元海軍主計大尉 俳人 金子兜太インタビュー 季刊『道』191号
3月10日は、73年前太平洋戦争中に東京が
アメリカ軍の爆撃を受け、火の海と化し10万人以上の犠牲者が
でました。忘れられない日でありますね。
我がヤン爺も田舎で、やはり米軍の艦載機による機銃掃射を受けた
経験があり、いかに戦争とは惨いものかと知らされた一人です。
金子兜太さんも戦時中東京大学から学徒動員で海軍大尉として参戦
した一人ですが、戦場に果てた戦友への鎮魂もあり、戦場体験を
句作の根幹において作句つづけた俳人としてヤン爺は印象が深いの
ですが、一面人間味のある時代に敏感な作品に興味がありました。
「朝はじまる海へ突っ込む鴎の死」
「おおかみに蛍が一つ付いていた」
「酒止めようかどの本能と遊ぼうか」
「華麗な葦原女陰あらわに村眠り」
「長寿の母うんこのようにわれを生み」などなど
我がヤン爺のお勧めの金子兜太さんの俳句です。
98歳の長寿に敬意を捧げ、哀悼の意を捧げます。
3月10日は、73年前太平洋戦争中に東京が
アメリカ軍の爆撃を受け、火の海と化し10万人以上の犠牲者が
でました。忘れられない日でありますね。

我がヤン爺も田舎で、やはり米軍の艦載機による機銃掃射を受けた
経験があり、いかに戦争とは惨いものかと知らされた一人です。
金子兜太さんも戦時中東京大学から学徒動員で海軍大尉として参戦
した一人ですが、戦場に果てた戦友への鎮魂もあり、戦場体験を
句作の根幹において作句つづけた俳人としてヤン爺は印象が深いの
ですが、一面人間味のある時代に敏感な作品に興味がありました。
「朝はじまる海へ突っ込む鴎の死」
「おおかみに蛍が一つ付いていた」
「酒止めようかどの本能と遊ぼうか」
「華麗な葦原女陰あらわに村眠り」
「長寿の母うんこのようにわれを生み」などなど
我がヤン爺のお勧めの金子兜太さんの俳句です。

98歳の長寿に敬意を捧げ、哀悼の意を捧げます。