ヤスの雑草日記(ヤスの創る癒しの場)

私の人生の総括集です。みなさんと共有出来ることがあれば幸いです。

両親の夢を見て苦しくなって目が醒めた

2007-09-18 23:13:11 | Weblog
何だかとても長い夢を見ていたようだ。幾つかのことが折り重なるように僕の夢の世界を占領していたが、中でも今日の主な夢の内実は僕の両親に関することだった。夢の断片はとても愉快なものではなかった。だから目を醒ましたとき、頭は重いし、身体もだるくて仕方がなかった。
大体において、あの男女が子どもを世に送り出すこと自体に無理があった、とつくづく思う。ボンボン育ちの親父のくせに、破滅型の個性。明るい性格だが、キレると男顔負けの母親。この二人の間に54年前に<出来ちゃった結婚>の末、逆子でこの世に生まれ出てきたのが、この僕。祖父は淡路町(いまは淡路市になっているらしい)役場の収入役で、網元と庄屋を兼ねた随分と恵まれた家だったそうだけれど、祖父は贈収賄事件に巻き込まれて、一身に責任を被って、財産を処分して家族共々神戸へ流れついた。僕が生まれたのはこの祖父の、「正しいヒューマニズム」のお蔭だ。この世に生を受けたのだから、堕胎なんかするな! という強いお達しで、親父とおふくろは望まぬ結婚をした。その意味においては僕は初めから見捨てられた存在だった、と思う。ストリート・チルドレンの変形だ。親父は悪い人間ではなかったけれども、若い頃にやくざになるために神戸の組の門を叩いた人間だ。たまたまスジ者にならずに済んだのは、応対してくれた若頭が任侠道を背負っていた人だっただけで、時代が違っていたらそんな人はもういなかっただろうから、広域暴力団山口組の下働きとして、どこかの時点で親父の性格からすると、やくざの鉄砲玉にでもなって、何年か懲役を食らって、その後少しはのし上がって、どこかの路上で敵対暴力団の鉄砲玉に刺されたか、チャカで何発も体中に穴を空けられてあっけなくこの世を去ったのではないか、という想像はあながち的を外してはいないだろう。母親はともかく男まさりの性格だったし、あまりに父親と波長が合いすぎていて、調子のよいときはいかにも家庭の中の空気もよいのだが、二人の機嫌が悪くなる周期が同じで、もうそうなると、家の中で茶碗や、皿や、灰皿が飛び交うような始末で、絶対にこんな親のようには生きまい、と決意しつつも、自分の中を流れる血にはきっと抗えないのだろうとも思っては、僕は絶望していたのである。
両親は完全な教育放棄の親だった。たまたま僕が勉強に目覚めてそれなりに成績がよかったから、何となく認められていたに過ぎない。それでも中学時代も高校生になってからも、親父は僕が机に向かっていると必ずと言ってよいほど、その姿を見ては揶揄したものだ。「おまえなあ、確かに勉強は出来るのは認めるがなあ、そんなに机にかじりついて勉強して何がおもしろいんや? 」と言ってはニンマリとした。僕はその度に、心の底で、絶対にお前らのようにはならん。必ず成り上がってやる! と呟いていたように思う。しかし、DNAの影響力の怖さを知ったのは、やはり自分も十分に破滅型の人間だったことに気づいたことだ。'70年安保闘争で新左翼のセクトの長として、いっときだけ成り上がった。成り上がった、という意識があったのは生涯、そのときだけだ。高校生が大学生を顎で使えた。オレはまんざらでもない、と思った。親父が知り合ったヤクザとも、中学生時代からの友人がヤクザの舎弟になったことや、そのツテで、セクト間で争うときの鉄パイプの使い方を教わった。極左と極右であるヤクザとは意外に馬が合うのだ。
成り上がったのはその一度切りだ。勉強はほったらかしで、デモやオルグや仲間同志の熾烈な理論闘争、それに対立セクト間との争いが絶えなかった。よく人を殺さずに済んだ、と思う。ちょうどその境目で、僕は自分のセクトを肋骨を4本折られるという「総括」を受けて抜けた。正解だった、と思う。そうでなければ僕はたぶん確実に鉄パイプで人を殺している。そんな立場だったのだ。
人には自慢し難い大学に、一年働いてから入った。金がないのに私学にしか入れなかった。別に大学に対するコンプレックスはまるでなかったが、やはり当時は授業料が年間1万円程度で済む国公立大学に入れば、大学生活をもっと楽しめただろうに、と思うが、それだけの実力しかなかった。教育放棄の両親から金が出てくるはずもないので、せっせとアルバイトで生活費と授業料を稼ぎだすしかなかった。むなしい大学生活だった。そんな生活にも破滅的だったから耐えられた、とも言える。
就職のとき、世の中はひどい不況だった。食っていけるかどうかが僕の課題だった。何とか仏教系の私学の英語の教諭として30倍の倍率をくぐり抜けて入った。いまでも何故入れたのかわからない。コネクションはまるでないし、私学などはコネが支配する世界だ、と思っていたので冷やかしのつもりで受けたら通ってしまった。23年間そこで食えた。しかし破滅型のDNAは、この学校でもついてまわった。無神論者の僕は仏教者たちの堕落した姿に反吐が出そうだった。金のことばかり考えている坊主は醜いだけだった。だから、僕の標的は宗教と坊主と、組合員の中の共産党員たちに的が絞られた。新左翼の運動家たちにとっては共産党員はエセものの左翼?思想としか映らなかったからだ。
23年間で僕の抗いのエネルギーと抗いのための知恵も尽き果てた。47歳にして、ゼロにもどった。というより、家庭を失い、蓄財を失い、家も失った。すべては離婚した妻にもたせた。いまなぜ生きているのか、正直に言って分からない。ジタバタしていたら、いまが在った、というべきだろう。少しはおとなしくはなったのか? いや、たぶんまた何かやらかすだろう。まだまだ落ちつかない自分がいる。

○推薦図書「ストリート・チルドレン」盛田隆二著。新風舎文庫。ファンタジックな小説ですが、底を流れているのは、まさにストリート・チルドレンたちの織りなす物語です。過去から現代へと新宿を舞台に若者たちが幼い生命の力で生き抜いていく物語が折り重なるように展開します。読みごたえのある一冊です。