かまくらdeたんか 鹿取未放

馬場あき子の外国詠、渡辺松男のそれぞれの一首鑑賞。「かりん」鎌倉支部の記録です。毎日、更新しています。

渡辺松男『寒気氾濫』の一首鑑賞 79

2023-07-24 14:43:43 | 短歌の鑑賞
 2023年版渡辺松男研究⑩(13年11月)まとめ 
    【からーん】『寒気氾濫』(1997年)36頁~
    参加者:崎尾廣子、鈴木良明(紙上参加)曽我亮子、渡部慧子、鹿取未放
     レポーター:渡部慧子
    司会と記録及びまとめ:鹿取 未放

 
79 アリョーシャよ 黙って突っ立っていると万の戦ぎの樹に劣るのだ

   (当日意見)
★アリョーシャって何に出てきたのですか?(崎尾)
★アリョーシャってドストエフスキーの『カラマーゾフの兄弟』の三人兄弟の一番
 下で、修道院に入ってひたむきに修行している少年なんですね。強欲で女にだら
 しがない地主のお父さんがいて、お兄さん二人もアリョーシャも、それぞれお父
 さんとも兄弟同士とも葛藤がある。そして屋敷に住み込みの下男が実は腹違いの
 兄弟なんですね。あの小説読んだら、誰でもたいていアリョーシャを好きになる
 んですけど(私は無神論者のイヴァンという兄さんもけっこう好きですけど)そ
 のアリョーシャに作者は呼びかけている。ひたむきに神を求めているアリョーシ
 ャに何か作者は言おうとしているんだけど、私にはもうひとつその内容が理解で
 きない。「黙って突っ立っている」のは〈われ〉なんでしょうね。「アリョーシ
 ャよ」と呼びかけて、「人間というものは、黙って立っていると樹に劣るよ」と
 言っている。作者の歌全般を読むと、人間には言葉があるから樹より優れている
 とは全然思っていなくて、一貫して黙っている樹に信頼を置いているし、自分の
 寡黙さも肯定している。しかし、この歌では言葉を持ち出している。では、言葉
 を持たない樹と並べて、作者はどこまで人間の言葉の有用性を信じているのか。
 もちろん短歌を書いて世界に発信しているんだから、言葉を否定する立場にいる
 訳ではない。読者である私自身が(宗教などを考えると)言葉に懐疑的なので、
 この歌がうまく解釈できないのかもしれない。難しい歌だなと思っています。
   (鹿取)


      (後日意見)
 『カラマーゾフの兄弟』のアリョーシャは、他の兄弟が良い面と悪い面を併せもっているのに対し、良い面だけが強調されて描かれている。アリョーシャのような理想を追う人間は、行動的な面(行動はある面、清濁併せ呑むようなものである)が乏しくなりがちである。それに対して、作者は、同じように突っ立っているだけの樹木の「万の戦ぎ」にも劣ると皮肉っている。
(鈴木)

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