今年もまたこの季節がやってきた。
そう、桜の季節だ。
今日も、日中の気温は高く、桜は一気に開花。
「もう一年過ぎたのか・・・早いもんだな・・・」
と、昨年の桜を昨日のことのように思い出しながら、あちらこちらに見える薄桃色を愛でている。
ただ、美しく咲くのは桜だけではない。
足元に目をやると、小さな春花がひっそりと咲いている。
人々の目は派手に咲く桜に奪われやすいけど、樹の陰や地ベタに咲く花もまたきれい。
小さな春花も桜も、その真美は変わらない。
そんな春、もうじき4月、年度始め。
卒業、進学、就職、転職、異動、転勤etc、新鮮な気持ちをもって新しいスタートをきる人も多いことだろう。
しかし、零細企業の一労働者である私にそんな新鮮さはない。
珍業・小組織にあっては異動や出世の概念そのものがない。
盆暮正月も年度始めも関係なく、長期的なビジョンもなく、日々与えられる業務をこなすのみ。
そんな代わり映えのしない毎日に浮沈する気分を乗せ、ウンザリしたり飽き飽きしたり、逆に、その無難さに感謝したり幸せを感じたりしながら過ごしている。
ただ、そんな代わり映えのしない毎日と戦っているのは私だけではない。
・・・多くの人がそうかもしれない。
折れながら、凹みながら、それでも立ち上がって戦う・・・
そして、それは、この依頼者女性も同じだった。
依頼の内容は、害虫害獣駆除と消臭消毒。
依頼者は年配の女性。
現場は自宅の台所。
しばらく前から異臭が漂うようになり、ネズミやゴキブリも多く発生。
女性の話を聞く私は、ありがちなゴミ部屋を想像。
それまで遭遇してきた数々のゴミ部屋を思い起こしながら、現場の画を頭に描いた。
訪れたのは住宅地に建つ一戸建て。
築年数はそれなりに経っているようだったが、大きな家で安普請ではなさそうな佇まい。
表札に間違いがないことを確認した私は、家の前に車を駐車。
門扉の前に立ち、人差し指でインターフォンを押した。
日時は約束済みだったため、女性はすぐに玄関からでてきた。
私は、簡単に挨拶をし、玄関に入れてもらった。
すると、例の異臭は早速に私の鼻に侵入。
そして、問題の台所に進むと、更に濃度を上げた重異臭が鼻を突いてきた。
そこにはゴミとも生活雑貨とも見分けがつかないモノが山積散乱。
歩く“道”だけは確保されていたもののゴミ部屋同然で、片付けたくてもどこからどう手をつけていいものやら、掃除したくてもどこをどう掃除すればいいものやらわからない・・・そんな無法地帯。
「だらしない?」「無精?」
異臭に包まれる惨状を目にした私は、女性のことをそんな風に思った。
が、事の経緯と具体的な要望を聞かないと仕事が決められない。
私は、この状況が始まった時期と事情を女性に訊ねた。
女性は、もともと几帳面できれい好きな性格。
毎日の家事もキチンとこなしていた。
だから、こんな状況になる前の台所は、きれいに整理整頓され清潔だった。
では、何故、こんなことになってしまったのか・・・
それは、こういうことだった。
女性の家族は、夫、息子、娘、そして、舅と姑、あわせて6人の所帯。
女性は、結婚してからずっと専業主婦。
年中無休の家事労働に何年も従事。
夫は、サラリーマン。
外で働くことが自分の役割と考えるタイプで、家族は大事にしながらも家事を手伝うことはほとんどなし。
息子は、大学生。
学業とアルバイトと遊びで、不規則な生活。
娘は、高校生。
食べることと文句だけは一人前ながら、家事力は半人前にも及ばず。
舅は、老齢により衰弱。
足が悪く杖を使わないと立っていることができず、何かと介助が必要な状態。
姑は、軽い痴呆を患い、長い時間は一人きりにしておけず。
危険な行為をしないよう注視している必要があった。
この家族、食事の時間はバラバラ。しかも、好みもバラバラ。
年寄り二人用、夫の晩酌用、子供達用にそれぞれ食事をつくる必要があった。
だから、食事の支度も片付けも、二度手間・三度手間が当り前。
併せて、食品・食材も多種類を用意しておく必要もあり、女性の負担を倍増・・・いや、それ以上にしていた。
もちろん、食事のことだけやっていればいいというものではない。
女性には、挙げていけばキリがないくらいの家事や雑用があった。
しかし、女性は、良妻賢母になることが自分の本道だと思っていた。
だから、この家にあっては、これが自分の仕事、これが自分の役割だと思い、女性はせっせと家事に励んだ。
が、そんな女性も歳には勝てず。
更年期を過ぎた頃からか、身体が次第にいうことをきかなくなるように。
それまでのように、家事をテキパキとこなすことができなくなり、ひとつひとつの仕事が重く感じるようになっていった。
それでも、家族の中にそれをわかってくれる者も手伝ってくれる者もおらず、家の中が散らかっていく様をみて「少しは片付けたら?」「どうにかしたほうがいい」等と、他人事のような評論ばかり。
身体の衰えに反し、家事の負担が減ることはなく、自分の中で何かがキレていくのが自分でもわかるくらいに女性は脱力していった。
そうしているうち、食品や生活消耗品等、生活必需品をまとめ買いするように。
それまでは、必要なモノを必要なときにこまめに買いにでていた女性だったが、買い溜めることによって買い物の手間を減らそうとしたのだった。
しかし、これが裏目に。
溜まるばかりの物を収めるところがなくなり、食べきれない食品は冷蔵庫や棚からあふれ、使いきれない生活消耗品は床の隅々に山積みになっていた。
そして、それが原因で異臭と害中獣が発生したのだった。
家事労働のひとつひとつを思い浮かべると、それが楽な仕事ではないことは容易に想像できる。
しかし、そこには具体的な報酬もなければ回りからの感謝や評価もない(その家庭にもよるだろうけど)。
家族から当り前のこととして流されているケースがほとんどで、労働として・仕事として評価されていないことが多いのではないだろうか。
おまけに、主婦業にはOFFがない。
これがどういうことなのか、外で働くことを役目とする者には理解しにくい。
これでは、虚しくなるのもやる気がでないのも当然。
力がでないのも疲れが癒されないのもうなずける。
女性の話を聴き、その立たされている場所を考えると、台所がこんなことになってはいても、女性は女性なりに頑張ったことがうかがえた。
だから、私には、女性が家事の手を抜いたからこうなったとは思えなかった。
一通りの事情を聴き、打ち合わせを済ませた私は片付けを開始。
まず、あきらかにゴミと判断できるものをゴミ袋へ。
次に、床に置いてあるモノ、収納ボックスの中、棚の上、棚の中、収納庫の中、引き出しの中etc、片っ端からチェックし、不要と思われるものを次々にゴミ袋へ突っ込んでいった。
その中には、使えるものもたくさんあった。
ただ、“使うもの”と“使えるもの”は違う。
“使えるもの”でも必要じゃないものはある。
そこら辺を混同して躊躇していると、片付くものも片付かない。
色んなモノを容赦なくゴミ袋に突っ込んでいく私に、女性は、
「それはまだ使えますから・・・」
「それは使うことがあるかもしれませんから・・・」
と、抵抗してきたが、
「これがなくても普段の生活に困りませんよね?」
「“一年使ってないものは一生使わない”と思って下さい」
と、毅然とした態度を崩さなかった。
最後に残ったのは食品。
これが、もっとも厄介。
特に、液物や腐物は取り扱いに注意を要する。
そうすると、冷蔵庫はおのずと注意対象になる。
実際、そこには食品がギュウギュウに詰め込まれており、私は、取捨選択のため、それらを一旦全部取り出すことに。
奥のほうの食品には、腐っているものや賞味期限が切れたものが多く、それらはキツイ異臭を放っていた。
野菜室も同様。
下の方からは、原形ととどめないミイラ野菜が次々とでてきた。
冷凍庫の食品にいたっては化石。
市販の冷凍食品に変化はなかったが、肉や魚は石のように変色していた。
そんな具合に、我々は、台所の隅から隅までチェックし、不要物を選び出し撤去。
朝から夕方までかかり、作業を完了させた。
廃棄物もかなりの量が出た・・・というか、目的を達するため、思い切って捨てることを女性に勧めた。
不用となった棚や収納ボックス等、ちょっとした家具類も撤去し、結果、作業前は狭小窮々としていた台所も、作業後はちょっとした開放感が持てるくらいにまで回復した。
片付いた台所を見渡し、女性は、
「ホントに助かりました・・・ありがとうございました」
「これをいい薬にして、また同じようなことにならないよう頑張ってみます」
と、笑顔で私に礼を言ってくれた。
こんな仕事でも、私には、礼を言ってくれ感謝してくれる人がいる。
給与として報酬ももらえる。
しかし、女性の主婦業にはそれがない。
それでも、そこに花はある。
光のあたらないところで黙々とこなされる主婦業には花がある。
そして、そこには特掃業に通じるものもあるような気がして、私の中にも“励み”という名の小さな花が咲いたのだった。
公開コメント版
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そう、桜の季節だ。
今日も、日中の気温は高く、桜は一気に開花。
「もう一年過ぎたのか・・・早いもんだな・・・」
と、昨年の桜を昨日のことのように思い出しながら、あちらこちらに見える薄桃色を愛でている。
ただ、美しく咲くのは桜だけではない。
足元に目をやると、小さな春花がひっそりと咲いている。
人々の目は派手に咲く桜に奪われやすいけど、樹の陰や地ベタに咲く花もまたきれい。
小さな春花も桜も、その真美は変わらない。
そんな春、もうじき4月、年度始め。
卒業、進学、就職、転職、異動、転勤etc、新鮮な気持ちをもって新しいスタートをきる人も多いことだろう。
しかし、零細企業の一労働者である私にそんな新鮮さはない。
珍業・小組織にあっては異動や出世の概念そのものがない。
盆暮正月も年度始めも関係なく、長期的なビジョンもなく、日々与えられる業務をこなすのみ。
そんな代わり映えのしない毎日に浮沈する気分を乗せ、ウンザリしたり飽き飽きしたり、逆に、その無難さに感謝したり幸せを感じたりしながら過ごしている。
ただ、そんな代わり映えのしない毎日と戦っているのは私だけではない。
・・・多くの人がそうかもしれない。
折れながら、凹みながら、それでも立ち上がって戦う・・・
そして、それは、この依頼者女性も同じだった。
依頼の内容は、害虫害獣駆除と消臭消毒。
依頼者は年配の女性。
現場は自宅の台所。
しばらく前から異臭が漂うようになり、ネズミやゴキブリも多く発生。
女性の話を聞く私は、ありがちなゴミ部屋を想像。
それまで遭遇してきた数々のゴミ部屋を思い起こしながら、現場の画を頭に描いた。
訪れたのは住宅地に建つ一戸建て。
築年数はそれなりに経っているようだったが、大きな家で安普請ではなさそうな佇まい。
表札に間違いがないことを確認した私は、家の前に車を駐車。
門扉の前に立ち、人差し指でインターフォンを押した。
日時は約束済みだったため、女性はすぐに玄関からでてきた。
私は、簡単に挨拶をし、玄関に入れてもらった。
すると、例の異臭は早速に私の鼻に侵入。
そして、問題の台所に進むと、更に濃度を上げた重異臭が鼻を突いてきた。
そこにはゴミとも生活雑貨とも見分けがつかないモノが山積散乱。
歩く“道”だけは確保されていたもののゴミ部屋同然で、片付けたくてもどこからどう手をつけていいものやら、掃除したくてもどこをどう掃除すればいいものやらわからない・・・そんな無法地帯。
「だらしない?」「無精?」
異臭に包まれる惨状を目にした私は、女性のことをそんな風に思った。
が、事の経緯と具体的な要望を聞かないと仕事が決められない。
私は、この状況が始まった時期と事情を女性に訊ねた。
女性は、もともと几帳面できれい好きな性格。
毎日の家事もキチンとこなしていた。
だから、こんな状況になる前の台所は、きれいに整理整頓され清潔だった。
では、何故、こんなことになってしまったのか・・・
それは、こういうことだった。
女性の家族は、夫、息子、娘、そして、舅と姑、あわせて6人の所帯。
女性は、結婚してからずっと専業主婦。
年中無休の家事労働に何年も従事。
夫は、サラリーマン。
外で働くことが自分の役割と考えるタイプで、家族は大事にしながらも家事を手伝うことはほとんどなし。
息子は、大学生。
学業とアルバイトと遊びで、不規則な生活。
娘は、高校生。
食べることと文句だけは一人前ながら、家事力は半人前にも及ばず。
舅は、老齢により衰弱。
足が悪く杖を使わないと立っていることができず、何かと介助が必要な状態。
姑は、軽い痴呆を患い、長い時間は一人きりにしておけず。
危険な行為をしないよう注視している必要があった。
この家族、食事の時間はバラバラ。しかも、好みもバラバラ。
年寄り二人用、夫の晩酌用、子供達用にそれぞれ食事をつくる必要があった。
だから、食事の支度も片付けも、二度手間・三度手間が当り前。
併せて、食品・食材も多種類を用意しておく必要もあり、女性の負担を倍増・・・いや、それ以上にしていた。
もちろん、食事のことだけやっていればいいというものではない。
女性には、挙げていけばキリがないくらいの家事や雑用があった。
しかし、女性は、良妻賢母になることが自分の本道だと思っていた。
だから、この家にあっては、これが自分の仕事、これが自分の役割だと思い、女性はせっせと家事に励んだ。
が、そんな女性も歳には勝てず。
更年期を過ぎた頃からか、身体が次第にいうことをきかなくなるように。
それまでのように、家事をテキパキとこなすことができなくなり、ひとつひとつの仕事が重く感じるようになっていった。
それでも、家族の中にそれをわかってくれる者も手伝ってくれる者もおらず、家の中が散らかっていく様をみて「少しは片付けたら?」「どうにかしたほうがいい」等と、他人事のような評論ばかり。
身体の衰えに反し、家事の負担が減ることはなく、自分の中で何かがキレていくのが自分でもわかるくらいに女性は脱力していった。
そうしているうち、食品や生活消耗品等、生活必需品をまとめ買いするように。
それまでは、必要なモノを必要なときにこまめに買いにでていた女性だったが、買い溜めることによって買い物の手間を減らそうとしたのだった。
しかし、これが裏目に。
溜まるばかりの物を収めるところがなくなり、食べきれない食品は冷蔵庫や棚からあふれ、使いきれない生活消耗品は床の隅々に山積みになっていた。
そして、それが原因で異臭と害中獣が発生したのだった。
家事労働のひとつひとつを思い浮かべると、それが楽な仕事ではないことは容易に想像できる。
しかし、そこには具体的な報酬もなければ回りからの感謝や評価もない(その家庭にもよるだろうけど)。
家族から当り前のこととして流されているケースがほとんどで、労働として・仕事として評価されていないことが多いのではないだろうか。
おまけに、主婦業にはOFFがない。
これがどういうことなのか、外で働くことを役目とする者には理解しにくい。
これでは、虚しくなるのもやる気がでないのも当然。
力がでないのも疲れが癒されないのもうなずける。
女性の話を聴き、その立たされている場所を考えると、台所がこんなことになってはいても、女性は女性なりに頑張ったことがうかがえた。
だから、私には、女性が家事の手を抜いたからこうなったとは思えなかった。
一通りの事情を聴き、打ち合わせを済ませた私は片付けを開始。
まず、あきらかにゴミと判断できるものをゴミ袋へ。
次に、床に置いてあるモノ、収納ボックスの中、棚の上、棚の中、収納庫の中、引き出しの中etc、片っ端からチェックし、不要と思われるものを次々にゴミ袋へ突っ込んでいった。
その中には、使えるものもたくさんあった。
ただ、“使うもの”と“使えるもの”は違う。
“使えるもの”でも必要じゃないものはある。
そこら辺を混同して躊躇していると、片付くものも片付かない。
色んなモノを容赦なくゴミ袋に突っ込んでいく私に、女性は、
「それはまだ使えますから・・・」
「それは使うことがあるかもしれませんから・・・」
と、抵抗してきたが、
「これがなくても普段の生活に困りませんよね?」
「“一年使ってないものは一生使わない”と思って下さい」
と、毅然とした態度を崩さなかった。
最後に残ったのは食品。
これが、もっとも厄介。
特に、液物や腐物は取り扱いに注意を要する。
そうすると、冷蔵庫はおのずと注意対象になる。
実際、そこには食品がギュウギュウに詰め込まれており、私は、取捨選択のため、それらを一旦全部取り出すことに。
奥のほうの食品には、腐っているものや賞味期限が切れたものが多く、それらはキツイ異臭を放っていた。
野菜室も同様。
下の方からは、原形ととどめないミイラ野菜が次々とでてきた。
冷凍庫の食品にいたっては化石。
市販の冷凍食品に変化はなかったが、肉や魚は石のように変色していた。
そんな具合に、我々は、台所の隅から隅までチェックし、不要物を選び出し撤去。
朝から夕方までかかり、作業を完了させた。
廃棄物もかなりの量が出た・・・というか、目的を達するため、思い切って捨てることを女性に勧めた。
不用となった棚や収納ボックス等、ちょっとした家具類も撤去し、結果、作業前は狭小窮々としていた台所も、作業後はちょっとした開放感が持てるくらいにまで回復した。
片付いた台所を見渡し、女性は、
「ホントに助かりました・・・ありがとうございました」
「これをいい薬にして、また同じようなことにならないよう頑張ってみます」
と、笑顔で私に礼を言ってくれた。
こんな仕事でも、私には、礼を言ってくれ感謝してくれる人がいる。
給与として報酬ももらえる。
しかし、女性の主婦業にはそれがない。
それでも、そこに花はある。
光のあたらないところで黙々とこなされる主婦業には花がある。
そして、そこには特掃業に通じるものもあるような気がして、私の中にも“励み”という名の小さな花が咲いたのだった。
公開コメント版
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