ヤスの雑草日記(ヤスの創る癒しの場)

私の人生の総括集です。みなさんと共有出来ることがあれば幸いです。

癌という病気の曖昧さ

2006-11-26 23:36:47 | Weblog
新聞を読んだり、テレビの報道を観たりしていると時折、矛盾だなあ、と感じることがある。結局は癌なんていう現代病(たぶん昔からあったのだ。定年が50歳か55歳の時代の日本人はたぶん知らないうちに癌に侵されて死んでいったのだ。だからこそ、定年は50代でよかったのである。定年後はそれほど長生きしないのであったから)は、進歩した医学のメスの素材であって、癌細胞が何をもって現れてくるのか、という真実は本当のところは分かっていない。だから早期発見、早期治療などと言っては、メスで患部を切り取ってしまう原始的とも言える治療法方?がとられているのであろうか。癌は遺伝的な要素もあるとも言われ、またそうではないとも言われている。そういえば、僕の親父は肝臓癌で逝った。またお袋の親類の方は5人のうち、2人が胃癌で逝った。そういう意味では遺伝性があるのであれば、僕は癌で死ぬ確率が高い。まあ、一昔前は癌は過大に死病として、怖がられていたし、昔の人はよく知っているが、「愛と死を見つめて」というテレビドラマは大ヒットした。最近リメイクされて放映されたから若い人たちもこの映画のストーリーは知っている人も多いだろう。だが、リメイク版を観て昔ほど悲壮な感じはなくなったように思った。あまり涙も出なかった。それほど、癌は身近な病気になってしまった。痛みをとる治療法も進んできたから以前ほど、ともかくどうあっても切り取れ、というような感じではなくなったのかも知れない。そういえば、教師時代、僕が三十代の時には社会科の教師が食道癌で亡くなった。四十代の前半には美術の教師が直腸癌で亡くなった。お二人とも好きな個性の持ち主で、学校が大嫌いな人たちであった。授業が終わるとさっさと車に乗って帰宅するというタイプの人々だった。しかし、お二人とも自分の病気を悟った時、何故か学校という職場にこだわってしんどいはずなのに出勤してきた。特に社会科の先生の場合は、パンも小さく、小さく千切って喉に詰め込んで昼食をとって、授業中は真っ白な顔で、同僚に入院を強く勧められるまで、授業を続けた。生徒も何か恐ろしげなものを感じてしーんとした授業風景だったのを思い出す。人間は死ぬ間際に、何かいつもと変わらない日常性を感じとって、心の平安を見いだすのかも知れないなあ、とその時実感した。だから、ひょっとして僕が癌に侵されて死を真近に感じたら、真っ白い顔でクライアントのお話を聞いてメモをとっているやも知れません。心臓麻痺やクモ膜下出血や脳溢血みたいな病気は何となくはっきりとした死をイメージ出来るのですが、癌は転移というものもあって、助かるか助からぬかも知れぬ何となく曖昧な病気です。僕は何かはっきりとした病気で死にたいような気が、これを書きながらしてきました。

〇「推薦文書」「がんほどつき合いやすい病気はない」近藤 誠著。講談社十α文庫。解説には間違った治療法が、癌の恐怖と苦痛の原因になっている。早まった手術や坑癌剤の投与が患者を苦しめている。と書かれています。この人は放射線科の名医ですが、慶応病院では助手か講師のままに出世の道を閉ざされている人です。これと数編の属編を書いたために。多くの医者を敵にまわしたものです。しんどいでしょうね。

クリント・イーストウッドの挑戦

2006-11-26 00:28:35 | Weblog
クリント・イーストウッドと聞けば、僕たちの世代は子どもの頃のテレビドラマ、ローハイドの伊達男か、ハリウッドでパッとしないときに、イタリア映画界が創って、流行った西部劇もの、だから、マカロニウェスタンと呼ばれた。例えば、復讐の鬼と化した主人公のガンマンが、バタバタと何十人もの悪漢たちを非情な表情で撃ち殺していくような映画だ。そして何よりも記憶に新しいのが、マカロニウェスタンで成功して、ハリウッドに呼びもどされて、クリント・イーストウッドは「ダーティ・ハリー」という刑事になって大型の銃で次々に犯人を撃ち殺してしまい、上司の怒りに触れるという、警察組織から常に逸脱していくような人物として、シリーズ化される。これで彼は押しも押されぬハリウッドスターに返り咲いたのである。その後も渋みのある演技をこなせる僕の大好きなスターであり続けた。そして、彼は、監督として映画を撮り始めたのである。その中でもいま最も僕が注目しているのが、太平洋戦争末期のアメリカ軍と日本軍の硫黄島の壮絶な戦闘をテーマにした作品である。これまでどれだけ多くの戦争映画が各国で創られたことだろう? 僕の記憶の底に眠っているアメリカが創った戦争映画の中で、最も興味を惹かれたのが「トラトラトラ」であった。日本の真珠湾攻撃の模様を中心にアメリカ側から見た太平洋戦争の映画だった。もう亡くなった三船敏郎が外国映画に初めて登場したのが、この映画ではなかったかと思う。たしか真珠湾攻撃とは、日本の暗号解読に成功していたアメリカ軍が、日本の攻撃を先につかんでいて、アメリカ国民の士気を高めるために日本にわざとやらせた攻撃であったという想定だったと覚えている。さて、今回のクリント・イーストウッドの試みはかつてない、戦争の無意味性をアメリカ側から見た硫黄島の闘い、同時に日本側から見た硫黄島の闘いを二作品として創り上げた。ここで日本軍は壊滅するが、アメリカ兵も1万数千人が戦死し、硫黄島にアメリカ国旗を数人のアメリカ兵が立てる。この戦闘が終わった時、彼らは英雄として迎えられるが、その後の彼らの生きざまにまでこの映画は及んで追求しているそうだ。(僕はまだ実際にこの映画を観ずに書いているので間違いがあるかも知れないが、クリント・イーストウッドがこの映画監督としてのインタビューを受けて答えていたことからおしはかって書いているのである)このような日米両面から見た戦争映画はかつてなかったのは確かである。そして、監督であるクリント・イーストウッド自身が、人間にとって、戦争の無意味性をこの映画で表現したかったのだ、という言葉は僕には新鮮でかつ重かった。戦後60年、忘れかけている世界戦争が、このように復刻されるように芸術的に創られることの意味は大きい、と僕は思う。戦後60年、世界中で戦争が途切れたことはなかった。この意味を改めて実感するのである。日本政府の高官が日本も核武装すべきである、と平然と言える時代性をいま迎えている。お隣の北朝鮮のキム・ジョンイル総書記は核実験を実際にやって見せたし、テポドンというミサイルを日本海に数本打ち込んだ。こんな時代である。日本が自主防衛のためには先取攻撃も致し方ない、という政治家が出てきてもおかしくはない時代である。一方で日本が核爆弾を落とされた世界唯一の国である、という事実を忘れかけている。こんな時、クリント・イーストウッドの映画監督としての力量が試されているのだ。どうかこの映画がたくさんの人々に鑑賞されますように、と僕は心の中で祈るばかりである。

〇「推薦図書」「黒い雨」井伏鱒ニ著。新潮文庫。原爆の犠牲になった人々を主人公にしたこの作品が、単に抗議のための作品に終わらず普遍的な意味をもっているのは井伏の筆致の凄さです。最近はこの手の作品が読まれなくなっているのではないでしょうか? ぜひお勧めしたい作品です。