濱着口上書第三十ページ、上の画像の全部(最終回)
解読 大嶋浦庄屋 友九郎
同浦 肝煎 常左衛門
橋爪周輔 殿
読み 省略
解説 前ページまでの船長以下乗組員の陳述を、地元の庄屋と肝煎『きもいり』が保証する形になっています。 「大嶋浦」・・・現在の串本町大島地区。和歌山県下では最大の離島です。一九九九年(平成十一年)くしもと大橋が完成し、陸続きになりました。 大島には樫野崎灯台、トルコ記念館、日米修交記念館、航空自衛隊レーダー基地、京大植物園などが有ります。 江戸時代は、古座組大嶋浦という一つの村でした。「浦」と「村」はいずれも最小行政単位ですが、農業による年貢高の多い所は「村」で、漁業による年貢高の割合が多い所を「浦」と呼称しました。 「庄屋」は村長的な役職、肝煎は助役的な役職で、村役人と呼ばれました。 「常左衛門」の「左」と「衛」に注目してください。「衛」は画数が多いので、この様に点で簡略化するケースが多いです。 「橋爪周輔」は古座組大庄屋で、周参見代官所に直属しており、四十三ヶ村を統括し、苗字帯刀を許されていました。 「殿」の崩しにも注意。
古文書講座第十一章、濱着口上書は本日をもって終了します。
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