三寒四温って今の時季をいうのだろうか、寒暖の中に春が感じられるようになってきた。
春になったからって別に何があるわけでもないのだが、この季節には何となく気持ちが和まされる。
あと、ひと月もすれば桜が咲く・・・。
宴会の予定はないけど、街のあちこちに映る桜色が、この冷えた気持ちを温めてくれるのだろう。
そんなこの季節も、いいことばかりではない。
花粉症の人にとっては、つらいものがあると思う。
身近なところにも、クシャミ鼻水に悩まされ、涙目を赤く腫らしている人がいる。
また、鼻をつまらせて、会話をするにも苦しそうにしている人もいる。
見ていると、つらそうだ。
幸い、私は花粉症ではないけど、風邪などからくる鼻づまりは何度となく経験している。
鼻孔がふさがれると、当然、呼吸が苦しくなる。
そのうち気分がイラついてきて、鼻の穴に棒を突き刺したくなるような衝動にかられる。
また、鼻が利かないと、食べ物の味も落ちる・・・というか、味を感じなくなる。
「香りも味のうち」と言われる由縁を痛感する。
そうは言っても、すべての食べ物がいい匂いであるとは限らない。
食べ物のニオイって微妙なもので、生モノや発酵系食品には、「いい香り」とは言えないものが少なくない。
私の場合は、食べ物に腐乱死体臭を感じてしまうことがある。
一種の職業病か?・・・
以前、腐乱死体臭に酷似したニオイのするチーズに困惑した経験を書いたことがあるけど、似たようなことは日常に起こる。
つい最近も、サラダのドレッシングにそれを感じてしまい、困ってしまったことがあった。
街中にいて腐乱臭に近い異臭を感じることもたまにはあるけど、ケースとして多いのは、やはり食事中。
“腐る”という共通要素があるからかどうかわからないけど、そのニオイのほとんどは食べ物に起因する。
そんな時、食事の箸は自然と止まる。
そして、「今、俺が口に入れているものは、本当にfoodか?」と、食器にあるものをマジマジと見つめ、それが間違いなくfoodであることを確認する。
同時に、脳裏に浮かんでくる現場の光景と鼻が覚えた先入観を強制消去する。
それから、悪夢から目醒めたときのような気分をともないながら、食事を再開するのである。
晩夏のある日、特掃の依頼が入った。
依頼者は、アパートの大家を名乗る年配の女性。
「死後二ヶ月」「ヒドイ悪臭」「中に入れない」
私は、女性が話す断片的な情報をつなぎ合わせて、頭の中に一つの光景を作り上げた。
そして、極上のウ○コ男ができあがることに頭を悩ませつつ、現場に向かって車を出した。
現場は、大家宅から歩いて行けるところに建つアパート。
軽量鉄骨造りの二階建。
間取りは2DK。
整理整頓された一室には座り心地のよさそうなローソファーのセット、大型TVと本格的なステレオのセットがあった。
もう一室には、セミダブルのベッド、洋酒や本が並べられた棚など。
それらは、私に、故人の悠々自適な暮らしぶりを想像させた。
部屋は、全体的にきれいにされており、余計なところを見なければ“正常”。
しかし、“異常”を視界から除くことはできず。
ハイレベルの悪臭が充満していたのはもちろんのこと、床には無数のウジ殻(ハエの蛹殻)、窓際には無数のハエの死骸、壁と窓に無数の黒点(ハエの糞)・・・
更には、ソファーに付着した黒い汚れ。
コーヒーか何かをこぼした跡のようにも見えたが、そうではないことはすぐに判明。
それは血・・・故人が吐血した痕のようだった。
目を引いたのは、ベッドの敷布団に浮かび上がっていた暗黒色の人型。
そう・・・故人は、ベッドに横になった状態で息絶え、そして、ベッド下の床に垂れるまでに朽ちたのだった。
亡くなったのは40代の男性。
死因は、自然死(病死)。
推定・死後二ヵ月・・・
それは、血肉が腐り溶けるには充分の時間・・・
二ヶ月もの間、誰にも気づかれなかった原因を見つけることはできなかったが、現実に二ヶ月ほどの時間が経っていることは私の目にも明らかだった。
発見したのは、本件の依頼者である大家女性。
故人の部屋に異常を感じた他住人が、大家に知らせたのがきっかけだった。
女性は、玄関ドアを開ける前から悪い予感を持っていた。
しかし、放っておくわけにもいかずに開錠。
そして、開けたドアの向こうから噴出した凄まじい悪臭に腹と精神をえぐられたのだった。
特殊清掃・家財生活用品撤去・旧内装の剥離撤去・消臭消毒・・・
任せられた作業は、障害らしい障害もなくセオリー通りに進んだ。
床フローリングを剥がし、天井壁クロスを剥がしてもなお異臭は残留したが、それも一ヵ月程度の消臭作業でなくなった。
そして、あとは内装の新装復旧工事を残すのみとなった。
ただ、新装復旧工事前の臭気判定は慎重を要するもの。
臭覚は人によってまちまちで、好みも違えばその感度も異なる。
したがって、臭気判定を単独で行うのはタブーであり、急いてはいけないのだ。
私は、会社の仲間、遺族、管理を受託している不動産会社、それぞれ立場の違う人達に臭気確認を依頼。
判断の公正さを担保するため、複数の客観的意見を収拾した。
結果、臭気確認を依頼した人すべてが、「異臭は感知せず」「問題ない」と回答。
それに確信を得た私は、後日、大家女性とアパートで待ち合わせる約束を交わした。
当日、女性は、暗い面持ちでやってきた。
やはり、部屋に入るのは気がすすまない様子。
私は、大家女性による臭気確認は業務上必要なプロセスであることを伝え、同時に詫びながら玄関を開けた。
玄関に足を踏み入れた女性は、すぐさま「まだ少し臭いますね・・・」とポツリ・・・
返事に困る私に向かって、「気のせいじゃなく、本当に感じるんです・・・」と言葉を続けた。
人間の感覚は、他人が否定できるものではない。
女性が「臭う」と言うものを「そんなはずない!」と否定することはできない。
ただ、私は、大家女性には腐乱死体臭ショックで刻まれた先入観があることを察知。
他に策がなかったわけはなかったが、“精神的な臭い”をとるには時間がかかることは承知していたため、“消臭作業をやり直し”を名目にしてしばらく様子をみることにした。
大家女性が消臭完了を了承したのは、それから約二ヶ月後のこと。
中途半端な状態で部屋を空けておくことで出はじめた悪影響に対処するため、不動産会社が大家女性を説得した様子。
女性は、「まだ臭うような気がするけど、気のせいかもしれない・・・自分でもよくわからない」と困惑しつつ消臭作業の完了を了承。
その口調は重く、“精神的なニオイ”が完全に消えていないのは明らかで、私には、そんな女性が気の毒に思えたのだった。
先入観というヤツは、巧みに実体のフリをする。
知恵のない人間(私)は、それにコロリとやられてしまう。
結果、先入観と実体とを混同して心に植え込んでしまう。
そして、その先入観は、人の思考から自由を奪い、その行動を縛りつけてしまう。
苦悩が尽きないのは、現実の問題があるからだろう。
しかし、その“現実の問題”は、100%実体のあるものだろうか。
そこには、少なからずの・・・いや、多くの先入観が混ざっているのではないだろうか。
いつまで経っても悪い予感が消えないのは、マイナスの先入観が自分の心に根を張っているせいではないか・・・
明るい未来が描けないのも、そのせいではないか・・・
抱えている心配事のほとんどは、実体のない先入観がつくり上げた風船怪物なのではないか・・・
今また、つまらない先入観を捨てられないで不自由している自分にそんな疑問を投げかけている私である。
公開コメント版はこちら
春になったからって別に何があるわけでもないのだが、この季節には何となく気持ちが和まされる。
あと、ひと月もすれば桜が咲く・・・。
宴会の予定はないけど、街のあちこちに映る桜色が、この冷えた気持ちを温めてくれるのだろう。
そんなこの季節も、いいことばかりではない。
花粉症の人にとっては、つらいものがあると思う。
身近なところにも、クシャミ鼻水に悩まされ、涙目を赤く腫らしている人がいる。
また、鼻をつまらせて、会話をするにも苦しそうにしている人もいる。
見ていると、つらそうだ。
幸い、私は花粉症ではないけど、風邪などからくる鼻づまりは何度となく経験している。
鼻孔がふさがれると、当然、呼吸が苦しくなる。
そのうち気分がイラついてきて、鼻の穴に棒を突き刺したくなるような衝動にかられる。
また、鼻が利かないと、食べ物の味も落ちる・・・というか、味を感じなくなる。
「香りも味のうち」と言われる由縁を痛感する。
そうは言っても、すべての食べ物がいい匂いであるとは限らない。
食べ物のニオイって微妙なもので、生モノや発酵系食品には、「いい香り」とは言えないものが少なくない。
私の場合は、食べ物に腐乱死体臭を感じてしまうことがある。
一種の職業病か?・・・
以前、腐乱死体臭に酷似したニオイのするチーズに困惑した経験を書いたことがあるけど、似たようなことは日常に起こる。
つい最近も、サラダのドレッシングにそれを感じてしまい、困ってしまったことがあった。
街中にいて腐乱臭に近い異臭を感じることもたまにはあるけど、ケースとして多いのは、やはり食事中。
“腐る”という共通要素があるからかどうかわからないけど、そのニオイのほとんどは食べ物に起因する。
そんな時、食事の箸は自然と止まる。
そして、「今、俺が口に入れているものは、本当にfoodか?」と、食器にあるものをマジマジと見つめ、それが間違いなくfoodであることを確認する。
同時に、脳裏に浮かんでくる現場の光景と鼻が覚えた先入観を強制消去する。
それから、悪夢から目醒めたときのような気分をともないながら、食事を再開するのである。
晩夏のある日、特掃の依頼が入った。
依頼者は、アパートの大家を名乗る年配の女性。
「死後二ヶ月」「ヒドイ悪臭」「中に入れない」
私は、女性が話す断片的な情報をつなぎ合わせて、頭の中に一つの光景を作り上げた。
そして、極上のウ○コ男ができあがることに頭を悩ませつつ、現場に向かって車を出した。
現場は、大家宅から歩いて行けるところに建つアパート。
軽量鉄骨造りの二階建。
間取りは2DK。
整理整頓された一室には座り心地のよさそうなローソファーのセット、大型TVと本格的なステレオのセットがあった。
もう一室には、セミダブルのベッド、洋酒や本が並べられた棚など。
それらは、私に、故人の悠々自適な暮らしぶりを想像させた。
部屋は、全体的にきれいにされており、余計なところを見なければ“正常”。
しかし、“異常”を視界から除くことはできず。
ハイレベルの悪臭が充満していたのはもちろんのこと、床には無数のウジ殻(ハエの蛹殻)、窓際には無数のハエの死骸、壁と窓に無数の黒点(ハエの糞)・・・
更には、ソファーに付着した黒い汚れ。
コーヒーか何かをこぼした跡のようにも見えたが、そうではないことはすぐに判明。
それは血・・・故人が吐血した痕のようだった。
目を引いたのは、ベッドの敷布団に浮かび上がっていた暗黒色の人型。
そう・・・故人は、ベッドに横になった状態で息絶え、そして、ベッド下の床に垂れるまでに朽ちたのだった。
亡くなったのは40代の男性。
死因は、自然死(病死)。
推定・死後二ヵ月・・・
それは、血肉が腐り溶けるには充分の時間・・・
二ヶ月もの間、誰にも気づかれなかった原因を見つけることはできなかったが、現実に二ヶ月ほどの時間が経っていることは私の目にも明らかだった。
発見したのは、本件の依頼者である大家女性。
故人の部屋に異常を感じた他住人が、大家に知らせたのがきっかけだった。
女性は、玄関ドアを開ける前から悪い予感を持っていた。
しかし、放っておくわけにもいかずに開錠。
そして、開けたドアの向こうから噴出した凄まじい悪臭に腹と精神をえぐられたのだった。
特殊清掃・家財生活用品撤去・旧内装の剥離撤去・消臭消毒・・・
任せられた作業は、障害らしい障害もなくセオリー通りに進んだ。
床フローリングを剥がし、天井壁クロスを剥がしてもなお異臭は残留したが、それも一ヵ月程度の消臭作業でなくなった。
そして、あとは内装の新装復旧工事を残すのみとなった。
ただ、新装復旧工事前の臭気判定は慎重を要するもの。
臭覚は人によってまちまちで、好みも違えばその感度も異なる。
したがって、臭気判定を単独で行うのはタブーであり、急いてはいけないのだ。
私は、会社の仲間、遺族、管理を受託している不動産会社、それぞれ立場の違う人達に臭気確認を依頼。
判断の公正さを担保するため、複数の客観的意見を収拾した。
結果、臭気確認を依頼した人すべてが、「異臭は感知せず」「問題ない」と回答。
それに確信を得た私は、後日、大家女性とアパートで待ち合わせる約束を交わした。
当日、女性は、暗い面持ちでやってきた。
やはり、部屋に入るのは気がすすまない様子。
私は、大家女性による臭気確認は業務上必要なプロセスであることを伝え、同時に詫びながら玄関を開けた。
玄関に足を踏み入れた女性は、すぐさま「まだ少し臭いますね・・・」とポツリ・・・
返事に困る私に向かって、「気のせいじゃなく、本当に感じるんです・・・」と言葉を続けた。
人間の感覚は、他人が否定できるものではない。
女性が「臭う」と言うものを「そんなはずない!」と否定することはできない。
ただ、私は、大家女性には腐乱死体臭ショックで刻まれた先入観があることを察知。
他に策がなかったわけはなかったが、“精神的な臭い”をとるには時間がかかることは承知していたため、“消臭作業をやり直し”を名目にしてしばらく様子をみることにした。
大家女性が消臭完了を了承したのは、それから約二ヶ月後のこと。
中途半端な状態で部屋を空けておくことで出はじめた悪影響に対処するため、不動産会社が大家女性を説得した様子。
女性は、「まだ臭うような気がするけど、気のせいかもしれない・・・自分でもよくわからない」と困惑しつつ消臭作業の完了を了承。
その口調は重く、“精神的なニオイ”が完全に消えていないのは明らかで、私には、そんな女性が気の毒に思えたのだった。
先入観というヤツは、巧みに実体のフリをする。
知恵のない人間(私)は、それにコロリとやられてしまう。
結果、先入観と実体とを混同して心に植え込んでしまう。
そして、その先入観は、人の思考から自由を奪い、その行動を縛りつけてしまう。
苦悩が尽きないのは、現実の問題があるからだろう。
しかし、その“現実の問題”は、100%実体のあるものだろうか。
そこには、少なからずの・・・いや、多くの先入観が混ざっているのではないだろうか。
いつまで経っても悪い予感が消えないのは、マイナスの先入観が自分の心に根を張っているせいではないか・・・
明るい未来が描けないのも、そのせいではないか・・・
抱えている心配事のほとんどは、実体のない先入観がつくり上げた風船怪物なのではないか・・・
今また、つまらない先入観を捨てられないで不自由している自分にそんな疑問を投げかけている私である。
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