たそがれ時のつれづれに

人生のたそがれ時を迎えて折々の記を・・思うままに

直腸切除術・後遺症3

2014年03月04日 | 日記

今日は3カ月毎の腫瘍マーカー・血液検査で開業医に行ってきてDrに叱られてきました。
直腸切除後の排便障害で苦労しているので、排便調整剤タミフルを処方して頂けないか聞いたら叱られた。
3年前にこの先生からタミフルを処方され、顕著な効果がなかったこと+腸閉塞には禁忌のくすりであること+開腹手術した身には腸閉塞のおそれがあること、などで自分から2回目以降の処方を断って、その時も叱られました。

昨年10月に、開腹執刀医の診察の際、ゴルフ仲間でS字結腸癌を手術した人から、漢方大建中湯を教えられ、執刀医に頼んだら処方されました。これも効果がなく、一度断ったタミフルをまた開業医に頼んだので叱られた訳です。
患者は自己判断せず、専門家の指示に従うのが本来患者の在り様だと、当然のことを苦言されたのです。

非は私にありますが、どうも初めからこの開業医とは波長が合わず、何か言おうとすると言葉を遮り、「まず私の質問に答えて・・」と、いつも主訴が遮られます。患者と医師との対話が成立しないのです。
専門家から見れば意味の無いことを、患者はグチャグチャ言うかも知れませんが、医師は黙って聞いて必要、不要の言葉をフィルターにかけ、医師が診断し薬の処方をされることを当方は望んでいるのです。

頭から医師の指示や聞きたいことだけを聞かれ、聞かされ、薬を処方されても、患者の医療満足は満たされません。
ネット情報などで有名な医師の記事を信用し、わたしを信用していないと言われましたが、電子カルテに書き込む必要な言葉や応対だけでは、結果が良ければそれでもいいのですが、患者の満足感は満たされません。
相性が良くなければ、別の医院にすればいいが、総合病院から地域連携で振り向けられる患者は、勝手に別の医院に変えることもできず、腹を立てて帰ってきた。
患者は医師や病院と対等ではなくいつも弱者の立場です。
明日はCT検査の予約日、来週はその結果の医師の診断とつづきます。有難いことというべきでしょう。

”哲学者山折哲雄さんが著書でターミナルケアをやっていて尊敬している医師のことを、患者さんの「話を聞く」「触る」「褒める」何でもないようなことだけど、この人はいい仕事をしてるなとつくづく感じる。” と五木寛之氏が雑誌の対談で紹介している。(雑誌 潮 1997年 五木寛之:竹中文良 対談 がんの時代を生きる)