ヤスの雑草日記(ヤスの創る癒しの場)

私の人生の総括集です。みなさんと共有出来ることがあれば幸いです。

今日は僕が癒されたい・・・・・

2006-11-02 23:22:41 | Weblog
先日から嫌な事ばかりが起こる。いやもっと正確に言うと、今年の8月あたりから、この嫌なことが起こり始めた。事は別々のことなのだが、精神はイラツイたまま今日まで続いている。よくもまあ、ブログを何とか書き続けられたなあ、という想い、だ。50歳を越えてから何もいい事が起こらない。ウキウキするような想像の世界が若い頃は幾つかは実現したものだが、いまは実現どころか、失望するばかりだ。自分には何も楽しいことが起きないのである。あるいは何も起きないとい妄想の虜になっているのかも知れない。これはどうなっているのだろう?想像するに、人間には人と出会い系サイトではなく(出会い系サイトのアホらしさについては先日書きましたね)。現実の世界で他者と出会うことが癒しの原点です。それができないために、仮想の世界に逃げ込むのが、僕が実験したところです。みなさん、特にソーバ・スパッチオなどというよく分からない名前のところは架空請求してくるわ、回収業者が脅しをかけてくるわで弱りましたよー。このサイトにもし覚えがある方は早急に抜け出てください。あそこは全くの悪徳業者ですから。まあ、プラグマティストなどといって変な世界に手を出してしまったのが悪かったのですね。そうするだけの事情はあったにはあったのですが、それは放置しておくべきでした。人間、というより、僕は間違いの多い人間です。一般化をしてはいけませんね。僕が間違いをよく犯してしまう人間だということです。しかし、ひと言だけ言い訳をしておくなら、僕はたぶん人をかなり信じやすい人間で、ある事がウソであっても一度は騙されてしまうタイプの男です。騙されてから、他者からアホか、と言われて、ああ、そうか、と気がつくタイプのようです。そういえば強気の学生時代も、教師時代も、騙され方は異なりましたが、よくしてやられました。いまのような弱気の僕はなおさらです。すぐに騙されてしまいます。そして相手方の騙し方、断り方、に唖然とさせられてしまうのです。僕はだいぶ年下の人間にだってすぐに騙されます。この間もかなりショッキングなことがありました。これはちょっと書けません。何だか若者が頽廃しているような気がしました。今回のことでは。理由を書かないのですから説得力がありませんが。僕は人と人とが信用し合えるという前提に立って物事を考える人間です。しかし、そうではない人たち、疑い深い人たちがたくさんいます。まあ、彼らは冷静なのでしょうね。でも僕は本当に心から癒されたい気分なのですが、どちらの生き方を選ぶかというと、結局人生の終盤になって丸裸になっても人を信じる生き方を、騙されても、騙されても、貫いていきたいなあ、と考えているこの頃です。近頃大分心のエネルギーが切れかけていますが、そろそろ充電期かなあ、とも思っています。ねえ、みなさん、こういうカウンセラーが一人くらいいてもいいですよね。ああ、それからついでに言っておくと、50代になってから、急に女性からもてなくなりました。たとえば、いまや、本気で口説いたって、相手はたぶん、年寄りの戯れ言くらいにしか思ってくれていないような気がします。世の中男女の創る世界ではありませんか。それなのに、なんで、こんなにもてない男になってしまったのでしょうか? こんなことを書くと若い頃はもてたのか? と問われそうですが、そういえば、あんまりもてなかったなあーそうだ、人間は連続性の上に立って生きているんだなあ。そう思いました。何だか調子が悪いとつまらないことばかり書いてしまうものですね。気をつけます。どこかにピリッとしたスパイスのような感覚が残るようなブログでないと退屈ですね。今日はみなさんを退屈させてしましました。ごめんなさいね。次回はがんばります。

〇推薦図書 「ああ、荒野」寺山修司著。河出文庫。せめて推薦図書くらいはおもしろいものを、と思いましたので、寺山修司の小説を読んで頂きましょう。つまらない気分が少しは生き生きとしてきます。

小学校英語必修化の動きと矢沢永吉

2006-11-02 00:00:24 | Weblog
英語ブームである。新聞では小学校から英語が必修化されるだろうことを報じている。しかし、もと英語教師としては、というより英語で生業を立ててきた自称英語教師としては、アホなことをやってるなあ、という印象が強い。英語風なのがいいのであって、英語が本流になっては面白くもなんともない。矢沢永吉のロックンロールは英語風なのであって、英語ではない。簡単な数語の英語がはさまっているだけの日本式ロックンロールだ。それで彼は数十億というお金を稼いでいる。元マネージャーに持ち逃げされたニ十数億円の借金も払い終えたというではないか。矢沢は英語風だけでそれだけ稼ぐことのできる本物の歌手だ。凄いではないか。僕だって矢沢永吉には到底かなわないが、21年間英語風で食ってきた。21年間のうち、35歳までは喋れない、聞き取れない、英語教師だった。でも僕の教え子の中にはジャパンタイムズの記事を書いている凄いのもいる。35歳になって、夏休み中、猛烈に勉強した。アホな英語教育ブームが来ることが予想出来たからだ。その時には少し日本式英語の効用について語れるだけの土台を創っておくためだった。だから僕の英語は残念なことに? ネイティブイングリッシュである。ネイティブの英語ばかりを聞いていたし、それを練習したからである。だから、僕は発音もネイティブに近い英語になってしまう。つまり政府の期待するような英語になってしまう。その意味では英語風ではなく、英語を身につけてしまった異国風日本人である。でも僕は矢沢永吉の英語の方が素敵だと思っている。矢沢はおそらく自由に英語を駆使することは出来ないだろう。しかし、ギリギリの線でロックンローラーなのである。それはそれでいいではないか。矢沢のファンはいまだに多過ぎるほどだ。かつてイギリスやアメリカの植民地だったアジアの国々の英語は独特だ。発音もネイティブとは程遠い。でも対等に英語圏の人々とわたりあっている。これからはアジアの時代だ。アジアの人々とも英語圏の人々ともわたりあえる英語風な英語でいいのではないか。小学校からカリキュラムの中に入れる必要性なんかないのである。それよりは習字を習った方がいいし、古典をやった方がいい。日本語をうまく書ける教師が少ないではないか。ヘタくそな字を黒板に書いて済ませてしまっている。こんなことでいいのだろうか。昔から日本人は日本語を大切にして来なかった。特に戦後教育の中での国語教育の貧困さを生み出したのは敗戦という劣等感によるものではないかと僕は思っている。だから国語教師の中にも字がヘタくそな教師も多くいるがそれが責められないのは不思議な現象だ、と僕は思う。英語なんかやろうとすれば短期間に集中的に個の学習として習得するものである。それで身につくのである。普通、英語を使わない人が無理やり小学校から英語を教えられるのは迷惑な話なのである。さて僕の英語は教師をやめてから6年間殆ど使っていないから錆びついているが、この間ある外国語大学のネイティブが悩んでカウンセリングに来た。彼は全く日本語が分からない。これもおかしなことだ。日本で自国語を教えている、それも大学教育で英語を教えている人間が日本語が喋れないで給料をもらえているのだ。これに比べれば、矢沢永吉の英語風の方がどれほどあっぱれであろうか。彼の英語風はネイティブを越えている。そういう雰囲気が彼を支えている。まず日本語を大切にして、それから外国語でよい。心底そう思う。だから矢沢の方が偉いし、矢沢を追い越すのは、矢沢のような感性を身につけることからはじまるのではないか。人生のある時期、もし英語が必要となれば、集中的に個の勉強として習得すればよい。学校で習う英語はカリキュラムを増やす必要なんかない。いまより減らしてもだいじょうぶだ。僕は高校1年から英語だけではないが、勉強といえば、小説を読んでいたし、マルクスを読んでいたわけで、それでも半年で必死こいてやれば、東大は無理かもしれないが、それなりの大学には受かる。それも英文学科出身だ。そして英語教師でもあった。学校時代は外国語を受容することのできる感性が必要なだけである。今頃は公立学校の英語の先生たちは英語研修とやらで、ネイティブの英語を無理やり教えられているようだ。迷惑な話だ。国語の先生こそ習字をはじめ、もっと日本文化を積極的に学ばないと、英語も結局矢沢の域も越せない。僕はある時期日本語を小説や哲学という形で、身につけたから外国語が耳に入ってきたのだと思う。そう確信している。日本語の字もそれほどヘタくそではない。みなさん、矢沢永吉を越えるには、学校なんかに身を任せていてはいけません。たぶんアジアで、日本だけが、アジア英語をバカにしてアメリカ人やイギリス人と同じ英語を身につけようとしているのですよ。自国の文化すら犠牲にしてまでです。明治時代みたいですね。明治は富国強兵、欧米に追いつけ追い越せ、というスローガンのもと、たくさんのインテリを海外におくりだしましたね。その当時とちっとも変わっていないのが現代日本。僕は国粋主義者じゃあ勿論ありません。もっとお気軽に外国語を学ぶ時代にきていますよ、と言いたいだけなのです。さて、僕も今度は、近々英語の錆びを落としてアジア英語を喋ろう、っと。

〇「アジアの英語」本名信行編。くろしお出版。単行本です。今日は英語教育なんて論じてしまったので、ちょっと専門的な英語論です。英語を勉強している方は読みごたえがあります。素人の方は(僕もいまは素人ですが)おもしろく感じるかどうか分かりません。取り敢えず、ということで紹介させていただきました。