たそがれ時のつれづれに

人生のたそがれ時を迎えて折々の記を・・思うままに

今日は雨

2015年03月01日 | 日記

せっかく弥生3月になったのに今日は雨。
喫茶で週刊文春を昨日読み、今朝も読み直した。例の「川崎市・中1男子リンチ惨殺事件」の記事です。
そして、隣のコンビニへ寄り珍しく週刊新潮とタバコを買った。カウンターにはあら!マスクしてるがお店の経営者の娘さんだった。
「珍しいね」
「でしょう」
「赤ちゃん大きくなったかね」
「もう8ヵ月になってマルマルです」
「そうか、大事に育ててね、今日は遼太君がかわいそうで雑誌を買った。坊やを大事に育ててね。親が大事に育てないと事件を起こす」
「ありがとうございます」
「ところで赤ちゃんのお名前は」
「○○といいいます、山の名から取ったの・・字は違うけど」
「いいおお名前だ、大事に育ててね」
「ありがとう」
この娘さんは、高校生の頃から私の家の近くにあった実家のスーパーのレジのお手伝いをしてきた。私が家内を亡くし買い物をするようになって、母親とも、娘さんとも20年近い付き合いで、私の自宅もご存じだ。
昨年結婚されて、式前にも洗車中の婿さんを紹介してくれたし、赤ちゃんが生まれたと聞いて、「女の子だった?」「男の子・・女の子がほしかった?」「女の子が良かったな、可愛いもん」と、他愛ない会話を交わす仲です。

さて、遼太君はかわいそうでしかたがない。
・両親は両方共川崎生まれ・5歳の時父親が漁師をやりたいと島根・隠岐諸島の西ノ島にiターン制度を利用して2007年5月に人口3千人の島へ移住・家族は5人の子があり高校生の兄(母の連れ子)、二番目が遼太君(13歳)妹2人が小学生、その下に幼稚園児の7人家族だった。島に移住してから3年後に夫の暴力で離婚・生活は苦しく母が島でも看護助手で働き家計を支えた・生活保護を受けるようになった・祖父母のいる川崎へ越すよう勧めたのは島の福祉担当者・遼太君は島に一人で残りたいと希望したが周囲の説得で引っ越しを受け入れた・島での恒例の見送りには70人も集まった。
両誌の記事をかいつまんだ家族関係は以上のようだった。新潮は子どもは4人とも受け取れる。
川崎でもアパート住まいで、近くに祖父母が暮らしていて母は看護助手、すなわちナースセンターの雑役婦をやって生計を立てていた。
さて、憎い殺人犯の身元も明確になりつつある。この熱心なブログを数日読んできた。今日3月1日早朝の大幅修正で加害者は明確になったと言えるだろう。18歳の少年の親は在日コリアン系・母はフリッピン系で足が悪い。この家庭も貧しい境遇にあったのか。今日の朝日でも「あの子は川崎でも有名なヤンキーなのよ。関わってはいけない」との親子の会話を掲載していた。