日々のできごと。生物準備室より

理科教育、生物教育に関して考えたことをぼちぼち更新。たまに授業実践報告をします。

この時期に探してもまだ土の中・・・ムラサキツユクサ

2019-04-23 09:24:55 | 中学理科2分野(生物)

校庭に少し生えているだけで重宝するムラサキツユクサ

白いムラサキツユクサ。
名前に矛盾があるような気がして、中央のムラサキを強調するように撮影しました。
(昨年です)

単子葉・双子葉類の分類、
気孔の観察、
花粉管の伸長、と学年を超えて活躍します。

多年草のため(多分)、
どの場所に生えているか分かっていれば良いのですが、
異動した年度は、探そうにも、その時期を待つしかありません。


以前、同僚から校内にムラサキツユクサがないことを知った時、

新天地で根付く、ムラサキツユクサ

前任校でからいただいて、植えていました。
当然、植えた後は放置していましたが、
2年後、観察のために採取した時には、
たくましく(?)増えていました。

何がどこで芽をだすか。
重要な引継ぎ事項だと思うのですが、
最近は、ムラサキツユクサも宅配の時代。

山野草:ムラサキツユクサ 3色各2ポット6ポットセット【紫桜館山の花屋】

   
 
 

画像も動画も豊富な今日、
実物を観察することの意味を考えさせられるなぁ。



 


集団と個の関係(No.7)

2019-04-21 10:16:20 | 最近読んだ本
インクルーシブ教育を通常学級で実践するってどういうこと? (インクルーシブ発想の教育シリーズ)
青山 新吾,岩瀬 直樹
学事出版

 

生命科学史を読み進めていて、
ここにたどり着くよなぁ、と思って購入した一冊。

内容はタイトル通りです。

冒頭で、
インクルーシブな教室を目指したくなった時の視点、
・個としてみたときの個
・集団の中の個
で見つめ直し、学校内では「集団の中の個」として捉える必要について述べられ、
さらに言えば、子どもを「関係としてみる」とも書かれています。

子どもに限らず、関係性から物事に意味付けがされていきます。

今回、一番確認したい、納得したいと思ったことは、
何故、今、インクルーシブ教育なのか?だったので、
この本を購入する前に、前作

 

インクルーシブ教育ってどんな教育? (インクルーシブ発想の教育シリーズ)
青山 新吾,赤坂 真二,上條 晴夫,川合 紀宗,佐藤 晋治,西川 純,野口 晃菜,涌井 恵
学事出版

を読むべきでした。
以前、誰かにお借りして読んだことは読んだのですが、
記憶って怖いですね。
知りたいことは思い出せません。


 


お米について考える(No.6)

2019-04-20 18:38:13 | 最近読んだ本
イネという不思議な植物 (ちくまプリマー新書)
稲垣 栄洋
筑摩書房

 

「若い読者に」と冒頭にあるように、
軽いタッチで読みやすい一冊でした。

日本で生まれ育った自分にとって、
イネがどれだけ自分の生活の中に溶け込んでいるかに気づかされます。

例えば、
文部科学省の「早寝早起き朝ごはん」国民運動
http://www.mext.go.jp/a_menu/shougai/asagohan/

ごはん、は本来、お米を炊いたものを指すので、
食事、と同じ意味で使われているよね、といった例や、

水田が広がる地域にて、
「何もない風景」と表現しても違和感なく受け入れられる例、等。

単に植物としてのイネという視点だけでなく、
社会的歴史的な役割から話が進み、
そうだよなぁ、ふむふむの連続でした。

ただ、メンデルの遺伝の説明で、エンドウのF1の形質についての内容と、
稲作に必要な共同作業によって培われた日本人の気質の記述で締めくくるところに、
違和感を持ちました。


それでも、
イネとの関わり深さは色々と想起されました。

ピアノのレッスンに行く途中に水田があって、
水田から出てくるカエルが車にひかれているのを避けながら歩いたこと。

就学前、庭に水田を作りたくて、
芝生を掘り起こしたら思いのほか芝の根が深くて抜けなかったこと。

藁でしめ縄を作ったこと。

登呂遺跡の水田跡地で田植えをしたこと。

バケツ稲を授業で育てたこと。

そして最近では、
玄米でも発芽すること。


結構、イネ、気になります。






今更ですが、アリストテレスから(No.5)

2019-04-15 18:05:29 | 最近読んだ本
生命科学史
遠山 益
裳華房

 

生物教育の在り方を考えるために、
科学史をおさらいしてみました。

冒頭から、
「無生物から生物は発生しない」
アリストテレスの自然発生説を、
当たり前のように否定していた自分の矛盾。
始原生物の誕生、
様々な説があるけれど、どう考えるのよ。
無生物と生物の間には明確な断絶があるわけではないのです。

研究成果の羅列ではなく、
その研究者の背景がさらっと描かれ、
読みやすい1冊でした。

ただ、2006年発行なので、
その先の記述はありません。

最終章の締めくくり
「生命倫理は混乱させられている」とした上で、
「人類はここで冷静な判断と行動によって、
新しい人間観と生命観を構築する方向に向かわなければならない。」

そのための生物教育、でありたい、

かも。

 


科学者の時間ふりかえり(3)ミニレクチャーその2

2019-04-07 10:10:21 | 探究に関すること

 

科学者の時間を導入するようになって、
改めて考えさせられたのは『学び合い』の位置づけです。


『学び合い』は、私にとって運命的?な関わりがあります。

興味を持ったきっかけは、
当時の勤務校が新幹線が止まる駅に近いという理由で、
『学び合い』の研修会の会場校を3回引き受けたこと。
今、考えると、贅沢な環境だったと思います。

ミニレクチャーは、
10年ぶりに天体分野を担当したこともあり、
特に熱い思いがある分野でもないので、
教科書の流れには抗うことなく進めました。

「学びを活かして考えよう」の部分を、
一つ一つ丁寧に解説することを求める空気が伝わってきましたが、
考え方の解答を暗記させてもなぁ、、、、。

そんなことを考えながら、
自分にとっては慣れ親しんだ『』を導入しました。
学習者は、
自分1人で取り組むことも、
他者(授業者含む)に質問することも可能な空間で、着地点を目指そうとしました。

担当した学年で推奨されている活動はペアワーク。
推奨に従って、管理統制されたアクティビティにすることを避けたい、
という思いもあったからです。

でも、結局、短時間での着地点を設定して、
幅の狭いレールに乗せていることには変わりない?



いやいやいやいや、、、


個の尊重とレールの幅に差があるでしょ、やっぱり。



そう思ったものの、

廊下から怪訝そうに覗かれたり、
グループ活動の制限を徹底するような通知文書が会議で出されたりすると、
怖気ます、当然。



『』導入だけで、
こんなに葛藤するとは思いませんでした。
慣れ親しむって実はとても危険。

 

 


科学者の時間ふりかえり(2)ミニレクチャーその1

2019-03-31 12:19:20 | 探究に関すること

生徒対象の授業評価アンケートの質問項目が、

Q1先生はこれまでの授業を振り返り、授業の目標やポイントをはっきり示す。

Q2授業におけるICT機器、板書、ワークシートなどは見やすく、工夫されている。

Q3先生は興味・関心を高める授業をする。

Q4授業では、生徒同士のグループワーク、先生とのコミュニケーション、先人の考え方等をもとに、自分の考えを広げ深めている。

Q5先生は、比較する、分類する、多面的に考える、構造化するなどを通して、知識を相互に関連付けてより深く理解できる授業をする。


という勤務校にて、
いかに生徒を「お客様」にしないか、
微妙な書き方ではあるけれど、主語が「先生」ではなく「生徒」に持っていけるか。

そんな問いをかかえながら行ったミニレクチャー。

 

教科書や資料を読む力を持っているけれども、
提示することで満足するならば、と思い、

 


スクリーンに写しだしてみました。
一通り説明した後、



読み込みは各自でやってみようよ、
例えばこんな感じで。



知っている、から、分かるへ、チャレンジしてみる?



他者(授業者を含む)への質問・相談はOKで、進めました。

公立校では珍しく、
カラープリンター使いたい放題、
全教室プロジェクター完備(ただし実験室は除く)で、
ワークシートやスライドはいくらでも凝ることが可能な環境。
しかも、学習者にとっては「授業は静かに聞いて、指示に従う」ことがスタンダード。
ペアワークも指示があればテキパキ進める中で、
コントロールされた活動を手放す決意は簡単に揺らぎます。

揺らぎまくり。

ミニレクチャーの受け止められ方は後ほど。


 


「リフレクション=反省」は、そろそろ、やめようよ(vol.4)

2019-03-29 11:25:27 | 最近読んだ本
授業づくりネットワークNo.31―リフレクション大全 (授業づくりネットワーク No. 31)
ネットワーク編集委員会
学事出版

 

リフレクションに関するトークイベントにて、「ごった煮」と紹介されていた一冊。
幸運なことに、
教職大学院に派遣されていた2016年前後で、
著者の多くの方から直接お話を伺う機会を得ていました。
そして、整理できずにいました。
(どちらかと言うと混乱)

講演の中でもお話がありましたが、
1つ1つの実践をイメージするためには、
それぞれ1冊の本が最低でも必要です。


でも、
「リフレクション」と言ってもさまざまな意味合いがあることや、
発信者の立場や発信する理由が、1冊で読み比べることができるお得感?があります。


例えば、カウンセリングがベースなのか、
評価がベースなのかを意識すると、自分の中ではスッキリしました。

感じることとどう向き合うか。
いかに1人称、2人称の語りが可能な場を作るのか。
ゴールがないことをどう捉えるか。

生徒のリフレクションと教員のリフレクションの乖離とどう向かうか。


結局、問いの方が増えるんだよな・・・
本屋のトークイベント、成功しているよな・・・。


トークイベント終了後に参加者数名で向かったおでん屋さんでも、ひと興奮してきました。
Oさんが実施している対話型授業検討会では、
上智大学カウンセリング研究所で行われていたマイクロ・ラボラトリー・ティーチングが取り入れられているとのこと。

長男が生まれる前に、3泊4日の集中講義に参加した経験しかありませんが、
お話を聞いた時、そうか、授業改善につなげるのか!!と、離れていたものがつながる喜びと、Oさんの思いが、温かく体の隙間に染み入る感じだったと思います。(おでん屋だったからそのイメージ?)

 

なんかね、
もう、少しだけ、
頑張ろうって思いました。

 

 


科学史から考える、現在と未来

2019-02-09 21:08:51 | その他

 

国立科学博物館 特別展 「千の技術博」に行ってきました。
特別展の展示に携わった有賀先生のギャラリートークの日、
30名前後?の参加者と共に、展示の解説を聞いてきました。



長さの単位一つとっても、ドラマがあります。
国家が近代化してくうえで必要だった「長さ」の統一化。
業種によって一寸の長さが違うなんて、考えもしませんでした。
それでも、誰も不自由していなかった、ということですよね。

国内で一尺の長さが統一され、
国際基準に合わせてメートル法が採用された後であっても、
上の写真のように、
尺はこんなところで引き継がれています。



気になった展示の1枚です。
正確な時計を作り出した日本の技術は生活を変えました。
以前、江戸時代には和時計を使い、不定時法が採用されていたということを知りました。
季節によって、1時間の長さが違う・・・?
どうやって生活している?
想像がつきませんでした。
でも、そう、ただ単に、アバウトに生活していただけなんです。
社会全体が。
「時間にルーズな日本人」と外国人に言われた、、、
新鮮に感じるフレーズです。

ギャラリートークの中でも有賀先生がおっしゃっていました。
何か、新しい科学技術が生活に加わることが、何を意味するか。
もちろん、「便利」にはなるけれども、
今まで気にしなかったことを気にすることになる。
正確な時計ができたおかげで、秒単位で時間に追われた生活をするように。

そして入口から気になったこのフレーズ

 

文明開化と共にまなびが変わる。
その背景の是非はともかく、
もう、科学技術は刻々と変化してしまっているのだから、
まなびが変わらなくては仕方ないよね。

歴史の流れ捉えれば、
科学技術の発展とまなびの変容の必然性は関連付けられると思います。
容易に。

同僚の世界史の先生の言葉を思い出しました。
歴史を学ぶことで、過去を知って、現在・未来に活用する。
いやぁ、その通りでしょう、と一人突っ込み。
心の中でだけど。


ギャラリートークの時間に合わせて入館したため、
最後まで見学する前にホタルの光~
もう一回来ないと。
音声ガイド必レンタルです。

 


【緩募】立体造形が得意な方をご紹介ください!!

2019-01-31 22:16:24 | その他

粘土細工でも彫刻でも、CGでも、
制作技術をお持ちの方、お知り合いにいらっしゃる方、是非お教えください。
人類進化を学ぶための教材として、人類の頭骨レプリカは優れています。
左側の黄色いアファレンシス君は、市販の頭骨をコピーしたため、
限られた範囲でしか活用できません。
自分で粘土細工してみましたが、うーん、餅は餅屋。
模型をみながら制作していただける方、募集中です。
コメント欄にご入力いただけると嬉しく思います。
(表示はしません。)
お待ちしております。 


おかげさまで、ご縁がありました。
ありがとうございました。

 


校種はあまりカンケーないよ、授業づくりの考え方(No.3)

2019-01-26 11:38:15 | 最近読んだ本
授業づくりの考え方 ―小学校の模擬授業とリフレクションで学ぶ
渡辺 貴裕 (著)
くろしお出版


われらの師匠、渡辺先生の最新作です。
読んでいると、
私にとっては実践よりの理論を追求する研究者、
渡辺先生の語りがそのまま、
正しくは、頭の中で関西弁に変換されて届きます。

真っ当な?レビューはこちら
いくぼんさんのブログにお進みください。



流れとして、
「試みる」まずは学生が模擬授業をやってみる。
「かえりみる」模擬授業について生徒役の学生と感想を言い合う。
「深める」著者が振り返りを深める視点を学生(&読者)に語る。
「広げる」著者の話を受けて、授業の改善案や発展方法について話し合う。
をいくつか繰り返し、
間に著者のミニレクチャーが入ります。

 

「試みる」で描かれる模擬授業のエピソードは、
あぁ、かつて自分も同じようなことしてたよね、と
記載内容よりもイタイ思ひでとして蘇ります。
そのイタさから今につながるので、無駄な経験だとは思いません。
でも、いきなり実践の場で挑んでいた初任の頃を思い出すと、
安心・安全な場、模擬授業で体験することのメリットを感じます。

 
1回の授業経験で何かが大きく変化するのではく、
何日も何か月も何年もかけて、
経験で得た知識や技術が、
その授業者にとって意味のあるものとして再構成されていきます。

その再構成を促すために、
対話を通した模擬授業検討会の実施は効果があるんだろうなと、
一連のエピソードを読んで初めて思いました。
一部ではなく、全体を読んで、です。

初任者研修の一環として行われる研究授業&検討会で、
講評者が何か伝授した時と同じく、
たった一回の検討会で何か教えられたからといって、
劇的に変わるわけではないのですから。

 


p163

 教室を子どもが共に学ぶ場にしたいのであれば、教師自身がまずそうした共に学ぶ場を仲間の教師たちと実践できていなければなりません。教師の学びと子どもの学びの「同型性」です。

 結局、ここだと思います。


「共に学ぶ場にしたい」

この思いがなければそもそも成立しません。
「教えるー教わる」の関係性は、結構、根深い。

そして世代は関係なく主流であると感じています。
「共に学ぶ場にしたい」と思わせるような場作り、
こちらの方が何倍も困難を極めるだろうな、、、、

なんか、気分が沈んできました。






気を取り直して。

 

これまで何回か参加した模擬授業検討会では、、
教科内容と教材の検討に関して、
いつも多少のフラストレーションを感じていました。

文中には登場する学生5人が教科内容について調べて話し合うシーンがありますが、
やはり、生ぬるさを感じます。
しかたありません。
模擬授業検討会ではこの部分を焦点化しているのではないこと、
自分には、熟達者と教科内容と教材の検討をがっつりできる日常がたまたまある、という理由です。
比較したら当然、満足できるわけがありません。


枝葉の内容になりますが、
素朴概念について気になりました。
動物の分類を例として挙げ、
「子どもが生活経験に基づいて自然現象などに対して抱く自分なりの理解のことを、特に理科の分野では『素朴概念』と呼んでいる。」
と説明があります。
正しい「動物」概念って、さて、何だろう?アメーバとかミドリムシは?巨大ウイルスはどう説明する?
素朴概念の例が、自然現象でなく人為的な分類なのは何でだろう?
もう一度、素朴概念について調べてみたくなりました。