亡妻の実家へ墓参りした帰路、木曽川沿いの中山道太田宿へ寄ってみました。岐阜県美濃加茂市です。結婚した頃は住む家もなく実家に居候して新婚生活を送り、長男と二男が生まれたところです。何年から何時まで住んだのか忘れてしまったいい加減さです。
デートしたり、自転車で幼い子供を連れて散策した思い出の太田宿です。今は整備され宿場町の面影を残しています。観光の中心施設は太田宿中山道会館で、道の駅に似た休憩所です。
30年ほど前極地豪雨で木曽川の冠水により市街に被害が出て、堤防の嵩上げがされ、太田宿から木曽川を直接目にすることは出来なくなりました。堤防の上は散策道に整備されサイクリングやウォーキングに利用されています。右岸から上流方面、太田の渡しがあった太田橋が見えます。
下流はその後できた中濃大橋が見えます。木曽川は川足が長く年中水量が豊富で増減が無い川です。
会館前が本陣屋敷跡で門のみが残されています。本陣は宿駅の中でも諸大名、公家、旗本、幕府の役人、勅使、宮家などが休泊する最も重要な施設で、福田家が代々勤めました。下流側の宿場、私が住む各務原市の鵜沼宿は本陣は現在市の施設として再建されました。上流は可児市御嵩町、伏見宿です。
本陣の表門は藥医門(本柱が中心線上から前方に置かれている門のこと)で、両袖に半間の塀がつく格式のある端正な作りです。クリックし拡大してご覧ください。