茶陶遊人の部屋

日々の日記と、お茶と地元の歴史等を発信していきます。最近はk-popにはまっている韓国好遊人です。

山里に建てた僅か約3メートル四方の庵に理想の生活を見出した鴨長明の学ぶ。

2024年08月17日 | Weblog

【方丈記朗読】一日一話話 鴨長明『方丈記』現代語<3>都の三分の一を焼失 悲惨の一言、大火の傷跡[プレミア教養TV第7回]

このところ報道された台風9号も無事?日本を通過しました。今日も暑い日が続く日本列島です。今から800年前に「方丈記」を描いた鴨長明は安元の大火、養和の飢饉、元暦の大地震、などの災害について詳しくレポートしております。その自分で得た体験から災害の多い京に財を投じて家を建てるのはバカバカしいことだと強調しています。そして自ら3平方メートルの庵に住み、生活していました。今、日本も南海トラフト地震災害について警報が出たばかりです。いつ大きな災害が起きるかわかりません。それなりの心構えと準備をしておかねばなりません。鴨長明でなくとも「さしも危ふき京中の家を造るとて宝を費やし心を悩ますことはすぐれてあじきなきぞ待る」と書いております。簡素な暮らしは乱世を生きる知恵であり、現代にも通じることではないでしょうか。「ミニマリスト」なること「持たざる暮らし」が注目され始めています。

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清少納言が現代のフワちゃんにもの言う・・・「なでふことなきひと」

2024年08月16日 | Weblog

枕草子

NHK大河ドラマ「光る君へ」にも登場し、紫式部、和泉式部、清少納言、平安の三才女のひとり、「枕草子」の筆者、春はあけぼのなどの文章から軽く明るいイメージである「枕草子」ですが、実は後ろ向きな発想に満ちています。今、世間で話題になったフワちゃん問題も清少納言に言わせれば「見苦しきもの」「いみじう心づきなき(ものすごく気にいらぬ)とりどころ(取柄)なきものえせものの所得るおり(つまらぬ者が幅を利かせる時)とあり、極めつけは「にくきもの」であります。「憎し」は現代語と違い「しゃくにさわる」「イラッ」とするいった軽めの意味です。また、「話し手にまるで悪気がない相手が迷惑がっているなど想像もできないからこその笑顔・・・と悪気のない人ほど始末に負えないものはない。また、たいしたことのないくだらぬことをしきりに笑顔でしゃべりたてるひと。など「いと憎し」と書いております。まさに現代のフワちゃんタイプは「いと憎し」と思います。

 

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8月15日「終戦記念日」私の九十年の人生で忘れられない日でもあります。

2024年08月15日 | Weblog

宮内庁:玉音放送の原盤を初公表 音声も公開

今日、8月15日は私には忘れられない日でもあります。今から79年前当時、中学一年生の私は通常の登校をしましたが、即全校生の集会が開かれ、校長先生から今日の正午に重大発表がラジオであるのですぐに帰校しなさいとの話がありました。そして正午を迎え家族でラジオの前に正座し、玉音放送を聞きました。「親愛なる我が国民に告ぐ・・・」初めて聞く天皇陛下のお言葉に体が震えました。「耐えがたきを耐え、忍び難きを忍び以て万世のために太平を開かんと欲す・・朕深く世界の大勢と帝国の現状とにかんがみ非常の処置をもって時局を収拾せむと欲し茲に忠良なる汝臣民に告ぐ・・・」と漢文調のお言葉が続きました。私の胸が張り裂けんばかりのショックでした。日本が戦争に負けたのだ!!神の国日本が負けた・・・あれから79年、我々戦争体験者も少なくなりました。今は平和な生活が送られていますが・・・今日一日はこの平和な生活ができる幸せを感謝し永久の平和を願うものです。安寧💐💐

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和泉式部日記にみる式部の男性遍歴・・・恋の歌詠み燃える女💛💛

2024年08月14日 | Weblog

和泉式部日記 第一回  敦道親王登場!!

今、放送中の大河ドラマ「光る君へ」に遂に登場した私の待望の和泉式部、紫式部の和歌の教室で顔合わせするこの二人・・・

待たましも かばかりこそは あらましか思ひもかけぬ今日の夕暮れ

宮様からのお手紙があるだろうかと思っていたところそうでもないのでつらいと思う私の心のありさまもなんとも好色めいたことであることだ。これは亡き為尊親王との思いを消せるはずもないものだが、和泉式部の心は今新たに契りを結んだ弟君の敦道親王へ大きく傾いているのです。弟君、冷泉院第四皇子師宮敦道親王当時23歳、師宮は藤原道隆の三女と結婚したが、その後離婚、今は藤原済時の二女を正妻に迎えています。式部の夫道貞は式部を去り、和泉式部は敦道親王との恋に走りました。恋多き燃える女性・・・和泉式部💛💛

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日本人のしきたり・・・「お盆」とは、日本ならではの行事。先祖を敬う祖先信仰。

2024年08月13日 | Weblog

京都・五山送り火【全山撮影、ロングバージョン】(2023年8月16日 京都市内) "Gozan no Okuribi" is held in Kyoto city.

七月十五日を中心に祖先供養の時期をお盆といい日本人のしきたりの一つです。このお盆は精霊会、盂蘭盆会などともいいます。精霊は祖先の霊のことで盂蘭盆(うらぼん)とは「逆さにつるされた苦しみを救う」という意味のサンスクリット語です。盂蘭盆会は釈迦の弟子である目蓮が「死んだ自分の母親が地獄に落ちて逆さ吊りの罰を受け苦しんでいますがどうしたら救われるでしょう」と釈迦に教えを請うたところ「七月十五日に供養しなさい」といわれ、そこで目蓮はこの日に手厚く母親を供養したところ母親は救われて極楽浄土に行くことができました。この盂蘭盆会の話が日本に伝わり、独自の先祖供養と融合して日本ならではのお盆がつくられました。16日は家や寺の門前で送り火を焚いて祖先の霊の帰り道を明るく照らして送りだします。有名な京都五山送り火の行事が行われます。日本各地では盆踊りも行われ、賑わいをみせています。日本人のしきたりが永く守られています。安寧。

 

 

 

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パリ五輪が閉幕 17日間の熱戦に幕!!日本「金」20個海外五輪最多記録達成!!オメデトウ👏👏

2024年08月12日 | Weblog

パリ五輪が閉幕 17日間の熱戦に幕

第33回夏季オリンピックパリ大会は11日夜(日本時間12日未明)にパリ郊外サンドニのフランス競技場で閉会式が行われ、17日間の日程に幕を閉じました。海外開催の五輪では最多の409選手で参加した日本選手団は各種競技に熱戦を展開し、金メダル20個を獲得、銀12,銅13,を合わせ総数45個のメダルを獲得しました。メダル数は東京五輪に次ぐ歴代2位の成績でした。💐💐セーヌ川での開会式や市民参加型の企画など話題性もあり、パリならではの五輪でした。五輪旗は次回開催のロスアンゼルスに引き継がれました。日本選手の活躍にもう一度大きな拍手を贈ります。

 

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紫式部の娘、藤原賢子の和歌が百人一首に掲載。無沙汰の男の言い訳に手厳しくも爽やかに返歌。💛💛

2024年08月11日 | Weblog

超訳マンガ百人一首物語第五十八首(大弐三位)

百人一首第五十八番 有馬山ゐなのささ原風吹けばいでそよ人を忘れやはする。有馬山から猪名野の笹原に風が吹くと笹の葉がそよそよと鳴りますね、その「その」ではありませんが、お忘れになったのは貴方です。私がどうして忘れるでしようか。という歌ですね。紫式部の娘、藤原賢子=長保元年(990年)生まれ、文学的才能に恵まれ母親譲りの書き物にも才能を発揮し「宇治十帖」の作者ともいわれています。ドラマでは藤原道長と紫式部との間に生まれたとされていますので、どちらに似ても才能は間違いありません。後に御冷泉天皇の浮母となる、高階成章の妻となり藤三位大弐三位と称されました。

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紫式部と清少納言は180度異なるもの・・・式部の「マイナス思考のなりきり能力」が源氏物語のキャラクターを生みだした。

2024年08月10日 | Weblog

総No 174 【 光る君へ 十の巻 】紫式部日記の中の清少納言について

「年くれて我が世ふけゆく風の音に心のうちのすさまじきかな」=今年も暮れて私の人生もだんだんと終わりに近づいてゆく、そんな夜更けの風の音を聞いていると心の内が荒涼としてくることだ」紫式部の詠んだ歌ですが、女房たちが夜になり「実家にいた今頃は眠っていたのに、内裏は雰囲気が違うものだ。ひっきりなしに沓の音がしてね」と好色な様子をいう。それを聞いた式部の感想の歌がこれです。同じ宮中の沓の音を聞いた清少納言は「少しも気が抜けないのが実に面白い」と女房たちを訪ねる殿上人との男女の関係を「いとおかし」と表現。この二人の違いが・・・紫式部のその希有な「マイナス思考のなりきり能力」こそ、美貌と栄華をきわめながら生涯悩み続けた源氏というキャラクターを生み、どんな貴婦人や無骨者の気持ちをも抜ききって共感をよんだマイナスにマイナスを掛けあわせた紫式部の思考があの「源氏物語」を生んだ要因かもしれません。素晴らしい作家です。👏👏

 

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「実家でゆっくり」お盆の帰省ラッシ再会に笑顔!「帰省」とはどういうう意味なのでしょうか?

2024年08月09日 | Weblog

8月に入り夏休みを利用して故郷に帰る人が多い月です。田舎ではじいちゃん、ばあちゃんが孫に会うのを楽しみにまっています。「帰省」といいますが、「帰省」漢字の「省」は「少+目」。「少」の解釈は様々ですが一説には小さくする意で目を細めてよく見ることを表す字といいます。帰省の「帰」は勿論帰る意ですが、ではこの「省」は何を意味するのでしょうか、実は親の安否をよくみて確認することです。本来「帰省」という語は父母を見舞うという意味を含んでおります。帰省の「省」との関連でいうと「定省(ていせい)」という言葉もあります。中国の古い書物にでてくる「昏定晨省(こんていしんせい)」を略したもので、夜=昏、に父母の布団を敷き、朝=晨には父母の安否を心配するという意味です。子が親に敬愛の心をもって尽くすことを表しています。帰省は懐かしい友達との交流も楽しくというイメージもありますが今年の帰省の際には改めて「省」の字の意味を思い出してみるのもいかがでしょうか・・・父母の安否確認も大切です。楽しい夏休みをお過ごしください。

 

 

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大人気の国民食「お好み焼き」の起源が千利休のお菓子だったとは!!オドロキ!!

2024年08月08日 | Weblog

『千利休』 踊る授業シリーズ 【踊ってみたんすけれども】

今、若い人の間でバズってる画像が、踊る授業シリーズ「千利休」紹介するとともに、もう一つはあの人気食「お好み焼き」の起源が茶聖・千利休が考案した菓子「ふのやき」と言われております。秀吉や信長も大変この菓子が大好きで好んで食べたそうです。小麦粉を水で溶いた生地に味噌を塗って焼いたもので、1540年(天正18年)から翌年にかけての茶会の記録「利休百会記」に何度も登場した記録が残っております。その後どのように発展したかはさだかではありませんが、大正時代「一銭洋食」と呼ばれた食べ物が関西方面で人気となり、薄い生地にねぎなどを乗せて焼きソースをかけたもので現在のお好み焼きの前身とされています。今は全国的に愛されてる国民食として人気があります。さぞかし利休さんも喜んでいるでしょう。

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立秋の七十二候。初候「涼風至(すずかぜいたる)8月7日、暦の上ではもう秋です。

2024年08月07日 | Weblog

[京都二十四節気] 立秋 Kyoto Twenty-Four Solar Terms first day of autumn

今日8月7日は「立秋」を迎えました。今年は閏年で2月29日があつたため8月7日が「立秋」となり、次の節気の「処暑」を迎えるまでの7日~21日が「立秋」の期間となります。「立秋」の立つという言葉には「ときが移る」「物事や作用がはっきり現れる」という意味があり「立秋」には秋の気配が現れ始め季節が移り替わるときという意味があります。日中は暑い日も多いのですが、この頃になると朝夕には「涼風」と呼ばれる秋を感じる涼しい風が吹くことも・・・また夏の終わりを告げるかのように朝夕にはカナカナとなくひぐらしの声も耳にすることもあり、季節の移ろいを感じさせます。もうすぐ秋・・・

  〇 立秋の紺落ち着くや伊予絣  夏目漱石

 

 

 

 

 

 

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源氏物語・桐壷「光源氏の誕生」朗読|原文・まひろが書き始めた物語!!

2024年08月06日 | Weblog

源氏物語・桐壷「光源氏の誕生」朗読|原文・現代語訳

NHK大河ドラマ「光る君へ」がいよいよ佳境に入ってきました。清少納言が書いた「枕草子」が宮中で話題になってる最中、まひろが書く物語が四条宮の女性たちに大評判となり、「面白い物語を描く女」として噂が道長の耳にもはいりました。道長は安部清明のコトバもあって道長がまひろを訪ねて再会します。ドラマではまひろの声で「いづれの御時にか」と流れましたが・・・まひろは「御時」を「おおんとき」と読み上げましたので、聞いていた私は「御時」は「おんとき」ではないの?と反応してしまいましたが・・・なにしろ書いた本人が読んだのですからね。でも平安時代にはそうよんだのでしょうね。と理解はしましたが・・・これは源氏物語の初刊「桐壺の巻」の始めの書き出しが「どの帝の御代だったでしょうか、女御や更衣が大勢仕える中に、それほど身分の高くないのに、帝の寵愛を一身に受ける桐壺更衣がいました」とあります。病死した桐壺更衣の未練の歌です。「かぎりとて別るる道の悲しきにいかまほしきは命なりけり。

「源氏物語」で最初に詠まれた歌です。印象にのこる歌ですね。

 

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8月6日におもう・・・「広島原爆の日」平和ボケの日本に未来は望めません!!

2024年08月05日 | Weblog

「原爆ドーム」今なお残る傷痕 広島・原爆投下70年(15/08/06)

「この日を忘れないでください」およそ79年前の8月6日、広島に原爆が投下されました。当時私は旧制中学一年生で「お国のために」と毎日勤労奉仕があり、アメリカ軍戦闘機グラマンの機銃掃射を受けた経験もありました。戦争体験者のひとりとして当時の事は忘れられません。ところが今の人たちは戦争を知りませんし知ろうともしません。日本は世界唯一の被爆国だという歴史の真実、あのような悲しい、悔しい、いやなことは二度と起こしてはいけません。そのため私たち一人ひとりが心にしっかりと過去を刻みつけておかねばなりません。「のどもと過ぎれば熱さ忘れる」とはよくいったもので、今の日本はまさにその状態ではないでしょうか・・・あれほどの悲惨な出来事をわすれようとしている現在も世界のどこかで戦争、紛争が絶えません。特に何の罪もない子供たちが多く犠牲になってることが悲しみに耐えません。世界唯一の被爆国である日本がもう少し過去としっかり向き合って、他者への思いやりをもって自分たちがすべきことをするそんな救世主になっていただきたいと思います。戦争体験者の一人として毎年この日になると当時を思い出し、平和で毎日暮らせることの幸せを感謝する次第です。

 

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西行法師の混迷現代に放つ魅力!!「一意専心」の人生を知る!「西行歌と旅と人生」を読みました。

2024年08月04日 | Weblog

サントリー美術館「西行物語絵巻」でみる西行法師の旅 5分3秒

平安末期から鎌倉初期の僧侶・歌人西行法師は戦乱の世に背を向け旅と歌に生きました。西行研究者で慶応大名誉教授寺沢行忠さんの新著「西行歌と旅と人生」を読み、「激動の時代に己を貫いた」その生き方が大変私を引き付けました。西行といえば私の故郷福島県白河に関係深く、白川の関跡を訪れ歌も詠んでおり、松尾芭蕉も西行に憧れて奥の細道を訪ね白川の関跡を訪れております。西行とはどのような人物なのか・・・上皇の身辺警護の武士として鳥羽院に仕え、出家し各地を巡り歌を詠みました。西行は源平合戦を始め戦が相次ぎ貴族から武士へ社会の担い手が交代した激動の平安末期に暮らした西行の時代は経済格差やコロナ禍、国際紛争で先が見通せない現代ともどこか重なります。「榊葉に心をかけん木綿垂(ゆうし)でて思へば神も仏なりけり」と歌を詠み、僧侶でありながら古来の神も尊崇し神仏習合の思想も推進しました。「一意専心」の人生はまさに西行に通じるものであると寺沢先生は書いておりますが私も同感です。

 「白川の関屋を月のまもる影は人の心を留むるなりけり」西行

白川の関を越えた西行はホームシック?にかかったようですが・・・

とてもこの本を読み、改めて西行法師の思想に感動しました。

 

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【光る君へ】道長の暗部をせべて背負い最後まで政に生きた母詮子逝く・・・彰子の将来にも影響か?

2024年08月03日 | Weblog

【光る君へ】国母・藤原詮子の生涯【大河ドラマ】【ゆっくり解説】【ずんだもん】

7月28日放送のNHK大河ドラマ「光る君へ」第29回「母として」では、まひろを含めて母となった女性たちの様々な変化や葛藤が描かれました。特にドラマでは、詮子と彰子の「ダブルあきこ」が注目されました。一条天皇の母で道長の姉詮子(吉田羊)は天皇が愛した皇后定子の遺児敦康親王を自分たちの人質にするため、道長の姉彰子の元に置くよう道長に提案、詮子は女性として初めて「院号宣下」を受けるなどかなり政治的な立ち回りが上手な女性であり、政治にも深く関与していました。このドラマでは詮子が黒幕として道長をクリーンなイメージにしようとかなり動いてるのが目ア立ちました。あれほど恨んでいた父とまったく同じ手を使い家を守ろうとしたことに業を感じざるをえませんでした。吉田羊さんの気迫のこもった演技が特に印象的ですばらしかったです。

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