たそがれ時のつれづれに

人生のたそがれ時を迎えて折々の記を・・思うままに

失われた20年

2012年11月20日 | その他

突然の年末解散で世は騒然としてきました。おおむね毎日、喫茶店の朝昼食兼用のモーニングサービスで新聞数紙を読むのが日課です。
どこかの新聞が野田首相は、第3極といわれる勢力が選挙態勢が整わないうちに、解散する可能性は大いにあると報じていました。
14日の党首討論で何かの動きはあるだろうと予想はありましたが、マスコミも政界も党首討論の場で解散表明するとは、誰しも予想しませんでしたね。
野田さんの性格、政治姿勢から「近いうち」と約束した以上、民主党内の解散反対論が大勢を占め、野田おろしが出てきてもものともせず、「決められない政治」が続く国会を打開するため、討論の場で乾坤一擲、大勝負したのは正解だと思います。

私は党首討論を番組予約しブログの草稿で遊んでいて、テレビ中継が始まり、笑顔一つ見せず、野田氏には迫力があり、自民党の負の遺産があまりにも大きかったと、冒頭の安倍自民党総裁への反論から始まりました。
翌日の新聞は、討論後、岡田克也副総理が記者団に「見事なリーダーとしての決断」と首相をたたえ、「特例公債法成立の確約をとり、議員定数削減をギリギリまで追及した。政治家としての器の大きさ、小ささがはっきり出た党首討論だった」と絶賛していました。

公明党の山口那津男代表は討論後の記者会見で、・・・「野田さんの政治家としての姿勢は信頼していた。税と社会保障の一体改革を進めるにあたり、ともに使命を果たしたい」と評価していました。
野田ファンの当方も、民主党のだらしなさや、政党として体を成さない有様に呆れていたので、スカッとしました。

前にも記事にしましたが、野田さんのA級戦犯合祀を理由に、靖国参拝を云々するのは論理破綻しているとの、議員時代の国会質問趣意書は正論でしょう。中国や韓国に気兼ねなく、彼の国がどう反発しようが、安倍さんが総理になったら堂々と参拝すべきだと思っています。

笑わん殿下、原理人間、イーオン創業者の息子の岡田克也氏にも一度総理をやらせてみたい。Wikiの野田佳彦の解説に、松下政経塾の入塾に当って松下幸之助との、最終面接の記事が興味深い。
“松下幸之助が設立したばかりの松下政経塾に第1期生として入塾した。
野田は「今でも、松下幸之助塾長との最終面接を鮮烈に覚えています。笑顔で迎えてもらったが、目は笑っていませんでした。むしろ、射抜くような怖い目つきでした。耳はとても大きくて、ピンと立っていました。」「『キミの身内に政治家はおるか?』『まったくいません』『そりゃ、エエな。ところでキミの家は金持ちか?』『どちらかというと貧乏です』『なお、エエな』何が良かったのか、いまだにさっぱり分かりません。が、こうして、政経塾で5年間、あるべき政治の姿を学ぶことになりました。」と当時について回想している。”

それから千葉県議に立候補し、照る日も降る日も一日も欠かさず千葉駅前で演説した。これを国会議員になっても、財務相に就任するまで25年間続けたというから立派です。

消費税アップは誰もが望んでいません。しかし国の財政は借金漬けで、借金半分で毎年予算を組む、末代にツケを回す、今の日本の現状を見れば、誰でもこの現状放置は許さないでしょう。
友人の息子の嫁さんが、近くの県庁所在都市のある小学校の臨時養護教員に行っています。そのごく普通の地域の小学校には360人の子どもが在籍していて、その内120人が給食費を払えないと嘆いています。もちろんシングルマザーの生活保護の子もいるが、中には不払い理由のない横着で払わない親も結構いるとか。なし崩しに学校が面倒をみているということでした。

国民の程度に応じた政治家や政治しか持てないといわれます。この国も国民も、どこかおかしくなってしまったね。亡国まっしぐらではありませんか。
看護実習についてくれた子にも、「生まれてくる時代を、子は選べないが、あなた方世代は生まれてこの方、お国がホッコリした顔を見せたことがない。気の毒だ」と言ったら彼女は頷いていました。


病理検査の結果

2012年11月19日 | 日記

辛い手術に耐え甲状腺を片方取りましたが、その病理検査の結果が出ました。予想されたとおり良性腫瘍でほっとしています。

退院2週間後の外来診察で、担当医からその結果報告を受けました。「甲状腺腫瘍の疑い」が手術時の病名でしたが、切り取った標本を病理検査された結果は、正式には「腺腫様甲状腺腫」と告げられました。腺腫のような腺腫というややこしい病名です。

ディスプレーに表示された検体画像は、濃緑色の検査シートの上に全体像の写真が1枚、大きさは画面のゲージで測定されると、横3センチ×縦5センチほどと計測され、褐色の結節(しこり)で、見て気持ちのいいものではありません。

病理医はその結節を8枚にスライスして顕微鏡で検査され、スライス切片が8枚、2列にシートの上に並べた写真でした。

担当医の助教授は「あなたは調べるのが、好きなので・・」、と言いながら、「病理検査レポート(組織診)」をプリントアウトし、英文の病名「adenomatous goiter」を、和名「腺腫性甲状腺腫」と親切に手書きしていただきました。
病理医2名の報告者の氏名が印刷されていて、コメント「病理所見」が6行ほど専門的内容で記入されています。これには大きさは2.4cm×2.4cmとなっています。病理医の仕事は縁の下の力持ちといった役どころです。病理検査の結果を書面で交付され、詳しく説明を受けたのは初めてです。

Drは「これを腫瘍と、私は言いたくないのですが、・・・細胞が異常形成されたのです」、「切除して、このように検査しないと、分らないのです」と説明されました。これは始めてお聞きする病名でした。
・「安心しました、ではこれで治療打ち切り。後は何の心配もありませんか?」、、「経過観察は必要ありません。紹介先の病院へ結果報告しておきます」。
・「甲状腺ホルモンの分泌機能の定期血液検査も必要ありませんか?」、「ホルモンは十分、分泌していますので必要ありません」。
・「術後の血液検査で、サイログロブリンの数値は?」、「正常値に近くなりました」と、検査画面を表示し、43ng/mlと、2年前の県病院での検査値、84.6≦32.7ng/mlの半分近くに改善され、正常値に近くなっているのを確認しました。

院内図書室から借りた本では、サイログロブリンとは、甲状腺ホルモンの素になるもので甲状腺に常に存在し、必要量だけが出て甲状腺ホルモンになる。腫瘍があると増加するので、腫瘍マーカーとして指標になるとありました。
また、副甲状腺は甲状腺の裏側にあると、看護実習生の学生さんに教えていただきました。

しっかりお礼を述べ、多くの先生をわずらわせた、3年越しの甲状腺治療は終わりました。納得のインフォームドコンセントでした。

帰宅して 甲状腺の良性腫瘍 腺腫様甲状腺腫とは、その1その2 その3 などを勉強しました。
腺腫とは辞書では
・乳頭腫とともに良性の上皮性腫瘍(しゅよう)の群に属する腫瘍で、胃、腸管、乳腺、卵巣、甲状腺などにしばしば発生する。
・分泌腺の細胞が増殖してできる良性腫瘍(しゅよう)。甲状腺・胃腸などに生じる。アデノーマ、とあります。

付録)「医者ががんにかかるとき」より
 “先だって甲状腺癌の世界的権威F教授にお話をうかがった。
「甲状腺に小さな癌を見つけた場合、発見から2、3週間じっと見ていると予後の見当がつく。その2、3週間の間に急に大きくなる腫瘍は、どんなに大きく切除しても、何をやっても予後は非常に悪い。一方同じ2、3週間の間に大きくならない癌は、きちんと切除すれば完全に治る。どうやら、われわれ外科医が治したと思っているのは、治る癌を治しているのであって、治らない癌はどうやってもだめなのかもしれない」。”
 これは甲状腺がんばかりではなく、すべての癌にも共通していると著者はいっている。”このF教授は「胃の透視とか血液検査などは、定期的にはやっていない。まあ、なるようにしか、ならないでしょうから」と、笑っていらっしゃた”とあります。


賀状印刷

2012年11月18日 | パソコン

年賀状を写真入り手製でハガキ印刷する場合は、どのプリンターも同じよなものと思いますが、エプソンのプリンターで印刷設定する場合は、プリンタードライバ内の設定が重要です。
写真に、ぼやけ、スジ、色合いがおかしいなどの不調の場合、先ず、インクの吐出状況ノズルチエックをする。そのほかに

1、「用紙種類」を設定します。普通紙とか、官製ハガキ(インクジェット紙)など。
2、「モード設定」を選択します。これを標準設定のまま「普通紙 推奨設定 速い」で印刷すると、写真にスジ、ムラが出ます。 これは不良ではありません。この「普通紙 推奨設定 速い」は、普通紙印刷時の印刷品質よりも印刷スピードが優先される設計の為、結果的にスジ、ムラが出るのです。では、どうすればいいか。
3、「超高精細」を選択します。
モード設定を 「超高精細 きれい」で印刷すると、最高品質で印刷されます。あるいは
モード設定を 「推奨設定 速いを⇒きれい」に設定するだけでも、一段ときれいに印刷されます。

これは過去に、プリンターの紙詰まりを、手順を踏まず引き抜き、壊してしまってメーカー修理に出した際、メーカーが返送してきた添付注意文書に書いてありました。

設定を変更しパソコンの電源を切ると、設定したモードのままなので、必ず元に戻して電源を切ってください。

エプソンのプリンターはマニュアルが実に不完全でWebを通じ、電子マニュアルで理解する仕組みで実に不親切です。

紙詰まりの対処方法
詰まった紙を強引に引き抜くと、私が体験したように故障します。所持しているプリンターの紙詰まり対処方法を、あらかじめ知っておくことが大事です。例えばエプソンの紙詰まり対処方法、のように! 念を入れて印刷して手元に置いておくといいでしょう。

エプソンの故障修理代金は、通常の故障は一律1万円と変な商売をしますね。
パソコンはインク代が高いのは何とかならないのか、黒色しか使わないのになぜ他の色も無くなるのか、私以外のユーザーも等しく嘆いているところです。


喪中ハガキの文言

2012年11月17日 | その他

ふるさとの風景 喪中はがきは下の写真をぼかして入れました

昨年の正月明けは元会社の先輩の葬儀で、その帰途友人数人と喫茶店へ行き、喪中ハガキの文面が話題になりました。文例は2例あります。

1、喪中につき新年(年頭、年末年始)のご挨拶を ご遠慮させていただきます
2、喪中につき新年(年頭)のご挨拶を 失礼させていただきます
友人は2が正しい、分りやすいという説でした。この慣習は新年の挨拶をするような、気分や状態ではないので年賀を欠礼します、ということのようです。遠慮という言葉は、「他人に対し言葉や行動を控えめにすること」と辞書にあるので、自分の行動に「ご遠慮」と敬語(謙譲語でもある)にするのはおかしい。
まして、遠慮とか欠礼と冒頭で言いながら、次の段落で「本年中のご厚情を深謝・・・」したり、「明年も変わらぬ・・」と、付記したりするのは、支離滅裂ではないか、との意見でした。
日本人はキリスト教徒でもないのに、クリスマスを祝ったり、カードや贈り物をする民族なので、あまりこだわることもないでしょうが、みなさまはどう思われるでしょうか」と、投げかけたのです。

朝日新聞に投書したら、思いもよらず採択され掲載されました。世間の反応は?と注目していましたが、この投書を間違っているとか、反論とかの投書はなく、「喪中を知らせたら翌年の賀状減る」、「喪中ハガキ 故人をしのぶ文面を」、「ハガキで文通ほどよい手軽さ」等、関連投書がつづきました。
喪中ハガキをもらったら、寒中見舞いを出すのがよいとの助言もありました。
喪中ハガキをもらった方に賀状を出しても、別段失礼には当らないともいわれます。

投稿し採択されると、新聞社の選者から、投稿者確認の電話がきます。若い女性編集者に疑念を述べると、「どう思われるかとの問いかけなので、この論旨でいいではありませんか、掲載します」と採択されました。
後から謝礼3,000円分の図書券が贈られました。調子に乗って後日「ポスト菅をつらつら考える」も採択されました。さらに何通か投稿しましたが非採択がつづいてブログになりました。新聞投書は結構読まれている証拠に、新聞投書を読んだと級友が賀状をくれました。 


喪中はがき

2012年11月16日 | その他

IMG_0002-1

喪中につき           

年頭のご挨拶を

失礼させて

いただきます

 

 

 


                                                              (故人が朝起きると、毎朝眺めた風景です)
母 ○○○○○ が○月○日に108歳で
○○市最高齢者として天寿を全うしました
新年のご祝詞を申し上げるべきでございますが
喪中につき勝手ながら欠礼させていただきます
明年も変わらぬご厚誼のほどお願い申しあげます

平成24年11月

天寿とは昼寝の覚めぬ御姿
        阿波野青畝(あわのせいほ1899~1992俳人)

〒×××-××××
住所
TEL/FAX ×××-×××-××××
氏名


もう年賀状の印刷を準備する季節がやってきました。今年の春、母が逝ったので慣例に従い、過日喪中はがきを出しました。
11月はじめに、もう喪中はがきが数通届き、早速郵便局へハガキを買いに行きました。
郵便局窓口で聞くと、喪中ハガキに一般的に使われるのは、切手部分のデザインが緑色の花のものだと勧められました。印刷を業者に外注するならそれでいいのですが、せっかくパソコンができるので、自家製にしました。
上の図柄で、文面は昨年戴いたのを参考に、少し手を加えやや異質(常識外れ)です。
郵便局が勧めるデザインのは、インクジェット紙は無いそうです。普通の絵柄のインクジェット紙のハガキにしました。郵便局の女性職員は「すこし派手ですがいいですね」と、念を押しました。写真を入れる場合は、ぼかし気味の薄い色で、というアドバイスもあり、上の写真になりました。少し早めでしたが11月上旬にはもう出しました。

パソコンプリンターで印刷するには、文字だけでも、やはりインクジェット紙が、写真入りは断然きれいに印刷できます。

本当は外注で印刷のように、地模様に薄い何かの模様を全面に入れたいと、windows Word クリップアートを探しても、適当なのがなく、Webのクリップアートも、古いWord 2002なのでダウンロードできませんでした。


入院4日目以降10 最終

2012年11月15日 | 日記

月曜、火曜日の二日間、風邪で休んだ岐大医学部看護学科の実習生は、退院の朝、病室を訪れてくれました。廊下へ出たところだったので、思わず握手して迎えました。
この愛知県の西から名鉄で通学しているという、頭の良い女学生は何度も私の脈拍や血圧を測ってくれました。
私が手術に迷った理由の、セカンドオピニオンを求めた際の、Drに説明のため書いた3ページのメモや、ネットの資料、本なども読んでくれました。彼女は立派な看護師になり、やがて看護師長、看護部長になるでしょう。

実習生は前の週に手術室でも立ち会ったといっていました。具体的な手術内容は聞かないのがマナーでしょうし、話せないでしょうから聞きませんでした。ただひとつ、頸の創の縫合はホッチキスだったか、糸で縫ったかを、お聞きしたら、「糸で縫合のようでした」と、自分でも分ることを聞きました。

やがて9時になって、主治医から診察室へ呼び込まれ、硬くツンツンする糸を鋏でパチパチと10箇所の縫合を抜糸されました。今後の見通しは「われわれは良性腫瘍と診ているが、細胞診の結果は2週間ほどかかるので、一旦退院して15日に外来に来てもらい、その結果を告げます、良性であれば、後は1年後に経過を診る程度で、その後はもう治療は打ち切りでよい、何も心配ない。悪性であると通常のがんと同じ経過観察(サーベイランス)が必要です」と告げられ、直ちに退院が許可されました。

病室へ戻り看護師が、退院後の注意事項を書いた書類を持参して説明され、荷物の整理をし、看護師の立会いを形式的に求めました。お昼の給食の中止は、退院許可で自動削除されるとのこと、残っておられた1人の患者に「お世話になりました」と挨拶して退出しました。出入り9日間の入院でした。

スタッフステーションで、看護師長さんに退院挨拶すると、「実習生がアンケートを求めているので応じてください」といわれ、ステーション前の休憩コーナーで実習生と最後の面談をしました。彼女はアンケートではなく、手作り手書きの3ページの、ほっこりする退院お祝いのメッセージをくれました。内容は、おめでとうにつづき
 1、退院後に気をつけること-甲状腺の摘出を受けて-3項目
2ページ目は
  1、カルシュームを多く含む食物を摂取しましょう!(解説つき)
 2、ビタミンDを多く含む食物を摂取しましょう(解説つき)
3ページ目は
  1、カルシュームが多い食品ベスト32品目(水分が40%以上の食品)
 2、ビタミンDの多い食品17品目  のリストでした。

心のこもった手作りメッセージをいただき感激しました。彼女にだけくだらないブログを書いていると、告白していてブログIDを教えていました。彼女は覗いてみてくれたようで、「孫の修学旅行」が面白かったといってくれました。「看護師は大事な仕事なので励んで下さい」と激励してお礼をいいお別れしました。

担当医をはじめ、術前の主治医、多くの看護師さん等々大変お世話になりありがとうございました。1階へ降り、退院手続きと清算をして、バスで帰宅の途につきました。

昨日はこの原稿を草稿しながら、国会の党首討論を観ました。税と社会保障の一体化の国民会議の早期発足を野田総理は提案し、安倍総裁は前向きを約束しました。医療費は消費税の適用はありません。病院の薬品・資材・器材・食料など全て消費税がかかります。その差額を病院に求め続けることはしょせん無理があるでしょう。こうした矛盾も今後国民会議で論議の的になるでしょう。


入院4日目以降9

2012年11月14日 | 日記

この病棟は火曜日が頭頸部外科の教授回診の日で、今回で2回目の診察。看護師が病室へ対象者を呼びに来られる。廊下の椅子に並んで待った。
前日入院された同室の新患さんも横に座った。余計なお節介かもと思ったが、スタッフステーションのカウンターにたくさん置いてあった、新聞の切り抜きのコピーを持ってきて、「読んでみてください」と手渡した。「声を失った小学校長の卒業証書授与」の記事で、喉頭がんで声を失った校長が、術後のリハビリで食道発声により卒業生一人一人に自ら卒業証書を読み上げて渡した感動的写真入報道であった。

付き添っていた看護師は「ここで手術なさった方です」と、説明された。もう1枚は同じ高山市で無声になった患者が東京まで発声教室に通い、最近は岐阜市や地元で同じ仲間と発声教室の活動をしている記事だった。
私に食道がんを手術すると言われたので、この新患さんもひょっとして無声になられる運命かもと、気を回したのである。

今日の回診教授は私が入院する前の主治医、臨床教授ではなく、次席の准教授だった。「どうですか」と聞かれ「絶好調です」と答えた。「声も障りなく、傷の治りも良いようです、傷が治ればすぐ退院です」と、創を診察された。

嗄声(させい)にならず、かえって今までより艶のある声になったようでうれしい。反回神経に腫瘍が巻きついているような場合は、手術が厄介なようだし、本によると、たかが甲状腺摘出でも、女性だと首の傷跡が目立たないように切る、声を出す神経や重要な血管、気管、食道に障害を引き起こしては何にもならない。がんさえ治ればよい、というわけにはいかないとある。わたしはどこまでも幸運の神がついて回っている。

新患さんの奥様と息子さんが入院された夕方お見舞に来られた。ご家族の様子やご本人の様子から50代終わりか60代初めの年齢と思われた。家族との面談は面会室へ行かれた。
もし無声になられるようなら、残り少ない家族との肉声の会話になるだろうと予想した。

本によると、食道がんの手術は大変な手術らしい。食道を取る胸の手術だけで2時間半~3時間、9時から始めてもうお昼、その後腹部と首の手術、胃を取っている間に、別のチームが首のリンパ節をはがす。全部を取るのに5~6時間かかるとされている。

この新患さんは、明日がその手術だ。私は明日が退院予定の日だ。
その日の朝、8時半にはご家族が病棟へ入られた。私が抜糸して退院許可される前に、もう9時頃手術室へベッド毎運ばれた。
「私は今日退院です。私も多くの手術をしました。その夜はエライですから頑張ってください」と最後の別れをした。

食道がんは声帯にいく反回神経はできるだけ取らない。これを傷つけると、食事のときむせるし、声がかすれてしまう(嗄声)からとあります。
たばこや、熱い飲み物、熱燗のお酒を好むのは喉頭がんや、食道がんによくないらしい。
無声の恐れのあるこのがんにはなりたくない。

もう24年前になるが義弟の連れ添いが35歳くらいだったか、口腔がんになり入退院を繰り返し、最後は顔半分を失くすくらい手術を重ね、最後は脳に転移し眠り続けて42歳で亡くなった。その病院が移転新築する前の旧岐大病院だった。初めて手術を迎える前の日、私の近くの桜の名所で家族の花見をやった。その写真に彼女の笑顔が写っている。「顔を失くしてまで生きたくない」と、そのとき嘆いた。

危篤で病院に行ったときは、もう霊安室に移されていた。病理解剖したいと求められ、義弟は「少しなら」と応じた。彼女の父は「長くお世話になったので協力せよ」と言った。
‘89年インドネシアの短期留学生がわが家でひと夏を過ごし、彼を連れ彼女を見舞った。脳が侵され昏昏と眠って意識はなかった。インドネシア高校生の叔父が医師で岐大留学の経験があるといった。昔を思い出したが、彼女すなわち弟の妻も、その父も、わが妻も、その父も逝った。


入院4日目以降8

2012年11月13日 | 日記

この病院には院内学級のほか院内図書室があります。広さも十分で書見台が二列あり、ノートに氏名と病室名を書いて病室へ借りてくるのも自由です。所蔵図書は文庫本を主体に病気の解説書や、古いが単行本など雑多にあります。数冊読んだ中に「甲状腺の病気」という1冊がありました。
甲状腺は全身の細胞の働きを活発にする、チロキシンなどの甲状腺ホルモンを分泌する。このホルモンが少なすぎると発育不全になるし、多すぎるとバセドウ病になって、眼球突出、動悸、頻脈などが出てくる。ホルモンの異常は血液検査で数値としてはっきり出てくる。

甲状腺の働きが弱まると、無気力、寒気、記憶力の低下、皮膚の乾燥、血中コレステロールの上昇などの症状が出る。橋本病(慢性甲状腺炎)は体の免疫機能が自分の甲状腺を敵とみなし破壊してしまう病気で女性に多い。昔、橋本博士が論文を書きドイツで知られ日本に逆輸入され病名になった。

甲状腺ホルモンの調節のしくみ 1、室温を感知する 2、エアコンを作動させる 3、暖かい空気を送る、部屋の温度を一定に保つに似ている。
1、脳の下垂体がサーモスタットの役目をする 2、脳の視床下部がTHSという物質でエアコンへの指令をする 3、喉にある甲状腺がエアコンの役目をする。という機能らしい。

甲状腺を全摘すれば、橋本病と同じで生涯にわたって薬で甲状腺ホルモンを補充、飲み続けることになる。アメリカは悪性、良性を問わず全摘するし、日本は手術では3分の1ほど残せばホルモン分泌は支障なしとされる。20年前の本(注1)と最近のネット情報に変りはない。

当初、診てもらった病院はアメリカ式だったので、転院して半葉切除の手術を受け、術後の検査でホルモン分泌に異常なし、と診断されたのは幸運だった。

インフォームド・コンセントは国立国語研究所が提案する外来語の言い換えで「納得診療」とされる。セカンドオピニオンは「別の医師の意見」と言い換える。これは大事なことで今回の入院手術の私の判断は適切だったし、治療も十分納得している。

昨日アップした亡妻の末期治療の病院提案の手術を実際に受けていたら、もっと悔やんだだろう。あのときは悩んで、在所の若嫁の姉さんの連れ添いで、浜松医大出の静岡県で消化器外科医を勤める遠縁の医師に意見を求めた。彼の回答は「病院に任せよ」だったが・・。

甲状腺がんは、放射性ヨウ素の被爆でも起こるため、東京電力福島第一原発事故で、こどもの被曝が心配されている。大人よりこどもが10倍も被爆吸収量が大きいからだ。
被爆で甲状腺がんが発生するのは4~5年後からで、福島県はこどもの甲状腺検査を行っている。「現時点では福島県民の甲状腺への被爆量はチェルノブイリよりずっと少ないとみられる。ただ、事故直後の放射性ヨウ素の影響は不明なので、こども36万人は生涯、甲状腺を検査していく」と、福島県立医大の鈴木真一教授(甲状腺外科)は言っておられる。(注2)
原発事故は大変な負の遺産を、福島県民に残したのだと憤っている。

(注1)「このがん この病院」朝日新聞科学部編 1990・7刊
(注2)2012・3.13朝日新聞 医療ページ「甲状腺がん 長期様子見も」 


入院4日目以降7

2012年11月12日 | 日記

この病院は大学病院らしくいろいろな相談窓口が準備されている。院内散策の途中「がん患者と家族相談」の院内放送があった。近くを歩いていたので相談室へ立ち寄ってみた。中年の御婦人が勤めておられて、がん患者サロン-和み- というらしい。

病衣を着た来客なので気楽に迎えていただいた。「私もがん患者です、7年前に乳がんをやりました。むしろ皆様から逆に力をいただいています」と迎えられた。
乳がんとお聞きして私自身のがんとか、悩みとかはどうでもよくなって、そこから昔話になり、手術された乳がんが亡妻と同じ病院であることが分った。

医師達の名もよくご存知だった。このソーシャルワーカーさんは、公的資格の方ではないようで、自らの病気と向き合ううち、乳腺学会にまで聴講に出かけるようになり、やってみないかと勧められ、この病院の相談員のボランティアをやっているといわれた。

病人や家族は治療の結果が良ければいい病院、いい医師となるし、結果が悪ければ悪し様にいう傾向にあります。亡妻の場合は腰痛をずっと訴えるのに転移を見逃し、あろうことか開業医のCTで、転移を告げられた始末で恨み節になる。この恨み節はかって記事にもし、この相談室でもまた愚痴ってしまった。

乳がんが骨転移して脊椎が侵され、激痛で下半身麻痺が来て末期であるのに、背骨にステンレス棒を補強する整形手術を、院長回診で提案され執刀直前まで行った。
ある50代の女性には実際にこの手術をやられた。この方は個室へ戻って1週間後、脳転移して四六時中うわごとを言われるようになり、間無しに亡くなられた。
この手術の3割負担の保険金は175万円と家族がいわれた。過剰治療か営利主義では?とまたこの相談員に愚痴った。

近郊では当時、この先生は乳癌治療で著名で、多くの乳がん患者が助かりたい一心で押しかけた。相談員によると、「あの先生は乳がんの生検の機械を発明され有名なの」と教えられたが、私はその生検方法さえ知らなかった。今では普通のマンモグラフィーという診断方法も、まだ一般的ではなかった時代だった。
がんの告知さえまだ一般的でなく、当時留学帰りの慶大講師だった伊藤誠先生が、盛んに「がんを本人に告知して同意を得るのが医師の基本」と、啓発されていた時代だった。

ところで相談員の種類にも、呼称にもいろいろあってよく分らない。妻亡き後アルコール問題を生じ、精神病院で治療を受けた際は、生活保護、医療保護を受けている同病者も珍しくなく、ソーシャルワーカーとかケースワーカーという言葉は一般的だった。俗称ワーカーさんと呼ばれていた。当人にお聞きすると、正式には「精神保健福祉士」といって公的資格で、患者のいろんな相談事に当っていた。相談員にもいろいろあります。皆さんご存知でしょうか?

ソーシャルワーカーとは/ ケースワーカーとは/ 精神保健福祉士とは/ ケアマネージャー(介護支援専門員)とは/ 介護福祉士とは/ 社会福祉士とは/

また、看護師に静脈注射ができるのか⇒本来違法だったのですがWikiには”2002年、看護師等による静脈注射の実施について、診療の補助行為の範疇であるとの行政解釈変更が行われた。”とあります。


入院4日目以降6

2012年11月11日 | 日記

故郷から見る乗鞍岳 美女街道高山市久々野町大西展望台から

月曜日の朝、岐大医学部看護学科看護学生の先生が病室へお出でになり、実習中の学生が体調不良で休校した。風邪らしく熱と嘔吐があり患者に感染するとよくないので、看護実習ができなくなったと届けられた。「まぁ!あの元気な子が、お大事に」という次第で病室は淋しくなった。

看護は大事な仕事で、大変苦労の多い仕事だと入院してみるといつも感じる。その日の患者の気分も担当看護師によって随分変わる。どこの病院の看護師も患者に優しく、仕事は的確でよく看護してくれる。この病院も例外ではない。腰に職人さんのように腰袋をつけ何か二つネットに入れているが、何なのかついに聞き損なった。比較的若く良く動く看護師さんが多いように感じた。1フロワーに2つのスタッフステーションで、1つに35~40人程度のナースさんがいるとのことだった。

夕方5時頃とか、朝9時頃担当看護師が揃って病室へ「今夜の担当」と挨拶に来られることもあった。
引っ切り無しにナースコールがあって廊下の表示灯が点滅するし、PHSのケータイ端末にはよく呼び出しが来るし、看護はやはり大変だろうと思った。もちろん男性看護師も当然おられる。私の担当を何日もやっていただいた。

この病院、岐大医学部付属病院の「看護部の理念と基本方針」は、「思いやりのある看護の実践」とあって、基本方針は
1、患者が置かれている状況から、必要な看護に気づきます。
2、科学的根拠に基づいた安全な看護を提供します。
3、患者の権利を尊重した看護を提供します。
4、地域と連携した看護を提供します。
5、思いやりのある看護を提供できる組織文化を醸成します。  の5つです。

「医療安全推進活動」も推進されている。
3つのお願いが、患者に求められている。
1、(名前を問われたら)名前を患者さんご自身の声で聞かせてください。
2、ご自身のお薬をご自身の目で確かめてください。
3、「あれ?」と思ったら、そのとき職員に尋ねてください。  の3つです。
注射される際、点滴のビンを交換される際など、この三つは実践されていた。また手術室のベッドに上がったときも「名前を聞かれ、どこを手術しますか?」とオペ看護師が尋ね、「甲状腺右葉切除です」と答えた。間違って関係ないところを取ってしまう手術や体内に器具の置き忘れなど、絶対無いとはいえないのであろう。念を入れて確認していた。

病院の敷地内には看護師専用宿舎があり、主として就職3年以内の新人が入居し、次第に借り上げ宿舎へ移るとのことでした。もちろん保育所も併設されていて、1~2歳の可愛い幼児が保母さんと手をつないだり、乳母車などで構内を散歩していて、患者達は癒され思わずニッコリ、「やあ!オハヨウ」でした。

クリニカルパスの見本は、金沢大付属病院に見本がありました。