ヤスの雑草日記(ヤスの創る癒しの場)

私の人生の総括集です。みなさんと共有出来ることがあれば幸いです。

親父のことを思い出した。そして悲しくなった

2006-11-25 21:09:31 | Weblog
親父は生来の遊び人だったが、晩年は僕より2つ歳下の女性と一緒に清掃の仕事を請け負う仕事をしていたようである。ギリギリ食べていける生活のようだった。僕が学校に就職した当初はその会社(とも言えない請け負い仕事だったが)を立ち上げたばかりの時だった。僕は学生時代に、京都の修学院というところの安アパートに住んでいたが、就職後も同じアパートにしばらくいたのである。ある日曜日の昼頃に、どうして調べたのか分からないが、親父とその女房が一緒に僕のアパートにやって来た。金の無心であった。僕が学校という職場に勤めたので、そこからお金を借りてくれないか、ということだった。僕は出来ることなら、そうしてやりたかったが、勤めて数カ月の頃でもあったので、学校からお金を借りるという資格がまだなかったのである。そういうふうに説明をしたら、親父は見るからにがっかりした様子で、何だか見ていて可哀相な気がした。何とかしたやりたかったが、その頃の僕にはそんな力はなかったのである。親父はとても気まずそうな様子で帰って行った。その後ろ姿がいまだに忘れられない。親父も40歳の後半期に行き着くところまで行き着いてしまったのだろう。もう自分の立っているところ以外に人生の選択肢はなかったのであろう。その意味で僕と親父は似た者どうしである。僕も結局は追い詰められていまこうして生きているのである。生涯の仕事だろうと思っていた教師生活も予想だにしなかった結末で終わったし、家庭崩壊も予想もしなかったほど惨めで、悲しい終末の仕方であった。いまはどうかというと、金の無心に来た当時の親父さながらの、人生のやり切れなさを抱えて生きている。どうにもこうにも動きがとれないのである。もうこれ以上の発展は望めそうにないのである。たぶん親父が絶望したように、僕もいま絶望しているのである。カウンセラーが嫌なのではない。ただ追い詰められた気分が受け入れ難いのである。もう後がない、という結末(たぶん僕の人生の結末であろう)が、僕を苦しめるのである。だからこそ、僕は唐突にあがいてみたくなるのであり、自分の人生をひっくり返したくなる誘惑に駆られるのである。もう可能性というものは残されていないのが見てとれるのだ。これほど嫌な気分はない。たぶん、人間は僕のように追い詰められた時、自殺を考える人が多いと思うのだが、僕はそこだけは抗ってみようとは努力しているのだ。ただ長生きはしたくない。親父は58歳で癌で逝ったが、後5年も生きれば十分である。あるいはもっと短くてもよい。ただ苦痛には弱い質なので、徐々に苦しみながらの死は避けれるものなら避けたい、と心底思う。さて、ずいぶん昔の話にもどる。淡路島から神戸に斜陽で逃げてきたころ、神戸の地区のアパートで、いまは絶縁した叔母が、睡眠薬がたっぷり入った風邪用の水薬の瓶を、ミシンの後ろに隠しているのを知っていた僕は、その瓶を一気に飲み干した。大人で1週間分の量だ。甘くて美味しかった。3日ほど眠り続けていたと後から聞いた。生き死にの境であったという。生還した。が、生きるのがつらいと小学生になる前に、意識をとりもどす直前に思った。あの覚醒する瞬間の気分の悪さはいまでも明確に覚えている。死にかけた話はたくさん書いたが、この話が生死を彷徨った最初の経験だ。甘くて美味しかったあの気分のまま、逝っていたらなあとつくづく思う。生き残ってしまった人間はどうもうまく死ねないらしい。クライアントのみなさん、これを読んでくださっているみなさん、僕は親父と同じようにギリギリのところで息をしているに過ぎないのです。だから生きている間だけは出来る限りクライアントのみなさんの生きるお手伝いをします。これを読んでくださっているみなさんのために、一生懸命に書きます。ぜいぜい息を切らしながらですけれど。

〇推薦図書「いやな感じ」高見 順著。文春文庫。僕のような小さな世界の物語ではなく、生き残ってしまったテロリストの壮絶な闘いを通して昭和初期の時代性を描いている名作です。読みごたえがありますよ。