図書館へ拉致関係の本の返本に行ったついでに、また廃棄本を1冊貰ってきました。
「キリストの誕生」遠藤周作著 新潮社 昭和53(’78)・9月刊
この本はあとがきによると雑誌「新潮」に連載されたのを加筆訂正されたもの。
“5年前に前著「イエスの生涯」を上梓した時、イエスを見捨てて逃亡した弟子たちが、そのイエスを忘れるどころか、彼を神の子として信仰するに至った過程を書かなければ、この「イエスの生涯」も完結しないと考えるようになった。“
”イエスは「人の子」と言われ「神の子」となり、救い主(メシア)と呼ばれ、そしてキリスト(救い主)になった。”
純文学作品ではなく、最終章第13章に「イエスのふしぎ、ふしぎなイエス」にあるように、
”西暦30年の春、エルサレムの城外の岩だらけの丘で、一人の男が処刑された。男は十字架に両手、両足を釘づけにされ、3時間の苦しみの後、息たえた。その死を遠くから見守ったのは彼の母親や何人かの女性たちだけで、生前、この男と生活を共にし、おのが信念を吹きこもうとした友や弟子たちはすべて彼を見棄て、逃亡していた。”
“イエスの臨終の有様を伝え聞いた弟子たちは、初めておのれの卑怯さ、弱さに号泣した。良心の呵責を噛みしめながら彼らは故郷のガリラヤに戻ったあと、再び思い出のエルサレムに集まった。それが原始キリスト教のはじまりとなった。“
その事績を、聖書を基にして論考した本です。と言っても難しい内容ではなく、遠藤文学は女子高生にも理解できることを基調とされたと、記憶していますが、遠藤美学に彩られた理解しやすい本です。
反ローマ運動の扇動者として、逮捕され裁判を受けるため、大祭司カヤパ邸へ引き立てられた”師を卑怯にも見捨てて弟子たちはすべて逃亡したが、ひとりペテロだけは自責の念に耐えられず、大祭司カヤパの官邸にもぐりこむ。そして彼を見咎めた召使の問いに「イエスなど知らぬ」と関係を否認する。“(万華鏡 遠藤周作)
この場面は第1章のはじめに出てきます。”・・・さてペドロ、外の庭に座しいたるに、一人の下女、近づき、汝もガリラヤのイエスと共に座し居たりきと言いしかば、彼、衆人の前にて之を否(いな)み、我、汝の言うことを知らずと言えり。・・(マタイ、26-57~75)
と、豊富に聖書を引用され解説されている。
遠藤氏は小学校3年の時満州の大連にいた。横浜正金銀行に勤める父と母の間が不和になり、少年の遠藤さんにはその理由が一向に分からずただ当惑し、ひたすら息を飲んで毎日を過ごした。その頃家にクロという犬を飼っていた。学校の行きかえりいつもクロは私のそばをのそのそついてきた。クロに切なさをうちあける。
“「どうしてこうなったんだろうなァ」「仕方ないですよ。人生ってそんなもんですよ」とクロは答えた。クロは確かにそう言ってくれた。・・・
・・・大連の冬が終わりアカシアの花が咲くころ両親は別居することが決まり、母は兄と私を連れて日本に戻ることになった。馬車(マーチョ)に乗った私をクロはどこまでも追いかけてきた。”
母が信仰したキリスト教の洗礼を受ける。
”聖書を読み、自分を捨てたペテロを、「ふり向いて眺めた」イエスを思う時、私はなぜか、あの時のクロの寂しそうな眼を思い出した。“(万華鏡 別離)
脱線してしまったが、兄正介氏は東大法科を出て秀才の官僚、当時の電気通信省に入省、後に電電公社職員局長時代に、ストで勇ましかった労組との総元締めで、対応が甘いと自民党総務会に狙われ関東電気通信局長へ左遷された。それからまもなく確か肺がんで50代半ばだったか急逝された。仲間たちが「遠藤正介全集」という、思い出や書き残された雑文を集めたケース入りの部厚い本がどこの局長室の書棚にも置いてあった。