袴田事件はこれ以上の拘束は「耐え難いほど正義に反する」とまで断じた。各新聞の28日金曜日の記事はこの事件一色だった。
読売新聞は、事件前夜この被害家庭の長男の家庭教師をやった男性(匿名)のコメントを載せていた。概要は「事件前夜長男に教えた。次女には別の女性が家庭教師で教えた。翌朝長男も次女も惨殺され発見された。容疑者が逮捕され安堵したが、証拠の衣類が1年も経って発見されたことには捜査のずさんさを感じた」という主旨だった。
証拠の衣類の捜査の杜撰さが気になっていたら、昨日のネットニュースで江川紹子さんが再審開始の決定書を読んだと評論した記事にお目にかかった。事件の深層がよく分かった。
“事件発生は1966年6月30日。その頃のタンク内の味噌は深さ30センチほどにまで減少していた。7月4日に警察の捜査員がタンク内を覗いたが衣類は発見できなかった。同月20日に従業員が味噌の仕込みを行うのにタンク内に入ったが、この時も発見されなかった。ところが、翌年の8月31日になって「発見」されるのだ。”
こんなにお粗末な捜査だったのかと驚いた。
昨日のテレビは当時の警察・捜査員に顔をボカし匿名で取材していたのを放映した。「証拠のねつ造なんて必要ない」と言っていた。
また、袴田さんが自供した音声テープも公開していた。「大変なことをしました」と言っていた。当時の取り調べ状況では12時間越えの取り調べが連日続いたと日付毎に放映した。
この事件の真犯人はどこに潜んでいるのか、誰なのか?現職の頃清水市へは何度も行った。この近くが事件現場だと案内されたこともある。
袴田事件の当夜、自宅別棟に寝ていて唯ひとり助かった長女当時19歳が、袴田さんが解放された27日の翌日28日に一人暮らしだった自宅で亡くなっているのを家族が発見された。事件性はないと見られている。何という不幸であろうか。寂しい人生を送られたと近隣の住民のコメント画像を見た。合掌。
やりきれないね。袴田事件も、名張毒ぶどう酒事件の奥西死刑囚も私は冤罪だとずっと思ってきた。
佐野眞一「東電OL殺人事件」という分厚い本を読んだからです。当時まだゴビンダ容疑者は獄に繋がれていた。最高裁長官は「世間の雑音に惑わされるな」と組織に檄を飛ばしていた頃だ。その後容疑者は解放された。冤罪だった。
昨日の朝日には司法記者が、竹崎最高裁長官が3月末退任されることに関し「調書でなく証人で」と「手間がかかっても、大切な話はその人を証人として法廷に呼んで直接聞くべきだ。それが本来の姿ではないか」など、裁判員制度なども含め強い指導力で司法制度改革に尽力された名長官だったとコラムを載せていた。