ブログ版 清見糺の短歌鑑賞
鎌倉なぎさの会 鹿取 未放
228 あんまりじゃあございませんかと言いながらてんてきぼうとへんろみちゆく
2003年6月作
何をするにも
点滴と同行(どうぎやう)二人(ににん)はるさむし
上に挙げた江國滋の句を意識している。同行(どうぎやう)二人(ににん)は、もともとはお遍路さんが、いつも弘法大師とともにあるという意味で笠などに書き付ける言葉。それを江國はひねってトイレも食事も点滴のコードに繋がれたまま行う不便さに用いた。作者は江國の句を援用しつつ、もともとのイメージの四国遍路と重ねている。もちろんここの「へんろみち」は徘徊する病院内のことである。上句は、癌になどかかって、こんなていたらくでというのだろう。
★かつて業病といわれた〈レプラ〉などの患者が「へんろ」としてさすらった
過去があった。快復の見込みのない自分をかつてのお遍路さんに重ねつつ「へ
んろみち」を使ったのだろう。(藤本満須子)
鎌倉なぎさの会 鹿取 未放
228 あんまりじゃあございませんかと言いながらてんてきぼうとへんろみちゆく
2003年6月作
何をするにも
点滴と同行(どうぎやう)二人(ににん)はるさむし
上に挙げた江國滋の句を意識している。同行(どうぎやう)二人(ににん)は、もともとはお遍路さんが、いつも弘法大師とともにあるという意味で笠などに書き付ける言葉。それを江國はひねってトイレも食事も点滴のコードに繋がれたまま行う不便さに用いた。作者は江國の句を援用しつつ、もともとのイメージの四国遍路と重ねている。もちろんここの「へんろみち」は徘徊する病院内のことである。上句は、癌になどかかって、こんなていたらくでというのだろう。
★かつて業病といわれた〈レプラ〉などの患者が「へんろ」としてさすらった
過去があった。快復の見込みのない自分をかつてのお遍路さんに重ねつつ「へ
んろみち」を使ったのだろう。(藤本満須子)
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