11/14、今夜はスーバームーンとのこと。月が一番大きく見える夜ですが、奈良は雨…残念。何でも今年は68年ぶりに、月と地球が大接近するとかで、そうなると余計に気になるのですが…。雨雲の上のスーパームーンの輝きを想像するのは、まさに「歌」の世界かもしれませんね。
5月に出版した私の第一歌集「ラビッツ・ムーン」。「月の兎」なんですが、こんなタイトルにしたのは、いくつか理由がありますが、今日はその理由の一つを。
まず、「月に兎がいるよ」と思える暮らしの方が楽しいなということからのタイトルであります。科学万能の今、現実、兎が月にいないことなど周知の事実。だからといって、本当に「兎」はいないのか。私たちには、兎を見ることのできる「想像力」があります。現実には存在しない「兎」を、お話にしたり、歌うことの出来る力。
10年ほど前、下の息子が小学校に上がったばかりのころ、自転車の荷台に載せて、二人乗りをよくしていました。そんな昔、月がきれいな晩秋に、荷台に幼子を乗せたお母さんが後ろから近づいてきました。そのお母さんは、荷台の子に「ほら、見て、大きなお月さん。うさぎが見えるかな。」とお話しながら、自転車で通り過ぎていきました。
荷台のお子さんは、大きくなってそのことを覚えているかどうかはわかりません。ただ、夜に光る月を見よう、兎がいるかもしれないよ、とお話を聞く暮らしというのは、何かしら豊かなものに育まれている、と思うのです。その「豊かさ」は、物量で計れるものではない。けれども、そんな「豊かさ」が「歌」や「言葉」を育むのではと思います。
「月」に人間が降り立った1969年、私は小さくて覚えてませんが、それは大ニュースだったことでしょう。もちろん、宇宙開発が、米ソの覇権争いの舞台であったとしても、月にまで人間を送ることのできる科学の力に、これまでとは違った熱狂があったことは想像できます。
この月面着陸に対して、かの白洲正子は「それが何か?」と言ったとか。我が師、歌人、前登志夫は評論集『山河慟哭』(さんがどうこく)の中でアポロ着陸の月をこう言っています。
~「月が鏡であったなら」という唄があったが、もともと月はみずから発光するものではなく、水のような光を反映するものにすぎない。その意味では、月はどこまでも象徴的なものといえよう。アポロの月という科学の対象としての月でなく、夜の闇や木の葉やせせらぎとの関連の中に息づく月であり、われわれの内部に存在する月である。むろん、人間が到着したアポロの月と別だというのではない。万有の変容の中で、月の光は少しも汚されることなくすこやかなのである。」
21世紀、デジタル時代になり、2007年、探査機「かぐや」の月の映像がハイビジョンで鮮明に映された時、それはまことの月の姿だけれども、全部が見えて明らかになることで、われらの「月」は違ったものになってしまったような気持ちになったのを思い出しました。技術はどんどん進化し、何もかもをさらけ出し、もっと月は何物かを見せてくれることでしょう。けれども、かの昔、異国の地で「天の原ふりさけみれば 春日なる 三笠の山に いでし月かも」と詠んだ阿倍仲麻呂はじめ、「月」を歌った和歌が非常に多いことを、私たちは忘れてはならないと思います。1300年の和歌の月へのまなざし…。それがこれからの私たちにも「豊か」と思えるものになればいいのだけれど…と、歌の世界の端っこにいる者として願います。
最後に、歌集『ラビッツ・ムーン』の表紙の兎は、息子の友達が、小学生の時に描いたものです。この兎に、前先生の書かれた先の言葉、「万有の変容の中で、月の光は少しも汚されることなくすこやかなのである。」と声をかけたい私がいます。
『ラビッツ・ムーン』表紙原画
5月に出版した私の第一歌集「ラビッツ・ムーン」。「月の兎」なんですが、こんなタイトルにしたのは、いくつか理由がありますが、今日はその理由の一つを。
まず、「月に兎がいるよ」と思える暮らしの方が楽しいなということからのタイトルであります。科学万能の今、現実、兎が月にいないことなど周知の事実。だからといって、本当に「兎」はいないのか。私たちには、兎を見ることのできる「想像力」があります。現実には存在しない「兎」を、お話にしたり、歌うことの出来る力。
10年ほど前、下の息子が小学校に上がったばかりのころ、自転車の荷台に載せて、二人乗りをよくしていました。そんな昔、月がきれいな晩秋に、荷台に幼子を乗せたお母さんが後ろから近づいてきました。そのお母さんは、荷台の子に「ほら、見て、大きなお月さん。うさぎが見えるかな。」とお話しながら、自転車で通り過ぎていきました。
荷台のお子さんは、大きくなってそのことを覚えているかどうかはわかりません。ただ、夜に光る月を見よう、兎がいるかもしれないよ、とお話を聞く暮らしというのは、何かしら豊かなものに育まれている、と思うのです。その「豊かさ」は、物量で計れるものではない。けれども、そんな「豊かさ」が「歌」や「言葉」を育むのではと思います。
「月」に人間が降り立った1969年、私は小さくて覚えてませんが、それは大ニュースだったことでしょう。もちろん、宇宙開発が、米ソの覇権争いの舞台であったとしても、月にまで人間を送ることのできる科学の力に、これまでとは違った熱狂があったことは想像できます。
この月面着陸に対して、かの白洲正子は「それが何か?」と言ったとか。我が師、歌人、前登志夫は評論集『山河慟哭』(さんがどうこく)の中でアポロ着陸の月をこう言っています。
~「月が鏡であったなら」という唄があったが、もともと月はみずから発光するものではなく、水のような光を反映するものにすぎない。その意味では、月はどこまでも象徴的なものといえよう。アポロの月という科学の対象としての月でなく、夜の闇や木の葉やせせらぎとの関連の中に息づく月であり、われわれの内部に存在する月である。むろん、人間が到着したアポロの月と別だというのではない。万有の変容の中で、月の光は少しも汚されることなくすこやかなのである。」
21世紀、デジタル時代になり、2007年、探査機「かぐや」の月の映像がハイビジョンで鮮明に映された時、それはまことの月の姿だけれども、全部が見えて明らかになることで、われらの「月」は違ったものになってしまったような気持ちになったのを思い出しました。技術はどんどん進化し、何もかもをさらけ出し、もっと月は何物かを見せてくれることでしょう。けれども、かの昔、異国の地で「天の原ふりさけみれば 春日なる 三笠の山に いでし月かも」と詠んだ阿倍仲麻呂はじめ、「月」を歌った和歌が非常に多いことを、私たちは忘れてはならないと思います。1300年の和歌の月へのまなざし…。それがこれからの私たちにも「豊か」と思えるものになればいいのだけれど…と、歌の世界の端っこにいる者として願います。
最後に、歌集『ラビッツ・ムーン』の表紙の兎は、息子の友達が、小学生の時に描いたものです。この兎に、前先生の書かれた先の言葉、「万有の変容の中で、月の光は少しも汚されることなくすこやかなのである。」と声をかけたい私がいます。
