特殊清掃「戦う男たち」

自殺・孤独死・事故死・殺人・焼死・溺死・ 飛び込み・・・遺体処置から特殊清掃・撤去・遺品処理・整理まで施行する男たち

ぼっち

2022-01-17 07:00:00 | 腐乱死体
まだまだ春は遠いところ、間もなく、マスク生活も二年になろうとしている。
そして、多分、今年も、一年を通してマスクは手放せないだろう。
「新薬と三回目のワクチン次第」と、ある専門家は言っているが、今回のオミクロン株は、その感染力の強さをみると、いよいよ他人事にはできない感じがしている。
もちろん、私は、これまでも決して“他人事”にはせず、できるかぎりの感染対策をしながら生活してきた。
しかし、もう、それだけでは防ぎきれないようなイヤな予感がしている。
特に、「老齢の両親が感染してしまったら・・・」と思うとスゴく心配になる。

そのせいでもないが、まったく気分が上向かない。
寝ても覚めても、常に、精神が緊張している感じ。
とりわけ、一日が始まる朝が深刻。
倦怠感、疲労感、嫌悪感、不安感、恐怖心・・・そういったネガティブな感情が容赦なく襲ってくる。
昼間になると、瞬間的に気分に薄日がさすこともあるが、それはほんの束の間。
ほとんどの時間、私の心は、どんより曇ったまま。
いつまでも、どこまでも、厚い曇に覆われている。

ただ、奴隷のように諦めてはいけないこともわかっている。
で、「焼け石に水」とわかりつつも、適度な運動をし、陽にもあたっている。
調子が悪くても、日課のウォーキング(一時間余、約6km)は何とか継続。
少し前までは、かなり気合が入っており、余程の暴風雨でないかぎり、傘をさしてでも長靴を履いてでもやっていた。
何故、そこまで意地になっていたかというと、やれるのにやらないでいると自分が怠け者のように思えてしまうし、また、自分が弱い人間であることはイヤというほどわかっているわけで、一度そこに落ちてしまうとズルズルと堕落してしまうことも恐かったから。
「怠け者になりたくない」「自分の弱さに負けなくない」という一心で、ウォーキングを自分に強制していたわけ。

その目的は、もちろん、心身の健康管理。
やったらやったなりに、その後には、それなりの爽快感・達成感・安心感は得られるのだが、これまで経験したことがない次元にまで精神に支障をきたしているこの頃、それが本当に心身の健康に寄与しているのかどうか疑問に感じるようになってきた。
「そこまで自分にプレッシャーをかけて、いいことあるだろうか・・・」
「ストレスになるくらいならやめた方がいいよな・・・」
精神が元気なら、そんな疑問を抱かなかったのだろうが、今は、それが重荷に感じられるくらい弱っているわけで、元も子もないような状態なのである。

結局、「日課」から外すことに。
時間があっても天気がよくても気か向かないときは、無理はしないことに。
それで、少しでも、自分を余計なプレッシャー・ストレスから解放して、気分を軽くすることを心掛けることにしている。


そんな私のウォーキング。
一月三日(月)の昼下がり、犬を連れた一人の老人(以降「男性」)と会った。
男性を会ったのは二~三年ぶり・・・いや、もっとかもしれない。
以前は、夫妻で犬の散歩をしており、ウォーキング中に顔を会わせることも多く、お互い、名乗り合うほどのことでもなかったが、その都度、しばしの立ち話をしていたような間柄。
で、男性も私の事を憶えてくれており、
「どうも!お久しぶりですね!」
と、声を掛けてくれた。

いつもは、奥さんと二人で歩いていた男性。
しかし、そのとき、男性は一人きり。
私は、何の気なしに そのことを訊ねた。
「奥さんは?」
「それがね・・・体調を崩してしまってね・・・」
「そうなんですか・・・」
「もう、外に散歩に出かけられるような状態じゃないんです・・・」
「・・・」
「おまけに、こっちの方もダメになってしまって・・・」
男性は、リードを持っていない方の手の人差し指を自分のこめかみに当てた。
それは、奥さんが認知症を患ってしまったことを示唆しており、更に、もう普通の社会生活を送れなくなってしまっていることを物語っていた。

「自分の方が先にダメになるとばかり思ってたんだけどね・・・」
「七十を越えるとダメだね・・・あちこちダメになっていくばかりで・・・」
「まったく・・・寂しいもんだね・・・」
男性は、諦め顔でそうつぶやき、悲しそうに足元の犬に視線を落とした。
私も、元気だった頃の奥さんを知っていたので、まったくの他人のようには思えず。
月日の移ろいを薄情にも感じつつ、それに抗えない現実に溜息をついた。
同時に、その様が、自分の老親と重なり、神妙な心持ちに。
生まれ、老い、死にゆくことは人間(生き物)の宿命であり、自然の摂理であることは充分わかっていながらも、この時の流れに、私は、逃れようがない寂しさと切なさを覚えたのだった。



出向いた現場は、街中に建つ小規模の賃貸マンション。
間取りは1K。
独身者用、おそらく投資用のマンション。
暮らしていたのは高齢の男性。
無職で持病もあり、生活保護費を受け取って生活。
そして、ある日のこと、そこで、ひっそりと死を迎えた。

時は、今と同じような寒冷の季節。
夏場と違って、遺体は腐敗溶解することなく乾燥収縮。
鼻を突くような異臭や目を覆いたくなるほどの害虫も発生せず。
床に敷かれた布団に横たわり、敷布団に薄いシミを残しながら、遺体は、ただ静かにミイラ化していった。

故人は、ここに十年余り居住。
生活保護を受けることになったのを機に、このマンションに越してきたよう。
ただ、長く暮らしていた割に、置いてある家財は少量。
家具らしい家具はなく、越してきた当時の段ボール箱をそのまま収納に利用。
TV台もテーブルも段ボール箱。
台所回りには、調理器具らしい調理器具はなく、小さなフライパンと小さな鍋、二~三の皿や椀があるくらい。
冷蔵庫の中も生鮮食品はほとんどなく、若干の調味料と飲料があるくらい。
こまめに自炊していたような雰囲気はなく、たまには、美味しいものを食べていたような雰囲気もなく。
とにかく、余計なことはせず、余計なモノは買わず、シンプルな生活を貫いていたようだった。

しかし、部屋には、その全体に漂う“味気ない生活”を払拭するモノがあった。
それは、台所の隅に並べられた焼酎の大ボトル。
それだけは、雰囲気を異にしていた。
どれだけの保護費を受け取っていたのか知る由もなかったが、質素な生活をしながらも酒だけは飲みたかったのだろう。
おそらく、のっぺりした日々の細やかな楽しみにしていたのだろう。
「せっかく生きてるんだから、ちょっとでも楽しみがあった方がいいよな・・・」
もともと、生活保護受給者が酒を飲んだりタバコを吸ったりギャンブルをしたりすることを快く思わない私だが、整然と並べられた焼酎ボトルには何ともホッとするものを感じた。


七十数年、故人がどんな人生を歩いてきたのか、私は知る由もなかった。
ただ、一人一人の人生には一人一人のドラマがあるように、故人の人生にもドラマがあったはず。

故人には娘がいた。
しかし、完全な絶縁状態。
相続を放棄したことはもちろん、遺骨の引き取りも拒否したそう。
もちろん、それは、相応の経緯と理由があってのことのはず。
何の証もなかったが、私には、その原因が故人側にあったことを想像する方が合理的に思われた。

ここに越してきて以降、最期の十年余りは、楽しく賑やかなものではなかったことは容易に想像できた。
家族とも別離し、自分を必要としてくれる人もおらず、人付き合いもせず、ただただ一人で、終わりがありながらも終わりが見えない日々をやり過ぎしてきたであろう故人。
毎年 毎年、クリスマスも、大晦日も、正月も、多分、一人で質素に過ごしてきたのだろう。
自分が納得しようがしまいが、その現実を受け入れるしかなかったのだろう。
孤独を意識するとツラいから、「一人の方が気楽」として、余計なことは考えないようにしていたかもしれない。

何とも寂しいことだが、そういった現実は意外に多く、社会の陰に、同じような境遇にある人がごまんといることを想像すると、自分自身を含めて「人間って、何でそうなんだろう・・・」と、苦々しい思いが湧いてきた。



コロナ禍によって、安易に人と会うことがはばかられるようになり、ときには、大勢集まることが犯罪視されるようにもなった。
これまで当り前のように行われてきた団体旅行や大人数での宴会も、ほとんど行われなくなったよう。
それらは、リモートや家にこもる時間に取って代わった。
それによって、今まで味わったことのないような孤独感に苛まれている人も多いだろう。
それは、画面の向こうにいる人達と接しても、画面の向こうにある賑やかな世界を覗いても、癒しきれるものではない。
気分を紛らわすには、映画やドラマ等の仮想世界や、ゲームや空想等の架空世界に自分をスリップさせるしかない。
もしくは、薬や酒の力を借りて、束の間でも現実から離れるしかなかったりする。

一体、この心細さは何だろう・・・
一体、この心の寂しさは何だろう・・・
一見、私は、孤独を愛する人間。
しかし、孤独に弱い人間。
孤独に強いフリをしてきたけど、実は、孤独に弱い。
このところ、それがヒシヒシと身に滲みている。
私の孤独感はコロナ禍から派生したものではないが、深刻な孤独感に苛まれている。

とりわけ、この頃は、老親との死別が頭を過ることが多くなっている。
先月、久しぶりに再会したことの余韻がそうさせているのだろうと思うけど、それもまた、私の心に影を落としている。
仕方がない・・・生まれ、老い、死にゆくことは人の宿命であり、自然の摂理なのだから。
ただ、寂しい・・・想像すると、寂しくて仕方がない・・・
「親孝行、したいときに親はなし」とはよく言ったもの。
こんないい歳になっても、心の準備も、受け入れる覚悟もできない。

「自然の摂理だ・・・仕方がない・・・」
どんなに悩んでも、どんなに悲しんでも、どんなに嘆いても、その言葉しかでてこないことに、人の無力さ、人の儚さ、人の切なさを今更ながらに思い知らされる。
同時に、「残された時間は少ない・・・」と、何かと疎遠になりがちだった両親だけでなく、自分が大切に想う人との時間を、これからは、もっと大切にしていこうと強く思っている。

それが、今まで、そのようにして生きてこなかった私を孤独から救い出してくれる手立てなのかもしれないから。


-1989年設立―
日本初の特殊清掃専門会社
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誤算

2022-01-11 07:00:00 | 腐乱死体
1月6日(木)PM、首都圏南部は大雪に見舞われた。
そして、ニュースで流れたとおり、大混乱となった。
ただ、もともと東京や千葉には雪の予報がでていた。
が、それは、「降雪量は少ない」というもの。
道路事情に影響することなので、私は、当日の朝も天気予報を確認。
しかし、このときもまだ「芝生のうえに薄っすらと積もる程度」とのこと。
で、「気にするほどのことにはならないな・・・」と、曇空の下、曇ったままの心を引きずって仕事にでたのだった。

雪は、予報よりやや早く、予報通りの少量で、昼前から降り始めた。
予報が狂っていったのはそれから。
「少量」と言われていた雪は、次第に大粒に。
「芝生に薄っすら積もる程度」どころか、樹々の葉にも積りはじめ、そのうち、人通りや車通りのない部分も白くなり始めた。

空模様は、予報に反して、刻一刻と変化。
あれよあれよという間に、大雪注意報が出され、それも束の間、夕方には東京23区・千葉県に大雪警報が出されるまでの事態に。
首都高は次々の入口を閉鎖。
事故や立ち往生も多発し、その機能を喪失。
それでも容赦なく雪は降り続き、既に事務所にいた私は、現場に出ていた同僚達が無事に帰社できるかどうか心配になってきた。

雪国の人には鼻で笑われるかもしれないけど、首都圏では、このレベルでも「大雪」。
途端に、パニックに陥る。
事前の小雪予報が混乱に輪をかけたようにも思う。
街は、滑りやすい靴を履いた人や傘を持たない人ばかり。
防寒着もなく観光地に出かけた人やノーマルタイヤで旅行に出かけた人も少なくなく、せっかくのレジャーも台なしに。
とにもかくにも、気象庁にとっても市民にとっても誤算の一日となってしまった。



真夏のある日。
古い賃貸マンションの一室で、住人が死亡。
放置された日数は長くはなかったが、時は高温多湿の真夏。
肉が腐るにはうってつけの時季。
で、遺体は、異臭を放ちながら猛スピードで腐敗溶解し、ウジも大量発生。
どういう経路をたどったのか不明だが、下階の部屋にウジが落っこちてきたことで、故人は発見されることとなった。

現場に到着した私は、まず、外から建物全体を目視。
建物は小規模、目的の部屋は外からも確認でき、視力が悪くない私は、窓に付着する無数の黒点を発見。
言わずと知れたこと・・・それは遺体から発生したハエ。
更に、同じくらいの数のハエが、その下の部屋の窓にも付着。
「下の部屋にもウジが発生している」と聞いてはいたが、その数は私の想像をはるかに超えていた。

時は、うだるような暑さの夏。
もう、その光景を想像しただけで、お腹いっぱい。
そうは言っても、「ごちそう様でした」と引き揚げるわけにもいかず。
ただの汗なのか、冷汗なのか脂汗なのか・・・私は、わからない汗をドッとかきながら、トボトボと灼熱の階段を昇った。

大家が開け放しにしたのだろう、玄関の鍵は解放されたまま。
「泥棒でもなんでも、入りたいヤツがいれば入ればいい」といった状態。
とはいえ、こんな部屋には、限られた人間しか入れない。
私も、その“特権”を持っている人間の一人であるのだが、“特権”に思えるわけもなく、出るのは汗と溜息ばかり。
私は、玄関前に漂う異臭を溜息で押し返しながら、窓際で暴れ回るハエに冷ややかな視線を送りながらドアノブに手をかけた。

室内がサウナ状態とはいえ、そんな状態で玄関ドアを開け放しにするのはタブー。
一般人が嗅いだとろころで何のニオイかわかるはずもないのだが、「クサい!」ということだけはわかる。
したがって、できるだけ、そのニオイが外に漏れないようにする配慮は必要。
幸い、そこは、玄関が外空に面した構造で、ある程度の異臭はすぐに中和されるのだが、ハエはどこに飛んでいくかわからない。
なので、いつも通り、ドアは必要最小限の幅で開け、私は、素早く身体を室内に滑り込ませた。


余談だが・・・
ここで、生活の役に立たない豆知識。
腐乱死体に発生したハエは、時間経過とともに丸々と太ってデカくなるのだが、警察が遺体を回収して以降は食料がなくなるため、図体の割には体力がないことが多い。
で、そのまま放っておくと、いずれは餓死して墜落する。
したがって、仮に外に飛び出しても、遠くまで飛んでいく力がなく、近所の外壁などにくっついたまま動かなくなる。
それでも、誰にも気づかれないうちに墜落するか、鳥の餌食にでもなればいいのだが、人に見つかれば苦情の原因にもなる。
それはそうだ、腐乱死体から涌いたハエが自分の家の外壁にくっついていたら気持ちが悪い。
ましてや、室内に侵入してこようものなら、我慢ならない。
だから、できるかぎり、ウジやハエはシャバに逃亡させないようにしなければならないのである。


話しを戻す・・・
現地調査を終えた私は、依頼者である大家に電話。
遺族が約束したのかどうかは不明ながら、「発生する費用は遺族が負担する」とのことで、部屋を原状回復させるために必要な作業や工事を打ち合わせ。
見積を作成したら、遺族にも連絡をとり、三者で協議することとなった。

協議の日・・・
私は、大家と遺族、どちらに側にも加担するべき立場にはない。
争いになった場合、巻き込まれるようなことは避けなければならない。
また、葬式などで目にしがちな下手な感情移入も白々しいだけ。
「よろしくお願いします」と名刺を差し出し、事務的かつ淡々とした態度を心掛けながら、作業や工事内容の説明に終始した。

遺族は、高齢の男性二人。
故人とは遠縁のようで、関係する複数の親族を代表して来たよう。
孤独死・腐乱は悪意ある犯罪ではないにも関わらず、「ご迷惑をおかけして申し訳ありません・・・」と、平身低頭。
ま、そうは言っても、落ち度のない多くの人に迷惑をかけ、相応の損害を与えてしまう現実もある。
あと、遠縁とはいえ血縁者が孤独死し、それに気づかす放置してしまったことの気マズさもあるのだろう。
だから、遺族は、おのずと謝罪姿勢になったものと思われた。

大家は、「無礼」という程ではなかったものの、やや憮然とした態度。
故人の後始末の一切合切をはじめ、そこから派生した損害の賠償も遺族が負うのが当然といったスタンス。
事に乗じて不当な利益を得るつもりもなかったと思うけど、下室住人が避難している間のホテル宿泊費、その後に予定している引越費用、家財の買い替え費用、下室の消毒費、空室となる下室と故人宅の家賃等々、諸々の費用を請求した。

大家の要求を聞いた遺族は、困惑の表情。
おそらく、そこまでのことを要求されると思っていなかったのだろう。
しかも、聞き方を変えれば、故人を罪人扱いするような物言い。
円満に決着させるつもりで協議に臨んだであろう遺族だったが、
「ある程度は負担するつもりでいますが・・・」
「あまりに大きな金額になりそうなので、家族と相談します・・・」
と、口を濁して、ハッキリした返答をせず。
結局、その場では何も決着せず、以降も双方で協議を続けることが決まっただけで お開きとなった。

当初から、遺族は、「ある程度の負担が生じることは覚悟している」と言っていたよう。
それに安堵した大家は、あれもこれもと要求内容を膨らませていったのだろう。
また、遺族は、争うような構えはみせず、謝罪姿勢の平身低頭だったから、大家も自分の立場を勘違いしていったのかもしれない。
私が第三者として客観的に判断すると、大家の要求は過大に思われ、その物腰は、やや調子の乗り過ぎのように見えた。

遺族の中で故人と近しい間柄だった者は誰一人としておらず。
当然、故人の相続人でもなく、身元保証人でもマンション賃貸借契約の保証人でもなし。
また、皆、高齢で、年金収入で慎ましい生活を送っていた。
それでも、血縁者としての道義を重んじて誠意をもって対応するつもりだった。
が、ない袖は振れない。
金額だけではなく、大家の要求内容も納得できるものではなく、それは、本件への関わり方を再考させるきっかけとなった。

考えあぐねた遺族は、本件を弁護士に相談。
その結論は、「法的責任はなく、大家の要求を受け入れる義務はない」というもの。
そして、遺族は大家に、
「今回の事案は、マンションを経営するうえで想定されるべきリスクであり、我々は責任を負うべき立場になく、よって、一切の後始末から手を引く」
といった旨を通達した。
道義的なことを考えて葛藤もあったが、それは、中途半端に関わるより一切から手を引いた方が安全と考えてのことだった。

一方の大家は・・・
これで一儲けしようとしたわけではないだろうに・・・
当初は遺族も同意していた部分まで賄ってもらえなくなり・・・
慌てて自らも弁護士にも相談したが、その回答は期待外れで・・・
「しまった!」と悔やんでも後の祭り・・・
まさに誤算・・・
結局、誰からも一銭も補償してもらえず、ただ、臭くて汚い部屋だけが残ったのだった。



今回の大雪。
ニュースを伝えるTV画面の向こうには、困惑する大人のことなんかおかまいなしに大喜びする子供達の姿があった。
それは、とても微笑ましく、また、とても羨ましく、癒されるものがあった。
同時に、「俺にもこんな時分があったんだよな・・・」と、夢幻と化した想い出が蘇った。
身も心も重くなった今とは違い、あの頃は、身も心も軽かった。
そして、平凡な日常にも楽しいことがたくさんあった。
「あの頃は、なんであんなに元気だったんだろう・・・」
「なんであんなに楽しかったんだろう・・・」
と、自分でも不思議・不可解である。

「こんな人生になるとはな・・・」
私は、幼い頃から特段の夢はなく、若い頃から目指していた目標もなく、自分の将来を具体的にプランニングしていたわけでもないけど、何となく、人生ってもっと楽なものだと思っていた。
苦労もあるだろうけど、もっと楽に生きられるようなイメージを持っていた。

一体、何が、自分を押しつぶしているのか・・・
自分が背負っている重荷の正体は何なのか・・・
自分が抱え込んでいるモノは、本当に自分が抱え込んでいなければならないモノか・・・
軽くなるために、捨てなければいけない何かがあるのではないか・・・

翌7日(金)朝、快晴の街は白銀の世界に。
朝陽に照らされて光り輝く視界には、花や緑にはだせない美しさがあった。
ただ、私の精神は、その眩しさから目を背けたくなるくらい沈んでいた。
その眩しさに溶け消えてしまいそうなくらい弱っていた。

「この先は、いい誤算があるといいけどな・・・」
陽にあたり少なくなっていく残雪と自分の人生を重ね、小さくなっても白く輝く雪と曇ったままの自分の心を重ね、どちらも そのうちに儚く消えていくことに安堵に似た寂しさを覚えながら、誤算だらけの人生を見つめなおした雪の一日だった。


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今の俺 俺の今

2021-08-13 08:36:37 | 腐乱死体
無理矢理に開催されたオリンピックも、先日、“やっと”終わった。
“やっと”という言葉を使ってしまうのは、「早く終わってほしい」と思っていたから。
特に、今回のオリンピックは、「やるべきではない」と思っていたから尚更。
もともと 私は、オリンピックにかぎらず、他のスポーツイベントにも、あまり興味を覚えない人間。
当然、TV中継された開会式も閉会式もまったく観なかったし、何かの競技を能動的に観ることもなかった。
しかし、開催期間中、TVはどこも、競技中継(録画放映)やオリンピック関係のニュースばかり。
「もう、いい加減にしてほしいな・・・」と、あまりに目障りで、イラついたこともあった(だったら、TVをつけなきゃいいんだけど)。
おまけに、首都高速が¥1,000も値上げ。
車で仕事をする者にとっては大迷惑な話。
しかも、あまりに一方的で、何だか、いわれのない差別を受けているような気がして不愉快だった。

開催前の世論は「中止」が大半だった。
しかし、実際に開かれてみると、そんな意見はほとんどマスコミから消えた。
「開催された以上は楽しまなければ損」「水を差すようなことを言っても野暮なだけ」といった感覚だろうか。
それとも、ビジネス優先で、御上に取り込まれてひっくり返った世論に迎合したのか。
その時々の時勢に合わせて立ち位置を変えていくことはスマートな生き方なのかもしれないけど、手の平を返したようなお祭り騒ぎには不気味な違和感を覚えた。
また、国なのか、東京都なのか、IОCなのか、JОCなのか、組織委員会なのかわからないけど、大きな力によって民意がなし崩しにされる様をまざまざと見せつけられたようで、ちょっとした恐怖感すら覚えた。
そして、御上の思惑とは関係ないところで健闘した競技者や奮闘した関係者を労うと同時に、メダルの輝光が当たらない医療従事者やコロナ患者のことも想わずにはいられなかった。

そんなオリンピックが終わったら、心情的には、季節が一歩進んだように感じる。
しかし、気候変動の影響だろうか、依然として危険なくらいの猛暑が続いている。
青空にそびえる積乱雲を見上げると、夏が大好きだった青春期が思い出される。
それでも、これを夏の趣として受け止めるには、さすがに暑すぎる。
で、毎年のことだけど、この時季は、現場の状態が急速に悪化しやすい。
そして、その分、作業も過酷になる。
当然、熱中症には充分に気をつける。
とりわけ、エアコンも使えず、窓も開けられない密室での単独作業は要注意。
そこで倒れても、しばらくは誰も気づいてくれないから。
そんなところで命を落としてしまったら、洒落にならない。
ある意味、故人に失礼なことかもしれないし。
作業に集中すると、ついつい、そこのところが疎かになってしまうので、よくよく慎重にやっていかないといけない。

ただ、現代人は、冷暖房に甘え過ぎのような気がする。
それで、結局、自分の体力(健康)を削いでいるようなところもあるのではないかと思う。
ある程度は、春夏秋冬の温度に生活(身体)を合わせていくことも大切なのではないだろうか。
で、私は、以前、真夏でも、一人で車に乗るときはエアコンを使わなかった。
身体を冷房に甘えさせると酷暑への耐性が弱まるような気がしていたから。
普段から、ある程度の暑さに身体を慣れさせておくと現場作業のツラさが軽減すると考えていたのだ。
この考えに科学的根拠はないけど、あながち間違ってはいないと思う。
実際、冷房の効きすぎた部屋なんかに長時間いると調子が狂う。
しかも、加齢にともなって、体力は間違いなく衰えているわけで、そんな根性論は通用しなくなっている。
いつまでも若いつもりでいてしまうのが人の常だけど、もう、この歳になると、体力を過信してはいけない。
そんなことしていたら、運転中に熱中症になってしまう。
だから、昨夏くらいからは、控えめながら、車でもエアコンを使うようにしている。

近年は、建築現場や道路工事現場などでは、“空調服”を着ている人を多くみかけるようになった。
聞くところによると、「涼しい」とまでは言えないけど、汗を乾かす気化熱の分だけは高温を抑えてくれるので、着ていないときより楽なのだそう。
今のところ、私は導入の予定はないけど、ぼちぼち必要かも。
そのうち、ただの風ではなく冷気がでる空調服が出回るかもしれない(今も高価で重装な製品ならあるのかもしれないけど)。
そんなのがあったら、炎天下で重労働する人達は、本当に助かるはず。
そこはモノづくり大国の日本。
安価で高性能の製品が出てくることを期待している。

この暑さに便乗して人々を苦しめようとするかのように、コロナも最大の広がりをみせている。
頼みの綱はワクチン。
私のところには、7月6日に摂取券が届いた。
「心待ち」にしていたわけではなかったけど、少しずつでもコロナ対策が進んでいることが実感できて、それを手にしたときは、少し嬉しい気持ちを抱いた。
が、肝心のワクチンが足りていないようで、簡単には予約ができない状態。
私は、高齢でもなく基礎疾患もなく、かかりつけの病院もない。
後回しにされるのは仕方がないけど、感染急拡大のニュースを目の当たりにすると、気持ちがザワつくことがある。

この一年半、外での飲食もほとんどせず、不要不急の外出も控えてきた。
なるべく人と接しないようにし、仕事上でやむを得ない場合も細心の注意を払ってきた。
幸い、身近なところで感染者はでていないけど、知り合いの知り合いに感染者が現れたりはしている。
しかし、もう、外堀が埋まってきているような気配がして、身近なところで発生するのも時間の問題か。
これまで、何とか感染を免れてきたわけだけど、ワクチン接種を目前にして感染してしまう恐れもあり、そうなってしまったら・・・もう悔しくて仕方がない。
ワクチン接種が先か、感染してしまうのが先か、誰も当てにはできず、どちらに転ぶのか、結局は自分自身の感染対策にかかっているのだろう。

そうは言っても、頼みのワクチンも万全ではないよう。
ワクチンを打っていても感染はするし、発症する割合も決して低くはない。
また、人に感染させる可能性も充分にあるらしい。
重症化する確率が低いというだけ。
事実、接種率の高い国や地域でも、感染が再拡大している。
つい、この前まで「ワクチンを打てば安心」「コロナ前とほぼ同じ生活ができる」と思っていた私だけど、その勘違いは捨てなければならないと自戒している。

とにもかくにも、いまだにワクチンを打っていない私は、今、これまで以上に慎重な生活を心掛けている。
私生活では、ほぼ問題ないと思っているが、やはりリスクが高いのは仕事。
多数ではないものの、見ず知らずの人と接する場面があるから。
もちろん、今は、誰もがマスク着用を当り前としているが、それでも、誰かと会う場合は気を使う。
短い立ち話で済むことがほとんどだけど、それでも、会話中、あまり近づいて来られると後ずさりするくらいに神経を尖らせている。

とは言え、幸い、私は単独での作業が多い。
コロナの“ソーシャルディスタンス”“三密”とは関係なく、もともと、単独作業を好むから。
一人では手に負えない作業や、手分けしてやった方が明らかに合理的な仕事は複数協働で行うが、大変だろうがキツかろうが、一人でできることは一人でやる。
身体はキツくても、その方が気楽だし、変なストレスがかからない。
結果・成果を出しさえすれば、自分のやり方で、自分のやりたいようにできる。
車での移動時間も、ドライブ気分で心を自由に遊ばせることができる。
だから、どんなに凄惨な特殊清掃でも「誰かに助けてもらいたい」「誰かと一緒に来ればよかった」とは思わない。
「キツー!」「しんどー!」「クセー!」「汚ねぇー!」等と、愚痴りはするけど、一人作業を悔やんだりはしないのである。



「かなり悲惨な状態」
とあるマンションの浴室で住人が孤独死。
不動産管理会社からの特掃依頼だった。
「警察からは“誰も入れる状態ではない”と言われた」
放置された日数だけでなく、季節の暑さも手伝って、肉体のほとんどは溶けてしまったよう。
管理会社の誰も、現場に入ることができなかった。

「扉が開いてんのかな・・・」
浴室は密閉性が高く、扉が閉まっている場合、異臭が大きく広がることは少ない。
しかし、この部屋は、玄関前にも悪臭がプンプン。
「これじゃ、避難するしかないか・・・」
私は、住人が避難して無人となった隣室の玄関ドアを横目に、使い捨ての手袋を両手に装着。
そして、いつものように、諦めきれない不安と逃げ道のない覚悟を胸に玄関を開錠した。

「うは・・・」
玄関前に漂う異臭もさることながら、室内の異臭は、それよりはるかに高濃度。
高い室温が、それを更に醸成させていた。
「ヒドい・・・ヒド過ぎる・・・こんなヒドい“汚腐呂”は久しぶりだな・・・」
“過去一位”という程でもなかったけど、状況は上位クラスのヘビー級。
特掃作業については、前夜から気分が沈むパターンであることが自ずと想定された。

「いつも通りにやるしかないよな・・・」
翌日の作業を前に、私は、作業手順を思案。
結局のところ、その基礎は、並盛の体力と大盛の根性だった。
「俺がやるしかないんだよな・・・」
自分の中で一通り問答。
わかりきった答を前にした、いつものルーティンだった。

「よし!やるか!」
作業手順を念入りにシュミレーションし、必要な道具類も準備万端。
あとは、いつもの体力と根性があれば大丈夫なはず。
「一生続くわけじゃない!」
これから始まる苦難の作業。
私は、それにも“終わり”があることを望みにして、作業に取り掛かった。

「凄まじいな・・・」
故人が倒れていたのは浴室の洗い場。
湯に浸かったままの方がマシだったのかどうかわからないくらいまで溶解。
「でも、こうなろうとしてなったわけじゃないんだからな・・・」
元肉体は、ドロドロの汚泥状態。
それは、排水口を詰まらせたうえ、かなりの厚みをもって堆積していた。

「キツいけど仕方がない・・・」
これが私の仕事。
泣こうが喚こうが、これが自分の責任。
「これで生きてんだから仕方がない・・・」
これが私の糧。
悔やもうが惨めだろうが、これが自分の人生。

「我ながら、うまくやるもんだな・・・」
作業は、シュミレーション通りに進行。
誰にも自慢することができない自画自賛だった。
「ここまでやれれば上出来!上出来!」
思いのほかきれいになった仕上がりに満足。
大きな難はあったものの想定外の難はなく、私は、やり遂げた後、床のシミとなって現れた故人に同志的な眼差しを向けた。

「どんな人生でしたか?」
多くの現場で故人に訊く私。
ここでも、あるはずのない返事に向かって問いかけた。
「楽じゃないけど、食うためにやってるんです・・・」
多くの現場で故人につぶやく私。
ここでも、いるはずのない故人に向かって同情を促した。

「終わったな・・・」
重い仕事を終えると、その分、気分は軽くなる。
そこには、誇らしくも思える 小さな達成感があった。
「今夜の酒は、うまいだろうな・・・」
私は、好物のビールやハイボールを思い浮かべてクスリ。
そこには、“人の死”で飲む酒を美味にしながら生きてきた人間の悲しい性質があった。


かわり映えのない つまらない毎日・・・
飽き飽きするような 退屈な日常・・・
オリンピックにイライラ、コロナに恐々、猛暑にクタクタ・・・
見た目もくたびれ、身なりもパッとせず、生活ぶりも貧乏くさい中年男・・・
「楽しみ」と言えば、一人 気ままにやる晩酌くらい。
一日中、無表情・仏頂面・シカメっ面で過ごし、一日一回も笑顔を浮かべない日もざらにある。

そんな生活に嫌気がさし、「こんな毎日に、一体、何の意味があるのだろうか・・・」と、何度、自分に、そう問うてきたことか。
そんな生き方がイヤになり、「腐るな!スネるな!いじけるな!」と、何度、自分に、そう言いきかせてきたことか。
それでも、愚かな想いばかりが湧いてくる。
それが、人間の悪性・愚性・弱性・・・そもそも、私(人間)とは、そういう性質をもった生き物なのだろうけど、それを知ったところで何も片付かない。

しかし、生きている事実、生かされている事実はある。
そして、平和に生きられるだけの、家も、仕事も、金もある。
そんな日々が、どれだけありがたいことなのか、私は、いまだよくわかっていない。
ただ、がんばることの大切さは知っている。
仕事も学業も、会社での役割も家庭での役割も、趣味も遊びも、そして、喰って 寝て 息をしながら生きることも。
私の この“がんばり”は、また、貴方の その“がんばり”は、望むかたちで報われるかどうかはわからない。
悲しくとも、まったく報われないかもしれない。
しかし、私は思う。
何でもかんでも、とにかく がんばることは気持ちがいい。
そして、違う何かが得られ、別の何かが獲れる。

喜怒哀楽に振り回され、
紆余曲折の中で七転八倒し、
七回転んで八回起き、
汗かきベソかき、
それでも、何とか がんばっている。

ブログは滅多に書かなくなったけど、相変わらずの生き方をしている2021年晩夏の私である。


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日本初の特殊清掃専門会社

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雨風

2021-06-15 08:35:09 | 腐乱死体
水無月も半ばになり、真夏への助走が始まっている。
待ち望んでいたわけではないが、昨日、やっと関東の梅雨入りが発表された。
ま、梅雨に入っていようといまいと、もう充分にムシムシしているから関係はないが。
しかし、不快な時節も、移ろう季節の一幕だと思えば趣があるというもの。
幸いにも、この時季ならではの紫陽花が、去年と同じ場所にきれいに咲いている。
生まれたばかりの可愛いカタツムリも、踏んでしまわないよう気をつけないと。

ただ、そんな趣とは裏腹に、この心身は疲れ気味。
夏が大好きだった10代の頃は、とっくに幻。
これからやってくる酷暑を思うと、更に気分はゲンナリ。
生来の怠け心が、にわか仕立ての勤勉さを易々と押しのける。
とにかく、今年もまた、避暑地にでも行かないかぎり避けて通れない夏は、充分な休養とこまめな水分補給を心掛け、どうにかこうにか乗り切るしかない。

昨夏に続いて今夏もコロナウイルスがいる。
しかも、「変異種」といわれる強力な奴が。
緊急事態宣言も延長され、病床も経済もマズイ状況が続いているし、イギリス型とインド型が合体した?更に強いヤツも出現したらしいし、これから、もっとマズイことが起こるのではないかと気が気ではない。
ただ、ワクチン接種が身近なところに近づいてきている。
まだ現実味を感じるには程遠いけど、「今秋までに」という政府の目標をアテにして踏ん張りたい。

オリンピック開催予定まで、あと一ヶ月余。
この期に及んでも、開催の可否が決まっていない。
コロナのせいとはいえ、そんな優柔不断なことでいいのか。
私は、開催中止派だから、そっちの方へ考えが偏っているが、あえて言う。
「やめといた方がいいんじゃない?」「いい加減、諦めたら?」
試算によると、オリンピック中止より緊急事態宣言の方が経済損失は大きいらしい。
立場上「開催する!」としか言えない人も多いのだろうし、下々の者にはわからない大人の事情があるのだろうけど、開催に固執することは全体の利益に反する。
今だって、苦しんでいる人は多いのに、その上で、わざわざ災難を呼び込むようなマネはやめてほしい。

「中止になったら、ここまでがんばってきたアスリートが報われない」といった声もそう。
それはそうだろうけど、がんばっているのはアスリートだけではない。
国の名誉を背負っているわけではないし、世闇を照らす希望の光にもなれいかもしれないけど、名もなき多くの庶民も、自分のため、家族のため、必死に耐え、一生懸命がんばっているわけ。
オリンピックに出る人達の“汗と涙”だけに焦点をあわせた特別扱いには、疑問を抱かざるを得ない。
IОC・JОC・東京都・組織委員会等々、どこまでコロナ禍と世間の雨風に耐えられるのか、もはや、五輪の理念はどこへやら、金と利権に執着する醜態しか見えてこない。
と言いつつも、開催賛成派の人達にも言い分があるわけだから、その意見にも耳を傾けるくらいの客観性も大切だと感じている。
共に闘うべきコロナも、共に楽しむべきオリンピックも、今や、論争のネタにしかなっておらず、このままでは、日本の空は一向に晴れないから。



訪れた現場は、街中の商業地近くに建つマンション。
間取りは1K。
故人は、生活保護の受給者。
社会との関わりが薄い生活での孤独死は、当然、なかなか発見されない。
当人の意思を無視して、自ずと“腐敗コース”を進んでしまう。
で、息絶えた故人も、誰にも気づかれることなく、一人、モノ申さず しばらくの日々を過ごし、朽ちていったのだった。

私が出向いたとき、家財生活用品は既に片づけられていた。
ただ、部屋の中央の床には、故人が残した元人肉が残留。
“人型がクッキリ”なんて程のことはなかったものの、私には、故人が倒れていた姿勢が どことなくわかった。
併せて、特有の異臭が部屋に充満。
そんな現場は、一般の人からすれば「凄惨!」となったかもしれない。
ただ、慣れた私にとってはそんなことはなく、何とも寂しい雰囲気だけが、わずかに気になったくらいの程度だった。

依頼された仕事は、遺体痕の清掃と部屋全体の消臭消毒。
遺体から漏れ出た腐敗体液は乾いた状態で、赤茶色で薄っすらと付着。
頭髪が貼りついているようなこともなく、ウジ・ハエの発生もなし。
削り取るまでもなく、洗剤でふやかせば拭き取れる程度のもの。
汚物との格闘では百戦錬磨(?)の私にとっては、難なくこなせる作業。
誰かに急かされているわけでもなく、チームでの作業でもなく、自分のペースでやればいい。
フツーの人なら呑気な気分にはなれるはずのない部屋で、私は、呑気に作業に取り掛かった。

そこは、一人きりの腐乱死体現場。
世間から隔離されたような静寂に包まれていた。
自らが発する作業音以外は、時折、外の雑踏音が耳に入ってくるくらい。
しかし、そんな中で、不意に「ガチャッ!」と、玄関のドアが開く音がした。
一人で呑気に・・・もっと言うと、“一人でのんびり”やっていたところ、誰も来るはずのないところに いきなりの侵入者。
私は、ビクッ!と心臓が止まりそうになるくらい驚き、思わず身構えた。

そして、オドオドと右往左往。
人が死んだ跡だというのに、何の緊張感も哀悼の気持ちもなく、呑気な気分で、のんびりと仕事をしていたことに後ろめたさがあったのか、私は、まるで、コソコソと悪いことをしていたかのように、落ち着きを失った。
とは言え、私は、不法侵入者ではない。
正規の契約で、正規の仕事をするために、正規の許可を得てこの部屋に入っているわけ。
だから、逃げ隠れする必要はどこにもなかった。

そんな状況で、目の前に人影が現れた。
入ってきたのは、二人の女性。
一人は高齢、一人は中年。
二人も、玄関の鍵が開いていることを不審に思いながら入ってきたよう。
そして、中に人(私)がいるとは思っていなかったよう。
「こ、こんにちは・・・」
と、お互い、驚きと戸惑いの表情を浮かべながら、たどたどしく挨拶を交わした。

訊いたところ、二人は母娘のよう。
母親は、結構な雨に打たれ 風に吹かれ生きてきたのだろう。
野次馬には関係のないことだから事情や経緯は聞かなかったけど、母親は、生活保護を受給することになったよう。
で、優良物件として、役所からこの部屋を斡旋されたのだろう、母親が暮らすための部屋を探すことになり、この部屋を下見に来たのだった。

しかし、まだ、前住人の腐乱死体痕も異臭もバッチリ残っている。
“なにも、このタイミングで見に来なくてもいいのに・・・”
私は、そう思いながらも、
“利便性の高い街中の好立地だから、モタモタしてると他の誰かにとられるかも と心配したのかな・・・”
とも思った。
どちらにしろ、こんな部屋に、躊躇うことなく入ってくるなんて、なかなかの神経の持ち主か、またが、それだけ生活が逼迫しているか、どちらかだと思われた。

二人の会話を聞いていると、そのどちらも当てはまった。
娘は図太い神経の持ち主で、母親の生活は逼迫していた。
ただ、母親は、そんな厳しい現実を理解しつつも、それを受け入れたくなさそうな困惑の表情を浮かべ、どことなく消沈している様子。
そんな母親に娘は、
「いい所じゃない!近くにスーパーも病院もあるし生活しやすいよ!」
「ここにしなよ!ここに決めちゃおうよ!」
としきりにこの部屋を勧めた。

確かに、建物は重量鉄骨構造で築年もそう古くはなく、なかなかきれいで立地もいい。
決して広くはないけど、一人で暮らすには、それほどの不便はない。
難点はただ一つ、孤独死・腐乱死体現場の跡ということだけ。
ただ、そういうことを気にしない人であれば、割安の家賃に惹かれ、喜んで入居するはず。
事実、割安で暮らせる事故物件を好んで選ぶような人もいるらしいから、そういう人にとっては「優良物件」といえる部屋だった。

私は、会話に混ざる立場ではないけど、同じ部屋にいたら、どうしても耳に入ってくる。
また、狭い空間に他人がいては、部屋をジックリ見にくいだろうし、話もしづらいはず。
二人を無視して作業を続けることはできたけど、それも、あまりに生々しい光景なので、私は、
「私は、ちょっと外に出てますね」
と二人に気を配った。
すると、
「いえ、ここにいていただいて大丈夫です」
「伺いたいこともありますし」
と娘が私を呼び止めた。

「この汚れもニオイもなくなるんですよね?」
「これから、きれいになるんですよね?」
娘は、矢継早にそう訊いてきた。
「ニオイは消えますし、床も壁紙も貼り替えられるはずですよ」
「ルームクリーニングも入るはずですし、きれいになりますよ」
私は、娘の援護射撃をするつもりはなかったが、故人や物件の名誉もあるので そう応えた。

すると、娘は、
「気にしなきゃいいだけだから!」
「雨風しのげるだけでありがたいと思わなきゃ!」
と、母親に強調。
その言葉は、故人の名誉を考えて出たものではないことは明白で、身内とはいえ、ちょっと無神経。
一方の母親は、浮かない表情で沈黙。
言葉にできない複雑な心境が、如実に顔に表れていた。

どうも、母娘は実の親子ではなく、嫁姑のよう。
そのせいか、娘の態度は、あまりに事務的で冷淡。
「テキトーな所へ さっさと突っ込んでしまえ」といった悪意を感じるくらい。
娘だって守らなければならない自分の生活があり、義母の面倒をみる余裕はないのだろうけど、それでも、母親が置かれた立場が何とも気の毒に思えて、自分も一人前の親不孝者であることを棚に上げて、私は 心の矛先を娘に向けた。


いずれ、自分が死んでしまうことは、誰しもわかっている。
孤独死することだって、不自然なことではない。
そして、時間がたてば肉体も朽ちる。
周辺を汚し、異臭を放ち、場合よってはウジ・ハエを生み出すこともある。
しかし、これもまた自然なこと。
母親も高齢につき、自分の“死”を身近に感じていたと思う。
ただ、この部屋で起こったことと、目の当たりにしている現実を自分の将来に重ねると、あまりにリアルに感じられるものだから、故人への嫌悪感や死への恐怖感とは離れたところにある一抹の寂しさが顔に表れていたのではないかと思った。

本件の母親が、再び、生活保護生活から脱する可能性は低い。
取り巻く現実は厳しく、誰がどうみても、明るい将来を描けない状況。
冷たい言い方をすれば「夢も希望もない」。
おそらく、質素な暮らしのまま、最期を迎えることだろう。
それまで、寿命が尽きるのを待つように、淡々と生きていくしかないだろう。

しかし、これは、この母親の人生だけのことではなく、私の人生も似たようなもの。
若い頃には知り得なかったことが歳を重ねることで知り得たり、若い頃には気づかなかったことに歳を重ねることで気づけたりすることもあるのだけど、その分、それが裏目にでることも少なくない。
老いと衰えを自覚させられると、将来に夢や希望を持ちにくくなり、薄暗い未来しか想像できなくなったりする。
大なり小なりの「虚無感」「空虚感」というヤツにつきまとわれ、「ただ、生きてるだけ」といった貧しい状態に陥り、諦念・失望・疲労、そういったものに苛まれて力が抜けていく。
そうなったら世と時に身を任せて、流されるまま寿命が尽きるのを待てばいいのだけど、この世に存在する価値を失ったようなツラさが襲ってくる。

とにもかくにも、人生ってやつは苦悩の連続。
宮沢賢治の「雨ニモマケズ 風ニモマケズ・・・」じゃないけど、生きていれば、雨にも打たれ、風にも吹かれる。
その雨風にどう耐え、その雨風をどうしのぎ、その雨風の中をどう進んでいくか。
自分に言い訳をしながら、気休めの言葉をつぶやきながら、ひたすら、雨風が過ぎ去るのを待つしかないのか。


これからの季節、現場は凄惨になり、作業は過酷になる。
そんな今に、何か“楽しみ”を見いだせるか・・・
そんな日々に、何か“生きがい”を感じられるか・・・
そんな人生に、何か“意味”を持たせられるか・・・
雨風を耐える覚悟もないまま、ひたすら雨に打たれ、風に吹かれながら、私は、相も変わらず、自問自答(自悶自闘)の日々を過ごしている。

「やっぱ、俺は、特殊清掃やるしかないんだろうな・・・」
結局のところ、今の自分が心を燃やし、渾身の力を発揮できるのは、それしかなさそう。
趣味らしい趣味もなく、楽しみらしい楽しみもない中で、そんな汚仕事でこそ元気が出るなんて、何と滑稽なことか。
腐乱死体となってしまった人にも、「仕方のないヤツだな・・・」と苦笑されそうで、そんなとき、私は、気持ちの中でペコリと頭を下げる。
そして、繰り返し、繰り返し、次の雨風に耐えうるだけの力をもらい受けるのである。


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2021-03-16 08:53:51 | 腐乱死体
私には、もうじき79歳になる母親がいる。
50代半ばで糖尿病を発症し、60代半ばで肺癌を罹患、最近では、白内障で眼科にかかっている。
もう13年近く前になるが、癌研有明病院で片方の灰を切除した。
今現在、癌は再発しているものの、その進行スピードは極めて遅く、特段の治療はせず定期健診のみでしのいでいる。
糖尿病も、キチンと自己管理しているおかげで重症化することもなく、以前はインシュリンの注射が必要だったところ、今は、飲み薬だけで血糖値を管理できている。
高齢のうえ二つの大病を患っているにも関わらず、頭も身体もシッカリしており、誰の手を借りることもなく日常生活を送っている。
介護保険のお世話になったこともないし、今のところ、その必要もなさそう。
本当に、ありがたいことである。

そんな母と私は、子供の頃から衝突することが多かった。
性格が似ているのか、真逆なのか、そのせいなのか、これまでやらかしてきた大ゲンカは数知れず。
そのときも私が母を激高させたのだろう、四歳の頃には、脚の骨にヒビが入るくらいの暴行を受けたこともある。
何せ身体が小さいものだから、抵抗らしい抵抗ができず やられっぱなし。
グッタリ動かなくなった私を見て我に返った母は、慌てて私を病院に担ぎ込んだ。
そして、負傷した脚はギプスで固められ、しばらく松葉杖生活を送ったのだった。
しかし、これが今の時代だったら、立派な児童虐待。
で、母は警察に捕まってしまうところだ。

言葉の暴力に至っては日常茶飯事。
とにかく私は、生意気で口答えの多い子供だったようで、母を怒らせるのが大得意。
頭にきた母は、ことある毎に、
「お前なんか産むんじゃなかった!」
「伯父さんの家に養子に出せばよかった!」
「お前みたいな子は、少年院に入ってしまえ!」
等と、無茶な暴言を吐きまくった。
一方の私は、言われ慣れてしまっていたせいか、大してキズつくことはなく、屁理屈を言い返しては更に母を激高させていた。

回数は減ったものの、大人になってからも衝突はおさまらず。
何もなければ平和な関係なのだけど、ちょっとしたキッカケが火種になり、口論に発展。
そのうち、お互いに癇に触ることを言い合って大喧嘩。
で、その結果、絶縁。
関わり合わない期間は年単位で、これまで、大喧嘩をしては絶縁し、そのうち何となく復縁し、再びケンカをしては絶縁するといったことを何度となく繰り返してきた。
いい歳をしてみっともないのだけど、コロナが流行る前も大喧嘩をして、しばらく絶縁状態になっていた。
しかし、毎朝のドラッグストアに長蛇の列ができていた頃、コロナ感染を心配するメールと品薄だったマスクを送ってやったことがキッカケで復縁。
それ以降、今日に至るまで、直接顔を会わせることはないものの、ケンカをすることもなく、メールや電話をしながら、平和な親子関係を維持することができている。

それにしても、どうして私は、そんなに性根の悪い子供だったのか・・・
親の育て方が悪かったのか・・・
それとも、こんな性格だから、そんな育て方をしなくてはならなかったのか・・・
私には、兄と妹がいるのだが、うまくいかないのは私とだけ。
同じ腹から生まれてきたのに、三人兄妹の中で、何故かこんなのは私だけ。
母曰く、「とにかく、お前は育てにくい子だった!」とのこと。
そんなこと言われると心境複雑だけど、「確かに・・・わかるような気がする・・・」と、自分でも妙に納得できてしまう。
自分でも、それが何ともおかしい・・・もう、この歳になれば笑い話だ。

そんな母でも、私を産み育ててくれたことに間違いはない。
自分は贅沢らしい贅沢をせず、したいオシャレだってほとんど我慢。
専業主婦だった期間も短く、共働きで中学から大学まで私立に行かせてくれた。
平和な日常においては、働き者の母親、忍耐強い母親、大好きな母親だった。
返しきれない大恩がある。
本来なら、もうずっと前から親孝行してこなければならなかったのに、大学を出て引きこもっていたかと思ったら、わけの分からない仕事に就いて、その後もケンカ&絶縁を繰り返すような始末。
「孝行息子」になるには程遠いイバラ道を歩いている。
今できる孝行は、たまに電話して、元気にやってるフリをするくらいのこと。
ただ、そんなことでも母は喜んでくれる。
私は、ただただ、そんな母に感謝するとともに、心の中で頭を下げるのみなのである。



付き合いのある不動産管理会社から、深い溜息とともに特掃の依頼が入った。
好況は、かなりヒドいよう。
そうは言っても、私は そんな情報に動じるほど青くはない。
もはや変態・・・凄惨であればあるほど、特掃は燃えてくる。
「ヨッシャ・・・いっちょ行ってくるか!」
と、種火のついた特掃魂を携えて、私は、勢いよく現場に向かった。

到着した現場は、郊外の1R賃貸マンション。
その一室で住人の中年女性が孤独死。
発見までかなりの日数が経っており、室内は凄惨な状態に。
玄関前には異臭が漏洩。
ただ、「クサい」という感覚はあっても、それが何のニオイかわからなかったため、近隣住民は“怪しい”と思いつつも放置していたよう。
「なかなかのことになってそうだな・・・」
と、漂う悪臭に、私は、小さく気合を入れ直した。

故人は、台所と居室の境目にドア下に倒れており、そこには、腐敗粘土・腐敗粘液と化した人肉がベッタリ。
頭部があったと思われる部分には大量の毛髪。
やや遠目にみると、床には身体のかたちもクッキリ。
「毎度~!」と言わんばかり、ウジやハエも常連客のように図々しく増殖。
「こりゃ、だいぶ骨になってたな・・・」
と、一目瞭然の腐敗深度に、私は、小さな溜息をついた。

その心情は、極めて事務的、冷淡。
死を悼む気持ちもなければ、同情心もない。
完全に「商売」と割り切ってのこと。
ただ、故人の人生を想わなくもなかった。
故人のためではなく、自分のために。
自分と同じ一人の人間が生きてきて、そして死んだわけだから、その生き様と死に様から何かをキャッチしないと、汚仕事に従事する自分が浮かばれないから。

故人のせいではなく死体のせいで部屋は悲惨なことになっていたけど、それがなければ整理整頓ができたきれいな部屋だった。
不動産会社によると、「故人は身寄りがない」とのこと。
しかし、家財をチェックすると、故人には男の子と女の子、二人の子供がいたことが判明。
ということは、夫もいたわけで、「家族はあった」ということになる。
どういう経緯で別々になったのか知る由もなかったけど、そこには、故人が大切にしていた想いがあった。

それを裏付けたのは、タンスの上の段の小引き出しにあった二つの小さな木箱。
自分も持っているので、それが何であるかすぐにわかった。
それは、ヘソの緒、故人と子供を結びつける証。
小さなラベルが貼ってあり、そこには、出産日時、故人の名前、子の名前、体重、産院などが列記。
引き出しには、他にも色々なモノが入っていた。
幼い子供が描いた母(故人)の絵。
“おかあさん だいすき”と書かれた一枚も。
子供が折ったのだろう、いくつかの折り紙もあった。
それから、小さな靴が二足。
二人の子が初めて外を歩くときに履かせた物だろう。
それらが、きれいに紙に包まれ、きれいに箱に入れられ、一つ一つ、何かを愛おしむように大切にしまわれてあった。

不動産会社からは、
「故人と親族は、絶縁状態だった」
「親族は、遺骨以外は引き取らない」
「部屋にある物はすべて処分していい」
と言われていた。
しかし、故人(母)の想いを無碍にしていいものだろうか・・・
私は、得意とする“善意の押し売り”になるのではないかと思わなくもなかったけど、その引き出しにしまわれたモノを そのまま捨てるのには、妙な寂しさを覚えた。
小さな引き出し一つ分、大した量でもなし。
後で始末したとしても、大した負担にはならない。
結局、私は、それらの品はゴミとして処分しないことに。
小さな段ボール箱に詰めなおし、空っぽになった部屋の押し入れに置き残した。


故人と二人の子が疎遠な関係になったのには、相応の事情があったはず。
多分、よくない事情があってのことだろう。
やむにやまれぬ事情だったら、家族が離散することはなかったかもしれないし、仮に離散となっても、家族としてのつながりは持ち続けただろうから。
少なくとも、故人は、過去に借金問題を抱えていたことがあったよう。
部屋にあった金融機関や裁判所の書類が、それを物語っていた。
生活苦からなのか、ギャンブルなのか、分不相応の買い物なのか、はたまた男遊びなのか定かではないけど、とにかく、健全な理由ではなかったように思う。

私もそうだけど、人間って弱い。
また、世の中には、欲をくすぐる誘惑がゴロゴロ転がっている。
で、コロコロと人生を転げ落ちるのは、意外に簡単なことだったりする。
故人も、人生のどこかで過ちを犯したのかもしれない。
家族を裏切るようなことをしてしまったのかもしれない。
そして、それがキッカケで、夫と離婚、子と別離となったのかもしれなかった。

ただ、往々にして「親の心、子知らず」。
子を想う親の気持ちは、子には、なかなかわからないもの。
親になってはじめてわかること、親になってみないとわからないこと、それでも尚わからないことって多々ある。
かつての私がそうだったように・・・今の私がそうであるように。
二人の子が、故人の親心を理解していたかどうかわからないけど、それでも、故人は、いつまでも子のことを大切に想っていたのだろうと思った。

故人の遺骨は、子供が引き取った。
そして、私が取り置いていた想い出の品も。
「いらないから捨てて下さい」と言われたらそうするつもりだったけど、ヘソの緒も靴もみんな引き取ってくれた。
それを手にした二人の子は、何を想っただろう・・・
いい思い出ばかりではないだろうけど、悪い想い出を錯綜させつつも、ほのぼのとした笑顔で母を偲んだのではないだろうか・・・
勝手な想像ながら、そう思うと、私は、“善意を押し売った”自分を「お手柄!」と褒めてやりたくなった。
そして、それが何とも嬉しくて、いつまでも その余韻に浸ったのだった。


いつの頃だかおぼえていないけど、ずっと昔に母がくれたもの・・・
私は、今も、自宅の机の引き出しに、自分のヘソの緒をもっている。
普段は放ってあるけど、何かのとき、その木箱を手に取ることがある。
そして、それをしみじみと眺めては、
「このときの俺には、色んな可能性があったんだよな・・・」
「この後にこんな人生が待ってるなんてな・・・」
と、悲しいような可笑しいような、複雑な想いが交錯する中で湧いてくる降伏感に近い幸福感に苦笑いしている。
そして、
「命がけで産んでくれたんだよな・・・」
「人生をかけて育ててくれたんだよな・・・」
と、若かった母、労苦していた母、老いた母の姿を心に浮かべては目を潤ませている。

とにもかくにも、それだけの月日が過ぎてしまった。
もう五十年以上経っているわけで、私と母をつないでいたヘソの緒は、私の身体と同じくボロボロ。
一人の人間を生み育てるということが、どれだけ大変なことか・・・産んだ方の身体は、もっとボロボロ。

「ありがとう・・・かあちゃん・・・」
この歳になったからか・・・いや、この歳まで生きさせてもらっているからこそ、私は、そんな風に想うのである。


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底んところ

2020-06-06 08:33:38 | 腐乱死体
緊急事態宣言が解除され安堵の一息をついたのも束の間、「微増」とはいえ感染者数が増えてきている。
所々では、小さなクラスターも発生。
東京では独自の「東京アラート」なるものが発動されている。
それでも、もう我慢ならないのか、街や観光地には多くの人々が繰り出している。
感染者数が爆発的に増えなければ(?)、今月19日には(?)、一部地域から(?)、越境規制も緩和される(?)。
そうなると、人の行き来は、ますます増えていくはず。
慎重派の私は、解除の前後でほとんど生活スタイルを変えていないけど、人々のストレスと経済を考えると、無策でなければ、それはそれで悪いことではないだろう。
ただ、あれから二週間近くたつから“そろそろ大きな第二波がくるのでは?”と、不安に思っている。

知ってのとおり、世界は、健康上のことだけでなく経済的にも大打撃を受けている。
中小零細企業の倒産、解雇・失業はもとより、大企業の業績も悪化。
しかし、こんなに甚大な被害を引き換えにしてもなお、ウイルスは終息していない。
それでも、“withコロナ”ということで、各種の規制要請は次第に緩和されつつあり、“夜の街”が不安視されながらも、経済の歯車は小さいところからゆっくり回り始めている。
今のところ、外食の予定も出かける予定もないけど、行きつけのスーパー銭湯が再開しているから、行ってみようかどうか迷っている。
今、流行りの“水着マスク”を着けて行けば、大丈夫かな。
しかし、そういった、考えの甘さと軽率な行動が、感染を再拡大させてしまうのかもしれず、悩ましいところである。


何度が仕事をしたことがある不動産会社から特殊清掃の依頼が入った。
「管理するアパートの一室で腐乱死体が出た」
「“異臭がする”ということで、隣室の住人が通報」
「どんな状況か、行ってみてきてほしい」
お互いに顔を見知っている我々は、“人が死んでいる”というのに声のトーンもテンポも落とさず、不謹慎にも、時折、談笑を交えながら現地調査の段取りを打ち合わせた。

アパートが建っているのは郊外の住宅地。
近年に大規模修繕を行ったのだろう、建築から三十年近くたっているにも関わらず、それほど古びて見えることはなく、結構きれいな建物。
現場は、その二階の一室、間取りは2DK。
汚染度はライト級~ミドル級程度。
ニオイは、そこそこパンチのある濃度で放たれていたが、実際の遺体汚染はそれほど深刻な状態ではなく、床材もクッションフロア(CF)であったため、遺体痕清掃も、「特殊清掃」というほどハードな作業ではなかった。

亡くなったのは、初老の男性。
無職のため社会から距離が空いており発見が遅延。
その孤独な生活は、生活保護を受給して維持。
にも関わらず、部屋からは、故人が節度・良識をもった生活をしていたことはうかがえず。
ギャンブルのマークカードがなかっただけマシかもしれないけど、酒の空缶やタバコの空箱が転がり、整理整頓・掃除もロクにできておらず。
もともと、この類の人間を快く思わない私は、冷酷非情は承知のうえで、
「ただ、“働く気がない”のを“働けない”ってことにしてただけなんじゃないの?」
と、口の中で飼っている苦虫を噛み潰した。

訊けば、このアパートに暮らしているのは、大半が生活保護受給者。
小ぎれいな建物だし、一般の人でも暮らせる充分な間取り。
ただ、周辺には、より条件のいいアパートが乱立。
家賃が同等であれば、少しでも立地がよく、建物や設備のいい物件に人は流れる。
そういった人気物件は、黙ってても一般の入居者で埋まるわけだから、社会的・人間的にハイリスクな生活保護受給者は相手にしない。
一方、その逆で、人気のない物件はそんな“ワガママ”は言っていられない。
“空室にしておくよりマシ”ということで、生活保護受給者でも何でも入れるのである。

不動産運用って、「金持ちの道楽」とはかぎらず、一部の富裕大家を除き、庶民大家の中には、借金して投資して運用している人も少なくない。
また、月々の家賃収入が、そのまま自分の生活費になっている大家も。
空いたままの部屋は一銭の金も生まないわけで、庶民大家には、そのままにしておく余裕はない。
で、人気のない物件は、空室を埋める策として地域相場より家賃を下げざるをえず、結果として、それが生活保護受給要件(家賃の上限額)を満たして、入居契約に結び付きやすくなる。
同時に、それがキッカケで、生活保護部署の役人とパイプができ、以降もつながっていくのである。

受給者は中高齢者、持病がある人が多いため、一般の人に比べて孤独死する可能性が高いことがリスクとして挙げられるかもしれないけど、役所(税金)が生活費の面倒をみるのだから、家賃を取りっぱぐれることはない。
つまり、「経済的にはローリスク・・・ノーリスク」ということ。
結果的に、大家と入居者・役所の利害が一致し、自ずとアパートにはそういった人達ばかりが集まり、本件の類のアパートができ上がるのである。
実際、そういったアパートは街のあちこちにあり、私が、苦虫を噛み潰しながら片づけてきた現場にも、そういったアパートが多くあった。

受給者は、“中高齢者”“持病あり”といったケースが多いのだろうと思うけど、中には、そうでない人もいる。
“若年・無傷病”でも生活保護を受給している人が。
この現場の隣室に暮らす女性がそうだった。
もともと、故人が発見されたのも、女性が「隣の部屋がクサい」と言いだしたことがキッカケ。
で、「自室もクサくなった」ということで、その後、私は女性宅を何度か訪れ、女性の身辺を知ることとなった。

女性は母子家庭だそうで、3歳くらいの小さな子供がいた。
どういう経緯で生活保護の受給要件を満たしたのか怪訝に思うほど、歳は若く身体も健康そう。
会話もハキハキとしており、表面上は精神疾患があるようにも見えなかった。
ま、その辺のところは、私が詮索することではない。
私が引っかかったのは、「母子家庭」といいながらも、そこに“男”がいたこと。
平日の昼間から、スエット姿、寝ぼけた表情。
私が挨拶をしても、目も合さず無言でペコリと頭を下げるだけ。
私が考えていることが伝わったのか、フテ腐れたようにタバコを吹かしているときもあった。
消臭作業と臭気判定のため、女性宅には何度か入ったのだが、平日の昼間、いつ行っても男の姿はあった。
もしかしたら、夜の仕事をしているのかもしれなかったけど、マトモに仕事をしているような善良な雰囲気は醸し出していなかった。

どうみても男は女性親子と一緒に、この部屋で暮らしていた。
私の先入観も手伝って、想像された素性は“ヒモ”。
もちろん、誰と付き合おうが、誰と暮らそうが女性の自由。
しかし、生活保護受給者となると、その自由度は下がって然るべき。
世に中には、金銭(育児手当・児童手当・減税等)目的で、戸籍上でのみの偽装離婚をしている夫婦がいる。
もちろん、この男女がその類なのかどうかわからない。
しかし、遺体異臭がなくなった時点でも、何かよからぬことをやっていそうな人間の “人間異臭”はずっと残り、それは、クサいものには慣れっこの“ウ○コ男”の鼻をも捻じ曲げるほどだった。


これまでも、受給者の部屋を片付けたことは数えきれないくらいあるけど、酒を飲み、タバコを吸い、博打をやっていた形跡のある部屋もまた、数えきれないくらいあった。
死んだ人に悪意を抱くのは私も悪人だからだろうけど、死を悼むどころか、頭にくるような現場だっていくつもあった。
もちろん、“オフレコ”としてではあるけど、親しい役所の人間も、
「大半の受給者は詐欺師」
と言っていた。
私も、現場でのそう感じたことは多々ある。
また、個人的に付き合いのある警察官も、
「受給者に人権はいらない」
と言っていた。
私も、一般の人と比べて人権が制約を受けるのも当然だと思う。
生活保護制度についてプライベートで話すと、愚痴や悪口が、噴火した火山のようにでてくる。
世の中に、同様の意見を持っている人は多いように思う。
しかし、それは、反論の余地のない現実。
私も、私なりに、仕事を通じて感じたことが蓄積され、また、似たような不満を持っている。

これはまだ緊急事態宣言が解除される前のことだけど、とある失業者(40代男性)がTVインタビューを受けている姿が映った。
その人物は、家賃も払えなくなって住処を失いかけており、「このままだと生活保護を申請するしかない」と言っていた。
ただ、どうも求職活動はしていないらしく、それについての言及はなし。
そんな中での、“失業→生活保護”といった考え方に、私は不快感に近い違和感を覚えた。
「安直」というか「短絡的」というか「他力本願」というか「無責任」というか・・・
失業と生活保護の間には“就職活動”が入るべきではないだろうか。

確かに、羨望の眼差しを浴びるほどのキャリアや、威張れるほどの技能でもないかぎり、この時世で、再就職を果たすのは難しいかもしれない。
難儀することが容易に想像でき、前向きに就活する気分になれないのかもしれない。
また、仮に仕事が見つかったとしても、「キツい、汚い、危険」いわゆる3Kの仕事とか、気のすすまない仕事である可能性が高い。
しかし、もともと、仕事は“好き嫌い”でやるものではないし、特に今は「好き嫌い」を言っているときではないと思う。

この厳しい現実にあって、私の脳裏から「失業」という文字が消えることは片時もないけど、「生活保護」という文字は頭の片隅にも浮かんでこない。
受給要件が簡単にクリアできるような生き方はしてこなかったし、頭と外見を中心に欠陥だらけではあっても働けないほどの傷病も抱えていないし、その前に、その意思がない。
ただ、この私だって、働くのは好きじゃない。
怠けたい、楽したい、遊んで暮らしたい。
「働かなくても生きていけたら どんなにいいいだろう」って、常に憂いている。
税金だって社会保険料だって、払わずに済むのなら払いたくない。
そんなもの払うくらいなら、その分、生活に余裕をもってプチ贅沢でもしたい。
しかし、マトモに生活していくためには、そんなことできるわけがない。
しかも、どうせ生きるのなら最低限の暮らしはイヤ。
少しでも快適に、少しでも楽しく、少しでも幸せに暮らしたい。
となると、その方法は、ただ一つ。
しっかり働いて、社会的責任を果たしていくしかない。

勤労と納税は国民の義務。
社会保険料だって第二の税金で、納める義務がある。
“生活保護費”の原資は、良民の労働による血税。
しかし、受給者の多くは、まともに税金や社会保険料を払ってきていないわけで、そんなデタラメな生活をしていたから困窮したとも言えるわけで、こういうのを「理不尽・不条理」と言わずして、何が「理不尽・不条理」なのか。
そういった義務・責任を果たさないでおいて、“もらえるモノはもらう”といった盗人根性には、憤りすら覚える。

一方で、真に生活保護で守られるべき人に、本当に支援を必要としている人のところに届いていないような気がする。
邪悪な受給者が、生活保護制度の本分を歪め、良民を裏切り、受給者の品格を貶めているが故、また、こういう人達にかぎって結構な人格者だったり高潔なプライドを持っていたりするが故に、生活保護に頼ろうとしない現実もあると思う。
「人様に迷惑をかけたくない」と、仕事を二重三重にかけもちして働いている人、身体を壊すギリギリのところで節約生活を送っている人、惨めな想いに耐え忍んでいる人もたくさんいると思う。
事故や犯罪等の被害者で、自分の努力ではどうすることもできない貧困に陥っている人も。
一生懸命 働いているのに、我が子にひもじい思いをさせなければならない親の悲しさや惨めさを考えたことがあるだろうか・・・
真に社会全体で助ける必要のある人が、正々堂々と受給できるようにならなければいけないのではないだろうか。

私は、生活保護制度に反対しているわけではない。
支援が必要な人を社会全体で守る制度は必要。
しかし、“正直者がバカをみる”社会であってはならないし、ズルい人間、ただの怠け者を甘やかすだけの制度であってはならない。
しかし、現実は、“だらしない生き方をしてきた人間のズルい生活を、善良な市民が身銭を削って守っている制度”になっていやしないだろうか。
働きもせず、他人の金で飯食って、酒飲んで、タバコ吸って、ギャンブル打って、寝たいときに寝ている者が、寝る間も惜しみ、嗜好を楽しむ余裕もなく働きながらも貧困から脱出できないでいる人より楽な暮らしをしているなんて、どう考えてもおかしい。
現実の運用は、はなはだ不愉快であり、大きな不信感と違和感を持っている。

では、
でたらめに生きてきた者は飢え死にしても仕方がないのか?
だらしない生き方をしてきた者は貧乏しても仕方がないのか?
・・・ある意味で、私は「仕方がない」と思う。
少なくとも、日本は自由主義・資本主義の国なのだから。
でなければ、生活を支援する代わりに、人権に相応の制約を加えるべきだと思う。
例えば、一定の場所(言葉は悪いけど“収容所”みたいなところ)に集めて、能力に応じた労働を課すとか。
それが、一般の人が遠ざける、単純作業や重労働、3K仕事であってもやむを得ないだろう。
ただし、特殊清掃だけは除外して・・・私の仕事がなくなるから。

「オマエは、そこまでの苦境に陥ったことがないから、そこまで困窮したことがないから、そんな冷酷非情なことが言えるんだ!」
と言われるかもしれない。
確かに、そう・・・それは認める。
しかし、多くの一般市民は、そうならないために、汗かきベソかき、必死に頑張っているのである。
その頑張りによって獲た実を一方的に横取りすることも、また、人権侵害なのではないだろうか。

世の中は上にいる人達が動かしていることは承知しているけど、たまには、私がいる“底んところ”にも目を向けてほしいものである。



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隣人愛

2020-05-18 08:45:23 | 腐乱死体
「いや~・・・まいった!夜も眠れなくてね・・・」
時は真夏の昼下がり、場所はマンションの共用通路。
私の傍に立つ男性は、深い溜息とともに葉巻タバコの煙を吐き出した。


現場は街中に建つマンション。
ほとんどの間取りが1Rまたは1DK、ありがちな“投資用マンション”。
部屋ごとにオーナーがおり、住人のほとんどが独居の賃借人だった。

その一室で、住人が孤独死。
暑い季節も手伝って、遺体はヒドく腐敗。
ベランダから玄関から、隙間という隙間から異臭は漏洩し、どこからどう出たのか ウジやハエまで室外に進出しているような始末だった。

「まいった!眠れない!」と私にボヤいたのは、その部屋の隣に暮らす男性。
年齢は七十手前といったところ。
ただ、醸し出す雰囲気は もっと若く、その辺にいるようなフツーの爺さんとは趣が異なっていた。

年齢を感じさせないくらいの鋭い眼光で、ドスのきいた低い声に荒い言葉づかい、常に葉巻タバコを吹かしている。
悪い言い方になるけど、“ヤクザっぽい”というか、“チンピラの風体”というか・・・
“そんなのどこで売ってんの?”と首を傾げるくらいド派手な半袖シャツの袖口から覗く くすんだ色の刺青が、私の斜め見が浅はかな偏見ではないことを証していた。

男性と故人は、隣人同士でも付き合いはなく、たまたま顔を合せたときに一言挨拶を交わす程度。
だから、お互い、身の上も知らず、情といった情もないよう。
それでも男性は、「可哀想になぁ・・・こんなことになっちゃって・・・」と、本来なら文句の一つ吐いてもおかしくないところで優しい気遣いをみせた。

亡くなったのは40代の男性。
独り暮らしで仕事はフリーランス。
結果的に、それが発見を遅らせ、肉体をヒドく腐らせてしまった。

出来事をきいて、遠く離れた実家から老親二人も駆けつけてきた。
ただ、警察からは「遺体は見ないほうがいい」「部屋は入らないほうがいい」と忠告を受けた。
それでも両親は甘く考えたのか、遺品チェックのため部屋に入ることを試みた。

腐乱死体現場って、一般の人には馴染みがないもの。
遺体が腐敗するとどうなるのか、部屋はどんな汚れ方をするのか、どんなニオイが出るのか、想像できないのも無理はない。
とにかく、その辺の生ゴミを腐らせるのとは訳が違う・・・違いすぎる。

玄関前は片側オープンの共用通路なのに、そこにはそれまで経験したことがない 腹をえぐるような異臭が滞留。
しかも、ドア下からはウジまで這い出ている。
そのインパクトは衝撃的で、結局、ドアを開けるのが恐ろしくなり、そのままの状態で鍵は私へ引き継がれた。

近隣住人からの苦情は、管理会社にガンガン寄せられていた。
しかし、それは仕方がないこと・・・
どこからどう見ても、「文句を言うな」という方が無理な状況だった。

故人宅は角部屋で、男性宅の反対側に隣室はない。
で、マンションの中で最も被害が大きいのが、すぐ隣の男性宅。
玄関だけじゃなくベランダ側からも悪臭とウジ・ハエが発生し、男性宅にまで及んでいた。

しかし、男性は、至って冷静。
他の住民が騒ぐ中、言葉は控えめ。
口から出るのは、「非難・苦情」というより、「独り言・愚痴」といった方がシックリくるくらいだった。

「しかし、“ウジ”ってのは気持ち悪いヤツだなぁ!」
「部屋ン中には、あんなのがウジャウジャいるんだろ?」
子供のように興味ありげにしつつも、気持ち悪そうに顔をしかめた。

「そんな中で仕事して、身体は大丈夫か?」
「精神ブッ壊れないか?」
ある意味で、とっくにブッ壊れてる私の心身を気にかけてくれた。

「アンタ、若い頃、相当悪かっただろ?・・・今は真面目にやってるんだろうけど」
「俺も悪かったから、わかるんだよ・・・人に言えないような事情があるんだろ?」
昔を思い出したのか、タバコをゆっくり吹かしながら感慨深そうな笑みを浮かべた。

「俺だって、お隣さん(故人)と似たような境遇さ・・・」
「いつか、アンタの世話になるかもしれないじゃない?」
手すりの向こうに落とす灰を見下ろしながら、ちょっと寂しげにそうつぶやいた。

「誰だっていつかは死ぬんだから、あんまり大騒ぎするもんじゃないよな」
「ただ、さすがに、このニオイにはまいるけどな・・・」
タバコの火が消え、葉巻特有の甘香煙と入れ換わった悪臭に、閉口気味に苦笑いした。

「え!?一人でやんの!? 肝が据わってんなぁ!」
「アンタが神様みたいに見えるよ!」
バカの使い方に慣れているのか、大袈裟な言い方をして私をおだててくれた。

「一服やってくか? え?吸わないの?」
「じゃぁ、景気づけに一杯ひっかけてくか? 嫌いじゃないだろ? 冷えたのがあるぞ?」
タバコを差し出したものの、私が吸わないことがわかると、“クイッ”と一杯飲む素振りをみせながらビールをすすめてきた。

「そうか・・・車で来てんのか・・・俺なら、一杯くらい飲んじゃうけどな・・・」
「じゃ、これ飲んで行きな!精がつくから!」
車どうこうの問題でもないのだが、ビールを断った私に冷えたエナジードリンクを持ってきてくれた。

「じゃぁさ、どうせ誰も見てないんだから、服脱いで裸でやれば!?」
「そんで、うちでシャワー浴びて、服着て帰りゃいいじゃん!」
作業後は、私が凄まじい“ウ○コ男”になって出てくることを説明すると、意外な応えが返ってきた。

親切な人とは今まで何人も関わってきたけど、“裸特掃”なんていう珍アイデアをくれたのは、この男性が初めて。
しかし、無数のウジが這いまわり、無数のハエが飛び回り、高濃度の悪臭が充満し、大量の腐敗汚物が広がるサウナ部屋で、裸で作業するなんて、もう、達人なのか変態なのかわからなくなる(“超人”には違いない)。
その前に、その姿は、私の理性が受け入れないし、その羞恥心には耐えられない。

いくら「誰も見てない」ったってね・・・
目に見えないだけで、近くに見てる人がいるかもしれないし・・・
とか言いながら、一回やったらクセになったりして・・・

それにしても、マスク・手袋・靴だけ身に着けて、あとは素っ裸なんて・・・
しかも、その場所が場所なわけで・・・特掃隊長の秘密兵器、自慢の“巨砲”(?)も何の役にも“立たず”、ヘチマのように ただブラ下ってるだけ。
実際にやるわけないけど、想像すると、かなり笑える!・・・故人でさえ笑うかも。

世間の鼻つまみ者、“ウ○コ男”を自宅に入れてくれるだけでも相当に奇特なのに、風呂にまで入れてくれようとするなんて、もう、フツーじゃない。
私が逆の立場だったら、絶対にそんなことはしないし、それどころか近寄りもしない。
その善意と心遣いは、乱暴にもみえる人柄の対面で際立ち、目が潤むくらい気持ちを熱くさせるものだった。

男性は、型やぶりな性格で、破天荒な生き方をしてきたのだろう。
ただ、その見た目や物腰に似合わず、物事を冷静に見極める力をもっているように思えた。
過去の苦い経験が、そういう能力を身につけさせ、慈愛の人柄をつくっていったのかもしれなかった。


ドアを開けてみるまでもなく、想像されるのはヘヴィー級・・・無差別級の現場。
その状況に怖気づくほど青くはなかったけど、あまりの状況に一時停止。
仕事とはいえ、これからそこへ身を投じなければならない災難と“裸案”のミスマッチがコントのようにおかしくて、クスリと笑いがこぼれた。

泣こうわめこうが、その場から逃れる術はない。
私は、男性がくれたエナジードリンクを一気飲みし、いつものように額にタオルを巻き、手袋と専用マスクを装着。
そして、鍵を挿入、ドアを最小限開け、不穏な空気が充満する室内に身体を滑り込ませた。

中は凄まじい熱気、そして、超芳醇・・・・・もとい・・・超濃厚な悪臭。
鼻は専用マスクに守られていたものの、目がその臭い嗅ぎ取った。
更に、それがジリジリと皮膚にまで浸みこんでくるような感覚に悪寒が走り、猛暑の中でも鳥肌が立つくらいの状況だった。

遺体が残した腐敗物・・・腐敗粘土・腐敗液・腐敗脂が、六畳の床を半分くらいまで汚染。
室内には熱気がムンムン、足元にはウジがウヨウヨ、頭上にはハエがブンブン。
頭髪の塊もシッカリ残っており、爪や歯、指先の小骨等がどこかに置き去りにされていてもおかしくないレベルだった。

こういった現場で注意しなければならないのは熱中症。
根性だけに頼った無理な長居は危険。
私は、自分を客観視することを忘れないようにしながら、汚染部分を中心に部屋中を見て回った。

作業が困難を極めたのは言うまでもない。
汚物処理をはじめ、清掃、害虫駆除、そして消臭消毒、作業は何日にも渡った。
そして、重なる日々の中で、何人ものウ○コ男が生まれていった。

結局、私は、最後まで迷いなく裸にはならなかった。
男性宅に上がり込んで風呂を借りることも。
ただ、時折 顔を合わせた男性との どうでもいいようなくだらない話は、ただの気分転換にとどまらず、私に染みついた汚れ・・・非情さや薄情さを洗い流してくれているようにも感じられた。


“愛”は、“言葉”ではなく“行為”。
また、“愛”って多くのかたちがあるけど、“究極の愛”は「隣人愛」だという。
「利他愛」「自己犠牲」ともいわれ、「慈愛」「親切心」にも似ている。

一方、私は自他ともに求める「利己主義者」、“自分が一番大事”“自分さえよければ それでいい”という思考癖がある。
事実、人の為っぽく見えていることでも、何らかの打算があり、何らかの見返りを期待している。
しかし、こんな時代だからこそ、こんな時世だからこそ、隣人愛は必要とされる。

この利己主義者は利他主義者に生まれ変わることはできないかもしれないけど、心に響く一場面で変わることくらいはできるかもしれない。
私を激励し、エナジードリンクをくれた男性のように。
汚れた私にシャワーを使わせてくれようとした男性のように。

それは、誰のためでもなく、
今の自分のためでもなく、
明日の自分のため・・・その先の自分のため。

時を廻り、人を廻り、かたちを変え、やがて自分のところに戻ってくる・・・
目に見えない恵み、気づかない幸運を連れてきて、それが、知らず知らずのうちに 飢え乾いた心を満たしてくれる・・・
せっかく、人間として生を受け、愛の中で生かされているのだから、残り少ない人生の中、一度くらいは そう信じて、愛ある人間になってみたいものである。


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隣人哀

2020-05-12 08:48:07 | 腐乱死体
「誠意をみせろ!誠意を!!」
男性は、私に向かって大声をあげた。

ことの発端はこう・・・
とあるアパートの一室で、高齢の住人男性がひっそりと孤独死。
放置された日数は少なくはなかったが、冬の寒冷の中で腐敗速度は低速。
遺体は、膨張溶解ではなく乾燥収縮。
異臭は発生してはいたものの、それは「腐乱死体臭」というより、高齢者宅にありがちの“尿臭”にちかいもの。
私からすれば“ライト級”・・・いや、“ストロー級”、ホッとできるくらいの現場だった。

故人の部屋は独立した角部屋。
アパートの構造上、隣室との間には、共用階段が挟まれていた。
つまり、壁一枚で隔てられた隣室はないということ。
しかも、室内の異臭は軽度で外部漏洩はなく、近隣に迷惑がかかっているというようなことはなし。
それは、不動産管理会社の担当者も現場に来て確認していた。

私は、調査からほどなくして作業に着手。
軽症の現場とはいえ、油断せず、近隣に対する配慮も怠らず、いつものように自分のセオリー通り組み立てた手順で作業を進めた。
遺体汚染は素人目にはわからないくらいのもので、尿臭も素人でも我慢できるくらいのもの。
床の残った体液は最初の30分で、室内にこもった尿臭も数日のうちに収束。
何も言われなければ、そこで人が亡くなったことはおろか、まだ、そこで人が生活していると言ってもいいくらいの部屋に戻った。

「隣の部屋の人が“クサい!”って言ってるんですけど・・・」
作業も終盤にさしかかった頃のある日の夕方、管理会社の担当者から電話が入った。
何日も前に特掃は終わらせ、消臭消毒作業も山場を越えて仕上げ段階にきてのこと。
「何かの間違いじゃないですか?」
まったく心当たりのない私は、首をかしげた。
現場を知っている担当者も、どうにも解せない様子だった。

しかし、臭覚は、個人的・主観的な感覚。
臭気の感じ方に、個人差があっても不自然ではない。
また、腐乱死体臭の場合、一度嗅いでしまうと精神にニオイがついてしまい、「鼻について離れない」と言われることも多い。
結局、「電話じゃラチが明かない」ということで、私は、急遽、現場へ出向くことに。
一日の仕事を終え帰り支度も終わった段階、暗くなってからの出動はとても面倒臭くはあったけど、付き合いの長い担当者は、いつも私の仕事ぶりを評価してくれ、何かとよくしてくれていた。
その恩義もあったので、私は、さっさと支度を整えて現場へ急行した。

現地に着いた頃、陽はとっくに暮れ、冷え冷えとした空気が暗がりを覆っていた。
まず、私は、現場の部屋の前へ。
周辺の空気を慎重に嗅いだが、当初から変わらず特に異臭は感じず。
ただ、常日頃から凄惨現場で苛めぬかれている鼻が、腐乱死体臭を“異臭”として感知しない可能性もある(そんなはずないけど)。
ミスがあってはいけないので、私は、念には念を入れて、外気と部屋の前の臭気を交互に嗅いだ。

結果、異臭を感知しなかった私は、「異臭なし」と判断。
「何かの勘違いだろう・・・」と、苦情を言ってきている隣室のドアをノック。
すると、中から初老の男性がでてきた。
「アンタが掃除の業者?」
初対面なのに、不愉快なタメ口。
「そうです・・・」
礼をわきまえない人間は嫌いなのだが、私は、敬語対応。
「クサくて部屋にいられないよぉ!どおしてくれんの?」
完全に上から目線で、何かをたかるような ねちっこい口調。
「特に変なニオイはしませんけど・・・」
まったく異臭を感じない私は、感じたことを率直に返答。
「何いってんだよ!こんだけ人に迷惑をかけといて、“臭わない”はねぇだろ!」
男性は不快感を露わに。
「この仕事、恥ずかしいくらい長くやってますから、ここに遺体のニオイがないことくらいわかりますよ」
こういうときに熱くなるのは禁物、私は冷静さを保つよう努めた。
「俺が“クサい!”って言ってんだからクサいんだよ!」
男性は、どこかの政治家みたいに論点をすり替えて、テンションを上げた。
「私が“クサくない!”って言ってるんだからクサくないんですよ!」
内心で苛立ちはじめていた私は、ギアを戦闘モードに切り換える準備をしながら男性の揚げ足をとった。

そんな平行線のやりとりを繰り返しているうちに、男性の怒りは頂点に。
「バカ野郎!」「掃除屋のクセに!」等と語気を強め、人差し指を頬にあてて「こっちの知り合いもいるんだからな!」と、化石級の脅し文句で威嚇してきた。
そして、そんなやりとりの中で、「誠意をみせろ!誠意を!!」と、大声をあげたのだった。

良識をもって作業を行うことはもちろん、近隣や他人に社会通念を逸するような迷惑をかけてはいけない。
しかし、根拠のない苦情や理不尽な行為は 到底 容認できるものではない。
そのうえ、私は、臆病者のくせに気は短い。
争いごとは好まないくせに、勝算のある揉め事は嫌わない。
また、弱虫のくせに口は達者で、屁理屈をこねるのも不得意ではない(“口が減らないヤツ”と褒めて?くれる人も多い)。

「金がとれる」等と、どこかの愚か者に入れ知恵でもされたのだろう・・・話の中で男性の魂胆が見えた私は“ニヤリ”。
「ちょっと不動産会社の担当者と相談しますから・・・」
と、男性の要求を検討する素振りをみせながら、一方、頭の中では形勢逆転を画策しながら、一旦、戦線を離脱した。

私は、ことの経緯を担当者へ報告。
どんな人間であれ不動産会社にとって入居者は客であるから、不愉快な気持ちを抑えて丁寧に対応してきた担当者だったが、事の真相が“金銭目的のゆすり”であろうことがわかると声色が変わった。
怒りを滲ませ、「何を言われても無視していい」とのこと。
更に、「反論していいですか?」の問いに、
「言いたいことがあるなら言い返してもいいですよ!」
「ただ、挑発にのって手を出したりしないように!」
「あと、念のため録音に気をつけて下さい」
と、男性に応戦することを認めてくれた。
本件の責任者である担当者の許可を得た私は、意気揚々かつ虎視眈眈と戦線に復帰。
再び男性と対峙し、先に口火を切った。

「ところで、“誠意”って何ですか? 具体的に言ってもらわないとわからないんですけど!」
「“誠意”ったら“誠意”だよ! ガキじゃないんだからそんなのすぐわかるだろ!」
「そう言われてもねぇ・・・」
「自分の頭で考えろ!」
「私、頭が悪いものでわからないんですよぉ・・・具体的に教えてくださいよ!」
「バカか!?オマエは!」
「そうなんでしょうねぇ~・・・全然わからないなぁ~・・・」
「ホント!頭にくるヤツだ!!」

男性が金銭を要求しているのは明らかだったので、私は、男性の口から「金」という一言を引き出そうとした。
しかし、自ら「金をよこせ」なんていうと詐欺・恐喝などの犯罪になりかねない。
あと、感情にまかせて暴力をふるっても同様。
男性はそこまでバカじゃなかったのではなく、同じようなことをやらかして懲らしめられた過去があったのだろう、その一言は口にしなかった。
また、拳をあげる素振りで威嚇してきたものの実際に殴りかかってくることもなかった。
男性はフルパワーで脅しているつもりだったのだろうけど、一方の私は、恐いどころか痛くも痒くもなし。
余裕の薄ら笑いを浮かべながら、“のらりくらり”と“おとぼけ”に徹した。

しかし、終わりの見えない口論は時間の無駄。
押し問答に飽きてきた私は、男性の弾が尽きそうな頃合いを見計らって、攻勢に転じた。
「○○(故人)さんが亡くなって発見されないでいる間はクサくなかったんですか!?」
「悪臭があったとしたら最初からのはずなのに、なんで、今頃になって言ってくるんですか!?」
「“クサい!クサい!”って、そもそも遺体のニオイを知ってるんですか!?」
「もともと△△(男性)さんちがクサいんじゃないですか!? その証拠に、アパートの他の人は誰も何も言ってきてないじゃないですか!」
「何をせしめたいのか、ハッキリ言ったらどうですか!?」
と、嫌味弾をたっぷり込めたマシンガンをブチかました。
更に、腹いせついでに、
「△△さんは、この先ずっと死なないんですか? その歳で、この先○○さんみたいにならない確証はあるんですか?」
「そもそも私が出したニオイじゃないんだから、私が文句を言われる筋合いはないですよ!」
「“一人きりで亡くなった○○さんが悪い”とでも言いたいのなら、どうぞ当人に言って下さい! 近くで、こっちを見てるかもしれませんから!」
「ただし、その後、何が起こっても私は知りませんけどね!!」
と、グーの手に立てた親指で故人の部屋をクイクイと指しながら、私は、意味のないことを ことさら意味ありげに言い放った。

「・・・そ、そんなの俺の知ったことか!」
男性は、まともに反論できず“蜂の巣”に。
子供のようにそう言い捨てると、スゴスゴと自室に退却。
まだ弾が残っていた私が“話はまだ終わってない!”とばかりにドアをノックしても反応せず、天敵を前にしたカタツムリのように、そのまま部屋に閉じこもってしまった。
そして、これに懲りたのだろう、その後も、私が故人の部屋に作業に入っても自室から出てくることはなかった。

そんなある日、私が隣室に立ち入る物音をききつけた男性が、久しぶりに自室から出てきた。
「新たなネタを仕入れたか? 今度はどんな因縁をつけてくる気だ?」と私は警戒。
しかし、何だか、それまでとは様子が違う。
前回同様に私を睨みつけてくるのかと思ったら、予想に反し、どことなく気マズそうな顔に不気味な愛想笑いを浮かべて近寄ってきた。
「ご苦労様・・・この前は申し訳なかった・・・お互い、なかったことにして水に流してよ」
何があったのか、男性は私に謝罪。
私は、それまでとは別人のような低姿勢に気持ち悪さを覚えたものの、謝られて無視するのは礼に反する。
「こちらこそ・・・あの時はちょっと言い過ぎたかもしれません・・・スイマセンでした・・・」
男性に対する不快感は拭いきれなかったが、私は男性の謝罪を受け入れ、自分の非礼も詫びた。

それにしても、男性が態度を豹変させたのは奇妙だった。
しかし、何があったのか・・・その理由はサッパリわからず。
管理会社が金品を渡したわけではないし、大家に叱られたわけでもなさそうだし、他の住人にたしなめられたわけでもなさそう。
「何が起こっても知らないぞ!!」といった、私の意味深な言葉が効いたのか・・・
とにかく、その訳はわからず仕舞いだった。

何はともあれ、表面上でも男性と和解できたことはよかった。
自分に非がないとしても、心にシコリが残ってしまい気分が悪い。
また、作業が無事に完了ことにもホッとした。
ともすれば、忍耐力の弱さがでてしまい、大ゲンカに発展して仕事どころではなくなったかもしれないから。
そうなったら、私の仕事を信頼してくれている担当者や その向こうにいるアパートオーナーを裏切ることにもなったし、更には他住人や故人にまで迷惑をかけてしまうことにもなりかねなかった。

後腐れなく一仕事を終えることができて、清々しい気分に包まれた私は、
「ひょっとして・・・○○(故人)さんが、ちょっと恐いイタズラでもしたのかな・・・・・Good job!」
と、青く澄んだ大空を仰ぎつつ、透明になった故人に微笑んだのだった。


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ヤバい奴

2020-04-24 08:57:10 | 腐乱死体
4月も終盤に入ってきているというのに、なかなか暖かさが安定しない。
例年なら、暖かい日はもちろん、暑い日も少なくないはず。
なのに、今年はこんな感じ、いわば“令春”。
何かの摂理が働いてのことか・・・
この寒気が何かに影響しているのかどうか、逆に、何かが影響して寒気がきているのかどうか知る由もないけど、多くの人が曝されているように 肌で感じる気温だけではなく、世の中の空気まで寒々しくなっていることは言うまでもない。

こういう事態になってくると、平穏な日常のありがたみをヒシヒシと感じる。
飽き飽きするほどかわり映えしない毎日、平凡でありきたりの日常、不平不満ばかり吐いていた味気ない日々を・・・
ついこの前のことなのに、そんな日常を懐かしく思ってしまうのは、それほど、このコロナ災難が重大かつ深刻であるということか。

休業や外出自粛で、街の活気も失われている。
“活気”だけでなく、“生気”まで失っている人もいるだろう。
ただ、この期に及んでも、一部には“三密回避”“外出自粛”を無視し、人の迷惑も顧みない輩もいるよう。 
“自由”というものの成り立ちや根源を知らず、自制できないことを“自由な生き方”と勘違いし、「経済を回すため」等と自制心の欠落を他人への偽善にすり替え、無責任なクセに困ったことが起こると他人からの支援を当然のように貪るヤバい奴だ。
「越境飲み!?」「越境パチンコ!?」
もう、呆れるし、不愉快だし・・・強い憤りを覚える。

「外出自粛要請」がでていても、在宅勤務が不可能な私は、毎日、出勤している。
現場仕事は少なくなってきているけど、それでも、まだやるべき仕事があるから。
ただ、仕事以外での外出は控えている。
スーパーに食料を買いに行くくらいにして、余計な動きはしていない。
しかも、できるだけ短時間で、レジ精算時をはじめ、店内を歩くときも他の客との距離に気をつけている。

せっかく?時間があるのだから、スーパー銭湯にでも行ってリフレッシュしたいところだけど、そこも営業休止中(営業していても、今は行かないけど)。
しばらくぶりの軽登山も考えたが、人出が多いと登山道は混む。
屋外とはいえ、人と濃厚接触してしまうこともあり得る。
しかも、マスクをしたたままでは呼吸がツラい。
で、結局、断念。
あとは、ソロキャンプか、一通りの道具は持ってるし。
しかし、キャンプ場も混み合ったら意味がない。
シャワー室・トイレ・炊事場などは感染リスクが高いから、やはりダメ。
その代わりに、今年は花見もできなかったし、もう少し暖かくなるのを待ってBBQでもやろうかとも思うけど、人を集めてしまうのはマズいので、これも工夫が必要。
あと、“ソロBBQ”でも気分転換できるはずだけど、趣味を孤高に楽しんでいるように見えるソロキャンプは、ある意味でカッコいいのに比べ、“ソロBBQ”ってのは、「そこまでして炭火で飯が食いたいのか?」っていう風に見られて、なんだか、ネクラっぽい孤独感がでて“ヤバい奴”になってしまいかねない。
結局、できることが思いつかず、人を避けながらウォーキングだけやって その日その日を暮れさせているのである。

休みがとりやすくなったのはありがたいけど、遊び慣れしていない私でも、何のレジャーも楽しめないのは寂しく思う。
また、その理由が仕事減では、身体は休めても気持ちは休まらない。
現場作業が少なくて身体は楽になったのかもしれないけど、逆に精神はツラくなっている。
事態が深刻化していく一方であるうえ いまだウイルスの収束時期が読めていないわけで、先に明るい展望が持てないから余計に。
筋金入りのネガティブ男(私)は、この先のことを考えると 悪い予感しかしない。
そして、鬱持ちであるが故に、その精神は それに過敏に反応しているのである。
何とか今はまだ、少しは余裕があるけど、このまま時が経てば経つほど、私も徐々に追い詰められていくだろう。
ホント、困った・・・ホント、弱った・・・。


「転落死なんですけど・・・」
付き合いのある不動産会社から特掃の依頼が入った。
現場は、繁華街の裏路地にある古い木造アパート。
そこは、車が通れるほどの道幅はないけど、自転車や歩行者の往来は多いエリア。
建物は二階建で、1DKが一階に二戸、二階に二戸。
二階の一室は空室で、もう一室が故人の部屋。
二階へつながる階段は内階段になっており、二階二戸の玄関は一階、路地に面していた。

「うぁ!・・・ヤバ・・・」
目を見張ったのは、その玄関。
玄関ドア外側の下部には、いくつも赤黒い筋。
それは、醤油やソースでもなく、チョコレートでもなし。
そう・・・それは、どこからどう見ても血、しかも大量。
私は、不動産会社から“階段下の玄関で倒れていた”ということは聞いていたが、“外に血が流れ出ている”ということまでは聞いていなかったので、ちょっと驚いた。

「さてと・・・開けてみるか・・・」
私は、何枚かのタオルを細長く折り、ドアの下に重ねて置いた。
そして、不動産会社から借りてきた鍵を挿入。
周囲に人影がないことを確認してから、ゆっくりドアを引いた。
素人ではない私は、ドアを開ける際、ダムが決壊したときのように土間の血が再び流れ出てくることにも用心していた。
しかし、幸い、血だまりの大部分は凝固し、新たに流れ出てくることはなかった。

「うぁ~・・・こりゃ迫力あるな・・・」
眼下には、赤黒い粘液で覆われた玄関土間が出現。
それは、半乾きの状態で滞留した大量の血。
乾いた部分は冷えたブラックチョコレートのように固まり、乾ききっていない部分は煮詰めた赤ワインのように生々しく光っていた。
と同時に、特有の血生臭さがプ~ンと私の鼻をとおり過ぎて、ズ~ンと精神を圧してきた。

「本当に転落死か?」
もっとも大きい血痕は玄関土間にあったけど、そこだけにとどまらず階段から二階故人宅の台所床にも付着。
もともと身体の具合が悪かったのだろう、 “転落”だけではない死因が他にあったことは素人目にも明白。
室内で吐血または下血した後、それで慌てたか、階段を転げ落ちて外傷を負ったものと思われた。
ま、どんなに推理を働かせてところで、私がやらなければならない仕事は変わらない。
自分の中で一応の決着をみた私は、作業のシミュレーションに頭を切り替えた。

「しかし、よりによって、この場所とは・・・」
そこは人通りが多い路地に面した位置。
階段は急で狭く、血が溜まった玄関の土間も狭い。
しかも、くたびれた裸電球はロウソクの灯程度の光しか放たない。
室内からの特掃は極めてやりにくい・・・ドアを開けた状態で外からやらないと無理な構造。
しかし、そうすると、通行人から血痕も作業も丸見え、“なかなかの見世物”になりかねない状況だった。

「別に、悪いことするわけじゃないんだから・・・」
ない頭で知恵を絞ってはみたものの、私は、その作業法以外の妙案を思いつかず。
開き直ってやるしかなく、結局、オープンで作業することに決定。
私は、自己防衛のため“一人の世界”に引きこもり、誰かに近づかれないよう“多忙につき声かけ無用”の雰囲気を醸し出して心理的なバリアを張ることに。
極力、自分の視界を狭くするため、うつむき加減でしゃがみ込み、ほとんど路地側に背中を向けたまま作業をすすめた。

「警察とか呼ばれたらかなわんな・・・」
一人の世界にバリアを張っていても、私の横目視界には幾人もの通行人が入り、耳には近づいては遠ざかる足音が聞こえ、背中にはムズ痒くなるような好奇の視線を感じた。
ただ、ヒマな野次馬はほとんどおらず、大方の人は、軽く目をやるだけで通り過ぎていったと思う。
好奇心旺盛な人の中には視線を止めた人もいただろうけど、そんな気配は感じなかったから、多分、歩を止めて覗き込んだ人はいなかったと思う。
ただ、多くの人は、“血だらけの玄関”と“両手 血まみれの男”を見て、“ギョッ!”としたのではないかと思う。
これで鋭利な道具でも使っていたら、完全に警察を呼ばれていただろう。
事実、小声ながらも、何度か驚嘆の声が上がったのを私の耳は聞き逃さなかった。

「ヤバい奴に見えてんだろうな・・・」
私は、背後を往来する人から見た自分の姿を想像。
その怪しさは、例えようがないくらいの奇妙でインパクトのあるもの。
我ながら、その様がなんともおかしくて、故人には失礼ながら、時々 クスクスと笑いが込みあげてきた。
黙っていても“ヤバい奴”なのに、そいつが一人で笑っているとなると“ヤバい”と通りこして“恐ろしい”。
“そんな風に見られているかも”と思ったら、私は、余計に自分がおかしくて、“ヤバい現場で笑っているヤバい奴”となってしまっていた。


時々、私は、ヤバい奴に変身する。
アブナイ系ではなく、ヘンテコ系の。
特掃現場では、特にそうなる。
ヤバい所が元来の仕事場で、ヤバい状況を片づけるのが仕事なのだから仕方がない。
客観的に見ると、その様は、かなりグロテスクかつ滑稽だと思う。
人の目には、とてもカッコよく見えるものではないけど、それでも、自分では「カッコいい」と思ってしまうときもある。
その由縁は、“使命感・責任感”“依頼者の付託に応えるため”などといった上等のものではなく、“故人の尊厳を守る”“仕事のプライド”などと言った高等のものでもない。
“並の奴にはできんだろ”といった塵芥のような優越感だったり、“俺にしかできんだろ”といったゴミ屑のような職人技だったり、自分以外の他人には興味も価値もないことだったりする。

更に、その由縁がある。
それは、その内にいる“ヤバい奴”。
私の心底には、過激な思考、邪悪な想像、卑猥な妄想(ちなみに、性癖はノーマル)をする奴がずっと居座っている。
例えば・・・・・んー・・・問題あるから書くのはやめておこう。
もちろん、そいつが現実の行動にまで姿を現してくることはない(?)けど(たまにはあるかも、・・・あるな・・・)、人に知れると、人は私から離れていくだろう。
ただでさえ、交友関係が狭い私の場合は、いよいよ一人ぼっちになるか。
ま、この時期なら、人との距離は空いた方がいいし、一人ぼっちでいるくらいの方が安全だし、世の中のためにもなる。

今は、これからくるであろう“寒夏”に耐えきれるかどうか悩むことはさておいて(私は悩んでしまうけど)、また、他人事として無責任に遊ぶことはやめて、我々がやれること・やるべきことを真剣に考え、真摯に取り組むべきとき。
今は、今日の自分のために生きるのではなく、明日の自分のために生きるべきとき。
それが、誰かのためになり、世の中のためにもなる。
常々、“今を大切に”、“今を楽しむ”生き方に憧れ、実践したいと思っている私だけど、それは、今を大切にすることに矛盾することなく、今を楽しむことに通じる部分もある。
我々は、獣や草と同じではなく、本能だけじゃない動力を持たせてもらっている「人間」・・・・・幸せに生きるチャンスをもらっている「人間」なのだから。

とにもかくにも、この“新型コロナウイルス”ってヤバい奴、早いとこ くたばってほしいものである。



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熱気

2019-08-13 08:58:09 | 腐乱死体
「暑いですね!」は、もはや合言葉のよう。
長かった梅雨が明けて以降、連日の猛暑・酷暑が私を疲弊させている。
これも四季の趣、夏の味わい・・・とはいえ、若くない身体にはなかなか堪える。
このブログはほとんど休眠状態だけど、私自身は、相変わらず不休で働いているから余計にキツい。
しかし、この盆休み、九連休の人もいるらしい。
が、あまり羨ましいとは思わない。
仮に休みがあっても、こう暑くては遊びに行く気にもなれない。
行楽地は、どこに行っても混んでるだろうし、飲食に使い過ぎたか、今月は早々と金欠気味だし。
そうは言っても、家でゴロゴロしていても暑いわけで・・・エアコン(電気代)が無駄になるだけ。
結局のところ、どうせ汗をかくなら、仕事をしていた方がマシかもしれない。

エアコンと言えば・・・(非常にくだらない話で恐縮だけど)
ヒマな私は、先日まで、「いつまで、エアコン(冷房)を使わないで耐えられるか」というチャレンジをしていた。
5月の段階でも夏のように暑い日があったが、エアコンは使わず。
6月に入っても、窓開と扇風機でしのいだ。
「さすがに7月には入ったら無理だろう」と思っていたけど、長梅雨のお陰もあってか、7月になっても意外と我慢できた。
で、「ひょっとしたら、8月までいけるんじゃないか?」と考えるように。
しかし、日が経つにつれ、気温は容赦なく上がり、7月も下旬になってくると なかなかキツくなってきた。
が、それでも、8月を目指して辛抱を続けた。
しかし、7月29日の熱帯夜、仕事の疲労も重なって、とうとう私の心は折れてしまった。
8月まで耐えられなかったことは残念ではあるけど、ま、こんなことで身体を壊すバカにならずに済んでよかったかもしれない。

身体を壊す心配は、他にもある
それは、大好きな酒。
猛暑の肉体労働は酒の味を格段に上げる。
結果、酒量が増えている。
最初はビールで主力はハイボール。
飲み始めは、冷えたビールを一気に胃に流し込む・・・これが たまらない!
350ml缶なら二飲、アッという間になくなる。
ただ、ビールはコスパも悪いし、メタボにもなりやすい。
で、二缶目には手を出さず、一缶飲んだらハイボールに切り替える。
薄まることを嫌う私は、本来、ハイボールに氷を入れるのは好きではない。
だが、この暑さで氷は必需品。
酒が温くなるのを防いでくれるだけではなく、見た目に涼やかであり、ジョッキを傾ける度にカランコロンと鳴る音も涼を感じさせてくれるから。
しかし、美味しい酒にも健康リスクがある。飲み過ぎは禁物。
「夏が終わるまでは無理かな・・・」
意志の弱い私は、どうやったら低ストレスで酒を減らせるか、思案している。

言うまでもなく、私は、若くもなければ金持ちでもない。
やってる仕事もこんなだし、持ってないモノや欲しいモノもたくさんある。
だけど、私には、平和や健康など・・・数えきれない恩恵を受けている“日常”がある。
疲れると、後悔・不満・不安が重く圧しかかってくるけど、とにもかくにも、大きな事故やトラブルもなく、こうして日常が過ごせていることは本当にありがたい。
それを想うと、心を熱くせずにはいられない。



真夏のある日、現地調査の依頼が入った。
依頼者は、それまでにも何度か仕事をしたことがある不動産会社の担当者。
で、彼は、腐乱死体現場を何度か経験しており、いつもだと、先に自分が部屋に入って軽く見分し、事前に その概要を伝えてくれるのが常だった。
しかし、ここはそれもできなかったくらい凄惨らしく、
「自分が経験した中では一番ヒドいです!」
「ニオイとハエがスゴ過ぎて中に入れなくて・・・」
と、私に現地調査を一任。
その上で、
「アパートの住人から苦情がきてますけど、何か言われたらこちらへ回して下さい」
「ときかく、かなりのことになってますから、気をつけて下さい!!」
と気を使ってくれた。


「ここかぁ・・・それにしても暑いなぁ・・・」
現場は、老朽アパートの二階一室。
気温は体温近くまで上がり、体感温度は、更にその上。
目眩がするような、息苦しくなるような熱気が身体に纏わりついてきて、顔をしかめるしか対処のしようがなかった。

「外でもこんなに臭うとは・・・」
担当者が貼ったらしく、玄関ドアには、隙間から漏れる異臭を防ぐためのテープが長方形に付いていた。
それでも、私の鼻は、嗅ぎ慣れた異臭を感知。
私は、まったく緊張していない自分のたくましさを頼もしく思いながら、目貼りをペリペリと剥がした。

「ハァ~・・・中は、もっとクサいわけか・・・」
テープを剥がすと、更に高濃度の異臭が漏洩。
近隣から苦情がくるのも当然だった。
私は、それを鼻で吸って確認し、それを愚痴まじりの溜息で吐き出した。

「誰かでてくるかな?」
私が立てる物音を聞きつけ アパート住人が出てくる可能性はあった。
が、誰も出てこず。
気づかないわけではないだろうに、多分、私のような、得体の知れない仕事をする得体の知れない人間とは関わり合いになりたくないのだろうと思った。

「さてと・・・行くか・・・」
溜息をついてばかりいても仕方がない。
私は、頭のタオルを巻き 専用マスクを装着。
それから、後ポケットに殺虫剤スプレーを二本備えて、玄関ドアの向こうへ身体を滑り込ませた。


亡くなったのは高齢の男性。
今どきめずらしく、部屋にはエアコンが未設置。
持病もあったらしかったが、死因は熱中症の疑いもあった。
どちらにしろ、“死”というものは、時と場所を選ばず、然るべき時にやってくる。
ただ、故人にとっての“然るべき時”は、真夏のこの時季だったわけ。
真夏の高温と高湿の中では、肉体は猛スピードで腐っていき、遺体や部屋が悲惨凄惨な状況になるのは自然当然の理で、その結果がこの現実。
故人の死なのか、目の前の惨状なのか、自分の業なのか・・・私は、うるさいハエも気にならないくらいに、何かに気持ちを厳かにしながら静かに歩を進めた。

温度は猛暑の外より更に高く、室内は、まさにサウナ状態。
しかし、私は、もともとサウナは苦手。
あの異常な高温には、恐怖感すら覚える。
だから、スーパー銭湯は好きだけど、行ってもサウナには入らない。
しかし、こっちの“サウナ”に好き嫌いは言ってられない。
表向きは「使命」、実のところは「商売」、乗りかかれば「責任」、とにかく、私に「入らない」という選択肢はなく、心を無にして(“無”にならないけど)臨むしかない。
冷や汗じゃないだけマシではあったけど、入室した途端に身体中の汗腺から汗が噴出し、シャツは濡れて身体に貼りつき、手袋には 汗がたまっていった。

主たる汚染は、和室の隅に敷かれた布団。
敷布団は、腐敗液でドス黒く変色し不気味な艶を放っていた。
同時に、腐敗粘土が故人の最期の姿を立体的に浮き上がらせていた。
更に、ベトベト グジュグジュの敷布団の下には、人工的に敷き詰めたかのように無数のウジがビッシリと潜伏していた。

もちろん、その下の畳も無事では済まされず。
腐敗体液は、敷布団だけでは吸収しきれず畳まで浸透。
そして、畳だけで留まりきらず、その下の床板まで到達していることは容易に想像できた。
更には、床板を通り越して一階の天井裏にまで垂れている可能性があることも危惧させられるくらい深刻な状況だった。

また、担当者が言っていたとおり、ハエが大量発生。
“進撃の巨人”に驚いたのだろう、黒点の彼らは、舞い降りる雪のように、舞い散る桜のように(そんなきれいじゃないけど)、一斉に飛散乱舞。
そんな彼らを放っておくほど寛容ではない私は、両手に一本ずつ殺虫剤スプレーを持ち、二丁拳銃のガンマンのように飛び回る彼らに向かって噴射。
すると、危険を感じた彼らは、今度は、羽音を唸らせながら狂喜乱舞。
ハエにとって私は、悪い怪物に見えたことだろう。
が、それも束の間、次第に羽音を弱らせながら低空を蛇行し、そして、落ちていった。

私に最後の一匹まで追い詰める根気はなく、ほとんどのハエを撃墜したところで、とりあえずの殺虫作業を終わらせた。
そして、殺虫剤の靄が晴れるまでの間 外に出て小休止することに。
悪臭プンプン、汗みどろ、ヒドい身体になっていた私は、人目と風向きを気にしながら階段下の日陰に隠れるように腰を降ろした。
外も猛暑であったけど、それでも、室内に比べればマシ、涼しく感じるくらい。
私は、汗を流しつつ用意していた水を飲み、溜息を吐きつつ新鮮な空気を吸いなおした。
そして、このツラい現実の奥底にあるはずの 自分にとってプラスの意味を探りながら、また、故人の死を想いながら、特掃の段取りを思案した。


「人は、“死”を避けることができない」
「故人だって、こうなりたくてなったわけじゃない」
「ここにあるのは“肉の害”であって、“人の悪”はない」
そう想うと、至極凄惨な腐乱死体現場であっても、恐怖感はもちろん、嫌悪感もなくなっていく。
あとは、幾重にも渡って自分を取り囲んでくるツラい現実をやわらかく受け止め、上向きに消化し、自分とうまく折り合いをつけるだけ。

冷めた感情、鈍い感性、弱い意志、臆病な性格、ネガティブな志向、怠惰な思考、不健全な嗜好、愚かな価値観、下劣な欲・・・
自分の覚悟や決心といったものは、結局のところ一時的な感情から生まれたもので、あまり頼りにならないことや信用ならないことを痛感させられたことも何度となくある。
そういったことに苛まれて乾冷に過ごしてきたこれまでの人生大半。
しかし、しかしだ、心を生まれ変わらせるチャンスはある。
身体を若返らせることはできないけど、心を生まれ変わらせるチャンスは、毎日、毎日に、何度も、何度もある。
点である人は、プロセスより結果を大切にするけど、線である人生においては、結果よりプロセス・・・つまり、日々の生き方の方が大切なのではないだろうか。

誰もが忌み嫌う腐乱死体現場にいるのは自分一人。
待っているのは、キツい仕事、ツラい作業。
気分が乗らないのは、私が軟弱なせいだけではないだろう。

「あとは俺に任しといて」
芝居じみたセリフだけど、それを姿なき故人に話しかけるようなつもりでつぶやき、自分一人の世界でカッコつけてみると、自ずと自分と折り合いがつき、そして、心に火がつき、それが燃えてくる。

そして、その熱気が、私の時間(人生)を充実させ、有意義なものにしてくれるのである。



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面倒

2019-01-07 08:42:22 | 腐乱死体
年が明けて一週間が経ち、軽くなった財布と重くなった身体を携えて面倒な日常に戻った人も多いだろう。
その面倒さに、鬱っぽくなっていないだろうか。
一方、年末年始に働いたサービス業等の人達は、これから長期休暇に入るのだろうか。
行くところに行けば、まだまだ正月ムードは残っているだろうから、初詣、飲食、旅行etc・・・楽しめることはたくさんありそうだ。
子供がいる人は学校の冬休みに合わせられないというデメリットはあるけど、混雑は終わっているし、シーズンで高騰した宿泊費等も廉価に戻っているし、そのメリットは大きい。
皆が遊んでいるときに働いた御褒美だ。

一応、私の仕事もサービス業(イメージがそんな感じじゃないけど)なんだけど、今のところ、今月も休暇をとる予定はない。
親戚の結婚披露宴に招待されているので、その日くらい。
多額の御祝儀や会場で会う人々との関わりを考えると面倒臭くもあるけど、普段、喪色ばかりに染まっているので、たまには紅色に触れてみるのも悪くないだろう(不気味な紅色にはしょっちゅう触れているけど)。
それ以外、休暇らしい休暇は、暖かくなる頃にとろうかと思っている。
ちょっとしたレジャーや旅行を考えており、そのため、寝床の枕元に隠した空缶に、時々、500円玉を呑み込ませている。

その枕元で毎朝繰り広げられているのは起床との戦い。
寒いし暗いし、だいたいの朝は鬱っぽくなってるし、布団から出るのはなかなか面倒。
しかも、後に待っているのは、面倒な仕事。
重くなった気と身を持て余しながら、止まるわけない時間が止まる願望をもって時計に何度も目をやる。
しかし、時は無情。
始業から逆算した起床時刻はすぐにやってきて、鬱々と重い身を起こすのである。

私の場合、鬱っぽい気分で覚醒する朝は多い。
朝鬱夕躁・・・例年、冬場はそれが重症化。
ただ、幸いなことに、その持病(冬鬱?)も近年は楽になってきている。
完治はしていないし、そこそこのレベルで慢性化しているけど、以前よりはマシ。
以前は、心が闇に覆われて、虚無感・脱力感・疲労感、そして絶望感に苛まれて、生きるのが面倒臭くなるくらい しんどい思いをしていた。

あまりの重症が脳裏に焼きついて、忘れられない冬もある。
それは、五年前の話。
2013年の秋から精神は低空飛行を始め、若干のUp Downを繰り返しながら徐々に下降。
そして、翌2014年1月は墜落寸前の状態に。
あまりのことで日付まで憶えている・・・
1月13日、出かけた先には真っ青に晴れ渡る空と、真っ青に広がる海があった。
空も海も、眩しいくらいに光り輝いていた。
が、私の精神は、暗い雲に覆われ、ドシャ降りの冷たい雨。
それでも、「大丈夫!何とかなる!」と心の中で何度もつぶやきながら、必死で自分を鼓舞し続けた。
しかし、それも虚しく、翌14日 15日 16日、三日間の朝は地獄のような苦しみが襲ってきた。
寒いはずなのに汗ダク、全力で走った後のように呼吸は浅く小刻み、発狂したいような衝動にかられ、布団に座った状態で頭を抱え、倒れ込んでは起き・倒れ込んでは起き、それを繰り返し、自分の身体を脱ぎ捨ててどこかに逃げ出してしまいたいような気分にのたうち回った。

それでも、仕事には休まずでた。
“休めなかった”のか“休まなかった”のか、それは憶えていないけど、結果的に仕事にでて正解だった。
頭を仕事に向け 作業で身体を動かせば、少しは気持ちを中和できるし、一時的にでも誤魔化すこともできる。
家にこもっていてはロクなことにならなかったはず。
ただ、その時の私の顔は、内面の異変を如実に表していたと思う。
暗い表情であったことは間違いないけど、それを通り越し、怯えるような顔をしていたのではないかと思う。

そんな状態を脱するため、ある術を、重度の鬱病から復活した人から教えてもらった。
それは、「気持ちが暗くなり始めたら、そのことは考えるのをやめる」ということ。
これは、その場をしのぐための一つのテクニック。
根本的な解決にはならず、無責任な現実逃避かもしれない。
しかし、それでもいい・・・“弱虫のテクニック”でもいい、“卑怯な手”でもいい、まずは自分を救い出さなければならない。
とにかく、目の前の壁を乗り越えなければ次に進めない。
こういう性分の私にとって簡単な方法ではなかったけど、気分がマズくなってきたときはそれを心がけた。

残念ながら、それは劇的な解決策にはならなかった。
それで、気持ちが軽くなることはなかった。
ただ、それ以上に気分が落ち込んでいくことを止めるくらいの効果はあったように思う。
応急処置としては、一定の効果があったように思う。

結局のところ、私が味わわされているこの“苦”は、“身から出た錆”・・・“自業自得”のように思っている。
自分の弱さとか 愚かさとか ズルさとか、そういったものが病原のような気がするから。
ということは、もっと強く 賢く 誠実な人間に成長できれば、苦も軽くなるはず。
人が人である以上、私が私である以上、苦が無になることはないけど、自分のためを考えるなら、少しでも軽くすることを志向するべきだろうと思っている。



前回ブログ「大失敗」の現場。
あまりの惨状で部屋にいることができなくなった遺族二人(故人の両親)と共に、私も一旦 玄関の外へ。
エレベーターを使おうとした二人を制止し、階段で降りるよう促した。
エレベーターに悪臭をこもらせると面倒なことになるからだ。

我々は、最初に話をした建物脇の物陰に行き、以降のことを協議。
二人は青ざめた顔で、貴重品や個人情報が入っていそうな書類等の探索選別を私に依頼。
そういう流れになることを想定していた私は、承諾とともに、
「面倒臭がってるように聞こえたら申し訳ないですけど、いちいち丁寧にやっていたら時間がかかるだけですから、泥棒が入ったかのようにひっくり返しますよ」
と許可をもらって、一人 汚部屋に戻った。

汚染痕はベッドに残留。
ベッドマットはワインレッドやピンクに生々しく染色。
ただ、部屋の気密性が高いせいか、いてもおかしくないウジはおらず、ハエも一匹も飛んでおらず。
仮に、彼らがいたとしても大した敵にはならない。
が、玄関から外へ逃走しないよう極小の彼らを見張るのは かなり面倒。
そんなことに気を取られていたら仕事にならない。
私は、彼らが生まれてこなかったことを自分の幸運として仕事のやる気を高めた。


慣れたせいか、麻痺しているのか、私は、こういう現場に一人でいても恐怖心は湧かない。
仕事の義務感(いい言い方をすると“使命感”“責任感”)が嫌悪感も薄くしてくれる。
ある意味で、故人は仕事の依頼人のようなもの。
また、パートナーのようなもの。
だから、恐怖心や嫌悪感などは最初のうちだけで消えていく。
で、思考は故人の生き様と その最期に傾いていく。
私は頼まれた仕事を黙々とこなしながら、氏名や年齢をはじめ、徐々に知れてくる故人の経歴や普段の生活ぶりに神妙な思いを深めていった。

優秀な高校・大学を経るにあたっては、もともとの能力もさることながら、その上で人並以上の努力をしただろう。
そしてまた、相応の努力をもって一流企業に就職し、以降も、会社や社会で活躍することに夢を抱いていただろう。
そんな若者の目に、“死”は影も形も映るはずはなく・・・
自分の人生が20代のある日で突然終わってしまうなんて、微塵も思っていなかったに違いない。

万民に、“時間”は不平等でも“死”は平等。
無情なのは“死”ではなく“時間”の方かもしれない
その中でどう生きるか・・・“努力する”って楽じゃないけど楽しくもある。
学歴や肩書だけを称賛するつもりもないし、そういったことと人格が一致するとは限らないけど、面倒臭がり屋の人間にはマネできない 相応の努力が積まれてきたことは間違いないことだと思う。
短い人生でも、悔いが残っても、それでも、故人は故人の人生を有意義に生き切ったものと私には思えた。


貴重品らしい貴重品は、銀行通帳と印鑑くらい。
財布は警察管理で、既に遺族の手に渡っていた。
しかし、書類等は結構な量があった。
公共料金の明細書や仕事関係の名刺や書類、学校の卒業証書や昔書いたと思われる履歴書、想い出の写真やアルバムも少なくなかった。
結果、持ち出す荷物は、段ボール箱三つ分にもなった。

「面倒臭いことになっちゃったなぁ・・・」
結構な量になったため、それを持ち出すにあたっては算段が必要になった。
荷物からもウ○コ男からもニオイが出てしまうから。
玄関前の共用廊下は塞がった空間で、空気が外気と入れ替わりにくい構造。
階段も内階段で、外気との換気が困難。
エレベーターを使うなんて論外。
方法は一つ、廊下と階段を素早く走り過ぎるしかなかった。

二階や三階ならまだいい。
現場はもっと上の上・・・見晴しのいい上階。
クサ~イおっさんが、必死の形相で駆ける姿は、“みっともない”“滑稽”を通り越して“不可解”“不気味”。
その怪しい動きは、警察に通報されてもおかしくないものだと思う。
私は、それを三往復やらなければならなかった。
汗は吹きだし、息は切れ、心臓は鼓動し・・・若くない身体にはキツい作業。
しかし、そんなことより、異臭が漏洩してしまうことの不安感と、誰かと遭遇してしまうことの緊張感の方が勝っており、それが身体のキツさを忘れさせてくれた。

約束の仕事を果たした私に、遺族の二人は礼を言ってくれた。
ただ、それは、あくまで社交辞令的なもので、あたたか味は感じられず。
あたたか味を加えるほどの余裕は、二人にはないようだった。
それも仕方がない・・・息子の死と凄惨な部屋に遭遇し、プライド(世間体)といった面倒臭い事情を抱え・・・心を暗くさせる要因はいくらでもあったのだから。
二人に覆いかぶさっている困難は、二人の味気ない態度にも、私に不満は抱せることはなかった。


故人(息子)の人生は早々と終わってしまったけど、遺族二人(両親)の人生には まだ残りがある。
心が癒えるまで、何日か、何ヶ月か、何年か、重苦しい時間を強いられることだろう。
また、いずれは、世間から好奇の視線を向けられ、いらぬ同情を押し付けられる日がくるだろう。
何もかもか面倒臭く思えるような虚しい日々が続くかもしれない。

人は、時として、生きることに面倒臭さを覚えてしまうことがある。
本意でも本意でなくても、そういった思いが頭を過ることは人生で何度となくある。
疲れたとき、悲しいとき、悩んでいるとき、ツラいとき、苦しいとき・・・“元気に生きたい”という本能がベースにありながらも、魔がさすように、そういう思いが頭を過ることがある。
そして、それが心の隙間に入り込んで、居座ってしまうことがある。

そんなときは、その場をしのぐための一つのテクニックとして、まず、そのことを考えるのをやめてみる。
一時しのぎ、無責任な現実逃避かもしれないけどやってみる。
とりあえず、それで気分の降下を止める。
次に、自分の人生が、いつか・・・そう遠くないうちに終わることを思い出す。
そして、具体的に、自分が死の床についたときのことを想像する。
それで、面倒なことばかりだった人生、面倒臭く思えた人生を回想する。
死を目前にすると、面倒な煩わしさは消え、それらは懐かしく想い出されるのではないだろうか・・・
また、そんな人生でも、愛おしく、名残惜しく想うのではだろうか・・・
そして、
「面倒臭い人生だったけど、もう少し生きていたかったなぁ・・・」
と想うのではないだろうか。

人生は短い。
アッという間。
自分が思っているほど長くはない。
面倒臭がっているうちに終わってしまう。

その希少さを、儚さを、貴重さを、大切さを・・・
まるで愛情深い親のように、“死”は繰り返し教えてくれるのである。



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大失敗

2019-01-04 08:43:06 | 腐乱死体
2019謹賀新年。
例年通り、私は、大晦日が仕事納めで、元旦が仕事始め。
大晦日の夜は 紅白を観ながら(なかなか楽しかった)いつもよりたくさん飲み、カップ蕎麦を食べ、零時過ぎまで夜更かし。
で、元旦の朝は、軽く二日酔気味。
ただ、気持ちのいい快晴で、「今年もがんばろ!」といつも通り出勤した

この年末年始、九連休という人も多いらしい。
ということは、三ヶ日が過ぎた今日が仕事始めではなく7日が仕事始めという人も多いということか。
羨ましいのはもちろんだが、同時にその過ごし方が気になる。
家にこもってゴロゴロしてばかりじゃ時間がもったいないし、そうは言っても遊びに出かけてばかりじゃ金がもたないだろう。
結局のところ、私みたいに仕事をしてるのが一番無難だったりして・・・
何はともあれ、私は自らの意志(絶望と穢れた動機)でこの仕事を選んだわけで、ゆっくり休めないこの現状は諦めるしかない。
あとは、この現実の中で喜びを見つけるしかない。

ただ、喜んでいられない失敗もある。
それは、休肝日を設けそこなっていること。
ビールもウイスキーも日本酒も潤沢にあり(すべて頂きモノ)、「せっかくの正月なんだから」と自分に言い訳もでき・・・で、暮れの30日からダラダラと飲み続けてしまっている。
あと、スーパー銭湯に行きすぎて、小遣いが赤字になっていること。
冬の寒さと ヒドい肩コリ(特に左肩が重症)と 家で極寒シャワーに耐えている反動で、「がんばってる自分への御褒美」と、事ある毎に銭湯に足を運んでしまっている。

・・・自分を律するのって本当に難しい・・・それを 今更ながらに痛感している。



腐乱死体現場が発生。
「また厄介なことをお願いすることになってしまって・・・」
依頼してきたのは、それまでに何度か仕事をしたことがある不動産管理会社。
「ほんの少ししか見てないんですけど、部屋の状況はですねぇ・・・」
顔見知りの担当者も要領を得ており、私が欲しがりそうな情報を端的に伝えてきた。

現場は都心の一等地に建つ賃貸マンション。
間取りは1Kで独居用。
住人の多くは、都心勤務の若いビジネスマンや経済力のある学生。
亡くなったのは部屋の住人で若い男性。
特段の持病もなかったらしく、自殺でもなく、死因は、いわゆる“突然死”。
不幸は重なり、それは休暇中の出来事。
通常の休暇なら、「無断欠勤」「連絡不通」で早めの発見された可能性が高い。
しかし、よりによって、それは長期休暇中に起こってしまい、勤務先が故人の死を知ったのは遺体の溶解がかなり進んだ段階だった。

死後約一週間、時季の暑さも重なって遺体は深刻に腐敗。
ともなって、部屋には重度の汚染と異臭が発生。
しかし、部屋の気密性は高く、外部への異臭漏洩はなし。
また、警察が来て騒ぎになったはずなのに、平日昼間の出来事で近隣にはバレていないとのこと。
風評被害を恐れる管理会社は、「近隣に知られないよう秘密裡に処理してほしい!」と強く要望してきた。

どんなに汚れていようがクサくなっていようが、法律上、部屋の家財は相続人の所有物。
相続人(遺族)の許可なく勝手に入室し、家財に触れるわけにはいかない。
緊急事態とはいえ、勝手なことをして後々トラブルになっては困る。
私は、管理会社の要望のもと、遺族と電話で打ち合わせ。
遠方の街から来る遺族の都合に合わせて現地調査の日時を決め、その日は一緒に部屋に入ることにした。


約束の日時、現場に現れたのは中年の男女二人、故人の両親。
1Fエントランスでの立ち話は他住人の目にもつくし、会話の内容を誰かに聞かれるのもマズかったので、我々は、挨拶もそこそこに建物脇に移動。
物陰に隠れるようにしながら、私は、経験による想像にもとづいて、小声で室内の汚染・異臭の状況を説明。
一方、管理会社から言われるまでもなく、二人も事を秘密裡に収めたいみたいで、言葉数も少なく、真剣な面持ちで私の話に聞き入った。

どんなに素早く出入りしても、異臭が空気である以上、玄関ドアを開けた時点である程度は外に漏れる。
ただ、開ける幅を極力狭くし、開ける時間を極力短くすれば、その量を抑えることはできる。
それでも、若干の異臭は漏れるし、周辺に人影がないことを確認して入るつもりではあっても、そこに人が近づかない保証はない。
そこで異臭を感知され、管理会社にでも通報されたらおしまい。
私は、室内はかなりの異臭が充満しているはずであること、近隣に気づかれないよう厳重に注意しなければならないこと、躊躇なく素早く入ってもらう必要があること等を二人に念入りに説明。
そんな私の話を二人は真剣な表情のまま聞いていたが、話が進むにつれ、その表情には恐怖心のような固さが上書きされていった。

私は、話の最後に、心遣いのつもりで、先に自分一人で室内を確認してくることも可能であることも伝えた。
しかし、何らかの強い思いがあったのか、それでも、二人は入室を辞退せず。
結果、我々三人はエレベーターで見晴しのいい上階の部屋へ。
同階周囲に人の気配がないことを確認しながら部屋の前まで進んだ。
そして、男性に開錠してもらい、私がドアを引いた。
それから間髪入れず二人を押し込むように入室させ、私も素早く身をすべり込ませた。

悪臭のレベルは二人の想像をはるかに超えていたよう。
しかも、高温でムシムシとしたサウナ状態。
見えない壁に阻まれた二人は狭い玄関で立ち止まってしまい、三人で“おしくらまんじゅう”状態に。
私は、二人を奥へ進むよう促し、急いでドアを閉めた。
が、二人は地蔵のように固まり、歩を進めず。
それどころか、早々と具合が悪くなったよう。
嘔吐を我慢するかのように、前かがみになって紙マスクの上から口を押えた。

腐乱死体のニオイって、他の何にも例えようがない独特かつ強烈なもの。
鼻を直撃するのはもちろん、腹や心臓、精神にもくる。
嗅覚が担当するべきニオイが、視覚を担当している目に滲みてくるような深刻なケースもある。
特掃をやり始めた当初、専用マスクを持ってなかった私もよく“オエッ!”とやっていた。
結局、二人とも ものの2~3分でギブアップ。
人目を盗みながら、泥棒のように外へ逃げ出して行った。

二人が入室したかったのは、故人の死後処理をスムーズに行うために必要な貴重品や書類等を選別して持ち出したかったから。
何かに不備があって役所とかで手続きが滞ると、その間に事が公になるかもしれない。
すると、息子の若い死を知った地元周辺から好奇の目を向けられたり 野次馬的な同情をかったりすることになる。
どうも、そういったことが我慢ならないよう。
だから、死んだ息子のことを誰にも知られたくないようだった。
しかし、この汚部屋には手も足も出ず、その作業を私に任せざるを得ず。
つまり、私にも、個人情報が知れることになるわけ。
で、二人は、故人一家の地元には縁もゆかりもない私にさえ、知り得た個人情報は絶対に口外しないよう念を押してきた。

故人は一流大学を卒業し、外資系の一流企業に勤務。
高校も地元の偏差値上位校で、誰もが羨むような経歴。
両親の期待通り、いや、それ以上の人生を歩んできた・・・
就職してからもバリバリと仕事をし、今後の出世や活躍も大いに期待されていた・・・
きっと、自慢の息子だったに違いない。
しかし、期待通りの寿命は与えられず、突然の死によって、そのすべては無残に絶たれてしまった。

二人が、それを強く秘匿したがった心境の根源はどこにあるのか。
俗世間的な成功を手にし、それを大きな名誉とし、無意識のうちに世間に対して優越感や勝利感を抱いていたのかもしれない。
そういう心情が、息子の死を、世間体を前に、“敗北”とか“失敗”のように捉えさせたのかもしれず、羞恥心をくすぐったのかもしれなかった。


本来、“死”というものは、人間主体で「受け入れる」とか「受け入れない」等といえるものではない。
人間の力ではいかんともし難い、人間の主体性を無視した事象で、人間の主体性を超越した領域にあるもの。
にも関わらず、人間は、一方的に、 “死”というものを、“敗北”“逃避”“失敗”といった人間主体の概念に引きずり込んでしまう。
確かに、人が“死”に向かうプロセスには、老化・病気・事故など、ネガティブに感じさせやすい経緯・事情・状況は多い。
それらに、“死”に対する未知(無知)からくる人間の恐怖心や嫌悪感がプラスされるから、余計にそうなるのだろう。

宗教の多くは、“死”に期待や希望を持たせようと、昇華を試みる。
そして、“死”を意識する人々も、それを信じたい気持ちを抱いて集まる。
しかし、現実的には、やはり喜んで受け入れられるものではない。
希望を持てるものでもなければ、明るい気分になれるものでもない。
“死”に勝てない人間は、ある種の諦念をもって捉えるしかない。
私は、“死”を“失敗”として捉えてしまうことに悲しい違和感を覚えつつも、本性の部分で理解できるところもあり、雑然とした心境を放置するしかなかった。


二十数年前、私が就職したのは遺体処置業(湯灌)の会社。
歳の離れた(クセのある)先輩達もいて、業務の色々を教えてもらうことができた。
しかし、特殊清掃業は、その後に新規でやり始めたもの。
当時、世の中に、専業としてそういった業種や会社があったわけではなく、自らがパイオニア的存在。
当然、教えてくれる人は誰もおらず、試行錯誤・七転八起の連続。
腐敗液の掃除の仕方、ニオイの取り方、遺品の片付け方・・・何もかも未知の領域、チャレンジの日々。
機材も道具も素人仕立て、最初はネクタイ姿に革靴を履いて作業にあたっていた。
そんな具合に、当初は、技術も道具も持たないズブの素人が忍耐力と根性だけでやっていたような始末で・・・今、思い返すと笑ってしまうくらい。

当然、多くの失敗もしてきた。
依頼者の期待に沿えなかったことや関係者に迷惑を掛けてしまったこと、肝を冷やしたことも少なくない。
それでも、一つの失敗を一つの教訓とノウハウにしながら経験を積み重ね、何とかお金をもらえる仕事にまで成長させてきた。

しかし、残念なことに、仕事と人生はちょっと違う。
過ぎた時間を巻き戻すことはできない。
過去の事実を消すこともできない。
仕事より人生のほうがシビア。
人生においては、失敗の巻き返しを図ることはなかなか難しい。

半世紀生きてきて、半世紀生かされてきて、「失敗したな・・・」と思うことは多々ある。
「もっと勉強しておけばよかった・・・」
「もっと先を見る目を養っておけばよかった・・・」
等と、若気の至りを後悔することもよくある。
大人になってからも、金の失敗、酒の失敗、女の失敗等々・・・色々と失敗してきた。
で、“最大の失敗”だと思っているのは、やはり“就職”。
この四半世紀余を振り返ってみると、真っ先に自分の悲惨さが目に浮かぶ。
「俺って、なんて愚かなんだ・・・」
「なんて頭が悪いんだ・・・」
といった想いが沸々とわいてくる。
「もう諦めるしかない」
「現状で頑張るしかない」
と覚悟しているつもりでも、その想い(後悔)は消えない。
もちろん、日々における細かなHappy Luckyはある。
生活や人生の糧にもなっているし、幸せや楽しさや笑いもあるし、感謝の念も強く持っている。
ただ、「人生」という大局的な器に入れ、「一生」という長期的な道に乗せてみると、やはり、失敗感は否めない。
どんなに理屈をこねても、カッコつけても、やはり、「この仕事に就いてよかった!」とは思えない。
大なり小なり、この後悔の念は一生消えないのだろうと諦めている。

しかし、考えようによっては、別の見方もできる。
精神が荒みまくっていた就職時の状況を考えると、「自分がこの仕事を選んだ」というより、「天職として、この仕事が私を選んでくれた?」といった方がシックリくるかもしれない。
とすれば、それは、喜ばしいこととなる・・・選ばれたわけだから。
自分を主体にすれば失敗でも、自分以外を主体にすればそうじゃなくなる。

つまり・・・
「失敗は失敗だと思うから失敗なのである」
そして・・・
「自分の人生を失敗だと思うことが人生最大の失敗である」
・・・ということになる。

こんなの、人から見れば 取るに足らない浅慮かもしれない。
また、この通りに自分を律することができないかもしれない。
しかし、この気づきは、この先、私の人生にとって喜ばしい出来事になるのだろうと思うのである。



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損得感情

2018-10-30 08:50:53 | 腐乱死体
深まりつつある秋、快適な十月も もう終わる。
ついこの前まで、酷暑と闘っていたのに・・・秋は短い。
寒冷な朝の空気と葉の落ちた樹々には、冬の気配すら感じる。
この涼しさは、心身には優しいのだが、「またこの季節が来たのかぁ・・・」と溜息をついてしまうことがある。
持病?の冬鬱もそうなのだが、それは毎晩の入浴。
以前書いたことがあるけど、ケチな私は寒い冬でも湯に浸かることが少ない。
湯を大量に使い捨てることが損なことのように思えてしまうのだ。
だから、シャワーで済ませることがほとんど。
で、寒い日はこれがなかなかキツい。
当然、浴室暖房なんかないし、シャワー(湯)を出しっぱなしにもしない。
だからといって、仕事柄、風呂に入らないわけにもいかず、身体と懐の寒さに身を震わせているのである。

酒にしたってそう。
私は完全な“家飲み主義者”。
“たまには外で飲みたいな”と思うこともあるけど、行き帰りが面倒臭いし、相手もいない。
何より、かかる費用が違う。
同じ銘柄の酒を飲んでも、家と外では三倍くらい違うのではないかと思う。
肴まで入れると、それじゃ済まないのはハッキリしている。
似たような酒肴に数倍の金を払うことが損なことのように思えてしまうのだ。
そう考えると、当然、外で飲む気は失せる。
また、そんなこと心配しながら飲む酒は美味くないだろうし、宴も楽しくないだろう

「守銭奴」「拝金主義者」「ケチで強欲」
それを自認している私は、上記のように、事あるごとに、また何かにつけ、金銭的な損得勘定でモノを判断するクセがある。
しかし、実のところは、そういった性質で金銭的にはわずかばかり得をしているのかもしれないけど、“人も幸せ”という面では大きく損をしているような気がしてならない。
上手に損得勘定しながら世を渡っているつもりが、その損得勘定そのものが自分の幸せを削っているのかもしれない。
一度きりの人生、二度とない人生、こんなもったいない話はない・・・こんな損な話はない。
そう思うと、この損得感情も危機として、放っておくわけにはいかないのである。


ちょっと、ここから現場の話に移ろう。

取り扱う仕事には、保険がからむ案件も珍しくない。
故人が加入していた生命保険だけではなく建物に関係する保険も。
建物に関する保険は、火災保険や家財保険、地震保険だけではなく、昨今は、孤独死が発生した場合に備える保険もある。
もちろん、加入条件や現場状況によって保険の適用内容は異なるけど、当該建物が事前にその類の保険に加入していれば、その原状回復(復旧)にあたって保険が適用される場合があるわけだ。
ただ、この場合も、保険機能を適正に運用するため、専門家(鑑定会社の鑑定人)が現地を調査し保険適用の有無や要否を査定する。
つまり、専門の鑑定人による現地調査を行わなければならないのである。
私は、求められて この作業に立ち会うことが少なくない。
場数だけは誰よりも踏んでいるので、こんなダメ人間のポンコツ親父でも 何かと役に立つことがあるのだ。

この現場も然り。
合流したのは、遺族でもなく 管理会社の担当者でもなく 大家でもなく 鑑定会社の担当者。
保険適用に関する調査・査定をする鑑定人、30代後半くらいの男性。
鑑定人としては、ベテランの域に入りつつある雰囲気。
ただ、この現場は気が進まないのか、ちょっと腰が引けたような感じで、
「よろしくお願いします・・・」
と、頼るような目を私に向けて名刺を差し出した。

男性は、これまでにも孤独死の現場を鑑定したことは何度かあったが、詳しく訊いたところ、どこも“ライト級”だったよう。
しかし、今回は「かなりヒドい」ということで、会社から手袋・マスクをはじめ、長靴やレインコートも持参。
会社の命により、安心の?重装備を用意していた。
ただ、男性は、孤独死現場の凄惨さにレベル感は持っておらず、猛暑の中、会社に大荷物を持たされたことに“そこまでしなくても・・・”と、不満を覚えているようだった。

一方の私は、特段の装備はなし。
暑いから防護服も着ないし、息苦しいから専用マスクもなし。
装備といえば、紙マスク・ラテックスグローブ(使い捨て手袋)・シューズカバーくらい。
一式は常に車載してはいるものの、防護服を着ないのはかなり前からで、最近の私は、余程のことがないかぎり、専用マスクも使わなくなっている。
衛生面を考えれば好ましくないけど、息苦しいし 顔に痕が残るし・・・
この歳になると皮膚の弾力もなくなり、顔(頬)についたマスクの痕がなかなかとれないわけ(たいしたツラじゃないから 気にする必要はないんだろうけど)。
“ウ○コ男”になるのも日常茶飯事だし、だいたいの悪臭は我慢できるから(嘔吐く新鮮さ?も失っている)、結局、軽装で済むのである。

玄人だと思っていた私が素人っぽい恰好をしているのを妙に思ったのだろう、男性は、
「そのままですか!?」
少し驚き気味に訊いてきた。
「えぇ・・・もう慣れてますから・・・暑苦しくて、ニオイより暑さにやられてしまいますよ」
と、私は、当たり前のことのように返答。
すると、男性は、
「私も、このままで大丈夫ですかね?」
と期待感を滲ませながら訊いてきた。
猛暑の中、できることなら男性も軽装のままで事を済ませたいよう。
しかし、私は、
「ニオイがついて モノ凄くクサくなりますよ・・・服とか髪とかに・・・電車も乗りにくいし、店とかにも寄れないですよ・・・」
と、忠告。
その後にも別の現場に行く予定があった男性は、結局、防護備品を身に着けることに。
大汗をカキカキ、用意してきた装備品を身にまとった。


現場は、小さなアパートの一室。
亡くなったのは部屋の主で、老年の男性。
季節は真夏で、死後1~2週間。
周辺には異臭が漏洩し、窓には無数の蠅が集っていた。
部屋を見るまでもなく・・・故人の肉体は、ほとんど液状化していることが容易に想像された。

異臭は外にまで漏洩。
それは、同じアパートの他室だけではなく、風向きによっては周辺の建物内部にまで到達してしまうくらいのレベル。
「これが、そのニオイですか?」
部屋への歩を進める中で そのニオイを感知した男性は、眉をひそめた。
「そうです・・・中は もっとスゴいですよ・・・」
脅すつもりはなかったが、事実であるが故、そう応えざるを得なかった。
「そ・・・そうなんですか・・・」
男性は、固くした表情を更に強張らせた。
「近隣に迷惑がかかるし、苦情がくると困るので、ドアを開けたらすぐに入って下さいね」
プレッシャーをかけるつもりはなかったが、事実であるが故、そう言わざるを得なかった。

開錠入室の責任者は男性。
私は二番手に回り、ノブを握る男性の背後に控えた。
男性は、少々の間をとって後、ドアをゆっくり引いた。
すると、
「うわッ!!」
といった男性の驚嘆とともに、間髪入れず 室内から何匹ものハエと強烈な異臭が噴出。
それに驚いた男性は、私の進言も忘れ、そのまま 素早く中に入るどころか、後ろにいる私にぶつかることも気にせず後退して玄関を閉めてしまった。

「何ですか!?今のは!?」
「ハエです・・・」
「・・・・・」
「中には凄まじい数がいると思いますよ・・・」
「・・・・・」
「大丈夫ですか?」
「・・・やっぱ・・・無理・・・無理です・・・」
男性は、首を横に振りながら 更に後退。
しかし、部屋に入って、中の汚損状況を観察・査定するのは男性の役目。
中に入らないと仕事にならない。
ただ、凄惨過ぎる室内に男性は完全にビビって 入る気力を喪失したようだった。

男性は、思案の末、自分の会社に電話。
相手は職場の上司だろう、室内調査の役目を免れるため、汗が涙に変わりそうなくらいのハイテンションで現場の状況を報告。
レインコートはサウナスーツと化し、その内側が汗で濡れてきているのは外からもわかり、それに冷汗や心涙が加わったような状態。
でも、そんなこと意に介さず 必死に自分の苦境を訴える男性。
私の目には、こういう現場と分かったうえで損な役回りを背負わされたサラリーマンの悲哀が映り、同時に、その姿には同情心が湧いてきた。

腐乱死体現場の惨状を言葉で伝え、相手に理解させるのは至難の業。
素人・一般人なら尚更で、わかってもらえなくて困ることは私でも多々ある。
男性は、なかなかわかってくれない上司に 電話では意味をなさない身振り手振りを交えて熱弁。
そして、しばしのやりとりの後、男性の要望は何とか通った。
男性は、上司に嬉しそうに何度も礼を言い、ホッとしたような笑顔で電話を終えた。

そうなると、不本意ながら、私の出番がやってくる。
よくあるパターンだが、電話の会話を傍らで聞いていた私は、すぐにピンときた。
男性は、バッグから取り出した小さなデジカメを恭(うやうや)しく両手で持ち、姿勢を屈めて、
「大変申し訳ないのですが・・・中の様子を撮ってきてもらうことはできないでしょうか・・・」
と言って、再び頼るような視線を私に向けた。

私も自分の仕事として現地調査をする必要がある。
つまり、私には“室内に入らない”という選択肢はない。
どうせなら、一人で入る方が気楽でいいくらい。
だから、断る理由はない。
しかも、男性は、真顔で低姿勢。
立場を利用したり同情心を煽ったりして 嫌な雑用を他人に押し付ける輩に何度も遭遇してきたことがある私は、男性がそういう類の人間ではないことがわかったので、
「立ち入りに関する責任をそちらで持っていただければ、かまいませんよ」
と、二つ返事で引き受けた。


室内の調査・撮影を終え外に出た私は、“超”をつけてもいいくらいの“ウ○コ男”と化していた。
男性は、もう用がないのだから、少しでも涼しい恰好で身軽に待っていればいいものを、猛暑の中、着用した装備はそのままに、玄関の脇に直立していた。
並の人間なら、さっさと装備を解いて、どこか涼しい日陰で座り込んでいたりするもの。
しかし、男性はそうしなかった。
多分、損な役回りを肩代わりさせた私への礼儀のつもりだったのだろう。
私は、こういった些細な気遣いができたり、礼儀が守れたりする人間には大きな好感を持つ。
また、室内の撮影なんて、自分の仕事のついでにやった簡単なもので、私にとっては“お安い御用”。
“損な役回り”なんてフテ腐れるわけはなく、それどころか、男性の律義さと 私を頼りにしてくれたことが嬉しくて 得したような気分を味わったくらいだった。

男性は、私が放つ悪臭に戸惑いの表情を浮かべながら、時限爆弾でも触るかのようにそっと私からカメラを受け取り、時限装置を解除するかのようにボタンを操作し恐る恐るその画像を開けた。
一枚目を見た男性は目を大きく見開いた。
あまりのグロテスクさに驚いたよう。
そして、画像をめくるにしたがって、その表情を曇らせていき
「こういう状態になるんですか・・・」
「ものスゴいことになってますね・・・」
「申し訳なかったですけど・・・やはり、入らなくてよかったです・・・」
と、驚嘆を超えた溜息のような息を何度も吐きながら心情を吐露した。

同時に、男性は、
「それにしても、大変なお仕事ですね・・・」
と、どこでも誰からもよく言われる ありきたりの言葉を口にした。
「まぁ・・・よく言われます・・・」
そういった言葉に、蔑視されているような悪意を感じてしまう私・・・善意を感じられなくなっている私は、不用意に表情を曇らせ 無愛想な返事をしてしまった。
そんな私の心情が伝わったのか、男性は何か訊きたそうな顔をしたものの 何も言わず口ごもった。
多分、私に対して、感心するような、呆れるような、憐れむような・・・何か理解しがたい違和感・異質感が湧いてきた・・・何とも言えない不思議な感情を抱いたのだろう。


現地調査を終え、男性と別れた帰り道、私は、男性が口にしなかった言葉を自分に問いかけてみた。
「俺は、何のためにこんな仕事をやっているのか?」
「どうして続けているのか?」
「何か得なことがあるのか?」

ただの成り行き・・・金のため・・・生活のため・・・
信念はない・・・使命感もない・・・“依頼者のため”なんて想いもない・・・
休みは少ない・・・不規則、不安定・・・楽な暮らしができるほど稼げない・・・
仕事はキツい・・・ときに精神を患い・・・肉体は疲弊する・・・
カッコ悪い・・・世間から蔑視・嫌悪される・・・人にバカにされることもある・・・
努力できないから仕方がない・・・忍耐できないから仕方がない・・・自分が能無しだから仕方がない・・・
どこからどう見ても得な仕事ではない・・・

でも、損な仕事でもない・・・“損な仕事”とは思いたくない。
“損”だと思ってしまうこと・・・そのことによって、自分の人生は損をする、自分は人生を損させる・・・自分の幸せが削られてしまう。
一度きりの人生、二度とない人生、こんなもったいない話はない・・・こんな損な話はない。
そう思うと、この損得感情も危機として、放っておくわけにはいかない。

賤職だろうが、汚仕事だろうが、ダメ人間のポンコツ親父だろうが、「懸命に働く」ということの“美”は確かにある。
私は、自分を騙してでも、懸命に働いて 懸命に生きて、“幸せなウ○コ男になりたい”と思っている。
それが、私の一生において 得な生き方のはずだから。



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楽しも

2018-09-21 08:08:42 | 腐乱死体
初秋の涼風に、酷暑を乗り越えた安堵と 楽に動けることの心地よさを感じている今日この頃。
「仕事 辞めた?」
「病気?」
「とうとう死んだ?」
長ぁ~くブログを更新していなかったので、そんな風に思われていたかもしれない。
でも、大丈夫。
幸い(残念?)なことに、私は、相も変わらない毎日を送っている。
ある意味で「平穏な毎日」とも言えるが、凝りもせず、身体を汚しながら、社会の地ベタを 汗かきベソかき這いずり回っている。

それにしても、今夏の暑さはキツかった!
夏が暑いのは仕方ないけど、今年は梅雨らしい時季がほとんどなく、早 六月下旬から危険な酷暑がスタート。
当然、その分、作業もハードに。
滝のように流れる汗、熱気に乱れる呼吸、飛び出しそうにバクつく心臓・・・作業中、心が折れそうになったことは何度もあった。
あまりのキツさに、座り込んでしまったこともしばしば。
また、睡魔にも似た倦怠感に襲われて、悪臭が充満する部屋のソファーに横にならせてもらったこともあった。
しかし、個人的な軟弱さを理由に仕事を途中で放り投げることはゆるされない。
こまめな水分補給と休憩を心がけ、“ヒーヒー”“ハァハァ”弱音と溜息が混ざった短息を吐きながら、その時その時を何とか踏ん張った。
・・・というわけで、ブログを書くどころではなかった次第。

そんな夏、今年も色々な出来事があった。
不幸な災難も少なくなかった。
水の事故で亡くなった人も大勢いた。
豪雨災害や地震も然り。
老いや病気の関わらないところで、非日常のちょっとした出来事によって、多くの命が、突如、失われた。
決して他人事ではない事象に不安を感じながら、命に対する人の脆弱性を あらためて思い知らされることとなった。

春夏秋冬、季節が巡ると同時に歳は重ねられ、私は、もうじき五十。
“おじさん”から“おじいさん”へ成長?衰退?するビミョーなお年頃で、四十を迎えたときよりも、その心持ちはやや深刻。
人生の半分以上 こんなことやってるわけで、呆れるやら 悔やむやら、落ち込むやら・・・ま、最後は笑うしかないのだが・・・“やらかしちゃった感”が否めない。
また、不慮の出来事を別にしても、“人生の終わり=死”というものが、急速にリアル化している。
で、心境も少しずつ変化している。
その一つが、
「生きるために働くのであって、働くために生きているのではない」
といった価値観の変化。

これまで、私は、とにかく仕事優先で生きてきた。
しかし、ここにきて、残り少なくなってきた時間に緊張感を走らせることが多くなり、ともなって、これまでより具体的に“人生を楽しむ”ということを大切にしたいと思うようになってきた。
もちろん、“遊興にふけること=人生を楽しむこと”ではない。
キツい思いをしながらも努力したり、ツラい思いをしながらも頑張ったりすることにも楽しさはある。
しかし、思い返してみると、私の場合、勤勉な仕事人間であることを“美”としてきた節があり、その分、遊興が少なすぎたような気がする。
もちろん、働くことを嫌う怠惰な生き方より 労働に勤しむ方がマシではあるけど、それだけだとせっかくの人生がもったいないような気がしているのである。
そんなわけで、これからは、少しずつでも、自分の人生に“遊興”を取り入れたいと思うのである。

しかし、「遊びを楽しむ」ということは意外と難しい。
金と時間がゆるしてくれても、そのネタがなかなか見つからない。
もともと趣味らしい趣味を持たず、「日常の楽しみ」といえば 週に何度かの晩酌と 月に何度かのスーパー銭湯くらいの私。
長くそんな生活を続けてきた私に“やりたい遊び”なんて、すぐに見つかるわけはない。
仕事以外に熱中できるものを持っている人が羨ましくもあるけど、かと言って、誰かの真似をしても仕方がない。
ま、でも、自分が“本当に楽しい”と思えることを探そうとすることそのものが、楽しいことだったりするのかもしれない。
とにもかくにも、人生を楽しめないことを“貧乏ヒマなし”のせいにしないで、色んなことを考えてみたいと思う。



訪れた現場は、閑静な住宅地にある古い一軒家。
依頼者は中年の女性。
現地で待ち合わせた女性は、緊張の面持ちで挨拶。
私の名刺をうやうやしく受け取ると、父親がこの家で孤独死し、かなり時間が経って腐敗し、本人も室内も凄惨な状態になってしまったことを まるで悪事でも告白するかのように とても言いにくそうに私に説明。
そして、最後に、自分は中に入れない・・・入りたくないことを付け加えて頭を下げた。

上記のとおり、亡くなったのは、この家に一人で暮らしていた女性の父親。
死後経過時間は、約二週間。
暑い季節でもあり、遺体はかなり変容。
外見だけでは、どこの誰だか判別不能の状態。
身元は歯型によって確認。
「生前の面影はまるでない」「見ないほうがいい」ということで、警察の霊安室でも、女性達親族は 遺体を見ることはしなかった。

遺体がそんな状態で、部屋が無事であるはずはない。
故人が倒れていたのは台所らしかったが、その異臭は全室に拡散。
もちろん、玄関フロアにも充満しており、常人の行く手を阻んでいた。
しかし、そんな場所へ先陣をきって入るのが非(悲)常人=私の仕事。
私は、後ずさりする女性を背に、玄関ドアを引いて 半老体を滑り込ませた。

予想通り、故人が倒れていた台所の床は、凄惨な腐敗汚物に覆われていた。
しかも、それは、厚く堆積し、また、広く流出。
そして、時代に遅れた家屋の老朽感と古びた家具家電の疲労感が、その雰囲気を更に暗くしていた。
ただ、一通りの特掃をやれば、見た目はある程度回復させることができる。
しかし、悪臭ばかりは そう簡単に片付かず、手間も時間も相応にかかる。
重症であればあるほど手間数も増え、期間も長くなるため、この現場も結構な日数を要した。

作業の最終日。
手間暇かけた甲斐あって、家の中の異臭は、ほとんど感じなくなるまで消すことができた。
そして、当初は家の中に入りたがらなかった女性も及び腰ながら中に入ってくれた。
我々は、台所の隣のリビングに入り、私は、実施した作業の内容と成果を女性に説明。
それから、問題の台所を確認するよう促した。
代金をいただく以上、契約した通りの掃除がキチンとできているかどうかチェックしてもらいたかったわけ。
しかし、女性はそれを辞退。
女性は、まったく見たくないようで、
「見なくても大丈夫です・・・きれいにしていただけたことはわかってますから・・・後で文句を言ったりもしませんから・・・」
と、頑なに拒んだ。
“汚染痕が消えても、嫌悪感や恐怖感は消えていない”ということだろう。
そんな状態で無理強いできるはずもなく、私は そのまま引き下がった。

「では、これで失礼します」
この仕事を無事に締めることができた私は、現場を立ち去ろうとした。
すると、女性は、
「もうしばらくいてもらっていいですか?・・・少しくらいなら追加の料金がかかってもかまいませんから・・・」
と、“?”と思うような言葉を口にした。
その強張った表情には、女性の心情が如実に表れており、私はすぐにそれを察した。
恐怖感なのか嫌悪感なのか・・・どうも、女性は、この家で一人きりになるのが嫌なよう。
私には、整理消化できない死に対する恐怖感と、腐乱死体に対する嫌悪感と、亡父に対する悲哀が、女性を怯えさせているように思えた。
そして、そんな女性だけではなく故人のこともちょっと気の毒に思った。

次の現場はなく あとは会社に戻るだけだった私は、同情心も手伝って
「時間はありますから、追加料金はいりません」
と、女性の依頼を快諾。
各種手続きに必要な書類や貴重品類を探す女性に付き従って、家の中を移動した。
ただ、その間、シ~ンと無言のままでは雰囲気が煮詰まる。
私は、女性とテキトーに雑談をしながら場の空気をつないだ。

故人は70代前半。
早くに妻(女性の母親)を亡くしたせいもあって、健康寿命を強く意識。
元気で長生きするつもりで 好きだった酒もタバコもやめ、食生活や運動にも気を配っていた。
また、長く生きれば それだけお金はかかる。
老後を楽しく過ごそうと思えば尚更。
そのため、故人は質素倹約に努めていた。
「本人は、元気で長生きするつもりだったんですよ・・・」
「“生きていくにはお金がかかる”“子供達に迷惑はかけたくない”と、ホント、爪の先に火をともすような生活をしていたんですよ・・・」
「食べたいものも食べず、行きたいところにも行かず、欲しいものも買わず・・・家も こんなボロのままでね・・・」
女性は、溜息まじりに そうこぼした。
それでも、私が、
「そういう暮らしも、意外と楽しかったんじゃないですか?・・・私も かなりケチなほうですから、何となくわかるような気がするんですよ・・・」
というと、女性は固かった表情を少し和らげ、
「・・・ならいいんですけどねぇ・・・」
と言い、言葉が終わると微笑みを浮かべた。



計れる金と計れない時間・・・
限りある金銭と読めない余命のバランスをとるのは難しい。
その中で、どれだけ人生を楽しむことができるか・・・
もちろん、お金を必要としない楽しさはたくさんある。
しかし、お金のかかる楽しみも、それはそれでいいもの。

自分が楽しめそうなことって何だろう・・・
強欲・ケチ・守銭奴の悲しき習性か・・・軽登山、BBQ、ソロキャンプ・・・あまりお金のかかりそうもないことばかり思いつく。
女遊びは、逆に金がかかり過ぎるし・・・(金の問題じゃないか・・・)
たまには、仕事を忘れて、のんびり 温泉旅行とかいいかもな・・・ゆっくり湯に浸かって、美味い酒肴に舌鼓を打って・・・思い浮かべるだけで結構楽しい。
そのためには・・・まずは汚仕事 がんばらないと!

誰がどう見ても楽しくなさそうな人生を送っている私だけど・・・
初秋の涼風に吹かれ、夏の終わりの寂しさに一生の短さと命の儚さを重ねながらも 人生の黄昏を楽しもうとしているのである。



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勉学の行方

2018-05-15 07:29:12 | 腐乱死体
「しっかり勉強しろ!」
「でないと、大人になって苦労することになるぞ!」
子供の頃、親や教師によく言われた。

小学校のときはトップクラスだった私の成績。
私立中学に入ると“中の上”から“中の下”をウロウロするように。
高額な学費を捻出するための共働きがストレスになっていたのか、両親は、上位にいないことに激怒した。

学期が終わって順位が発表される度に、ひどく叱られた。
そして、自分の努力不足・能力不足が原因とはいえ、その都度 悲しい思いをした。
が、高校に入ると一変。

「高校なんて いつ辞めてもいい」と開き直った。
愚かなことに、虚勢やハッタリではなく、本気でそう思っていた。
で、中退を恐れた親は、成績が悪くても怒ることはなくなった。

そこそこ高いレベルの進学校だったけど、私の成績は下の方。
それでも、実態のともなわない能書きと屁みたいな理屈だけは一人前。
俗にいう「不良」とはタイプの違う“不良”で、教師も その取り扱いに苦慮していた。

それ以降は、これまで何度か書いてきた通り。
三流私大に入り、そこを卒業し、早二十数年、この始末。
無駄な後悔と自業自得の不安に もがき苦しんでいる。



季節は初夏、日中には気温が30℃を超える季節。
とある賃貸マンションで異臭騒ぎが発生。
間もなく、元となった一室で腐乱した遺体が発見された。

応急処置で管理会社が貼ったのだろう、玄関ドアには目張り。
それでも、玄関前には、鼻(腹)を突く異臭が漏洩。
ベランダ側の窓には無数の蠅(今風にいうと“インスタ蠅”)が“黒いカーテン”のごとく集っていた。

私は、預かってきた鍵を鍵穴に差し込み ゆっくり開錠。
周囲に人がいないことを確認して、静かにドアを引いた。
そして、異臭の噴出とハエの脱走を最小限にするため、私は、影のように素早く身体を室内に滑り込ませた。

汚染痕は、重異臭を発生させながら寝室のベッドに残留。
腐敗した肉体は、各種暖色系の色彩を重なり合わせながら人の型を形成。
枕は丸く凹んだままで、まるで そこから生えているかのように頭髪が黒々と残されていた。

ベッドの隅に放られた毛布や枕の下にはウジがビッシリ。
私という天敵に動揺した彼らは、手足のない身体を器用に動かしながら右往左往。
あまりの数の多さに捕獲駆除は諦めざるを得ず、一旦は その逃走を見逃した。

床や窓辺にはハエの死骸がゴロゴロ、蛹(さなぎ)の殻もゴロゴロ。
食糧不足が祟ってだろう、生きているハエも非力。
飛び回る力もないようで、壁や窓にへばり付いているのがやっとのようだった。

羽化していない蛹カプセルの中はクリーム状で、誤って踏んでしまうと床を汚してしまう。
しかし、相手は極小で無数、いちいち避けて歩いていては仕事にならない。
結局、後で掃除するということで、彼らの存在は無視して(ときには踏み潰して)歩を進めた。

部屋は、半ゴミ部屋。
整理整頓も掃除もできておらず、特に、水廻りの汚れは顕著。
亡くなった住人に対して批判的な感情を抱かせるには充分な汚損具合だった。

亡くなったのは40代後半の男性。
私より一つ若く働き盛りの年代。
ただ、私と違うのは一流私大卒であり、かつては一流企業に勤めていたということ。

男性に妻子があったのかは不明。
ただ、最後の数年は一人暮らしで日雇派遣の仕事をしていたよう。
部屋にあった書きかけの履歴書とくたびれた作業着がそれを物語っていた。

男性は、新卒で入った一流企業に二十年近く勤務した後に退職。
出世競争に敗れたのか、職場で不倫でもしたのか、上司に恵まれず窓際に追いやられたのか・・・
以降、職を転々とし、最後は日雇派遣の仕事に就いた。

他県の実家には高齢の両親が健在。
ただ、賃貸借契約の保証人にもなっておらず、相続も放棄するとのこと。
親子関係は、あまり良好ではなかったようだった。

部屋には、故人の学位記(卒業証書)と学位授与式(卒業式)の写真があった。
大学の正門前だろう、写真の中央には、「平成○年○月○○日 ○○大学 学位授与式」と書かれた大きな看板。
そして、その傍らには、若かりし日の故人と その両親らしき男女、正装の三人が笑顔で写っていた。

「皆、嬉しそうな笑顔だな・・・」
「希望に満ち溢れてるって感じだな・・・」
「でも、今となっては ただのゴミが・・・」

最期の一場面だけをみて その人の人生を決めつけてはいけない。
にしても、“他人の不幸は蜜の味”。
私は、深い感慨・・・というか、後味の悪そうな美味を覚えた。

努力して一流大学に入ったことも、頑張って一流企業に勤めたことも、それはそれで素晴らしいこと。
無駄なことは何もなく、晩年の生活ぶりや最期の死に様が否定できるものでもない。
“人生の幸or不幸”は、他人が勝手に想う(判断する)ことはできても、決めることはできない。

にも関わらず、人(私)は、過去と現在を+-で相殺してしまう。
しかも、最期の方が強印象になるため、結果として、“終わり良ければ すべて良し”の逆で“終わり悪ければ すべて悪し”という具合になってしまう。
そして、「不幸な人生、不遇の人生だったんだろう・・・」という風に考えてしまう。

私は、故人の人生と対比して、後悔だらけの自分の人生を肯定し、自分を慰めた。
故人に対して抱いた優越感を美味として味わった。
故人に対して、あたたかく礼儀正しい感情は抱かなかった。

結局のところ、これが“人間”というものなのかもしれないけど、“あるべき姿の人間”でないことくらいはわかった。
けど、“想い”というものは、自分ではどうにもならない・・・感情はある程度コントロールできても、自然と湧いてくる想いはコントロールできない。
他人の不幸と自分の幸せをリンクさせてしまう“人間悪”には、どうにもできないものがある。


私は、努力らしい努力をしてこなかった。
行動がともなわない能書きを垂れ、言い訳にもならない屁理屈をこね、その場その場を誤魔化しながら逃げ回ってきた。
また、能力や根性がないことを棚に上げ、自分の不遇を他人のせい・世の中のせいばかりにしてきた。

勉学の大切さを、努力することの大切さを、もっと若いうちに、学生のうちに気づいていればよかった。
だけど、我々に与えられるのは、過去でも未来でもなく“今”。
後悔は教訓にするしかない。

「自画自賛」と笑われ、「自慢話」と嫌われるのを承知のうえで書く。
中年になり 手遅れの感も否めなかったけど、私は、四十になって一念発起。
仕事の役に立ちそうな、遺族や関係者の役に立つことができそうな資格を取得するための試験勉強を始めた。

仕事をしながらの独学は、意志の強さや自制心、自己管理能力を試されるものだった。
過酷な夏場等、心身ともクタクタに疲れて思うようにできない時もあった。
しかし、苦しみながらも、自分に課した学習ノルマをこなしたときは清々しくもあった。

ありがたいことに、数年がかりで、目指した資格はすべて手に入れた。
二つ目に挑んだ試験の合格通知を受けたときは感謝感激して涙が滲んだ。
ただ、今になると、資格自体にも価値はあるけど、努力したことにはもっと大きな価値があり、努力した時間には更に大きな価値があるように思う。

努力とは、時間や楽しみを犠牲にすることではない。
“今”を充実させること、“今”を精一杯生きること。
そして、引き換えにするものより はるかに価値のあるものを掴むこと。

人生、何かを成し遂げることも大切、何かを残そうとすることも大切。
だけど、その時 その時、“今”をいかに生きるかは、もっと大切。
“人間悪”を寄せつけないくらい まっすぐな情熱をもって自分と向き合い 活きることに努めることは、人生を謳歌する上でとても大切なことのように思う。

卒業写真の親子三人の笑顔を否定できるものは何もない。
今を懸命に生きれば過去は輝き、未来が照らされる。
そして、その人生の輝きはいつまでも失われない。

終わりが近づきつつある私の人生。
半世紀近く使ってきた身体は4S(白髪・シミ・シワ・脂肪)に覆われ、半世紀近く痛めてきた精神は4M(無気力・無思慮・無関心・無感想)に狙われ、輝くには程遠い状態。
それでも、自分次第で、いつでも その内に輝きを放つことはできる。

「努力・忍耐・挑戦 vs 怠惰・逃避・保身」「勝利・強・賢 vs 敗北・弱・愚」、そして、「善 vs 悪」「生 vs 死」。
この歳になっても、まだまだ色んなことを学ばされている私。
“でも、こういう学びが 人生を彩る薬味として、自分を味のある人間にしてくれるのかもしれないよな・・・”と、清々しい気持ちで受け入れているのである。



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