授業づくりの考え方 ―小学校の模擬授業とリフレクションで学ぶ | |
渡辺 貴裕 (著) | |
くろしお出版 |
われらの師匠、渡辺先生の最新作です。
読んでいると、
私にとっては実践よりの理論を追求する研究者、
渡辺先生の語りがそのまま、
正しくは、頭の中で関西弁に変換されて届きます。
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流れとして、
「試みる」まずは学生が模擬授業をやってみる。
「かえりみる」模擬授業について生徒役の学生と感想を言い合う。
「深める」著者が振り返りを深める視点を学生(&読者)に語る。
「広げる」著者の話を受けて、授業の改善案や発展方法について話し合う。
をいくつか繰り返し、
間に著者のミニレクチャーが入ります。
「試みる」で描かれる模擬授業のエピソードは、
あぁ、かつて自分も同じようなことしてたよね、と
記載内容よりもイタイ思ひでとして蘇ります。
そのイタさから今につながるので、無駄な経験だとは思いません。
でも、いきなり実践の場で挑んでいた初任の頃を思い出すと、
安心・安全な場、模擬授業で体験することのメリットを感じます。
1回の授業経験で何かが大きく変化するのではく、
何日も何か月も何年もかけて、
経験で得た知識や技術が、
その授業者にとって意味のあるものとして再構成されていきます。
その再構成を促すために、
対話を通した模擬授業検討会の実施は効果があるんだろうなと、
一連のエピソードを読んで初めて思いました。
一部ではなく、全体を読んで、です。
初任者研修の一環として行われる研究授業&検討会で、
講評者が何か伝授した時と同じく、
たった一回の検討会で何か教えられたからといって、
劇的に変わるわけではないのですから。
p163
教室を子どもが共に学ぶ場にしたいのであれば、教師自身がまずそうした共に学ぶ場を仲間の教師たちと実践できていなければなりません。教師の学びと子どもの学びの「同型性」です。
結局、ここだと思います。
「共に学ぶ場にしたい」
この思いがなければそもそも成立しません。
「教えるー教わる」の関係性は、結構、根深い。
そして世代は関係なく主流であると感じています。
「共に学ぶ場にしたい」と思わせるような場作り、
こちらの方が何倍も困難を極めるだろうな、、、、
なんか、気分が沈んできました。
気を取り直して。
これまで何回か参加した模擬授業検討会では、、
教科内容と教材の検討に関して、
いつも多少のフラストレーションを感じていました。
文中には登場する学生5人が教科内容について調べて話し合うシーンがありますが、
やはり、生ぬるさを感じます。
しかたありません。
模擬授業検討会ではこの部分を焦点化しているのではないこと、
自分には、熟達者と教科内容と教材の検討をがっつりできる日常がたまたまある、という理由です。
比較したら当然、満足できるわけがありません。
枝葉の内容になりますが、
素朴概念について気になりました。
動物の分類を例として挙げ、
「子どもが生活経験に基づいて自然現象などに対して抱く自分なりの理解のことを、特に理科の分野では『素朴概念』と呼んでいる。」
と説明があります。
正しい「動物」概念って、さて、何だろう?アメーバとかミドリムシは?巨大ウイルスはどう説明する?
素朴概念の例が、自然現象でなく人為的な分類なのは何でだろう?
もう一度、素朴概念について調べてみたくなりました。