○断崖の生を生きること
生きるということに対して、どのような意味でも余裕があるのではない。僕は概念としての断崖に立っているような生を生きているのが、普通になった。たぶん僕はこの世界から一度完全に退いてしまったからである。英語の教師として生きていた。それが特段楽しい、とは思わなかったが、自分はこの仕事で生涯を閉じるものだ、と何となく感じていた。しかし、思わぬところで仕事を追われた。そのことが引き金となって、これまでの安楽な生活が音を立てて壊れていく様を目の当たりにしなければならなかった。もう失うものなどなかったから死を考えた。そして実行し、2度も実行し、2度ともに失敗した。その時から、僕にとって死は身近な存在になった。だからと言って、開き直って生を生き生きと生き直す、というような発想にはならなかった。逆に、死との距離感が物凄く縮まった、ということではないか、と思う。とは言え、僕は決して死の魅惑に取りつかれているのでもない。死と折り合いをつけているのでもない。死との距離感は確実に縮まったが、死と共存しながら生きている、と定義したら、これはウソになる。僕にとって死とは生の反対概念だから、当然生を生きている限り、死は避けられるべきものでなくてはならない。しかし、その回避のあり方は積極的ではない。生と死とは反対概念と書いたが、たぶん、もう少し突き詰めて書くと、僕は死を生きているのではないか、と思う。そうだ、それが正しい僕の生のあり方である。
死を生きるとは、死を受容する、と言い直してもよい、と思う。死というものを受容しながら、僕はたぶん生きる術を得たのではないか、と思う。これを共存と言うと少しズレが生じてしまう。共存とはあくまで死と隣り合わせの生を生きるということになるが、僕の場合は死は至極近しいところにありはするが、むしろ、死と供に生きるという共存ではなく、死をもっと積極的に受け入れながら生きる、という意味合いがある。だから死を受容しているのだ、と僕は規定した。それだからこそ、僕は自ら死を選び取る必要がなくなった。死はあくまで向こうから唐突にやってくるものであり、そのとき、僕は抗うことなく死を受容する、ということになるだろう。そのように思えるようになった頃から僕の肩から力が抜けた。僕はその瞬間まで死と抗って生きてきたようなものだからだ。僕の裡なる実存的思想は、だから死と仲良し、だ。
たぶん多くの人々はこういうことを考えずに、自分の死を宣告されて、それから死の意味を考え出す。だから死を必要以上に恐れたり、死に抗ったりする。しかし、そんなことはほんとうは無意味なことなのである。結果は同じことなのである。死は唐突に向こうからやって来る、と言っているのだから、僕にとって、文字通り、突然死は理想的な死にざまだ。お年寄りで言うところのぽっくり死である。朝隣で寝ている妻が、僕の死を確認する、というのがいい。僕はたぶん眠っている間に幾つかの夢を見て、それは楽しいものなのか、哀しいものかはどうでもよいが、たぶんその夢は僕の人生のパノラマのような感じで襲ってきて、そのまま唐突に死を迎える、というのが、僕のそんなに遠くない将来の理想の死に方である。
だが、願望通りにいかないのが人生とするなら、そう、例えば僕が癌というやっかいな病に侵されたとして、そうなったら、どうするか、ということだが、たぶん、僕は癌を受け入れる、と思う。受け入れる、とはどういうことか、というと、外科医の実験材料にはならない、ということである。まあ、外科医にもオペをするという仕事があるだろうから、全面拒否はしないのかも知れない。おそらくは一度くらいはオペをさせてあげる。その結果は別に気にしない。癌が他の臓器に転移したら、それはそれでよい。潔く死を受容する。別に格好をつけるつもりはないから、痛みは最大限とってもらう。もう死を前にしているのだから、モルヒネが適当だろう。生きているうちにモルヒネが引き起こすだろう恍惚たる世界を垣間見るのも悪くない。唯一の希望は安楽死だが、残念ながら日本では僕が死を迎えるときに法制化されている見込みはゼロだろう。日本はこういうことが最も後回しになる国である。オランダやベルギーはその意味では死というものをよく識っている、と思う。安楽死を法制化しているのは世界中でこのニ国を含め数か国だろう。安楽死を法制化すれば、無意味に死を選ぶことはないのに、と思う。安楽死を選ぶということは、自分の死と向き合い、自分の死を積極的に受容する、という思想が底にあるから、よく考えてからの死の決断だ。だから意味がある。
日本では、その余裕なしに思い詰めての転落死とか、電車への飛び込みとか、大量の薬の服薬死といった、何か悲惨なイメージがつきまとう。僕自身も自殺未遂者として、悲惨な死を思い詰める心の有り様というものを識っている。いま60歳を迎えているが、40代半ばでのああいう思い詰め方は御免だ。あれは死を受容するなんていうものではない。死と激突するようなものだ。死との格闘技と言ってもよい。もう僕にはそんな心理的体力はないから、いまは何と健康食品の愛好者だ。唐突にやって来るだろう死を健康的に出迎えるために必要だからだ。おかしな発想だが、何となく真剣にやっている。死を受容するためにやっている。
さて、死に関する独り言は読んでいる皆さんはもううんざりしていることだろうから、質のよい小説でも紹介して今日のブログを閉じることにします。
〇推薦図書「断崖の年」日野啓三著。中央公論社刊。これは癌発病から快癒まで小説家としての日野が、自己の死と結構弱気にではありますが、それこそ真剣に向き合った小説のようなエッセイのような重厚な作品です。まだご自分の死と向き合っていない方にはお勧めの書です。よろしければどうぞ。結局日野は後年その癌のために亡くなりはしましたが。
文学ノートぼくはかつてここにいた 長野安晃
生きるということに対して、どのような意味でも余裕があるのではない。僕は概念としての断崖に立っているような生を生きているのが、普通になった。たぶん僕はこの世界から一度完全に退いてしまったからである。英語の教師として生きていた。それが特段楽しい、とは思わなかったが、自分はこの仕事で生涯を閉じるものだ、と何となく感じていた。しかし、思わぬところで仕事を追われた。そのことが引き金となって、これまでの安楽な生活が音を立てて壊れていく様を目の当たりにしなければならなかった。もう失うものなどなかったから死を考えた。そして実行し、2度も実行し、2度ともに失敗した。その時から、僕にとって死は身近な存在になった。だからと言って、開き直って生を生き生きと生き直す、というような発想にはならなかった。逆に、死との距離感が物凄く縮まった、ということではないか、と思う。とは言え、僕は決して死の魅惑に取りつかれているのでもない。死と折り合いをつけているのでもない。死との距離感は確実に縮まったが、死と共存しながら生きている、と定義したら、これはウソになる。僕にとって死とは生の反対概念だから、当然生を生きている限り、死は避けられるべきものでなくてはならない。しかし、その回避のあり方は積極的ではない。生と死とは反対概念と書いたが、たぶん、もう少し突き詰めて書くと、僕は死を生きているのではないか、と思う。そうだ、それが正しい僕の生のあり方である。
死を生きるとは、死を受容する、と言い直してもよい、と思う。死というものを受容しながら、僕はたぶん生きる術を得たのではないか、と思う。これを共存と言うと少しズレが生じてしまう。共存とはあくまで死と隣り合わせの生を生きるということになるが、僕の場合は死は至極近しいところにありはするが、むしろ、死と供に生きるという共存ではなく、死をもっと積極的に受け入れながら生きる、という意味合いがある。だから死を受容しているのだ、と僕は規定した。それだからこそ、僕は自ら死を選び取る必要がなくなった。死はあくまで向こうから唐突にやってくるものであり、そのとき、僕は抗うことなく死を受容する、ということになるだろう。そのように思えるようになった頃から僕の肩から力が抜けた。僕はその瞬間まで死と抗って生きてきたようなものだからだ。僕の裡なる実存的思想は、だから死と仲良し、だ。
たぶん多くの人々はこういうことを考えずに、自分の死を宣告されて、それから死の意味を考え出す。だから死を必要以上に恐れたり、死に抗ったりする。しかし、そんなことはほんとうは無意味なことなのである。結果は同じことなのである。死は唐突に向こうからやって来る、と言っているのだから、僕にとって、文字通り、突然死は理想的な死にざまだ。お年寄りで言うところのぽっくり死である。朝隣で寝ている妻が、僕の死を確認する、というのがいい。僕はたぶん眠っている間に幾つかの夢を見て、それは楽しいものなのか、哀しいものかはどうでもよいが、たぶんその夢は僕の人生のパノラマのような感じで襲ってきて、そのまま唐突に死を迎える、というのが、僕のそんなに遠くない将来の理想の死に方である。
だが、願望通りにいかないのが人生とするなら、そう、例えば僕が癌というやっかいな病に侵されたとして、そうなったら、どうするか、ということだが、たぶん、僕は癌を受け入れる、と思う。受け入れる、とはどういうことか、というと、外科医の実験材料にはならない、ということである。まあ、外科医にもオペをするという仕事があるだろうから、全面拒否はしないのかも知れない。おそらくは一度くらいはオペをさせてあげる。その結果は別に気にしない。癌が他の臓器に転移したら、それはそれでよい。潔く死を受容する。別に格好をつけるつもりはないから、痛みは最大限とってもらう。もう死を前にしているのだから、モルヒネが適当だろう。生きているうちにモルヒネが引き起こすだろう恍惚たる世界を垣間見るのも悪くない。唯一の希望は安楽死だが、残念ながら日本では僕が死を迎えるときに法制化されている見込みはゼロだろう。日本はこういうことが最も後回しになる国である。オランダやベルギーはその意味では死というものをよく識っている、と思う。安楽死を法制化しているのは世界中でこのニ国を含め数か国だろう。安楽死を法制化すれば、無意味に死を選ぶことはないのに、と思う。安楽死を選ぶということは、自分の死と向き合い、自分の死を積極的に受容する、という思想が底にあるから、よく考えてからの死の決断だ。だから意味がある。
日本では、その余裕なしに思い詰めての転落死とか、電車への飛び込みとか、大量の薬の服薬死といった、何か悲惨なイメージがつきまとう。僕自身も自殺未遂者として、悲惨な死を思い詰める心の有り様というものを識っている。いま60歳を迎えているが、40代半ばでのああいう思い詰め方は御免だ。あれは死を受容するなんていうものではない。死と激突するようなものだ。死との格闘技と言ってもよい。もう僕にはそんな心理的体力はないから、いまは何と健康食品の愛好者だ。唐突にやって来るだろう死を健康的に出迎えるために必要だからだ。おかしな発想だが、何となく真剣にやっている。死を受容するためにやっている。
さて、死に関する独り言は読んでいる皆さんはもううんざりしていることだろうから、質のよい小説でも紹介して今日のブログを閉じることにします。
〇推薦図書「断崖の年」日野啓三著。中央公論社刊。これは癌発病から快癒まで小説家としての日野が、自己の死と結構弱気にではありますが、それこそ真剣に向き合った小説のようなエッセイのような重厚な作品です。まだご自分の死と向き合っていない方にはお勧めの書です。よろしければどうぞ。結局日野は後年その癌のために亡くなりはしましたが。
文学ノートぼくはかつてここにいた 長野安晃