特殊清掃「戦う男たち」

自殺・孤独死・事故死・殺人・焼死・溺死・ 飛び込み・・・遺体処置から特殊清掃・撤去・遺品処理・整理まで施行する男たち

曇時々雨、のち夕焼け

2025-02-02 05:33:29 | 遺体処置
もう、随分と前の話になる。
死体業を始めて間もない頃、私が20代半ばの頃の話だ。


曇時々雨の下、遺体処置のため、ある家に出向いた。
故人は中年男性、死因は肺癌。
遺体特有の顔色の悪さとノッぺリした表情はありながらも、痩せこけた感もなく、外見だけは健康そうに見える男性だった。


家族は奥さんと中学生と小学生くらいの子供二人。
三人は私に対して礼儀正しく、感じのいい一家だった。
故人のそばに正座し、静かに私の作業を見ていた。
そこには重苦しくないながらも厳粛な雰囲気があり、遺族の毅然とした態度から、夫・父親が亡くなったことへの悲しさへ立ち向かおうとする姿勢が伝わってきた。


奥さんは、作業を進める私に物静かに話し掛けてきた。
故人は、会社の健康診断で肺に陰が写ったらしく、精密検査を受けたところ肺癌が発覚。
その時は既に、かなり進行した状態だったとのこと。
余命宣告に絶望しながらも、数少ない回復事例に希望を託して病魔と戦った。


しかし、みるみるうちに体調は悪化し、たった半年余で逝ってしまった。
危篤になってからの苦しみようは家族としてとても見ていられるものではなく、意識が戻らないことを覚悟で最後は強いモルヒネを打ってもらったとのこと。
家族にとっては、断腸の思い、辛い決断だったことだろう。


そんな話を聞きながら、作業を進めた。


遺体は、身支度が整えられると、柩へ納められることになる。
そして、柩に納まってしまうと、もう二度と故人の全身の姿を見ることはできなくなる。
納棺する直前、故人の最期の姿をよく見ておいてもらうため、私は一旦部屋から外にでた。


雨はやみ雲もはれ、空にはオレンジ色の夕焼けが広がっていた。
「きれいな夕焼けだなぁ」
「今日の仕事は、これでおしまいだな」
と、呑気なことを考えた。
すると、私が退室するのを待っていたかのように、家の中から声が聞こえてきた。
私(野次馬)は、耳を澄ました。


「お父さん・・・お父さん・・・」
「三人で仲良く力を合わせて生きていくから、心配しないでね・・・」
家族三人が泣いている声だった。


「故人は、昨日は生きていて、今日は死んでいる・・・」
「昨日はいたのに、明日にはいない・・・」
「時間は、何もなかったのように過ぎていくだけ・・・」
「故人も、かつてはこの場所からこの夕焼けを見ていたんだろうなぁ・・・」
私は、斜め上の空に広がる夕焼けを眺めながら、そんなこと思いを巡らせた。


中からの泣き声が落ち着いた頃、私は部屋に入っていった。
そして、家族と一緒に故人の身体を柩の中へ納めた。


我慢できなかったのだろう、三人はポタポタと涙を流して泣いていた。


一連の作業が終わり、帰途につくため私はその家を出た。
空の夕焼けは、燃えているように紅さを増していた。


奥さんは、玄関外まで見送りに出てくれた。
そして、憔悴した面持ちで言った。
「私達は、これからどうすればいいんでしょうか・・・」
「・・・」
「夕焼けか・・・明日は、きっと晴れますよね」
「ええ、多分・・・」
そんな言葉を交わして、私は現場を去った。


あれからしばらくの時が過ぎた。
三人の家族には、どんな人生が待っていただろう。
すぐに笑顔を取り戻して、仲良く暮らしただろうか。
奥さんは、二人の子供を抱えて苦労しただろうか。
二人の子供は立派に成人し、母親を支えているだろうか。


今日の東京は快晴だった。
そして、あの時と同じようにきれいな夕焼けが見えた。
あの家族の家からも、同じように見えたに違いない。


「明日は、きっと晴れますよね」
別れ際にそう言った奥さんの言葉の意味が、この歳になってみて初めて心に染みてくる。




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2006-11-25 21:38:34
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人間の価値

2024-12-12 06:04:51 | 遺体処置
故人は老いた男性。
遺族とは遺体処置の業務で、一時間余り時間を共にした。


私が尋ねた訳でもないのに、遺族は息つく間もなく私に話し掛けてきた。
話の中身は故人の自慢話。
どうも、故人はそれなりの社会的地位だったらしい。
それが遺族にとっては自慢に思えて仕方がないようだった。


家柄・学歴から始まり、勤めていた企業、そこでの肩書、やってきた仕事などを誇らしげに喋っていた。
まるで、「故人は、この社会になくてはならない価値ある人」と言わんばかりの勢いだった。


ただ、私には、生前の故人を偲び、讃えて(労って)いるようには聞こえず、ただ優越感を楽しんでいるようにしか思えなかった。
だから、私には耳触りのいい話ではなかった。


私は、特に反応することもなく黙って聞き流していた。
しかし、遺族はそんな冷淡な態度に不満を覚えたのか、どんどんと自慢話をエスカレートさせてきた。


「何か反応しとかないと、この話は終わらなそうだな」
そう思った私は、態度を逆に変えることにした。
しらじらしいくらいに驚き、感心してみせたのだ。
更には、自分を低くして故人の生前とその家族(遺族)を讃えた。


すると、遺族はそれに満足したらしく話のトーンを落としていった。


私は腹の中で思った。
「生きているうちがどんなに偉かろうが、俺には関係ない」
「冷たくなってしまえば、偉人も凡人もだたの死体だ」
「人間の価値って、そういうことじゃないだろ?」
「じゃ、どういうことだ?・・・」


「人の命は地球より重い」
「人の命の価値に差はない」
子供の頃、道徳・倫理の授業などを通じて、教師からこんなことを教わったことがある。
漠然・抽象的な価値観だ。


いい歳の大人になった今、それを考えてみると、今までそれを体感・実感したことがないことに気づく。


「人の命より地球の方が重い」
「人の命の価値には個人差がある」
身の回りの現実を見渡せば、そんなことばかりだ。
大袈裟ではなく、人間一人一人が値札をつけられているように思えるくらいだ。


そんな世の中では、社会的地位と命の価値が比例してはいないだろうか。
・・・している。
内閣総理大臣と特掃隊長の命の価値は同じだろうか。
・・・とても、同じだとは思えない。
だったら、何故、何人の命も平等の価値だと言えるのだろうか。


私が経験してきた学校では、「命の価値は万民平等」と教えながらも、答案の正解は「命の価値には個人差がある」だった。
この現実をどう解釈していいのか分からず、教師に尋ねると、「へ理屈をこねるな!」と一蹴されるか、「ひねくれ者」とされて敬遠されるだけだったように思い出す。


一つの解釈方法として、命を、人間と魂(霊)に分けて考えたらどうか。
魂(霊)の価値は同じであっても、人間の価値は違うと考えればいいのかもしれない。
そう考えれば、なんとなく頭の中が整う。
ごまかしかな?


こんな私でも、自分を価値ある人間に見せたくて、格好をつけたり見栄を張ったりすることが多い。
社会の底辺を自認している私でさえ、「他人からよく見られたい」と言う気持ちが強いのだ。
残念ながら、材料不足(マイナス材料が多過ぎ)で自己満足にもならないことが多いけど。


そもそも、命の価値が分かっていない者(私)に、価値を上げる力・手段を持っているはずがない。
人間の価値を上げようとする悪あがきが、逆に人間の価値を下げているような気もする。


それでも、もがきあがく毎日から少しの光が見えてきた。
死体業15年目、30代後半になってやっとである。

「人間の価値は人が決められるものではない、人が決めてはいけない」


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2006-10-17 17:00:54
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まりも(中編)

2024-12-01 05:58:57 | 遺体処置
「緑の怪物」は、沼から引き上げられたものだった。
事故なのか自殺なのか、私には関係ないので尋ねたりはしなかった。
どちらにしろ、遺族も立ち会っていなかったし、ここまで腐ってしまっていては死因なんて関係なかった。


その沼は、普段は子供達大人達が釣りや水遊びを楽しんでいるような所。
まさか、そんな沼にドザエモンが浮いているなんて誰も思っていなかっただろう。
魚を釣り上げて喜んでいる人もいる訳で・・・そんな魚を食べている人もいるかも?


私は、手や腕をベタベタに汚しながら、何とか遺体を防水シーツに包んだ。
それから、納体袋に入れようとしたのだが、これが重くて持ち上がらない。
もう1~2名の男手が必要だった。


助っ人の男性は、更なる助っ人を呼びに出て行った。
遺体と二人きりになった私は、「なんで沼なんかで死ぬかなぁ・・・」とボヤいた。
死体に愚痴っても仕方がないのだが、吸い込んだ悪臭を愚痴にして吐かないと気が滅入りそうだったのだ。


しばらくして、モノ凄く嫌そうな顔をした部下(後輩)らしき二人の若い男性が霊安室に入ってきた。
二人は明らかにビビっていた。
充満した悪臭パンチを浴びて、作業に入る前からダウン寸前の様子。


腐敗液が各所から流れだしているとは言え、遺体は既にシーツに包んだ状態なので、最初から比べると随分とマシになっていた。
それでも、若い二人にとってはかなりキツいみたいだった。


しばらく我慢していた二人だったが、一人は顔を蒼くして早々とリタイヤ。
もう一人もリタイヤ寸前の様子だったので、とにかく急いで遺体を納体袋に入れることにした。


巨大な怪物と化した遺体は、男三人でもなかなか持ち上げることはできなかった。


「セーノ、ヨイショ!」
ボタボタと垂れる腐敗液に目もくれず、遺体を何とか納体袋に入れた。
そして、「焼石に水」と分かっているものの、ありったけの消臭剤を一緒に入れた。
あとは、袋のチャックを閉じて一段落。
ここまでくれば先が見えた(ちょっと安堵)。


先が見えたからと言って小休止すると、途端にくじけてしまいそうなので、我々は手を休めることなく遺体を柩の中に入れた。
それから、手早く蓋を閉め、蓋と本体の隙間に目張りテープを貼り付けた。


亡骸を葬るなんて雰囲気も気持ちもなく、ただただ汚物処理をした感覚の惰性作業だった。


柩を積み込んだ私は、疲労困憊の状態で搬送車を出発させた。
目的地は斎場の霊安室。
警察署の霊安室ほどではないものの、走る車の中も悪臭が充満。
その原因が、柩(遺体)なのか自分の身体なのか、はたまた鼻の内腔なのか分からなかった。


それにしても、私の鼻は、よくも壊れないでここまで働いてくれている。
ひょっとして、鼻が壊れる前に脳が壊れているのかも?


私が斎場に到着したときは、何人かの遺族が集まっていた。
挨拶をするために近寄って来た私があまりに臭かったからだろう、遺族は悲しみの表情ではなく驚きの表情をみせた。


そんなことは気にせず、私は慣れた手順で車から柩を降ろした。
すると、故人の娘さんらしき人が声を掛けてきた。


「最期の別れになるから、父親(遺体)の顔が見たい」と言う。


家族の誰かが警察で遺体確認をしたはずなのに、娘さんはその状態を知らされていないみたいだった。


「せっかく密閉梱包した柩を、また開けるのか?」
私は、面倒臭い気持ちと娘さんの想いを汲んであげたい気持ちの間で葛藤した。
そして、何よりも、家族とはいえ素人に毬藻人間を見せていいものかどうかを考えあぐねた。

つづく


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2006-10-09 09:22:40
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まりも(前編)

2024-11-30 05:14:12 | 遺体処置
「毬藻」を知っているだろうか。

子供の頃、私の家には毬藻がいた。
祖父が買ってきたものらしかった。
小さな容器の水の中、いつまでもジッとしている緑の球体が不思議に思えた。
実際にも摩訶不思議な生物らしい。


「毬藻」は知っていても、「毬藻人間」を知っている人はいないだろう。
私は、不本意にも毬藻人間と遭遇してしまったことがある(本件に限らず何度も)。


ある日の午後、遺体搬送の依頼が入った。
遺体搬送業務の制服はスーツなので、私はスーツに着替えて出発した。
到着した現場は、警察の霊安室。
何人かの人が入口の前で右往左往しており、中には誰も入れない様子。
どことなく、ザワついた雰囲気だった。


「ヒドイよー!」「クサイよー!」と嫌悪する誰かの声が聞こえた。
正直言うと、私も中に入るのはかなりの抵抗があったのだが、仕事の責任があるので仕方なくドアを開けた。


「ブハッ!」
「ゲホッ!」
あまりの悪臭に、鼻と肺が空気を吸うのを拒んだ。
それ以上、ドアから先に進むことができなかった私は、急いでドアを閉めて一時退却。


とにかく、モノ凄い臭いだった。
普段嗅いでいる腐乱臭を、もっと生々しくしたような臭い(と言っても分かる訳ないか)。
私は、簡易マスクを何重にも着け、気持ちを落ち着けて再突入。
寂しいことに、後に続く者は誰もいなかった。


検死の終わった遺体は、ステンレス台に置かれていた。
バンバンに膨らんだ身体は、今にも溶けだしそうに全身緑色。
全体の形を見ないと、人間だと分からないくらいに酷い有様だった。


「これをどうやって運べっつーんだよ!」
私は、誰にでもなく腹が立ってきた。
遺体搬送業務では、大した装備は携行しない。
しかし、これは特掃級の装備が必要なレベルだった。


中は猛烈な悪臭が充満しており、私の身体は一瞬にしてその悪臭を纏った。
遺族や故人には申し訳ない表現だが、私にとってその遺体は「緑色の怪物」。
私は、怪物を前にしばらく立ち尽くすしかなかった。
そして、どうやって運び出すかを悶々と考えた。


とりあえず、私一人では無理なことは明白。
誰かの助けが必要。
助手を頼めそうな人がいないかと、外に出てみた。
すると、ほとんどの人が私と目を合わすことなく蜘蛛の子を散らすように逃げて行った。


「うわぁ、薄情だなぁ」
わずかに残った人も、私が何か言う前から私と目を合わせようとしなかった。
イザと言う時の人の冷たさを、あらためて痛感した。


そんな中でも、一人だけ「手伝ってもいい」と言う人がいた。
本件の担当刑事らしかった。
仕事への責任感からか、慈善意識からか分からなかったが、とにかく助かった。
イザと言う時の人の温かさを、あらためて痛感した。


私は、その人と中に入り、ジェスチャーを交えながら作業手順を打ち合わせた伝えた。


どちらにしろ、遺体は納体袋に入れなければならないのだが、このままの状態では持ち上げることさえできない。
とりあえず、吸防水シーツで遺体を包んでから納体袋に入れることにした。


まずは、遺体を横に転がすようにしながら、背中からシーツを回し、膨張腐敗した怪物を包む作業。
この作業が、かなり過酷なものになった。


何倍にも膨らんだ遺体の表皮は苔のようなものが付着して、全身緑色。
あちこちに水房ができて破れている。
そして、各所から黄色・茶色・緑色の液体が漏れ出していた。
そのクサイことと言ったら・・・文字でしか表現できないのが悔しいくらい。


身体に触ると皮がズルッと剥けてしまい、下からツルンとした白い脂肪層かでてくるような始末。
シッカリ持つために力を入れようものなら、腐った肉に自分の指がグズグズと食い込んでいく・・・。
でも、そんなことを躊躇っていたら、一向に作業が進まない。


「もー、最悪!」
私は、開き直って手を汚すしかなかった。

つづく


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2006-10-06 13:26:28
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一期一会

2024-11-21 05:33:12 | 遺体処置
30代の男性。
軽自動車で出勤途中だった故人は、生きて帰宅することはなかった。
残された妻子の悲しみは、いかばかりか・・・。


警察の霊安室。
納体袋を開けると、プ~ンと血生臭い臭気があがってきた。
そして、目に飛び込んできた遺体を見て、私は絶句した。


遺体は損傷が激しく、死後処置をどうこうできるレベルではなかった。
腕や脚は不自然な向きに曲がり、何本かの指も引きちぎれていた。
胴体は押し潰され、大きく口を開けた各所のキズから得体のしれない何かがハミ出ていた。
頭も潰れ、顔も既に人間ではなくなっていた。
飛び出した眼球に寒気を覚えた。


言葉は悪いが、ミンチ状態。
「血だらけ」と言うか「肉だらけ」と言うか、それは酷い有様だった。


「せめて、顔だけでも見えるようにできないか」


そう思って納体袋を開けた私だったが、手の施しようもなく黙って再び閉じるしかなかった。


故人には、奥さんと幼い子供がいた。
とても話ができる状態ではなく(話をする必要もなく)、私にできることは、空気のような存在になることくらいだった。


身元確認のため、奥さんは遺体を見たらしい。
遺体慣れした私、あかの他人の私ですら目を背けたくなるような損傷凄まじい遺体。
それを見せられた家族は、とても普通ではいられなかっただろう。


故人の車は、交差点を信号待ちしていた。
そこに、後ろから来た大型トラックが激突したのだった。
トラックは結構なスピードをだしており、ほとんど減速しないまま故人の車に衝突。
そして、故人の車を押し潰しながらビルの外壁に激突して止まった。


故人の車は紙屑のようにグシャグシャに潰れたらしい。
当然、故人の身体もコッパ微塵に。
ほぼ即死状態だったという。


それでも、トラックに衝突されてからビルに激突するまでは、わずかでも間があっただろう。
「アッ!?」と思った瞬間に、故人は何か思うことがあっただろうか。


私は、ふと、そんなことを考えた。


故人とその車がクッションになってくれたお陰で、トラックの運転手は無傷。
交通事故って、往々にしてこんなもの。
まったく、皮肉なものだ。


故人は、いつもの様に、いつもの時間で、いつもの道を通って勤務先に向かっていた。
そして、いつもと違う災難に襲われた。


「いってきます」
「いってらっしゃい」
毎朝と変わらない言葉を交わして家を出たはず。
それが、最期の別れになることは知る由もなかった。


「ただいま」
「おかえりなさい」
夕方になれば、いつもと変わらない言葉を交わすはずだった。
しかし、この家族には遺体と静かに過ごす時間さえ与えられない、寂しい別れが待っていた。


好きな言葉として「一期一会」を挙げる人は多い。
ただ、人の生死やその別れを考えると、簡単な気持ちでは口にできない言葉であるような気がする。


私も、真(深)の意味を学んだことはないが、好きな言葉の一つである。
ただ、その意味を初対面の人に当てはめてしまいがち。
本当は、いつも一緒にいる身近な人にも「一期一会」は当てはめた方がいいのだろうと思う。


生きていれば、色んな苦難に遭遇する。
このケースのように、何の前触れもなく無残な別れを強いられるようなこともある。


「時が経てば、全てが思い出になる」
「人生は夢幻」
とは言え、現実にはそれを背負って生きていかなければならない人達もいる。
そして、それが何時、自分にふりかかってきても不自然なことではない。


当たり前の日常、当たり前のように傍にいる人達に対して、たまに「一期一会」の精神を思い出してみるといいと思う。

・・・なんて偉そうなことを言っていても、人間関係の好き嫌いがなくならない私である。


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2006-10-01 11:05:14
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2024-10-30 04:53:18 | 遺体処置
空は夏から秋へと変わりつつある。
少しずつ過ごしやすい季節になってきた。
こんな時季は大気も不安定。
夏と秋が押相撲をしているようなものか。
あちこちで落雷が発生している。
雷にあたって亡くなる人もいるくらい。
特に、朝の雷は要注意らしい。
秋が夏を寄り切るまでは、しばらくこんな空模様が続くのだろう。

ある家で遺体処置をしていたときのこと。
遺族の中に二十歳前後の男性が二人いた。
二人は私の作業を遠巻きに、もの珍しそうに眺めながら話していた。
回りが静かな分、二人の話し声は誰にも聞こえるものだった。

「お前、仕事を探してんだろ?この仕事やったら?」
「ふざけんなよぉ、やれる訳ねぇだろ!」
「それにしても、よくやるよなぁ」
「だよなぁ」

私の仕事を奇異に思い、嫌悪した会話であることは誰にも明らかだった。
そして、私の耳にも、他の遺族にもハッキリ聞き取れていた。
私は、聞こえていないフリをして作業の手を動かし続けた。
遺族は私から視線を逸らして、それぞれが聞こえていないフリをしているようだった。

私は、誰とも目を合わさないように注意しながら、さりげなく全員の様子を伺った。
気まずそうに下を向いている人、ヒソヒソ話をしている人、ニヤニヤしながら隣の人とつつき合っている人etc、色々いた。

若い二人は、自分達の声の大きさは気にすることなく、話しに夢中になっていた。
二人は故人の孫らしく、従兄弟か兄弟のようだった。
そして、故人を取り囲む遺族の中に二人の親らしき人もいた。

遺族の誰かが、親に合図を送っていた。
さしづめ、「子供達を黙らせろ!」といったところだろう。
親は困った様子ながら、一向に子供達を制止するような行動はとらなかった。

その場は、故人の死を悼む雰囲気が消え、皆が気持ちの置き所を失ったような気まずい雰囲気が漂っていた。

こんなことには何度も遭遇している私だが、その度に色んなことを考えさせられる。
そして、時には不快に、時には悲しく、時には腹も立つ。
そして、今回の場合は残念に思った。

人が頭の中で何を考え、腹の中でどう思おうと、その人の自由だ。
ただし、言葉にして発すると意味は変わってくる。
更に、それが相手に聞こえてしまっては、もうそれは陰口ではない。
言葉が暴力になってしまうこともある。

私は、若者二人から投げられた言葉はほとんど気にならなかった。
そんなの日常茶飯事だし、自分の中にも似たような葛藤が付き纏っているから、他人のことをどうこうと言えた柄ではない。

残念な気持ちは、若者二人の陰に隠れてモジモジしている大人達の姿にあった。
言いたいことがあるのに言えない(言わない)大人達。
言うべきことを言わずして、言わなくていいことを言う大人達。

実は、礼儀・マナーと世渡りのテクニックは相関するものだったりする。
しかし、多く人がそれを相反するものとしているのではないだろうか。

この家の親子に見られたように、今の社会は、親子の縦関係が崩れているような気がする。
横関係、つまり親子が友達のような関係であることが良しとされる風潮になっているということ。

例によって個人的な自論だが、やはり親子関係はキッチリした縦関係であるべきだと思う。
親は子供に言うことをきかせるべきであり、子供は親の言うことをきくべき。
そのためには、楽しいばかりの馴れ合い関係ではなく、厳しさも備えた信頼関係が必要。

厳しくしているつもりで冷たくしてしまうこと、優しくしているつもりで甘やかしてしまうこと、そんなことをやってはいないだろうか。

こんな社会には雷が必要だと思う(自戒も込めて)。
雷親父が落とすデカいヤツね。


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2006-09-12 19:43:14
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目・鼻・口

2024-10-21 09:55:19 | 遺体処置
最近でもたまに遭遇するが、私が死体業を始めた頃は口や鼻から腹水がでている遺体が多かった。

私が「腹水」と呼んでいるものを分かり易く説明すると、「胃に溜まった腐敗体液」、あるいは「胃の内容物が腐敗したもの」。
色は、黄色っぽいものから茶色っぽいものまである。
どれも臭いのだが、色が濃いほどその臭さもキツい。
特掃現場の腐乱臭とはまた違った臭さだ。

腹水が溜まっている遺体は、だいたい腹部が張って口腔から異臭がしている。
腐敗ガスが腹を膨脹させ、それが少しずつ口から漏れているのだ。
経験を積めば、すぐにそれと分かる。
そして、それが分かると未然に腹水トラブルを防ぐ死後処置が施せる。

遺体と対面する時には既に口や鼻から流れ出してていることもある。
または、流れ出てはいなくても、今にも吹き出そうな遺体もある。

腹水トラブルの一つ。
まだ経験が浅い頃は腹水の有無をよく観察せず、不用意に遺体を動かしてしまい、口から腹水を噴出させたことが何度かある。
更には、その様を目の当たりにした私も「もらいゲロ」に似た感覚でオエッ!となってしまうことも。
遺族の前でこれをやってしまうと、非常にマズイ。
遺体の口から臭いガスと茶色い液体がグシュグシュ!ブシュブシュ!と音をたてて吹き出す様を想像してもらえると分かると思うが(想像できる訳ないか)、辺りには悪臭が充満するし、遺族もビックリ!して遺体を怖がるようになってしまう。
もっとヒドイ場合は、口な鼻の中に小さなウジが這い回っている。
彼等は、口や鼻の内腔を食っているのだ(これは想像しない方がいいと思う)。

また、目から体液が流れていることもある。
これがまたいけない。
遺体が涙を流している訳でもないのに、遺族には泣いているように見えてしまうからだ。
その状況は、遺族の悲嘆に追い撃ちをかけてしまう。

私の場合、「故人が泣いている」と言って悲しむ遺族にはあえてクールな説明をする。
「あくまで、死後変化の一過程」と。
神経を弱めている人に霊的な話や精神論は禁物だし、こんなケースではそんな無責任なことを言ってはいけないと思っている。

しかし、そこで目から流れる体液を止められなければ何の意味もない。
口ばかり達者で、理屈ばかり通しても遺族の悲嘆を軽くすることはできない。
やはり、口にも勝る経験と技術が肝心。
こういった遺体のトラブルを防ぐためにも、キチンとした技術を用いた死後処置を施しておくことが大切である。

一見、可哀相な事をしているような感を受ける死後処置の作業。
自分でやっていて痛々しく思えることもある。
ただの自己弁護かもしれないが、同じ仕事をするにも故人を思いやる気持ちを持っているか否かで、死体業の価値が大きく変わってくると思っている。

一般の人には、その辺のところがなかなか理解してもらえないんだけどね。

まぁ、どんなに考えたところで、目から涙・鼻から鼻水・口から唾がだせているうちのことか。


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2006-09-09 18:38:14
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命の選択

2024-08-14 05:42:00 | 遺体処置
今年の夏は短いように感じる。
長かった梅雨が明けてからも、グズついた天気が多かった。
日照不足のせいで野菜や果物も作柄がよくないらしく高値が続いている。
普段は食べたくない野菜でも、高値がつくと急に食べたくなる。不思議だ。
本当に食べたいのは野菜ではなくて、金銭価値なんだろう。

例によって、今年も全国各地で水の事故が多発している。
命の洗濯のつもりで出掛けたレジャーが一変するときだ。

ある中年男性が溺死した。
家族で海水浴に出掛けた先で。
検死から帰宅した遺体は全裸でビーチの砂にまみれていた。
遺体を前に妻子は呆然、泣くに泣けない様子だった。
ここでも、楽しいはずの夏休みが一変していた。
体格のいい故人は、泳ぎには自信があったのだろうか。
それとも、気をつけていたのに波に流されてしまったのだろうか。
ふざけて遊び過ぎたのかもしれない。
どちらにしろ、海に入ったことが命取りになってしまった。

まず、身体のあちこちに着いた砂を取り除かなければならなかった。
これは並の作業で済んだ。
しかし、髪の毛にビッシリ入り込んだ砂をとるのが大変だった。

始めは、クシで髪をとかしながら砂を掃い除けようとした。
すると、砂だけではなく髪の毛自体がバサバサと抜け落ちてきた。
頭皮がかなり弱っているらしかった。外見は何ともなかったのに。
そのままやり続けると砂は除けても髪もなくなる。
とりあえず、その方法は中止。

「どうしようかなぁ」と思案しながら、どうするかを妻に相談。
気が抜けたようになっている妻は言葉を発することができず、私の問い掛けに返事をするのが精一杯のようだった。
気持ちは分からないでもかったが、いくら話してもラチがあかず困った。
遺族の希望を汲みながら、私が主導してやるほかないと判断。
やはり、頭が砂だらけのままでは偲びない。
しかし、頭髪が抜けてしまってはどうしようもない。
手間はかかるけど、水で洗い流してみることにした。
作業的には大がかりになり結構な時間を要したが、水流(水圧)のみを使って砂を流し取る方法は抜群にうまくいった。
我ながら満足した。

きれいになった故人には、普段から家で着ていた楽な服を着せた。
何を着せるか家族がハッキリしないので、私なりに熟慮して決めさせてもらった。

生前のままに戻った故人を見て、色々な想いが一気に噴出してきたのだろう、今まで寡黙・無表情だった妻子はいきなり号泣し始めた。
その場にいて言葉がでなかった。
気の毒に思いながら、俯いているしかなかった私。

楽しいはずの海水浴で、大事な夫・父を亡くしてしまった家族。
一家の大黒柱をいきなり失った家族には、その後どんな人生が待っているのだろう。
少なくとも、残りの夏休みが楽しいものにならないことは容易に想像できた。

人の死には色々なケースがある。
事故死の場合、自らの選択が死に向かわせているように思えることが多い。
本人は、死なないことを信じて疑わないのに。

命の選択。
人生は選択の繰り返し、選択の積み重ね。
小さな選択がその後の人生を大きく変えることもある。
選択の先にあるものを、誰かが教えてくれると助かるんだけどね。

それにしても、私は、あの時なんで死体業を選択してしまったんだろう。
んー、分からん!



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ロンリーミッドナイト

2024-08-11 13:15:42 | 遺体処置
私の仕事は、365日24時間の電話受付と見積を行っている。
昼間ほどの数はないながらも夜間に電話が鳴ることもある。
そして、「今すぐ来て」という要望も。

夜中の出動は独特の辛さがある。
それは、暗闇の怖さではなく眠気の辛さ。
昼間の仕事と夜の出動が続くと本当にツライ!
そんな日が続くと、仕事があることに感謝するどころか「今夜はゆっくり寝ていたい(仕事が入るな!)」と願ってしまうこともある。

かなり前の話になるが、自殺遺体の処置業務で夜中に出向いたことがある。
遺体処置業務での夜中出動は珍しいことなので、「何か、特別な状況なのかな?」「なんでこんな夜中にやる必要があるんだろう」と少々不思議に思いながら緊張して現場に向かった。

現場に到着した私は、目当ての部屋を訪問。
現場はアパートの二階、首吊自殺だった。
警察の検死は終わっていて、遺体は首を吊った部屋に安置されていた。
警戒していたような特別な状況ではなかった。

その場にいた遺族は故人の両親の二人きり、他には誰もおらず二人は遺体を前にした神妙な面持ち。
私の到着を心待ちにしていたようで、私が参上すると安堵の表情を浮かべた。
と同時に「あとはヨロシク」と言わんばかりに、さっさと退室。
そして、車に乗ってどこかへ行ってしまった。

「えッ!?」
てっきり、作業中も遺族が立ち会ってくれるものとばかり思っていた私は意表を突かれた。
遺族とコミュニケーションをとる間もなかった。
遺体とともに夜中のアパートに取り残された私は、遺体の顔を見ながらしばし呆然。
いつも通りの仕事をやるしかなかったのに、なんだかやる気がでなかった。
「・・・取り残されちゃいましたねェ」、いつもの独り言。
両親に放られた遺体を少し不憫に思った。

そそくさと去って行った両親は、どうも世間体を気にしているようだった。
それも、かなり。
しかし、遺体処置は夜中にやる方が余計怪しいし、昼間だと気にならないくらいの物音でも夜中だとかなり響く。
世間体を気にするのなら、昼間にした方がマシというものだった。
まぁ、両親なりに考えて決めたことだろうから、それ以上は深く考えないようにした。

さて、何となく虚しい感じの作業になったが、とりあえずは無事に終えることができた。
しかし、肝心の両親が戻って来ない。いつまで待っても。
私は、遺体を放置して鍵もかけずに現場を離れる訳にもいかないので、仕方なくその場にいることにした。
最初は、遺体の前にきちんと正座をして待っていた。
そのうち、足が痛くなってきて、あぐらをかいた。
更に、疲れてきて、手を床(畳)について座った。
ついに、睡魔が襲ってきて、横になりたい衝動にかられ始めた。

「遺体の横に寝るか?」⇔「そりゃダメだ!」
「寝ちゃおうかな」⇔「そりゃマズイ!」
頭を何度もカクンカクンさせながら、睡魔と戦った。
睡魔って、本当に怖い。
遺体が気持ちよさそうに眠っているように見えてしまい、羨ましく思えてきた。

どうにかして睡魔を追い払わなければならない私は、鼻歌を歌ったり返事をしない故人に話し掛けたりしてその場をしのいだ。
近隣住民は、遺体のある部屋から鼻歌や一人の話し声が聞こえてくるので不気味で仕方なかったかもしれない。
世間体を気にして夜中作業にした両親の思惑はこれで台無しになったかも。

結局、両親は空が明るくなり始める頃に戻ってきた。
私は、ほとんどボケボケ状態になっていた。朝陽が夕陽に見えていた。
戻ってきた両親には、「連絡をくれればよかったのに」と呆れ顔で言われたが、私は内心で「連絡先も言わずに勝手に行ってしまったのはアンタ達の方だろ!」と憮然。
でも、言葉では「作業に時間がかかったので、たいした時間は待っていませんでしたから・・・」と微笑まじりの営業トーク。

何はともあれ、両親に現場を引き継いで、私はその場を離れた。
静かな夜をともに過ごした遺体に変な親近感を覚えていた私は、遺体に「バイバ~イ」。
「袖擦り合うも他生の縁」、生きてりゃ結構いい友達になれたかもしれない?


トラックバック 2006-08-22 16:54:13投稿分より
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冷たいヤツ

2024-08-07 04:41:48 | 遺体処置
人の身体は死んだ瞬間から腐敗を始める。
死後1~2時間程度でも既に腐敗臭がするようなケースも珍しくない。
その腐敗開始の早さは驚きものだ。

一般的に、遺体は腹(内蔵)から腐り始めると言われている。
私の実体験でもそれに違いはない。
一見、何ともなさそうな遺体でも、着衣を取ったら腹部か濃緑色に変色していることがよくある。
そして、それが次第に広がってくる。
もちろん、遺体が置かれる環境・施される処置によって腐敗スピードは異なるため、その腐敗速度を少しでも遅くさせるために手を尽くすことも、我々の仕事の大きな役目である。

遺体は火葬まで冷蔵されるのが一般的。
霊安室の冷蔵庫で保管されることもあるが、それよりドライアイスを当てられて冷やされることの方が多い。

冬場だとドライアイスは10kgもあれば充分、しかし、今のような夏場は10kgでは足りず20kgや30kg使うこともざらにある。
それだけ、遺体に暖は禁物ということ。

しかし、あまり冷やし過ぎると、身体が小さく痩せている老人などは全身が凍結していることもある。
身体や気温に合わない量のドライアイスを当てるとそうなる。
全身カチンコチンになった遺体は、頭だけ持ち上げようとしても首は曲がらない。
身体ごと持ち上がってしまい、見るからに不自然。

でも、ここまでやれば腐敗スピードをかなり落とすことができる。
あとは遺族の心象にどう映るがが問題。
遺族は「死後硬直」だと勘違いしていることが多く、雰囲気によっては私もあえて説明しないことが多い。
少々腐ってもいいのか、それより少々冷やし過ぎの方がいいのか、判断が分かれるところだ。

しかし、こうも暑いと自分にドライアイスを当てたくなる。
若かりし頃の夏、あまりに暑かったのでドライアイス用の冷蔵庫に頭を突っ込んだことがある。
先輩から首根っこを掴まれて、「バカ野郎!死にたいのか!」と怒鳴られた。
ドライアイスは二酸化炭素の塊で、そんなことをしたら中毒(酸欠)死しかねないらしい。
危なかった・・・無知は恐い。

それにしても、人間が死んだら腹から腐り始める事実を、私は妙に納得している。
ひょっとしたら、人の「腹」は生きているうちから少しずつ腐っているのかもしれない?
そして、そんな人が「冷たいヤツ 」と呼ばれるのかもね。


トラックバック 2006/08/19 08:34:30投稿分より
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苦々しい

2024-07-08 05:25:28 | 遺体処置
ある若者が、あるマンションから飛び降り自殺をした。
高層階から3階天井のでっぱりに激突、その血しぶきと肉片は4階のベランダにまで飛び散っていた。
乾いた血痕と肉片は落とし難い。
しかも、汚染個所が高い壁だと作業もしづらい。
私は仕事だから仕方ないけど、何の関係もないのに、いきなり見ず知らずの人間の血肉で自宅が汚された方は、本当に気の毒だった。
こんな現場に遭遇すると、「汚すのはせめて自宅だけにして欲しいもんだな」と思ってしまう。死人を貶めるようなことを言ってしまうようだけど。

その遺体の損傷も激しかった。
例の納体袋に入っていたその遺体は、頭が割れ、脳がハミ出ていた。
ちょうど、焼けて膨らんで破れたパンのように。
髪は血のりでベッタリ、血生臭さがプ~ンと漂っていた。

私が自殺の理由を知るはずもない。
ただただ遺体を処置するのみ。
頭はどうすることもできず、脳ミソを頭にしまって包帯をきれいに巻くしかなかった。
飛び降り遺体の場合は、このパターンの処置法が多い。やむを得ない。

遺族は号泣。それは悔し泣きにも聞こえるものだった。
そんな中、遺族の男性がいきなり遺体を殴りつけた。
「バカタレが!こんなヤツはこうしてやればいいんだ!」と怒りの鉄拳を食らわせたのだ。
あまりにとっさのことで、間に入って止めることもできなかった。
二発目を繰り出そうとしたときはさすがに私も止めに入ったが、その怒り様は私も殴られるかと思ったほど。
しかし、遺族の誰も止めに入らない。
故人の自殺と損傷激しい身体にショックが大きかったのだろうか、それとも男性の殴りたい気持ちを理解していたのだろうか、私だけが男性を止めていた。
「俺の遺体に手をだすな!」じゃないけど、せっかく処置してきれいになったものが、再び出血などで汚れてしまってはもともこうもない。
またまた冷酷かもしれないけど、男性を止めた理由が故人の尊厳を守るためではなくて、自分の職務を守るためであったことが自分らしくて苦々しかった。

ある中年男性が亡くなった。
妻はやたらと明るく元気そうに見えた。
余程の強い精神力を持っているのか、または、故人に心配をかけたくない一心で、とにかく気丈に振舞っていたのか・・・真実は分からないけど、とにかく明るくてよく喋る女性(妻)に、意味もなく辛気臭くすることが嫌いな私ですら違和感を覚えた。

その女性は何年か前に息子を亡くしていた。
そして今回は夫を亡くして一人ぼっちになってしまった女性。
「何年か前に一人息子を亡くして、今回また夫に先立たれた訳か・・・さぞや寂しいだろうなぁ」と思う間もなく、女性の明るい声が耳に飛び込んでくる。
「人が死んだからと言っても、わざわざ暗くなることはない」と思いながらも、そのギャップが奇妙に思えた。

故人には一張羅のスーツを着せた。
そして、訊きもしないのに、女性は勝手に話しを続けていた。

故人を柩に納めたら、「忘れ物!」と女性が叫んだ。
どうも、柩に入れたい副葬品があるらしい。
「ちょっと待って下さい」と、それを探しに部屋から出て行き、しばらくの時間が経った
「大事な物なのだろうから、ゆっくり待っていてあげよう」と思い、しばらく畳の上に座っていた。
「大事な物だとしたら、何だろう」
退屈しのぎに勝手な想像を膨らませながら待っていた。
しかし、「ないなぁ、おかしいなぁ」という声ばかりが聞こえて、一向に女性が戻ってくる様子がない。
畳に正座していた私はだんだんと足が痺れてきて、我慢できなくなった。
痺れをとるために立ち上がったついでに、女性のいる部屋へ声を掛けてみた。
女性は、いくら探しても目当ての物が見つからない様子。
長時間かかったけど、結局、目当ての品は見つからなかった。

「ところで、その物は一体何なんですか?」と私。
「息子が死んだときに柩にスーツとワイシャツを入れてやったんですけど、肝心のネクタイとベルトを入れてやるのを忘れてしまいまして、せっかくだからお父さん(故人)に持って行ってもらおうと思いましてね」と女性。
夫の死を「せっかくの機会」と捉えるとは、なかなかタフな女性である。
「そのネクタイとベルトはどんなデザインなんですか?」
無駄な質問かとも思ったが、世間話として訊いてみた。
意外なことに、女性が応えたデザインに心当たりがあった。
少し前に故人の身につけたそれと同じだった。
「あのー、これじゃないですか?」と遠慮がちに故人の身体を指した。
「これ!これ!これ!お父さん、○○(亡き息子の名前)のを勝手に着けちゃダメじゃないのぉ!」と嬉しそうに故人にツッコミを入れる女性だった。
私は微笑ましく思うべきなのか、コケていいものなのか迷った。
とにかく、一緒に苦笑いするしかなかった。

今となっては、女性の明るさの訳は知る由もない。
「金は人を変える・・・元気の源が多額の生命保険金でなければいいな」と思ってしまう金銭至上主義的思考が自分らしくて苦々しかった。


トラックバック 2006/08/03 09:28:24投稿分より
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犬と柿と別れの宴

2024-06-25 05:48:52 | 遺体処置
日本人の平均寿命は男性が77.64歳、女性が84.62歳らしい。
世界的にも長寿国。
現実を見ても、80歳を越えても元気なお年寄りが多く、そんなに長寿というイメージはない。
90歳を越えると長寿という印象がでてきて、100歳を越えると「長生き!」になるのではないだろうか。
実際にも、100歳を超えた故人に合うことはあまり多くない。

葬式というものは普段は顔を合わさない遠い親戚や、疎遠になっていた友人・知人と再会する社交場としての役割もある。
そして、多くの人達が故人の死を忘れて久し振りに会う人との交流に没頭したりするのである。そんな光景は、故人にとっても不快なものでもないと思うし、私的には悪くないことだと思っている。
葬式だからと言って意識して辛気臭くしているよりも、自然体で人と関わり、時には笑顔を浮かべたり笑い声を上げたって一向に構わないと思う。

100歳を越えた老婆が死んだ。
その家に訪問したときは、大勢の人達が集まって酒盛りをしていた。
「100年以上の生涯をまっとうしたのだから立派なもの」「めでたい、めでたい」と。
老年の息子や娘達に中年の孫達、そして年頃の曾孫に幼年の玄孫までいて、それはそれはとても賑やかな宴だった。
一人の人間が死んだのに、そこには悲くて淋しい雰囲気はなかった。

外では、よそ者の私に対して犬が吠え続けていた。
生前の故人が可愛がっていたらしい飼い犬だ。
遺族の中の男性(故人の孫)が、外の犬に向かって「うるせー!このヤロー!黙ってろ!」と怒鳴りちらしながら私には「スイマセンね、バカ犬がうるさくて」と。
私にとっては吠える犬よりも怒鳴る男性の方がうるさかった(笑)

そんな中で、「こういう別れ方があってもいいんだよな」と微笑ましく思いながら私は遺体処置作業を進めた。
酒や食べ物を手に持ったままの人が、故人に近づいては一声掛けたり触ったりして、再び宴に戻っていく。
子々孫々、色んな人が故人に近づいては、そんな別れを繰り返していた。

そんな状況だから、「そのうち自分にも声がかかるだろう」と心の準備をしていたら、やはり「アンタも一杯やって下さいよ」と声が掛かった。
心を許してもらえたような気がして、ちょっと嬉しかった。
「仕事中ですから」なんて言って断るのは野暮ってもの。
死体業はただの仕事ありながらも遺族にとってビジネスとは感じにくい性質を持つ。
死体業は、故人や遺族の極めてプライベートな所まで入り込まないといい仕事ができないし、そこに入れてもらえる嬉しさみたいなものがある。
社会からは嫌悪されても、他人である依頼者に心を許してもらえるような、信頼してもらえるような、そんな嬉しさである。
この宴は故人との別れの宴。
その場の雰囲気を乱さないことを心掛けて宴に混ざった。

誰かが、「庭の柿を食べよう」と言い出した。
生前の故人も柿が好物で、庭に立つ柿の木は、故人に長男が産まれた時の記念樹らしかった。
何人かの男性が外へ出て、たくさんの柿を採ってきた。
もちろん、私も一緒に食べた。その甘さは格別だった。
「柩に入れてあげたらどうですか」と言ったら皆が同意、一人一個づつの柿を柩に納めた。
遺体の回りは小さな柿の実でいっぱいになった。
そこに集まった老若男女すべてが、みんな故人の血を受け継いだ人達だった。
そこに、故人が生きた証と力があった。

外では、相変わらず犬が吠えていた。
そして、ますます酔いが回ってきたアノ男性が「うるせー!」と怒鳴っていた(笑)。
聞けば、その犬は、男性の亡き父親と名前が同じとのこと。
その男性の父親ということは故人の息子(長男)になる訳で・・・産まれた時に柿の木を記念樹にしたときの子供・・・。 
先に逝った息子の名前を飼犬につけて可愛がっていた故人だったらしい。

私はもちろん酔いが回るほどは飲んでいなかったけど、賑やかに送ってもらっている故人の顔が笑っているように見えた。

長寿だろうが短命だろうが、誰にでも生きた証は残る。
犬が元気に吠える声、柿の甘さ、宴の活気から生きることのエネルギーを感じた。
「この故人は、かけがえのない多くの宝物を残したな」としみじみ思いながら、宴を静かに抜けた私であった。

トラックバック 2006/07/25 12:32:16投稿分より
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パートナー

2024-06-24 07:30:53 | 遺体処置
ある老年男性。
妻の葬儀のため一時退院してきた夫は、何も言われなくても病弱ということが明らかだった。
痩せ細った身体は、誰かの介助がないと部屋を移動することもままならない様子。
本来なら、一時退院できるような身体ではなかったのに、無理を言って一時帰宅したとのこと。
「長年連れ添った妻の葬儀」と言えば病院側も承諾せざるを得なかったのだろう。
夫は弱々しい中にも力のこもった言葉で、妻の亡骸に向かって何度も「ありがとう」「ありがとう」と声を掛けていた。そして、「もうじきそっちに行くから待っていてくれ」とも。
作為的な脚色だけど、その別れのひと時は、老夫婦が最期の輝きをみせた瞬間に見えて神妙な気分になった。
その一週間後、私は同じ家に行くことになった。
現場に到着するまで同じ家だとは気づかないでいた。
その家の玄関に到着して、「ん?先週来たばかりの家だ・・・間違いかな?」と間違いじゃないかどうかを会社に確認した。
間違いではなかったので「アノお爺さんが亡くなったのか・・・?」と思いながら玄関を開けた。
亡くなったのは、やはりアノお爺さんだった。
不謹慎かもしれないけど驚きはなかった。
遺族には何と声を掛けていいのか分からず、前回訪問時に比べて自然と言葉数も少なくなった。
対する遺族も私と何を話せばよいのか分からず、言葉が見つからない様子。
既に顔見知りの双方に余計な会話は必要なかった。
故人となったお爺さんは葬儀が終わってから直ちに再入院したものの、体調を一気に崩して妻の後を追うように亡くなったとのこと。
「すぐに自分も逝くから・・・」という言葉は現実のものとなった。
本人にとっては、死に対する心の準備と覚悟がきちんとできていた上での言葉だったのだろう。
帰り道、「お爺さんは、天国でお婆さんと再会できただろうか・・・」としみじみ考えたのを憶えている。

ある老年女性。
夫の亡骸に添い寝をしていた。
最初は家族も止めさせていたのだが、いくら止めても目を離した隙に添い寝をしてしまうらしく、家族もお婆さんの執拗さに根負けしてしまったらしい。
私も仕事がかなりやりにくかったけど、そのお婆さんの気持ちを思えば思うほど遺体から引き離すことはできなかった。
この老夫婦も長い長い年月を共に過ごしたのだろう。
子供達も立派に育て上げ、それぞれがいい歳になり、大きな孫もたくさんいた。
私自身も死体には抵抗感が少ないと自負?している人種だけど、さすがの?私も死体と一緒に同じ布団で寝るのは抵抗を覚える。
「お婆さんは、よっぽどお爺さんのことが好きだったんだろう」
そう思うと、微笑ましくもありながら死別の淋しさが一層気の毒に思えた。
夫を失った喪失感は他の何によっても埋めることはできないのだろう。
遺族からは「こんな調子じゃ、お婆さんも長くないかもな・・・」という溜息も聞こえてきた。
その後、そのお婆さんがどんな人生を過ごしたのかは知る由もない。

一般的には、一生のうちで最も長い間を共にするのは親子でもなく兄弟姉妹でもなく夫婦(配偶者)だろう。
お互い、長生きすればするほど共に過ごす時間も長くなる。
そして、共に過ごす時間が長くなるほど、単なる愛や情を越えた固い絆ができてくるのではないだろうか(想像)。
「生まれ変わっても同じ相手と結婚したい?」なんて愚問は熟年(熟練)夫婦にはナンセンスかも。
その応えは、現世での諸事情があるだろうから、「No!」と言う人もいるだろう。
それはそれで仕方がない。
双方「Yes!」が気持ちいいけど、双方「No!」でも悪くない(それも人生)。
でも、片方が「Yes!」で片方が「No!」だったら・・・なんか嫌だな(笑)。
来世での再婚は希望しないまでも、「亡くなった連れ合いには天国に行ってほしい」と願う人は多いのではないだろうか。そして、天国での再会を願う人も。


「生きているうちに、もっと相手のことを愛すべきだった」
私の経験では、パートナーに先立たれた人の中にはそんな後悔を抱えている人が多いように感じる。
日々の生活と、この社会に生き残るための戦いに追われてばかりの人生では、そんな心のゆとりすら持てない。
でも、ちょっと小休止して立ち止まってみよう。
そして、結婚当時を思い出し、自分を見つめ直してみよう。
自分にとって本当に大切なものを、もう一度探してみたらどうだろうか。
明日から・・・イヤ、今からでも心を入れ替えることはできる。
パートナーへの接し方を変わればお互いの人生も変わる。
そして、「生まれ変わっても一緒になりたい」と思えるようになる・・・といいね。


トラックバック 2006/07/24 14:17:33投稿分より

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2024-06-22 05:58:44 | 遺体処置
「悪夢にうなされるようなことはないのか?」という類の質問が読者から寄せられることがチラホラある。
そういう質問を受けてあらためて思い出してみると、私は仕事がらみの夢はあまり・・・と言うかほとんど見ていないことに気づいた。
ただ、そんな夢も皆無ではない。
かなり前にみた夢だが、覚醒してからもしばらく後味の悪い思いをした夢を紹介したいと思う。


遺体処置業務のこと。
古めの一戸建、私は死んだ老婆に死後処置を施していた。
遺族も一緒に立ち会い、ほとんどの遺族に共通して見られるように、その雰囲気と振舞いは悲しみに包まれていた。
昨日のブログ記事にも通じる部分がある、何となく身体の温かさが残っている、まだ生死の間にいるのではないかと思えるような遺体だった。
作業を進めているうちに、何となく遺体が動いたように感じた。
「気のせいか?」と思いながら更に作業を進めていると、今度はかすかに息をしているように感じた。
さすがに変に思った私は遺体の口元に耳を近づけた。
かすかながら、しかし明らかに呼吸をしていた!
そして、かすかに身体も動き体温も取り戻してきていた!
そう、老婆は生き返ったのである。

驚いた私は、一気に興奮状態。
急いで口や鼻に詰めた綿を取り出し、老婆の蘇生を手助けしようと躍起になった。
一緒にいた遺族にも「おばあさん、生き返りましたよ!」と喜びの声を掛けた。
と同時に「急いで、救急車を呼んで下さい!」と頼んだ。
私は「死者の蘇生」という初めての経験と、老婆が生き返った喜びにかなり興奮していた。

しかし!遺族は一向に救急車を呼ぶような素振りは見せず、何やら身内同士でヒソヒソ話を始めた。
「急いで!早く!」と促す私と、それを無視して静観する遺族。
そして、よく見ると老婆の蘇生を喜んでいる遺族は一人もおらず、それどころかみんな困ったような不快な表情を浮かべていた。
遺族との間にかなりの温度差があることに気づいた私は、独りで勝手にテンションを上げてしまった気恥ずかしさと、蘇生した老婆をどうすればいいのか分からなくなった困惑とで気分がブルーになってしまった。
「なんて冷酷な遺族なんだ!」「さっきまで、老婆の死を悲しんでいたばかりじゃないか!」と。
そんな状況の中で目が醒めた。

この夢を見た当時は、この遺族に人間の本性を見てしまったような気がして後味の悪さに閉口したものだった。
しかし、今、あらためて思い出してみると当時とは違った考えが湧いてくる。
「老婆の蘇生を素直に喜べない、他人には分からない事情があったのかも」と。
介護や看病などの手間、人間関係の問題、経済的な理由など・・・。
夢の中の出来事とはいえ、老婆の蘇生に歓喜した私の喜びは、所詮、人の生存本能からくる無責任な喜びでしかなかった。
対して遺族には責任がある。
「老婆に対しての責任がつきまとう遺族には、素直に喜べない事情があったのかもしれない」
今は、そう思うのである。
そして、私が、遺族や遺体に無用な感情移入をしないようにしている理由は、この辺りにもあるのだろう。

「他人の不幸は蜜の味」という言葉がある。
イヤな言葉だけど、人間の本性を突いた言葉でもあると思う。
私自身にも思い当たる節がたくさんある。
自分以外の人間と喜びや悲しみを真に共有することって、かなり難しいと思う。
ましてや、赤の他人と死の悲しみを共有することなんかできやしない。
少なくとも、この私には。
だから、遺族に対して無責任かつ野次馬根性的な感情移入はできない。
そして、自分のことを、「他人と喜びも悲しみも共有できる善人」と勘違いしないように気をつけている。恥ずかしながら、実態はその逆だから。

そんな私の態度は時には冷淡に、時にはビジネスライクに、そして時にはプロっぽく映るかもしれない。
賛否あると思うが、それが私なりに義であり礼である。

梅雨のせいで脳ミソにカビが生えたのか、仕事疲れのせいで脳ミソの回転速度が落ちたのか、最近はサッパリとくだらないジョークを思いつかなくなった。くだらないオチもね。
そんなの必要ないかもしれないけど、そんなささやかな笑いを提供できる粋な(自己満足)自分が好きだったりするものだから、最近の自分を自分で観察すると「イケていなぁ」とぼやきたくなる。
くだらない事でも笑えるくだらない男だから。


トラックバック 2006/07/22 09:35:05投稿分より

お急ぎの方は
0120-74-4949
ヒューマンケア株式会社
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ちょっとドキッ!

2024-06-21 06:32:04 | 遺体処置
遺体の眼がパッチリ開いていたとき。
薄目を開けている遺体は珍しくはないし、完全に目蓋を開けている遺体も少なくない。
その多くは、筋肉の緊張がなくなったり、腐敗が進行することが原因で眼球が下がることによって起こる現象。
この状態の目蓋を閉じるにはちょっとした技術が必要。
薄目ならともかく、パッチリと眼が開いた状態はさすがの遺族も気味悪がる人が多い。
そう言う私も面布(遺体の顔に掛ける白い布)を取った瞬間、ちょっとドキッ!とする。
そして、私の経験では100%の遺族が「閉じてくれ」と依頼してくる。
やはり、「遺体は眼を閉じているべき」という先入観があるのかな?

ロープがぶら下がっていたとき。
遺族もなかなか言い出せないのだろう、自殺現場だと知らされずに現場に出向くことがある。
床などの汚染部分に目を奪われていて、突然、ぶら下がったままの首吊ロープを見つけたら、ちょっと引く。
無神経な私は思わず「自殺ですか?」とストレートに訊いてしまう。
訊いた後で「もっと気を使った言い方をすればよかった」と思うことが多い。

遺体を落としてしまったとき。
親しい知人の母親が亡くなったとき、遺体を病院から自宅に運んだ。
車から遺体を降ろすとき、ストレッチャーの脚がうまく伸びずに担架ごと地面に遺体を落としてしまった。
遺族からは「キャーッ!」と悲鳴が上がったと同時に私も声にならない悲鳴をあげた。
遺族の一人が親しい友人だったことが不幸中の幸いで、謝って済ませてくれた。
これが、謝るだけじゃ済まない相手だったら・・・と思ったら今でもちょっと冷汗もの。
(7月8日掲載「そこのけ、そこのけ、死体が通る」参照)

遺体が声をだしたとき。
遺体の口腔内にはガスや空気がたまる。
遺体を動かすときにそのエアが口から漏れることによって、声を出したように聞こえるときがある。
そんな遺体には「生き返るかもしれない・・・」という妄想が頭を過り、しばらく作業を止めてしまう。
もちろん、私の経験には遺体が生き返ったという事例はないが。
やはり、声が聞こえるとちょっと手を止めてしまう。

遺体が温かいとき。
普通の人は温かくて柔らかいのが人間だと思っている。
私にとっては冷たくて硬いのも人間。
しかし、遺体は冷たくて硬いものばかりではないときがある。
亡くなってから間もない人や保温性の高い状態で安置された人などは、体温が温存されていることが多い。特に、外気に触れにくい背中は。
普通の人は冷たくて硬い人を触るのには抵抗があると思うが、私は温かくて柔らかい人にちょっと抵抗感を覚える。だって、その人は死んでる訳だから。

車にウジがいたとき。
作業を終えて後片付けを済ませて帰途につく車に乗ったら何故か座席にウジが這っている。
「なんでこんな所にウジがいるんだ?」「俺が連れてきたのか?」と思ったら、急に気持ち悪くなる。
見える範囲で自分の身体を見回す。
ウジって、居るべき所に居る分には何ともないけど、居そうもない所にいきなり発見するとちょっと気持ち悪い。

街から腐敗臭がしたとき。
悪臭には色々なものがある。各種のゴミや排気はもちろん、挙げていけばきりがない。
腐乱死体臭はその最たるものかもしれない。
そして、その臭いを嗅ぎ分けられるのは限られた人間。
たまに、何気なく歩いている街からその臭いを感じることがある。
そのほとんどは気のせいにできる程度なのだけれど、確信を持てるレベルの濃い臭いを感じることがある。
深入りしないのは冷酷・無責任なのかもしれないけど、迷わず不介入。
でも、心臓の鼓動はちょっと高くなる。
(7月11日掲載「液体人間」参照)

トイレが真っ黒だったとき。
長~く掃除しないでいるとトイレというものは真っ黒になる。
便器はもちろん、床・壁・天井に至るまで真っ黒の黒!!
その黒さは色を塗ったのかと見紛うくらい。
その正体はカビ!恐るべし!

腐乱現場のドアを開けるとき。
腐乱現場のドアを開けるときちょっとドキドキする。
中がどんな状況になっているか分からないから。

分からないからドキドキする。
分からないからワクワクする。
長く生きたって80年そこそこ、終わってみれば短いはず。
人生は、先のことが分からないから面白い。

さて、次のドアの向こうには、どんな未来が待っているのだろう。
ドアの隙間から流れ出ている腐敗液が、私を一層ドキドキさせてくれる。

トラックバック 2006/07/21 09:21:17投稿分より
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