北朝鮮による拉致事件は世界中で行われた国家的犯罪である。日本での「拉致被害者の会」による粘り強い運動については頭の下がる想いである。日本政府も拉致被害者の会の運動がなければ、これほどにまともに取り上げられなかった問題だろうし、二国間の交渉のテーブルにさえ乗らなかっただろう。マスコミでもここまでは取り上げられ続けることはなかっただろう。これはひとえに下からの絶えざる運動が政治を動かした大きな成果だろう、と思う。ヨーロッパにおいても、アジア諸国においても拉致は日本並に行われた。おそらくは北朝鮮にとって最も大きな成果とは、韓国における拉致被害者を、情報提供者及びスパイとして教育し、再び韓国に送り込むことによって、韓国は勿論のこと、その裏支えをしているアメリカの軍事情報を得ることには、その犯罪性を仮に抜きにすれば、かなりの成果を挙げてきたはずである。しかし、日本における拉致による成果についてははどうか? と正直疑問に思う。拉致が行われたのは主にキム・イルソン時代の政治的失策の典型である。とりわけ日本人を拉致することによって北朝鮮が得た情報やスパイ養成などの目的は、殆どが実りなく終わっているはずだ。なぜなら、とりわけ日本は情報という点においては、日本の一般人を拉致などしなくてもいくらでも収拾できただろうからだ。日本は情報の秘匿ということなど、特に戦後の日本においては、最も苦手というか、関心の薄い問題だったはずだ。戦後の日本は政治も経済も情報など垂れ流しながら、ただただ経済成長をなし遂げることにしか関心がなかったからである。軍事に関してはアメリカが大手を振って日本に勝手気儘に軍事基地を造っては、軍事的に日本を支配してきたし、その意味においては経済と云えども、アメリカ主導の高度経済成長だった、と言えるからである。キム・イルソン時代に日本で行われた拉致は、完全な失策だった、と結論づけられる所以である。
たとえ、拉致政策が父親のキム・イルソン時代の失策、とりわけ日本においては愚策としか思えない非人道的な行為を成したとしても、そのことに対して、北朝鮮は何の謝罪もしていないのは、国際的な視野から見ても愚策をさらに目ださせるものにしている。いまや北朝鮮は、ニセブランド製品の生産や覚醒剤の生産、その他の麻薬の類の生産国として、犯罪国家、と呼ばれてものうのうとして憚らない。さらに核開発、核ミサイルの保持までして、世界を脅しにかかっているような腐った国家? と言えるのかどうかわからぬが、そこまで落ちてしまった孤立した政治官僚支配、キム・ジョンイル支配のやくざ国家でしかない。どこまで行っても次元の低い国だ、と思う。「拉致被害者の会」は安倍首相の強行路線によって、北朝鮮に拉致被害者の解放を迫る運動を組んでいたようだが、現実には安倍首相の強行路線による政策はまるで機能していなかったというのが現実だ。だから安倍首相が辞任したからと言って、「拉致被害者の会」のメンバーの方々や支援者の方々が残念がる必要もない、と言えばあまりに酷な現実を突きつけていることになるだろうか?
「拉致被害者の会」は、政府に対して、北朝鮮に謝罪をさせることを運動の柱に据えなければならないのではないか? と僕は思う。拉致されたご家族のことを思えば、拉致被害者の生還を最重要課題に据えたいのは十分に理解できる。だが、これはあくまで政治的問題の失策なのである。そこを飛ばして何が何でも成果だけに焦点を当てると、かえって問題を先送りするような気がする。確かに生還した拉致被害者の方々もいる。が、あれは、北朝鮮にしてみれば、あくまで見せ玉だ。全面的な解決の道を開いた訳では決してない。だからこそ政治的課題として、交渉のテーブルでは問題のあり方を据えなおして、北朝鮮からの謝罪を勝ち取ることが、決定的な問題解決の早道になるように思う。
どのような政治的理由があれ、一般人の拉致など許されるわけがない。かつて戦前・戦中の日本も朝鮮やアジア諸国に対して過酷な植民地政策を取った。大がかりな拉致をし、労働力、軍事力の使い捨ての道具として朝鮮は言うに及ばず、アジア諸国に対して行ってきた。極東軍事裁判が決して正しい、とは思わない。あれは言わば戦勝国による一方的な処罰裁判だった、と僕は思う。しかし、いかに間違っていても、あの裁判によって日本は、戦前・戦中の植民地政策や拉致について総懺悔した。これはきちんとさせられた、と思う。アメリカの圧倒的な軍事力を背景にしてなされた裁判だった。戦後核を独占できた、そして日本を核兵器の実験場にまで使ったアメリカの力任せの裁判だった、とは思う。
いまや世界中に核が拡散してしまっている。核拡散防止条約などという条約などは、すでに核を保有している先進国側の勝手な政策だが、もうそんな条約も無効状態だ。当の北朝鮮が、核兵器を最後のカードに使う時代なのである。とは言え、北朝鮮は別に外部からの圧力によらずとも、内部崩壊する国である。もう崩壊の過程を突き進んでいる。拉致被害者どころではないのかも知れない。諸外国からどれだけの無理失理な要求を勝ち取ることしか考えていない。あれだけ情報を漏らすのを嫌がっている北朝鮮の内部崩壊ぎりぎりの情報がいまや世界中を駆けめぐる時代だ。「拉致被害者の会」の方々には言いづらいが、拉致問題が解決する前に北朝鮮は内部崩壊するだろう。内部崩壊して雪崩を打つように拉致被害者の皆さんが、日本人に限らず、北朝鮮から流れ出てくるはずだ。僕はそんなふうに考えている。
○推薦図書は今日はありません。日本で活躍する小説家か哲学者のものを、と考えていましたが、拉致問題の核心を正確に冷徹に見抜いた論説が見当たらないのです。
たとえ、拉致政策が父親のキム・イルソン時代の失策、とりわけ日本においては愚策としか思えない非人道的な行為を成したとしても、そのことに対して、北朝鮮は何の謝罪もしていないのは、国際的な視野から見ても愚策をさらに目ださせるものにしている。いまや北朝鮮は、ニセブランド製品の生産や覚醒剤の生産、その他の麻薬の類の生産国として、犯罪国家、と呼ばれてものうのうとして憚らない。さらに核開発、核ミサイルの保持までして、世界を脅しにかかっているような腐った国家? と言えるのかどうかわからぬが、そこまで落ちてしまった孤立した政治官僚支配、キム・ジョンイル支配のやくざ国家でしかない。どこまで行っても次元の低い国だ、と思う。「拉致被害者の会」は安倍首相の強行路線によって、北朝鮮に拉致被害者の解放を迫る運動を組んでいたようだが、現実には安倍首相の強行路線による政策はまるで機能していなかったというのが現実だ。だから安倍首相が辞任したからと言って、「拉致被害者の会」のメンバーの方々や支援者の方々が残念がる必要もない、と言えばあまりに酷な現実を突きつけていることになるだろうか?
「拉致被害者の会」は、政府に対して、北朝鮮に謝罪をさせることを運動の柱に据えなければならないのではないか? と僕は思う。拉致されたご家族のことを思えば、拉致被害者の生還を最重要課題に据えたいのは十分に理解できる。だが、これはあくまで政治的問題の失策なのである。そこを飛ばして何が何でも成果だけに焦点を当てると、かえって問題を先送りするような気がする。確かに生還した拉致被害者の方々もいる。が、あれは、北朝鮮にしてみれば、あくまで見せ玉だ。全面的な解決の道を開いた訳では決してない。だからこそ政治的課題として、交渉のテーブルでは問題のあり方を据えなおして、北朝鮮からの謝罪を勝ち取ることが、決定的な問題解決の早道になるように思う。
どのような政治的理由があれ、一般人の拉致など許されるわけがない。かつて戦前・戦中の日本も朝鮮やアジア諸国に対して過酷な植民地政策を取った。大がかりな拉致をし、労働力、軍事力の使い捨ての道具として朝鮮は言うに及ばず、アジア諸国に対して行ってきた。極東軍事裁判が決して正しい、とは思わない。あれは言わば戦勝国による一方的な処罰裁判だった、と僕は思う。しかし、いかに間違っていても、あの裁判によって日本は、戦前・戦中の植民地政策や拉致について総懺悔した。これはきちんとさせられた、と思う。アメリカの圧倒的な軍事力を背景にしてなされた裁判だった。戦後核を独占できた、そして日本を核兵器の実験場にまで使ったアメリカの力任せの裁判だった、とは思う。
いまや世界中に核が拡散してしまっている。核拡散防止条約などという条約などは、すでに核を保有している先進国側の勝手な政策だが、もうそんな条約も無効状態だ。当の北朝鮮が、核兵器を最後のカードに使う時代なのである。とは言え、北朝鮮は別に外部からの圧力によらずとも、内部崩壊する国である。もう崩壊の過程を突き進んでいる。拉致被害者どころではないのかも知れない。諸外国からどれだけの無理失理な要求を勝ち取ることしか考えていない。あれだけ情報を漏らすのを嫌がっている北朝鮮の内部崩壊ぎりぎりの情報がいまや世界中を駆けめぐる時代だ。「拉致被害者の会」の方々には言いづらいが、拉致問題が解決する前に北朝鮮は内部崩壊するだろう。内部崩壊して雪崩を打つように拉致被害者の皆さんが、日本人に限らず、北朝鮮から流れ出てくるはずだ。僕はそんなふうに考えている。
○推薦図書は今日はありません。日本で活躍する小説家か哲学者のものを、と考えていましたが、拉致問題の核心を正確に冷徹に見抜いた論説が見当たらないのです。