特殊清掃「戦う男たち」

自殺・孤独死・事故死・殺人・焼死・溺死・ 飛び込み・・・遺体処置から特殊清掃・撤去・遺品処理・整理まで施行する男たち

笑顔の想い出  ~2011prologue~

2011-01-10 11:00:30 | Weblog
2011年1月10日(月)、新年が明けてから10日が経つ。
・・・遅ればせながら、「謹賀新年」(←今年はもう、死語になった?)。
昨秋から散々な状態ながら、昨年は、内面に自覚できるほどの変化があった。
今年は、それらが更に錬られ、“変化”から“変革”へと進化することを期待している。
とにもかくにも、この年が、それぞれにとって充実したものになるよう祈りたい。

私の仕事始めは1月2日。
仲間の協力があり、快晴の元旦は、久しぶりに休暇をとることができた。
大晦日の夜は、結構な夜更かしをしたのに、朝は、不眠症のお陰でいつもの時刻に覚醒。
それでも、「せっかくの休日」と自分に言いきかせ、ある程度の時間まで無理矢理に横になっていた。

そうは言っても、せっかくの正月休み。せっかくの快晴。
思い煩いに苛まれて一日中家に閉じこもっているのももったいない気がした。
しかし、出かける宛はなし。出かけたいところもなし。
考えても時間が過ぎるばかりで、なかなか行く先が思いつかず。
せいぜい頭に浮かぶのは、人の少なそうな海か山。
結局、私は、昨年の11月に欝状態で出かけたときと同じ海に出掛けることにした。

到着した浜辺の景色は、前回と変わらず。
頭上には、真っ青な空。
地上には、冷たい強風。
目の前には、荒波の太平洋。
体感温度はかなり低く、まばらな人影は、皆、厚い防寒着。
正月らしい服装の人はおらず、凧上げをする人とハイテンションの暴走族だけが、正月を感じさせた。

足元に目をやると、風に流された砂粒が吹雪のように流れていた。
ともない、自分が歩いた足跡も、すぐに消えていった。
それは、目の前の現実が消されているような光景・・・
人生の儚さを思い知らされるような光景・・・
何かが、私の頭と心を覆っている思い煩いを流し去ろうとしてくれているように感じられ、何か癒されるものがあった。


遺品処理の問い合わせが入った。
「自分が亡くなった後の始末を準備しておきたい」とのこと。
依頼主は、年配の女性。
現場は、自宅マンション。
この類の問い合わせは漠然とした依頼が多く、電話だけで済ませることがほとんど。
しかし、女性宅は当社から遠くなく、訪問日時も私の都合でいいとのことだったので、私は、「仕事にならなそうな仕事だけど、何か収穫があるかもしれない」と思い、とりあえず女性宅を訪問することにした。

出向いた現場は、築年数の浅そうなマンション。
1Fエントランスでインターフォンを押し、オートロックをくぐり抜けた。
玄関で出迎えてくれたのは、高齢の女性。
「お待ちしてました」と、大切な客でも迎えるかのように丁重な挨拶をしてくれた。
それから、私をリビングに通し、ソファーに座るよう促した。
女性との話が長くなることを予感した私は、部屋にある時計の位置を確認しながらソファーに着座。
女性も、お茶とお茶菓子を出してから、私の斜め向かいのソファーに腰掛けた。
そして、“何から話そうか・・・”と迷う素振りをみせてから、今回の依頼に至った経緯を話し始めた。

女性が、このマンションで暮らし始めたのは数年前。
独居となったことがきっかけだった。
もともと、女性一家は、同じ街の一戸建に生活。
夫と二人の息子と、四人の家族だった。
しかし、二人の息子は独立。
それぞれ家庭を持ち、違う街に移り住んだ。
その後、夫も他界し、その家の暮すのは女性一人となった。
そんな生活で、次第に女性は、家を持て余すように。
息子の提案と、老齢独居となる先々のことを勘案して、マンション生活を選択。
想い出のたくさん詰まった家を手放し、このマンションに移り住んだのだった。

新しく始めたマンション生活は、身体に優しく、思った以上に快適。
ただ、加齢にともなう身体の衰えは否めず。
足腰をはじめ、視力や聴力、記憶力などの衰えが如実に感じられるようになった。
また、大病を患うことはないにしても、近年は、病院にかかることも多くなった。
時間には逆らえないことを痛感するそんな年月の中で、女性は、自分の死を考えるように。
残された時間を悲観してのことではなく、現実のこととして自分の後始末を段取っておこうと思い立ったのだった。

女性は、自分の死をきちんと見つめていた。
日常の生活に追われてばかりで死を考える余裕がなく、死を嫌悪するばかりに真正面から考えようともせず、生きていることを当然に思い、死を自分のこととして捉えられない人が少なくないと思われるこの世の中で、死とその後のことを真剣に考えていた。
私は、その真剣な眼差しと毅然とした物腰から、女性の覚悟と見識の深さを見て取った。

察した通り、女性は、死後の始末について相応の知識と準備を整えていた。
家財生活用品や遺産の処分方法、葬儀の仕様、遺骨や墓地についてetc・・・専門業者ながら、女性に教えることはほとんどなかった。
しかし、欠けていることが一点。
イレギュラーな死・・・女性は、孤独死を想定しておらず。
私は、そこのところを指摘。
更に、発見が遅れた場合は、別の問題が発生してくることも伝えた。

女性は、孤独死や死後の肉体変容については考えたことがなく、単に、死んだ後は葬式をだして火葬することをもってすべてが完結すると思っていた。
しかし、私の説明を聞いて、目からウロコが落ちたよう。
私の話に驚き、また、大いに納得。
そこのところに気づかなかったことを悔しく思うと同時に、肝心なことに気づかなかった自分が不思議で仕方がないようで、感嘆の声をあげた。

女性は、私の説明によって “孤独死”はイメージできたようだったが、やはり、その後の“腐乱”まではイメージできない様子。
孤独死のことだけでなく、腐乱死体についてのことまでも詳しく訊いてきた。
私には、それが、好奇心からではなく“他人事ではない”との危機感からきているものであることは理解できた。
しかし、何をどこまで話すべきか、私は困惑。
何せ、“液体人間”の話は、やはりグロテスク過ぎる。
どこまでのことをどう話せばいいのか、悩んでしまうもの。
そうは言っても、漠然とした話にとどめたり、事実を歪曲させたりしては、女性の期待に応えられない。
私は、かなりグロテスクな話になることを前置きした上で、肉体が朽ちていく過程とそれが原因で発生する諸問題をストレートに話した。

腐乱死体の話を一通り終えると、女性は、私がこの仕事を始めた動機を訊ねてきた。
私にとっても、女性がそこに興味を覚えるのは不自然なことではなく、訊かれることに不快感はなかった。
ただ、それは業務に必要な話ではない。
しかも、女性とは初対面で、縁の薄い間柄。
無難な話に終始して、テキトーに受け流すこともできた。
しかし、重ねた年齢からくる懐の深さか、自分の死を身近に捉えている人の優しさか、女性から滲み出る人間性と他に誰もいない空間は、私から頑なな体裁を取り除いた。

結果、私は、仕事に関係ないことでも、訊かれたことには正直に答えることに。
話は、私がこの仕事を始めたきっかけに始まり、以降の労苦や、遭遇した出来事にまで及び・・・
そのうち、女性が訊きもしない核心的な心情や苦悩が加わり・・・
そんなことを話しているうちに、目に涙が滲み始め、時折、声が詰まりだし・・・
そして、生きていくことの辛さと生きていることの喜びを話そうとしたところで、とうとう、私の涙腺は決壊してしまった。

私の話を聞く女性は、真剣な面持ち。
時に眉を顰めたり、驚嘆の声を上げたりしながら、潤んだ眼差しで私を見つめていた。
そして、話が進むにつれ、女性の目からも涙がこぼれ始め・・・
話の内容にショックを受けたのか、私に同情してくれたのか、女性もまた泣きながら私の話を聞いてくれたのだった。


これは、一昨年の初夏の話。
あれから、一年半余が経つけど、今、女性がどうしているか知らない。
今も元気に暮らしておられるものと思うけど、亡くなるのを待っている感じがするので連絡は控えている。
どちらにしろ、女性が亡くなって後、その遺族から連絡が入る確証はなく、多分、再び顔を合わせることはないだろう。
そして、時の移ろいとともに、この記憶も薄らいでいくのかもしれない。
しかし、今はまだ、私と一緒に泣いてくれた優しい笑顔を想い出すことができる。
そして、それは、自分のためだけにしか泣けない私に、人のために泣ける人間になるチャンスを与えてくれているような気がするのである。




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