都立K高校の生物の授業を見学させていただきました。
学びの語源が真似ること?だとしたら、
同じような環境でしか学びは成立しません。
「凄いね、でも○○だからできるんだよね」に陥らないように、
テーマ設定を
1)学習者の特徴
2)ファシリテーターとしての担当者の視点で見学させていただきました。
1)のきっかけは勤務校の同僚(若手)に、
異動するなら近隣の高校がいい、
進学校はできれば避けたい、
できれば今の地区の素直な生徒さんたちと接していたい、
進学校の生徒さんは怖いイメージがあるから、
という話を聞いたことにあります。
分かるような分からないような・・・
確かに近隣の学校を異動し続ける同僚は少なくありません。
また、K高の生徒さんは「教師の勢力資源」として
何を基にしているのかにも興味がありました。
(早稲田大学の河村先生が分類したもので、高校の場合は教師の人間的魅力、教師役割の魅力、罰・強制性の3種類)
見学を通して「怖い」のイメージが何となく分かりました。
あくまでも勤務校と比べた個人的な感想ですが、
人なつっこさや気遣いに差を感じました。
何か少しシビアかも知れない、このクラス。
このくらいの緊張感が保たれなければ、大学受験では闘えないのかも知れません。
たまたま近くで見学していたグループでの話題が、
「DNAの複製と転写の差が良く分からない」というものでした。
複製と転写の混同は、
以前、K高校で質問紙調査をさせていただいた時にも、
少数ながらも起こっていた誤理解です。
B社のTさんもそのグループのそばで見学されており、共に会話に入りました。
どこまでOKなのか探りながら、少し誘導的な言葉掛けをしたところ、
グループの一人が、見事に複製と転写の物語を語っていました。
細かいメカニズムに捕われ、必然性や大まかな流れを見失っていたようです。
理解がはやいね、やっぱり凄いなぁ、と声をかけたところ、
「K高生がすごいんじゃないんです。一年生の時に、このあたりの詳しい内容まで勉強しているから、当たり前なんです。既に知識としてはあるので。」とのこと。
愚問と分かりつつ、
知識を積み重ねる作業、暗記とかって苦に感じること無いの?と重ねたところ、
お互いに顔を見合わせて、えっ?という表情。
ま、当然のことだよね、と話すと、
「自分で読んでいても、問題を解いていても段々楽しくなってくるんです。だから苦ではないですよ。」
そーだよね、やっぱり愚問だったよね・・・。
自己効力感がある生徒は強いナリ・・・。
彼らが1年次の生物担当者の話になったので、
どんな先生のどんな授業が好きなのか聞いてみたところ、
教師役割の魅力よりも教師の人間的魅力についてのエピソードを聞かせていただきました。
「研修」とは「研究・修養」のことだから、修養の部分も必要だよね・・・と再確認。
そのグループのみなさんとの会話の中で
「K校では自由が認められるけれど、社会に出たら自由は認められない」
という話が印象的でした。
Tさんからのアドバイスも腑に落ちていないようでした。
そして、どちらかというと悲観的な口調での語りでした。
高校生が抱える不安は、多岐にわたっているようで、
実は「自由」に絡む共通項も多いのではないかと何となく思いました。
2)K高生の授業を通して、
勤務校での自分の授業をどう組み立てようか考えながら見学しました。
インストラクションの方法、課題の提示法、評価方法・・・
そして安心できる場作りの妄想です。
似たような集団よりも差がはっきり分かる集団を観察した方が、
学習者集団の強みや弱みがクリアになって、
妄想しやすいような気がしました。
最近、履修している授業の多くで、
ヴィゴツキーのZPDが出てきます。
この理論も学習者の現状把握あってのものなので、
妄想材料は自分で調達すべし。
クックパッドに全信頼を寄せることは危険です、はい。
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