日々のできごと。生物準備室より

理科教育、生物教育に関して考えたことをぼちぼち更新。たまに授業実践報告をします。

人はいかに学ぶか

2016-07-17 23:24:15 | 最近読んだ本
人はいかに学ぶか―日常的認知の世界 (中公新書)
クリエーター情報なし
中央公論社

課題だから読んだ、で済んだのかも知れないけれど、
気になるところが多すぎて、時間をかけてしまいました。
批判的に読む、というよりは
今まで体験したことに意味付けをしながら読んだ感じです。

一番長く時間を割いてしまったのは
第6章「文化のなかの隠れた教育」です。

自分自身が「もの知り」に価値をおく教育を受けてきて、
知識を注入することよりも知識を構成していくことの方が重要だと思いつつ、
価値があるのは「もの知り」だと根底では感じているようです。 

IBDPの「TOK(知の理論)」にちょこっと触れたからか、
ここで言う「知識」って何なんだろうとイメージをかなりブレブレしながら読みました。



 

 


ランチタイム・ワークショップ vol.2 POE法

2016-07-15 14:40:21 | 学習評価に関すること

 

(写真は先日訪問した中学校3年生理科の授業)

予想ー観察ー説明を1セットに行い、
生徒が元々持ってた「信念」や「推論の質」を評価する方法。

お題に対して全員が予想とその理由を意思表示してから、
観察に入ります。

理科の授業、特に中学校の授業においては
よくよく見かけられる光景の気がしますが、
この部分を評価しよう、との取り組みです。

勿論、その他の評価と組み合わせて実施する事は可能、
と言うより、この部分だけの評価ではただの「予想屋」の育成になってしまいます。


ランチタイム・ミィーティングでは、次のような応用が提案されました。
※多少、改変させていただいております 


案1)保健「感染症はどのように広がる?」

お題:
コップの中に水を入れて全員に配ります。
一つだけ水に似た薬品を混ぜてあります。
水の入れ替えを自由に2人組になって3回行うと、
何人のコップが薬品入りになるでしょう?

(1)3人  (2)10人  (3)20人 



案2)生活科・理科「磁石にくっつくものは?」
   (はさみ・クリップはくっつく事を確認した後)
お題:10円玉は磁石にくっつくか?

(1)くっつく  (2)くっつかない 

 
案3)理科「体重計は乗り方で何かが変わる?」

お題:次のように体重計に乗った時、値が一番大きくなるのはどの乗り方?

(1)両足で乗る
(2)片足で乗る
(3)どちらでも同じ 

学習者内でどの選択をしたのか共有し、
どうしてそう考えたのか説明する、意見を表明することが大切で、
その部分を評価しようという試みです。

お題は焦点化しやすい内容がオススメだそうです。
複数要素が絡むと、推測も複雑化するからだと思います。 


次回ランチタイム・ミーティングは
7月21日(木)12:20〜12:40 教職大学院棟2階 
持ち物は筆記用具とランチのみです。 


ランチタイム・ワークショップ vol.1 概念地図法

2016-07-07 17:15:09 | 学習評価に関すること

 


 

 「子どもの学びを探る」第1回目
 知の多様な表現を基底にした教室をめざして、評価方法について学びました。

今回のお題は「概念地図法」
コンセプトマップのことです。
10分間でインストラクション、10分間で自分の担当教科を想定して練習しました。
 

次回は7月14日(木)12:20〜40 教職大学院棟2F
持ち物:お弁当、筆記用具
教科は問いませんが、理科寄りです。 



「ヒト」を身近に感じるための工夫をさぐる3冊

2016-05-31 02:43:57 | 最近読んだ本

数見隆生・吉田茂・鎌田雅子・橋本由美子・佐藤洋子『生きているってどんなこと?子どもたちと考える「生」「いのち」「死」』

 この実践記録は、小学校教諭や養護教諭による、子どもたちの実感の伴う「いのちの学び」を取り戻すための授業の記録である。その第一章では「体温」や「からだのあな」といった身近な器官を新しい視点から教材化し、ヒトのからだの働きの精巧さ、しくみのすごさを友だちや自分のからだの中に発見して「生」=「生きているからだ」を実感させている。

 著者の一人である吉田が小学3年生対象に実施した「いのちとしての体温を考える」授業では、「生きている証拠探し」の学習として、呼吸、体温、脈拍といったバイタルサインを見つけ出させた後、実際に自分や友だちのからだに触れてからだのあたたかさを感じ取らせている。部位によって温度が異なることや、自分と友だちのあたたかさを比較する体験を通して、子どもたちはからだの構造としくみに関して多くの気づきを得ていく。

 

どんなときにからだがあたたかくなったと感じたかを聞くと、「一生懸命考えたときに、頭があつくなった」「お風呂にはいったとき」「からだを動かした時にあたたかくなったよ」というような発表がされました。

—からだを動かすには、何を使うの。
「筋肉を動かす」
「足の筋肉を動かす」
—筋肉を使うと熱が生まれる。ほんとうにそうかどうか、筋肉をつかって遊んでみよう。
ということで、思いっきり遊ばせました。子どもたちは、大喜びで体育館中を走り回りました。

 

一番あたたかかったのは、おでこです。しんぞうがはやくドキドキしていました。走る前のしんぞうは、ふつうの音でドキドキしていました。なんではしるとしんぞうがはやくなるのかなあ、ふしぎに思いました。ぼくは、たいいくがおわったら、あつくて水を二かいものんでしまいました


 生きている証拠である体温を感じさせた後、子どもたちとのやり取りを通して、自然な流れで熱を発生させている筋肉に着目させている。さらに運動して速くなった心臓の鼓動を体感させ、生きているときはどこか動いているからあたたかさが生まれることを実感として子どもたちに持たせているのである。子どもたちはこの授業を通して、これまであまり気にしてこなかった、または、疑問に思ってもそのままにしていた自分のからだで起こっている現象に向き合い、体温に対する新たな見方や考え方ができるようになった。からだは自律性体温調節により常に一定の体温で維持されている。小学3年生がこの恒常性の細かなメカニズムを理解する必要性は全くないが、体温を感じることから始まったこの取り組みの中で、子どもたちは当事者意識をもって取り組んでいたに違いない。

 

久保敏彦『教室に“学びのライブ”がやってきた!仮面・イメージ・表現のレッスン』

 都立武蔵高校の「保健」の授業の中で、高校生たちが生きた「からだ」と「言葉」をよみがえらせる「レッスン=学び」を活写した実践記録である。その中で久保は、仮面(ペルソナ)を用いた授業を展開している。パーソナリティーはラテン語のペルソナに由来しており、もともとはギリシャ劇で使う仮面のことである。

 

「あの悲しそうな仮面をつけると、だれもが悲しく見えてしまうから、不思議だった。あの目でみつめられると、凍ってしまいそうになる。面というのは、普通の人の顔よりも、感情があらわれていると思う。(略)」

「おなじ面でもつける人が違えば、お面の表情も違う気がした。それで違うお面でもつける人がおなじなら、おなじ表情をしているように思われた。お面のしたの素顔が、お面の表情ににじみでているのではないかと感じた。」

 

仮面をつけて演じることにより、仮面が人にのりうつり、面のなかからは今まで自分が感じていた世界とは全く異なる世界が見えることを生徒たちは体感していく。そして仮面がひとの内面をえがきだしていることに気づいていく。さらに生徒たちはペルソナづくりを通して自分のこころと身体と対話し、内面の変化を感じていく。

 

「(略)日常生活のなかでは、あるひとつの仮面をかぶっていて、プレゼンテーションのときに仮面をかぶったときの状態が、仮面を脱いだ状態なのかも知れない。(略)人は内と外、裏と表というように、相反する『自分』を持っている。でも、どちらかの『自分』は、呼び起こされるのを待つべく、ひっそりと眠っている。その『自分』を外に出すには、もうひとつの『顔』が必要なのだ。その『顔』がペルソナではないか。(略)」

 

 久保の実践の特徴は、一貫してからだを文化として認識していること、生徒たちを表現者として育てようとしている事である。生物としての「ヒト」だけでなく歴史や文化の中で育まれる「ひと」として、からだの感覚や所作を文化として認識し表現する営みが授業で起こっている。ペルソナを通した活動から、生徒たちは「ヒト」のみならず「ひと」としての当事者意識持っていたのではないかと考える。


藤原和博『世界でいちばん受けたい授業2』小学館 2002年

 のちに都内初の民間人校長となる藤原が、足立区立第十一中学校で実施した[よのなか]科の実践記録である。[よのなか]科とは、中学3年生に生きた社会科を学んでもらうために、ハンバーガー店の店長になって出店計画をたててみたり、法定で裁かれる少年の弁護人になってみたり、シミュレーションやロールプレイングというゲーム手法を応用して、身近なものから[よのなか]との関わり方を学んでいく授業である。女装家(三橋順子さん)をゲストとして招いた「差異と差別を考える」授業では、生徒それぞれが「あなたの男女度チェック」を行い、クラスメートの男らしさ・女らしさを分析、自分の中のマイノリティ性に気づかせている。

 

 私たちは、三橋さんを一種の“触媒”にして、差異があることと差別があることを生徒たちと確認した。そしてマイノリティというものについても、マジョリティとの対比として位置づけた。軽視されている歴史とか差別されているかわいそうな現状とかに一切言及せず、あくまでも、生徒たちの体験の中にあるマイノリティ性を引っ張りだす努力をした。
 
その結果、恥ずかしいと思っていた自分の中のマイノリティ性は、実は“個性”だという三橋さんのメッセージは生徒たちにストレートに伝わった。

 

 マイノリティ性は集団の中で浮かび上がる特徴であり、各自が自身のマイノリティ性をすべて認知している訳ではない。また補助的に用いる言葉が生徒を思わぬ方向へ感化することもあり、私にとっては授業での扱いを難しく感じる内容である。この実践では、『マイノリティもまた個性なのだ』と明るく導く女装家に上から下への視線はなく、同じ視線で生きる態度を生徒たちに育ませている。続いて、『どこまでイジくる?ヒトのカラダ』というテーマで、医療技術の進展によって可能になった「人間の体に手を加えて、弱点を直したり、矯正したり、機能を増強したり、入れ替えたりする行為」について議論を進めている。ここで特徴的なことは、マイノリティ克服のための行為の例が、正解か不正解か断言できないものであることである。また、『1)ファッションのため髪をそめる』『2)耳に穴をあけて、ピアスをする』から『11)妊娠中絶をする』『12)スポーツで勝つため、興奮剤を飲む』まで、抵抗感が低いと思われるものから高いと思われるものまで段階的に設定されている点も。

 

 自分か自分の家族が何らかの“弱点の補強や克服”をしたり、せざるを得なかったりする現実的な局面で、自分自身の問題として、このことが想起されるときは必ずやってくる。

 

 自分に関係があるかないか白黒はっきりする設問でないため、思考停止に陥ることは殆どないと思われる。もともとは社会科の授業がベースであるが,「ひと」である自分が集団に依存した価値観の中で自分の個性を認知し、「ひと」である自分や家族が技術進歩のスピードにどのようについていくのかを当事者として考えるための工夫が随所に見られる実践である。

 

「ヒト」を身近に感じるための工夫

 「生物に関する疑問を挙げてください」と高校生に投げかけると、圧倒的に多い回答が「ヒト」に関するものである。「ヒト」は私たち自身であり、生物担当者も「ヒト」を扱えば生徒は身近さを感じ、興味関心をもつだろうと予測する。しかし、「ヒト」には「ひと」の面があるだけに、果たしてその目的は達成できているのか疑問である。私はこの3冊の実践記録を読み、児童・生徒が「ヒト」であることを実感し、からだと向き合うことで「ひと」の内面を表現し、集団の中での「ひと」が変化することを可能なことを知った。「ヒト」が身近にあるからこそ、「ヒト」と「ひと」が身近に感じるための工夫が必要だと再認識することができた。

 

 

 

生きているってどんなこと?―子どもたちと考える「生」「いのち」「死」 (健康双書―全養サシリーズ)
クリエーター情報なし
農山漁村文化協会

 

教室に“学びのライブ”がやってきた!―仮面・イメージ・表現のレッスン
クリエーター情報なし
太郎次郎社
   
 
 
世界でいちばん受けたい授業〈2〉
クリエーター情報なし
小学館

 

   
 
 




スペシャリストとレジェンドの授業を見学しました。

2016-05-28 18:43:38 | ワークショップ・研修に関すること

都立K高校の生物の授業を見学させていただきました。

学びの語源が真似ること?だとしたら、
同じような環境でしか学びは成立しません。
「凄いね、でも○○だからできるんだよね」に陥らないように、
テーマ設定を
1)学習者の特徴
2)ファシリテーターとしての担当者の視点で見学させていただきました。



1)のきっかけは勤務校の同僚(若手)に、
異動するなら近隣の高校がいい、
進学校はできれば避けたい、
できれば今の地区の素直な生徒さんたちと接していたい、
進学校の生徒さんは怖いイメージがあるから、

という話を聞いたことにあります。

分かるような分からないような・・・
確かに近隣の学校を異動し続ける同僚は少なくありません。


また、K高の生徒さんは「教師の勢力資源」として
何を基にしているのかにも興味がありました。
(早稲田大学の河村先生が分類したもので、高校の場合は教師の人間的魅力、教師役割の魅力、罰・強制性の3種類)


見学を通して「怖い」のイメージが何となく分かりました。
あくまでも勤務校と比べた個人的な感想ですが、
人なつっこさや気遣いに差を感じました。
何か少しシビアかも知れない、このクラス。
このくらいの緊張感が保たれなければ、大学受験では闘えないのかも知れません。


たまたま近くで見学していたグループでの話題が、
「DNAの複製と転写の差が良く分からない」というものでした。

複製と転写の混同は、
以前、K高校で質問紙調査をさせていただいた時にも、
少数ながらも起こっていた誤理解です。

B社のTさんもそのグループのそばで見学されており、共に会話に入りました。
どこまでOKなのか探りながら、少し誘導的な言葉掛けをしたところ、
グループの一人が、見事に複製と転写の物語を語っていました。
細かいメカニズムに捕われ、必然性や大まかな流れを見失っていたようです。

理解がはやいね、やっぱり凄いなぁ、と声をかけたところ、
「K高生がすごいんじゃないんです。一年生の時に、このあたりの詳しい内容まで勉強しているから、当たり前なんです。既に知識としてはあるので。」とのこと。

愚問と分かりつつ、
知識を積み重ねる作業、暗記とかって苦に感じること無いの?と重ねたところ、
お互いに顔を見合わせて、えっ?という表情。

ま、当然のことだよね、と話すと、

「自分で読んでいても、問題を解いていても段々楽しくなってくるんです。だから苦ではないですよ。」

そーだよね、やっぱり愚問だったよね・・・。

自己効力感がある生徒は強いナリ・・・。

彼らが1年次の生物担当者の話になったので、
どんな先生のどんな授業が好きなのか聞いてみたところ、
教師役割の魅力よりも教師の人間的魅力についてのエピソードを聞かせていただきました。

「研修」とは「研究・修養」のことだから、修養の部分も必要だよね・・・と再確認。

そのグループのみなさんとの会話の中で
「K校では自由が認められるけれど、社会に出たら自由は認められない」
という話が印象的でした。
Tさんからのアドバイスも腑に落ちていないようでした。
そして、どちらかというと悲観的な口調での語りでした。
高校生が抱える不安は、多岐にわたっているようで、
実は「自由」に絡む共通項も多いのではないかと何となく思いました。

 

2)K高生の授業を通して、
勤務校での自分の授業をどう組み立てようか考えながら見学しました。
インストラクションの方法、課題の提示法、評価方法・・・
そして安心できる場作りの妄想です。

似たような集団よりも差がはっきり分かる集団を観察した方が、
学習者集団の強みや弱みがクリアになって、
妄想しやすいような気がしました。

最近、履修している授業の多くで、
ヴィゴツキーのZPDが出てきます。
この理論も学習者の現状把握あってのものなので、
妄想材料は自分で調達すべし。

クックパッドに全信頼を寄せることは危険です、はい。

 

 

教師のためのソーシャル・スキル―子どもとの人間関係を深める技術
クリエーター情報なし
誠信書房

実践記録レビューの課題用

2016-05-23 17:04:22 | 最近読んだ本

<☆☆☆☆☆>

教室に“学びのライブ”がやってきた!―仮面・イメージ・表現のレッスン
クリエーター情報なし
太郎次郎社
実況・料理生物学 (阪大リーブル030)
クリエーター情報なし
大阪大学出版会
世界でいちばん受けたい授業〈2〉
クリエーター情報なし
小学館



<☆☆☆☆>

生きているってどんなこと?―子どもたちと考える「生」「いのち」「死」 (健康双書―全養サシリーズ)
クリエーター情報なし
農山漁村文化協会

最新「授業書」方式による保健の授業

クリエーター情報なし
大修館書店

 

<☆☆>

人生で大切なことはすべて家庭科で学べる ふくしまの男性教員による授業
クリエーター情報なし
文芸社
理科教育法入門: 科学のたのしさ伝えたい
クリエーター情報なし
仮説社

「進化」について学ぶ意味

2015-12-06 22:37:24 | 最近読んだ本

選択生物で学習する「進化」の単元について、
高校生時代の私は、
「こんな暗記だったら物理を選択すれば良かった」ぐらいの印象しかありませんでした。

何で学ぶんだろうね、この単元と改めて考えた時に、
勿論、生物の共通性と多様性を考えるために必要なのは分かるのですが、
それだけでは何か、しっくりこない・・・。

そこで、履修者全員が受験で必要としない「選択生物」にて、
この単元の目標を次のように設定してみました。

第8章では、

「地球が誕生してから自分自身が今、ここに存在するまで」について学びます。

自分の存在について「進化」の視点から語ることができるように、学習を進めましょう。


進化のしくみを学習後、ようやく哺乳類が誕生したところまで来て、
何となく手に取って読んだこの本。
(また黄色い・・・)

おとなの教養 私たちはどこから来て、どこへ行くのか? (NHK出版新書)
クリエーター情報なし

NHK出版

序章を抜粋すると、

「すぐ役に立つことは、すぐに役に立たなくなる。」
だから本当の教養というのは、
すぐには役に立たないかも知れないけれど、
長い人生を生きていく上で、自分を支える基盤となるもの。

現代における教養とは、
具体的には「自分がどういう存在なのか」見つめていくこと。
「自分自身を知る」ことこそが現代の教養である。

 

著者が考える7つの学問として、

 

1)宗教

2)宇宙

3)人類の旅路

4)人間と病気

5)経済学

6)歴史

7)日本と日本人

を挙げています。


私自身が直接、関わるところは3)、4)。
勝手に後押しされているような気になって、
来週1週間もしっかり出勤しようと思いました。


(特に引きこもっている訳ではありませんが

 

 


黄色い本3部作、アクティブ・ラーニングを模索

2015-12-04 21:07:22 | 最近読んだ本
子どもの思考が見える21のルーチン: アクティブな学びをつくる
クリエーター情報なし
北大路書房
たった一つを変えるだけ: クラスも教師も自立する「質問づくり」
クリエーター情報なし
新評論
すぐわかる! できる! アクティブ・ラーニング
クリエーター情報なし
学陽書房

少し前になりますが、3冊目をまず借りて読みました。
「すぐわかる!できる!」というフレーズに抵抗があり、
内容は『学び合い』だけなのに一冊でOKのようで違和感がありました。

自分自身が『学び合い』で戸惑うところは、「発問」と「評価」。
この2つが何とかならないかなと思い、
密林で購入したのが2冊目、1冊目です。


3冊を通して一番の気づきは、
自分自身の学びのスタンダードは自分が受けてきた教育であり、
産業モデルによってできた、知識や技能を主要なゴールとしたものであったこと。
本当に理解することよりも、内容をこなして評価する(される)ことに重点が置かれていたこと。
幸か不幸か、在籍した中学校だけは「思考」を重視した活動があったような気がしたけれど、
フィードバックがなされていたか全く思い出せず、
塾での知識を得る活動がメインだったこと。

未経験ゾーンに足を踏み出そうと思った時、
まずは既存の自分ゾーンから一歩出ようとする自分を、
指南してくれるのが3冊目『学び合い』なのかな、と思います。


以上、たまたま最近読んだ&カバーが黄色メインだった3冊です。






 

 

 

 


オワンクラゲは内臓も半透明

2015-01-17 09:25:55 | 自由研究ネタ

娘たちと科博へ。

特別展は必ずと言っていいほど、最後にお土産コーナーがあり、ぬいぐるみがあります。

そして、必ず、購入をせがまれます。

しかも、大量に流通しているものではないので、少し高めのお値段。

買うくらいなら・・・・作ってみました。

ダイオウイカのときはベルベット風の生地を使い光沢を出しましたが、

クラゲなので半透明のスパークオーガンジー?を使用。

綿を使わず、余り布を詰めて立体にしました。

ゴミが全く無い制作です。

娘たちは長男と違い、足の数など詳細はどうでもよいらしい・・・。


増えるばかりではないのです。プログラムされた細胞死

2015-01-16 19:46:44 | 最近読んだ本

 

アポトーシスの科学―プログラムされた細胞死 (ブルーバックス)
山田武 大山ハルミ
講談社

中学理科では、細胞分裂は学んでも、細胞の死については学びません。
高校生物では、「免疫」でマクロファージ等による貪食や、「退化」は学んでも、
具体的にどのようになくなっていくかは学びません。

何らかの障害によって起こる「ネクローシス」は、
ミトコンドリアの機能が低下
→ATP産生停止
→細胞膜の浸透圧制御不能
→細胞の膨張
→破裂

対して、「アポトーシス」は、核と細胞質が凝縮・縮小し、断片化していく。
しかも、その行程はその細胞内で合成されるRNAに制御されているのだから、
まさに、 自ら消滅していきます。
しかも、ネクローシスのように「炎症」を起こさず、
細胞表面に「やられています」フラグを立てて片付け処理を待っています。

その必要性を、発生過程と免疫機構を中心に展開、 ガン化との関係や寿命等についても触れていますが、多分、今はもっと色々明らかになっているんだろうなと推測。

最近の出版されたものも探そう、と思いました。