特殊清掃「戦う男たち」

自殺・孤独死・事故死・殺人・焼死・溺死・ 飛び込み・・・遺体処置から特殊清掃・撤去・遺品処理・整理まで施行する男たち

2014-01-25 09:19:57 | 特殊清掃
冬の空気は、冷たく乾燥している。
けれども、他の季節にはないほど澄んでいる。
猥雑な地上にいると、空を見上げる気力さえ失うことがあるけど、それでも空は万民をその下に置いてくれる。
そんな空を見上げると、一時的だけど心の空気が入れ替わる。

最近、特に気に入っているのが晴天の夜空。
満天の星空を仰ぐと、気持ちが癒される。
外はモノ凄く寒いけど、何か、あたたかい慈愛のようなものを感じる。
そして、命の儚さと、抱えている苦悩の小ささを確認する。

この空は、子供の頃に見上げた空と変わらない。
私が、この地上に生まれるずっと前から、空は変わらないのだろう。
そして、私がこの地上からいなくなっても、変わらないのだろう。
空にも“永久”はないのかもしれないけど、それでも、人間の時間をはるかに超えた時間、空は変わらないままだろう。

対象的に、地上の景色と自分は変わる。
地上の時間は過ぎるスピードも速く、生かされる時間も短い。
かたちあるものは、たちまち風と消えゆく。
まるで夢のように。
しかし、苦しい人生は長く感じる。
時間は、過ぎてみれば“アッという間”に感じるけど、苦悩の中にあるときは永遠のように長く感じられてしまう。

私は、寝ていても、夢の中で何かを考えるような性質。
起きているときは尚更で、余計な思い煩いが私を苦しめる。
思い煩いが始まったら「考えるのはこれでやめ!」「これ以上は考えるな!」「頭を空にしろ!」と自分に言いきかせる。
しかし、自分は、それに素直に従わない。
もともと、人間は、考える動物だからか。
人間にとって、考えることも難しいけど、考えないことはもっと難しいことなのかもしれない。
それでも、夜空を見上げると、一瞬だけど頭が空になる。
今の私にはこれが大事であり、これが必要なのである。


それは、ある日の夕刻のこと。
昼間の作業を終え、汚らしい格好になっていた私は、事務所に向かって車を走らせていた。
そこに、特掃の依頼が入ってきた。
それは、緊急の要請。
一日の仕事を終え、完全に気を緩ませていた私は、「とにかく現場に向かえ!」という会社の指示に、闘志まじりの溜息をつきながら車を現場の方に向けた。

到着したのは、高級賃貸マンション。
フェンスの隙間から見える駐車場には高級車がズラリ。
私にとっては、まったくの別世界で、“羨ましい”なんて身近な感覚は涌いてこず。
そんなことよりも、自分の汚らしい格好が気になり、大して変わるわけもないのにパンパンと作業服を叩いて、前現場のホコリを払った。

建物の前では、管理会社の担当者とマンションの管理人が、私の到着を待っていた。
我々は、正面玄関からではなく裏口から建物内に入り、管理人室へ。
そして、小さな事務机を囲むように並べられた椅子に腰掛け、協議を始めた。
私は、他件の類似事例にもとづいてアドバイス。
担当者は、そこが並の賃貸マンションではないことを強調しながら、発生した問題を説明。
我々は、必要と思われる作業と想定されるリスクを確認しながら、意見を交わした。

特殊清掃、消臭消毒、家財撤去、内装工事etc・・・
通常、この一連の作業は、幾日もの日数をかけて行われる。
とりわけ、消臭には長期間を要する。
もちろん、異臭の程度にもよるのだが、長期間を要することが多い。
しかし、ここでは、そんな悠長なことは言っておれず。
周囲には、既に、風評が立ち始めており、退去を示唆する住民もではじめていた。
それを防ぐためにも、一刻も早く、故人の跡・・・死の痕のみならず、生の跡もすべて消す必要があった。
死の痕だけでなく生の跡まで滅失させることは、一人の人間・一つの命を完全否定することと同じことのような気がして、私は、ちょっとした寂しさを感じた。
が、中途半端な対応が原因で、残された人間に死活問題がふりかかることもある。
結局、特掃の後は簡易消臭をし、できるだけ早い段階で内装建築を全面解体することに。
部屋を完全に空にすることによって、住民の心的被害と高級マンションとしてのステータス性の下落を最小限に食い止める算段をしたのだった。

一通りの打ち合わせを済ませたところで、とりあえず、現場の部屋を見ることに。
目的の部屋は上階だったが、他の住民に配慮し、エレベーターではなく階段を使用して向かった。
目的の階に到着すると、我々は階段の踊り場で一時停止。
担当者は、
「ここから先は一人で行ってもらえますか?」
と、部屋の鍵を私に差し出した。
そして、更に、
「中に入ったら、玄関ドアはすぐに閉めて下さい!」
と、少し語気を強めた。
大の男が複数でウロウロすると目立ってしまうからか、単に、部屋に入りたくないからか、その理由はわからなかったが、私に断る理由はないので、素直に鍵を受け取り、一人で廊下を進んだ。
そして、高級な雰囲気に圧されるように、そそくさと開錠し、ドアの向こうに身体を滑り込ませた。

室内は、真っ暗で、見えるのは暗闇のみ。
鼻を突く特有の異臭だけが、部屋の状況を教えてくれた。
暗闇を不気味に感じた私は、小さく光る電灯のスイッチに手を伸ばした。
そして、それをON。
すると、天井にあるスポットライトが点灯。
真の前の床に広がる、黒にも見えるワインレッドの粘液を照らし出した。
床を這うように四方に広がるそれが故人の痕であることは一目瞭然。
汚染痕の傍らにある洋室のドアは、蝶番が破損し、不自然に傾斜。
多分、故人は、ドアに紐状のものを引っ掛け、自分の全体重を掛けたものと思われた。
それに気づいた私は少し動揺。
死因に問題を覚えたのではなく、作業後の身労と心労がリアルに想像できたからだった。

一通りの検分を終えた私は、管理人室に戻り状況を報告。
異臭のレベルや汚染の具合等々、できるだけ細かく説明。
死因について触れようかと思ったが、担当者は、「余計なことは訊くな」といった雰囲気を漂わせていたため断念。
どうも、部外者には、故人の死因を知られたくないようで、担当者のその様子は、死因についての私の疑心を確信に変えた。
だから、私は、故人の死因はもちろん、性別や年齢等も一切訊ねず。
具体的な対策案を示し、それについての要望や指示だけを聞いて、特掃の準備に取り掛かった。

時刻は、もう夜になっていた。
室内は普通に電灯が使えたので視界に不自由はなかったし、慣れた仕事に心細さもなかった。
ただ、私の気分をブルーにさせるものがあった。
それは、周囲の壁は張り巡らされた鏡。
内装としては高級感のある造りなのだが、余計な視界を与えるその鏡は、私には邪魔な存在だった。

鏡には、床面の腐敗液はもちろん、それを除去する自分の姿が映った。
スポットライトに照らし出される自分の姿は、何かのショーをやっている者のよう。
もちろん、見物客などはいないけど、鏡の中の自分が見世物のように見え、しかも、その姿があまりにも貧相なものだから、その様が、私の気分をブルーにさせた。

また、鏡に故人の姿が映ることも頭を過ぎった。
俗に「霊」と言われる類のものだ。
こんな仕事をやっているクセに、私は、この類のモノが大の苦手。
だから、頭を空にして作業に集中するように努めた。
しかし、鏡はあまりに大きく多面にわたり、視界から除くことはできず。
一人きりの夜にあって、考えないように努めても、見知らぬ故人の姿が次から次へと頭を過ぎった。
しばらく格闘して後、私は、自分の中のその対立が自分の基本スタンスを揺るがし、余計な心労が生まれていることに気づいた。
そこで、私は、考えないことを諦め、考えないことをやめることに。
自然に任せ、少し前までそこに生きていた故人に思いを巡らせた。

私と故人とは、生前の縁もなければ、死後に敵対する因縁もない。
自殺者に対する差別意識も、もともと持っていない。
よく考えると、故人を怖れる理由も嫌悪する理由もないことがわかった。
そうすると、ザワザワと騒々しかった恐怖感と嫌悪感は鳴りを潜めた。
そのうちに、死人も死痕も関係なくなり、一般の家で、ただのルームクリーニングをやっているような感覚になっていった。

作業が終わった頃、外は、とっくに夜闇に包まれていた。
私は、周囲に人がいないことを確認してから車の傍らにしゃがみ込み、満天の星空を仰いだ。
頭を空にしてボンヤリと・・・
私の身体は汗と脂にまみれ、作業服もヨレヨレで誰もが気持ち悪がる粘液と悪臭も付着。
とても陽のあたる場所にいてはいけない姿だった。
しかし、人気のない夜闇には、そんな男を否定するものは何もなく・・・
ただ、ボロボロの身体とクタクタの精神から、心が解き放たれたような爽快感だけがあったのだった。



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