2024年度版 馬場あき子の外国詠9(2008年6月実施)
【西班牙 2 西班牙の青】『青い夜のことば』(1999年刊)P52~
参加者:N・I、M・S、崎尾廣子、T・S、藤本満須子、
T・H、渡部慧子、鹿取未放
レポーター:藤本満須子 まとめ:鹿取未放
※この項、『戦国乱世から太平の世へ』(シリーズ日本近世史①藤井譲治)・
『ザビエルとヤジロウの旅』(大住広人)・講談社『日本全史』等を参照した。
76 ただ孤なるみなし子のやうなるザビエルの心乗せたる秋の雲ゆく
(レポート)
4句め、5句めにこの歌の眼目がある。宣教師ザビエルはただ一人みなしごのようにインド、日本、中国へと布教のために旅をする。ザビエルの孤独と天空の秋の雲との取り合わせ、特に夏ではなく「秋」と歌ったところに憂愁の気分も漂っている。 (藤本)
みなし子と自らを称(よ)びし長明の心にありし詩のやうな空
馬場あき子『ゆふがほの家』
(まとめ)
みなし子とは祖国から切り離された布教のあてどなさを言っているのであろうか。もちろん、ザビエルはたった一人で日本に来たわけではなく、仲間もいたのだけれど。作者達のスペイン滞在は六月初旬なので、「秋の雲」はザビエルが日本に滞在した遠い秋のことを思い描いているのだろう。(鹿取)
(後日意見)(2018年8月)
『馬場あき子新百歌』で米川千嘉子がこの歌に触れて次のように書いている。(鹿取)
布教のために世界を旅したザビエルを思う。旅先で思うザビエルもヤジローも、沁みるような風土の青さに投げ出されていっそう生の孤独を晒していたのではなかったか。旅情とは異国の自然や歴史の珍しさに昂ぶるより、異なる時空にあって響き合う存在の孤独を発見することかもしれない。 (米川)
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