世の中にはいろいろと考え違いをしている人たちがいて、生は一回こっきりのものではなくて、何度も、何度も、ある人間の姿を変えて生まれ変わってくる、という生きるのに役に立つのか役立たないのか、よく分からないことを言っている。その人たちの考えの中では前世があり、現世があり、未来世があり、それぞれの世界に同じ人間が姿・形・身分を変えて生き続けていく、というものだ。こういうことを僕はいっとき、本気になって信じようとしたことがあるし、この手の本もたくさん読んだ。でも僕の生きる確信にはならなかった。何だか現在の生を生きやすくするための処世の術のような気がだんだんとしてきたのである。アホらしくなった。僕はこの手の本から離れることにした。確かに現代という世界は生きづらい。それは確かである。しかし、だからといって、前世や来世を持ち出して、現世のつらさを忘れようとすることはないのではないか、と僕には思われた。この手の本はまだ家にたくさん残ったままだが、パラパラと読み返してみると、もう馬鹿げているとしか思えない。僕はよほどこれらを読んでいた当時、つらかったのだなあという感慨があるだけである。無神論者である僕にとっては生は一回性のものでなくてはならないのである。だからこそ、いま、ここ、現在、が、価値あるものであり、無駄にはできない時間の中を僕たちは生きていると実感できるのである。今の中学生や高校生たちがどんな本を読んでいるかはよく分からないが、僕の推察するところでは特に漫画の世界にはこの手の輪廻転生的な考え方のものが多いのではないかと思われる。だからこそ、漫画の中の人間はすぐに死んでしまうし、ゲームの中に登場する人物たちも簡単に殺されたり、死を選んでしまったりしているのではないだろうか? いま、マスコミ報道に影響されていると言われている、自殺したり自殺予告をしたりしている、生と死の狭間にいる若者たちの思想性の中には、意外に生の一回性という概念がないのではないだろうか? 僕には、彼らの裡には、生まれ変わりの発想が根底にあるような気がしてならない。ある自殺した中学生の遺書の一節には、もし僕が生まれ変わってくるとしたら、いまのお父さんとお母さんの子どもになって生まれ変わりたい、というくだりがあったと記憶している。これなどは、生とは中断してもまたその連続性の中に復活するものであるという発想に、子どもたちなりの、おそらくは表層的ではあるだろうが、判断が働いているような気がしてならないのである。僕はいま、自殺しようと考えている若者たちに言いたい。生は一回限りのものである。生まれ変わりなどはないのだから、いま与えれれた生を苦しいからといって、捨ててはならないのである、と。若者たちよ、一回性であるからこそ、生の意義と意味があるのであり、それを発見するプロセスが、人生なのである。自ら命を絶つことはない。人間は死というものからは逃れられないのである。だからこそ、生き続けなければならないのである。どうあっても、そういう考えになってほしい、と僕は心底、思っている。
〇「若い人」石坂洋次朗著。新潮文庫。中学生や高校生の皆さんはこんな本はいまは読まないでしょうが、ぜひ読んでほしい本です。現代とは違う若者の生きる姿がここには書かれてあります。時代が違うよーなんて言わずに、読んでごらんなさい。こんな生き方もあるのだ、という、こんな悩み方もあるのだということが分かるから。それだけでも価値がありますから。
〇「若い人」石坂洋次朗著。新潮文庫。中学生や高校生の皆さんはこんな本はいまは読まないでしょうが、ぜひ読んでほしい本です。現代とは違う若者の生きる姿がここには書かれてあります。時代が違うよーなんて言わずに、読んでごらんなさい。こんな生き方もあるのだ、という、こんな悩み方もあるのだということが分かるから。それだけでも価値がありますから。