ことのはのはね~奈良町から

演劇、アート、短歌他、町家での出会いまで、日々を綴ります。

とと姉ちゃん&昭和43年発行「暮らしの手帖」第96号

2016-10-03 | アート
朝ドラ上半期「とと姉ちゃん」が終わりました。「暮らしの手帖」社主の大橋鎮子さんをモデルに書かれたドラマ。フィクションとなっていますが、「暮らしの手帖」がモデルになっていることには変わらず。ドラマの印象としては、モデルとなった大橋さんの生き方をなぞったけれども、全体に味が薄い感じは否めません。最終回間際、ドラマの中で編集長の遺言とも言うべき、戦争特集号が発刊されます。その特集号を「好評でよく売れた」という内容のナレーションが流れました。確かに「好評」だから売れるのですが、私はこの言葉使いになんだか違和感を覚えました。「戦争特集号」は「好評」で売れたというよりも、声に出せなかった言葉が、本という形を通してやっと出せた、切羽詰まった声があったからではないでしょうか。戦時を生き抜いた、共感と反省があったからこそ、「売れた」のではないか。ですから、「好評で売れた」という言葉では、あまりに平たく感じてしまうのです。
もちろん、戦争体験のない世代の書く脚本が、リアリティがなく、平たく嘘っぽくなる、というのではありません、。同じ朝ドラの「カーネーション」や「ごちそうさん」は、当時の声につながる感覚が良く書けていたと思います。自分の好きなもの、大事にしたいものを全く無視し傷つける「戦争」の正体を、この二つのドラマはヒロインが暮らしの中から知りました。勉強として学ぶのでなく、衣食住から「平和」を知っていった…。そんな姿を見ながら、テレビの前でドラマだと知りながら、頑張れ!と応援しておりました。
さて、「とと姉ちゃん」のその戦争特集号のモデル?は昭和43年に発行された「暮らしの手帖96特集 戦争中の暮らしの記録」です。ドラマのセリフにもあったように、一冊丸ごと、戦争の記録、しかも読者からの寄稿なのです。
私はこの本のことを知ったのは、4年前、歌人の水野智子さんのご自宅に行った時に、見せていただいたのが始まりでした。小町座で、親子を対象に「奈良に疎開に来て」という一人芝居をするにあたり、水野さんに親子の前で、ご自身の疎開体験を語ってもらう、という企画準備のため、お宅に伺ったのです。水野さんはとても大切な本だ、と言われました。まさにそうで、ここには教科書では記されない、生の歴史の声がありました。なんとしてもほしいと探して手に入れた本…。そこには、読者の綴った体験もさることながら、感動を覚えた一文がありました。それは、編集長、花森安治が書いたと思われる一文です。声に出して読みたい。以下、まま、うつします。
「暮らしの手帖96特集 戦争中の暮らしの記録」53頁

●この後に生まれてくる人に

君は四十才をすぎ、五十をすぎ、あるいは六十も、それ以上もすぎた人が、生まれてはじめて、ペンをとった文章というものを、これまでに、読んだことがあるだろうか。 
いま、君が手にしている、この一冊は、おそらく、その大部分が、そういう人たちの文章で、うずまっているのである。
これは、戦争中の暮らしの記録である。
その戦争は、一九四一年(昭和十六年)十二月八日にはじまり、一九四五年(昭和二十年)八月十五日に終わった。
それは言語に絶する暮らしであった。その言語に絶する明け暮れのなかに、人たちは、体力と精神力のぎりぎりまでもちこたえて、やっと生きてきた。親を失い、兄弟を失い、夫を失い、子を失い、そして、青春をうしない、それでも生きてきた。家を焼かれ、財産を焼かれ、夜も、朝も、日なかも、飢えながら、生きてきた。
しかも、こうした思い出は、一片の灰のように、人たちの心の底ふかくに沈んでしまって、どこにも残らない。いつでも戦争の記録というものは、そうなのだ。
戦争の経過や、それを指導した人たちや、大きな戦闘については、ずいぶん昔のことでも、くわしく正確な記録が残されている。しかし、その戦争のあいだ、ただ、黙々と歯をくいしばって生きてきた人たちが、なにに苦しみ、なにを食べ、なにを着、どんなふうに暮らしてきたか、どんなふうに死んでいったか、どんなふうに生きのびてきたか、それについての、具体的なことは、どの時代の、どこの戦争でもほとんど、残されていない。
いま、君は、この一冊を、どの時代の、どこで読もうとしているか、それはわからない。君が、この一冊を、どんな気持ちで読むだろうか、それもわからない。
しかし、君が何とおもおうと、これが戦争なのだ。それを君に知ってもらいたくて、この貧しい一冊を、のこしてゆく。
できることなら、君もまた、君の後に生まれる者のために、この一冊を、たとえどんなにぼろぼろになっても、のこしておいてほしい。
これが、この戦争を生きてきた者としての一人としての、切なる願いである。 編集者