年が明けて一週間が経ち、軽くなった財布と重くなった身体を携えて面倒な日常に戻った人も多いだろう。
その面倒さに、鬱っぽくなっていないだろうか。
一方、年末年始に働いたサービス業等の人達は、これから長期休暇に入るのだろうか。
行くところに行けば、まだまだ正月ムードは残っているだろうから、初詣、飲食、旅行etc・・・楽しめることはたくさんありそうだ。
子供がいる人は学校の冬休みに合わせられないというデメリットはあるけど、混雑は終わっているし、シーズンで高騰した宿泊費等も廉価に戻っているし、そのメリットは大きい。
皆が遊んでいるときに働いた御褒美だ。
一応、私の仕事もサービス業(イメージがそんな感じじゃないけど)なんだけど、今のところ、今月も休暇をとる予定はない。
親戚の結婚披露宴に招待されているので、その日くらい。
多額の御祝儀や会場で会う人々との関わりを考えると面倒臭くもあるけど、普段、喪色ばかりに染まっているので、たまには紅色に触れてみるのも悪くないだろう(不気味な紅色にはしょっちゅう触れているけど)。
それ以外、休暇らしい休暇は、暖かくなる頃にとろうかと思っている。
ちょっとしたレジャーや旅行を考えており、そのため、寝床の枕元に隠した空缶に、時々、500円玉を呑み込ませている。
その枕元で毎朝繰り広げられているのは起床との戦い。
寒いし暗いし、だいたいの朝は鬱っぽくなってるし、布団から出るのはなかなか面倒。
しかも、後に待っているのは、面倒な仕事。
重くなった気と身を持て余しながら、止まるわけない時間が止まる願望をもって時計に何度も目をやる。
しかし、時は無情。
始業から逆算した起床時刻はすぐにやってきて、鬱々と重い身を起こすのである。
私の場合、鬱っぽい気分で覚醒する朝は多い。
朝鬱夕躁・・・例年、冬場はそれが重症化。
ただ、幸いなことに、その持病(冬鬱?)も近年は楽になってきている。
完治はしていないし、そこそこのレベルで慢性化しているけど、以前よりはマシ。
以前は、心が闇に覆われて、虚無感・脱力感・疲労感、そして絶望感に苛まれて、生きるのが面倒臭くなるくらい しんどい思いをしていた。
あまりの重症が脳裏に焼きついて、忘れられない冬もある。
それは、五年前の話。
2013年の秋から精神は低空飛行を始め、若干のUp Downを繰り返しながら徐々に下降。
そして、翌2014年1月は墜落寸前の状態に。
あまりのことで日付まで憶えている・・・
1月13日、出かけた先には真っ青に晴れ渡る空と、真っ青に広がる海があった。
空も海も、眩しいくらいに光り輝いていた。
が、私の精神は、暗い雲に覆われ、ドシャ降りの冷たい雨。
それでも、「大丈夫!何とかなる!」と心の中で何度もつぶやきながら、必死で自分を鼓舞し続けた。
しかし、それも虚しく、翌14日 15日 16日、三日間の朝は地獄のような苦しみが襲ってきた。
寒いはずなのに汗ダク、全力で走った後のように呼吸は浅く小刻み、発狂したいような衝動にかられ、布団に座った状態で頭を抱え、倒れ込んでは起き・倒れ込んでは起き、それを繰り返し、自分の身体を脱ぎ捨ててどこかに逃げ出してしまいたいような気分にのたうち回った。
それでも、仕事には休まずでた。
“休めなかった”のか“休まなかった”のか、それは憶えていないけど、結果的に仕事にでて正解だった。
頭を仕事に向け 作業で身体を動かせば、少しは気持ちを中和できるし、一時的にでも誤魔化すこともできる。
家にこもっていてはロクなことにならなかったはず。
ただ、その時の私の顔は、内面の異変を如実に表していたと思う。
暗い表情であったことは間違いないけど、それを通り越し、怯えるような顔をしていたのではないかと思う。
そんな状態を脱するため、ある術を、重度の鬱病から復活した人から教えてもらった。
それは、「気持ちが暗くなり始めたら、そのことは考えるのをやめる」ということ。
これは、その場をしのぐための一つのテクニック。
根本的な解決にはならず、無責任な現実逃避かもしれない。
しかし、それでもいい・・・“弱虫のテクニック”でもいい、“卑怯な手”でもいい、まずは自分を救い出さなければならない。
とにかく、目の前の壁を乗り越えなければ次に進めない。
こういう性分の私にとって簡単な方法ではなかったけど、気分がマズくなってきたときはそれを心がけた。
残念ながら、それは劇的な解決策にはならなかった。
それで、気持ちが軽くなることはなかった。
ただ、それ以上に気分が落ち込んでいくことを止めるくらいの効果はあったように思う。
応急処置としては、一定の効果があったように思う。
結局のところ、私が味わわされているこの“苦”は、“身から出た錆”・・・“自業自得”のように思っている。
自分の弱さとか 愚かさとか ズルさとか、そういったものが病原のような気がするから。
ということは、もっと強く 賢く 誠実な人間に成長できれば、苦も軽くなるはず。
人が人である以上、私が私である以上、苦が無になることはないけど、自分のためを考えるなら、少しでも軽くすることを志向するべきだろうと思っている。
前回ブログ「大失敗」の現場。
あまりの惨状で部屋にいることができなくなった遺族二人(故人の両親)と共に、私も一旦 玄関の外へ。
エレベーターを使おうとした二人を制止し、階段で降りるよう促した。
エレベーターに悪臭をこもらせると面倒なことになるからだ。
我々は、最初に話をした建物脇の物陰に行き、以降のことを協議。
二人は青ざめた顔で、貴重品や個人情報が入っていそうな書類等の探索選別を私に依頼。
そういう流れになることを想定していた私は、承諾とともに、
「面倒臭がってるように聞こえたら申し訳ないですけど、いちいち丁寧にやっていたら時間がかかるだけですから、泥棒が入ったかのようにひっくり返しますよ」
と許可をもらって、一人 汚部屋に戻った。
汚染痕はベッドに残留。
ベッドマットはワインレッドやピンクに生々しく染色。
ただ、部屋の気密性が高いせいか、いてもおかしくないウジはおらず、ハエも一匹も飛んでおらず。
仮に、彼らがいたとしても大した敵にはならない。
が、玄関から外へ逃走しないよう極小の彼らを見張るのは かなり面倒。
そんなことに気を取られていたら仕事にならない。
私は、彼らが生まれてこなかったことを自分の幸運として仕事のやる気を高めた。
慣れたせいか、麻痺しているのか、私は、こういう現場に一人でいても恐怖心は湧かない。
仕事の義務感(いい言い方をすると“使命感”“責任感”)が嫌悪感も薄くしてくれる。
ある意味で、故人は仕事の依頼人のようなもの。
また、パートナーのようなもの。
だから、恐怖心や嫌悪感などは最初のうちだけで消えていく。
で、思考は故人の生き様と その最期に傾いていく。
私は頼まれた仕事を黙々とこなしながら、氏名や年齢をはじめ、徐々に知れてくる故人の経歴や普段の生活ぶりに神妙な思いを深めていった。
優秀な高校・大学を経るにあたっては、もともとの能力もさることながら、その上で人並以上の努力をしただろう。
そしてまた、相応の努力をもって一流企業に就職し、以降も、会社や社会で活躍することに夢を抱いていただろう。
そんな若者の目に、“死”は影も形も映るはずはなく・・・
自分の人生が20代のある日で突然終わってしまうなんて、微塵も思っていなかったに違いない。
万民に、“時間”は不平等でも“死”は平等。
無情なのは“死”ではなく“時間”の方かもしれない
その中でどう生きるか・・・“努力する”って楽じゃないけど楽しくもある。
学歴や肩書だけを称賛するつもりもないし、そういったことと人格が一致するとは限らないけど、面倒臭がり屋の人間にはマネできない 相応の努力が積まれてきたことは間違いないことだと思う。
短い人生でも、悔いが残っても、それでも、故人は故人の人生を有意義に生き切ったものと私には思えた。
貴重品らしい貴重品は、銀行通帳と印鑑くらい。
財布は警察管理で、既に遺族の手に渡っていた。
しかし、書類等は結構な量があった。
公共料金の明細書や仕事関係の名刺や書類、学校の卒業証書や昔書いたと思われる履歴書、想い出の写真やアルバムも少なくなかった。
結果、持ち出す荷物は、段ボール箱三つ分にもなった。
「面倒臭いことになっちゃったなぁ・・・」
結構な量になったため、それを持ち出すにあたっては算段が必要になった。
荷物からもウ○コ男からもニオイが出てしまうから。
玄関前の共用廊下は塞がった空間で、空気が外気と入れ替わりにくい構造。
階段も内階段で、外気との換気が困難。
エレベーターを使うなんて論外。
方法は一つ、廊下と階段を素早く走り過ぎるしかなかった。
二階や三階ならまだいい。
現場はもっと上の上・・・見晴しのいい上階。
クサ~イおっさんが、必死の形相で駆ける姿は、“みっともない”“滑稽”を通り越して“不可解”“不気味”。
その怪しい動きは、警察に通報されてもおかしくないものだと思う。
私は、それを三往復やらなければならなかった。
汗は吹きだし、息は切れ、心臓は鼓動し・・・若くない身体にはキツい作業。
しかし、そんなことより、異臭が漏洩してしまうことの不安感と、誰かと遭遇してしまうことの緊張感の方が勝っており、それが身体のキツさを忘れさせてくれた。
約束の仕事を果たした私に、遺族の二人は礼を言ってくれた。
ただ、それは、あくまで社交辞令的なもので、あたたか味は感じられず。
あたたか味を加えるほどの余裕は、二人にはないようだった。
それも仕方がない・・・息子の死と凄惨な部屋に遭遇し、プライド(世間体)といった面倒臭い事情を抱え・・・心を暗くさせる要因はいくらでもあったのだから。
二人に覆いかぶさっている困難は、二人の味気ない態度にも、私に不満は抱せることはなかった。
故人(息子)の人生は早々と終わってしまったけど、遺族二人(両親)の人生には まだ残りがある。
心が癒えるまで、何日か、何ヶ月か、何年か、重苦しい時間を強いられることだろう。
また、いずれは、世間から好奇の視線を向けられ、いらぬ同情を押し付けられる日がくるだろう。
何もかもか面倒臭く思えるような虚しい日々が続くかもしれない。
人は、時として、生きることに面倒臭さを覚えてしまうことがある。
本意でも本意でなくても、そういった思いが頭を過ることは人生で何度となくある。
疲れたとき、悲しいとき、悩んでいるとき、ツラいとき、苦しいとき・・・“元気に生きたい”という本能がベースにありながらも、魔がさすように、そういう思いが頭を過ることがある。
そして、それが心の隙間に入り込んで、居座ってしまうことがある。
そんなときは、その場をしのぐための一つのテクニックとして、まず、そのことを考えるのをやめてみる。
一時しのぎ、無責任な現実逃避かもしれないけどやってみる。
とりあえず、それで気分の降下を止める。
次に、自分の人生が、いつか・・・そう遠くないうちに終わることを思い出す。
そして、具体的に、自分が死の床についたときのことを想像する。
それで、面倒なことばかりだった人生、面倒臭く思えた人生を回想する。
死を目前にすると、面倒な煩わしさは消え、それらは懐かしく想い出されるのではないだろうか・・・
また、そんな人生でも、愛おしく、名残惜しく想うのではだろうか・・・
そして、
「面倒臭い人生だったけど、もう少し生きていたかったなぁ・・・」
と想うのではないだろうか。
人生は短い。
アッという間。
自分が思っているほど長くはない。
面倒臭がっているうちに終わってしまう。
その希少さを、儚さを、貴重さを、大切さを・・・
まるで愛情深い親のように、“死”は繰り返し教えてくれるのである。
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