ヤスの雑草日記(ヤスの創る癒しの場)

私の人生の総括集です。みなさんと共有出来ることがあれば幸いです。

腹八分目というが・・・

2006-11-14 01:32:17 | Weblog
昔の生活習慣から今日まで残っている生活の知恵というのは、ずいぶんと真理に近づいているものが多い。今日はこの腹八分目という言いまわしによって定着した生活習慣というものが、いかに大切でいかにいろいろな生活の分野にまで応用が効いているものなのかを分析してみよう。僕はご承知のように心の治療家であるから、心の問題における、腹八分目について説明を少ししておくことが大切だと思う。カウンセリングに訪れてくださるクライアントの方々は腹6分目か、腹12分目くらいの人たちが多い。心の力が普段より極端に弱まっていたり、極端にハイになっていたりする。その意味では腹八分目ではない状態で僕のところを訪問される。勿論どちらの場合も心が重いのは確かなのである。ハイになっているといっても、考えがまとまらなくなってしまっている場合が多いのである。それでは平坦な精神状態を持っているのがいいのかと言うと必ずしもそうとは言えない。こういう人は大体において退屈な人が多いので、職場などでいじめの対象になる危険性がある。人間は適度にハイになったり、落ち込んだりして日常生活を営んでいるのである。それが、一般的な生活のかたちなのである。どちらに偏ってもいけない。しかし感情の起伏がなくてはならない。難しいところだ。こういう人は他者から見て魅力ある人に見えるのである。また正常という範疇に入るのである。僕の場合を書こう。僕は何度も書いているので途中経過は省略するが、6年間という長期間、カウンセラーの学校へ行きながらも、心は落ち込んでいた。涙脆くなっていた。何も頼るものがなかったあらである。頼るものと言えば再婚した家内だけであった。子どももいまは随分大人になっているが、青春の迷える時期を見ていない。かつての悪妻が居場所も教えてくれないし、会わせようともしなかった。鬼嫁である。残酷な人間である。金の切れ目が縁の切れ目だった訳である。そうして、僕は子どもに会えないつらい時期をカウンセラー養成学校に通いながら、生活の足しにもならない塾の賃金を貰っていた。底の底の時代であった。カウンセラー学校に通い出してから後期の授業の時に、学校に行く道のりで、僕は不思議な感覚に囚われた。ある時、ふっとからだから力が抜けたのである。何かを悟ったのではない。何にもわからないままに、脱力感に襲われたのである。そうして、何日間が過ぎると、ものすごい頭の脱毛が始まった。中途半端な毛髪が洗面所のシンク全体にバラバラと落ちるようになった。それこそバラバラである。その結果僕は数カ月頭頂部に大きなハゲができた。それは自分でいうのもなんだが、綺麗に毛髪がなくなって、何かにたとえれば豚のお尻の色形の様相を呈していた。僕はそれでも学校に行き続けた。気にはなったが、別に将来の希望も見えなかったから、このまま毛髪が全部抜け落ちてもよいとすら思っていた。心の奥底で。そのうち数カ月が経つに従って、毛髪は復活してきた。僕の心にカウンセラーに本格的になってやる、という意思が芽生えたからではないだろうか。人間は心が空虚になると必ずからだに異変が起きる。なんでもよい、近くても、遠い将来でもよい。何かが心の片隅にでも芽生えた時、特にそれが実質的な行為になる可能性を秘めていれば、からだも健康になるのである。からだに異変が起こるのは、みなさん、心が空虚になった瞬間から現れはじめるのですよ。僕の二の舞は踏まないように。心に強い要素が生まれるように日々をお過ごしください。

〇推薦図書「くるい きちがい考」なだいなだ著。ちくま文庫。正常と異常の違いは果たしてどこにあるのか、きちんと線引きができのでしょうか? そんな疑問に答えてくれる作品ですよ。ご一読をお勧めします。