たそがれ時のつれづれに

人生のたそがれ時を迎えて折々の記を・・思うままに

読書・キリストの誕生

2014年03月22日 | 読書

図書館へ拉致関係の本の返本に行ったついでに、また廃棄本を1冊貰ってきました。
「キリストの誕生」遠藤周作著 新潮社 昭和53(’78)・9月刊
この本はあとがきによると雑誌「新潮」に連載されたのを加筆訂正されたもの。
“5年前に前著「イエスの生涯」を上梓した時、イエスを見捨てて逃亡した弟子たちが、そのイエスを忘れるどころか、彼を神の子として信仰するに至った過程を書かなければ、この「イエスの生涯」も完結しないと考えるようになった。“
”イエスは「人の子」と言われ「神の子」となり、救い主(メシア)と呼ばれ、そしてキリスト(救い主)になった。” 

純文学作品ではなく、最終章第13章に「イエスのふしぎ、ふしぎなイエス」にあるように、
”西暦30年の春、エルサレムの城外の岩だらけの丘で、一人の男が処刑された。男は十字架に両手、両足を釘づけにされ、3時間の苦しみの後、息たえた。その死を遠くから見守ったのは彼の母親や何人かの女性たちだけで、生前、この男と生活を共にし、おのが信念を吹きこもうとした友や弟子たちはすべて彼を見棄て、逃亡していた。”
“イエスの臨終の有様を伝え聞いた弟子たちは、初めておのれの卑怯さ、弱さに号泣した。良心の呵責を噛みしめながら彼らは故郷のガリラヤに戻ったあと、再び思い出のエルサレムに集まった。それが原始キリスト教のはじまりとなった。“
その事績を、聖書を基にして論考した本です。と言っても難しい内容ではなく、遠藤文学は女子高生にも理解できることを基調とされたと、記憶していますが、遠藤美学に彩られた理解しやすい本です。

反ローマ運動の扇動者として、逮捕され裁判を受けるため、大祭司カヤパ邸へ引き立てられた”師を卑怯にも見捨てて弟子たちはすべて逃亡したが、ひとりペテロだけは自責の念に耐えられず、大祭司カヤパの官邸にもぐりこむ。そして彼を見咎めた召使の問いに「イエスなど知らぬ」と関係を否認する。“(万華鏡 遠藤周作)
この場面は第1章のはじめに出てきます。”・・・さてペドロ、外の庭に座しいたるに、一人の下女、近づき、汝もガリラヤのイエスと共に座し居たりきと言いしかば、彼、衆人の前にて之を否(いな)み、我、汝の言うことを知らずと言えり。・・(マタイ、26-57~75)

と、豊富に聖書を引用され解説されている。
遠藤氏は小学校3年の時満州の大連にいた。横浜正金銀行に勤める父と母の間が不和になり、少年の遠藤さんにはその理由が一向に分からずただ当惑し、ひたすら息を飲んで毎日を過ごした。その頃家にクロという犬を飼っていた。学校の行きかえりいつもクロは私のそばをのそのそついてきた。クロに切なさをうちあける。
“「どうしてこうなったんだろうなァ」「仕方ないですよ。人生ってそんなもんですよ」とクロは答えた。クロは確かにそう言ってくれた。・・・
・・・大連の冬が終わりアカシアの花が咲くころ両親は別居することが決まり、母は兄と私を連れて日本に戻ることになった。馬車(マーチョ)に乗った私をクロはどこまでも追いかけてきた。” 
母が信仰したキリスト教の洗礼を受ける。
”聖書を読み、自分を捨てたペテロを、「ふり向いて眺めた」イエスを思う時、私はなぜか、あの時のクロの寂しそうな眼を思い出した。“(万華鏡 別離)

脱線してしまったが、兄正介氏は東大法科を出て秀才の官僚、当時の電気通信省に入省、後に電電公社職員局長時代に、ストで勇ましかった労組との総元締めで、対応が甘いと自民党総務会に狙われ関東電気通信局長へ左遷された。それからまもなく確か肺がんで50代半ばだったか急逝された。仲間たちが「遠藤正介全集」という、思い出や書き残された雑文を集めたケース入りの部厚い本がどこの局長室の書棚にも置いてあった。


寒いお彼岸の中日

2014年03月21日 | 日記

寒いお彼岸の中日です。昨日は結局終日雨と寒さでどこへも出かけませんでした。
夕方スーパーへお買い物、暗くなった帰宅途中お寺さんへ、お布施だけ出しに立ち寄りました。
せめて今日は墓参だけでもと、いつもの安い仏花マレーシア産の白菊315円を2束買ってきました。仏壇用と3つに小分けするケチぶりです。

写真は昨年の今頃の庭の水仙のような花、今年はようやく目が出て10センチ足らず伸びてきましたが蕾はまだうんと小さい。
先週のゴルフコンペでも同輩が「今年は寒いのでまだ4回しか行っていない」と言っていて、寒い冬だったのは私だけではありません。
ここ2,3日漢方整腸薬の副作用か、お腹の一部の皮膚が痒くて、皮膚科の貰い置き塗り薬フルメタクリームと血行促進剤ヒルドイドを塗っても治まりません。抗アレルギー剤アレグラも服用中です。

それにしてもマレーシア航空のボーイング777はどこへ行ってしまったのでしょうか。昨日は豪州首相が衛星で大きな浮遊物を発見と議会報告、捜索機が上空まで行ったが日没で発見できませんでした。
日本は4機の哨戒機が、アメリカは消息を絶ったマレーシア航空機が向かった可能性がある豪州西部沖海域の捜索に、米軍の最新鋭哨戒機P8を投入したことを明らかにしたとあります。
高性能のレーダーを備えているので海中の物体を見つけることができるようです。


彼岸法会

2014年03月20日 | お寺参り

今日と明日はお寺さんのお彼岸法会がある。納骨塔法要と永代経(えいたいきょう)が厳修される。
志を包んでお参りしなければならないが、氷雨が降って気が重い。長いこと亡妻の実家の墓参りをしていないので、今日明日どちらかで義母の顔を見がてら行かねばと思っている。
今夜はまた仏教講座の日でもある。これも冬の間欠席しがちだった。行かねばならぬ。

昨日の国会中継で、北朝鮮拉致被害者に尽力された中山恭子氏が安倍首相に質問に立ったのを見た。中山氏は今は日本維新の会所属だった。相変わらずか細く、上品で丁寧な言葉を発せられる。
安倍首相は今回のめぐみさんの娘キム・ウンギョン(ヘギョン)さんと面会したことについて「ずっと私たちの宿題だった。一つ肩の荷が下りた思いもする・・」との答弁は本音でしょう。
安倍首相はよくやられたと評価すべきでしょう。昨年3月モンゴルを訪問し大統領と会談、拉致問題解決の協力を要請、9月の大統領訪日の際は私邸に招くなど異例の厚遇、戦略的にモンゴルとの関係を深めて行って、双方の顔が立つモンゴルでの対面場所を提供された。
昨年訪朝された飯島勲内閣官房参与が「外交的には失敗かも知れない。幕引きに利用される懸念」と、ネット記事を見たが飯島氏はその根回しに行ったとばかり思っていた。どういうことだろう。

いずれにしても厄介な隣国で、ミサイルと核開発は阻止しなければ日本は危ない。原発が54基も稼働していて北朝鮮からミサイルで破壊されたら、日本はひとたまりもない、原発再稼働は論外だと学者が警告していた。
福一の汚染水を処理する除去装置ALPS(アルプス)が故障停止した。トラブル続きで運転と停止を繰り返していて試運転すら終わっていないと今朝の新聞だ。正常稼働してもトリチウムだけは残ってしまう。
安倍首相よ、再稼働にGOで行きますか?停めて北朝鮮のように停電ばかりで貧しい国に戻りますか?ああ悩ましい。


読書・めぐみと私の35年

2014年03月19日 | 読書

お粗末ブログをやるようになってとんと読書から遠ざかりました。
「めぐみと私の35年」横田早紀江 著 取材・構成 歌代幸子 新潮社 2012.8月刊

言うまでもなく北朝鮮江拉致事件被害者のシンボル的存在、横田めぐみさんの母の慟哭と怒りの告白です。まだ読了していません。190ページの普通の厚さですが、2晩で半分以上を読みました。
原著は「新潮45」2012.2~4月号に連載された「めぐみを取り戻すのは今しかない」に大幅加筆、修整されたもの。ノンフィクションライターの歌代氏が協力された。

我が図書館の書籍は新本につけられる「帯」の要点を切り抜き、表扉に貼ってくれていて親切です。
”「拉致から35年、小泉電撃訪問から10年。死ぬ前にもう一度、娘に会いたい。日本政府、国民、そして北朝鮮に向けた最後の訴え。全国民が心に刻むべき母の記録” とあります。

ほんとにそのとおりです。
序章ー今年こそ絶対に 第1章ー追憶 いちばん幸せだったころ 第2章ー絶望 どこにもいない
第3章ー信仰 わたしの家族の原点 第4章ー衝撃 北朝鮮で生きていた 第5章ー交渉 振り回される日本 終章ー祈り とにかく元気でいて 謝辞 という構成です。
第3章まで2晩で一気に読みました。京都で豊かではなかったが、普通の幸せな家庭に育ち、中学2年のとき父が急死し、母と兄が高校だけは行きなさいと、兄が働いて学資を出してくれ、京都市立堀川高校を卒業し就職される。就職先の先輩の女性から見合いの話が持ち込まれる。この女性の主人が日本銀行から京都銀行に勤め、日銀時代の部下が名古屋支店にいるから、ぜひ紹介したいと夫となる滋さんを紹介され結婚した。
滋さんの郷里は北海道で10人兄弟の次男だった。父は釧路江南高校の校長、両親の暮らしぶりを見て大学進学をあきらめ、日銀札幌支店へ就職、10年ほどで名古屋支店に転勤された。出会いの頃の話も興味深かった。

名古屋でめぐみさんが生まれ、東京で双子の男の子が生まれる。めぐみさんが小学校1年生の3学期のとき広島へ転勤、4年半で新潟へ転勤、そして悲しい事件は起こった。
何といっても、第2章ー絶望 どこにもいない 行方不明が突発した状況と心情が胸を打つ。
普通の人なら、鬱になるか狂うか自死の誘惑にさえ陥れられる状況におかれる。
焦慮に悶々と過ごす日々の中、娘と同級生のお母さんが来て、聖書「ヨブ記」を読むよう持参される。気が進まなかったが読み進むうち、深いことが書かれているようで一気に引き込まれる。
「聖書を読む会」に誘われ、アメリカ人宣教師の導きもあって洗礼を受ける。
やはり過酷な中で心を支えたのは信仰だったようです。

それが突然北朝鮮に拉致されたことが分かって、平凡なお母さんだったはずの早紀江さんは娘を取り戻すことに満身の活動を開始された。とにかく感動的で読みやすい良書です。

3日前の会見では滋さんが「本当のことが分かれば、その時は覚悟している」と締めくくられたとネット記事をみました。


お彼岸の入り

2014年03月18日 | 日記

今日はお彼岸の入り、21日がお中日・春分の日です。昨日の暖かさは本当に春でした。いつも灯油をこの時期買い過ぎ翌年へ持ち越すので、今空になっているポリ缶1本を補充に行くか迷っています。
昨日夕方のスーパーはお彼岸特設コーナーを設けていました。お供え用のお菓子やおはぎなど売っていて、おはぎを買ってきました。

横田夫妻の記者会見も見ました。念願かなって孫とひ孫にまで会えてよかったですね。ひ孫は10か月の女児、歩行器を押して這い回っていたと滋さんは喜んでいたね。孫もひ孫も家系の丸顔だったと相好を崩しておられた。早紀江さんは「奇跡のようだ」と喜んでおられました。

早紀江さんは私と同い年でした。急に会うことになって韓国語を勉強して行かれたかな。
私は退職した翌年平成6年に済州島へ2泊旅行しました。その際ガイドの韓国外語大出の秀才お姉さんに、アンニョンハシムニカ(こんにちは)と、カムサハムニダ(ありがとう)を教えて貰いました。
早速使いまくりましたよ。その後のハワイ旅行でもノースウエスト航空の客室乗務員がコリアンアメリカンだと言いました。飛行機を降りる時、皆を送ってくれた彼女に「カムサハムニダ」と言ったら、ペラペラ・・ハセヨ!と沢山の言葉が返されました。家内がビックリして「何言ったのよ」って聞きましたっけ。
アンニョンハセヨより、少しかしこまった表現がハシムニカとありますね。
一言でも現地の言葉で接すると、現地の人々の接し方が違いますね。

対談の席にめぐみさんの姿はありませんでした。無念でしょう。
本を読むとめぐみさんは、1964年(昭和50)10月5日、日本銀行名古屋支店に勤める主人の赴任で名古屋にいたとき生まれたとあります。東京オリンピック開幕を控える頃とあります。
日銀名古屋支店は名古屋御園座の北、広い伏見通りに銀行らしいたたずまいの白い平屋のビルでした。
昭和53年私は名古屋勤務から故郷へ赴任しました。4年間名古屋にいたので同じ頃の勤務地です。故郷へ転勤すると名古屋から転勤してきたある同僚の一人の管理職が宴席で「うちのかあちゃんは日銀務めだ」と言いました。ヘエ~っと驚くと、「ただし掃除婦だ。日銀の掃除婦は身元調査の上採用される。バカにしてはいかん」とエバっていました。この方の奥さんは横田滋さんをご存じでしょうね。
めぐみさんが小学1年生の3学期広島へ、この広島時代が一番幸せだったとあります。
1976年めぐみさんが小学6年7月末、新潟へ引越し、中学1年の11月15日北朝鮮へ拉致されたのです。
転勤族の親と、学年途中に馴染んだ友達とさよならをして、そして事件に巻き込まれた。可哀想でなりません。
早紀江さんは語彙も豊富で、感情豊かにコメントされます。長い闘いの間に鍛えられたのでしょうか、頭のいい利発な女性と伺えます。お元気でお過ごしください。


横田夫妻孫と対面

2014年03月17日 | 読書

昨日のネットニュースで北朝鮮拉致被害者、横田めぐみさんの父母滋さんと早紀江さんがモンゴルのウランバートルでめぐみさんの娘、孫のヘギョンさんと会ったと外務省が発表したことに驚きました。
驚いて図書館へ行ったついでに拉致関係の本を検索すると5冊が表示されました。

・「めぐみさんたちは生きている!」北朝鮮拉致家族会・救う会10年の闘い 同会編著 協力:産経新聞出版写真報道局 産経出版社 2007・6月刊
・めぐみと私の35年 横田早紀江著 新潮社 2012・8月刊

の2冊を借りてきました。家族会・救う編著の本は教科書サイズの本で、ページ数145ページ、被害者の家族が提供した幼いころの写真や、北朝鮮が提供した死亡診断書などの写真を多数納めた、拉致事件とはどういう事件であったか、いかに非人道的事件であったかが分かりやすく編集されている。ざっと目を通したところです。
母早紀江さん著の本はまだ読んでいません。

それにしても、よく孫のヘギョンさんと会えたと思います。外務省の課長級の交渉で北朝鮮に利用されないため第3国のモンゴルで会えるよう交渉したとか。ネットの続報で
・孫のヘギョンさんの毛髪と血液が送られてきていて娘の子であることをDNA鑑定で確認されている。
・ヘギョンさんは情報関係大学院を出て結婚していて、すでに子があること、その夫と共に会ったとは全く驚きました。よかった。よかった。

本によると、めぐみさんは20年間行方不明だったそうです。この親子の不運を思うとお慰めの言葉もありません。
”1977(昭和52年)11月15日拉致
横田めぐみさんは、新潟市の中学校から帰宅途中で拉致されました。失踪後、長く消息が分からなかったのですが、平成8年、「現代コリア」10月号に、朝日放送の石高健次が匿名の北朝鮮工作員の証言を紹介しました。「13歳の少女が日本の海岸から北朝鮮へ拉致された」、「少女は学校のクラブ活動だったバドミントンの練習を終えて、帰宅途中だった」。この情報は、横田めぐみさん失踪事件の情報とピタリ一致しました。平成9年1月には、西村真悟衆議院議員が政府に質問書を提出、2月には予算委員会で質問し、橋本首相(当時)も調査中であると答弁しました。そして、同年5月の参議院決算委員会で、政府は横田めぐみさんを北朝鮮による拉致被害者と認定したことを明らかにしました。小泉首相訪朝では、めぐみさんは「死亡」と伝えられましたが、提供された情報や「遺骨は」全て捏造されたものでした。「死亡」証拠を出せないのは、めぐみさんが生きているからです。” (家族会・救う会編から)

巻末に「あなたにできること」とあり、私にも今できることは「救う会」に募金することです。または家族会銀行振り込み(東日本銀行川支店(普)481854北朝鮮による拉致被害者家族連絡会)に近日中に実行します。


春ゴルフ

2014年03月16日 | ゴルフ

(写真は多治見北カントリー倶楽部)

3日前のゴルフコンペは、短いとはいえ男子プロトーナメント開催コースでスコア96、100を切れたのは満足だった。ハンディキャップは22を貰ったが、昨年11月に同じコンペ・コースでも94で回りH’C28のNET64で優勝し岐阜新聞のゴルフだよりに出た。また別の会でも94で回れた。
このコースは相性がいいと言うことだろう。
年4回開催でH’C28は3年に1度見直しの規程、過去3年の実績で算出された結果です。優勝で2割カットの今回は22であった。それで28人中4位に入れたのであるから練習の成果であろう。

下手の横好きに過ぎないゴルフながら生き甲斐の最大のものだ。
このコンペ結果は通常旧友会のホームページに掲載されるが、昨年11月優勝の時はホームページでなく、県下の会員に郵送される会報紙に会員募集記事とともに結果が報道された。多行を費やし私の優勝を記事にしてくれ、喜寿を迎えたこと、7回もの病気手術を克服して、皆出席している近況まで添えられた。
県下会員は2千数百名なので多くの会員が目にしてくれたことだろう。恥ずべきことか、喜ぶべきか、素直に幹事さんの気配りに感謝しています。
その名幹事さんも8年間勤められ今回、旧友会本部評議員に就任され幹事を別の方に委嘱された。長いお骨折りありがとう。おつかれさまでした。

先週3ラウンドしたが、仲間内なので一口レッスンも聞いたり求めたりした。限りなくシングルに近い1人の名手は
・ドライバーで飛ばすには、インパクトで左肩を後ろへ回さず、左肩を入れよ、すなわち肩の回転を遅らせよ。
・スイングや全ての動作を、特にパッドは丁寧慎重にと教えてくれた。

スタート前レンジでスイングを見てくれたひとり、これもシングルの腕、
・もっと振り切れ、打って終わりのスイングのパンチショットなので女子プロのように。
パンチショットは打って終わりの青木功プロ型スイングで、腕の振りを主体に腰を少し入れるので低い強い球が出る。距離も出るし風に強く方向が良い利点がある。(私はスイングに力みは無いが、パンチだと言われている)

喫茶店で毎朝読む「パーゴルフ」3月25日号は、当県恵那市出身のうどん屋の息子さん、ツアープロの今野康晴さんの「春ゴルフのレッスン特集」だった。

・ドライバーで手が先行し、振り遅れて、球が右に出る、スライス対策(私はこれが持病)
・トップスイングで右に向けた胸をそのままに/ 右肩を残すようにクラブを下ろす(手元が先行しない)/  インサイドアウトに振るが、そのままでは右に出るので、フェースをやや閉じ気味にインパクトする。(ドロー打ちの矢野東プロも大分前、胸を右に向けたまま下ろせと教えていた)

3日前のラウンドではこれが効いた。距離もまあまあ出て時には180ヤード、平均160,170くらいを真っ直ぐか、ややドロー(左回り)が出て満足だった。更に工夫したのは、
セットアップ/ 後方から見て目標の目印を近くに探す/ フェースや体をスクエア(平行)にセットしたまま/ 球を中心に左側にほんの少し回り込む/ 目標方向へ肩の向きを再確認/   重心を少し落として/  左腰をやや押し込み/  今野プロの教え通りやったら大成功して/  同伴者は目を見張ってくれた。
3人より距離は落ちたがほぼ狙いどおりへ安定して飛んだ。彼らは方向や飛び方にムラがあった。
メンテの良いコースだったのでグリーン回りを5番ウッドのアプローチを多用した。寄らないまでもグリーンに確実に乗せることはできた。収穫の多い日だった。


市の土地購入・不正取得?

2014年03月15日 | その他

今朝新聞を取りに郵便受けを覗いたら1枚のチラシが入っていました。市民の有志が立ち上げたという市民ネットワークという団体のチラシでした。
8年も前のこと、「緊急性も必要性もない土地をなぜ急いで買ったのか?しかも市民に知らせずに・・・」という内容のチラシで
・「1億円もの土地を買う時は議会にかける」と地方自治法に明記されているのに、
・議会承認を必要としないよう、土地面積をわざわざ半分に分けて(1事業を2事業に)緊急時に市だけの判断で使用できる「土地開発資金」が使われて購入し、
・8年後の今も事業は何も着工されていないままだという。
広さは9,300m²もある元自動車の跡地だとあります。
この団体に不正取得と訴えられて、現在名古屋高裁で係争中らしい。
前市長はロンドンオリンピック視察でも宿泊や通訳に払われた費用が高額すぎると訴えられ1審は市民団体の敗訴、これも高裁へ提訴中だとあります。

昨年の共産党のチラシではこの他にも、犬山ライン大橋の近くの城山を景観保存の目的で市が購入したが、妥当性に乏しいと訴えていました。
市民から見るとやりきれない思いです。前市長は昨年の選挙で予想に反し1万票以上の大差をつけられ敗退し、若い新市長が誕生しています。

問題の土地は天狗谷遺跡の左か、その上の四角が自動車跡地のようだ。土壌汚染の心配もあるとか。市は福祉施設の運動場を作る目的で購入したが、現在でも広い芝生広場があり、交通量の多い市道を跨いでの運動場作りには信憑性が乏しいと、団体は訴えている。ここは各務原CCの入口付近です。 


ゴルフコンペの日

2014年03月14日 | ゴルフ

トーシン ゴルフクラブ セントラルコース

今日は昔の仲間、同じ会社のOB会コンペでした。旧友会が組織されていて退職後の親睦活動・ボランティアグループなど多彩な活動をしています。ゴルフコンペもその一つです。
77歳以上は赤マークのレディスティ発進のルールなので、3人は赤マーク、1人はシニアティのゴールドマークでした。
距離があるとか、谷越、池越えなど難しいショートホールや長いミドルホールは随分前にティインググラウンドが作ってあり助かりました。
スコアは OUT51、IN49 グロス96-H’C22=NET74 順位4位/28人参加 まあ上等のスコアでした。

昨日の雨で少し芝は濡れていましたが、上天気に恵まれ風が強い日でした。コースは昨年秋、日本ゴルフツアー・トーシンゴルフトーナメントin Central が開催されたコースです。
今年もここで開催されコースはよく整備されています。もう今季の開催に向け周囲の樹木の伐採やあちこち整備していました。宇宙をテーマにした設計で月面クレータを模したポットバンカーやグラスバンカーが多いきれいなコースです。

ゴルフは高齢でもスコアは悪くてもやはり楽しいです。今週は3ラウンドしました。
義弟に誘ってもらい、株主優待券で多治見北GC、スコアは113
セントラルと同系列のホームコース、トーシンさくらヒルズGC プライベートコンペ定例会 スコアは100 プレー代、諸雑費含み全部で1万5千円余りでした。来週、再来週は休みます。


歯科治療終了

2014年03月13日 | 日記

3月10日の多治見北GC

今日は一日中雨間なしで降りつづけます。朝は喫茶店が休みの日、生ごみの日でしたが行きませんでした。買い物に行きたいのだけれど雨間がありません。明日だけは晴れてほしい、ゴルフコンペの日で8組32人もの大コンペの日なのです。

昨日はがん定期検診満了の日、半年ほどかかりつけだった虫歯にも何本目かの冠が入り、治療終了を告げられました。良いことの偶然は重なってほしい。
下前歯2番の歯に樹脂製・レジンというのか、冠・クラウンが被せられた。もうこの歳になると美容は関係ないので「金属製でよろしいです」と、院長先生に申し上げたが、「インレーですね、それでもね・・」と先生は樹脂製の色見本で色合いを眺め、すがめて、鏡で見せて「周囲全体の歯が黒いので・・」と試され、希望を聞かれ「一番黒っぽいのをお願いします」。
出来上がったクラウンはそれでも周囲の歯よりは際立って白かった。やれやれお世話になりました。
半年後に歯石を取りに来てくださいと歯科衛生士と院長先生両方に言われました。自然の歯は数えるほどしか残っていませんが、一応全部24本が自前の歯です。歯は健康のもとです。

また昨日は自宅車庫に白い真新しい自転車が置いてありました。孫娘に聞くと4月から京都の専門学校へ行く予定の自転車だと言いました。アパートも決めているのか聞き忘れましたが、自転車通学するのだと言いました。現地で調達すれば運搬に手間いらずでないの?
世間知らずの甘えっ子が本当に遠い都会でやっていけるのか心配です。

3月8日朝日土曜版、読者投稿「いわせてもらお」には、東京井の頭公園のため池の水を抜いたら200台もの自転車が出てきたという。脇で聞いていた小学3年生の孫娘が「乗っていた人は、どうなっちゃたの?」。幼児の疑問は正直で可愛いね。