2023年版渡辺松男研究⑩(13年11月)まとめ
【からーん】『寒気氾濫』(1997年)36頁~
参加者:崎尾廣子、鈴木良明(紙上参加)曽我亮子、渡部慧子、鹿取未放
レポーター:渡部慧子
司会と記録及びまとめ:鹿取 未放
79 アリョーシャよ 黙って突っ立っていると万の戦ぎの樹に劣るのだ
(当日意見)
★アリョーシャって何に出てきたのですか?(崎尾)
★アリョーシャってドストエフスキーの『カラマーゾフの兄弟』の三人兄弟の一番
下で、修道院に入ってひたむきに修行している少年なんですね。強欲で女にだら
しがない地主のお父さんがいて、お兄さん二人もアリョーシャも、それぞれお父
さんとも兄弟同士とも葛藤がある。そして屋敷に住み込みの下男が実は腹違いの
兄弟なんですね。あの小説読んだら、誰でもたいていアリョーシャを好きになる
んですけど(私は無神論者のイヴァンという兄さんもけっこう好きですけど)そ
のアリョーシャに作者は呼びかけている。ひたむきに神を求めているアリョーシ
ャに何か作者は言おうとしているんだけど、私にはもうひとつその内容が理解で
きない。「黙って突っ立っている」のは〈われ〉なんでしょうね。「アリョーシ
ャよ」と呼びかけて、「人間というものは、黙って立っていると樹に劣るよ」と
言っている。作者の歌全般を読むと、人間には言葉があるから樹より優れている
とは全然思っていなくて、一貫して黙っている樹に信頼を置いているし、自分の
寡黙さも肯定している。しかし、この歌では言葉を持ち出している。では、言葉
を持たない樹と並べて、作者はどこまで人間の言葉の有用性を信じているのか。
もちろん短歌を書いて世界に発信しているんだから、言葉を否定する立場にいる
訳ではない。読者である私自身が(宗教などを考えると)言葉に懐疑的なので、
この歌がうまく解釈できないのかもしれない。難しい歌だなと思っています。
(鹿取)
(後日意見)
『カラマーゾフの兄弟』のアリョーシャは、他の兄弟が良い面と悪い面を併せもっているのに対し、良い面だけが強調されて描かれている。アリョーシャのような理想を追う人間は、行動的な面(行動はある面、清濁併せ呑むようなものである)が乏しくなりがちである。それに対して、作者は、同じように突っ立っているだけの樹木の「万の戦ぎ」にも劣ると皮肉っている。
(鈴木)
【からーん】『寒気氾濫』(1997年)36頁~
参加者:崎尾廣子、鈴木良明(紙上参加)曽我亮子、渡部慧子、鹿取未放
レポーター:渡部慧子
司会と記録及びまとめ:鹿取 未放
79 アリョーシャよ 黙って突っ立っていると万の戦ぎの樹に劣るのだ
(当日意見)
★アリョーシャって何に出てきたのですか?(崎尾)
★アリョーシャってドストエフスキーの『カラマーゾフの兄弟』の三人兄弟の一番
下で、修道院に入ってひたむきに修行している少年なんですね。強欲で女にだら
しがない地主のお父さんがいて、お兄さん二人もアリョーシャも、それぞれお父
さんとも兄弟同士とも葛藤がある。そして屋敷に住み込みの下男が実は腹違いの
兄弟なんですね。あの小説読んだら、誰でもたいていアリョーシャを好きになる
んですけど(私は無神論者のイヴァンという兄さんもけっこう好きですけど)そ
のアリョーシャに作者は呼びかけている。ひたむきに神を求めているアリョーシ
ャに何か作者は言おうとしているんだけど、私にはもうひとつその内容が理解で
きない。「黙って突っ立っている」のは〈われ〉なんでしょうね。「アリョーシ
ャよ」と呼びかけて、「人間というものは、黙って立っていると樹に劣るよ」と
言っている。作者の歌全般を読むと、人間には言葉があるから樹より優れている
とは全然思っていなくて、一貫して黙っている樹に信頼を置いているし、自分の
寡黙さも肯定している。しかし、この歌では言葉を持ち出している。では、言葉
を持たない樹と並べて、作者はどこまで人間の言葉の有用性を信じているのか。
もちろん短歌を書いて世界に発信しているんだから、言葉を否定する立場にいる
訳ではない。読者である私自身が(宗教などを考えると)言葉に懐疑的なので、
この歌がうまく解釈できないのかもしれない。難しい歌だなと思っています。
(鹿取)
(後日意見)
『カラマーゾフの兄弟』のアリョーシャは、他の兄弟が良い面と悪い面を併せもっているのに対し、良い面だけが強調されて描かれている。アリョーシャのような理想を追う人間は、行動的な面(行動はある面、清濁併せ呑むようなものである)が乏しくなりがちである。それに対して、作者は、同じように突っ立っているだけの樹木の「万の戦ぎ」にも劣ると皮肉っている。
(鈴木)
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