特殊清掃「戦う男たち」

自殺・孤独死・事故死・殺人・焼死・溺死・ 飛び込み・・・遺体処置から特殊清掃・撤去・遺品処理・整理まで施行する男たち

フォトグラフ

2007-02-14 07:40:24 | Weblog
日本人が写真好きであることは、海外から皮肉られるくらいに有名な話である。
メガネをかけ、首からカメラをブラ下げてペコペコと頭を下げる姿が、外国人が見る日本人像らしい(かなり古い情報かもしれないけど)。

今の時代、カメラと言えばデジカメだろう。
そんなデジカメも、数年前は画素数も少なくやたらと重くて、持っている人もまだ少なかった。
そして、カメラ付携帯電話もまだ珍しく、性能も粗末なものだった。

それが今じゃどうだろう。
デジカメはどんどん小型化・高性能化し、格段に使いやすくなっている。
今では、かなりの人が使っているのではないだろうか。
更に、携帯電話には驚きだ。
そのカメラの画素数は、デジカメに劣らない。
アナログ人間の私は、もう完全について行けなくなっている。
(そうは言っても、blogを書くためにケータイをWordなみに使っている私は、別の意味で先端を行っている?)

特掃の現場では、探し物を依頼されることが多い。
一般的に多いのは、やはり金目のモノ。
預金通帳・カード・印鑑・生命保険証券・権利書・年金手帳・貴金属類etc
あと、写真。
依頼者(遺族)の中には、故人が持っていた写真を欲しがる人・見たがる人が少なくない。
そんな要望には気持ちが和む。

腐乱死体現場で金目のモノばかりあさっていると自分が餓鬼にでもなった気分になるけど、探し物が写真だとホットな気分でやれるのだ。
故人の写真を大事にしたいということは、生前の故人・故人の人生を大切に思う気持ちの、ひとつの現れ方だと思う。
人のそんな気持ちがちょっとだけ嬉しくて、私はイソイソと写真を探す。
そして、探し出した写真を見る依頼者の表情は色々だ。
もちろん、泣き出す人もいる。
懐かしそうに笑う人もいる。
感慨深げにジッと眺める人もいる。
昔話に花が咲く人もいる。
故人の写真から、残された人達は何かのメッセージを受け取るのかもしれない。

しかし、逆に写真を欲しがらない(見たがらない)人もいる。
ただ単に興味がないだけなのか、心的な事情があるのか分からないけど。
そんな人には、少し寂しい気分がするものの、「冷たい人だ」と安易に批判はできない。
写真を見たがらない事情には、私が立ち入ることではないからだ。

一方、探し手の私はどうだろうか。
私は、できるだけ故人の写真を見ないようにしている。
正直言うと、見たくないのだ。
だから、写真を探し集める私の手と視線は、いつも別々の動きをする。
見たくない理由は?・・・自分でもよく分からない。
ただでさえ、腐乱汚物を人とみなして精神的に苦労することが多いのに、故人の顔なんか知ってしまったら仕事がやりにくくなるばかりだからかもしれない。
特に、故人が笑顔で写っているとそれが顕著。
それが自殺とかだったら、更にヘビー。
「仕事=Dry+Cool」を心掛けていても、やっぱり気持ちが疲労する。

私が、写真を苦手とするところは他にもある。
どんな死体でもほぼ平気なのに、写真に撮られた死体は苦手。
どんな現場でもほぼ平気なのに、写真に撮られた腐乱現場は苦手。
こんな仕事をしていても、心霊写真は大の苦手!
この変な感性は、自分でも分析不可能だ。

歩いてきた人生は、思い出の塊だ。
いい思い出も、悪い思い出も全部。
そして、残された写真はそれを証する。

写真って、何かの記念やイベント、レジャーや旅行のときに撮ることが多いだろう。
デジカメやケータイカメラの普及で、今はもっと日常的になっているかもしれないけど。
そんな写真には、人生の色んな出来事や思い出が収まっている。

でも、人の幸せなんて、わざわざ写真に撮られているようなことだけじゃなくて、写真に残らないようなありふれた日常にこそ、たくさんあるんじゃないかと思う。
人の笑顔があるところには、どこにでも。

そんな心のアルバムを、たまにはめくってみるといい。
本当の幸せを思い出せるかもしれないから。
アノ世に持って逝けるそのアルバムには、たくさんの思い出が入れられる。

派手な遊びができなくても、楽しいイベントがなくても、暗い仕事が続いても、私は心のアルバムにたくさん残していきたい・・・
・・・平凡な日常にある、笑顔のフォトグラフをね。





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