先日から嫌な事ばかりが起こる。いやもっと正確に言うと、今年の8月あたりから、この嫌なことが起こり始めた。事は別々のことなのだが、精神はイラツイたまま今日まで続いている。よくもまあ、ブログを何とか書き続けられたなあ、という想い、だ。50歳を越えてから何もいい事が起こらない。ウキウキするような想像の世界が若い頃は幾つかは実現したものだが、いまは実現どころか、失望するばかりだ。自分には何も楽しいことが起きないのである。あるいは何も起きないとい妄想の虜になっているのかも知れない。これはどうなっているのだろう?想像するに、人間には人と出会い系サイトではなく(出会い系サイトのアホらしさについては先日書きましたね)。現実の世界で他者と出会うことが癒しの原点です。それができないために、仮想の世界に逃げ込むのが、僕が実験したところです。みなさん、特にソーバ・スパッチオなどというよく分からない名前のところは架空請求してくるわ、回収業者が脅しをかけてくるわで弱りましたよー。このサイトにもし覚えがある方は早急に抜け出てください。あそこは全くの悪徳業者ですから。まあ、プラグマティストなどといって変な世界に手を出してしまったのが悪かったのですね。そうするだけの事情はあったにはあったのですが、それは放置しておくべきでした。人間、というより、僕は間違いの多い人間です。一般化をしてはいけませんね。僕が間違いをよく犯してしまう人間だということです。しかし、ひと言だけ言い訳をしておくなら、僕はたぶん人をかなり信じやすい人間で、ある事がウソであっても一度は騙されてしまうタイプの男です。騙されてから、他者からアホか、と言われて、ああ、そうか、と気がつくタイプのようです。そういえば強気の学生時代も、教師時代も、騙され方は異なりましたが、よくしてやられました。いまのような弱気の僕はなおさらです。すぐに騙されてしまいます。そして相手方の騙し方、断り方、に唖然とさせられてしまうのです。僕はだいぶ年下の人間にだってすぐに騙されます。この間もかなりショッキングなことがありました。これはちょっと書けません。何だか若者が頽廃しているような気がしました。今回のことでは。理由を書かないのですから説得力がありませんが。僕は人と人とが信用し合えるという前提に立って物事を考える人間です。しかし、そうではない人たち、疑い深い人たちがたくさんいます。まあ、彼らは冷静なのでしょうね。でも僕は本当に心から癒されたい気分なのですが、どちらの生き方を選ぶかというと、結局人生の終盤になって丸裸になっても人を信じる生き方を、騙されても、騙されても、貫いていきたいなあ、と考えているこの頃です。近頃大分心のエネルギーが切れかけていますが、そろそろ充電期かなあ、とも思っています。ねえ、みなさん、こういうカウンセラーが一人くらいいてもいいですよね。ああ、それからついでに言っておくと、50代になってから、急に女性からもてなくなりました。たとえば、いまや、本気で口説いたって、相手はたぶん、年寄りの戯れ言くらいにしか思ってくれていないような気がします。世の中男女の創る世界ではありませんか。それなのに、なんで、こんなにもてない男になってしまったのでしょうか? こんなことを書くと若い頃はもてたのか? と問われそうですが、そういえば、あんまりもてなかったなあーそうだ、人間は連続性の上に立って生きているんだなあ。そう思いました。何だか調子が悪いとつまらないことばかり書いてしまうものですね。気をつけます。どこかにピリッとしたスパイスのような感覚が残るようなブログでないと退屈ですね。今日はみなさんを退屈させてしましました。ごめんなさいね。次回はがんばります。
〇推薦図書 「ああ、荒野」寺山修司著。河出文庫。せめて推薦図書くらいはおもしろいものを、と思いましたので、寺山修司の小説を読んで頂きましょう。つまらない気分が少しは生き生きとしてきます。
〇推薦図書 「ああ、荒野」寺山修司著。河出文庫。せめて推薦図書くらいはおもしろいものを、と思いましたので、寺山修司の小説を読んで頂きましょう。つまらない気分が少しは生き生きとしてきます。