新聞を読んだり、テレビの報道を観たりしていると時折、矛盾だなあ、と感じることがある。結局は癌なんていう現代病(たぶん昔からあったのだ。定年が50歳か55歳の時代の日本人はたぶん知らないうちに癌に侵されて死んでいったのだ。だからこそ、定年は50代でよかったのである。定年後はそれほど長生きしないのであったから)は、進歩した医学のメスの素材であって、癌細胞が何をもって現れてくるのか、という真実は本当のところは分かっていない。だから早期発見、早期治療などと言っては、メスで患部を切り取ってしまう原始的とも言える治療法方?がとられているのであろうか。癌は遺伝的な要素もあるとも言われ、またそうではないとも言われている。そういえば、僕の親父は肝臓癌で逝った。またお袋の親類の方は5人のうち、2人が胃癌で逝った。そういう意味では遺伝性があるのであれば、僕は癌で死ぬ確率が高い。まあ、一昔前は癌は過大に死病として、怖がられていたし、昔の人はよく知っているが、「愛と死を見つめて」というテレビドラマは大ヒットした。最近リメイクされて放映されたから若い人たちもこの映画のストーリーは知っている人も多いだろう。だが、リメイク版を観て昔ほど悲壮な感じはなくなったように思った。あまり涙も出なかった。それほど、癌は身近な病気になってしまった。痛みをとる治療法も進んできたから以前ほど、ともかくどうあっても切り取れ、というような感じではなくなったのかも知れない。そういえば、教師時代、僕が三十代の時には社会科の教師が食道癌で亡くなった。四十代の前半には美術の教師が直腸癌で亡くなった。お二人とも好きな個性の持ち主で、学校が大嫌いな人たちであった。授業が終わるとさっさと車に乗って帰宅するというタイプの人々だった。しかし、お二人とも自分の病気を悟った時、何故か学校という職場にこだわってしんどいはずなのに出勤してきた。特に社会科の先生の場合は、パンも小さく、小さく千切って喉に詰め込んで昼食をとって、授業中は真っ白な顔で、同僚に入院を強く勧められるまで、授業を続けた。生徒も何か恐ろしげなものを感じてしーんとした授業風景だったのを思い出す。人間は死ぬ間際に、何かいつもと変わらない日常性を感じとって、心の平安を見いだすのかも知れないなあ、とその時実感した。だから、ひょっとして僕が癌に侵されて死を真近に感じたら、真っ白い顔でクライアントのお話を聞いてメモをとっているやも知れません。心臓麻痺やクモ膜下出血や脳溢血みたいな病気は何となくはっきりとした死をイメージ出来るのですが、癌は転移というものもあって、助かるか助からぬかも知れぬ何となく曖昧な病気です。僕は何かはっきりとした病気で死にたいような気が、これを書きながらしてきました。
〇「推薦文書」「がんほどつき合いやすい病気はない」近藤 誠著。講談社十α文庫。解説には間違った治療法が、癌の恐怖と苦痛の原因になっている。早まった手術や坑癌剤の投与が患者を苦しめている。と書かれています。この人は放射線科の名医ですが、慶応病院では助手か講師のままに出世の道を閉ざされている人です。これと数編の属編を書いたために。多くの医者を敵にまわしたものです。しんどいでしょうね。
〇「推薦文書」「がんほどつき合いやすい病気はない」近藤 誠著。講談社十α文庫。解説には間違った治療法が、癌の恐怖と苦痛の原因になっている。早まった手術や坑癌剤の投与が患者を苦しめている。と書かれています。この人は放射線科の名医ですが、慶応病院では助手か講師のままに出世の道を閉ざされている人です。これと数編の属編を書いたために。多くの医者を敵にまわしたものです。しんどいでしょうね。