特殊清掃「戦う男たち」

自殺・孤独死・事故死・殺人・焼死・溺死・ 飛び込み・・・遺体処置から特殊清掃・撤去・遺品処理・整理まで施行する男たち

他人事?

2018-05-07 07:52:35 | その他
楽しかったGWも終わり、今日から仕事再開の人も多いだろう。
笑顔の想い出と引き換えに、多くのお金と体力を失った人も。
長い連休に縁のない私には他人事だけど、憂鬱な週明けに気分を落ち込ませている人も少なくないかも。
また、残念なことに、事故やトラブルに巻き込まれた人もいただろう。
実際、高速道路を走っていて、追突事故の現場に遭遇したことが何度かあった。
ちょっとした不注意で せっかくのレジャーが台なしになるわけで、悔やんでも悔やみきれない。
しかも、ついてないのは当事者だけじゃなく、事故渋滞に巻き込まれて迷惑を被る人も無数にいるわけで、その辺一帯 大災難に見舞われてしまうのである。
かくいう私も、GW中の先日、車を運転中、事故を起こしてしまった。
しかも、それは、よりによって人身事故だった。

何体もの事故遺体から事故の恐ろしさ教えられてきた私は、日頃から、慎重な運転を心がけている。
車の運転歴は30年近くあり、また、年間の運転距離も50,000~60,000kmと決して少なくない私だけど、人身事故を起こしたのは まったく初めて。
運転中の携帯電話、駐車違反、標識の見落としによる違反など細かな違反はたくさんあるし、電柱に触れたり塀に擦ったり等の小さな物損はいくらかあるけど、それでも、これまで人を相手に事故を起こしたことはなかった。
が、今回、とうとう人とぶつかってしまったのである。

その日、現地調査のため朝一で現場に向かっていた私。
場所は、細い道や路地が幾重にも交錯する混み入った住宅密集地。
目的のアパートが近くなり、私は一方通行の細い道を制限速度を守って徐行していた。
そこへ、左の路地から女性の乗った自転車が急に飛び出してきた。
その角には建物があり、互いに死角にいた。
私は、すぐさまブレーキを踏んだが間に合わず・・・また、女性の自転車も止まれず。
結果、私の車の左前角と女性の自転車が衝突。
異常な衝突音と「キャーッ!」という女性の悲鳴の後、一瞬のうちにフロントガラスの視界から女性と自転車は消えた。

「やっちゃった!!」
一瞬、心臓が凍ったような感覚。
しかし、こんなときこそ慌てるのは禁物。
「慌てるな! 落ち着け!」
私は、まず 自分にそう言い聞かせた。
そして、ただちにエンジンを止め 急いで車を降りた。

自転車は車の左前に倒れ、カゴの荷物も飛び出ていた。
そして、女性はアスファルトの路面に尻餅をついていた。
「大丈夫ですか?」
私は、すぐさま女性に近づき、起き上がろうとする女性に手を貸した。
そして、ケガがないどうか女性の身体を伺い、壊れていないかどうか自転車を見回した。
幸い、女性にケガらしいケガはなさそう。
自転車も通常の形状を保っていた。
119番が急務のように思えなかったため、私は、
「すぐに警察に連絡しますから!」
と、ポケットからスマホを取り出した。

すると、女性は、
「いいです!いいです!」
と言いながら、膝の尻の砂汚れをパンパンとはらった。
それから、
「大丈夫ですから!大丈夫ですから!」
と言いながら倒れた自転車を起こし、飛び出した荷物をテキパキとカゴに集めた。
そして、何事もなかったかのように、そのまま立ち去ろうとした。

女性の無傷な振る舞いに安堵しながらも、私は、ひき逃げしたみたいになるのも、後々になってトラブルが起こることも避けたかった。
だから、立ち去ろうとする女性を制止し、
「そういうわけにはいきませんから・・・警察を呼びましょう!」
と訴えた。
それでも女性は
「急いでますから!ケガもありませんし!大丈夫です!」
と頑なに拒否。
「でも・・・」
と困惑する私を尻目に、そそくさと自転車にまたがった。

不可抗力的な事情があっても、車対人だと、車の方に重い過失責任が負わされるのが常。
警察沙汰になって困るのは、女性ではなく どちらかというと私の方。
で、“Risk & Merit”逆転の理屈を無理強いすることが躊躇われた私は、
「本当に大丈夫ですか!?」
と念を押し、
「せめて連絡先だけでも・・・」
と、互いの氏名と連絡先を交換することを促した。
が、女性はそれも拒否。
「本当に大丈夫ですから!」
と一方的に言ったかと思うと、逃げるように走り去っていった。

一人取り残された私は、やや唖然。
私は、法定速度以下で徐行していたわけで・・・
女性は死角から急に飛び出してきたわけで・・・
いわば、不可抗力・・・
しかも、「警察を呼ばなくていい」と言ったのは女性の方で・・・
何か、警察を呼ばれて困るような事情があったのか?・・・
盗難自転車? 飲酒運転? 薬物使用? 指名手配犯?
釈然としない思いが沸々とわいてはきたけど、とりあえず、双方ケガなく、車も自転車も壊れなかったことで“ヨシ”とすることに。
そして、それから、“Lucky or Unlucky”よくわからない出来事を引きずりながら、目的の現場に向かったのだった(その直後、モヤモヤした気持ちは 衝撃のトイレがスッ飛ばしてくれた)。

常日頃から安全運転を心がけている私。
“過信はない”と思いつつも、人身事故を どこか他人事のように思っていた。
もちろん、「事故に遭ってよかった」とまでは思わないけど、でも、今回の事故は、私にとって貴重な体験となった。
それは リアルな教訓となって、これからの安全運転を支えてくれるのだろうと思う。



前々回のブログに書いた「末期癌の身内」。
医師の見立て通り、病状は あれから悪化の一途をたどり、結局、四月の初旬に死去。
満開の桜が散り始めた頃のことだった。
幸い、今年の桜は例年に比べてはやかった。
だから、車椅子を押されて、病院に敷地に咲いた桜を見ることができた。
癌が進行しつつあった昨年は、桜を見て、
「今年も何とか桜が見れたな・・・」
と喜んでいた。
ただ、今年は、身体がよほど辛かったのだろう、桜をバックに撮った写真に笑顔はなかった。

最期の三週間はホスピスに入院。
痛みが激しいときはモルヒネを使った。
また、苦しさが増したときは、
「もういい・・・もういい・・・(もう死んでもいい)」
と、弱音を吐いた。
もともと明るくポジティブな性格だったからこそ、その分、家族にとって その苦しみ様は辛く悲しいものだった。

私が見舞ったのは、亡くなる前日と前々日。
前々日、ガッシリだった体格もガリガリに痩せ、瞼を開けているのも辛そう。
ただ横になって、息をするだけのことがやっと といった感じだったが、何とか意識はあった。
ベッドサイドで声をかけると、がんばって眼を開け反応。
言葉を発することはできなかったけど、がんばって応答してくれようとしていることが伝わってきた。
亡くなる前日には もう意識はなくなり、穏やかに眠ったような状態で、いつ止まってもおかしくないような間隔の長い息をしていた。
そして、その翌日の早朝、息を引き取った。
仕事を休めなかった私は、結局、最期を看取ることはできなかった。

通夜には行くことができた。
しかし、以前から約束していた仕事があり、葬儀には行けなかった。
死を悲しみ悼む気持ちは、喪服を着なくても、葬儀に参列しなくても抱くことはできる。
依頼者に事情を話せば作業予定の変更を了承してくれたはずだけど、私は そうしなかった。
他の親族に「不義理なヤツ」と思われても、依頼者に対して不義理なことをしたくなかった。
また、生きることに前向きでありたいという私なりの信義が、死者の弔いを優先させることを後向きなことのように思わせたせいもあった。

私は、仕事を通じて、多くの人の死を知っている。
多くの死のかたちを見ている。
多くの死から日常にはないものを感じている。
そして、随分と昔から、私は、いつか自分も死ぬときがきて、この世からいなくなることを知っている。
しかし、夢のような、遠いことのような、ついつい他人事のような感覚で捉えてしまう。

常日頃から死を想っている私。
悟ったつもりはないながらも、死というものを どこか他人事のように思ってしまう。
だからこそ、身近な人の死は、私にとって貴重な体験となり、リアルな教訓を与えてくれている。
そして、“儚い人生、幸せに・楽しく・快適に生きていきたい”という想いを強くさせている。

でも、そうはいかない現実が多々ある。
自分の力ではどうにもできない社会があり、環境がある。
しかし、自分一人の力でできることもある。
満たされない現実や駄欲が尽きない現実に対して、自分ができることもある。
それは、目を向ける方向を変えること。
心を傾ける方向を変えること。
満たされないのは、“何かが足りない”からだけではない。
過去、自分がどれだけ恵まれてきたか、どれだけ与えられてきたか、どれだけ守られてきたか。
そして、今、自分がどれだけ恵まれているか、どれだけ与えられているか、どれだけ守られているか、そっちの方へ目を向けてみる。
すると、自ずと心は感謝と喜びの方へ傾き、満たされていく。

「今に満足するため 向上心を捨てろ」「諦めろ」「我慢しろ」「妥協しろ」等と言っているのではない。
また、自己洗脳や自己満足を自分に強要することを勧めているのでもない。
それとこれとは別のこと。
人生には、いいこともあるし悪いこともある。
ただ、そのどちらに目を向けるかによって、その幸福度や楽しさは大きく変わってくる。
そのことを言いたいだけ。

以上、今回も、自分の事は棚に上げて 他人事みたいな“きれいごと”を吐いてみたけど、読んだ以上は他人事にしないで、愛すべき自分の人生に適用してもらえたら幸いである。



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