渡辺松男研究まとめ30(2015年8月)
【陰陽石】『寒気氾濫』(1997年)103頁~
参加者:石井彩子、M・S、曽我亮子、渡部慧子、鹿取未放
レポーター:石井 彩子 司会と記録:鹿取 未放
245 たえまなきみずのながれにみずぐるま未来回転して過去となる
(レポート)
マウリッツ・エッシャー(オランダ生、1898年 - 1972年)のだまし絵に『滝(昇る水路)』というのがある、滝が流れ落ち、その水力で水車は回っているのだが、その水は重力の法則を無視して、上の方に流れ、再び滝となり、水車を回す、これが際限なく繰り返されるのである。
この作品は回転する水車という空間の表現を時間の暗喩と捉え、未来と過去が繰り返されることを詠んでいる。カミュの『シジフォスの神話』では、転げ落ちるのは分かりきっているにも拘わらず、大岩を尖った山頂まで運び、転げ落ちた岩をまた山頂に運ぶ無意味な動作を繰り返す人間が描かれているが、日常の全てが同じ出来事の繰り返しという意味では、ニーチェの「永劫回帰」に通じるものがある。(石井)
(当日意見)
★石井さんのレポート、エッシャーのこの絵を思い出したところがいいですね。エッシャー
ってこんな哲学的な解釈ができるのねというか、渡辺さん先取りしているような。確かに
視覚的にこの歌を解説しているようで面白いですね。(鹿取)
★私は普通の水車を思い浮かべていました。未来のことはそこまで行けば必ず過去になっ
てしまうのであって、別に無意味な動作の繰り返しということはないと思うのですけど。
(M・S)
★私は「未来回転」というところだけがこの歌分からないんです。(慧子)
★「未来回転」ではなく、「未来」で一旦切れるんじゃないですか?(M・S)
★そう読んでも時間が掴めないですね。(慧子)
★未来も過去もぐるぐる回っているという感じです。視覚的には逆流しているような絵な
んですね、エッシャーのは。(石井)
★どんな輝かしい未来もいつかは過去になるという、そういうことを歌っているのかなと。
(M・S)
★私は気怠い同じ事の繰り返しを思います。単に回っているのでは面白くないので、歌は
未来とか過去とかの概念を持ちだして衝撃を出そうとしている。(石井)
★レポートの最後の「永劫回帰」については、その内容をよく理解していないので分かり
ません。(慧子)
★やっぱり同じ事の繰り返しというのは辛いんです。たとえば仏教の輪廻転生だと何かこ
う新しい物が付け加えられるんですけど、ニーチェの永劫回帰というのは全部神話に通
じるものがあって、過去にあったことがもう一度繰り返されるというそういったことが
永劫回帰なんですけどね。(石井)
★そうですね、今この部屋でこの顔ぶれで渡辺さんの歌を議論していますが、この瞬間と
いうものが永遠の未来に全く同じかたちで存在する。同じ顔ぶれで同じ議論をして部屋
の外では蝉がミンミンと今と全く同じに啼いている、それが何回でも循環する。(鹿取)
★時間というものは過去とか未来とか私達は直線的なものだと思っているけれど、永劫回
帰は円になっている。(石井)
★輪廻(天、人、修羅、畜生、餓鬼、地獄)だったら、悟りという、あの循環の輪を脱出
する方法があるわけですよね。でも永劫回帰には脱出の方法がなくって、救いようが
ないのです。(鹿取)
★だからニヒリズムって言うんです。非常に怖い思想です。(石井)
★でもなんか244歌(ひとひらの鳥冥けれど日のきよら風のきよらに乗りて川越ゆ)と
246(爽快は靴音にあり階段を降りるとき君と並びて降りる)歌の爽やかな印象の中
に、この救いようのない暗い歌が挟まれているのでしょうね、と考えると、M・Sさん
の解釈がいいような気もしてきました。(鹿取)
【陰陽石】『寒気氾濫』(1997年)103頁~
参加者:石井彩子、M・S、曽我亮子、渡部慧子、鹿取未放
レポーター:石井 彩子 司会と記録:鹿取 未放
245 たえまなきみずのながれにみずぐるま未来回転して過去となる
(レポート)
マウリッツ・エッシャー(オランダ生、1898年 - 1972年)のだまし絵に『滝(昇る水路)』というのがある、滝が流れ落ち、その水力で水車は回っているのだが、その水は重力の法則を無視して、上の方に流れ、再び滝となり、水車を回す、これが際限なく繰り返されるのである。
この作品は回転する水車という空間の表現を時間の暗喩と捉え、未来と過去が繰り返されることを詠んでいる。カミュの『シジフォスの神話』では、転げ落ちるのは分かりきっているにも拘わらず、大岩を尖った山頂まで運び、転げ落ちた岩をまた山頂に運ぶ無意味な動作を繰り返す人間が描かれているが、日常の全てが同じ出来事の繰り返しという意味では、ニーチェの「永劫回帰」に通じるものがある。(石井)
(当日意見)
★石井さんのレポート、エッシャーのこの絵を思い出したところがいいですね。エッシャー
ってこんな哲学的な解釈ができるのねというか、渡辺さん先取りしているような。確かに
視覚的にこの歌を解説しているようで面白いですね。(鹿取)
★私は普通の水車を思い浮かべていました。未来のことはそこまで行けば必ず過去になっ
てしまうのであって、別に無意味な動作の繰り返しということはないと思うのですけど。
(M・S)
★私は「未来回転」というところだけがこの歌分からないんです。(慧子)
★「未来回転」ではなく、「未来」で一旦切れるんじゃないですか?(M・S)
★そう読んでも時間が掴めないですね。(慧子)
★未来も過去もぐるぐる回っているという感じです。視覚的には逆流しているような絵な
んですね、エッシャーのは。(石井)
★どんな輝かしい未来もいつかは過去になるという、そういうことを歌っているのかなと。
(M・S)
★私は気怠い同じ事の繰り返しを思います。単に回っているのでは面白くないので、歌は
未来とか過去とかの概念を持ちだして衝撃を出そうとしている。(石井)
★レポートの最後の「永劫回帰」については、その内容をよく理解していないので分かり
ません。(慧子)
★やっぱり同じ事の繰り返しというのは辛いんです。たとえば仏教の輪廻転生だと何かこ
う新しい物が付け加えられるんですけど、ニーチェの永劫回帰というのは全部神話に通
じるものがあって、過去にあったことがもう一度繰り返されるというそういったことが
永劫回帰なんですけどね。(石井)
★そうですね、今この部屋でこの顔ぶれで渡辺さんの歌を議論していますが、この瞬間と
いうものが永遠の未来に全く同じかたちで存在する。同じ顔ぶれで同じ議論をして部屋
の外では蝉がミンミンと今と全く同じに啼いている、それが何回でも循環する。(鹿取)
★時間というものは過去とか未来とか私達は直線的なものだと思っているけれど、永劫回
帰は円になっている。(石井)
★輪廻(天、人、修羅、畜生、餓鬼、地獄)だったら、悟りという、あの循環の輪を脱出
する方法があるわけですよね。でも永劫回帰には脱出の方法がなくって、救いようが
ないのです。(鹿取)
★だからニヒリズムって言うんです。非常に怖い思想です。(石井)
★でもなんか244歌(ひとひらの鳥冥けれど日のきよら風のきよらに乗りて川越ゆ)と
246(爽快は靴音にあり階段を降りるとき君と並びて降りる)歌の爽やかな印象の中
に、この救いようのない暗い歌が挟まれているのでしょうね、と考えると、M・Sさん
の解釈がいいような気もしてきました。(鹿取)
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