寒い冬が終わり、暖かな春がやってきた。
卒業・入学・転勤・就職等々、何かが終わり、何かが始まる・・・春は色んなことが新たになる。
そしてまた、今年も、桜が咲き、また、散ろうとしている。
晴れ晴れとした気持ちであれば何よりだけど、後悔と不安を胸に、曇り気味の気分で桜を見上げている人も少なくないのではないだろうか。
私の場合、永年、新年も新年度も関係ない仕事をしているので、その辺のところはかなりのっぺりしていて、フレッシュな気分も湧いてこない。
ただただ、極寒の冬を越えた安堵感と暖かな春に迎えられた安心感に、小さな幸せを覚えている。
人の気分を落とす大きな要因は「過去に対する後悔」と「未来に対する不安」だという。
かくいう私自身、充分に思い当たる。
後悔と不安は、想えば想うほど気分を落としていく。
「考えても仕方がない」とわかっていても、壁に突き当たったとき 何かにつまずいたとき 思い通りにならないとき等、その想いは、自分の弱さにつけこんで頭をもたげてくる。
ただ、幸いなことに、例年 見舞われる冬鬱は軽症で済んだ。
相変わらず、休暇らしい休暇はとれていないけど、何だかんだとやるべき仕事があり、知らず知らずのうちに気が紛れていたのかもしれない。
もちろん、そんな生活は疲れるけど、鬱々とふさぎ込んでいるよりはよっぽどマシ。
身体は楽じゃないけど、その方が精神は楽。
そうは言っても、歳のせいだろう、時間がなくなってきたこともあり、“モタモタしているヒマはない”と焦って空回りしてしまうことも少なくない。
どちらにしろ、過去は変えられない。
で、後悔も消せない。
しかし、未来は変えられる。
不安を小さくすることはできる。
簡単なことにではないけど、少なくとも変えようと努力し、挑戦することはできる。
未来に期待や希望を持ちにくい現実があったとしても、自分には、努力する自由、挑戦する自由、自己決定の自由がある。
それは、与えられた(限られた)時間を大切に使う術でもあるだろうし、それによって、後悔や不安による気落ちを抑えることができるとも思う。
目の前には、自分の期待や希望を砕く厳しい現実がある。
しかし、何もかも“現実”のせいにしてばかりいても仕方がない。
ある意味、この現実をつくっているのも自分なのだから。
不遇を嘆くよりも、不遇から脱出する努力をすべきだろう。
不遇を変える挑戦をすべきだろう。
嘆くほどの努力をした者、嘆くほどの挑戦をした者・・・それができる者にこそ、現実を嘆く資格があるような気がする。
・・・なんて、力んだところで、実際は、たいした努力も挑戦もできないでいる私だけどね。
それでも、日々、少しでも楽しく過ごすことを意識はしている。
「クサるな! スネるな! イジけるな!」と、呪文のように唱えながら。
「楽しく過ごす≠遊ぶこと」だけど、たまには、非日常を楽しむことも大切。
で、先日、仕事の後、花見に出かけた。
桜祭をやっている某所へ夜桜を見に。
平日で、かつ気温も低く、思っていたよりは混雑しておらず。
それでも、樹々の下には大きなブルーシートが何枚も敷かれて、多くのグループが陣を敷いていた。
ただ、幸い、そこでは、TVニュースで観るような、大酒飲んでのドンチャン騒ぎもなく、泥酔酩酊で醜態をさらしている人も見受けられず、ゴミが放置されているようなこともなかった。
集団のほとんどは、会社員とみられる人達。
会社主催なのか社員有志の集まりなのかわからないけど、醸し出されている雰囲気は、明らかに社交辞令的な集まり。
大半の人が「会社の花見も仕事のうち=社員の義務」として参加しているのだろう、それぞれ笑顔は浮かべてはいるものの、そのどれもが「つくり笑顔」「愛想笑い」のようで、本心で楽しんでいる人はいないように見えた。
私には、顔を引きつらせながらも笑顔を絶やさないようにしている面々が、ある種の人間苦に苛まれているようにも見え、気の毒にさえ思えた。
一方の私は、完全にプライベート。
誰に気兼ねする必要もなく、大きなグループの間に小さなシートを敷き、とりあえず陣取り。
それから、軒を連ねる露店の前をブラブラ。
最近は、露店の種類も増え、美味しそうな食べ物もたくさんあり、買わずとも 見て回るだけでウキウキとした童心が甦ってきた。
ただ、心は子供に戻っても、やはり身体はオッサン。
酒を飲もうかどうか考えた。
しかし、寒いし、周囲にも酔って盛り上がっている人もいなかったし、値段も高いし、結局、飲むのはやめにした。
それでも、そこにいて桜祭の空気に包まれているだけで、充分に楽しい気分を味わうことができた。
ささやかなことでも、こういった非日常の出来事は、気分を浮かせてくれる。
と同時に、日常あっての非日常、非日常をくれる日常を もっと大切にするべきことに気づかされる。
で、平凡で、飽き飽きするような、ありきたりの日常が愛おしく思え 感謝の念を抱くのである。
出向いた現場は、都心に建つ古いマンション。
亡くなったのは80代の男性。
現場マンションのオーナーで、その一室に暮らしていた。
依頼者は50代の男性。
故人の息子で、男性もまた、現場マンション別階に居を構えていた。
頼まれた仕事は、故人の部屋の家財生活用品処分、いわゆる遺品処理。
長年に渡る生活で、部屋には、かなりの量の家財が詰め込まれていた。
建具や内装は経年による劣化が激しく、家電以外、部屋にあるモノの大半は、過ぎた年月の長さと時代を感じさせる古いものばかり。
ただ、そこは、都内でも利便性の高い人気エリア。
建物は古くても賃貸にだせば人は入る。
男性は、部屋が片付いたら きれいにリフォームして、賃貸にだす算段をしていた。
このマンションは、故人が生涯をかけてつくり上げた財産。
何もないところから信用を積み、大借金をして建てたもの。
並みの住宅ローンとは桁が違うため、大きなリスクとプレッシャーがあった。
しかし、その借金もコツコツと労苦を重ねながら返済。
一室には、所帯をもった息子(男性)を住まわせてやることもできた。
誰に自慢するわけでもなかったが、故人は、このマンションを所有していることを誇りに思っていたようだった。
処分する家財の種類や量によって作業内容と費用が変わってくる。
私は、男性の説明を受けながら部屋を移動し、引出しや押入れを開けながら家財の確認を進めた。
そんな中で、ベランダも確認。
広いベランダには、物干竿や収納庫、バケツや鉢植え等、色々なもの置いてあった。
更には、一匹の亀。
日光浴でもしているのか、亀は、陽のあたる場所にジッとしていた。
そして、よく見ると、隅には、浅い池と日陰がつくってあり、亀の家のようなものもあった。
どうも、ベランダを住処に飼われているようだった。
「あれは・・・亀ですか?・・・ジッとしてますけど、生きてるんですよね?」
「えぇ・・・生きてますよ・・・親父(故人)が飼ってたんです・・・」
「そうなんですかぁ・・・あ!でも、生き物は引き取れませんので・・・」
「大丈夫!大丈夫! あれも“家族”ですから、うちで引き取ります!」
亀の行く末に一抹の不安が過った私は、男性の言葉に安堵した。
「うちへ来て、もう五十年近くになるんですよ」
「えッ!?五十年!?そんなに!?」
「そうなんですよぉ・・・私が子供の頃に、親父が縁日で買ってくれたものなんです」
「へぇ~!そうなんですかぁ・・・それからずっと一緒にいるわけですかぁ・・・」
私は、亀の長寿に驚きつつ、延々と続いている時間に 家族愛のような 何ともいえない温かさを感じた。
「昔は、露店で、亀とかヒヨコとか売ってたでしょ?」
「ええ・・・私も、昔、カラーひよこ買ったことがあります・・・親は いい顔しませんでしたけどね」
「親父も反対したんですけど、“絶対面倒みるから!”って言い張って、拝み倒して買ってもらったんです」
「子供に ありがちな口上ですよね・・・」
当時の親子の様子を思い浮かべると、私自身の想い出とも重なって、何とも微笑ましく思えた。
「そういうわけで、最初は私が飼ってたんですけど、まさかこんなに長生きするとは思ってなくて・・・結局、御袋が死んだ後、一人暮らしになった親父が面倒みることになりましてね」
「そうことですかぁ・・・なんか、感慨深いものがありますねぇ・・・」
「えぇ・・・しかも、親父の方が先に逝くなんてね・・・」
「・・・・・」
男性の心には、亀の長生きの喜びと 父親の死の悲しみが混在しているようで、複雑な表情を浮かべた。
「もちろん、コイツは死ぬまで面倒みるつもりですけど、私も もういい歳ですから、どっちが先に逝くかわかりませんよね・・・」
「まぁ・・・そうですよね・・・先のことは誰にもわかりませんから・・・」
「ずっと昔の・・・あのときの縁日にでてた小さな亀がね・・・今ここにいるコイツとはね・・・」
「・・・・・」
懐かしい日々が想い起されたのだろう、男性は、何かを愛おしむように笑った。
一度きりの人生、終わりに向かって生きているのは私だけではない。
歳の順ではないが、人生は順々に終わっていく。
寂しくもあり、切なくもありながらも終わっていく。
その中に、たくさんの幸せがあり、楽しさがあり、喜びがある。
そして、多くの苦しみがあり、痛みがあり、悲しみがある。
善行もあり悪行もあり、賢考もあり愚考もあり、強さもあり弱さもある。
“今”が想い出に変えられていることにも気づかず、時間の川を流されている。
無意識のうちに、慌ただしく。
そんな人間達を見下ろして桜は何を想っているだろう・・・
「もっと きれいに生きられるはずだよ」とでも言いたいかもしれない。
そんな人間達を見上げて亀は何を想っているだろう・・・
「もっと のんびり生きられるはずだよ」とでも言いたいかもしれない。
・・・詩人気どりでそんなことを空想しながら、桜吹雪に歩を進める私である。
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