図書館閉架戸棚から持ってきていただいて舐めるように再々読した、遠藤周作「聖書のなかの女性たち」を、そろそろ返さねばならぬ。もう二ヶ月くらいになるか。再貸出しの手続きなどしておらぬ。
この本はやさしさに溢れている。解説者も書いているが“遠藤周作の作品を支えている一つの要素は、「心のやさしさ」である。・・では、なぜ、心の優しさなどいう地味な、取るに足らないものにこだわっているのか。それはイエス・キリストの愛が、遠藤の心の奥底にこびりついて離れないからだ。”
この本は代表作、たしか芥川賞を受賞した「海と毒薬」で世に出る前の頃の作品である。結核で胸の手術を受けるため、入院中の「秋の日記」も最後の方に納められている。いやでも命と向き合わねばならない時期、初期作品の名作なのだろう。
遠藤文学はすべて図書館の本で読み、手元にある1冊は新聞連載されたエッセー「万華鏡」のみだ。
その中に「別離」がある。
・・・“あれは私が小学校の3年の時だった。その頃私は満州の大連に住んでいたが両親が次第に不仲になり、今まで楽しかった家庭が、夕暮れ、急に陽がかげったように暗くなった。
少年の私はその理由がわからず、ただ当惑し、ひたすら息をのんで毎日を暮らした。“
彼にはその頃、クロという名の飼い犬がいて、学校の行きかえりいつもノソノソそばをついてきた。彼はその犬だけに自分の切なさをうちあけた。クロは私をじっと濡れた眼で見て、「仕方ないですよ。人生ってそんなもんですよ」と答える。
大連の冬が終わり、アカシアが咲く頃両親は別居することになり、母は周作と兄とを連れて日本に戻ることになった。クロは馬車(マーチョ)に乗って、後ろを振り返る周作をどこまでも追いかけてきた。
この兄は当方が勤めた元通信会社(当時は公社といった)の、労務紛争の激しかった頃の職員局長をやり、関東電気通信局長など要職を歴任中、50代の終わり頃だったか、ガンに倒れ若くして亡くなられた。兄は秀才で東大法科を出て官僚だった。
事業所のどこの局長室にも後輩が雑文を集めて遺稿を編纂した「遠藤正介全集」という分厚い本があった。