2025年度版 馬場の外国詠 17(2009年4月)
【ムスタン】『ゆふがほの家』(2006年刊)86頁~
参加者:K・I、N・I、T・K、T・S、N・T、
藤本満須子、T・H、渡部慧子、鹿取未放
レポーター:T・H 司会とまとめ:鹿取 未放
142 近藤亨翁知る人ぞ知る新潟のこしひかりムスタンに根づかせしひと
(レポート)
近藤亨氏の業績は、同氏の著書『ムスタンへの旅立ち』に詳しい。「新潟のこしひかり」は美味しいお米の代表であるのみならず、栽培技術は本来非常に難しい品種と聞く。寒冷地によくぞ根づかせられたと、その根性に心から敬意を表すと同時に、それらが現在でも毎年、繰り返し豊作であるのか、知りたいと思う。(T・H)
(当日意見)
★稲作は最初は失敗続きで、たしか4年目にやっと実らせたそうです。2750メートルのティニという村に稲田があるそうです。きっとずっと稔り続けていると思いますよ。(鹿取)
143 標高三千に稲の道あり不可思議の情熱のごと稲は稔れり
(レポート)
通常では考えられない寒冷地での稲作である。それが近藤翁の情熱に応えるように稔ったのである。そこに馬場先生は、通常の人間の情熱を超えた神の恩恵・采配を感じられたのかも知れない。「不可思議の情熱のごと稲は稔れり」にそのお気持ちが現されているように思う。 (T・H)
(まとめ)
近藤亨氏が標高三千の荒れ果てた高地に稲を稔らせたのは、はるか何千年もの間にたどった「稲の道」ではない。ルートを外れた人工の強引な技の結実であり、それは貧しい土地の人たちに何とかして豊かな稔りを届けたいというひたすらな情熱の結果である。それを讃えて、ここにも稲の道があるよと作者は言っているのだろう。新潟大学で教鞭を執り、果樹の専門家だったという近藤氏がリンゴやメロンを稔らせるのは分かりやすいが、稲については大変なご苦労があったようだ。(鹿取)