突然の年末解散で世は騒然としてきました。おおむね毎日、喫茶店の朝昼食兼用のモーニングサービスで新聞数紙を読むのが日課です。
どこかの新聞が野田首相は、第3極といわれる勢力が選挙態勢が整わないうちに、解散する可能性は大いにあると報じていました。
14日の党首討論で何かの動きはあるだろうと予想はありましたが、マスコミも政界も党首討論の場で解散表明するとは、誰しも予想しませんでしたね。
野田さんの性格、政治姿勢から「近いうち」と約束した以上、民主党内の解散反対論が大勢を占め、野田おろしが出てきてもものともせず、「決められない政治」が続く国会を打開するため、討論の場で乾坤一擲、大勝負したのは正解だと思います。
私は党首討論を番組予約しブログの草稿で遊んでいて、テレビ中継が始まり、笑顔一つ見せず、野田氏には迫力があり、自民党の負の遺産があまりにも大きかったと、冒頭の安倍自民党総裁への反論から始まりました。
翌日の新聞は、討論後、岡田克也副総理が記者団に「見事なリーダーとしての決断」と首相をたたえ、「特例公債法成立の確約をとり、議員定数削減をギリギリまで追及した。政治家としての器の大きさ、小ささがはっきり出た党首討論だった」と絶賛していました。
公明党の山口那津男代表は討論後の記者会見で、・・・「野田さんの政治家としての姿勢は信頼していた。税と社会保障の一体改革を進めるにあたり、ともに使命を果たしたい」と評価していました。
野田ファンの当方も、民主党のだらしなさや、政党として体を成さない有様に呆れていたので、スカッとしました。
前にも記事にしましたが、野田さんのA級戦犯合祀を理由に、靖国参拝を云々するのは論理破綻しているとの、議員時代の国会質問趣意書は正論でしょう。中国や韓国に気兼ねなく、彼の国がどう反発しようが、安倍さんが総理になったら堂々と参拝すべきだと思っています。
笑わん殿下、原理人間、イーオン創業者の息子の岡田克也氏にも一度総理をやらせてみたい。Wikiの野田佳彦の解説に、松下政経塾の入塾に当って松下幸之助との、最終面接の記事が興味深い。
“松下幸之助が設立したばかりの松下政経塾に第1期生として入塾した。
野田は「今でも、松下幸之助塾長との最終面接を鮮烈に覚えています。笑顔で迎えてもらったが、目は笑っていませんでした。むしろ、射抜くような怖い目つきでした。耳はとても大きくて、ピンと立っていました。」「『キミの身内に政治家はおるか?』『まったくいません』『そりゃ、エエな。ところでキミの家は金持ちか?』『どちらかというと貧乏です』『なお、エエな』何が良かったのか、いまだにさっぱり分かりません。が、こうして、政経塾で5年間、あるべき政治の姿を学ぶことになりました。」と当時について回想している。”
それから千葉県議に立候補し、照る日も降る日も一日も欠かさず千葉駅前で演説した。これを国会議員になっても、財務相に就任するまで25年間続けたというから立派です。
消費税アップは誰もが望んでいません。しかし国の財政は借金漬けで、借金半分で毎年予算を組む、末代にツケを回す、今の日本の現状を見れば、誰でもこの現状放置は許さないでしょう。
友人の息子の嫁さんが、近くの県庁所在都市のある小学校の臨時養護教員に行っています。そのごく普通の地域の小学校には360人の子どもが在籍していて、その内120人が給食費を払えないと嘆いています。もちろんシングルマザーの生活保護の子もいるが、中には不払い理由のない横着で払わない親も結構いるとか。なし崩しに学校が面倒をみているということでした。
国民の程度に応じた政治家や政治しか持てないといわれます。この国も国民も、どこかおかしくなってしまったね。亡国まっしぐらではありませんか。
看護実習についてくれた子にも、「生まれてくる時代を、子は選べないが、あなた方世代は生まれてこの方、お国がホッコリした顔を見せたことがない。気の毒だ」と言ったら彼女は頷いていました。