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【霊告月記】第六十六回 蘇峰と蘆花  忍者になりたかった!

2021年05月01日 10時00分00秒 | 霊告月記66~70
【霊告月記】第六十六回 蘇峰と蘆花  忍者になりたかった!    

*子供の頃わたしは忍者になりたかった。そう、こんな忍者に☟


スランプに陥った。方向性が見えなくて困っている。確実に知っていることが何もない。何も新しいことを考える気が起きない。仕方がないので過去ログを探してアップすることにする。

フェイスブックでの子安宣邦氏の発言☛<
「謀叛論」の背景を知るために中野好夫の『蘆花徳冨健次郎』(全3部)を読み始めたが、これはすごい。本当の伝記というのはこういうものをいうのかもしれない。蘇峰・蘆花兄弟(賢兄愚弟)の相克・葛藤のうちに明治中期から後期にかけての国家も社会も精神も、そのすべてが映し出され、読み出されているようだ。なるほどこの高峻の蘇峰にして、蘆花のこの狂気がある>。この発言を受け、以下のような応答を行ったことがある。

◆徳富蘇峰と徳冨蘆花◆
「なるほどこの高峻の蘇峰にして、蘆花のこの狂気がある。」(子安宣邦)
先日の先生の市民講座での帰り道、本多さんと蘇峰・蘆花兄弟、この二人の不思議な関係について、語り合ったことでした。本多さんが、蘇峰と蘆花は兄弟なのにずいぶん違ってますね、どうしてでしょうかね、という感想を漏らされましたので、私なりの意見を述べたのでした。蘇峰と蘆花。この兄弟の対立と相克。ここには明治と大正、更には昭和の大敗北(敗戦)に至る、問題性のすべてが、その原型とでもいうべきものが潜在しているのではないか、という直感を申し述べたのでした。
蘇峰は単純化して言えば戦前の大日本帝国を代表する右翼思想家であり、これに対してこれまた単純化して言えば蘆花は人道的かつ平和主義的な戦前の諸思潮を吸収した大作家であった。だからこの兄弟は骨肉の相克・対立関係に入らざるをえなかった(少なくとも世間はそう見ていた)。
しかし、蘇峰から言うと、兄弟で喧嘩したことはない、少なくとも私から喧嘩を仕掛けたことは一度もない、という趣旨のことを述べています。蘆花は子供の時から親もあきれるほどわがままで反抗的であったそうです。蘇峰はそんな蘆花を心から愛し、私が責任もって育てますから、安心して下さい、と親に言って、その通り実行した。大学教育を受けさせ、文章も自分の経営する媒体に載せて、作家徳冨蘆花を誕生させた。
そんな蘇峰に蘆花は叛逆した。そして世間は判官びいきで蘆花に同情し、蘇峰を大悪人と評判した。蘇峰は、絶交を言い渡された蘆花のことを心配し、絶交されているのに、蘆花の自宅までたずねたこともあった。蘆花は、その時、蘇峰に門前払いを食らわせた。その時、蘇峰は、そうか弟もこの蘇峰を門前払いするほど偉くなったのかと喜んだそうです。それでもなお悲しみの心も湧いてどうしよもなかったと回想しています。
私はこの蘇峰の回想に、はじめて蘇峰という人間に共感を抱くことができた。蘇峰と蘆花、この兄弟の関係性は、1868から1945までの、日本近代史の問題性・悲劇性を象徴する、稀な、それこそ唯一と言えるほどの歴史的・思想的・芸術的な遺産ではないかと思えるのです。

★永遠の名作「風をあつめて」
  はっぴいえんど( 細野晴臣 大滝詠一 鈴木茂 松本隆)
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