ことのはのはね~奈良町から

演劇、アート、短歌他、町家での出会いまで、日々を綴ります。

小町座フェイスブックより「個別稽古レポート」

2023-05-23 | 小町座
小町座の次回公演は、初秋の予定で日程はまだ未定ですが、稽古は続けています。
なんと、2本立て。もちろん、オリジナルで「きつねものがたり」と「少年万博物語」。
「きつねものがたり」は上演3回目になりますが、劇作家協会の戯曲アーカイブに掲載されていることもあり、昨今は高校演劇での上演もあります。
新作が「少年・万博物語」。2025年に大阪万博がありますが、こちらは、1970年をモチーフに書きました。オリンピックも万博も、かつては高度経済成長の決算イベントのような側面がありますが、令和となると、全く別の感触になります。2019年に上演した「五輪ものがたり」もそのあたりを書きました。ところで書き下ろした「少年・万博物語」の「万博」ですが、「訓読み」で読んでみてください。それが主人公の名前です。
さて、小町座の現在は、週一回の稽古のため、全員での絡みがないところ、モノローグや個人の芝居でもっと詰めたいところは、私の家で稽古することも多いです。今回、その稽古をメンバーがフェイスブックに書いたものを転載します。

「番外編・個別稽古から~きつねものがたり、次女役のこと」

小野先生の自宅で夜、個別稽古。次女役に集中してつけてもらいました。
次女は、乱暴な言葉遣いで皮肉めいたことや煽るようなことを言います。
言葉だけをさらって台詞を言うと、それらしく聞こえるのですが中身が伴いません。
では、皮肉・煽りをする彼女の動機はなんだろう?という問いが必要となります。
小野先生はそれについて、
小町・演技語録①「(次女が)悪態をついてしまうのは、目の前の大きな「悪」に対して、まずは立とうという気持ちが意識しなくてもあるから。「やってられない」世の中に向かう時には、どうしても「皮肉」がでる。ただ、その皮肉が「嫌な感じ」になるのではなく、切羽詰まった表現の一つにならなければ、次女らしさが出ない。」
と説明してくださいました。
悪態を「つきたい」と「つかなきゃやってられない」には大きな違いがあります。
それは次に小野先生が説明してくださったことに繋がります。
小町・演技語録②「演技は感性やノリだけでなく、「理屈」の部分がないと。この場合の「理屈」は客観的に自分がこれまで積み重ねてきたリアルのこと。」
心・理屈がなくとも、いくらでも乱暴に聞こえる台詞回しはできます。同じ乱暴な言い方も、心・理屈の根底が違えば呼吸、リズムが自然と変わります。乱暴にならなきゃ、ではなく自然とそうなる感覚がありました。
まだまだキャラクターの理解が浅いとわかりました。それでも、ほんの少しでもつかめたとき表現できたとき嬉しいです。
また、キャラクターが分かれば分かるほど自分だったらこうかもしれない、こう思うかもという発見があります。
キャラクター理解の過程で、見えてくる自分。見たくなかった自分との対峙との先にしか得られないものがあるのかもしれません。
そんなお稽古でした。小野先生ありがとうございます。(A)




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