実させ、人に生きる意味と生きなければならない理由を示してくれているのではないかと思う。
今の私にとって“死”は、怖く・寂しく・切ないものだけど、実は、それだけのものではなく、優しく・あたたかく・明るいものかもしれない。

そんな死を前に、新鮮な心持ちで、明るい気持ちで毎日を生きることができたら何より。
だけど、色んな事情や悩みがあって、暗い気持ちを引きずったまま朝を迎えることもあるだろう。
「いつか きっといいことある!」
なんて、無責任なことは言えないけど、心の持ち様(大局的・長期的な感性)で、悪いことの中に いいことが見いだせることもある。


あの大震災から今日で7年。
大きなものを失い、多くのものが失われた。
しかし、それで得たものもまた大きく、それで気づかされたこともまた多い。

毎日、元旦のような新鮮な心持ちで、感謝の時を生きていきたいものである。


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負けるな

2017-12-31 09:07:13 | その他
薄日差す曇空の大晦日。
2017年も今日でおしまい。
例によって、私は、大晦日の今日が仕事納めで、元旦の明日が仕事始め。
正月三が日ぐらいはゆっくり休んでみたいところだけど、珍業の零細企業に そのゆとりはない。
「だから・・・」というわけではないけど、私は、神社仏閣への初詣とかは、毎年、当然のように行かない。
単に時間がないからではなく、そっち系の信心もなければ興味もないから。
大袈裟な言い方だけど、それを越えて、逆に、心害があるくらいに思っている。

それでも、年末年始の祝ムードは好き。
人生において何十回か目の正月を迎えられることを祝いたい。
だから、今夜は、そんな気分を肴に、美味い酒を飲もうと思う。
ま、そうは言っても、明日も朝から仕事だから深酒はできないし、「美味い酒」といっても、飲むのはいつものウイスキー。
正月だからと言って、特別な酒を用意しているわけではない。
ただ、このウイスキー、頂きモノなのだけど、12年物のスコッチで、なかなかの美味。
また、なかなかの値段。
特別なことでもないかぎり、自腹では手が出ない。
それが、私の飲ペースで2~3か月分くらいもあり、私の気分を上げてくれている。

ありがたいことに、そんな具合で、私の場合、飲んでいる量に比べると かかる酒代は少なく済んでいる。
つい先日も ある人がテネシーウイスキーを送ってくれた。
もともと私はスコッチ派なので、こういう機会でもないかぎりバーボン系を口にすることはない。
ただ、今は、前記の12年物スコッチ以外にも結構な在庫があるので この蓋を開けるのは少し先のことになると思う。
次の春か夏か秋か、それとも順番を無視して先に開けることになるか、予定は未定。
何はともあれ、開けた時に感じるであろう風味の違い(新鮮さ)が楽しみだ。

そう言いながらも、毎晩、飲んだくれているわけではない。
これまで何度も書いたように、私は、毎晩のようには晩酌しない。
財布と身体に配慮して、数年前から、日曜から土曜の暦週の中で週休肝二日制を敷いている(それはルール上のことで、近年は、事実上、週休肝三日制にレベルアップさせている)。
これは、自分と交わした約束。
自分に対する義務であり責任。
しかし!今年の正月は、よりによって大晦日の今日が日曜日で暦週の初日。
そして、明日から正月三が日が始まる。
つまり、週休肝三日を死守するのが極めて困難な週構造となっているわけ。

ただ、「正月くらいいいか・・・」と欲に負けてしまうと、後悔必至。
自分の弱さに自己嫌悪感と苛立ちを覚えながら反省することになるはず。
もう何年も、ノンアルコールビールや炭酸水の力を借りたり、余計なことを考えず夕飯を掻きこんだりしながら、我慢に我慢を重ね、辛抱に辛抱を重ねて死守してきた休肝日。
それを、たった数日の正月祝ごときで台なしにするわけにはいかない。
とは言え、気の弱さと意志の弱さは一流の私。
日常において、自分に負けてしまうこともしばしば。
といった始末だから、
「一体、今週は いつを休肝日にするべきなのか・・・」
と、他人から見ればどうでもいいようなことを真剣に悩んでいる。


とにもかくにも、例年のこどく今年も色んなことがあったけど、一年、何とか生き通せた。
細かな悩みや苦しみ、トラブル等は数えきれないくらいあったけど、仕事ができなくなるほどの病気やケガに見舞われてもいないし、日常の生活が壊れるほどの災難にも遭わずに済んだ。
これは、ホント、ありがたいこと。
しかし、ブログは数えられる程度しか更新できなかった。
それだけ、時間と頭に余裕がなかったということ・・・・・生きるうえでの“戦い”が多かったということか。
ただ、それは、私にとって、悪いことではない。
それは、幸せな、楽しい、快適な人生を求める戦いだから。
そして、何かのために、誰かのために、自分のために戦ったのだから。

そんな中で、今年も多くの人との出会いと別れがあった。
一人一人を思い出すことはできないけど、大方の人がいい人達だった。
丁寧に礼を言ってくれた人、泣きながら喜んでくれた人、家族のように励ましてくれた人、私を必要としてくれた人・・・
そんな人達との縁に支えられ、ツラい仕事も頑張ることができ、暗い仕事も明るくやれた。

しかし、残念ながら、少数ながらも そうでない人達もいた。
口のきき方を知らない人、立場を利用して横柄・高圧的な態度にでる人、そして、何の利害関係もないのに偉そうにしてくる人。
特に気になる(気に障る)のは、その類の高齢者。
私くらいの年齢になると、「最近の若い者は・・・」と、つい若者を批難してしまいがちだけど、礼儀をわきまえず、素行がよろしくないのは若者に限ったことではない。
あくまで、私の個人的な出来事に限定したことだけど、「最近の年寄りは・・・」と愚痴りたくなるような人物に遭遇することが多かったし、気にせいか、そういった老人が増えてきているような気がする。

例えば、口のきき方。
内心で“礼儀知らず”と思ってしまうけど、相手が仕事上の関係者(客)なら、初対面でタメ口をきかれても我慢はできる。
しかし、何の関係もない人物にいきなりタメ口をきかれるのは気分が悪い。
いくら年上だからといっても、初対面の他人に敬語を使わないのはいかがなものか。
また、最近流行り(?)の“キレる老人”というヤツだろうか、私とは何の因果関係もないことで、いきなり怒鳴ってくる輩もいる。
多いのは、マンション・アパート・団地等の集合住宅の一室が現場であるケースで、現場の部屋の影響は皆無である離れた部屋(棟)からやってきて文句を言うパターン。
キレるにはキレるなりの理由や目的があるのだろうけど、それでは社会的に生き残れない。やはり、そんな人は、他の住人からも嫌われて、厄介者として敬遠されていることが多い。

ある現場(マンションのゴミ部屋)で作業中、離れた階の離れた部屋に住む老人に
「ホコリが飛んで迷惑しているから、すぐに作業をやめろ!」
と言いがかりをつけられたことがあった。
私は、慎重に作業を進めている旨と、事前に管理会社と管理組合の許可をとっている旨を低姿勢で説明。
しかし、老人は、
「そんなの関係ない!掃除屋の分際で生意気な!」
と私を恫喝。
心ない言葉に私の血は頭に急上昇。
怒り心頭の強面で老人を睨みつけ、応戦の構えをみせた。
が、感情にまかせた不用意な暴言が自分に不利になることは多々ある。
私は、口から出かかった言弾をグッと飲み込み、理事長と管理人に相談するため、一旦、現場を離れた。
結果、この老人は、“厄介者”“嫌われ者”として、マンション住民から村八分に遭っていることが判明。
私は、自分で自分の首を絞めることをやめることができない老人の弱さを不憫に思いつつ、理事長と管理人からの「相手にする必要ない」「無視していい」という指示のもと、作業を再開したのだった。

これは極端な事例だけど、「人の振り見て我が振り直せ」ということわざがある通り、大局的には他人事で済まさないほうがいい。
私も、一年を振り返って、反省すべきことがたくさんある。
気分にまかせて、不快な態度をとってしまったこと、
感情にまかせて、不適切な言葉を発してしまったこと、
怠心にまかせて、楽な道を選んでしまったこと、
欲にまかせて、害を取り込んでしまったこと、
我にまかせて、人を批難してしまったこと、
屁理屈にまかせて、自分に負けてしまったこと、
思い返すと、キリがないくらいのことがある。

言うまでもなく、私は偉人でもなければ聖人でもない・・・
欠点・短所・弱点がたくさんある、ただの人間・・・
限りある善性と限りない悪性をもつ、ただの人間・・・
これは紛れもない事実ではあるけど、それはそれとして、私には、そんな事を言い、自分を卑下しながらも自分の殊勝さや謙遜さに酔うクセがある。
ただ、そうして自分を卑下しても、それは、ただの自己弁護・自己憐憫。
自分を誤魔化すことにしかすぎず、何の実ももたらさない。
一方、反省は、自分を強くし、賢くし・・・自分を成長させてくれる。
卑下はマイナス、反省はプラス。
「卑下と反省は違う」ということを、自分にわからせると後悔が少し明るくなる。


前にも書いた通り、歳のせいだろう、このところ、“人生の終わり”をヒシヒシと感じるようになってきている。
寂しいような、切ないような、怖いような、緊張するような、そんな気分。
だから、一層、「似たような過ち繰り返すことはしたくない」という気持ちが強くなっている。
併せて、今まで以上に時間の使い方や日常の生き方を意識するようになっている。
幸せに生きるため、楽しく生きるため、快適に生きるため、
目の前に現れる岐路を賢く選択し、目の前に現れる仕事に精一杯取り組み、
飽き飽きするほどの日常を宝とし、退屈するほどの平凡さを喜び、
自分の愚かさを省み、自分の弱さと戦い、
唯一無二の時間を噛みしめながら、その美味を味わいながら、
地味でもいいから、充実した時を生きていきたいと思っている。

そのせいなのかどうなのか、「来年は飛躍の年にしたい」とか「変革の年にしたい」とか、そんな考えは湧いてきていない。
とにかく、平和と平穏と、対自分戦の健闘を願っている。
エキサイティングな日々も面白そうだけど、私のような臆病者には向いてないような気がする(違う意味で、エキサイティング過ぎる日々を送っているけど)。
私が残り少ない人生を充実させるには、激しい荒波より静かな凪が向いているような気がする。

しかし、そんな虫のいい話ばかりではないのが人生。
大小の不安が、常に私につきまとっている。
特に、来年は、不本意な大波がきそうな予感がしないでもない。
それがないにしても、どちらにしても、過去に倣って苦労が多い年になるはず、楽に生きさせてはもらえないはず。
そして、それが吉とでるのか凶とでるのか知る由もないけど、これまで同様、否が応でも、それらに立ち向かっていかなければならない。


「負けるなよ・・・」
私は、薄日差す大晦日の曇空に、諦めにも希望にも似た悟りの心情を重ね、心の中で小さな火を燃やしながら、自分にそう囁いているのである。



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老の行方 ~その二~

2017-03-21 07:40:01 | その他
先月下旬、久しぶりに実家に行った。
数えてみると、両親と顔を合わせるのは三年九ヶ月余ぶりで、
「え!?もうそんなに経った!?」
と、自分でも驚いた。
ただ、よくよく振り返ってみると、それも仕方なかった。
私の仕事は、土日祝祭日も盆も正月も関係なく、私には“盆暮に実家に顔を出す”という習慣がない。
おまけに、私などは、あまり休みをとらないものだから、たまの休暇は自分のことをこなすだけで手一杯で、“親の顔を見に行こう”なんて気は起きない。
せいぜい、一~二ヶ月に一度くらい、様子伺いの電話を入れるくらい。
今回も特段の用があったわけではなく、たまたま仕事のタイミングがよかったのと、老い先短い両親ことが ふと頭に浮かんだからだった。

残念ながら、この歳になっても、私達は決して良好な親子関係ではない。
子供の頃から色々なことがあり、高校生の頃は、かなり親を困らせた。
また、大学を卒業してからこの仕事に就くまでの“修羅場”は、過去のブログに書いた通り。
そして、就業から数年間は絶交状態が続いた。
特に、母親とは折り合いが悪く、大喧嘩をしたことも数知れず。
その度に長い絶交を繰り返してきた。
となると、関係が疎遠になるのは必然。
干渉し合わないことが暗黙のルールのように。
結果、関わることも顔を合わせることも極めて少なくなったのである。

もちろん、私に“親を想う気持ち”がないわけではないし、親も“子(私)を想う気持ち”がないわけではないはず。
親の愛情を感じたこともたくさんあるし、感謝していることもたくさんある。
また、生み育ててもらったことに恩義も感じている。
ただ、私も短所欠点を持つ人間だし、親だって同じこと。
反りが合わないところがあっても不自然ではない。
で、私達親子の場合、それが極端なのである。

父親は齢八十。
手本にしなければならないくらい勤勉な人。
趣味らしい趣味を持たず、タバコもギャンブルもやらず、年がら年中、とにかく働いていた。
ただ、酒は好き。
泥酔したときの悪態はヒドく、子供の頃は、嫌な(恐い)思いをすることが年に数回はあった。
そんな始末だったのに、ある小さな失態がきっかけで、十年くらい前に酒はピタリとやめた(酒の誘惑と毎日戦って勝ち負けしている私は心底感心している)。
酒以外の問題が、もう一つあった
それは女性問題。
私が小学校低学年の頃だったと思うから、もう四十年くらい前になるだろうか、一度、浮気がバレたことがあった。
相手は、水商売の女性とか職場の女性とかではなく、よりによって近所の奥さん! しかも、同じ小学校の友達の母親! 更に、その夫は父の同僚!
この状況を見ただけでも、その後、大騒動になったことが容易に想像できると思う。
(実際、短編ブログが書けるくらいのドラマがあった。リクエストが集まれば「戦う男たち ~番外編~」として書くかも。)
そんな父も、老いて性格もまるくなった。
幸い頭もシッカリしており、車も普通に運転できているし、日常生活で人の手を借りなければならないことはないみたい。
近年は、血糖値が高めで、食事前に薬を飲むようになっているけど、健康寿命を意識して、摂生した食事と適度な運動を心掛け、また、ほとんどボランティアのようだけど やるべき仕事をみつけては積極的に動いているようで、“このまま元気でいてほしい”と願うばかりである。

母親は七十四・・・今年で七十五歳。
裕福な家庭ではなかったため、外で働くことが多かった。
外の仕事と家事・育児を両立し、苦労も多かったと思う。
そんな頑張り屋の母だけど、気性には難がある。
人からよく見られたいものだから、世間的には温厚な人柄で通してきたが、実は、感情の起伏が激しい。
わがままでヒステリックな性格は、年老いた今でも変わらない。
そして、上記の女性問題を今だに根に持っており、父に向かって時々悪態をついている始末。
ま、これも、気持ちが若い証拠、元気の源なのかもしれない。
そんな具合に精神は老いない母だけど、五十代で糖尿病を発症。
インシュリンを打つようになって十年くらいは経つと思うけど、医師も褒めるくらいの自己管理ができているため、それ以上は悪化していない様子。
九年前には肺癌を罹患。
片肺の大半を切除。
それでも、酸素量が不足することはなく、軽登山くらいはできるみたい。
何年か前には小さな再発が見つかったらしいが、進行が極めて遅いし歳も歳だし、医師の指導のもと定期健診だけで済ませている。
もっと柔和な性格になってほしいけど、二つの大病を患っているわりには元気にやれているので ありがたいかぎりである。

今は、二人とも、のんびりと年金生活を送っている。
今のところ、要介護認定の必要もない。
しかし、この先はどうなるかわからない。
仮に、人の手を借りなければ生活できなくなった場合でも、私に、親と同居して世話できる余裕はなく、自宅でポックリ逝くようなことでもないかぎり、いずれは病院や老人施設のお世話になることになるだろう。
そんなことを考えると、「死ぬまでの道程って、なかなか楽じゃないよな・・・」とあらためて思う。

世間の感覚では、死は自然なことだけど、孤独死は不自然なこと。
しかし、私の感覚では両方とも自然なこと。
だから、私は、親が自宅で孤独死することを想像することがある。
冷たいかもしれないけど、ポックリ逝くなら、それも悪くないと思っている。
長患いして苦しんだり、死を待つばかりの病院で、窮屈で退屈な日々に苦悩したりするより、死の間際まで愛着のある我が家で暮らし、ポックリ逝くほうがいいのではないかと思う。
その後、時間経過とともにその遺体が腐ってしまうのは自然なこと、仕方がないこと
その身体がおぞましい姿に変容しようと、肉体は、この世で使った“服”みたいなもの。
人生や生き様が朽ちたものでもなければ、魂・霊・心が現れたものでもない。
だから、発見が遅れてしまっても、そんなに悲しむ必要はない。
更に、その身内には“Spacialな奴”がいる。
現場が“ヘビー級”になっていようとも、そいつが掃除すればいいだけのこと。
もちろん、そうなって欲しいわけでも、親の特掃をしたいわけでもないけど、そんなに悲観はしていない。

この感覚は、周囲には理解できないかもしれない。
そして、世間体も悪いだろう。
亡親は“誰にも看取られず、寂しく死んでいった”と同情されるだろう。
子である私などは“冷たい息子”と揶揄されるかもしれない。
それでも、私は、そうなってもいいから、死の間際まで、健康な日々を、喜びをもって楽しく過ごしてもらいたいと思っている。

ただ、老いるのは、親ばかりではない。
私だって同じこと。
若いつもりでいても、あれよあれよという間に中年になっている。
老い先のことばかり心配して 今を暗く過ごしては元も子もない、されど看過もできない。
人に迷惑はかけたくないけど、老い先ながく生きれば人の世話にならざるをえない状況になる。
その弊害を少しでも小さくするためには、少しでも長く健康を維持し、少しでも大きい財を蓄えることが必要。
だから、日々の食生活や消費生活において、大きなストレスがかからない程度で、自制・摂生を心掛けている。

ありがたいとに、今のところ、私は だいたい健康(だと思う)。
振り返っても、半世紀近く生きてきて、大ケガや大病をしたことがない。
霊柩車には何度も乗ったけど、救急車に乗ったことはない。
入院というものもしたことがない。
若い頃、胃にポリープが見つかったり、暴飲暴食の結果 激太りして肝臓を悪くしたりしたこともあったけど、結果的に大事にはならなかった。
中年になってからも、原因不明の胸痛、腰・股関節・膝の不具合、目眩、蕁麻疹、風邪などに悩まされるくらい。
加齢にともなう衰えや不具合は色々とあるけど、とりあえず、身体は ちゃんと動いている。

それでも、私は、日々着実に老いている。
写真にうつる自分を見れば明らか。
白髪が目立ってきた髪はコシがなくなり、肌から艶やハリは消え、逆に、シミやシワは増えてきた。
肥満ではないはずなのに、皮膚もたるみ気味。
視力も低下。
もともと視力はいい方だったのだけど、だんだんと見えにくくなってきている。
次の運転免許更新時には 引っかかるのではないかと思っている。

一体、私は、この先、どんな老い方をするのだろう・・・
知りたいような、知りたくないような・・・
自分では短命と思っていても、そうなるとは限らない・・・
しかし、下手に長生きして苦労するのも難なもの・・・
そうは言っても早死にしたいわけではない・・・
心身ともに健康なら、長生きしたいような気もする・・・

この私、今しばらくは「中年」でいられるけど、「中高年」「初老」と言われるようになるのは、そう遠いことではない。
もちろん、老いた先に悠々自適な暮らしが待っていれば言うことない。
しかし、現実は、前にも書いた通り、年金だけで生活は成り立たないだろうから、どのみち、死ぬまで働く必要はあるだろう。
ただ、これは私だけの個人的な問題ではなく、これからますます深刻化する人口減少・少子高齢化社会において多くの人が潜在的に抱える共通の問題。
結局、将来、多くの庶民が私と似たような境遇で生きることになるのではないかと思う。
だから、この先、不慮の事故はもちろん、働けなくなるほどの病気やケガに勘弁してもらいたい。
そして、働くに必要なだけの体力と精神力は保っていきたい。

一体、自分は、どこに向かって老いていくのか・・・
どこに向かって老いていけばいいのか・・・
老い先のことを考えると、明るい想像はしにくい。
まさか・・・ひょっとしたら、このまま“特掃おやじ”から“特掃じじい”になるかも?
・・・死ぬまで特掃やらなきゃならないなんて・・・そんな人生、気が沈む。
でもまぁ、こんな仕事でも 悪いことばかりじゃない。
“楽しいこと”“嬉しいこと”“感謝なこと”・・・幸せを感じられることも間々ある(人の不幸を前にして言葉の使い方を間違えているかもしれないけど)。

“特掃じじい”か・・・ここまでくると、この人生は、悲劇を通り越して、もう喜劇。
・・・あまりに滑稽で、何だか笑える。
そうして、くだらないことに笑いながら働き続ける・・・
「これも俺の人生・・・“いい老い方”とは言えないけど、わるい老い方でもないのかもな・・・」
と、まるで趣味嗜好のように、今日も悩みながら生きている私である。


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大心災

2017-03-11 16:35:21 | その他
今日は、2017年3月11日。
あれから六年が経った・・・
“六年”という年月は、長いようで短く、短いようで長い・・・
ある人にとっては長く、また、ある人にとっては短かっただろう。
ほとんど第三者の私が、わざわざこのタイミングを選んで大震災のことに触れるのは“ありきたり”で安っぽいことかも。
また、まるで何かの記念日のように、節目の日だけ感傷に浸っているようで、偽善色を濃くするだけかもしれない。
しかし、地震大国に暮す以上、他人事にはできない現実があるわけで、そこのところを啓蒙するため、また、自分(人)にとって大切なことを訓ずるため、繰り返しになる内容を承知で書こうと思い立った。

被災地に比べれば、私の生活圏はほとんど“無傷”。
当初は色々な不自由が発生したけど、どれもこれも早々に解決。
街にも身体にも心にも、コレといった傷跡は残っていない。
ただ、この小さな一生において、あれほどの出来事に遭遇することは稀だろう。
そして、アノ時の衝撃は、生涯忘れることはないだろう。

大きな揺れがきたのは、アノ日の午後。
隣県某市のゴミ部屋を片付けて帰社して少し後、積んできたゴミを車から降ろしているとき。
“ザーザー”というか“ゴーゴー”というか、それまでに聞いたことがない類の騒音のような異音とともに、立っていられないくらいの揺れが襲ってきた。
そして、それは長く続き、また、大きな余震も何度となくやってきた。

「こりゃ、ただごとじゃないぞ!」
そう思った私は、情報を得るためすぐさま車のTVをON。
すると、どこの局も慌てふためきながら地震を報道。
そのうちに、あちこちの港、街、田畑が津波に襲われる映像が流れてきた。
その映像は、あまりに衝撃的で、
「大事になってる・・・」
と、胸が騒ぎはじめ、少し遅れて嫌な予感もしはじめた。

とにかく、揺れは凄まじいものだった。
本震だけでなく、何度もくる余震の揺れも大きかった。
もちろん、それは、それまでの人生で経験したことがないもの。
私は、仕事を切り上げて一刻も早く家に帰るべきか、それとも、このまま会社に留まっていた方が安全なのか、迷いに迷った。
しかし、いつまでも会社で途方に暮れていても仕方がない。
私は、余震が少なくなるのを待って家路についた。
そして、いつもより時間はかかったけど、無事に帰宅することができた。

TVは、どのチャンネルも地震のニュース一色。
バラエティーやドラマ、CMをはじめ、人の顔からは笑顔まで消えてしまった。
悲惨な津波の映像も繰り返し流された。
そんな中で、まったくの想定外だったのは原発事故。
結果的に、これも大惨事に。
「メルトダウン」「爆発」「核」そんな言葉が飛び交い、私の頭には一抹の不安が過ぎった。

その分野に明るくない私は、「爆発」と聞いてすぐに“原爆(核兵器)”を連想してしまった。
そして、そうなると私の生活圏にも影響は及ぶわけで、不安感は膨らんでいった。
しかし、それとこれとはまったく違うことはすぐに判明。
私は、TVの向こうで忙しそうに働く専門家の説明に胸をなでおろした。

そんな中でもデマは流れた。
そして、身近なところにも、それに踊らされる者がでてきた。
「国は情報を操作している!」
「福島原発から半径300km以内は危険だから西日本へ逃げたほうがいい!」
仕事の関係者の中には(同じ会社の人間ではない)、夜中にもかかわらず、私にそんな電話を入れてきた自称紳士もいた。
「東電の幹部は極秘で西日本に逃げているらしい!」
「私も実家(西日本)に帰るための飛行機をおさえた!」
近所には、そう宣う(のたまう)、オシャベリ好きの自称淑女もいた。

当人達は親切のつもりなのかもしれなかったけど、私は、
「余計なお世話! 逃げたきゃ勝手に逃げろ!」
と不愉快に思った。
もちろん、自分の生活圏にまで及んでくるかもしれない放射線が気にならいことはなかったけど、それにしたってレベルは低いはず。
私は、普段、それよりもっと身体に悪そうなものに遭遇しているわけで、あまり気にならず。
また、こんな私でも“責任”ってものがある。
いきなり仕事を辞めて逃げるなんてことできるわけがない。
だから、回りに騒ぐ輩がいても、行政の指示でもないかぎり自主的に避難する気は起きなかった。

スーパーやコンビニは薄暗く、棚の商品は疎(まばら)に。
それでも、
「口に入れられるものなら イザというときの足しになる・・・」
と、先走る不安感によって、普段なら食べないようなモノでも買い求めた。
GSは長蛇の列で、一台あたりの給油量を制限。
それでも、
「イザというとき車が動かせないとどうにもならないから・・・」
と、燃料が半分以上残っていても、給油できるかどうかわからない列に加わった。

いつ電気がとまってもおかしくない状況は続いた(結果的に、会社も家も長い停電には見舞われなかったけど)。
TVでも、節電が頻繁に呼びかけられた。
「俺一人が節電したって何も変わりはしない・・・」
普段ならそのように思ってしまう私だけど、原発のニュースを目の当たりにすると、
「微力でも協力しないよりはマシ!」
と、積極的に節電する気になった。
それで、寒い中でも暖房はつけず厚着でしのぎ、蛍光灯も最小限に早寝を心掛けた。
ただ、依然として、余震も原発も予断を許さない状況。
一刻を争うようなことが起きないともかぎらず、リアルタイムに情報を得るため、目を醒ましている間 TVだけはずっとつけていた。

震災以降の三月と翌四月、仕事は激減。
世の中、それどころではなかった。
ただ、その状態が長く続くと会社は立ち行かなくなる。
そうなると、当然、そこで働く者も職を失うことになる。
「失業・・・」
そんな不安を抱えながらも何の手を打つこともできず、私は、ただ厚着をして、ひたすら暗いニュースばかりを観ては気分を沈ませていた。

幸い(と言っていいのかどうか、ビミョーな仕事だけど)、五月に入ると少しずつ復調。
飽き飽きしていたはずの“日常”が、ありがたさとともに戻ってきて、とりあえず一息つくことができた。
そして、この六年、山もあり谷もあったけど、何とかこうして生きつないでいる。

しかし、この大震災を越えたからといって、先の心配が消えたわけではない。
「首都直下型地震」「東海地震」「東南海地震」「南海トラフ地震」・・・果ては「富士山噴火」等々、まだまだ色々な惨事が想定されている。
私と関わりが深いのは、「近いうちにくる」「いつきてもおかしくない」といわれて久しい首都直下型地震。
平和な日常にいても、私は、常にこのことを頭の隅に置いている。
だから、家には多めの水や米、生活消耗品等を備蓄している。
また、一都三県、あちこちの街に出かけることが多い私は、大地震が起こり、出先で足止めを喰らって帰れなくなったときのことを想定して、車にも水・非常食・防寒具をはじめとする非常用品を備えている。

その目的は、イザというとき、自分が助かること、自分が生きながらえること。
ただ、同時に、ある想いも沸いてくる。
それは、
「水を欲しがっている人がいたらどうするだろう・・・」
「お腹を空かせている人がいたらどうするだろう・・・」
「寒さに震えている人がいたらどうするだろう・・・」
といったもの。
そして、
「そういった人達に、俺は、自分が持っているモノを分け与えることができるだろうか・・・」
と自分に訊いてみる。
・・・残念ながら、返ってくる答は、
「・・・無理だろうな・・・多分・・・」
といったもの。
もちろん、命にかかわるような緊急事態や極限状態だったら、そんな邪心も消えるかもしれな。
だけど、私だって咽は渇くし腹も減る。
寒ければ身体も凍える。
そして、やはり、私は、自分が大事、自分が可愛い。
「自分を守るために自分で用意したモノを自分のために使って何が悪い」
てな具合に開き直って、自分の行いを“良し”としてしまうのではないかと思う。

ブログでは何かとカッコつけてるけど、私は、結構、冷酷非情な人間。
そこのところは、ある程度 自覚もできている。
そういった性質の悪さが、ときに自分を悩ませ、ときに自分を苦しめることもわかっている。
私が、晴々と生きていけない一因でもあると思う。
その証拠に、飢え渇いている人がいる中で、そういった人達の目を盗んでコソコソと咽を潤し空腹を満たす己の姿を想像すると、何ともおぞましく惨めな気持ちになる。
それでも、その性質の悪さは消えない、変わらない。

「人間なんてそんなもの」
「多かれ少なかれ、皆、似たようなもの」
そうやって、自分を慰め、ごまかしてはいるけど、結局のところ、これは一個人の“愛”の問題。
人のそれとは関係ないし、人と比べて優劣を決める類のことではない。

私の悩みが消えないのは、少しでも自分が楽できる方向へ逃げ回るばかりで、利己に対峙する勇気を持とうとしないから。
私の苦しみが消えないのは、人が本当に大切にしなければならないものを蔑ろにし、大切にする必要のないものに執着するから。
私の心が凍えるのは、人が冷たいからではなく自分が冷たいから。

究極の愛は、“自己犠牲”“利他愛”・・・・・つまり“隣人愛”。
「人に、世に、愛がないのは大きな災い」
例によってカッコつけてるみたいだけど、私は、自戒を込めてそう思うのである。



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