ことのはのはね~奈良町から

演劇、アート、短歌他、町家での出会いまで、日々を綴ります。

新作短歌のこと ①YouTube「花しまい」「夏嗄れ」 ②6/30まで展示中「歌で紡ぐ彩りの四季」

2024-06-19 | 短歌
①YouTube「花しまい」「夏嗄れ」 
所属していた短歌結社を離れてから、定期的に短歌を作ることがなくなりましたが、この度、久々に新作を60首作りました。どちらも2024年5月に奈良町にぎわいの家の蔵展示企画「短歌&フォト映写展「花しまい~町家に佇む娘たち」として、既に公開したもので、演出家の外輪能隆さんが、ガーゼのスクリーンを作り、懐かしいレトロな雰囲気が蔵にぴったりで、フランスのお客様が熱心に見て下さっていました。

→「花しまい」2024年2月に公演した、奈良町にぎわいの家主催、町家全館移動演劇「花しまい」の写真から歌を詠んだものです。歌そのものは、演劇の内容にまま、即したものでなく、つかず離れずの距離感で作りました。


→「夏嗄れ」2023年の夏に当館での写真展に向けてモノクロで撮影したものに、短歌をつけました。


②河村牧子写真展「歌で紡ぐ彩りの四季」
こちらは3年前に、河村さんの写真展と私の短歌のコラボ展を開催した時の短歌です。河村さんが新たな写真とともに、色に特化した内容で新たに構成した展示になっています。奈良公園の風景写真に歌をつけました。①の短歌とは全く趣が違い、風景を見た時に、こんな視線もあるよ、といったような歌になっています。


さて、私にとっての短歌は、前登志夫先生の出会いがなければ、作歌なんてありえませんでした。けれど、よく考えてみれば、演劇の世界に入ったきっかけになった、寺山修司の戯曲は、既に、歌人として著名であった寺山の短歌のエッセンスが丸ごと入ったもので、そのセリフの声調やリズムは、まさに短歌なんです。これを若い時は意識せずに、「かっこいい」なんて思ってましたが、今、演劇と短歌のどちらにも関わることで、その理由がようやくわかったような気がしています。
純粋な短歌は、もちろん、写真も映像もなく「言葉」のみで立つものですが、私の場合、写真や映像に歌をつけるのが妙にあう、ということを今回、実感したのは、やはり「演劇」にいるからなのだと思いました。風景は既に舞台にあり、空間と言葉の距離感が演劇の作業とするなら、今回の写真から歌を詠むことは、そんな演劇の作業に近かったのです。
だからでしょうか。私は今回の60首、戯曲を書くスピードに近く速さで作ることができました。昔から、「歌が戯曲並みに速く作れたらいいのに。」と思ってきたのですが、写真のおかげで、それが叶ったようです。
また、写真の世界によって、全くちがう雰囲気の歌になるのも楽しい作業でした。
よろしければ、動画二本と6/30までの展示をご覧ください。


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