陽春の候、一年半近くかかった工事も終わり、 桜花より先に“ガードマンF氏”の姿はなくなった。
(※昨年12月7日「万歳!」 本年3月3日「努め人」参照)
私にとってF氏は、まったくのアカの他人。
日課のウォーキング中、ほんの数分の立ち話をするだけの関係。
だけど、雑談を重ねるうちに、何かが情を厚くしていった。
F氏が親と同年代だからか・・・
自分と同じく、ハードな肉体労働者だからか・・・
自分と同じく、社会の底辺に生きているからか・・・
後悔多そうな過去が自分と重なったからか・・・
生きることに苦しむ姿が自分と重なったからか・・・
・・・どことなく自分を見ているようで、自分の将来を見ているようで、とにかく、アカの他人のようには思えなくなっていた。
最後の日の三週間余前のこと、
「ここの仕事もそろそろ終わりだね・・・」
照れ臭そうに私に伝えたF氏。
「そうですよね・・・さびしくなるなぁ・・・」
その日が近いことはわかっていたものの、あらためて言われて、ややしんみりした私。
「おかげで楽しく仕事ができたよ」
F氏はそう言って笑った。
「こちらこそ!」
私も、そう言って笑顔を返した。
最初に声をかけてきたのはF氏のほうだった。
人見知りで会話を盛り上げるのが苦手な私は、他人と関わることが得意ではない。
だけど、自覚のないところに“人を恋しがる自分”がいるのか、人から声を掛けられると、結構 愛想よく応えるのが常。
仕事以外でも、知らない人と言葉を交わすことが少なくない。
このときも、立ち止まって二・三の言葉を交わした。
F氏の主な担当業務は、工事用車両が出入りする際の誘導と歩行者の警護。
ただ、車両は頻繁に出入りするわけではなければ、歩行者も多いわけではない。
八時半の朝礼の後、九時~五時の勤務時間の中では、ただ立って歩行者を見守ったり、付近を見回ったりする時間のほうが圧倒的に長かった。
だから、呑気に立ち話をしていても、F氏の仕事に支障をきたすことはなかった。
「暖かい」「暑い」「涼しい」「寒い」
「晴れそう」「曇りそう」「降りそう」
等と、始めのうちは、ほとんど季節や空模様の話ばかり。
興味はあったけど、そう親しいわけでもないから、プライベートなことを訊くのははばかられた。
しかし、顔なじみを相手にいつまでも季節や天気の話ばかりしているのは何とも不自然。
嫌がられる心配はあったけど、とりあえず歳を訊いてみた。
すると、F氏は、気分を害した様子もなく、年齢を即答。
また、それだけではなく、その他のプライベートな話もし始めた。
そして、以降、我々の話題は多岐に渡っていった。
前にも書いたとおり、歳は七十六。
身体は小さく、もっと若く見えた。
西日本の とある街の出身。
東京にでてきて商売をしたけど、うまくいかず。
それで東京の商売をたたみ、地元に近い街で再チャレンジ。
しかし、悲運なことに、これも失敗。
妻とは離婚となり、二人の息子とも離ればなれになってしまった。
そして、再び、単身で上京。
以来、孤独な生活を続けていた。
唯一の家族は犬。
離れた息子二人の名前の頭文字をとり命名した愛犬(トイプードル)と二人(一人と一匹)で生活していた。
犬は八歳で、可愛い盛り。
かなり可愛がっているようで、犬の話になると満面の笑みを浮かべた。
身体は健康そうに見えたが、大腸癌の疑いがあるそうで、精密検査を予定していた。
しかし、酒も飲みタバコも吸う。
人生の先は見えているため、控えるつもりは毛頭ないよう。
年金だけで悠々自適な暮らしが成り立てばいいのだけど、それが叶わないため警備の仕事に従事。
夏は酷暑に、冬は厳寒にさらされる仕事で、老いた身体にはかなり堪えるようだった。
「いつ死んだっていいんだ・・・」
「早く死にたいよ・・・」
口癖のように、そう言っていた。
口では冗談っぽく言いながらも、目はその本心を表しており、F氏が生きることに疲れているのは確かなようだった。
ただ、そう言われても、気の効いた言葉が思いつかない私。
その都度、切ない寂しさを覚えたけど、思いつく言葉は決まっており、
「そんなこと言ったって、まだワンちゃんがいるじゃないですか・・・」
「八歳だから、まだ平均寿命の半分くらいでしょ?」
と返し、あとは苦笑いするばかりだった。
苦労や苦悩の多い生活なのだろう。
過去に後悔もあり、先々に不安もあるのだろう。
仕事が楽じゃないのもわかる。
年金だけじゃ満足のいく暮らしができないのも知っている。
明るい人柄で自殺を図りそうな暗さはなかったけど、気にかかるものはあった。
最初は、工事現場のガードマンとただの通行人。
一時的とはいえ、それが、ちょっとした友達みたいになった。
そして、時間と共に別れのときもやってきた。
嬉しいような寂しいような・・・人の縁、出会いと別れなんてそんなものかもしれない。
だからこそ、大切にしなければならないのかもしれない。
F氏がいなくなるのを前に、私は、F氏が愛飲している芋焼酎を一升と、同じ銘柄で一つ上のランクのものを一升買った。
あと、小型犬用のドッグフードも。
そして、最後の日に会えるとはかぎらないので、その何日か前、いつもは何も持たない手にそれを持ち、私はいつものコースに歩きにでた。
F氏はいつもと同じ場所に立っていた。
そして、いつも通り、私の姿を見つけると、いつもと変わらないWelcome modeの敬礼で迎えてくれた。
そして、いつもと違う雰囲気を感じたのか、
「どうかしたの?」
と、声を掛けてきた。
「これ・・・焼酎・・・あと、ワンちゃんのおやつ・・・餞別です・・・どうぞ・・・」
私は、そう言って、それを入れた紙袋を渡した。
「え!?・・・こんなことしてもらって・・・ホント、悪いねえ・・・ありがとうございます!」
F氏は、驚きとともに恐縮しきり。
普段、私に対して敬語なんか使わないのに“ありがとうございます”なんてよそよそしい言葉を使って礼を言ってくれた。
「もしかのときには、犬は僕が預りますから・・・」
「縁起でもないこと言って申し訳ないですけど・・・例えば、入院とか・・・もちろん、そんなことにならない方がいいですけど・・・」
私は、スマホに納まる亡チビ犬の写真をF氏にみせ、そして、その想い出を話しながら連絡先のメモを渡した。
するとF氏は笑顔を浮かべ、
「そうか・・・じゃ、その時は遠慮なく連絡させてもらうよ・・・」
と、大事そうに そのメモを懐にしまった。
そして、
「これからも身体を大切に・・・どうぞお元気で・・・」
と、何とも言えない寂しさを引きずりながら その場を立ち去さろうとする私を、
「まだ何日か残ってるし、先々、追加工事もあるみたいだから、またここに来ることがあるかもよ・・・またね・・・」
と、F氏は、寂しさと照れ臭さを紛らわすように明るく手を振って見送ってくれた。
せっかく生まれてきたのに、“早く死にたい・・・”は寂しい。
せっかく生かされているのに“早く死にたい・・・”は悲しい。
私にも覚えがあるけど、自分のことを気にかけてくれる人がいたり、自分を必要としてくれる人がいたりすることは、気持ちに張りがでて嬉しいもの。
私は、F氏に、
「生きててよかった!」
「生きてりゃいいことある!」
とまではいかないにしても、
「ありがたいな・・・」
「嬉しいな・・・」
と、ささやかでも生きていることの喜びを味わってほしかった。
そして、これは、F氏だけのことではなく、私自身にも言えることだけど、“早く死にたい・・・”と思いながら生きるのではなく、生かされていることを喜びながら生きていってほしいと思った。
ブログにしつこいくらい書いてきているように、私だって、生きていることに疲れること、これから生きなけらばならないことに疲れることがよくある。
朝っぱらからクタクタだったりすることもしばしば。
それでも、とにかく身体は起こす。
以前の私は、この精神疲労と肉体疲労を混同して、とにかくグータラしていた。
昼間の眠気にもよく襲われていたため、“少しでも長く布団に入っていよう”と、仕事以外では病人のような生活を送っていた。
しかし、いくら身体を休めても心の疲れはとれない。
それどころか、倦怠感が増長される一方、鬱憤がたまる一方。
それに気づいた私は、精神疲労と肉体疲労をできるかぎり区別することに。
「疲れたら休む」から「疲れをとるために動く」という発想に切り替え、なくならない疲労感は無視して、仕事でもプライベートでも、とにかく身体を動かすことを心掛けている。
また、昼間の睡魔は改善していないけど、それでも寝坊はしない。
必要がなくても朝は早く起き、必要がなくても早く出社する。
現場にも率先して走り、率先して汗をかく。
時間があればウォーキングに出かけ、家でも立ったままTVを観ることもある。
明らかな肉体疲労なら休んだほうがいいけど、そうでないなら動いた方がいい。
仕事でも趣味でも遊びでも、自分を疲れさせる場所とは違う場所で身体を動かした方がいいと思う。
そして、いつの間にか、それについて心も動いてくるようになり、その凝りがほぐれてくるようになるのではないかと思う。
もちろん、それですべてが解決するとは思っていないし、解決しているわけでもない。
だけど、欝々とした気分でジッとしているより随分マシだと思うし、その実感もある。
F氏だってそうかもしれない。
七十代も後半になれば楽隠居もしたいだろうけど、働いて稼ぐことで車も持てるし、タバコも吸えるし、酒肴を楽しむことや可愛い犬を飼うこともできるわけで、ギリギリに切り詰めた年金生活より、多少の労苦がともなっても、経済的に余裕のある生活をしたほうが楽しいと思う。
あと、仕事というものは金銭以外にも恩恵を与えてくれるもので、仕事で身体を使うことで守られる健康があるかもしれない。
また、社会参加することで老いが跳ね返され、自分らしい自分が維持できるのかもしれない。
労働というものは、単に“キツい!!”“ツラい!”というだけのものでなく、体力や精神力の維持増進に大いに役立つものだと思う。
もちろん、F氏が、そういうことを考えていたかどうかわからない。
ただ、外見は、老いた身体に くたびれた作業着姿だったけど、その内からは、苦悩に向かう“人間の美”が滲み出ており、それが、私の日々の疲れを癒してくれていたのかもしれず、また、そのため、私は、誘われるようにF氏のもとへ歩いて行っていたのかもしれなかった。
余命にかぎりがあるのは、高齢のF氏ばかりではない。
私もそう、誰だってそう。
だから、この先、F氏と再び顔を会わせることがあるかどうかわからない。
ただ、これからしばらくの間は、ウォーキングに出る度にF氏のことを思い出すだろう。
そして、
「元気でいるかな・・・元気にやっててほしいな・・・」
と、いつもの空を見上げては、そう願うのだろうと思うのである。
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