最初の大地震からしばらく経つが、地震に関することが頭から離れない。
“しつこい”感もあるけど、文字を打とうとすると、どうしても頭に浮かんできてしまう。
巷に流れるニュースのせいか、やまない余震のせいか、起こったことが衝撃的すぎるせいか・・・
だから、こうして、ブログにも地震に関することを書き続けている。
復興に相当の時間と資金を要することは、政府の試算がなくとも容易に推察できる。
復興資金を確保するための増税案も検討されている様子。
多種多様の税金に囲まれて生活している者からするとゲンナリしてしまうけど、仕方がないとも思う。
納税は国民の義務であり責任だから。
それがないと公共の福祉が実現できず、その恩恵に与ることもできないのだから。
ただ、正直者がバカをみるような制度はやめてほしい。
所得をキチンと申告しない者や社会保険料や税金を納めないことを当然としている者からもキッチリ徴収してほしいと思う。
津波による瓦礫や残骸の片付けは少しずつ進んでいる様子。
映像からそれをうかがい知ることができ、小さな安堵感を覚える。
反して、片付けなければならない問題は増えているようにみえる。
失われた命を取り戻すことはできないし、長い苦難の道が待っているのだろうけど、とにかく、復興再建を目指して辛抱すべきことは辛抱するしかない・・・
離れたところでぬくぬくしている私がこんなことを言っても、「浅慮」「軽率」でしかないのだが、今は、辛抱に希望を見出すほかはないと思う。
今、義援金や物資の提供、ボランティア活動など、各種の支援活動が展開されている。
これには、一般人をはじめ、多くの企業や有名人も積極的に参加している。
私の知人にも、支援物資を送ったり、ボランティア活動に出向いたりしている人がいる。
私?
私は、些少の義援金と身の回りの物資を提供したくらい・・・
良し悪しはさておき、生活費を極端に節約したり貯金を崩したりしてまでは義援金を捻出していない。
また、ボイランティア活動には参加していないし、今後も、仕事を放ってまで参加するつもりはない。
多分、これからも、小額の寄付、節電、日常の経済活動、被災地産品の購入etc・・・日常生活の中で超間接的な支援を心がけるだけだと思う。
もちろん、これが威張れるようなことではないことはわかっているけど、自分は自分なりのことをしていこうと思っている。
ただ、いつまでこんな気持ちを持ち続けていられるものだろうか・・・
時は、よくも悪くも、心を風化させてしまう・・・
来年の今頃、どれだけ人が支援活動を続けているだろうか・・・
どれだけのメディアが被災地の惨状と被災者の苦境を報じているだろうか・・・
(こんなことを考えるのは余計なことかもしれないけど・・・)
「仮設住宅」だけとってみても、阪神大震災の際は、これが必要なくなるまで5年かかったという。
被害の深刻さからみて、今回の復興がそれより長くかかることは容易に想像できる。
しかし、被災地に暮らしていたわけでもなく、被災者の一員にもなっていない私の心に、今回の震災がどれだけの間残るものだろうか。
近いうちに、このマイブームは過ぎ去り、被災地や被災者のことも忘れ去ってしまうのではないかと危惧する。
今はまだ、まったくその段階ではないけど、時の経過とともにメディアから発せられる震災関連のニュースは少なくなるだろう。
序々に、震災に対する興味がなくなっていくわけだ。
冷たいようだが、それもまた人の自然な姿だと思う。
ただ、今の支援ムードが一過性のものではなく、地味でもいいから息の長いものになることを願うばかり。自戒をこめて。
“3.11”を悲しい記念日として過去に片付けるのは、何年も先のことでいいと思う。
遺品処理の依頼が入った。
依頼者は、中年の女性。
現場は、一般的な間取りの一戸建。
故人は女性の母親。
その母親が使っていた家財生活用品を処分したいとのこと。
口数の多くない女性から必要最低限のことを聞いた私は、例によって、現地調査の日時を約して電話を終えた。
現地調査の日・・・
女性は、私を玄関で出迎えてくれた。
何かを思い悩んでいるのかのように表情を暗くし、どちらかというと無愛想。
また、私と余計な会話はしたくなさそう。
ま、状況が状況だけに、元気な方が不自然だったりするわけで・・・
私の方もお喋りが好きなわけじゃないので、女性の温度に合わせて口数を抑えた。
一見は、何の変哲もない、フツーの家。
室内には、どこの家にもあるような家財生活用品は一式あった。
そして、整理整頓はゆきとどき掃除もきれいになされていた。
ただ、日常の家にはないものが一点。
一階の和室に、遺影・位牌・遺骨が置かれ、線香から細い煙がたち昇っていた。
それは、一人の人間の死をリアルに表し・・・
同時に、女性の明るくなれない心情を私に理解させた。
女性は、「ここは、父親の書斎だった」「ここは、自分の部屋だった」「この部分は増築したもの」「ここは○年前にリフォームした」などと、家の中を案内する中で、私が質問したわけでもないのに家の過去を説明。
その姿は、片付けようとしている想い出に別れを告げているようにも見え、少なからずの寂しさを感じさせるものだった。
現地調査を終えて帰社した私は、事務所で見積書を作成し、早速それをポストに投函。
それから、見積書をつくって発送したことだけでも連絡しようかと思ったが、どことなく私との会話を辛そうにしていた女性の様が思い起こされ、「何かあったら連絡してくるだろう」と、こちらから連絡をするのはやめて女性からの返答を待つことに。
結果、女性から連絡が入ることがないまま、時間は過ぎ・・・
他用に追われた私の脳裏から本件のことは消えていった。
それから半年くらい経った頃、私の携帯が鳴った。
ディスプレイには知らない番号。
でてみると、相手は女性の声。
その女性は私を知っているよう。
しかし、私の方は、名前を聞いても思い出せず。
私は、現地の場所と調査に訪問した日を女性に教わりながら記憶をたどり、やっとのことで思い出した。
そして、「どうも!どうも!お久しぶりです!」と、人が変わったかのように愛想よくし、なかなか思い出せなかった気マズさをごまかした。
女性は、
「見積書は確かに受け取った」
「連絡もせず申し訳ない」
「片付けようと思ったのだが、日取りを決める段になると急に躊躇いの気持ちがでてきた」
「結局、どうしても、気持ちの整理がつけられず、今日に至っている」
とのこと。
そして、
「母のことを思い出すと、今でも、涙がでてしまって・・・」
と、声を詰まらせた。
そんな女性の様子は、女性が抱える喪失感が深刻なものであることを如実にうかがわせた。
母親が亡くなった当初、女性は家の中の何にも手をつけることができず。
その生活感を消してしまうことが、母親が存在していたことを自ら否定することになるような気がしてならなかった。
しかし、家庭ゴミからは異臭がしはじめ、冷蔵庫の食品も腐りはじめた。
さすがに、それらは放置しておけない。
余計なところは触らないように、ゴミを出し、放置されたままだった洗濯物や食器も洗って片付けた。
それから、週に一度くらい家を訪れては掃除をし、室内が荒れないように努めたのだった。
「それで、この半年の間に、何か問題がありましたか?」
「いえ・・・特には・・・」
「気持ちの方はいかがですか?」
「それが、まだ・・・」
「でしたら、もう少し待ってからでもいいんじゃないですか?」
「それはまぁ・・・」
「気持ちの整理がつかないのに、焦って片付けることはないと思いますよ」
「そうなんですけど・・・」
「・・・」
「実は・・・」
女性は、言いにくそうに、言葉を続けた。
つづく
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