時が経つのは早いもので、9月も明日で終わり。
もうじき、本格的な秋だ。
秋は身体だけでなく、心にも優しい季節。
〝淋しい季節〟と感じる人も多いみたいだけど、私にとってはホッと落ち着ける季節だ。
夏に過熱した心身を休めるには、少し淋しいくらいが丁度いい。
また、〝秋〟と言えば、収穫の季節。
店頭には、季節の美味しい食べ物がたくさん並び始める。
飲み食いと寝ることぐらいしか楽しみがない私は、財布と相談しながら季節の美味を買い求める。
肴が旨いと、おのずと酒の量も増える。
が、このメタ坊は、酒のついでに体重まで増やさないように気をつけなければいけない。
秋は、果物も美味しい。
梨に柿・・・ちょっとマイナーなところでは無花果も。
あの独特の外見と食感を好まない人も多そうだけど、私は結構好きである。
その野暮ったい外見とアカぬけない食感は自分と重なって親しみ深く、素朴な甘味には自然の優しさがある。
そんな地味な無花果を店頭で見かけると、ついつい買いたくなる。
ある日の午後、私は、とある病院に向かって車を走らせていた。
上着とネクタイは助手席に放り投げ、交通渋滞と到着時間ばかりを気にしながら走っていた。
遺体搬送業務は時間との戦い。
これは、遺族や故人のためでなく、業界・商売上の事情。
モタモタしていると、色々な問題がでてくるのだ。
(医療・葬儀業界には、一般の人が知ったらゲンナリするような裏事情があるんだよね。)
病院に到着した私は、霊安室に直行。
病院は外来の診療時間を終えていたので、人目に邪魔されることなくストレッチャーを搬入できた。
霊安室には数人の遺族がいて、厳粛な雰囲気が覆っていた。
闘病生活の中で遺族は故人の死期を覚り、それを受け入れる準備(覚悟)ができていたのだろうか、泣いている人も泣き顔の人もいなかった。
ただ、故人の死を真摯に受け止めているようで、誰もが鎮重な面持ちだった。
「この度は誠に御愁傷様です」
「これから御自宅までお連れ致します」
私は、遺族に深々と頭を下げて作業を開始した。
遺族や故人に礼をもって接することは大事だけど、軽薄な感情移入はしないのが私の流儀。
私は、故人の死を深く痛んでいるわけではない。
そして、遺族と同じような悲哀を抱えているわけでもない。
仕事が終われば、故人の死や遺族の悲哀は簡単に忘れてしまう。
だから、悲しそうな表情や振る舞いをしたとしても、それはただのパフォーマンスでしかない。
〝礼を尽くしている〟とまで大きなことは言えないけど、今の自分は、このスタンスで仕事をすることが礼儀を守ることだと思っている。
そんな私は、寡黙・無表情を心掛けながら、できるだけ淡々と作業を進めるよう努めた。
故人は年配の男性で、集まっていたのは子や孫達だった。
遺族は、私にも丁寧に応対してくれ、その作業も誰かれとなく積極的に手伝ってくれた。
ストレッチャーに移す時、何人もの家族に抱えられた故人の顔は、どことなく笑っているようにも見えてホッとできるものだった。
故人を積み込んだ遺体搬送車には、二人の中年女性が同乗した。
二人は故人の娘、姉妹だった。
車中の会話から、二人もまた故人の死を受け入れる準備ができていたことが伺えた。
二人は故人の思い出話に花を咲かせ、時折、笑い声もでるくらいに穏やかだった。
目的地である故人の自宅に近づいてきた頃、女性が私に話し掛けてきた。
「自宅に行く前に寄ってもらいたいところがあるのですが、お願いできますか?」
「は?・・・ええ、そんなに遠くなければ・・・」
「大丈夫です・・・近く・・・すぐそこですから」
私は、女性の道案内に沿って車のルートを変えた。
向かった先は、静かな住宅街の一角にある空き地。
その時は何の樹か分からなかったが、柵で囲まれたそこには一本の樹が立ち、地面は生い繁った雑草で覆われていた。
そして、〝管理地〟と書かれた立看板が、その殺風景さに輪をかけていた。
移動中は普通に会話していた二人は、そこに到着した途端に沈黙。
窓越しに空き地を眺めたかと思ったら、シクシクと静かに泣き始めた。
事情が分からない私は困惑。
声を掛けようにも適当な言葉を見つけられず、その時間を黙って付き合うしかなかった。
そんな私には、時間の流れが随分とゆっくりに感じられるのだった。
結局、二人の女性は、車から降りることも窓を開けることもないまま外を眺めて泣いているだけだった。
数分後、車は故人宅に向かって再び走り出したのだが、その車の中で二人はあの空き地についての話を聞かせてくれた。
その昔、あそこには故人一家の家があった。
二人が子供の頃、故人が買ったものだった。
引っ越して間もないある日、庭に樹を植えることになり家族で検討。
全員一致で柿の樹を植えることになった。
しかし、故人が買ってきた樹は無花果。
その理由は、「〝無花果〟という名前が気に入ったから」というもの。
その文字から、〝花が咲かなくてもちゃんと実をつける〟というイメージを持った故人は、自分の望む生き方と重ね合わせたらしかった。
最初は実らしい実をつけなかった樹も、年を負うごとにそれなりの実をつけるようになった。
毎秋、無花果の樹が実をつける度に故人は嬉しそうにしていた。
そして、秋には庭の無花果を食べるのがこの家の定番となり、そこに家族のささやかな幸せがあった。
二人は、泣きながら笑い・笑いながら泣いて、そのエピソードを話してくれた。
二人の話から浮かび上がる家族の暮らしぶりには幸せがたくさん詰まっていたことが伺えて、何とも微笑ましくて温かい気持ちになった。
そしてまた、時の移り変わりが全てを夢幻の想い出に変えていくこともあらためて実感するのだった。
その後、この家は他人の手に渡ることになったようだったけど、その辺の事情はあえて尋かないでおいた。
家族には、幸せだけじゃなく苦難のときもあったのだろう。
ただ、故人の人生には目を見張るような花は咲かなかったかもしれないけど、甘露な実がたくさんついていたように思えるのだった。
あの日から、もうどれくらいの季節が巡っただろうか。
二人の女性も、それぞれの家族と共にそれぞれの人生を歩いていることだろう。
そして、その後、あの空き地と無花果の樹がどうなったか・・・。
「この秋もまた、たわわに実をつけていてほしいものだな」
と、何となく思っている初秋の私である。
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特殊清掃プロセンター
遺品処理・回収・処理・整理、遺体処置等通常の清掃業者では対応出来ない
特殊な清掃業務をメインに活動しております。
もうじき、本格的な秋だ。
秋は身体だけでなく、心にも優しい季節。
〝淋しい季節〟と感じる人も多いみたいだけど、私にとってはホッと落ち着ける季節だ。
夏に過熱した心身を休めるには、少し淋しいくらいが丁度いい。
また、〝秋〟と言えば、収穫の季節。
店頭には、季節の美味しい食べ物がたくさん並び始める。
飲み食いと寝ることぐらいしか楽しみがない私は、財布と相談しながら季節の美味を買い求める。
肴が旨いと、おのずと酒の量も増える。
が、このメタ坊は、酒のついでに体重まで増やさないように気をつけなければいけない。
秋は、果物も美味しい。
梨に柿・・・ちょっとマイナーなところでは無花果も。
あの独特の外見と食感を好まない人も多そうだけど、私は結構好きである。
その野暮ったい外見とアカぬけない食感は自分と重なって親しみ深く、素朴な甘味には自然の優しさがある。
そんな地味な無花果を店頭で見かけると、ついつい買いたくなる。
ある日の午後、私は、とある病院に向かって車を走らせていた。
上着とネクタイは助手席に放り投げ、交通渋滞と到着時間ばかりを気にしながら走っていた。
遺体搬送業務は時間との戦い。
これは、遺族や故人のためでなく、業界・商売上の事情。
モタモタしていると、色々な問題がでてくるのだ。
(医療・葬儀業界には、一般の人が知ったらゲンナリするような裏事情があるんだよね。)
病院に到着した私は、霊安室に直行。
病院は外来の診療時間を終えていたので、人目に邪魔されることなくストレッチャーを搬入できた。
霊安室には数人の遺族がいて、厳粛な雰囲気が覆っていた。
闘病生活の中で遺族は故人の死期を覚り、それを受け入れる準備(覚悟)ができていたのだろうか、泣いている人も泣き顔の人もいなかった。
ただ、故人の死を真摯に受け止めているようで、誰もが鎮重な面持ちだった。
「この度は誠に御愁傷様です」
「これから御自宅までお連れ致します」
私は、遺族に深々と頭を下げて作業を開始した。
遺族や故人に礼をもって接することは大事だけど、軽薄な感情移入はしないのが私の流儀。
私は、故人の死を深く痛んでいるわけではない。
そして、遺族と同じような悲哀を抱えているわけでもない。
仕事が終われば、故人の死や遺族の悲哀は簡単に忘れてしまう。
だから、悲しそうな表情や振る舞いをしたとしても、それはただのパフォーマンスでしかない。
〝礼を尽くしている〟とまで大きなことは言えないけど、今の自分は、このスタンスで仕事をすることが礼儀を守ることだと思っている。
そんな私は、寡黙・無表情を心掛けながら、できるだけ淡々と作業を進めるよう努めた。
故人は年配の男性で、集まっていたのは子や孫達だった。
遺族は、私にも丁寧に応対してくれ、その作業も誰かれとなく積極的に手伝ってくれた。
ストレッチャーに移す時、何人もの家族に抱えられた故人の顔は、どことなく笑っているようにも見えてホッとできるものだった。
故人を積み込んだ遺体搬送車には、二人の中年女性が同乗した。
二人は故人の娘、姉妹だった。
車中の会話から、二人もまた故人の死を受け入れる準備ができていたことが伺えた。
二人は故人の思い出話に花を咲かせ、時折、笑い声もでるくらいに穏やかだった。
目的地である故人の自宅に近づいてきた頃、女性が私に話し掛けてきた。
「自宅に行く前に寄ってもらいたいところがあるのですが、お願いできますか?」
「は?・・・ええ、そんなに遠くなければ・・・」
「大丈夫です・・・近く・・・すぐそこですから」
私は、女性の道案内に沿って車のルートを変えた。
向かった先は、静かな住宅街の一角にある空き地。
その時は何の樹か分からなかったが、柵で囲まれたそこには一本の樹が立ち、地面は生い繁った雑草で覆われていた。
そして、〝管理地〟と書かれた立看板が、その殺風景さに輪をかけていた。
移動中は普通に会話していた二人は、そこに到着した途端に沈黙。
窓越しに空き地を眺めたかと思ったら、シクシクと静かに泣き始めた。
事情が分からない私は困惑。
声を掛けようにも適当な言葉を見つけられず、その時間を黙って付き合うしかなかった。
そんな私には、時間の流れが随分とゆっくりに感じられるのだった。
結局、二人の女性は、車から降りることも窓を開けることもないまま外を眺めて泣いているだけだった。
数分後、車は故人宅に向かって再び走り出したのだが、その車の中で二人はあの空き地についての話を聞かせてくれた。
その昔、あそこには故人一家の家があった。
二人が子供の頃、故人が買ったものだった。
引っ越して間もないある日、庭に樹を植えることになり家族で検討。
全員一致で柿の樹を植えることになった。
しかし、故人が買ってきた樹は無花果。
その理由は、「〝無花果〟という名前が気に入ったから」というもの。
その文字から、〝花が咲かなくてもちゃんと実をつける〟というイメージを持った故人は、自分の望む生き方と重ね合わせたらしかった。
最初は実らしい実をつけなかった樹も、年を負うごとにそれなりの実をつけるようになった。
毎秋、無花果の樹が実をつける度に故人は嬉しそうにしていた。
そして、秋には庭の無花果を食べるのがこの家の定番となり、そこに家族のささやかな幸せがあった。
二人は、泣きながら笑い・笑いながら泣いて、そのエピソードを話してくれた。
二人の話から浮かび上がる家族の暮らしぶりには幸せがたくさん詰まっていたことが伺えて、何とも微笑ましくて温かい気持ちになった。
そしてまた、時の移り変わりが全てを夢幻の想い出に変えていくこともあらためて実感するのだった。
その後、この家は他人の手に渡ることになったようだったけど、その辺の事情はあえて尋かないでおいた。
家族には、幸せだけじゃなく苦難のときもあったのだろう。
ただ、故人の人生には目を見張るような花は咲かなかったかもしれないけど、甘露な実がたくさんついていたように思えるのだった。
あの日から、もうどれくらいの季節が巡っただろうか。
二人の女性も、それぞれの家族と共にそれぞれの人生を歩いていることだろう。
そして、その後、あの空き地と無花果の樹がどうなったか・・・。
「この秋もまた、たわわに実をつけていてほしいものだな」
と、何となく思っている初秋の私である。
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