かまくらdeたんか 鹿取未放

馬場あき子の外国詠、渡辺松男のそれぞれの一首鑑賞。「かりん」鎌倉支部の記録です。毎日、更新しています。

渡辺松男『寒気氾濫』の鑑賞 381、382

2025-01-07 09:24:20 | 短歌の鑑賞

  2025年度版 渡辺松男研究46(2017年2月実施)
    『寒気氾濫』(1997年刊)【冬桜】P154~
     参加者:泉真帆、M・S、曽我亮子、渡部慧子、鹿取未放
        レポーター:①曽我 亮子 ②渡部 慧子
        司会と記録:鹿取 未放          


381 散りゆかぬ柏の枯葉風に鳴り襤褸を離さぬ冬木ぞあわれ

           (当日発言)
★結句の「あわれ」というのは潔さがないということではないですか。(M・S)
★散ってしまっていい物、時代遅れのものや不要の物が散らずにまだしがみついているところに未練たらしさを感じているのではないか、そのあわれさ。  (真帆)


382 久方の空澄みわたりゆえもなく元旦の日をおびえていたり

     (レポート②)  
 元旦の空の美しさに「おびえていたり」という心境は理解できる。澄み渡った光りに消えてしまいそうに思ったり、光りの様子をいたいと感じたりするものだ。(慧子)


         (当日発言) 
★何もかも一新され浄められている元旦に仕切り直されているような恐ろしさ。(真帆)
★仕切り直すということを、もう少し丁寧に説明してくれませんか。(鹿取)
★粛正されるという言葉がありますが、古来から何もかも新たにする元旦、塵一つ無いことを怯えたのじゃないかと。大晦日と元旦が全て変わる、あるかないかわからない神のようなものをみんなが念頭に置いているようで、何もかも爽やかになったことに怯える。(真帆)
★なぜ爽やかさを怯えるんでしょう?(鹿取)
★この作者は混沌とした有り様を是としているように思います。ですから、すごくこう美しさは恐れていて、ごみごみしているのが普通。美しくなってハッピーニューイヤー、さあ元旦ですよっていうのが怖い。(真帆)
★うーん、作者は「空すみわたり」と言っているので、家や町内のことではないと思います。世俗的な事ではなく、哲学的というか存在論的に何かを怯えているのだと思いますが。それに「ゆえもなく」がくせもので、この語にひっかかるんですね。空が澄み渡っていることを単純に怯えるのではなくて、それと関連はしているんだけど「ゆえもなく」が加わるんですね。(鹿取)
★「ゆえもなく」とあるけど、本当はゆえがあるのよというのが真帆さんの意見ではないでしょうか?こんなに綺麗でいいのか、それに怯える。自分が光りの中に差し出されてしまったような。澄んだ空は存在のかなしさを思わせるから11月でも12月でもいいけれど元旦の方が効果的だからそうしたのかと。(慧子)
★いや、元旦が意味を持つ歌でしょう。「元旦の日」の「日」ってもしかしたらお日様のことでしょうか。(鹿取)
★みんなの意見を聞いていると、曽我さんのレポートの空が澄んで不吉なことが起きるのではないかという意見に戻ります。(真帆)
★いや、不吉なことも何も起こらないのです。ゆえもなくは怯えるにかかると思います。(M・S)
★そうですね、やはり哲学的、存在論的な怯えだと思います。(鹿取)

 


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